『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』発売のお知らせ

新潮新書より『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』が発売されます。発売日は10月15日(土)ですが、大手書店には、早ければ明日にでも並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売です)。

今回のテーマは、「世の中はなぜこんなにぎすぎすするのか」です。

この謎を解くために、本書では、「“バカ”が混じると民主的な議論は破壊的なものになる」「記憶は思い出すたびに書き換えらえていて、目撃者や被害者の証言は必ずしも信用できない」などの不都合な研究を紹介しつつ、人間という「哀しい生きもの」について考えています。

コロナ禍の下で開催された東京五輪から、安倍元首相の銃撃事件に端を発した「政治と宗教」の問題まで、世の中はますます、ぎすぎす感が増しているようです。海外も同様で、ウクライナ侵攻やそれが引き起こしたインフレ、人種問題や移民問題で抗議行動や暴動が各地で起きています。

それぞれの出来事には、当然、固有の背景があるのでしょうが、さらに突きつめて考えていくと、そこには人間の「不都合な本性」が見えてきます。

わたしたちはみな、すこしでもゆたかになりたい、幸福になりたいと願っています。しかしそのためには、社会的な地位(ステイタス)を上げなくてはなりません。

ステイタスは相対的なものなので、誰かの地位が上がれば、別の誰かの地位が下がります。そしてヒトは、長い歴史のなかで、ステイタスが上がることを報酬、下がることを罰を感じるように進化してきました。

150人ほどの小さな共同体のなかで行なってきたこのシンプルなゲームが、スマホとSNSの登場によって、いきなりグローバルなレベルに拡大しました。ヒトの脳は、このような異常な環境にすぐに適応することができません。

ネットを賑わすさまざまな奇妙な出来事の背景には、おそらくはこの「進化的ミスマッチ」があるのでしょう。

*2021年8月から翌22年6月まで、「世の中はなぜこんなにぎすぎすするのか?」をテーマに『週刊新潮』で連載した「人間、この不都合な生きもの」に加筆・修正のうえ、付論2編を加えました。

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『バカと無知』【目次】

まえがき 孤独な男がジョーカーに変貌するとき

PARTⅠ 正義は最大の娯楽である
1なんでみんなこんなに怒っているのか
2自分より優れた者は「損失」、劣った者は「報酬」
3なぜ世界は公正でなければならないのか
4キャンセルカルチャーという快感

PARTⅡ バカと無知
5バカは自分がバカであることに気づいていない
6「知らないことを知らない」という二重の呪い
7民主的な社会がうまくいかない不穏な理由
8バカに引きずられるのを避けるのは?
9バカと利口が熟議するという悲劇
10過剰敬語「よろしかったでしょうか?」の秘密
11日本人の3人に1人は日本語が読めない
12投票率は低ければ低いほどいい
13バカでも賢くなれるエンハンスメント2.0の到来

PARTⅢ やっかいな自尊心
14皇族は「上級国民」
15「子どもは純真」はほんとうか?
16いつも相手より有利でいたい
17非モテ男と高学歴女が対立する理由
18ほめて伸ばそうとすると落第する
19美男・美女は幸福じゃない
20自尊心が打ち砕かれたとき
21日本人の潜在的自尊心は高かった
22自尊心は「勘違い力」
23善意の名を借りたマウンティング
24進化論的なフェミニズム

PARTⅣ 「差別と偏見」の迷宮
25無意識の差別を計測する
26誰もが偏見をもっている
27差別はなぜあるか?
28「偏見」のなかには正しいものもある?
29「ピグマリオン効果」は存在しない?
30強く願うと夢はかなわなくなる
31ベンツに乗ると一時停止しなくなるのはなぜ?
32「信頼」の裏に刻印された「服従」の文字
33道徳の「貯金」ができると差別的になる
34「偏見をもつな」という教育が偏見を強める
35共同体のあたたかさは排除から生まれる
36愛は世界を救わない

PARTⅤ すべての記憶は「偽物」である
37トラウマ治療が生み出した冤罪の山
38アメリカが妄想にとりつかれる理由
39トラウマとPTSDのやっかいな関係
40「トラウマから解放された私」とは?
付論1 PTSDをめぐる短い歴史
付論2 トラウマは原因なのか、それとも結果なのか?

あとがき 「バカと無知の壁」を乗り越えて

 

第105回 働く世代がはまる社会保障の罠(橘玲の世界は損得勘定)

サラリーマンが収める厚生年金の保険料は労使折半のはずなのに、「ねんきん特別便」の加入記録には、(会社負担分を含む)保険料の総額ではなく、半額の自己負担分しか記載されていない話を前回書いた。なぜこんなことになっているかというと、保険料を正しく記載すると、将来、受け取ることになる年金額が大幅にマイナスになることがバレてしまうからだ。厚生年金は、払った保険料が半分損する仕組みになっている。

だとすれば、サラリーマンだけが貧乏くじを引いているのか。そうともいえないのは、自営業者などが加入する国民健康保険にも制度の歪みがあるからだ。

「国民健保の保険料が高くて払えない」という悲鳴がネットに溢れている。保険料は自治体ごとに異なるが、東京区部で試算すると、月収20万円(年収240万円)程度でも年20万円ほどになる。収入の1割ちかくが保険料として徴収されれば、生計を立てるのは難しいだろう。

保険料が高額になるのは、国民健保では労使折半の企業負担分も個人で支払うことになっているからだ。そのため、世帯数や収入が同じでも、実質負担はサラリーマンのほぼ倍になる。

「国民健康保険実態調査」(2020度)によると、25歳未満の約4割、25~34歳の4人に1人が国民健保の保険料を払っていない。収納率は年齢とともに上がるが、55~64歳でも低所得者の1割程度が未納だ。

だがそれよりも驚くのは保険料の軽減世帯の多さで、その割合は6割を超えている。国民健保の加入者は約2900万人だから、1700万人以上が満額の保険料を払っていないことになる。それも、2割軽減が12.0%(350万人)、5割軽減が15.3%(440万人)、7割軽減が33.1%(960万人)と、軽減率が上がるほど人数が増えていく。

こんな大盤振る舞いで保険料を割り引いてもらえるなら、高すぎる保険料で苦しむこともないのではないかと思うだろう。だが、すべての加入者が平等に恩恵を被れるわけではない。

国民健保の保険料収納率は、65~74歳では98.2%とほぼ全納だ。年金には最低110万円の控除があり、これに基礎控除などが加わるから、年金受給者の多くが7割軽減に該当するだろう。サラリーマンが退職して65歳以上の加入者が増えると、これによって保険料軽減の対象者も増えて、全体の収納率が上がるようになっているのだ。

高齢化が進むにつれて、医療・介護保険の保険料が(国会の議決もなしに)引き上げられている。これが、給料が上がってもサラリーマンの可処分所得が減っている理由だが、こうした苦境は現役世代の自営業者なども同じだ。生活のためにすこしでも多く稼ごうとすると、国民健保の軽減対象から外れてしまい、企業負担分を含めた重い(満額)保険料がのしかかってくる。

シルバー民主主義では、手厚く遇されるのは高齢者だけで、サラリーマンでも自営業者でも、どちらを選んでも「社会保障の罠」から逃れられないようにできているらしい。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.105『日経ヴェリタス』2022年10月1日号掲載
禁・無断転載

旧統一教会をめぐる右派の認知的不協和 週刊プレイボーイ連載(538)

安倍元首相の国葬が終わっても、政治と宗教をめぐる論争は収まる気配がありません。しかしこの議論は、右も左もやっかいな問題を抱えています。

政治テロを行なった容疑者の目的は、旧統一教会と自民党との関係を暴き、教団に打撃を与えることでした。連日のように政治と宗教の問題を取り上げるメディアは、まさに容疑者が望んだとおりの状況をつくりだしています。

「事実上、テロを正当化し、容認しているのではないのか」という批判を意識してか、教団と自民党の関係を批判的に報じるメディアは、テロに言及することを意図的に避けているようです。とはいえ、元首相が旧統一教会の票を分配していたことが明らかになった以上、早晩、こうした使い分けは壁にぶつかるでしょう。

しかし、今回の事件でより大きな困難に見舞われたのは右派・保守派(およびネトウヨ)です。

旧統一教会の教祖である文鮮明は、創世記にある失楽園の物語から、韓国を「アダム国家」、日本を「エバ国家」とし、植民地支配によって韓国(アダム)を堕落させた日本(エバ)は、金銭的な補償によってその罪を償わなければならないと唱えました。

これが日本国内で献金や霊感商法が大きな社会問題を引き起こした理由ですが、日本で集めた資金の多くは韓国に送られたため、教団は韓国国内ではカルトというより財閥のような扱いだとされます。

バブル崩壊以降、日本経済が「失われた30年」に苦しむなかで、それまで世界の最貧国だった中国や韓国がグローバル化によって経済成長の波に乗り、急速にキャッチアップしてきました。いまや中国のGDP(国内総生産)は日本の3倍で、1人あたりGDPでは韓国に並ばれました。かつては「アジアでは圧倒的なナンバーワン」だった日本人の自尊心は大きく揺らぎ、これが2000年以降の「反中」「嫌韓」の社会現象につながっていきます。

安倍元首相はこうした風潮のなか、「愛国」の象徴として、右派・保守派の圧倒的な支持を集めました。ところがその一方で、日本の信者が韓国のためにひたすら貢ぐことを教義とする宗教団体に深くかかわっていたのです。

これは心理学でいう「認知的不協和」の典型で、これまで元首相に共感してきたひとたちは、「愛国」と「反日」の矛盾に引き裂かれてしまいました。

ネット上では、容疑者は「烈士」と呼ばれています。烈士とは国のために殉じた者で、そこには、これまで隠されていた「反日の陰謀」を身をもって暴いたという賞賛の気持ちがあるのでしょう。しかしそうなると、「烈士」が「愛国者」を誅したことになってしまいます。

進化心理学では、人間の高い知能は自己正当化のために進化したと考えます。認知的不協和はきわめて不快な心理的状態なので、なんとかして整合性のある理屈(陰謀論)を見つけなくてはなりません。

しかしいまのところ、これまであれほど威勢のよかった右派・保守派は、この認知的不協和の解消に苦慮しているようです。

『週刊プレイボーイ』2022年10月3日発売号 禁・無断転載