「バカと無知の壁」を乗り越えて(『バカと無知』あとがき)

新潮新書『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』のあとがき「「バカと無知の壁」を乗り越えて」を、出版社の許可を得て掲載します。本日発売です。書店さんで見かけたら手に取ってみてください。

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SNSには陰謀論が渦巻いている。そのなかには、世界は「闇の政府(ディープステイト)」に支配されているとか、新型コロナのワクチンを接種するとマイクロチップを埋め込まれるというような荒唐無稽なものもある。

ひとびとが誤解しているのは、これをなにか異常な事態だと思っていることだ。そうではなくて、ヒトの本性(脳の設計)を考えれば、世界を陰謀論(進化的合理性)で解釈するのが当たり前で、それにもかかわらず理性や科学(論理的合理性)によって社会が運営されている方が驚くべきことなのだ。

なぜ脳が陰謀論的に考えるかというと、現実が陰謀で満ち溢れているからだ。数十万年前に人類の祖先が高い知能をもつようになってから、誰もが濃密な共同体のなかで、他者に対して陰謀を仕掛けると同時に、他者の陰謀に脅かされてきた。人間にとっての最大の脅威は、むかしもいまも、天変地異や捕食動物ではなく、自分と同じように高い知能をもつ生き物に囲まれていることなのだ。

ヒトは徹底的に社会化された動物なので、共同体を離れて一人で生きていくことはできない。このようにして、弱者に共感して支援する、仲間のために自分を犠牲にする、あるいは共同体の誇りをかけて戦うというような向社会性を進化させてきた。

だがその一方で、共同体のたんなる使い捨ての部品では、性愛競争に勝ち残ってパートナーを得、子孫(利己的な遺伝子)を後世に残すことができない。生存のためには他者と協働しなければならないが、生殖のためには他者を押しのけなければならない。これが、数十万年前から人類が直面してきた究極の矛盾(トレードオフ)だ。

その結果わたしたちは、徒党を組んで敵と対抗する一方で、表向きは協力するふりをしながら裏では足を引っ張って、仲間を陥れて自分のステイタスを上げるという複雑な戦略を駆使するようになった。ヒトの脳は哺乳類のなかでも異常に発達しているが、これは相手をだまそうとしつつ、相手にだまされまいとする「進化の軍拡競争」の結果だと考えられている(社会脳仮説)。

誰に陰謀を仕掛けられるかわからない社会では、脳は陰謀に適応するように進化したにちがいない。このようにしてヒトは、あらゆることを陰謀論で解釈するようになった。現代社会が「異常」だとしたら、それはSNSなどのテクノロジーによって、陰謀論が瞬く間に増幅されて世界中に拡散するようになったことだろう。

陰謀論的な世界では、ひとびとはみな陰謀に脅えており、だからこそ陰謀はもっとも不道徳な行為になるはずだ。狩猟採集社会では、他者に陰謀を企んでいることが暴露されると、それは黒魔術と見なされ、ただちに社会的な死(ときには現実の死)を招いた。

だとすれば、陰謀論を唱えるひとは、それが万人のための道徳的に正しい行為であることをなんとしてでも示さなくてはならない。「反ワクチン」派が典型だが、批判されればされるほど〝正義〟を振りかざすようになるのはこれが理由だろう。

進化心理学では、知能の目的は自己正当化だとされる。わたしたちは(無意識のうちに)自分の主張=物語を一貫させようとしている。こうして賢いひとほど陰謀論にはまると取り返しがつかなくなるのだが、これはたんなる知識の欠如ではない。道徳的に誤っていることは、共同体のなかでのステイタスを大きく傷つけ、自分の物語(アイデンティティ)を崩壊させるのだ。

ひとはステイタス=自尊心を守るためなら死に物狂いになるから、いくらでも自分を正当化する理屈を思いつく。これが「見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く」ことで、ジュリアス・シーザーの時代から人間のこうした本性は知られていた。

いったん「世界はこうあるべきだ」という強い信念をもつと、それに合わせて現実が歪曲していく。これは一部の陰謀論者だけでなく、SNSを見ていれば、右や左の〝識者〟にもよくある特徴だとわかるだろう。共通するのは、自分(たち)を善として、なんらかの悪を告発する善悪二元論だ。

自分が「絶対的な善」ならば、自分を批判する者は「絶対的な悪」以外にない。このようにして、SNSで徒党を組み、敵対する集団に罵詈雑言を浴びせる無間地獄に陥っていく。――これは「アイデンティティ政治」と呼ばれる。

当然のことながら、ふつうのひとたちはこんなことにはかかわろうとしない。人生に投入できる資源は有限で、その大半は仕事や家族・恋人との関係に使われるからだ。ネットニュースに頻繁にコメントするのは昼間からワイドショーを見ているひとたちだが、それは平均とはかなり異質な母集団だ。

まともなひとは、なんの「生産性」もないSNSの論争(罵詈雑言の応酬)から真っ先に退場していくだろう。このようにして、まともでないひとたちだけが残っていく。そう考えれば、いま起きていることがうまく説明できるだろう。解決にはならないだろうが。

人間というのはものすごくやっかいな存在だが、それでも希望がないわけではない。一人でも多くのひとが、本書で述べたような「人間の本性=バカと無知の壁」に気づき、自らの言動に多少の注意を払うようになれば、もうすこし生きやすい社会になるのではないだろうか。自戒の念をこめて記しておきたい。

本書は2021年8月から22年6月にかけて『週刊新潮』に連載した「人間、この不都合な生きもの」に若干の加筆・修正のうえ、付論2編を加えた。

2022年9月 橘 玲

孤独な男がジョーカーに変貌するとき(『バカと無知』まえがき)

新潮新書『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』のまえがき「孤独な男がジョーカーに変貌するとき」を、出版社の許可を得て掲載します。発売日は明日ですが、大手書店さんなどにはすでに並んでいると思います。見かけたら手に取ってみてください。

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安倍元首相を選挙演説中に銃撃し、死亡させた41歳の男は、母親が統一教会(現、世界平和統一家庭連合)にはまり、多額の献金で家庭が崩壊したことを恨んでいたとされる。教団が主催した集会に元首相が寄せたビデオメッセージを見たことで、「日本で(この宗教を)広めたと思っていた」「絶対に殺さなければいけないと確信した」などと供述しているという。

事件の解明は今後の捜査・裁判を待たなければならないとして、ひとつだけ確実なことがある。それは男に、自分が「被害者/善」であり、統一教会と、それを象徴する(と思っていた)元首相が「加害者/悪」だという絶対的な確信があったことだ。そうでなければ、迷いなく背後から銃弾を浴びせるようなことができるわけがない。

脳のデフォルトモード・ネットワーク(DMN)は、2001年に神経学者マーカス・レイクルによって偶然に発見された。脳の活動を計測するfMRI検査では、装置のなかに横たわった被験者の「安静時」の神経活動を標準データとして記録するが、なにかに注意を向けているわけでもなく、特定の精神的タスクがない、つまり脳の「デフォルトモード」のときに活発化する部位があることにレイクルは気づいた。それは、「ぼーっとしている」ときの脳の活動だ。

デフォルトモード・ネットワークに対応するのが、外界から注意喚起されるたびに活性化するアテンショナル(注意)・ネットワークだ。この2つのネットワークはシーソーのような関係にあり、一方が活性化しているときは他方が沈黙する。

DMNの状態(ぼーっとしている)では、わたしたちはなかば無意識に、「デートに誘ったら応じてもらえるだろうか」「仕事が遅れていることを上司に報告すべきだろうか」などと、さまざまなシミュレーション(もしXならYになる/Yをする)をしている。近年の脳科学は、脳が予測と修正を繰り返す高機能のシミュレーション・マシンであることを明らかにしつつある。

このシミュレーションは、過去や未来へも延長される。「もしあのときあんなことをしなかったら、こんなことにはならなかったのに」という過去のシミュレーションは「後悔」と呼ばれ、それが「反省」や「学習」の土台になる。「もしこんなことが起きたらどうなるだろうか」という未来のシミュレーションは、「希望」あるいは「絶望」だ。

そしてここが重要なのだが、「過去」「現在」「未来」のシミュレーションをばらばらに行なっているだけでは、ほとんど役に立たない。反省や学習のためにも、希望をもつためにも、過去から未来へと一貫する「主体(わたし)」が必要なのだ。このようにして、より効率的なシミュレーションのために「自己=意識」が進化した。

脳は「わたし(過去から未来へと一貫するシミュレーション)」を物語として構成する。これは「自伝的記憶」と呼ばれるが、そこではわたしたちはみな、物語の主人公(ヒーロー/ヒロイン)だ。

誰もが「わたし」という物語を生きている。だがここにはいくつかの制約があり、どんな物語でも好き勝手に創造できるわけではない。

一つは「物理的な制約」で、アニメや映画(あるいはVR)ならともかく、現実世界では空を飛ぶことはできない。

二つめは「資源の制約」で、「お金がなくて欲しいものが買えない」というのがもっともわかりやすいが、近年では「(一日は24時間しかないという)時間の制約」が強く意識されるようになってきた。最近の若者はコスパ(コスト・パフォーマンス)ならぬタイパ(タイム・パフォーマンス)を重視し、映画を2倍速で観るようだが、これは投入できる時間資源に対して処理すべきコンテンツが多すぎるからだろう。

だがもっとも大きな影響力をもつのは「社会的な制約」だ。あなたはつねに自分の人生の主役だが、そこには他の出演者や観客がいる。そしてこのひとたちもまた、自分の人生の物語のなかでは唯一無二の主役なのだ。

ヒトは徹底的に社会的な動物で、家族や会社、地域社会などの共同体に埋め込まれているから、わたしたちはこの社会的な制約のなかで、なんとかして「自分らしく」生きられる物語をつくっていくしかない。だがこうした制約がなくなってしまえば、物語は大きく歪んでいくだろう。

元首相への銃撃事件のあと、すべてのメディアが容疑者の過去を追ったが、高校を卒業して自衛隊に入隊した以外のことはほとんどわかっていない。海上自衛隊を退職したあとは、ファイナンシャルプランナーや宅地建物取引士などの資格を取り、複数の会社で派遣社員やアルバイトとして働いていたとされるが、その間のことを証言する友人などがまったくいないのだ。

男が最後に働いていたのは京都府内の倉庫だが、同僚と会話することもなく、昼食は車のなかで一人で弁当を食べていたという。母親が入信した統一教会は、強引な勧誘や霊感商法、多額の献金の強要が1970年代から社会問題になっており、脱会者や信者の家族を支援する団体も複数あるが、そうした活動に参加した形跡もない。男はたった一人で、家賃3万5000円の1Kのアパートで「復讐」のための銃や爆発物をつくっていたのだ。

2008年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした犯人も孤独な派遣社員だったが、それでも親身に相談に乗ってくれる故郷の友人や年上の女性がいた。元首相を銃撃した男には、いまのところ、誰かとかかわった記録がまったくない。その人生をひと言でいえば、「絶対的な孤独」ではないだろうか。

2019年の映画『ジョーカー』では、「自分はまるで存在していないかのようだ」と繰り返し訴える孤独な青年アーサーが、狂気と妄想にとらわれてジョーカーへと変貌していく様子が描かれる。

男は公開直後にこの映画を観て、〈ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない。〉と自分のツイッターにコメントしている。それ以外の投稿を見ても、自らの境遇をジョーカー(アーサー)と重ね合わせていたことは明らかだ。

この映画についての非公開のユーザーとの会話では、〈ええ、親に騙され、学歴と全財産を失い、恋人に捨てられ、彷徨い続け幾星霜、それでも親を殺せば喜ぶ奴らがいるから殺せない、それがオレですよ。〉と自分のことを語っている。これが男の「真摯な絶望」だという見方は、さほど間違ってはいないだろう。

自衛隊を退職したあと、頑張って資格を取ったにもかかわらず、仕事もうまくいかず、恋人にも捨てられた。40歳を前にして、社会からも性愛からも排除されてしまった。この現実を突きつけられることは、高い知能と能力をもつ男には耐えられない挫折だったのではないか。

〝絶対的な孤独〟のなかで、なぜ「まるで存在しないかのよう」になったのかを考えていくうちに、人生をさかのぼって教団が悪魔化されていった。自分が純粋な被害者(善)だという物語をつくろうとしたとき、教団とかかわりがあった(とされる)この国でもっとも有名な政治家が、絶対的な「悪」として立ち上がってきたのではないだろうか。

そしていったんこの物語に支配されてしまうと、そこから抜け出すことは不可能だったのだろう。なぜなら、その物語こそが彼のすべてだったのだから。

本書は、このような「やっかい」な存在であるわたしたちの話だ。

『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』発売のお知らせ

新潮新書より『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』が発売されます。発売日は10月15日(土)ですが、大手書店には、早ければ明日にでも並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売です)。

今回のテーマは、「世の中はなぜこんなにぎすぎすするのか」です。

この謎を解くために、本書では、「“バカ”が混じると民主的な議論は破壊的なものになる」「記憶は思い出すたびに書き換えらえていて、目撃者や被害者の証言は必ずしも信用できない」などの不都合な研究を紹介しつつ、人間という「哀しい生きもの」について考えています。

コロナ禍の下で開催された東京五輪から、安倍元首相の銃撃事件に端を発した「政治と宗教」の問題まで、世の中はますます、ぎすぎす感が増しているようです。海外も同様で、ウクライナ侵攻やそれが引き起こしたインフレ、人種問題や移民問題で抗議行動や暴動が各地で起きています。

それぞれの出来事には、当然、固有の背景があるのでしょうが、さらに突きつめて考えていくと、そこには人間の「不都合な本性」が見えてきます。

わたしたちはみな、すこしでもゆたかになりたい、幸福になりたいと願っています。しかしそのためには、社会的な地位(ステイタス)を上げなくてはなりません。

ステイタスは相対的なものなので、誰かの地位が上がれば、別の誰かの地位が下がります。そしてヒトは、長い歴史のなかで、ステイタスが上がることを報酬、下がることを罰を感じるように進化してきました。

150人ほどの小さな共同体のなかで行なってきたこのシンプルなゲームが、スマホとSNSの登場によって、いきなりグローバルなレベルに拡大しました。ヒトの脳は、このような異常な環境にすぐに適応することができません。

ネットを賑わすさまざまな奇妙な出来事の背景には、おそらくはこの「進化的ミスマッチ」があるのでしょう。

*2021年8月から翌22年6月まで、「世の中はなぜこんなにぎすぎすするのか?」をテーマに『週刊新潮』で連載した「人間、この不都合な生きもの」に加筆・修正のうえ、付論2編を加えました。

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『バカと無知』【目次】

まえがき 孤独な男がジョーカーに変貌するとき

PARTⅠ 正義は最大の娯楽である
1なんでみんなこんなに怒っているのか
2自分より優れた者は「損失」、劣った者は「報酬」
3なぜ世界は公正でなければならないのか
4キャンセルカルチャーという快感

PARTⅡ バカと無知
5バカは自分がバカであることに気づいていない
6「知らないことを知らない」という二重の呪い
7民主的な社会がうまくいかない不穏な理由
8バカに引きずられるのを避けるのは?
9バカと利口が熟議するという悲劇
10過剰敬語「よろしかったでしょうか?」の秘密
11日本人の3人に1人は日本語が読めない
12投票率は低ければ低いほどいい
13バカでも賢くなれるエンハンスメント2.0の到来

PARTⅢ やっかいな自尊心
14皇族は「上級国民」
15「子どもは純真」はほんとうか?
16いつも相手より有利でいたい
17非モテ男と高学歴女が対立する理由
18ほめて伸ばそうとすると落第する
19美男・美女は幸福じゃない
20自尊心が打ち砕かれたとき
21日本人の潜在的自尊心は高かった
22自尊心は「勘違い力」
23善意の名を借りたマウンティング
24進化論的なフェミニズム

PARTⅣ 「差別と偏見」の迷宮
25無意識の差別を計測する
26誰もが偏見をもっている
27差別はなぜあるか?
28「偏見」のなかには正しいものもある?
29「ピグマリオン効果」は存在しない?
30強く願うと夢はかなわなくなる
31ベンツに乗ると一時停止しなくなるのはなぜ?
32「信頼」の裏に刻印された「服従」の文字
33道徳の「貯金」ができると差別的になる
34「偏見をもつな」という教育が偏見を強める
35共同体のあたたかさは排除から生まれる
36愛は世界を救わない

PARTⅤ すべての記憶は「偽物」である
37トラウマ治療が生み出した冤罪の山
38アメリカが妄想にとりつかれる理由
39トラウマとPTSDのやっかいな関係
40「トラウマから解放された私」とは?
付論1 PTSDをめぐる短い歴史
付論2 トラウマは原因なのか、それとも結果なのか?

あとがき 「バカと無知の壁」を乗り越えて