LSDでうつ病を治療する「幻覚剤ルネサンス」が始まった 

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年9月24日公開の「欧米では、うつ病や末期がん患者へのLSDなどを使った幻覚剤治療が急速に再評価。日本でも検討が必要では?」です(一部改変)。

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この数年で、欧米では幻覚剤(サイケデリック)の再評価(ルネサンス)が急速に進んでいる。

イギリスのテクノロジー・ジャーナリスト、ジェイミー・バートレットは『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』(中村雅子訳、双葉社)で、世界を変えようとする「過激なひとたち」に突撃取材しているが、そのなかに「トリップ・レポート」という章がある。ここでバートレットは「幻覚剤協会(Psychedelic Society)」なる団体がオランダで主催する「幻覚剤週末体験会」に参加する。参加者は25グラムのマジックマッシュルーム(サイロシビン)を与えられ、精神を変容させる旅(トリップ)に出る。

これだけならたんなるサイケデリック・パーティだが、興味深いのは参加の動機だ。バートレットが出会ったジェイクという30代半ばのアーティストは不安神経症とうつに苦しみ、向精神薬の依存症になったが、「幻覚剤が僕の命を救ってくれた」という。LSDやサイロシビンなどの幻覚剤はいま、終末期の患者の不安をやわらげたり、うつ病や依存症の治療薬として「真っ当な」医療関係者からも大きな注目を集めているのだ。

この会ではバートレットは取材者に徹したが、その後、自らサイロシビンを体験する機会を得た。それは次のように描写されている。

じっと木々を見ていると、それがゆっくりと変化しはじめた。脈うっているように見える。まるで呼吸しているかのようだ。(中略)そして草は、前と変わらない緑色だったが、いままでに見たどの緑色よりもはるかに緑に見えた。実際、これ以上ありえないほどの緑だった。(中略)わたしは呆然と――文字どおり口をぽかんと開けたまま――その場に立ちつくし、あのものすごい、呼吸する木々を見つめることの他にはこの世で何一つやりたいことはなかった。(中略)無であることに満ち足りた気持ち、何も考えることないのがうれしいという感覚だけがあった。(中略)わたしはそこにいると同時に、そこにいなかった。

幻覚剤はイギリスでは違法だが、オランダはマジックマッシュルームを乾燥させたものなら合法だ。そこで、訓練されたインストラクターがこのような「幻覚体験」を誘導するイベントが開催され、そこにヨーロッパじゅうから「治療」を求めるひとたちがやってくるのだという。

これを読んで社会現象としての幻覚剤に興味を持ったのだが、それがどのようなことかよくわからなかった。だがアメリカのジャーナリスト、マイケル・ポーランが「幻覚剤ルネサンス」を取材した『幻覚剤は役に立つのか』( 宮﨑真紀訳、亜紀書房)によってようやくその全貌を知ることができた。原題は“How to Change Your Mind(あなたの心を変える方法)”。

ポーランはこの本で、LSDやサイロシビンの発見から1960年代のヒッピー・ムーブメント(ティモシー・リアリーの“turn on, tune in, drop out”)、自身のトリップ体験、幻覚剤の神経科学まで広範に論じているが、ここではそのなかから「トリップ治療――幻覚剤を使ったセラピー」を紹介してみたい。こうした情報は日本にはほとんど伝えられていないので、おそらく多くのひとが驚くだろう。

幻覚剤を使った治験の驚くべき結果

ポーランによると、アメリカにおける幻覚剤ルネサンスは2011年、がん患者の不安をサイロシビンで抑制するカリフォルニア大学ロサンゼルス校のパイロット実験で始まり、それがニューヨーク大学(NYU)とジョンズ・ホポキンズ大学のより規模の大きな臨床試験につながった。

2016年、両大学が『ジャーナル・オブ・サイコファーマコロジー』誌の特別号に共同で論文を発表すると、12月、ニューヨークタイムズがそれを1面で報じた。なぜこれほど注目されたかというと、その結果が驚くべきものだったからだ。

「NYUとホポキンズ大、どちらの試験でも、約80パーセントのガン患者について、不安障害やうつ病の一般基準で、臨床的に有意な減少を示し、しかもその効果はサイロシビン・セッションのあと少なくとも6カ月は継続した。どちらの試験でも、神秘体験の強さと、症状がやわらぐ度合いとのあいだには、密接な相関関係があった。これほど劇的かつ継続的な結果が出た精神医学的治療は、これまであったとしてもごくわずかだった」とされ、アメリカ精神医学会の2人の元会長を含む精神医学界主流派の権威者たちが発見を祝うコメントを寄せた。

ただし試験数は両大学合わせても80例とごくわずかで、アメリカ政府がサイロシビンを指定薬物から外し、治療を認可するにはより大規模な臨床試験を繰り返す必要があった。そこで2017年はじめ、NYUの研究者が食品医薬品局(FDA)に第三相試験の許可を求める書類を提出すると、さらに驚くべきことが起きた。臨床試験のデータに驚愕したFDAの担当者が、研究の対象をうつ病に拡大してみないかと提案したのだ。

じつは期せずして、同じことがヨーロッパでも起きていた。2016年、終末期の患者の不安や抑うつ症状の治療にサイロシビンを使う許可を研究者たちが欧州医薬品局(EMA)に求めると、「もっと大規模に複数地点で試験してみてはどうか」と逆に促されたのだ。

このときEMAが参照したのは、イギリスのインペリアル・カレッジの研究室が行なった小規模な調査で、2016年に『ランセット・サイキアトリー』誌に掲載された。この実験では、「治療抵抗性うつ病(すくなくとも2種類の治療を試したが効果がなかった)」の男女6人ずつにサイロシビンが投与された。

その結果は、「(投与から)1週間後、被験者全員に症状の改善が見られ、3分の2は抑うつ症状がなくなり、こんなことは数年ぶりだと話す者もいた。12人のうち7人は、3カ月後もかなりの改善が持続していた。その後、合計20人にまで試験の規模が拡大され、このときは6カ月後の調査で6人に寛解の状態が持続していたが、ほかは程度の差はあれ症状が戻っていて、治療を繰り返す必要があることが示唆された。調査は規模もそう大きくないし、ランダム化比較試験でもなかったが、対象の被験者たちにサイロシビンは有害な副作用もなく許容され、大部分の明確かつ迅速な効果をあげた」とされる。

ちなみに、新薬の効果を調べるときに必須とされるランダム化や二重盲検が行なわれていないのは幻覚剤の特性による制約で、服用したとたん、どちらが幻覚剤でどちらがプラシーボ(偽薬)か、患者本人にも治験者にもわかってしまうのだ。

抑うつや不安を抑える画期的なドラッグの「再発見」

アメリカとヨーロッパでほぼ同時に幻覚剤によるうつ病治療の可能性が注目されたのには理由がある。欧米ではうつが深刻な社会問題になっているのだ。

アメリカでは10人に1人がうつ病に苦しみ、毎年4万3000人ちかい自殺者がいる(乳がんや交通事故の死亡者より多い)が、そのうちわずか半数しか治療を受けていない。世界保健機関(WHO)によれば、ヨーロッパで約4000万人がうつ病を患い、そのうち80万人以上が治療抵抗性うつ病に苦しんでいる。

それにもかかわらず、うつ病の治療薬は今や手詰まりの状態になっているとポーランはいう。1980年代に「奇跡の薬」と騒がれたSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は効果が薄れはじめ、それに代わる新薬も見つかっていない。

SSRIの当初の良好な治療成績は、多くの医薬品同様、目新しさによるプラシーボ効果のためだと考えられており、日常的に処方されるようになったことで、今日、その効果は偽薬をわずかに上回る程度まで低下したという。その結果、うつ病に苦しむ多くのひとは、医療費の高さや、飲んでも効かない薬に失望し、あきらめてしまっているのだ。

そんなとき、突如として、抑うつや不安を抑える画期的なドラッグが「再発見」されたのだ。幻覚剤のような「リクリエーション・ドラッグ」の使用に慎重な専門家も、その効果を無視することはできなかった。

LSDやサイロシビンを使った「サイケデリック療法」を体験した被験者に定性面接を行なうと、抑うつを「分断」と「遮断」の状態だと感じていたこととがわかった。

分断の対象は他者、以前の自分、自分の感覚や気持ち、核となる信念や価値観、自然界などさまざまだが、被験者はこの感覚を「心の監獄で暮らしている」とか、「同じことをいつまでも反芻して堂々巡りのなかに閉じ込められている」、あるいは「精神的な交通渋滞」などと表現した。

遮断というのは、ある種の手に届きにくい感情と切り離されてしまうことだ。「うつ病患者は絶え間なく過去を反芻するため、しだいに感情のレパートリーが限定されていってしまう」のではないかとされる。

被験者の多くは、サイケデリック体験によって、たとえ一時的であっても、こうした「分断」と「遮断」から解放された。彼ら/彼女たちは次のように語っている。

「脳内の監獄から休暇をもらったみたいな感じでした。私は自由になり、何も心配がなくなり、エネルギーで満たされた」
「真っ暗な家で急に照明のスイッチが入ったみたいでした」
「はまり込んでいた思考のパターンから解放され、コンクリート製のコートを脱いだ感じ」

自然や他者とつながれるようになったと語る被験者もいる。

「目にかかっていたベールが取り払われて、急に周囲がくっきり見えるようになったんです。輝いて見えました。植物を見て、きれいだと感じたんです。今もランを見ると美しいと感じられます。これは長く続いている変化のひとつです」
「通りを歩く人を見て、よく考えました。『人間って本当に面白い。みんなとつながっている感じがする』」

イアンという39歳の音楽ジャーナリストは、子どもの頃、姉とともに父親から虐待を受けていた。成人してからきょうだいで父を告訴し、父は禁固刑に処せられたが、それでもずっと患っているうつから解放されなかった。心のなかで父親を「遮断」していたのだ。

だがサイケデリック治療で、ガイド役から、何か恐ろしいものに出会ったら「中に突き進んでみること」と言われた。

トリップのなかで父が現われたが、その姿は馬だった。後ろ足で立ち、ヘルメットと軍服を身につけた軍馬が、イアンに向けて銃を向けていた。恐怖をこらえて馬の目をにらみつけると、急にばかばかしくなって笑ってしまった。すると、バッドトリップが急展開を始めて、あらゆる感情が湧きだした。そしてイアンは悟った。

人は幸福感とか楽しさだとか、いわゆるいい感情だけを選んで感じるわけではありません。ネガティブなことを考えたっていいんだと思いました。それが人生なんです。僕の場合、感情に抵抗しようとするとかえってそれを増幅してしまう。でもいざすべてを受け入れてみると、すばらしかった。深い満足感を覚えたんです。圧倒的な感覚でした。感覚であって、考えでさえなかった――何もかもが、誰もが、愛される必要がある。僕も含め。

この体験のあと数カ月間、イアンは抑うつ状態を脱し、人生に対する新たな視点を持つことができた。どんな抗うつ剤でもこんなことはなかったが、残念なことに「自分自身と、あらゆる生き物と、宇宙が完璧につながった」感覚はしだいに消えていき、結局また抑うつ状態に戻ってしまった。

それでもイアンは、「試験の最中に得た悟りは残り、その後もけっして消えません」と述べ、今までよりうまくやれているし、仕事も続いているという。

うつ病は脳のシミュレーションの機能不全

サイケデリック治療は、なぜうつを寛解させるのか。詳しくは『幻覚剤は役に立つのか』を読んでいただくとして、私が理解した範囲で説明してみよう。

記憶には、事実についての記憶(意味記憶)と経験についての記憶(エピソード記憶)がある。過去の試行錯誤を覚えておくことは次の行動に役に立つので、人間以外にも多くの動物(とりわけ霊長類)が同じような記憶機能を持っているだろう。

だが(おそらくは)人間にしかない特殊な記憶の形式がある。それが「自伝的記憶」で、自己を中心に過去・現在・未来を構築する。これはプログラミングでいう「if~then~」の条件式のことで、「これをしたらこうなるだろう」という予測だ。

いまのところ、このように未来をシミュレーションができるのは人間だけだと考えられている。未来を予測する能力は、それを過去にあてはめれば、「あのときこうすれば、こうなっただろう」という別のシミュレーションになる。一般にこれは「反省」と呼ばれる。

過去を反省し、未来を予測するためには、時間の経過にかかわらず同一の「主体」が必要だ。現在の自分が、過去や未来の自分となんの関係もないのなら、そもそもなぜそんなことを気にしなくてはならないのか。

このように、人類の脳がシミュレーションの機能を手に入れたとき(これがいつかはわからないが)、必然的に主体=自己が誕生した。

「自己」は進化の歴史のなかできわめて新しいものなので、大脳のなかの進化的に新しい部位である大脳皮質から生じると考えられる。具体的には前頭前皮質、後帯状皮質、下頭頂小葉、外側側頭葉、背内側前頭前野などの皮質と、記憶や情動にかかわる海馬や偏桃体などの大脳辺縁系からなるネットワークで、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」として近年、大きな注目を集めている。DMNは、脳が特定の活動をしていないとき(もの思いにふけっているなど)に活動する脳の部位だ。

このあたりは脳科学の最先端で、今後、さらなる大きな進歩が期待できるが、「自己」をシミュレーション装置と考えるならば、個人ごとにその性能や機能に差が生じていても不思議はない。

一般的には、シミュレーション速度が速いほど脳の性能はよくなる。未来の複雑なシミュレーションを素早く行なって最適な選択を見つけられれば、生存や生殖に大きな優位性をもたらすだろう。

だがそうやってシミュレーション速度を上げていくと、(複雑・精妙な機械がこわれやすいように)脳も機能不全を起こすおそれがある。

未来への過度なシミュレーションがネガティブな方向に偏ってしまうと、「このままではきっとヒドいことが起きるにちがいない」と思うようになるかもしれない。これが「不安」だ。

同様に、過去への過度なシミュレーションがネガティブな方向に偏ると、「あんなことをしなければよかった」といつまでも思いつづけるかもしれない。これが「後悔」だ。

このように考えれば、うつとは自己によるシミュレーションの「暴走」ということになる。この機能不全によって、未来への不安と過去への後悔という「自己の檻」に閉じ込められてしまうのだ。

ところが幻覚剤は、なんらかの作用によって(脳のセロトニン受容体に働きかけるとされる)このシミュレーション速度を落とすことができるらしい。これによって自己=DMNは後景に退き(あるいは「自己という檻」から解放されて)、意識が脳のさまざまな部位とつながることができるようになる。

こうして、それまで「過剰な自己」によって排除されてきた色や音が鮮やかに意識できるようになったり、(フロイト的にいうなら)抑圧されてきた感情が表に出るようになるのだ。

もちろんこれはまだ仮説の段階にすぎないが、サイケデリック治療を受けたうつ病患者の体験の説明としてきわめて説得力があるのではないだろうか。

末期がん患者や薬物依存にも効果がある

LSDやサイロシビンのような幻覚剤は、うつ病だけでなく、余命宣告されたがん患者などにも大きな効果があることがわかっている。これは、終末期の患者を苦しめるのが「(死という)未来への不安」だからだ。

サイケデリックによって「自己の檻」から解放された患者は、自分が「宇宙」や「自然」と一体化するイメージを体験し、死への不安をやわらげるのだという。

幻覚剤は依存症の治療薬としても期待されている。これは依存症が、アルコールやドラッグなどの依存の対象に「自己」がとらわれることだからだ。サイケデリックで自己が後退すると、依存をより客観的に見ることができるようになる。これは、宇宙飛行士が宇宙船から地球を眺める「概観効果(オーバービュー・エフェクト)」になぞらえられる。

サイロシビンの臨床試験に参加した依存症者は、「人生を遠くから見られるようになり、自分の依存症も含め、今まではひどくやっかいそうだったものが、やけにちっぽけに見え、簡単に操れそうだと思えるようになった」という。ずっとタバコを吸いつづけてきた喫煙者は、「タバコなんてくだらなく思えてね。だからやめたんだ」と語ってポーランを驚かせた。

ニコチン(タバコ)依存はもっとも止めるのが難しいが(ヘロインより困難とされる)、サイケデリック治療のあと6カ月経過しても禁煙を続けていた被験者は80%にのぼり、1年後には67%に落ちるものの、それでもニコチンパッチなど、現在もっとも有効とされる治療より成功率が高い。ここでも末期がんの患者と同様、完全な神秘体験をした被験者ほどよい結果が出たという。

精神的な健康のためのエクササイズとしてマインドフルネスのような瞑想が注目されているが、深い瞑想のときの脳を画像撮影すると、サイケデリック体験と同様に脳のDMNの活動が低下していることがわかった。ここから、幻覚体験を起こさない程度の微量のLSDを継続的に摂取して「自己」のレベルを下げ、マインドフルネスと同じ効果を得ようとする「マイクロドージングMicrodosing」の試みも、シリコンバレーなどで始まっているようだ。

1960年代、幻覚剤は「奇跡のドラッグ」として大きな注目を集めたが、その後、(ティモシー・リアリーが派手に煽ったこともあって)「脳を狂わせる」として社会から排除された。マイケル・ポーランが指摘するように、終末期の患者やうつ病の治療にサイケデリック体験が劇的な効果があることは、すでに半世紀以上前に研究者が繰り返し確認していた。それがいまになって「再発見」されたから、「幻覚剤ルネサンス」なのだ。

アメリカではうつによる自殺が社会問題となり、医薬品を管理する当局が幻覚剤の治験を認可し、その効果がニューヨークタイムズなどで大きく報じられた。そのアメリカの自殺率は10万人あたり14.3人だが、日本の自殺率はそれより4割ちかく多い19.7人だ。アメリカとともに幻覚剤研究の最先端にあるイギリスの自殺率は8.5人で日本の半分以下だ(2015年)。

日本は世界的にも自殺率が高く、うつ病に苦しむひとも多い。それにもかかわらず、幻覚剤は覚せい剤同様きびしく規制されているため、一部の医療機関で細々と研究されるにとどまっているようだ。

幻覚剤=違法ドラッグというステレオタイプから脱して、日本でもサイケデリックの可能性をより積極的に試してみてもいいのではないだろうか。

禁・無断転載

欧州はなぜ3000年謝り続けるべきなのか 週刊プレイボーイ連載(545)

ワールドカップのカタール大会が開幕し、この記事が掲載される頃には日本がグループリーグを突破できたかどうかわかっているでしょう(グループリーグを1位突破したものの、PK戦で16強敗退)。今回は中東ではじめて行なわれる大会ですが、欧米諸国からの批判で開幕前からぎすぎすした雰囲気になっています。

きっかけになったのは、イギリスの新聞が昨年の2月、「W杯の開催決定後、6500人以上の移民労働者が死亡し、37人がスタジアム建設に関わっていた」と報じたことで、これに招致をめぐる買収疑惑や、LGBTQ(性的少数者)の権利が尊重されていないなどの批判が加わって、ドイツの内務・国家相がカタールでの開催を疑問視する発言をしたり、FIFA(国際サッカー連盟)のゼップ・ブラッター前会長が「カタールでのW杯は間違いだ。選択が悪かった」とインタビューにこたえたり、英BBCが開会式の放映を「ボイコット」するなど異例の事態に発展しました。

興味深いのは、これらの批判に対するFIFA現会長の反論です。スイスとイタリアの二重国籍をもつジャンニ・インファンティーノは記者会見で、「私は欧州の人間だが、欧州の人間は道徳的な教えを説く以前に、世界中で3000年にわたりやってきたことについて今後3000年謝り続けるべき」と述べたうえで、「一方的に道徳的な教えを説こうとするのは単なる偽善だ」と語ったというのです。

一般には、植民地主義は1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見から始まったとされますから、その歴史は500年です。3000年前となると紀元前1000年で、当時の文明の中心は中近東(およびギリシア)、インド、中国で、北ヨーロッパは森林に覆われた「蛮族」の地でした。「支配」と「謝罪」の期間が6倍にもなってしまったのは、それだけ怒りが大きかったのでしょう。

世界はいま、「すべてのひとが自分らしく生きられる社会をつくるべきだ」という意味でのリベラル化の大きな潮流にあり、それを欧米(アメリカの東部と西海岸、北の欧州)が先導しています。1960年代後半に「セックス・ドラッグ・ロックンロール」のカウンターカルチャーとともに生まれたこの新しい価値観では、マイノリティの権利を抑圧し、「自分らしさ」を否定することは許されません。

この議論(罵り合い)の背景には、ヨーロッパの移民問題があります。クルアーンの教えに則れば、女性は家族と夫以外に顔を見せてはならず、一夫多妻が認められ、同性愛は神の掟に反するとされます。どれも世俗化・リベラル化したヨーロッパの「良識」とは相いれませんから、あちこちで文化の衝突が勃発しました。イスラーム原理主義者による相次ぐテロや、内戦・統治の崩壊で中東・北アフリカから難民が押し寄せたことなどから、この「文化戦争」はさらに激しさを増しています。

ヨーロッパの極右は、いまでは「市民社会を守る」という“正義”を掲げて移民排斥を求めています。そう考えれば、「リベラル」によるカタール批判を「偽善」と断じたFIFA会長の暴言にも一理あるかもしれません。

参考:「「カタールへの批判は偽善だ」とFIFAのインファンティノ会長が非難 「欧州は今後3000年謝り続けるべき」」クーリエ・ジャポン(2022年11月20日)

『週刊プレイボーイ』2022年12月5日発売号 禁・無断転載

【アクセス10位】富裕層とファッションモデル ニューヨークの有名クラブの生態学

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス10位は2022年2月10日公開の「ニューヨークの有名クラブで日々繰り広げられているアメリカの富裕層とエロス資本との深淵な関係とは?」です(一部改変)。

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私はクラブカルチャーにはなんの知識もないが、そんな人間でもアシュリー・ミアーズの『VIP グローバル・パーティーサーキットの社会学』( 松本裕訳、みすず書房)はとても面白く読んだ。ニューヨークの有名クラブや、映画に出てくるようなアメリカの富裕層のパーティで、いったい何が行なわれているのかようやくわかったからだ。ここではその驚き(の一部)を紹介してみたい。

著者のミアーズはボストン大学の社会学者(准教授)だが、16歳からモデルの仕事を始め、ジョージア大学を経てニューヨーク大学で博士号を取得するまでパートタイムのモデルとして働き、2011年にその体験を“Pricing Beauty: The Making of a Fashion Model(価格表示された美 ファッションモデルをつくる)”という本にまとめた。ミアーズが行なったのは社会学でエスノグラフィーと呼ばれる行動観察調査で、研究者が調査対象と行動を共にし、同じ立場でさまざまな経験を記録する手法だ(フィールドワークの一種で、文化人類学者が先行して行なったので「民族誌調査」とも訳される)。

ミアーズは自分自身がファッションモデルだったので、「美の世界」の観察者としてうってつけだった。自身の体験や多くの取材をもとに、一見、華やかなファッションモデルが低賃金の労働で、モデルの多くがエージェントに借金しているなどの内幕を描き、高い評価を得た。

『VIP』はその続編で、ニューヨークやマイアミなどの有名クラブや、ハンプトンズ(ニューヨーク郊外)、コート・ダジュール(フランス)、イビサ島(スペイン)、サン・バルテルミー島(カリブ)などのリゾートで開かれるパーティ文化のエスノグラフィーだ。こうしたパーティには「girls(女の子たち)」と呼ばれるファッションモデルが集められるため、ミアーズは31歳にもかかわらずなんとか潜入に成功し、この興味深い文化を調査することができた。原題は“Very Important People: Status and Beauty in the Global Party Circuit(VIP グローバル・パーティーサーキットのステイタスと美)”。

ニューヨークのクラブにいる「ガールズ」とは?

イギリスの社会学者のキャサリン・ハキムは、(主に)若い女性はエロティック・キャピタル(エロス資本)ともいうべき大きな資本をもっていると述べた(『エロティック・キャピタル すべてが手に入る自分磨き』田口未和訳、共同通信社)。だが富裕層たちのパーティ文化では、売買春にならないように、金銭とエロス資本の交換は慎重に隠されている。――そのためミアーズは「エロティック・キャピタル」を使わず「美的資本」「身体資本」などとしているが、これはたんなるレトリックのちがいだろう。

パーティ文化の最大の特徴は、富と美の交換から利益が生じているにもかかわらず、関係者が並々ならぬ努力をして、「友だち同士で楽しく遊んでいる」という虚構をつくっていることだ。ミアーズは、(馬鹿馬鹿しいとも思える)その仕組みを見事に解き明かした。

ニューヨークなどのクラブには、DJブースとフロアのほかにVIP用のテーブル席が用意されている。フロアには座る場所がなく、バーカウンターでアルコールを買い、音楽に合わせて立ちっぱなしで踊るしかない。

壁際につくられたテーブル席はフロアから一段高くなっていて、そこにプラスチック製のソファーとテーブルが置かれている。ソファーの背の上側も平らになっていて、そこでも踊れるようになっている。ミアーズによれば、クラブの収益の大半はこのテーブル席から生み出される。

テーブル席を確保するのは「クライアント」と呼ばれる富裕層で、アラブの富豪などもいるが、その多くはウォール街などで働く「ワーキング・リッチ」だ。席料は1000ドル(約10万円)程度だが、彼らは一晩で1万ドルから1万5000ドル(約100万~150万円)を散財する。

それぞれのテーブルには5~10人ほどの「ガールズ(girls)」がつくが、彼女たちはホステスではなく、扱いはクラブの客だ。ガールズを連れてくるのは「イメージプロモーター」と呼ばれる男(わずかだが女もいる)だが、プロモーターは「手配師」ではなくクライアントの「友人」ということになっている。クライアントが直接、プロモーターにお金を払うと風俗業(ポン引き)になってしまうのだ。

では、どうやってプロモーターは収入を得ているのだろうか。それは、クライアントが注文するシャンパンなどのキックバックだ。ニューヨークのクラブでは1本200ドル(約2万円)程度のシャンパンを1000ドル(約10万円)で出している。「ガールズ」の分を含めて10本のシャンパンを入れれば100万円で、プロモーターはその2割(約20万円)を受け取る。これを週4日やれば月収300万円、年収3000万円ほどになる計算で、これが基本的なビジネスモデルだ。

プロモーターとガールズの間にも金銭関係はなく、あくまでも「男友だち」に誘われてクラブに遊びに来たことになっている。ただしプロモーターは女の子たちに高級レストランでディナーをおごり(ディナー代はクラブ持ちだがウェイターなどにチップをはずまなくてはならない)、クラブから自宅までの送迎も必要になる。女の子たちにアパートを提供することもあり、全体ではかなりの出費になるようだ。

「ガールズ」は現金を受け取らない(お金が介在すると「高級コールガール」になってしまう)が、豪華な食事からパーティまですべて無料で楽しめるばかりか、リゾート地への往復の旅費や宿泊費もプロモーター持ちだ。無一文でも「スーパーリッチの夢の世界」を体験できるのだ。

ここからわかるように、ニューヨークのクラブで行なわれていることは、日本なら銀座のクラブやキャバクラ、ホストクラブ、”ギャラ飲み”とほぼ同じだ。ピューリタン文化の名残のあるアメリカでは、風俗の女性と素人を厳密に分ける必要があり、日本ではお金ですませてしまうことにこのような複雑な仕組みをつくったのでないだろうか。

「クライアント」から「ボトルガール」まで、クラブの登場人物たち

クラブでは、「ガール(girl)」と「ウーマン(woman)」の間にはっきりとした境界線がある。「ガール」の第一条件は若さで(16歳から25歳までで、30歳を超えると「ウーマン」になる)、それに加えて背が高くやせていなければならない。身長はヒールなしで最低175センチ以上、ドレスサイズは4(ウエスト63センチ)以下。このような体形の女性はめったにいないから、必然的に「ガールズ」のほとんどがファッションモデルになる。人種のちがいも顕著で、ほとんどが白人で構成され、黒人やヒスパニック、アジア系はグループのごく少数であれば許される。

身長が重要なのはクラブで目立つためだ。「ガールズ」は10センチのハイヒールを履くので、背の高さは185センチを超える。それがテーブル席のソファーや、あるいはソファーの背の上で踊るのだから、派手な照明が明滅するなかでもフロア中の注目の的になる。逆にいうと、背が低かったり、太っていたりするとクライアントに恥をかかせることになってしまうのだ。

「ウーマン」にも序列があって、“good civilian(マシな一般人)”は、モデルほどではないもののそれに匹敵する女の子で、やはり背が高くやせている。ニューヨークの女子大生や広報関係で働いている女性が多く、プロモーターにとってはモデルが手配できないときの「予備」になる。“civilian(一般人)”はそれ以外のすべての女性で、“pedestrians(歩行者)”とも呼ばれ、テーブル席に招かれることはない。

「バウンサー(用心棒)」と呼ばれるクラブの警備員は体格のいい黒人で、誰を入場させ、誰を断るかを決める。クラブが気にするのは男女比で、できるだけフロアの女性比率を高くしたい(その方が見栄えがいい)。女同士なら入れるが、男だけのグループは門前払いだ。有名なクラブに行こうと思ったら、何人かの女友だちを連れて行かなくてはならない。

たとえ「歩行者」であっても、フロアが若者たち(理想的な男女比率は1:2)で埋まっていないとクラブは盛り上がらない。(ガールズを調達する)イメージプロモーターとはちがい、「マスプロモーター」はお洒落な女の子たち(一般人)をフロアに送り込む業者で、バーでドリンクを注文する彼女たちは「充填材(フィラー)」と呼ばれる。

それでもフロアが埋まらないと、やむなく「見た目がふさわしくない」客を入店させなければならない。ニューヨークのクラブでは、彼ら/彼女たちは「橋とトンネル」と呼ばれる。クイーンズやスタテン島のような野暮ったい地域から、橋かトンネルを使ってマンハッタン島までやってくるからだ。

クラブの従業員の最底辺は、空のボトルやグラスを運ぶ下っ端のウェイターで、大半が身長の低いヒスパニックだ。テーブル席にシャンパンを運ぶのが「ボトルガール」で、背が高く、露出度の高いドレスを着て、比較的多様な人種で構成されている。ボトルガールは、運んでいるボトルと同様に「購入可能」とされている。

テーブル席からボトルを注文するのが「ボトルクライアント」だが、そこにも序列があり、ひと晩で数千万円の散財をする者が“whale(クジラ)”だ。クラブはなんとかして「クジラ」を呼びたいが、彼らは最高の「ガールズ」がいるところにしか興味がない。「ガールズ」の質がクラブの売上に直結し、イメージプロモーターはクラブのためにモデルを集めることで、シャンパン代のキックバックを受け取る。この関係は「モデルとボトル」と呼ばれる。

プロモーターには質の高い「ガールズ」を安定して「供給」することが求められ、その成果で序列が決まる。「友人」のスーパーリッチが主催するパーティに「ガールズ」を「派遣」するのも彼らの役割だ。ニューヨークのクラブカルチャーの登場人物は、おおよそこのような配置になっている。

クライアントにとって「ガールズ」は「女性の形をした家具」

スーパーリッチはなぜ「ガールズ」を必要とするのか。それは1世紀前の経済学者ソースティン・ヴェブレンが唱えた「顕示的消費」で説明できる。クラブのフロアで一般人(歩行者)と同列に扱われるのは、彼らにとって屈辱以外のなにものでもない。フロアの注目と羨望を一身に浴びるためには、DJブースに近いテーブル席を確保し、見上げるような「ガールズ」を躍らせて思い切り目立たなくてはならないのだ。

クラブもスーパーリッチの虚栄心を満足させる演出を心得ている。屈強なバウンサー(用心棒)がスパークラー(電子花火)で飾られたシャンパンのバケットを頭上高く掲げてフロアを横切り、その後ろに、やはりスパークラー付きのボトルを掲げたボトルガールたちが続く。

どこかのテーブルがシャンパンを注文すると、それに対抗して別のテーブルのクライアントがより豪勢な注文をする。こうしてシャンパンのボトルはどんどん大きくなり、ついには6リットル瓶が4万ドル(約400万円)で提供されるようになった。

クライアントにとって、「ガールズ」は装飾品あるいは「女性の形をした家具」にすぎない。性的な関係になることはあるが、大音響のクラブでは話もできないので、恋愛関係はもちろん個人的なつき合いをすることもない。

ミアーズは、クライアントの依頼でプロモーターが高級レストランに「ガールズ」を連れて行ったときのことを書いている。最高級の料理は出されたものの、クライアントたちは「ガールズ」に話しかけようともせず、ずっと内輪のビジネスの話をしていて、なんとも気まずい会食になった。

これも、クライアントが「ガールズ」を装飾品と見なしているとすれば理解できる。男だけのグループで高級レストランに行けば、女性連れの客よりも格下になってしまう。モデルを何人も引き連れていれば、店内の視線のすべてが自分たちに集まるだろう。それが目的なので、女の子一人ひとりの個性や人間性はどうでもいいのだ。

ミアーズが話を聞いたクライアントの一人(23歳のヘッジファンドのアソシエイト)はこういった。

「あそこにいる女の子のほとんどは、尻軽女かバカな売女だと思ってるよ……話をしてみたらわかるさ、あの子たちはとにかくからっぽなんだ。[ほかに]説明する言葉は見つからないよ。ただからっぽなのさ……一発ヤルくらいはするけど、つきあったりはしないね。だって、飯に連れて行っても、スシがなんなのか知らないんだぜ。「うわあ、これ何? 食べたことない!」なんてさ。無理無理、耐えられないよ」

これは偏見で、未成年で学歴のないモデルもたくさんいる一方で、大学で法律やビジネス、国際関係論などを学んでいる「ガールズ」もいたとミアーズはいう。だがそうだとしても、彼女たちはなぜ、自ら進んでこのような「性差別的」な関係を受け入れるのだろうか。

その理由を端的にいえば、「金持ち男性の欲望の対象になるよう誘われるのは、信じられないほど魅惑的なものがある」からだ。ポルシェでの送り迎え、高級レストランでのワインと食事、スーパーリッチの豪邸でのパーティ、有名なイベントでセレブに会うこと……、いずれも「通常、社会・経済的権力から排除されている女性が自力では手に入れられないもの」ばかりだ。

「ガールズ」は大きなエロティック・キャピタルを持ってはいるものの、モデルとしては底辺で(一流モデルはこんなことはしない)、だからこそ、ほかの女性がアクセスできない世界に自分だけは入れてもらえるという優越感を求めるのだろう。

プロモーターの夢と現実

プロモーターになるのはどのような男だろうか。ミアーズによると、黒人やヒスパニックのプロモーターも一定数いるし、貧しい家庭で育った移民からヨーロッパの上流階級出身者まで経歴もさまざまだ。共通するのは、ハイヒールをはいた「ガールズ」よりも背が高く、引き締まった身体をしたハンサムで、「白人の女にモテる」ことだ。女友だちを連れてクラブで遊んでいたら、オーナーから、「キックバックを払うからプロモーターにならないか」と誘われたというのがこの世界に入る典型的なケースだ。

とはいえ、プロモーターの仕事はけっして楽ではない。「ガールズ」とは雇用関係にあるわけではなく、たんなる「友だち」なのだから、拘束することはできない。クラブへの誘いに乗るかどうかは彼女の自由だし、途中で帰ってしまっても、あるいはレストランの食事だけでクラブに行くことを断られても罰則を科せない(次から呼ばなくなるだけだ)。

それにもかかわらずクラブからは、クライアントが満足する「高品質」の「ガールズ」を確実に連れてくるよう求められる。そのためプロモーターは、100~200人の女の子のアドレスを管理し、メールやSNS、電話でパーティやイベントに誘っている。

さらに問題なのは、「ガールズ」がすぐに「劣化」してしまうことだ。クラブやクライアントを満足させるには、つねに新しい「ガール」を補充しなければならない。ニューヨークではソーホーにモデルエージェントが集まっていて、そこでは毎日のようにプロモーターが新人モデルをナンパしようとしている。

こうしたナンパがある程度成功するのは、モデルの多くが高校を卒業して地方からニューヨークに出てきたり、北欧や東ヨーロッパ、ロシア、ブラジルなどから「夢を求めて」アメリカにやってきているからだ。彼女たちはお金もコネも友人もなく、場合によっては住むところすらない。プロモーターと知りあえば、共同アパートを無料で提供され、高級レストランでおごってもらい、ほかのモデル(ガールズ)と友だちになれる。なによりも、田舎や貧しい国では想像もできなかったようなスーパーリッチの世界を体験できるのだ。そう考えれば、これはけっして悪い取引ではない。

プロモーターはその日の参加者が決まると、午後10時くらいに車で迎えに行き、レストランで食事をする(いわゆる”同伴”だ)。その後、午前零時頃にクラブに到着すると、所定のテーブルに行って午前3時頃までクライアントを楽しませる。プロモーターはたんに女の子たちを管理するだけでなく、一緒に踊って場を盛り上げなくてはならない。

シャンパングラス片手に、ときにはシャンパンのボトルを持って「ガールズ」が踊るのは、ボトルを空にすれば追加の注文をせざるを得なくなり、その分、プロモーターの取り分が増えるからだ(飲む振りをして、グラスの中身をバケットに空けたりする)。彼女たちにとっても、どうせ他人のカネで遊ぶのなら、プロモーターが儲けた方がいいのだ。

クライアントが自宅などで二次会をすることもあり、その場合はパーティが終わるのが午前5時(あるいは午前7時)頃になる。プロモーターはこれを週4日、「ガールズ」をリゾートに連れて行ったときは毎日続けなくてはならない。体力はもちろん、クラブカルチャーや女の子、刺激的なことがほんとうに好きでないとできない仕事だ。

貧しい家庭に育った若者がニューヨークの有名クラブのプロモーターになれば、美女たちに囲まれた年収数千万円の暮らしができる。こんな成功を手にしたらほかに望むものなどないと思うだろうが、じつは彼らはみな「成功」を渇望している。なぜなら、プロモーターが「友人」としてつき合うクライアントは、資産数百億、数千億円というスーパーリッチばかりだからだ。

クライアントは自分のパーティに「ガールズ」を呼ぶようプロモーターに依頼するが、「女をカネで買った」のではなく、あくまでも「友人たちを招待した」ことになっている。クライアントとプロモーターは建前の上では対等で、プロモーターは「友人」であるクライアントと大きなビジネスをして、自分もスーパーリッチに成り上がることを夢見るようになる。プロモーターの年齢の上限は30代半ばとされており、それまでに大きな「成功」を手にしなければならないのだ。

ミアーズはプロモーターからさまざまなビジネスの計画を聞かされたが、そのうちひとつとして実現したものはなかった。クライアントにとってプロモーターは、「女の形をした家具」の調達係にすぎないのだから、彼らとビジネスする理由などどこにもないのだ。

ミアーズは「夢の世界」で奮闘するプロモーターたちの生態を活き活きと描いており、本書にはこれ以外にも興味深い話がたくさん出てくる。「人間の性(さが)」を知りたいひとには格好の読書体験になるだろう。

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