「病は気から」を科学する

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年3月19日公開の「「病は気から」のプラセボは実際に「薬効」があった。 条件づけにより薬を投与せず完全にがんが消えたマウスも」です(一部改変)。

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代替医療は「エビデンスのない治療法」のことで、ホメオパシーやハーブ療法だけでなく鍼や漢方も含まれる。近代医学においてエビデンスというのは、二重盲検によるランダム化比較試験で統計的に有意な効果を得ることだ。それ以外の治療法は、効果がないのにあるように見せかけている「エセ医学」ということになる。

ところで、薬の効果を調べるのになぜこんな面倒なことをしなければならないのだろうか。それはよく知られているように、プラセボ効果があるからだ。「病は気から」という言葉があるように、なんの薬効もない偽薬でも症状が緩和したり病気が治ったりすることがあるから、「科学的に正しい治療」はそれと厳密に区別されなければならないのだ。

この論理はまったく正しいのだが、「たとえ気のせいであって、病気が治るのならそれでじゅうぶんではないか」という疑問をもたないだろうか。

この問いに挑んだのがジョー・マーチャントの『「病は気から」を科学する』( 服部由美訳、講談社)だ。マーチャントは大学で生物学を学び、医療微生物学で博士号を取得したイギリスの科学ジャーナリストで、本書の原題は“CURE: A Journey into the Science of Mind Over Body(キュア “身体の向こうのこころ”の科学への旅)”。

マーチャントによれば、欧米では成人の38%がなんらかの補完代替療法を利用していて、合計すると、毎年、代替医療の開業医に3億5400万回の診療を受け、340億ドルを支払っている。一般開業医での診察はおよそ5億6000万回だから、代替医療市場はその6割にも達する。だとしたらこれは、たんなるインチキではなく、ひとびとがなんからの一貫した効果を実感しているからではないのだろうか。

プラセボには実際に「薬効」がある

パーキンソン病はドーパミンを生成する脳細胞が徐々に死んでいく変性疾患で、脳内のドーパミン濃度が下がるにつれ、筋肉のこわばり、緩慢な動作、震えなどの症状が徐々に進行していく。そのため、投薬によってドーパミンを補充するのが標準的な治療法になっている。

このパーキンソン病はプラセボの効果がきわめて高く、なんの薬効もない偽薬で重篤な症状が和らぐ可能性があることが繰り返し報告されてきた。そこでブリティッシュコロンビア大学(カナダ)の神経科医ジョン・ストースルは、患者の脳内でいったい何が起きているのか脳スキャン画像で調べてみた。

ストースルが驚いたことに、プラセボを飲んだあとの被験者の脳は、本物の薬を飲んだときと同じようにドーパミンであふれていた。たんに「薬を飲んだ」と思い込んだだけで、ドーパミン濃度は3倍まで上がり、健康なひとのアンフェタミン服用時と同等になっていたのだ。このことは、プラセボには実際に「薬効」があることを示している。

モリネッティ病院(イタリア)の神経科学者ファブリッツィオ・ベネディッティが率いるチームは、パーキンソン病の患者の脳に「脳深部刺激療法」の電極を埋め込む際にプラセボ効果の測定を試みた。患者に「アポモルヒネという強力な抗パーキンソン病薬を投与します」と伝えて、実際には生理用食塩水を注射したところ、脳活動のグラフでスパイクが密集している部分(パーキンソン病の特徴であるニューロンの興奮を制御できない状態)が、プラセボ注射の直後にほぼ完全な沈黙になった。「圧倒するような空白部分を遮るものは、1個のスパイクだけだ」という驚くべき効果だった。

ベネディッティは、大学生にアルプスの高地で半時間のエクササイズをさせて高山病にする実験も行なっている。高地では血中酸素濃度が薄くなるので、脳はプロスタグランジンと呼ばれる神経伝達物質を産生し、身体に多くの酸素を送り込もうとする。これが血管拡張などの変化を引き起こし、高山病に特有の頭痛やめまい、吐き気を引き起こす。

高山病は酸素の欠乏によって起こるのだから、それを治療するには酸素を吸えばいい。ところがここでベネディッティは奇妙な現象を発見した。被験者に酸素の含まれていない空気を吸わせても高山病の症状が寛解したのだ。

血中酸素濃度を調べてみると、当然のことながら、偽の酸素では値は変化していなかった。だがそれにもかかわらず脳内のプロスタグランジン濃度が低下し、血管拡張状態が緩和されていた。「被験者がプラセボ効果を体験しているとき、脳は本物の酸素を吸っているかのような反応を見せ、症状が和らぎ、エクササイズの成績がよくなった」のだ。

このような実験から、「プラセボ効果自体にはなんら神秘的なところはなく、生理学的には脳が本当の薬と同じような反応を見せ、その効果は測定可能である」ことが明らかになった。ベネディッティは、音楽からセックスまで、生活のあらゆる側面にプラセボ効果が存在するとして、「人間は象徴的な動物なんです。どんな場面でも、重要なのは心理的な要素です」と述べている。

いまでは、プラセボ効果の限界について2つの重要な点が明らかになっている。

(1)治療を信じるこころが起こす効果は、身体がもっている天然ツールにかぎられる
偽の酸素を吸うことにより脳に空気中の酸素濃度が高いかのような反応が起きても、血中酸素の実際の濃度を上げることはできない。切断手術を受けたひとにプラセボで脚がはえてこないのと同じく、Ⅰ型糖尿病の患者にプラセボを与えてもインスリンは産生されない。

(2)期待がもたらす効果は、特定の症状にかぎられる
プラセボの効果は、痛みや痒み、発疹や下痢に加え、認知機能、睡眠、カフェインやアルコールなど中毒性のあるものの影響など、「自分で気づいている症状」に限定される。そのなかでもうつ病や不安、依存症などの精神障害に対してはプラセボ効果がとくにに強く出るらしい。

近代医学こそがもっとも強力な「呪術医療」

現在の抗うつ剤の主流はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)だが、ハーバード大学の心理学者で、プラセボ研究プログラムの副責任者であるアービング・キルシュがFDA(米国食品医薬品局)から臨床試験データを入手して検証したところ、プロザックなどの抗うつ剤にはプラセボを超える効果がほとんどなかった。同じく、強力な鎮痛剤だと考えられているいくつかの薬に、痛みに対する直接的な効果がまったくないこともわかってきた。これまで「薬効」とされてきたものの多くが、じつはプラセボだった可能性がある。

オピオイド系の鎮痛剤は、脳内のエンドルフィン受容体と結合することで作用する。パーキンソン病におけるドーパミンと同じで、なんらかの方法で脳内のエンドルフィン濃度が上がれば鎮痛効果が生じるということだ。

そしてどうやら、このメカニズムが発動する条件は、「特定の薬」を投与されることではなく、「痛みが和らぐ」という期待が引き起こされることだけらしい。「薬の投与に気づいていること」と、「それに対して前向きな期待を抱いていること」が、脳内の天然エンドルフィンの放出につながるのだ。製薬会社にとって不都合なことに、これまで強力な鎮痛剤だとされていた薬が作用するのは、このプロセスだけだったようだ。

ベネディッティは、本物の薬を使ってプラセボ効果を検証した。手術後の患者に同じ鎮痛剤を点滴したが、一方は効果について説明し、対照群は説明なしでコンピュータによってひそかに点滴したのだ。鎮痛剤の薬効はどちらも同じだが、実際には、医師から説明を受けて薬を投与された患者は、知らずに薬を投与された対照群よりも最高で50%まで痛みが和らいだ。

ここから、現代社会においてもっとも強力なプラセボ効果をもつのは代替医療ではなく、「近代医学」であることがわかる。さらにメディアの報道と広告の影響力が大きくなったため、ひとびとが抗うつ剤の有効性を意識し、信じるようになった結果、SSRIが強い効果をもつようになった。近年はSSRIの効き目が落ちているとされるが、これは当初のプラセボ効果が消失してきたからだろう。近代医学こそがもっとも強力な「呪術医療」だったのだ。

とはいえ、プラセボはどんな症状にも効果をもつわけではない。プラセボのもうひとつの特徴は、コレストロール値や血糖値など、自分ではわからない値に影響を及ぼすという証拠がほとんどないことだ。

うつや痛みのような「意識できる症状」には効果があっても、「意識できない身体の異常」に影響を与えることはできない。このことは、プラセボが「病気の根源的なプロセスや原因にかかわることはない」ことを示している。

プラセボだと知っていても効果がある

テッド・カプチャクは1960年代に台湾や中国で東洋医学を学んだあと、マサチューセッツ州ケンブリッジに小さな鍼治療院を開いた。カプチャックの施術は評判を呼び、多くの患者を劇的に治癒させたが、そのうちになにかがおかしいと思いはじめた。患者が症状を訴え、処方箋を書いただけで治癒したこともあったのだ。

1998年、治療院の近くにあるハーバード大学医学部が漢方医学の専門家を探していて、それに採用されたことでカプチャクは本格的にプラセボ効果を研究しようと決めた。

カプチャックは、偽の鍼と偽の薬という2種類のプラセボの比較を行なった。ベネディッティは本物の薬同士で対照実験を行なったが、こちらは「偽物」同士の対照実験なのだから、これまでの常識ではなんの意味もないはずだった。

ところがその結果、「痛みにはプラセボの鍼が有効で、不眠にはプラセボの薬が有効だった」ことがわかった。さらに、特定の潰瘍治療の試験でプラセボに反応したひとの割合が、デンマークの59%に対しブラジルではたった7%しかいなかった。

だがこれは、プラセボが「効かない薬に対する心理反応」であることを考えれば当然のことでもある。それは文化的・社会的な環境(患者の心理状態)に大きく影響されるため、治療法によってプラセボの種類が異なったり、地域・文化によって効果が変化するようなことが起きるのだ。

カプチャクはこうした結果に勇気を得て、さらに大胆な実験を行なった。被験者に「この薬は有効成分が一切入っていないプラセボだ」とあらかじめ伝えたのだ(より正確には「このカプセルには有効成分は入っていないが、心身の相互作用、自然治癒のプロセスを通して作用する可能性がある」と説明した)。

プラセボ効果は偽薬を本物の薬だと思い込むことから生じるのだから、あらかじめプラセボであることを伝えてしまっては効果は消失するはずだ。だが実際には、プラセボと知りつつ飲んだ場合でも、何も飲まなかった場合と比較して痛みが30%軽くなった。

プラセボを併用することで副作用を抑える

カプチャクの研究が発表されると、オンラインでプラセボを販売する業者が登場した。医薬品と偽ってプラセボを売るのは犯罪だが、プラセボだと断ったうえで偽薬を売るのはなんの規制もない。

薬効のない偽薬を10~25ポンド(1500~4000円)でネット販売しているある業者は、ウェブサイトに「研究により、プラセボは高価であるほどよく効くことがわかっている」と説明している。これは間違いではなく、「高価な治療ほど効果も高い」以外にも次のような「プラセボの法則」がわかっている。

  • 薬のサイズが大きければ、小さなサイズより効果が高くなる
  • 1回分が2錠なら、1錠の場合よりよく効く
  • 見覚えのある商標名の錠剤は、そうでないものより効果が高い
  • 色つきの錠剤は白い錠剤よりよく効く傾向にあるが、どの色がいちばんよいかは、高めたい効果による
  • 青い錠剤は睡眠を促し、赤い錠剤は痛みの緩和に向いていて、緑の錠剤は不安に対する効果がもっとも高い
  • 治療が大げさであればあるほど、プラセボ効果が高くなる
  • 一般的には、手術は注射より、注射はカプセルより、カプセルは錠剤より効果が高い

「プラセボだとわかっているプラセボ」になぜ効果があるのかは、「パブロフの犬」で知られる条件づけによって説明できる。

なにも知らない被験者にプラセボの鎮痛剤を注射すると、その効果は0~100%の間で大きく変動する。プラセボがまったく効かないひともいれば、痛みが完全に消失するひともいるということだ。

ところが、あらかじめ本物の鎮痛薬を何度か注射されたことがある被験者に、見た目が同じプラセボを注射すると、その効果は95~100%まで劇的に上がった(大半の被験者にプラセボ効果があった)。

このことは、プラセボが身体の無意識の反応であることを示唆している。鎮痛薬の注射で痛みが消失する体験を脳がいったん記憶すると、パブロフのイヌがベルの音でよだれをたらすように、同じに見える注射によって、薬効がなくても脳はエンドルフィンを放出して痛みを抑える。そしてこの反応は、意識がプラセボであることを知っていても、無意識に(条件反射的に)起こるのだ。

プラセボの特徴が明らかになってきたことで、ノースカロライナ大学の小児科医エイドリアン・サンドラーは、この効果を利用して副作用のある治療薬の投与量を減らせるのではないかと考えた。ADHD(注意欠陥・多動性障害)の治療には脳内のドーパミンやノルアドレナリンを増強する投薬が行なわれるが、頭痛やめまい、食欲減退、不眠などの副作用のおそれがある。そこでサンドラーは、治療薬を半量にした対照群と、半量の治療薬にプラセボを加え、投薬量そのものは同じに感じられる「条件づけ」群を比較してみた。

すると、(たんに投薬量を半分にした)対照群の子どもの症状は2カ月目に著しく悪化したが、条件づけしたうえで半分にしたグループの症状は安定したままで、全量を投薬したグループと同じだった。そればかりか、薬を減らした条件づけ群の子どもたちの方が効果が高い傾向があり、それにもかかわらず副作用は全量の子どもたちより少なかった。

これは投薬の副作用に苦しむ子どもたちにとって朗報だが、製薬会社が抵抗するため、大規模な治験に進むことができていないという。

「ノセボ効果」はプラセボの負の側面

あまり知られていないが、「ノセボ効果」はプラセボ効果の影の側面だ(ラテン語でプラセボは「私は喜ばせる」、ノセボは「私は害を及ぼす」)。「病は気から」ならぬ「呪いは気から」で、ブードゥー教の呪術から女子学校での生徒の集団失神まで、超常現象などもち出さなくてもこのノセボ効果で説明できる。

80歳のアラバマの男性はブードゥー教の呪いをかけられて衰弱し、明らかに死期が近づいていた。どのように説得してももうすぐ死ぬという患者の気持ちを変えられないと判断した医師は、家族の承諾を得て強力な催吐剤を与えた。患者が胃のなかのものを吐き出すと、医師は袋に入れてひそかに持ち込んだ緑色のトカゲをこっそり取り出し、それが胃から出てきたかのように見せかけた。

驚く患者に医師は、「祈祷師が魔術を使って体内でトカゲを孵化させたのだ」と説明し、邪悪な動物がいなくなったのだからまた元気になれると請け合った。すると患者は元気になった。

これは、一部の騙されやすいひとだけのことではない。最近のアメリカとイギリスの研究では、被験者に「強力なWi-Fiの放射にさらされている」あるいは「環境有害物質を吸い込んでいる」という偽の情報を与えることで不快な症状が引き起こされた。わたしたちは、プラセボの影響を受けるのと同様に、多かれ少なかれノセボ効果の負の影響も受けているのだ。

2007年、抗うつ剤の臨床試験に参加していた29歳の男性が、恋人と言い争ったあと残っていたカプセルを一気に服用し、動悸と異常な血圧低下で病院に運び込まれた。医療スタッフは6リットルの輸液を4時間以上かけて行なったが、そのあとで臨床試験の担当者から連絡を受けた。その患者はプラセボ群に入っていて、服用したのは抗うつ剤ではなかった。患者にそのことを伝えると、15分と経たないうちに症状が消えた。

こうした症例や実験から、いまでは副作用の多くは、薬を直接の原因とするものではなく、実はノセボ効果ではないかと考えられている。うつ病から乳がんまで、新薬の臨床試験では患者のおよそ4分の1が副作用(疲労感、頭痛、集中力の欠如など)を報告するが、その比率はプラセボ群でも同じなのだ。

進化心理学者のニコラス・ハンフリーは、ノセボ効果は進化の適応として発達したのではないかという。人類はその歴史の大半を近代医学以前の、病気の原因も治療法もわからない世界で生き延びてきた。そんなときは、周囲のひとたちが嘔吐しているのに気づいたとき、自分が病気かどうかにかかわらず嘔吐を始めるのは生き延びる確率を上げたはずだ。頭痛やめまい、失神なども、危険を知らせたり治療が必要だと伝える生物学的な警戒信号なのかもしれない(肉食獣に遭遇した仲間が恐怖で卒倒したら、なにが起きたのか調べにいくよりも、自分も失神したほうが生存できたかもしれない)。

わたしたちがノセボ効果の広範な影響の下にあると考えると、プラセボに対して新しい理解が可能になる。

学生をアルプスの高地に連れていって高山病にしたベネディッティは、2014年に発表した研究で、一部の学生に「高地にいると副作用としてひどい頭痛が起こる」と警告した。するとその学生たちは、警告を受けていない学生よりもずっとひどい頭痛になった。

次いでベネディッティは、頭痛の学生たちにアスピリンと偽薬を服用させてみた。予想どおり、鎮痛剤は頭痛について警告されていた学生も、警告されていなかった学生も、どちらにも効果があった。

興味深いのはプラセボ群で、警告を受けずに(ほんものの)頭痛になった学生にはあまり効果がなかったが、警告によるノセボ効果で頭痛を起こした学生には、プラセボはかなりの効果を発揮した。

ここからベネディッティは、「プラセボが効果を発揮するのは、頭痛の余分なノセボ効果を取り除くときだけだった」と結論した。これがどこまで一般化できるかはわからないが、プラセボはなんらかの「神秘的」なちからで病気を治すのではなく、ノセボで起きていたうつや痛みなどを取り除くことで驚くような効果を示すのかもしれない。

VR(仮想現実)は新たなプラセボになるか

1975年、ニューヨーク、ロチェスター大学の心理学者ロバート・アデルは、ラットを使って「味覚嫌悪」を研究していた。味覚嫌悪は、以前、気分が悪くなった食べ物を口にすると吐き気を催す生理反応だ。

アデルはまず、ラットにサッカリンで甘味をつけた水を与え、吐き気を催させる注射をした。これでラットは甘い水と吐き気を結びつけ、水を飲むのを拒むようになった。そこで次に、スポイトで無理に水を飲ませ、ラットが不快な結びつきを忘れるのにかかる時間を調べようとした。ところがラットの吐き気は収まらず、それどころか黒魔術のように次々と死んでいった。

詳しく調べてみると、甘い水を無理に飲ませたことで免疫系が抑制され、感染症にかかっていたことがわかった。条件づけは唾液分泌、心拍数、血流量などよく知られた反応を引き起こすだけでなく、免疫系を傷つけることすらあるのだ。

その後、神経科学者のデビッド・フェルテンが、自律神経系が主要な免疫臓器である脾臓や(白血球をつくり保存する)胸腺につながっていることを発見し、脳が免疫系を制御していることを生理学的に基礎づけた。

この知見は、がんなどの難病の治療にあらたな可能性を開いた。1980年代と90年代にアラバマ大学で行なわれた一連の実験では、研究者たちはマウスに、樟脳の匂いとナチュラルキラー細胞(がんと闘うはたらきのある一種の免疫細胞)を活性化させる薬の結びつきを覚えさせたあと、マウスの身体に湿潤性腫瘍を移植した。

移植後、条件づけしたマウスには薬を投与せず、樟脳の匂いだけを嗅がせたところ、通常の免疫療法を受けたマウスより長生きした。ある実験では、条件づけだけを行ない実薬を投与しなかった2匹から、完全にがんが消えていた。

「免疫抑制プラセボ効果」の発見は過剰な投薬に苦しむ患者にとって朗報だが、ここでも製薬会社の壁が立ちふさがる。投薬量を減らすための研究にはまったく予算がつかないからだが、思いがけないところで事態は好転しつつあるという。

現代の脳科学は、疲労は身体的な現象ではなく、破壊的な損傷を防ぐために脳がつくりあげる「感覚」だとする。アンフェタミンやカフェインなど、運動能力を向上させる薬物は、筋肉そのものを増強させるのではなく、中枢神経系の「ブレーキ」を解除することで作用する(「火事場の馬鹿力」はその一例だ)。

原因不明の衰弱と疲労感に悩まされる慢性疲労症候群(CFS)は身体の病気ではなく、脳が身体の疲労感を過大評価しているのだとされている。「本来なら、人に無理をさせないための疲労感が、むしろ牢獄になっている」のだ。

この仮説が正しければ、脳を「再教育」することで症状は寛解するはずだ。そこで、非常に軽いインターバルトレーニングから脳を運動に慣れさせる段階的運動療法(GET)と、患者が病気に対してもっている否定的考えを変えていく認知行動療法(CBT)を併用したところ、かなりの効果があることが確認された。

原因不明の痛み、鼓腸、下痢、便秘に苦しむ過敏性腸症候群(IBS)の患者は世界人口の10~15%にも達する。この難病についても、身体的な損傷ではなく、脳が消化管にもつ「イメージ」が原因の可能性がある。ここで登場するのが催眠術で、暗示によって胃と腸のイメージを整えることで、どの治療も効かなかった患者の70~80%が寛解したという。さらに、「消化管に対する思考パターンを変えることで症状を永久に和らげる効果がある」ともされた。

研究者は、IBSの大きな要因が過去の開腹手術ではないかと考えている。手術によって消化管を動かされるのは脳にとってはとてつもない衝撃で、意識ではそのことを覚えていなくても、神経系には深く刻み込まれているかもしれない。開腹手術によって刺激を受け過敏になった腸の神経系は、その後、脳に増幅した痛みの信号を送るようになる。これが引き金となってIBSを発症するのではないかというのだ。

わたしたちは誰もが脳にマインドマップ(身体の地図)をもっている。その地図がなんらかの原因で脳の予想とずれると、脳は潜在的危険の警報を受けつづけることになる。その典型が幻肢痛で、事故などで切断した四肢に強い痛みを感じる。

この幻肢痛では、鏡を使って健康な手や足の像を反転させ、切断した四肢が動かせるかのように脳に錯覚させる治療法(ミラーセラピー)がよく知られている。それと同様に、マインドマップと脳の予想を合致させるような体験を人工的につくることができれば、薬物に頼らない安全な「鎮痛剤」ができるかもしれない。

こうして開発が進められているのが「VR(仮想現実)の鎮痛剤」で、すでにオキュラス(VR開発会社)のヘッドセットを利用した熱傷患者などへの治験が行なわれている。これからの鎮痛剤の臨床試験は、製薬会社ではなく、ゲーム産業からの資金提供で行なわれるようになるかもしれない。

禁・無断転載

「メールをお送りさせていただきます」は誤用? 週刊プレイボーイ連載(552)

「メールをお送りさせていただきます」は誤用――といわれても、その理由がすぐにわかるひとは多くないでしょう。でもこれは、疑問形にできるかどうかで簡単に判別可能です。

「させていただく」の典型的な用法は、高価な骨董品を「拝見させていただきます」という場合ですが、これは「拝見してよろしいでしょうか」と言い換えることができます。ここからわかるように、「させていただく」には、「目上の者の好意によって、なにかをすることを許してもらった」という含意があります。

不祥事を起こした政治家が「反省させていただきます」と答弁すると、イラっとするのもそのためです。その政治家は「反省してよろしいでしょうか」と訊ねているわけではなく、国民が自分の「反省」を受け入れていることを前提にしているのです。

メールを送る許可を得ているわけでもないのに、「お送りさせていただきます」と書くのも同じことです。現実にはこんなことでいちいち文句をいうひとはいないでしょうが、「受講票を確認させていただきます」という受付の対応に激怒した年配の男性がいたといいますから、覚えておいても損はないでしょう。――相手の許可を得たいわけではないので、たんに「受講票を拝見します」でよかったのです。

とはいえ、「メールをお送りします」という正しい使い方に抵抗を覚えるひともいるでしょう。この表現では、相手への敬意が足りていないように感じるのです。

これは、日本語には強い「敬意逓減の法則」が働いているからです。どんな敬語もどんどんすり減って、いずれ役に立たなくなってしまうのです。

その典型が、若者のあいだで急速に広まった「よろしかったでしょうか」です。「いいですか」→「よろしいですか」→「よろしいでしょうか」の順で敬意を高めたものの、それもすり減ってしまったため、より相手と距離を置き、敬意を示すために過去形を加えたのでしょう。目の前の相手の意図を過去形で質問するのは矛盾していますが、敬語の原理(相手と距離をとればとるほど敬意が高まる)からは正しい「進化」なのです。

最近、気になるのは、若い編集者から「かしこまりました」といわれることです。メールならともかく(これも違和感がありますが)、私の感覚では、これは時代劇に出てくる言葉です。

ネット上のビジネス敬語の解説では、目上の者に「了解しました」を使うのは誤用だとされ、「承知しました」「かしこまりました」を使うべきだとされています。しかしなぜ、ここまで「目上/目下」を気にしなければならないのでしょうか。近代社会では市民はみな平等なのだから、「了解です」や「わかりました」でなんの問題もないでしょう。

日本は近代のふりをした「身分制社会」で、身分の上下が決まらないと尊敬語・謙譲語を正しく使えません。そのため、「目下」の立場になることの多い若者ほど、「敬語警察」を恐れて、日本語に混乱してしまうのでしょう。

だとすればやるべきは、敬語を「民主化」して、前時代的な用法を一掃することではないでしょうか。

参考:椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』角川新書

『週刊プレイボーイ』2023年2月6日発売号 禁・無断転載

男と女のちがいは生得的なものか、社会的なものか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年3月12日公開の「「男女差は生得的なものか、社会的ものか?」アメリカで行なわれているリベラルvs保守の政治的争点とは?」です(一部改変)。

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「男と女のちがいは生得的なものか、社会的なものか?」はアメリカでリベラルvs保守の政治的争点になっており、その論争はヨーロッパや日本など先進諸国に影響を及ぼしている。最近、関連する本を何冊か読んだので、備忘録も兼ねて、いったいなにが問題になっているのかをまとめてみたい。

社会構築主義vs本質主義

「男と女はちがう」という主張は、歴史的には「男の方が女よりも優れている」という性差別を含意していた。「女は感情的だ」「女には難しいことはわからない」などがその典型だ。だからこそ初期のフェミニストたちは、このステレオタイプを覆すために、「男と女は(生殖器官を除けば)同じだ」と主張した。

だがその後、この争いはアメリカ社会を二分する政治的対立に変わっていった。その経緯を簡略化するなら、以下のようになるだろう。

(1)生物学者、遺伝学者、脳科学者、動物行動学者らが、昆虫(ショウジョウバエ)や哺乳類(ラット)など、詳細に研究されている実験動物の性差に基づいて、ヒトの男脳と女脳を研究しはじめた。霊長類(アカゲザルなど)においてもオスとメスのホルモンや脳機能のちがいが明らかになっており、それがヒトに拡張されるのは当然だった。

(2)こうした一連の研究から、『男は火星人、女は金星人』『話を聞かない男、地図の読めない女』など、男脳と女脳の性差を強調したベストセラー本が登場した。

(3)すると保守派(彼らの一部は進化論を「聖書の教えに反している」として否定している)が「科学」を根拠に、「男が外で働いて女が家事・育児をするのは自然の摂理だ」「男が機械やIT系の仕事、女が教育や看護の仕事を好むのは性差に基づいた個人の自由な選択だ」などと、性役割分業を正当化するようになった。同様に保守派は、「男と女は脳の仕組みからちがっているのだから、子どもは男らしく/女らしく育てるべきだ」として、ジェンダーフリーを推し進めるリベラルを攻撃した。

(4)この風潮に危機感を抱いたリベラルな科学者が、「男脳/女脳は生物学的な性差を過度に強調している」「ヒトは社会的な動物なのだから、男と女の生物学的なちがいはほとんど意味がない」として、先行する研究を批判するようになった。この立場は「社会構築主義」と呼ばれる。

(5)こうした批判を受けて、脳科学者などがより詳細な男と女の生物学的なちがいを研究するようになった。こちらは性差の「本質主義」だ。

このようにして本質主義と社会構築主義のあいだで「サイエンス・ウォーズ」の様相を呈するようになったのだが、ここで押さえておくべきは、「男脳/女脳」は第一義的には科学者同士の論争だということだ。ただし、科学者が政治的に中立というわけではなく、生物学に基礎を置く「本質主義者」は(本人の政治的立場にかかわらず)保守派に近い主張をし、性を社会的なものと見なす「社会構築主義者」は明らかにリベラルな主張をする。

女同士の対立を男は高みの見物をしている

興味深いのは、この「科学論争」が女性研究者同士で行なわれていることだ。

アメリカの神経精神医学者で「女性の気分とホルモン・クリニック」を創設したローアン・ブリゼンディーンは2006年に“The Female Brain(女脳)”を出版し、100万部を超えるベストセラーになった(世界30カ国以上で翻訳されており、日本では『女性脳の特性と行動 ──深層心理のメカニズム』小泉和子訳、パンローリング)。ブリゼンディーンは2010年に、続編である“The Male Brain: A Breakthrough Understanding of How Men and Boys Think(男脳:男や少年たちがどう考えるかの画期的理解)”を出している。

ブリゼンディーンはこの本で、女性の気分や行動にはエストロゲンなどの女性ホルモンが強く影響しており、子ども時代、思春期、母親になったとき、更年期で脳が異なるはたらきをすると論じている。思春期になって女性のうつ病が増えるのは(それ以前に性差はない)、月経によるホルモンの増減に適応するのが難しいからだともいう。

これに対して同じく女性神経科学者のリーズ・エリオットは2009年の“Pink Brain, Blue Brain: How Small Differences Grow Into Troublesome Gaps — And What We Can Do About It(ピンクの脳 ブルーの脳:わずかなちがいはどのようにしてやっかいなギャップになるのか。そして、それに対して私たちができること)”でブリゼンディーンの「女脳説」を批判した。これも『女の子脳 男の子脳 神経科学から見る子どもの育て方』(竹田円訳、NHK出版)として翻訳されている。

エリオットも脳科学者として、遺伝子やホルモンによって生物学的な性差が生じることは否定しないが、それよりも親の子育てや学校、子ども集団など社会的な影響の方がずっと強いと主張する。

女性研究者が性差をめぐって対立すると、フェミニスト活動家の批判は、当然のことながら保守派に与する(ように見える)女性研究者に向けられた。『科学の女性差別とたたかう: 脳科学から人類の進化史まで』( 東郷えりか訳、作品社)では、イギリスの女性ジャーナリスト、アンジェラ・サイニーが巷間に流布する性差の研究を再検証しているが、それと同時に、「男と女には生物学的な性差がある」とする女性脳科学者らにインタビューを試みてすべて拒否されている。欧米のフェミニズムを席捲する社会構築主義と、本質主義の科学者との対立がどれほど根深いかがよくわかる。――男の研究者は、自らに火の粉が飛んでこないように、女同士の対立を「高みの見物」しているということもできる。

“性差のサイエンス・ウォーズ”は、保守派が「男と女のちがいは生得的だ」と主張し、リベラルが「性差(ジェンダー)は社会的構築物だ」と反論する構図になっているが、これを混乱させるのが同性愛者の存在だ。奇妙なことに、保守派は同性愛を「本人の選択」と見なし、リベラルは生得的なものだと考えるのだ。

このような逆転現象が起きる理由は、きわめて明快に説明できる。保守派は同性愛を「神の摂理に反している」とするが、同性愛者を批判するためには、それが本人の自由な選択(自己責任)でなくてはらならない。同様にリベラルは、同性愛者を擁護するために、それを生得的なもの(本人の意思ではどうしようもない)として免責する必要がある。

こうして、保守派は「男女のちがいは本質的だが同性愛は社会的構築物だ」、リベラルは「男女のちがいは社会的構築物だが同性愛は本質的だ」と主張することになる。当然のことながらどちらの説も一貫性に欠け、政治イデオロギーによって科学が歪められていることは明らかだ。

「性の基本は女である」

発生学的には、男と女がどのように生まれるかはほぼ解明されている。よく知られているように、ヒトの細胞には22対の互いに同一の染色体と、一対の性染色体がある(合わせて46本の染色体)。受精の際にこの性染色体がXXの組み合わせだと女の子、XYの組み合わせだと男の子が誕生する。

受精卵を男の子にするのは、Y染色体のなかでもSRY遺伝子(Y染色体決定領域遺伝子)という微細なDNAだ。

Y染色体のSRY遺伝子は受胎後5週目ごろから活動をはじめ、性腺を精巣につくり変える。6週目ごろには精巣からテストステロンなどの男性ホルモンが分泌され、(卵管や子宮になる)ミュラー管を退化させると同時に、もう1本の生殖器官であるウォルフ管を発達させ、これが精子や精液などを輸送する管になる。

男児の精巣から分泌されるテストステロンは胎齢14週から16週でピークを迎え、女児のおよそ8倍になる。このテストステロンによって未分化の性器結節からペニスが発達し、尿道ヒダが癒着して陰嚢がつくられる。

こうした発生の仕組みからわかるのは、「性の基本は女である」ということだ。エストロゲンは代表的な女性ホルモンだが、それが胎内で女児の子宮や外性器をつくるわけではない(エストロゲンは誕生まで影響がない)。テストステロンがなければ、自然にウォルフ管が退化しミュラー間が発達して胎児は女性になるのだ。

このことは、AIS(アンドロゲン不応性症候群)という稀な(10万人におよそ3人)症状によって確認できる。AISでは正常なY染色体からテストステロンが分泌されるが、その受容体が欠落しているためXY(男性型)の胎児は女性として成長する。外性器(ヴァギナ)も正常な女性と同じなので本人も親も気づかないが、思春期になっても初潮がないため、調べると子宮も卵巣もないことが判明する。

AISは XYの性染色体をもつが、性自認は例外なく女だ。思春期には乳房がふくらみ、男性に性的魅力を感じ、多くは結婚して養子を迎え母親になる。唯一の特徴は男性並みに背が高いことで、スーパーモデルのなかにはAISを噂される者が何人もいるらしい。

X染色体上のDAX1遺伝子は、2つ(XX)でSRY遺伝子を無効にするが、まれにひとつのX染色体にDAX1遺伝子が重複していることがある。この場合も性染色体は男性だが、卵巣が分化して外見は女性のようになる。それに対して性染色体がXXなのに男性になるまれなケースがあるが、これはSRY遺伝子がX染色体の1本に転座したためだ。

XX(女性型)の男性は外見も行動も普通の男性と同じで、自分を男だと認識している。XY(男性型)の女性は、思春期まではふつうの女性と変わりないが、未熟な卵巣のため初潮が訪れず乳房も発達しない。

男脳/女脳はホルモンが決める

性の基本は女だが、XX(女性型)の性染色体をもっていても男性のように成長することがある。これは女児が胎内でテストステロンにさらされるからだ。

性別の異なる(二卵性)双生児では、女児は男児の精巣から分泌される微量のテストステロンの影響を受けることがあり、性格が男っぽく(ボーイッシュに)なるらしい。

CAH(先天性副腎皮質過形成)と呼ばれるまれな(6000人に1人)遺伝性疾患では、妊娠初期に女児の副腎からテストステロンを含む非常に高レベルの男性ホルモン(アンドロゲン)が分泌される。そのため陰核が肥大して小型のペニスのようになり、陰唇が部分的に癒着して陰嚢のような構造になるが、子宮などの内性器はそれ以前に発達を始めているため、外性器を手術で女性化すれば子どもを産むことができる。

CAHは誕生直後に発見され、それ以降は継続的なホルモン補充療法が行なわれるから、高濃度のテストステロンにさらされたのは胎児期の一部だけだが、それでも(テストステロンの影響を受けていない)実の姉妹に比べて男の子のような行動をとる。――幼児期は人形より組み立て式おもちゃに興味を示し、男の子と取っ組み合いをして遊び、思春期になると車やバスケットボースに惹かれ、エンジニアや飛行機パイロットといった職業に憧れる。

ただしほとんどのCAHでは、行動は男の子でも性自認は女で、成人後に男性に性別移行するケースは少ない。多くが異性愛者として結婚するが、一般の女性よりもレズビアンやバイセクシャルの比率が高く、男性にあまり性的魅力を感じない傾向がある。

胎児期のホルモンの顕著な影響を見れば、男と女の脳のちがいにホルモンが関係しているのではないかと考えるのは当然だ。その筆頭がイギリスの発達心理学者サイモン・バロン=コーエンで、「胎児期に高濃度のテストステロンにさらされることで男児の右脳の言語中枢が破壊され、その代わりに空間認知能力が発達して“男脳”になる」との研究を精力的に発表している(『共感する女脳、システム化する男脳』三宅真砂子訳、NHK出版)。

バロン=コーエンの「テストステロン→男脳」説は、男は左脳に脳卒中を起こすと話せなくなるが、女の言語機能はそれほど低下しないことをうまく説明する。男は言語機能が左脳に特化しているが、女は右脳と左脳の2つの言語機能を駆使しているのだ。――ここから、女の方が右脳と左脳の連結が強い(脳梁が相対的に大きい)ともされる。

バロン=コーエンの「男脳/女脳」説は脳科学者の多くに受け容れられているが、そのことによってリベラル派のはげしい攻撃にさらされている。その科学論争の詳細を説明するのは私の手に余るが、リベラル派が突き当たる壁は自閉症にきわめて明瞭な性差があることだ。

自閉症は80~90%が男児で、バロン=コーエンによれば、この性差はテストステロンが脳の言語中枢を「破壊」することで説明できる。一般に男は女より共感力に乏しく、相手の考えを読むことが苦手だが、自閉症はそれが極端に進んだものなのだ。

ただし自閉症児の多くは、「(相手の考えを読むための)こころの理論」がうまく働かないが共感力はあり、母親が悲しそうな顔をしていると対処しようとする(悲しい理由がわからない)。一方、相手の考えを理解できても共感力が欠落している(悲しい気持ちがわからない)タイプもいて、これが極端になるとサイコパスと呼ばれる。

リベラルの隘路は、「胎児期のテストステロンが男脳をつくる」というバロン=コーエンの説を否定すると、自閉症の原因が子育てになってしまうことだ。その8~9割が男児に発症するということは、親が男児にだけとてつもないストレスを与える子育てをしている(なぜか女児にはしない)ということになるが、これは馬鹿げているだけでなく、自閉症の子どもを抱えて苦労している親をさらに苦しめるだけだ。

この「差別的」な主張を回避しようとすると、「テストステロンによって男脳がつくられるわけではないが、胎児期のなんらかの作用によって生得的に男児に自閉症が偏る」ことになるが、これは科学的にはなんの説明にもなっておらず、バロン=コーエンの説得力のある主張を覆すことはできないだろう。

もうひとつ指摘しておくと、PCではない(政治的に正しくない)研究に対するリベラルの批判は、ときに揚げ足取りのようなものになる。ラットにおいては、人為的に過度のテストステロンにさらすと空間認知能力が上がる(迷路を早く抜けられる)など、ホルモンの性差への影響を示す多くの結果が出ているが、このような研究をいくら積み上げても「ラットとヒトはちがう」と一蹴されてしまう。

当然のことながら、ヒトの子どもに対して遺伝子を操作したり、ホルモンを過剰投与したランダム化比較試験などできないのだから、リベラルはどのような研究に対しても、その結果が気に入らないときに「科学的な厳密性に欠ける」と批判することができるのだ。

性的志向は本質主義で決まるが、男らしさ/女らしさは社会的構築物?

ヒトが両性生殖である以上、「男脳/女脳」のもっとも大きな性差が性的志向であることは間違いない。男脳が女に、女脳が男に性的な魅力を感じなければ子どもが生まれることもなく、人類はとうのむかしに絶滅していたはずだ。どれほど強硬な社会構築主義者でも、性的志向の性差が本質的なものであることを否定することはできないだろう。

しかしそれと同時に、どのような社会にも一定の割合(5%前後)でゲイ、レズビアン、バイセクシャルなど異性愛とは異なる性的志向をもつひとたちがいる。これはヒトのセクシャリティが生物学的に不安定なものであり、そこから性(ジェンダー)の多様性が生まれることを示している。

ジェンダーアイデンティティ(性同一性)障害のメカニズムについてはまだほとんどわかっていないが、性染色体が身体を男/女に発達させたものの、なんらかの理由で脳が逆の性をもつようになったと考えられている。「男の身体と女脳/女の身体と男脳」の組み合わせがトランスジェンダーで、性自認(脳)に合わせて自らの身体をつくり変えようとする(「自分は本来は男/女なのに、女/男の身体に閉じ込められている」と感じている)。

さらに複雑なのは、性自認と性的志向が必ずしも一致しているわけではないことだ。トランスジェンダーの男性が女性に性別移行して男に性的魅力を感じる(異性愛)こともあれば、性愛の対象は女のまま(同性愛)のこともある。それに対してトランスジェンダーの女性が男性に性別移行した場合は、性的志向は女(異性愛)になることがほとんどのようだ。

性的志向がどうであれ、トランスジェンダーは親や社会から、脳(性自認)を身体的な性に合わせるようきわめて強い圧力をかけられており、本人もそのことに苦しんでいるのだから、これが「社会的に構築された」とすることは無理がある。ヒトの性は複雑で「すべてホルモン(遺伝子)が決める」ということはできないが、性意識の基盤に生物学的な要因が強くはたらいていることは明らかなのだ。

そうなるとリベラルは、「性的志向は本質主義で決まるが、それ以外の男らしさ/女らしさは社会的構築物だ」というアクロバティックな主張をせざるを得なくなる。この矛盾を保守派から攻撃されるのだが、それでもここはリベラルにとって譲れない一線だろう。

「毒々しい男らしさ」と「毒々しい女らしさ」

自閉症などと並んで男女で顕著な性差があるのが「攻撃性」だ。世界じゅうどこでも、殺人などの凶悪犯罪は圧倒的に男によるもので、刑務所に入るのも、売春などを除けば男が多い。そしてこの攻撃性が、女性や子どもへの性暴力や虐待の温床になっている。最近ではこれは、「toxic masculinity(毒々しい男らしさ)」と呼ばれている。

性的志向が生得的なものなら、性的マイノリティ(LGBTIQ+)が異性愛者と対等の権利をもつのは当然だ。誰を愛するのか(どのようなジェンダーアイデンティティをもつか)は、自分では選択できないどうしようもないもの=運命なのだ。

ここまではいいとして、男脳/女脳が生得的なものだとすると、同じ理屈で、「男が暴力を振るうのは進化の過程でそのように設計されてきたからで、本人の意思ではどうしよもない」ことにならないだろうか。だが暴力を忌避するリベラルな社会は、この理屈をぜったいに受け容れることができない。科学がどうであれ、性的志向以外の「男らしさ/女らしさ」は社会的に「矯正」できるものでなければならないのだ。

だが、リベラルは「毒々しい男らしさ」を一方的に攻撃しているわけではない。リベラルな脳科学者であり、1人の女の子と2人の男の子の母親でもあるリーズ・エリオットの『女の子脳 男の子脳』を読むと、「toxic femininity(毒々しい女らしさ)」ともいうべき女性性も批判の対象になっていることがわかる。

エリオットはこう書いている。

多くの女性は、学校やスポーツや職場でもあからさまな競争は嫌うが、服やヘアスタイルや特定の男の子の関心を惹くことにかんしてはひどく意地悪にもなれる。こうした分野で人の上に立ちたいという気持ちが女性になければ、ミス・インターナショナルもなくなるだろうし、ファッションや美容外科に多額の費用が投じられることもなくなるだろう。

女性も競争する。ただし、それはほとんどが美と――少なくとも10代以下の女の子の場合は――友情と序列をめぐる競争だ。そして、男性の競争と大きく異なるのが、女性の競争は攻撃性と同じくほとんど表面に出ないことだ。いじめる側は隠れて匿名で中傷する。仲間外れといった作戦をとる。

アメリカをはじめとして欧米先進国では、女子の成績が上がる一方で、男子が学校からドロップアウトすることが大きな問題になっている。だがこれは、男の子が女の子との競争についていけなくなっているわけではないようだ(男の子と女の子は別の社会をつくっている)。男女共学で優秀な女の子が身近にいるほうが、男の子のドロップアウト率が低いというデータもある。

なぜ多くの男の子が競争から脱落してしまうかは諸説あるが、それがいまや大きな社会問題になりつつあることは間違いない。すくなくとも母親にとっては、男の子は「守ってあげなくてはならない」存在なのだ。

参考:先進国で「男子劣化」が起きている理由

それに比べて、言語的知能も共感力も高く、学校の成績もよく、なんでも自分でできるにもかかわらず、おしゃれと恋愛にしか興味がない(ように見える)女の子へのリベラルの視線が、これからはきびしくなっていくのかもしれない。

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