フェアトレードで貧困をなくせるのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2014年1月23日公開の「フェアトレード”の不公正な取引が貧しい国の農家をより貧しくしていく」です(一部改変)。

コーヒー農園(Photo:ⒸAlt Invest Com)

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まるでカルト宗教の集会

フェアトレードは、「市場経済は貧しい国や貧しいひとたちを搾取している」として、「公正な取引Fair trade」を企業に求めるアンチ・グローバリズムの運動のことだ。欧米(とくにイギリス)では「倫理的に意識高い系(ethical awareness)」の高まりで広く普及している。フェアトレード財団だけでなく、レインフォレスト・アライアンス(熱帯雨林保護)、フォレスト・スチュワードシップ・カウンシル(森林保護)、UTZサーティファイド(サスティナブルなコーヒー)など、同様の趣旨で運営されている認証機関はいくつもある。

フェアトレードの主張は、「アフリカや中南米で、グローバル企業が農家のコーヒーやカカオ豆を不当に安く買い叩いている」というものだ。そのため農家は熱帯雨林を伐採し、それでも生活できず困窮に陥って破産してしまう。この問題を解決するもっとも有効な方法は、貧しい国の農家も労働に対する適正な利益が得られるよう、グローバル企業が「公正な価格」でコーヒーやカカオ豆を購入することだ。そうすれば農家の経営は安定し、無理な農地拡大も必要なくなり、自然もひとびともサスティナブル(持続可能)になるだろう。

素晴らしい話だが、はたしてほんとうだろうか? そんな疑問を抱いたイギリスのジャーナリスト、コナー・ウッドマンは自分の目でフェアトレードの現場を確かめる旅に出て、その成果を『フェアトレードのおかしな真実』(松本裕訳、英治出版)で報告している。

“フェアトレード先進国”であるイギリスでは、スターバックスやネスレがいち早く倫理的認証を受け、「環境にやさしくない」企業の代名詞だったマクドナルドまでがレインフォレスト・アライアンスの認証マーク付きコーヒーを売っている。キャドバリー社の国民的なチョコレートも、2009年にフェアトレードの認証を受けることになった。

その記者会見に出席したウッドマンは、なんともいえない違和感を持った。そこには「FAB(Fairtrade Association Birmingham)」と白抜きされた黒のTシャツを着た活動家たちが集まっていて、キャドバリー社の社長の発表を聞いて、「目には涙を浮かべ、誇らしげに胸を張り……『すばらしい!』とだれかがさけんだ」のだ。

活動家の一人は、次のように声高に証言した。

「のんびりコーヒーを飲んだりチョコレートを食べたりしているだけで世界を変えられるなんてだれも思っていなかったけど、どうやらできるみたいだな」

これって、カルト宗教の集会みたいではないか。

フェアトレードで儲ける大企業

フェアトレード財団の2010年時点のホームページには、次のような主張が掲載されていた。

〈コーヒーの価格は、2000年以来記録的な低迷に苦しんでいます。コーヒー豆の生産費よりはるかに低く、世界中のコーヒー農家を危機に陥れています。〉

しかしこの主張はまったくのデタラメだ。ニューヨーク市場におけるコーヒーの国際価格は2002年以来着実に上昇し、タンザニアで生産されているマイルド・アラビカ豆は2002年の1.32ドル/キロから2011年に5.73ドル/キロまで高騰した。「世界のコーヒー価格に『記録的』なことがあったとすれば、それは記録的な高値だということだ」とウッドマンはいう。

それに対してフェアトレードが「公正」とする最低価格は2.81ドル/キロで、市場価格の半値以下でしかない。リーマンショック直後の3カ月を除き、市場価格がこの最低価格を下回ったことはなかった。

これは要するに、「倫理的認証を受ける企業は、フェアトレードの最低価格によって仕入れコストが上がる心配をする必要はまったくなかった」ということだ。市場価格が最低価格を上回っているかぎり、企業の負担は認証されたコーヒーやカカオ豆を購入する際の割増金だけだが、もともとコーヒーやチョコレートにおける原材料比率は高くないので(スターバックスなどはコストの大半が不動産賃料と人件費)、実質的な割増金負担はごくわずかだ。ウッドマンの試算では、キャドバリー社が支払う割増金はミルクチョコ1本につき0.25セントにすぎない。

これで2005年以降、名だたる大企業が次々と倫理的認証を受けるようになった理由がわかる。

企業からすれば、ほんのわずかな追加コストで「ひとにも自然にもやさしい企業」というブランドイメージを手にできる。レインフォレスト・アライアンスの認証を受けたことで、マクドナルドのコーヒーの売上げは25%増えたという。「フェアトレードは儲かる」のだ。

フェアトレードが貧しい国の農家をより貧しくしている

しかしそれでも、「フェアトレードによって、農家は価格の最低保障という“保険”に無料で加入できるのだからいいではないか」と思うひともいるだろう。この理屈は正しいのだろうか? そこでウッドマンは、タンザニアのコーヒー農園にフェアトレードの実態を見にいく。

倫理的認証団体は小規模な農家まで個別に認証しているわけではない。そんなことは物理的に不可能だから、地域ごとに協同組合を設立して、組合が商品の品質を保証したうえで(スターバックスやマクドナルドなどの)大口顧客に販売する。「農家が個別に価格交渉するよりも集団で交渉した方が有利だから」だ。

ところがウッドマンは、現地で不可解な現実を目にする。

タンザニア産のコーヒー豆が国際市場で5ドル/キロを上回る史上最高値を記録しているにもかかわらず、フェアトレードに参加する農家が受け取っていたのは1.38ドル/キロだけだったのだ。これはフェアトレードが「公正な価格」とする2.81ドル/キロの半値以下だ。

なぜこんな「不公正」なことが起こるのだろうか。

それは協同組合が現地の有力者に支配され、彼らが人件費や管理費などの名目で農家を“搾取”しているからだ。しかしフェアトレードは協同組合がないと事業が継続できないため、こうした不都合な事実に気づいていても目をつぶって放置しているのだという。

その結果、協同組合を通さず、農家や農場が直接コーヒー豆を販売する試みが始まった。たとえば同じタンザニアの村で、「エシカル・アディクションズ」という団体は3.14ドル/キロで農家からコーヒー豆を購入し、高品質の豆を求める企業に販売している。倫理的認証を受けないことで農家の利益は2倍以上増えたが、こうした動きが広がれば協同組合の利益が失われてしまうため、現地の緊張が高まっている。活動の趣旨とは逆に、フェアトレードが貧しい国の農家をより貧しくしているのだ。

グローバル企業が撤退して貧困が蔓延した

フェトレードのような倫理的認証団体は、冷酷無比な「グローバル企業」こそが経済格差を生み、貧しい国のひとびとを苦しめているのだと非難する。そこでウッドマンは、世界でもっとも貧しい国のひとつであるコンゴ民主共和国を訪れた。

ルワンダ内戦の影響でコンゴ東部にフツ族の大規模な難民キャンプが生まれ、その後、ツチ族のルワンダ軍の攻撃で難民キャンプは壊滅した。その結果、フツ族の民兵はコンゴのジャングルに身を隠し、FDLR(ルワンダ解放民主軍)を結成する。FDLRはコンゴ東部を暴力的に支配し、コンゴ人女性や少女たちを誘拐してレイプし、村人たちの四肢を切り落とした。

このような状況のなかで、農業のできなくなったひとびとは生きるために換金性の高い商品を求めて必死になった。ウッドマンが彼らとともに体験したのは、懐中電灯ひとつで坑道に入り、スズ石を掘り出すことだった。コンゴ東部には良質のスズ鉱山がいくつもあるのだ。

ただしこの仕事には大きな危険がともなう。

ウッドマンが潜った坑道はベルギーの企業が開発したものだった。鉱山開発会社は坑道までレールを引き、さまざまな機材を使って採鉱を行なっていた。ただしそれは、コンゴが独立する1960年までのことだ。

それから50年間、鉱山は放置されてきた。いまではレールは使えなくなってバケツリレーでスズ石を運ぶしかなく、坑道に貯まった水を汲み出すための発電機もない。そのため村人たちは、懐中電灯だけを頼りにいつ崩れるかわからない坑道に入り、素手でスズ石を掘り出すしかないのだ。

コンゴの村の苦難はグローバル企業が生み出したのではなく、グローバル企業(ベルギーの鉱山開発会社)が撤退したことで始まったのだ。

アンチ・グローバリズムでは貧困を救えない

本書の最後で、ウッドマンはアフリカ東海岸のコートジボワールに綿農家を訪ねる。

アフリカでは250万人の農家が1ヘクタール単位の畑を牛を使って耕し、1トンか2トンの綿を収穫している。アメリカの大規模生産者に比べれば微々たる量だが、それを合わせると世界の綿輸出量の20%にもなる。

コートジボワールは綿の一大産地だが、2002年から04年までの内戦によって国内の綿繰り工場(収穫された綿から種や不純物を取り除く工場)がすべて倒産してしまう。内戦終結後にその工場を落札したのが、シンガポール市場に株式を上場する世界最大手の農業商社のひとつオラムだ。綿相場の上昇によって、オラムはコートジボワールの綿事業に投資する価値があると判断したのだ。

コートジボワールにおけるオラムの綿事業の責任者は、ジュリー・グリーンという30歳のアメリカ人女性だ。ジュリーはアフリカ暮らしが7年目で、最初はNGO職員として学校の建設や水汲みポンプの設営をしてきたが、「活動の進捗のなさにうんざり」して、ジュネーヴでMBAを取得してオラムに移った。

ジュリーの監督の下で、倒産した工場の稼働率は1年目に70%、2年目以降は100%と劇的に蘇った。しかし変わったのはそれだけではない。

以前の工場は、基本的な安全面での予算もなくきわめて危険だった。いまはケーブルのまわりにケージが置かれ、火災を起こしたときのための送水ポンプも設置された。もちろん手袋やマスク、ゴーグルなどの安全装備も従業員全員に配布されている。以前はいちど壊れてしまったら、ボスから「残念だったな」といわれてそれで終わりだったのだ。

だからといって、オラム社がボランティア精神に溢れていたり、CSR(企業の社会的責任)にちからを入れているわけではない。世界じゅうのすべての工場で当たり前のようにやっていることを、コートジボワールでも行なったにすぎない。工場の安全管理は、事業を行なううえでの基本中の基本なのだ。

オラムはまた、契約する綿農家に高品質の種を無料で配布し、農薬や肥料の費用を無利息で前倒し融資するばかりか、村人たちがトウモロコシを栽培する肥料も余分に渡している。だが管理責任者のジュリーは、これも人道主義とは無関係だという。

高品質の種を無料で配布するのは、農家に品質の高い綿を栽培させ、サプライチェーンの中に他品種が混入するリスクを軽減するためだ。無利子の前倒し融資は、農家の経営を安定させることで綿の安定供給を図るためだ。農家の食料であるトウモロコシのために肥料を余分に渡すのは、そうしなければ綿用の肥料が転用されてしまうからだ。

すべては高品質の綿をより多く生産するための合理的な経営判断だとジェリーはいう。「貧しくて飢えている農家を抱えていても、私たちにはいいことは何もありません」

貧困の原因は腐敗した政府にある

「フェアトレードのおかしな真実」をめぐる旅でウッドマンが思い知ったのは、貧困の原因は腐敗した政府であり、権力の崩壊がもたらす内戦や内乱だということだ。それによってグローバル企業が撤退し、仕事を失った現地のひとびとが経済的な苦境に追い込まれる。

その一方でコートジボワールのオラム社のように、現代のグローバル企業は利益を追求しながらもコンプライアンスにしばられ、社会的な評判を気にしている。そのうえ彼らは投資のためのじゅうぶんな資金を持ち、優秀な人材(それもジュリーのように、ビジネスを通じて社会をよくしたいと考える若者)を抱えている。

だとしたら「経済格差の元凶」としてグローバル企業を敵視するのではなく、彼らのちからを上手に利用した方がずっといいのではないか――それが、長い旅を終えてウッドマンのたどり着いた結論だ。

フェアトレードのマークのついたコーヒーを飲んでいるだけでは、世界はなにひとつ変わらないのだ。

禁・無断転載

好き嫌いも、政治的信念もじつはどうでもいい? 週刊プレイボーイ連載(535)

「選択盲(チョイス・ブラインドネス)」という奇妙な現象を調べた実験があります。

男性の被験者たちに、カードに印刷された若い女性の顔のペアを示して好みのタイプを選んでもらい、そのうえで「あなたはこの女性の方が魅力的だと感じました。その理由を教えてください」と、顔写真を見せながら訊ねます。

なんの変哲もない質問ですが、このとき実験者は、巧みなカード捌きで、ときどき選ばなかったほうの顔を見せました。被験者は自分がタイプだと思った女性について語るのですが、そのなかには、魅力がないと判断した女性の写真が混ざっているのです。

驚くのは、ほとんどの被験者がこのトリックに気づかず、自分が選んだ顔とは違うにもかかわらず、なぜ彼女が好ましいかを喜んで説明したことです。髪が真っ直ぐでイヤリングをつけていない女性を選んだにもかかわらず、写真を差し替えられると、「この女性の魅力は、すてきなイヤリングと、くるっとした髪ですね」などと堂々というのです。

この実験は、好き嫌いがあやふやなものだということを示しています。好みのタイプがわかっているわけではなく、身に覚えのないはずの選択を説明しろと求められても、当惑するどころか、おかしなことには何も気づかないまま平然と逆の立場を弁護できるのですから。

ここまでは飲み会のジョークの類ですが、次の実験になると思わず考え込んでしまいます。

2010年のスウェーデンの総選挙の準備中、2人の心理学者が被験者たちに、リベラルと保守のどちらに投票するつもりか訊ね、所得税の水準や医療体制といった、選挙の主要争点についての質問票を手渡しました。リベラル派は増税してでも医療などの福祉を充実させるべきだと考え(大きな政府)、保守派は税率を引き下げて個人の自由な選択に任せるべきだとします(小さな政府)。

そこで実験者は、回答を受け取ると、粘着する紙を使った簡単なトリックで、逆の政治的立場を支持しているかのような回答用紙とすり替えました。リベラルな被験者は減税に、保守的な被験者は福祉の充実に賛成している回答を受け取り、その理由を説明するよう求められたのです。

この露骨なトリックにもかかわらず、自分の回答を確認したときに、間違っていることに気づいたのは4カ所に1つ程度でした(そのときは多くの被験者が、書き間違えたようなので直したいと、最初に表明した意見へと訂正しました)。ところがそれ以外の箇所では、ついさっきまで反対していたはずの政治的立場を喜んで説明し、擁護したのです。――高税率を支持していたはずのリベラルな被験者は、減税を支持したことになっている偽の回答用紙を渡されると、「低所得者の負担を軽くして起業を促すからだ」などと説明しました。

わたしたちにとって重要なのは、どうやら「(政治的)信念」ではなく、自分が一貫していることのようです。それにうまく合致しさえすれば、異性の好みと同様に、イデオロギーや政治的立場はどうでもいいのです。

だとすれば、「正しい政治」について議論することに何の意味があるのか。そんな疑問をもつのは私だけではないでしょう。

参考:ニック・チェイター『心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学』高橋達二、長谷川珈訳、講談社選書メチエ

『週刊プレイボーイ』2022年9月5日発売号 禁・無断転載

国際人道援助のあまりにも不都合な真実

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2014年1月16日公開の「”悲惨な現場”を求めるNGOの活動がアフリカで招いた不都合な真実」です(一部改変)。

ジェノサイトを生き延びた子ども(ルワンダ・キガリの「ジェノサイド・メモリアル」)(Photo:ⒸAlt Invest Com)

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リンダ・ポルマンはオランダのフリージャーナリストで、世界各地の紛争地帯で国連やNGO(非政府組織)の活動を取材している。『クライシス・キャラバン』(大平剛訳、東洋経済新報社)では、「紛争地における人道援助の真実」という副題が示すように、NGOなどの援助活動がアフリカでどのような事態を招いているかを告発している。

民間人の四肢を切断する反政府組織

アフリカ西部の大西洋岸に位置するシオラレオネはかつてのイギリス領で、首都フリータウンは、18世紀後半の奴隷廃止運動を背景に、解放された奴隷たちの定住地(自由の町)として開発された。その後はイギリス統治下で大学などの教育制度が整えられ、西アフリカの中心地として発展したが、1961年に独立してからは内戦とクーデターを繰り返すことになる。

紛争の原因はダイヤモンド鉱山の利権で、貧弱な軍事力しか持たない政府は南アフリカの鉱山開発会社からPMC(民間軍事会社)の派遣を受け、反政府組織RUF(革命統一戦線)と衝突した。RUFを率いたアハメド・フォディ・サンコーはムスリムで、リビアのカダフィ大佐のもとで軍事訓練を受け、ゲリラの支配下にある鉱山から産出したダイヤモンド(ブラッドダイヤモンド)で武器を購入し、1991年から8年間に及ぶ内戦に全土を巻き込んだ。

RUFは拉致した子どもたちに麻薬と銃を与え、少年兵として戦闘に参加させたが、それと並んで世界を震撼させたのは民間人を襲撃して鉈で手足を切断したことだ。その惨劇は新聞や雑誌に写真入りで報道され、テレビニュースでも何度も放映されたから記憶に残っているひとも多いだろう。

ところでRUFはなぜ、民間人の四肢を切断したのだろうか。

ルワンダやボスニア・ヘルツェゴビナのような民族紛争では、敵対する民族を絶滅させようとする「民族浄化(エスニック・クレンジング)」が起こる。これは悲惨な出来事だが、人類史をひも解けばけっして珍しいことではない。旧約聖書を読めばわかるように、ヒトは紀元前の昔から集団を「俺たち」と「奴ら」に分け、「奴ら」を皆殺しにする蛮行をえんえんと繰り返してきた。

伝統的社会の戦争では、敵の身体の一部を切断するという風習が広く知られている。だがその「身体の一部」とは首のことで、台湾や南太平洋の狩猟採集社会は“首刈り族”と呼ばれていたし、戦国時代の日本でも敵将の首を獲ることが最高の武勲とされていた。それに対して、敵の手や足を切断する風習はどのような伝統的社会でも知られてはいない。

それではなぜ、アフリカの一部でだけ、それも20世紀末になって、手足の切断が始まったのだろうか。これは一般には、「農作業をできなくしてゲリラ組織に依存させるため」などと説明されるが、これではゲリラ組織の負担は重くなるばかりだ。奴隷として働かせるか、殺害して土地を奪うのならわかるが、四肢のない人間を生かしておいても経済的な利益はなにもないように思われる。

リンダ・ポルマンは本書でこの謎を解き明かすのだが、その衝撃的な結論を紹介する前に、国際人道援助を行なうNGOとはどういうものかを説明しておく必要がある。

NGOが支援したルワンダ難民は虐殺の加害者

1994年に起きたルワンダの虐殺では、多数派のフツ族によって少数派のツチ族が殺害され、100日という短期間にルワンダ国民の約2割、80万人が犠牲になった。第2次世界大戦以降で最悪の惨事のひとつとなったこの事件は、映画『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』によって日本でも広く知られている。

ルワンダからの難民が集まったもっとも有名なキャンプが、コンゴ民主共和国(当時のザイール)の国境、キブ湖の畔にあるゴマだ。ポルマンは事件直後、この難民キャンプを取材してなんともいいようのない違和感を覚えた。

ルワンダ虐殺を報じるテレビニュースを観た欧米のひとびとは、鉈で惨殺された死体が道路脇に積み上げられ、川や湖を埋める映像に大きな衝撃を受けた。やがてそれは家財道具を抱えて国境へと逃げ延びるひとびとに変わり、次いでゴマの難民キャンプが大々的に報道された。この一連の流れを見れば、誰もが虐殺の対象となったツチ族のひとたちが難民となって隣国に逃れたと思うだろう(実際、そうして難民化したひとも多かった)。

だが現実はもっと奇怪で複雑だった。

フツ族とツチ族は宗主国だったベルギーが統治のために人工的に生み出した民族で、少数派のツチ族を支配民族として優遇したため1962年の独立前から両者の紛争は始まっていた。このときツチ族の一部が隣国のウガンダに逃れ、そこで軍事組織「ルワンダ愛国戦線(RPF)」を組織した。ルワンダでフツ族による虐殺が始まると、ポール・カガメ(現ルワンダ大統領)に率いられたRPFは混乱に乗じて国内に侵攻し、全土を制圧した。その結果、報復を恐れたフツ族の民衆が大挙して国境を越えて難民化することになったのだ。

欧米のひとびとがテレビで見たゴマの難民たちは、ルワンダでツチ族を虐殺した当事者たちだ。彼らが人力車などで運んでいた「家財道具」は、皆殺しにしたツチ族の家から強奪したものだった。だがこうした事実はほとんど報じられず、「虐殺→難民→人道の危機」という構図に短絡化されることになる。ニュースの限られた時間では、ここで述べたような複雑な背景を説明できないからだ。視聴者は単純でわかりやすい話を求めているのだ。

ゴマの難民キャンプの近くには大型輸送機が発着できる仮設滑走路があった。ルワンダの虐殺と、200万人ともいわれる大量の難民の存在が知られるようになると、その現場を取材しようとジャーナリストたちが飛行機に乗ってやってきた。

それと同時に、ルワンダ難民を“援助”すべく多くのNGO団体がゴマに殺到した。彼らが人道援助の対象にゴマを選んだのはフツ族を支援したいと考えたからではなく、滑走路があって報道陣がいたからだ。

NGOの寄付者(ドナー)は、自分が出したお金が有効に使われて、「人道の危機」にあるひとびとが救われる場面を(安全な場所から)確認して満足感を味わいたいと思っている。これは「消費者」として当然の要求だから、批判しても意味がない。

ドナーから多額の寄付を募ったNGOにとって、難民キャンプの近くに滑走路があるというのはまたとない好条件だ。輸送機をチャーターし、スタッフと援助物資を詰め込めばたちまち「援助」を開始できる。おまけにそこには欧米のジャーネリストやテレビ局のクルーが待っていて、彼らの活動を報道してくれるのだ。

虐殺の被害者であるツチ族の難民がどこか別の場所にいたしても、NGOはそんなところには行こうとはしないだろう。援助を開始するまでに何カ月もかかり、おまけに報道もされないのではドナーが納得しないからだ。

NGOにとっては、援助の対象が虐殺されたツチ族であろうが、虐殺したフツ族であろうがどうでもいいことだ。人道主義の原則は「中立性」(二者のどちらかを優先して協力することはない)「公平性」(純粋に必要に応じて援助を与える)「独立性」(地政学的、軍事的、あるいは他の利害とは無関係である)で、人道の危機にあるひとが目の前にいれば助けるのが当然だとされている。この原則は一見素晴らしいが、どこか偽善的でもある。「あなたのお金で救われたのは、ついこのあいだまでルワンダでツチ族を虐殺していたひとたちです」という事実はけっしてドナーには伝えられないからだ。

ビジネスとしての国際人道援助

ゴマの難民キャンプでポルマンは、NGOが行なう国際人道援助とは、紛争や虐殺などを「商材」にしてドナーから寄付を募り、“よいことをして満足したい”という願望をかなえるビジネスだと気づく。本書のタイトルである「クライシス・キャラバン」とは、 “悲惨な現場”を求めて世界じゅうを転転とするNGOのことをいう。

ビジネスである以上、成功したNGOは大きな利益を上げることができる。紛争の現場にいる「人道援助コミュニティ」の白人たちは、破壊された町のレストランやバーで毎日のようにパーティを開き、10代の売春婦を膝の上に乗せている。彼らは自分たちが“特別”だと考え、その法外な特権を疑うことはない(国連職員の特権意識はさらに肥大している)。

こうしたNGOの腐敗も欧米では広く知られていて、その結果、自分個人のNGOを立ち上げるひとたちが増えているという。こうしたNGOは「モンゴ(MONGO)」と呼ばれている。“My Own NGO”の略だ。

典型的なのはアメリカ南部の教会の敬虔な信者で、彼/彼女はアフリカの悲惨な現状と堕落したNGOの実態を知って、自ら教会で寄付金を集め現地に赴く。

しかしここでも、同じ問題が起きる。信者のお金を預かってアフリカまで来たからには、なんらかの成果を出さなければ帰れない。そこで難民キャンプにある病院に行き、手足を失った“かわいそうな子ども”を紹介してもらう。その子どもたちに義手や義足を与えて、喜ぶ姿をビデオや写真に撮るためだ。そのため難民キャンプには、義足ばかり何十本も持っている子どもがいる。そののたびにいくばくかの現金をもらえるから、いい商売になるのだ。

その後、MONGOたちは手足のない“かわいそうな子ども”をアメリカに連れ帰るようになった。教会のドナーたちの前で、最新型の人工装具をプレゼントするセレモニーを行なうのだ。だが成長期の子供の装具は数年で取り替えなければならず、子どもたちをアフリカに戻せばすぐに役に立たなくなってしまう。

なかには障害のある子どもを養子にしてあちこちの教会を連れ回したり、テレビに出演させたりするMONGOもいる。養子縁組は、字の読めない両親の代わりにシオラレオネの行政府が許可している。賄賂と引き換えに子どもを両親から引き離し、NGOに売っているのだ。

この“誘拐”がなくならないのは、人道援助の証拠を地元に持ち帰ることがきわめて宣伝効果が高いからだ。教会の信者たちは、“かわいそうな子ども”が自由の国アメリカで幸福を手にする姿を目の当たりにして随喜の涙を流すのだ。

これはシオラレオネだけのことではなく、アフリカ各地で孤児院が大きなビジネスになっている。たとえばリベリアでは、孤児院に住んでいる子どもたちの大半は孤児ではなく両親がいる。国際援助を引き寄せるために、孤児院の所有者によって人買い同然の方法で集められてきたのだ。

こうした子どもたちはアメリカやヨーロッパの養親のもとに送られるが、扱いにくいことがわかると即座に「返品」されてしまう。そうすると別の人権団体が、この「返品」を反人道的だとして抗議活動を行なうのだという――。

人道援助が難民キャンプでの虐殺を引き起こした

国際人道援助の問題は、それが巨大ビジネスになっていることにある。ビジネスである以上、利益は大きければ大きいほどいい(それを原資により多くのひとを救うことができる)。

NGOの利益の源泉は「悲惨な現場」だ。そこで彼らは、テレビニュースで“悲惨”に見えるひとたちを追い求め、同じように悲惨な生活をしていても“絵にならない”ひとびとを見捨てる。

これはそうとうに歪な状況だが、個々のNGOの努力ではどうすることもできない。ドナーから得られるパイ(寄付金)は限られているが、NGOは乱立しており、彼らを批判するMONGOたちも控えている。ドナーが喜んでお金を出すような演出ができないNGOは、競争から脱落して消えていくしかないのだ。

ところで人道援助が大金の動くビジネスだとしたら、それを受ける側はテントや衣服、食糧だけで満足するだろうか。

難民というと“かわいそうな一般市民”を思い浮かべるが、ゴマにはフツ族の民兵が相当数紛れ込み、難民キャンプを支配していた。難民を援助するにはまずキャンプに入らなければならないが、支配者である民兵たちはその際、NGOに対して「入場料」を徴収する。それ以外にもさまざまな名目でNGOから金銭を巻き上げ、ルワンダに反攻するための武器弾薬を購入していた。

もちろん援助のために現金を支払うことは原則として禁止されているが、ここでも負の競争原理が働いている。支配者に現金を払わない真っ当なNGOは肝心の援助活動ができず、ドナーから見捨てられてしまうのだ。

民兵たちは援助物資を独占し、NGOが支払う給与から“税金”を徴収し、運転手、料理人、清掃人、施設の管理責任者などの仕事を独占した。病院の医師は、朝になるとフツ主義に批判的な患者が消えており、空いたベッドに民兵の家族が寝ていることに気がついた。フツ族の看護師に聞いても、夜中になにが起きたのかはぜったいに口にしなかった。

1995年末時点で、ゴマにある4つの主要難民キャンプではバー2324軒、レストラン450軒、ショップ590軒、美容室60軒、薬局50店舗、仕立屋30軒、肉屋25軒、鍛冶屋5軒、写真スタジオ4軒、映画館3軒、2軒のホテルと食肉解体場が1カ所あった。これらはすべて、NGOの援助でつくられたものだ。難民たちはNGO関連以外のなんの仕事もしていなかったのだから。

ゴマの難民キャンプの民兵たちは、「ゴキブリ(ツチ族)を叩きつぶすことは犯罪ではない。衛生手段なのだ!」というラジオ番組をキャンプ内で流し、夜になると国境を越えてルワンダ領内に入り、ツチ族を殺していた。その結果、ツチ族のルワンダ軍がゴマの難民キャンプを攻撃することになり、キャンプはルワンダ軍の支配下に移り、国連軍の監視の下、ルワンダへの“移送”が始まった。

難民キャンプ解体の様子は、ポルマンの前著『だから、国連はなにもできない』( 富永和子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ)に臨場感溢れる描写がある。

国連軍の役割はただ「監視」するだけで、故国への帰還作業はルワンダ軍に任されていた。ルワンダ軍は1000人で、帰還する難民は15万人いた。

ルワンダ政府は難民が途中で新しいキャンプをつくるのを恐れて、徒歩での移動を許可しなかった。それにもかかわらずルワンダ軍にはトラックがなく、国連軍は移送を手伝うことを許されていない。

こうした状況にもかかわらず「帰還作戦」は始まった。難民たちは移送を拒否して暴れはじめ、それを見てパニックに陥った政府軍兵士は難民に向かって手榴弾を投げ、迫撃砲を打ち込んだ。こうして、国連軍の目の前で数千人の難民が殺害されることになった。そのときNGOはすべて引き上げており、キャンプには誰も残ってはいなかった(戦闘後、国境なき医師団が45分間だけやってきて、暗くなる前に帰っていった)。

これが、人道援助の「成果」だ。

「カット・ハンド・ギャングズ」が生まれた理由

NGOの商材は「悲惨な現場」だ。そうすると、援助を受ける立場からすれば、悲惨であればあるほどNGO(クライシス・キャラバン)が集まってきて大きなカネが落ちるということになる。

では、悲惨な現場とはどういう状況をいうのだろう。

死体の山はボスニアやルワンダでさんざん報道されてしまった。いまでは欧米の「こころやさしき」ひとたちは、多少の“虐殺”くらいでは驚かなくなった。

こうして、国際人道援助におけるイノベーションが起こった。敵を殺すのではなく、四肢を切断して生かしておけば、その方がずっとインパクトのある「絵」になるのだ。

死体には見向きもしなくなったすれっからしの報道カメラマンも、手足のない子どもたちが泣き叫び、地面を這いずり回る場面には殺到する。欧米のメディアで大々的に報道されれば、NGO(クライシス・キャラバン)が大挙してやってくる。このようにして、ドナーの寄付金は子どもたちの四肢を切断した者たちの懐に落ちるのだ。

本書の最後でリンダ・ポルマンは、シオラレオネの反政府軍RUFのリーダー、マイク・ラミンにインタビューする。

ラミンは、「すべてが壊され、あんたたちは修復するのにここにいなかった。あんたたちが気にしていたのは、ユーゴスラビアにおける白人の戦争とゴマのキャンプだった。あんたたちはただ我々に戦い続けさせたんだ」と欧米社会を批判する。そして欧米の注目をふたたびシオラレオネに向けさせ、戦争を終わらせるために「両手切り落とし団(カット・ハンド・ギャングズ)」を組織したのだというのだ。

「かつてないほど多くの四肢切断者を見て、はじめてあんたたちは我々の運命に注意を向け始めたんだ」

罪もないひとたちの手足を無残に切断するのは、NGOからカネをかすめ取ろうと考える者にとってはきわめて「経済合理的」な行動だった。国際人道援助に携わるひとたちは、誰もがこのきわめて不都合な真実に気づいている。

しかし、ふだんは立派なことばかりいっている彼らは一様に口をつぐみ、ポルマンが『クライスシ・キャラバン』で告発するまで私たちが真実を知ることはなかった。

一人でも多くのひとに読んでもらいたい、衝撃的なノンフィクションだ。

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