【アクセス4位】先進国で「男子劣化」が起きている理由

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス4位は2017年9月22日公開の「ポルノ大国の先進国で「男子劣化」が深刻な問題になっている」理由です(一部改変)。

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フィリップ・ジンバルドー、ニキータ・クーロンの『男子劣化社会』(高月園子訳、晶文社)の原題は、イギリス版が『つながらない男:テクノロジーはどのように“男であること”を妨げるのか?(Man Disconnected: How technology has sabotaged what it means to be male)』、アメリカ版が『男はさえぎられている:なぜ若い男たちはもがいているのか? それに対して私たちはなにができるのか?(Man, Interrupted: Why Young Men are Struggling & What We Can Do About It)』だが、『男子劣化社会』は本書のテーマを簡潔に現わすよい邦題になっている。著者たちは、若い男性が現代社会の環境の急速な変化に適応できず、機能不全に陥っていると警告しているのだから。

著者の一人フィリップ・ジンバルドーはスタンフォード大学心理学名誉教授で、大学生を疑似監獄の看守にした「スタンフォード監獄実験」で知られている(近年では再現性問題で批判されてもいる)。本書ではそのジンバルドーが、現代アメリカの社会の「男子劣化」の現状を憂いている。

男子生徒が教育から脱落しつつある

アメリカではいま、感情面で大人になっていない男性や自立できない男性が増えていて、「マン・チャイルド」や「ムードル(マン+プードル)」といった新語も登場したという。

彼らの特徴は、「成人後も子どもから脱しきれず、女性と同等の人間、友達、パートナー、恋人、ひいては大切な妻としてさえ関わることが困難になっている」ことで、「調査を通して私たちは、今の若い男性の多くが長期的に恋愛を維持することはもとより、結婚にも、父親になることにも、自分の家族を作ることにも興味がないことを発見した」とジンバルドーは述べる。

すぐに気づくようにこれは、日本の「草食化」とよく似た現象だ。実際、この言葉は「herbivore men(草食動物の男)」や「grass-eater men(草を食べる男)」という英語になっている。

その原因をジンバルドーは、テクノロジー(インターネット、ゲーム、オンラインポルノ)とドラッグ(違法薬物と向精神薬)に求めているのだが、それ以前に、アメリカでは(というか世界的に)男子が教育から脱落しつつある。

ジンバルドーによれば、いまやアメリカ史上はじめて、少年たちの受ける教育が父親たちより短くなっている。そればかりか、女子生徒が活躍する一方で、男子生徒はますます学校から脱落しつつある。

アメリカにおいては、女子は小学校から大学まで、すべての学年で男子より成績がよい。13歳と14歳(中学生)で作文や読解が熟達レベルに達している男子は4分の1にも満たないが、女子は41%が作文で、34%が読解で達している。2011年には男子生徒のSAT(大学進学適性試験)の成績は過去40年で最低だった。また、学校が渡す成績表の最低点の70%を男子生徒が占めていた。

若者を対象にした長期的な調査(1997年に開始し2012年に終了)によると、女性の3人に1人が27歳までに学士号を取得しているのに対し、男性では4人に1人しかいない。2021年までには、アメリカでは学士号の58%、修士号の62%、博士号の54%が女性により取得されると予測されている。

だが、これはアメリカだけの現象ではない。

OECDの調査によると、先進国のすべてで男子は女子より成績が悪く、落第する生徒も多く、卒論試験の合格率も低い。スウェーデン、イタリア、ニュージーランド、ポーランドといった国々では、PISAテスト(15歳を対象とした国際学習度到達調査)の読解力部門で女子が男子をはるかに上回り、1学年から1学年半も先を行っているという結果が出た――これでは同い年の男女を同じクラスで教えるのは困難だろう。

カナダとオーストラリアでは、すでに大卒者の60%が女性だ。イングランドでは大学の入学申込者は女子4人に対し男子は3人以下、ウェールズとスコットランドでは、女子の申し込みが男子より40%も上回り、恵まれない家庭ではこのギャップがよりいっそう大きくなっている。

高校中退者の社会コストは1人2500万円

アメリカでは、男子はADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断を受ける率が女子の2倍から3倍も高く、小学生のときからリタリンのような向精神薬を処方されている(リタリンの分子構造はアンフェタミン(覚醒剤)と酷似している)。

特別支援学級では生徒の3分の2が男子だが、これはIQの問題ではなく、男子がうまく勉強に向き合えないからだ。こうした男女間のギャップはマイノリティではさらに大きくなり、黒人の学生に授与された学士号のうち、男子は34%しか占めていない。同様に、ヒスパニック系でも男子は39%だ。

その結果、2000年から2010年の間に、アメリカ人の10代で働いている者の割合は42%減少し、20歳から24歳では17%減少した。イギリスでは、15歳から24歳の失業率は21%だが、これはOECD加盟国の平均より5%ちかく高い。OECDの記録によれば、20代後半から30代前半の男性失業率の世界平均は1970年には2%だったが、2012年には9%と急上昇している。

リーマンショック後の景気後退のため、アメリカでは男性の失業率が2008年1月から09年6月の間に倍になった。女性被雇用者が圧倒的に多いヘルスケア産業は比較的影響を免れたが、被雇用者のほとんどが男性の製造業や建設業などでは650万人の職が消失したのだ。介護と訪問看護は今後もっとも急成長が望まれる分野だが、こういった職の大部分を女性が占めると予測されている。

男児が教育から脱落していくのは、女児とは発達の仕方が異なるからだ。誰もが経験的に知っているように、幼い頃は女児のほうが成長が早く、言葉も先に覚える。

アメリカの幼稚園は女児に合わせて学習プログラムが組まれているため、集中して本を読むことが苦手な男児は落ちこぼれてしまう。脳がまだ準備のできていない状態で何かを学ぶように強制されると無意識のうちに勉強が嫌いになり、早い段階で学ぶことに抵抗と怒りを覚え、たいていは学校嫌いになる。ミシガン大学の調査によると、1980年以降、学校を嫌いだという男児の数は71%も増加している。

ジンバルドーは、全米ネット公共放送網(PBS)の論説「学校の何が悪いのか?」が、男児の苦境をうまく要約しているという。日本の現状にも参考になると思うので、紹介しておこう。

  1. 学校教育が始まる年齢では、一般的に男児は女児に比べ身体的にはより活発だが、社会性や言語の面では未熟だ。男児は女児よりアクティブなので、長時間じっと座っていることが苦手だ(アメリカの小学校では、子どもたちが体を動かせる時間はほとんど消えてしまった)。
  2. 今の子どもたちは幼稚園から読むことを習うが、まだ女児ほど言葉が巧み出ない男児は、成長発達学的にも、女児に比べ読む訓練を受けていない。
  3. 平均して女児はもともと男児に比べ言語に強い。ところが小学校の授業の5分の4が言語をベースにしている。したがって、男児は読み書きが下手だと感じ、その自覚した欠陥は、彼らのネガティブな自己認識の一部になる。
  4. 男児は体験型の学習を好むが、学校は実際にはモノを扱う機会を十分に提供していない。さらに学校の教材としては、男児の好きな漫画やSF(サイエンス・フィクション)などより、女児の好きな日記や一人称の物語の方が好まれる。
  5. 男子教師は9人に1人未満(イギリスでは5人に1人未満)。小学校教諭に限るとほぼ全員が女性なので、学習を男らしい作業だと教えてくれるポジティブな男性のロールモデルはほとんどいない。高校ではこの状況はさらにひどくなる。

このようにしてアメリカでは、膨大な数の男子生徒が高校をドロップアウトしていくのだという。

25歳以上の中退者の健康状態を調べると、収入に関係なく、卒業した生徒より不健康なことがわかっている。さらに中退者は罪を犯す率が高く、全国の死刑囚のなかに不均衡なほど大きな割合を占めている。

高校の平均的中退者は、納めるべき税金の少なさ、高い犯罪率、社会保障への高い依存度その他を含めると、卒業した者に比べ、生涯で国の経済に一人あたり約24万ドル(約2500万円)もの負担増になるとの試算もある。

生身のセックスとオンラインポルノが区別できなくなる

ジンバルドーは、男子が「劣化」していく理由として、ゲーム、肥満、オンラインポルノ、薬物療法・違法ドラッグを挙げている。日本の学校では違法ドラッグや肥満は(アメリカほど)大きな問題になっておらず、ゲームやスマホ依存症についてはすでにさんざん議論されているから、ここではアメリカにおける「オンラインポルノ」問題の深刻さを見てみよう。

アジアでは日本が圧倒的なAV(アダルトビデオ)大国だが、アメリカはその比ではない。

インターネットが登場した6年後の1997年に、アメリカにはすでに約900のポルノサイトが存在していた。2005年にハリウッドが制作した映画は600本程度だったのに、長編ポルノ映画は約1万3500本もリリースされている。今日、数万社にのぼる会社や配信元が、とても正確には把握できないほど膨大な数のポルノを直接オンラインで提供している。

2013年だけをとっても、PornHubは150億ちかくの視聴数を獲得し、年間を通して毎時間平均168万人が同サイトを閲覧した。ポルノのウェブページの最大の供給国はアメリカで、全世界の89%に相当する2億4460万ページを制作しているという。

イギリスでは2013年に、PornHubが6歳から14歳の子どもの閲覧ランキングで第35位に入った。平均的な少年は週に2時間近くポルノを視聴し、少年の3人に1人が、ポルノを何時間見ているかが自分でもわからないほどのヘビーユーザーだとされる。その結果、ポルノのせいで何かを先延ばしにする「プロクラスターベーションProcrastabation(Procrastinateぐずぐず先延ばしにする+Masturbationマスターベーション)」なる造語まで生まれたという。

アメリカやイギリスでは、若い男性の多くが「ポルノサイトの過度な視聴」を早くも14歳で開始し、20代の半ばには「最も暴力的なセックスシーン」にさえ慣れきっていたと答えている。

少年期から膨大なポルノにさらされつづけたことで、「セックス拒食症」とでも呼ぶべき症例が社会問題になってきた。ほんもののセックスと“ポルノの再演”の違いがわからなくなり、「セックス拒食症」の若者はガールフレンドをモノ扱いしはじめる。

彼らは自分の身体が他者の身体とつながっているという感覚から切り離されているので、セックスのときには逆に、相手が人間のパートナーだという空想を巡らさなくてはならなくなる。

イースト・ロンドン大学が行ったオンライン調査では、16歳から20歳の男子の5人に1人が「実際のセックスでも刺激剤としてポルノの世話になっている」と認めた。ポルノのせいで健康的な性的関係についての考えが歪められ、実際に女性を相手にしているときもポルノの「スクリプト」が頭の奥で再生されるのだという。

オンラインポルノを見ただけでポルノ依存症になる

軟体動物を使った古典的な反応実験では、最初は軽くタッチされただけでも反射的に収縮していたウミウシは、危害を加えられることなく繰り返しタッチされていると、あっという間に慣れて収縮する本能を失う。

生物学者エリック・カンデルはウミウシの神経システムを観察した結果、この学習効果が、シグナルを送る運動ニューロン間のシナプス結合の弱化を反映していることを発見した。実験のはじめにはウミウシの知覚ニューロンの90%が運動ニューロンと結合していたが、40回タッチされたあとでは、わずか10%しか結合していなかったのだ(カンデルはこの一連の研究によってノーベル賞を受賞した)。

もちろんこれだけでは、ポルノを過剰に視聴することが現実のセックスに影響を与える理由だとはいえない。セックスは身体的な体験だが、オンラインポルノは「ただ見るだけ」なのだ。

そこでハーヴァード大学メディカル・スクールの神経学研究者アルヴァロ・パスキュアル-レオーネは、実体験と想像のちがいを調べるために次のような実験を行なった。

ピアノをいちども弾いたことがない被験者に簡単な一節のメロディを教えてから、彼らをふたつのグループに分ける。

第一のグループはつづく5日間、毎日2時間、キーボードでそのメロディを練習した。それに対して第二のグループは、同じ時間をキーボードの前に座り、キーには触れずにただメロディを弾いていると想像するよう指示された。

そのうえで実験中の参加者たちの脳活動を調べると、驚くべきことに、両グループの脳はまったく同じ変化を示していた。身体的な体験をともなわなくても、ただ考えただけで脳は変化するのだ。

ジンバルドーは、インターネット、ギャンブル、オンラインポルノの3つの依存症について脳科学的な研究は90以上あり、これらの依存症のすべてにおいて、脳内に薬物依存症と同様の変化が起きているという。

脳内で性的興奮が起きる部位は、依存が起きる部位(報酬回路)と同じだ。ドーパミンは報酬回路を起動する主要な神経伝達物質なので、性的に興奮すればするほど、その分泌はより高まり、ドーパミンの量が不足すれば勃起は起きない。

こうしたメカニズムによって、「ポルノ依存症」は次のように進行していく。

  1. 静止画面やすでに見たポルノでは性的興奮は起きなくなる。単に興奮を得るためにも、より過激なポルノへとエスカレートしていく――依存症の兆し。
  2. ペニスの感覚が鈍くなる――脳が快感に対して麻痺しつつある証拠。
  3. 現実の相手とのセックスで射精までに時間がかかる。もしくは射精に到達できない。
  4. 性交不能――現実の相手とのセックスでは勃起を維持できない。
  5. 勃起不能――たとえ過激なポルノを見てもまったく勃起しない。
  6. 勃起不全治療薬も効力を失う。バイアグラもシアリスも勃起を維持する血管を拡張するだけで、脳に性的刺激を引き起こすことはできない。興奮しなければ何も起きない。

愛しているのにセックスできない

ベルリンのマックス・プランク人間発達研究所で行なわれたオンラインポルノ視聴者の脳に関する研究では、長年にわたる長時間のポルノ視聴は、脳の報酬感受性に関係した領域における灰白質の減少と関連性があることが発見された。

灰白質が減少すれば、ドーパミンの量もドーパミン受容体の数も減る。「ポルノの習慣的な使用は多かれ少なかれ報酬回路をすり減らす」のだ。

ポルノユーザーたちがより過激なポルノに依存するようになるのは、性的興奮を覚えて勃起するのにますます大きな刺激が必要になるからだ。

しかし、現実にこのようなことが起こるのだろうか。ジンバルドーは、20代前半の女性から聞いた話を紹介している。

彼女はある男性と7カ月ほどつき合ったあとに、いっしょに暮らすようになったが、彼には勃起障害があった。たまに勃起することがあっても、いざ挿入する段になると萎えてしまうのだ。

彼はハグや抱き締めることは楽しんでいたので、セックス以外はとてもうまくいっていました。私たちは何についてもざっくばらんに話していました。彼はPCに大量のポルノを収集していました。それ自体はさほど気にならなかったのですが、それらが彼のセックスに対する考え方にかなり悪影響を与えていると感じていました。彼は自分の性的能力に対してあまりに大きな不安を抱いていて、そのせいでどうしても行為に没頭することができなかったのです。

恋人と同棲し、お互いの関係もうまくいっているのに、彼はなぜセックスができないのだろうか。彼女はこう説明する。

彼は中高時代を男子ばかりの寄宿舎で過ごしたのですが、そこで少年たちは大量のポルノを見たそうです。彼らの誰一人、まだ実際には体験していなかったそうです。それこそ彼がのちに勃起障害と性行為に対する不安症に苦しむことになった原因ではないかと思います。(略)
彼は私を欲情の対象として見るのは難しいと言いました。つまり、愛する女性が同時にセックスの相手であることに折り合いをつけられないのだと。彼にとってセックスとは、自分にとってどうでもいい誰か――生身の人間ではなく、欲情させるモノ――とするものなのです。彼との生活の終わりころには、私たちはまるでルームメイトのような暮らしをしていました。

VR(ヴァーチャル・リアリティ)のテクノロジーが大衆化すれば、セックスはますますリアルな体験から離脱していくだろう。その先には、いったいどのような世界が待っているのだろうか。

参考:オンラインポルノで「セックス拒食症」になるのか?

禁・無断転載

ハラスメントを訴えることがハラスメントとされる時代 週刊プレイボーイ連載(539)

近年、職場などでハラスメントの新しい事例が増えているといいます。パワハラ、モラハラ、カスハラくらいまではわかりますが、「テレハラ/リモハラ」はテレワークやリモートワークでプライベートなことを質問したり、業務時間外の対応を要求したりすることです。「エンハラ」は「エンジョイハラスメント」の略で、「楽しいだろ」などと無理に共感を求めることだそうです。

なかでも戸惑うのは「ロジハラ」で、「正論を突きつけて相手を追い詰めること」だとされますが、部下を指導したり、外部の業者に仕事を発注するときには、ロジカルでなければ混乱するだけでしょう。そうなると相手の受け取り方次第になり、あるときは効果的なアドバイスも、同じことを別の相手にしたら「ロジハラ」として問題にされた、ということが起こり得ます。

これでは、管理職は部下にどう話しかけたらいいか困惑するでしょう。現場では実際にこうしたトラブルが起きていて、「ハラハラ」と呼ばれます。「あなたの言動はハラスメントだ」と上司などを攻撃するハラスメントです。

ある研究で、会社での96組の同僚同士のやりとりをスナップ写真に撮ったあと、それらを切り取って白地に貼りつけたところ、被験者はまったく状況(文脈)がわからないにもかかわらず(2人が向かい合ってなにか話しているスナップだけで)、どちらのステイタスが高いかを正確に推測しました。見知らぬ集団に入ったとき、わたしたちが声やボディランゲージから支配側と服従側を瞬時に(43ミリ秒のうちに)見分けることもわかっています。

徹底的に社会的な動物であるヒトは、共同体のなかのヒエラルキーにきわめて敏感になるように進化してきました。わたしたちの脳は、自分のステイタスが上がる(ライバルのステイタスが下がる)ときに報酬系が活性化して大きな快感を得る一方で、自分のステイタスが下がる(ライバルのステイタスが上がる)ときに、殴られたり蹴られたりするのと同じ痛みを感じるように「設計」されています。

人類はその歴史の大半を150人程度の濃密な共同体で暮らしてきましたが、そこで生き延びて子どもを産み育てるためには、相手のステイタスを瞬時に判断して、地位の高い者にこびへつらうと同時に、相手を蹴落として自分がその地位に取って代わるという複雑なゲームに習熟しなくてはなりませんでした。当然、このような能力をもつのはあなただけでなく、すべてのメンバーが権謀術数を駆使しているのです。

現代の学校や職場においても、わたしたちは(無意識に)、あらゆる機会をとらえて自分のステイタスを上げようと死に物狂いの努力をしています。だとすれば、相手が自分のステイタスを下げようとしている(と感じた)ときに、ハラスメントだと告発して報復するのが効果的な戦略になっても不思議はありません。

もちろん、大半のハラスメントでは被害者の主張は正当なものでしょう。とはいえ、ヒトの本性であるステイタスへの執着を考えれば、「ひとはみな平等」という理想を高く掲げれば掲げるほど、それを悪用しようとする者が現われて、社会が混乱するのかもしれません。

ウィル・ストー『ステータス・ゲームの心理学 なぜ人は他者より優位に立ちたいのか』風早さとみ訳、原書房

『週刊プレイボーイ』2022年10月17日発売号 禁・無断転載

【アクセス3位】わたしたちは文明化によって不幸になったのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス3位は2020年10月16日公開の「「農耕の開始によって定住が始まり、文明が生まれ国家が誕生した」という従来の歴史観はかんぜんに覆された?」です(一部改変)。

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いま古代史が大きく書き換えられつつある。そのきっかけとなったのはトルコ南東部の古代都市ウルファ(現在のシャンルウルファ)近郊で発見された「ギョベクリ・テペ」という巨大な神殿で、1万4000年前から1万2000年前に建造されたと考えられている。

この遺跡が考古学者たちを驚かせたのは、周辺地域で農耕が行なわれていた形跡がまったくないことだ。旧石器時代の末期、メソポタミア北部で狩猟採集生活をする部族社会のひとびとは、高度な文化をもち、交易を行ない、万神殿(パンテオン)にそれぞれの部族の神を祀っていたのだ。

メソポタミア地域では旧石器時代の定住の考古学的証拠が次々と見つかっており、「農耕の開始によって定住が始まり、文明が生まれ国家が誕生した」という従来の歴史観はかんぜんに覆されてしまった。

ジェームズ・C・スコットはイェール大学政治学部・人類学部教授で、東南アジアなどに残る「非国家」をフィールドワークしてきたが、『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(立木勝訳、みすず書房)では、国家というシステムへの批判的な検証の集大成として、「古代史のパラダイム転換」に挑んでいる。原題は“Against The Grain : A Deep History of the Earliest States(反穀物 最初期の国家のディープヒストリー)”。

古代メソポタミアは「狩猟採集民の天国」

まず古代のメソポタミアについてかんたんに説明しておこう。

イラクというと私たちは砂漠を思い浮かべるが、先史時代、この一帯はティグリス川とユーフラテス川がつくりだすデルタで、広大な湿地が広がっていた。海岸線は現在よりずっと川上にあり、紀元前4000年頃にはバスラ(自衛隊がPKOで駐屯した南部の主要都市)は海の底で、バグダッドとの中間まで湾が延びていた。上流から運ばれてくる堆積物が重なる前は、沖積層は現在より10メートルも低かったのだ。バビロンはバグダッドの南にあり、なぜこんな中途半端な場所に都市を築いたのか不思議に思っていたが、古代世界ではここは海と陸とを結ぶ戦略の要衝だった。

メソポタミアの湿地帯は、これまでの常識に反して「狩猟採集民の天国」ともいうべき地域だった。

沼地からわずかに盛り上がった高台に暮らしていたひとびとは、膨大な数の魚類、貝類、甲殻類、軟体動物などの海洋資源だけでなく、海辺や川辺には鳥や水禽類、小型哺乳類やガゼルのような大型哺乳類も集まってきた。ベリーやナッツもかんたに手に入ったし、沼にはイグサ、ガマ、スイレンなどの可食植物が生い茂っていた。

このようなデルタでは、そもそも農耕を始める理由がなかった。灌漑などしなくても、毎年の洪水によって土壌が入れ替わるのだから、放っておいても植物は生えてきた。定住が始まったのは農耕のためではなく、移動しなければならない理由がなかったからだ。

古代メソポタミアの南部では、ほぼ農業なしに定住する人びとがあちこちに見られ、住民数が5000人に達する「町」まであった。その当時から狩猟採集民は、篩(ふるい)、石臼、すり鉢とすりこぎなど、野生の穀物や豆類を加工するためのあらゆる収穫具を作り出していた。――三内丸山遺跡などで縄文人の定住が広く知られている日本では当たり前だと思うかもしれないが、西欧ではこれは「大発見」だった。

従来の古代史は、現在の地形に引きずられ、大規模な定住と農耕は乾燥地帯で始まったとしていた。だが、ちょっと考えればこれはおかしいとわかる。なぜわざわざ条件の悪い場所で暮らさなくてはならないのか。巨大なデルタがゆたかな自然を育んでいたからこそ、ひとびとが集まってきたのだ。

紀元前1万2000年頃には、メソポタミア全域で定住の断片的な証拠が見つかっている。作物化植物と家畜の断片的な証拠が発見されたのは紀元前9000年、コムギなど主要な基礎作物の栽培が確認されるのは紀元前8000年だから、3000~4000年ものあいだ農業を営まずに定住が続いたことになる。

だとしたら問うべきは「なぜ農耕などというものを始めたのか」だ。

「なぜ農耕を始めたのか」という謎

耕作農業の最大の特徴は、同じカロリーを得るために必要な労働量が狩猟採集と比べて格段に多い(「コスパ」が極端に悪い)ことだ。エデンの園のような楽園で暮らしていた狩猟採集民が、自ら望んでそんな苦役を始める理由はどこにもない。

この疑問に対する有力な答えが「寒冷化」説だ。

定住して狩猟採集生活していた古代のひとびとを、紀元前1万800年頃から1000年におよぶ寒冷期(ヤンガードリアス)が襲った。北アメリカのアガシー湖(かつて北米大陸の中央にあった巨大な氷河湖で、その大きさは黒海に匹敵するとされる)の氷床が温暖な気候によって溶け出し、大西洋に流れ込むようになったために起きたとされる(異論もある)。気温が急速に下がったこのきびしい時期に、生き延びるために農耕に依存せざるを得なくなったのではないだろうか。

だが、このかなり説得力のある説には考古学的証拠の裏づけがないとスコットはいう。紀元前9600年頃になって急激な寒冷期が終わると、ふたたび温暖で湿潤な気候がやってきた。10年もしないうちに摂氏にして7度も平均気温が上昇することもあった。樹木も哺乳類や鳥類も生気を取り戻し、自然環境は突如として快適になった。そして、寒冷期ではなく再度の楽園が訪れたこの時期に、通年で占有される遺跡とともに最初期の農耕の形跡が見られるようになるのだ。

紀元前8000~6000年には、穀類(コムギ、オオムギ)や豆類(レンズマメ、エンドウマメ、ヒヨコマメ)、亜麻などの「基礎作物」が、全般に小規模とはいえ栽培されていた。この同じ2000年間には、家畜化されたヤギ、ヒツジ、ブタ、ウシも登場している。最初の小規模な都市的地域も含めた農業革命は、恵まれた時期に恵まれた地域(狩猟採集民の天国)で始まったのだ。

これについては、人口の増加、乱獲による野生動物の減少、高栄養の植物の採集が難しくなったことなどによって、いわば「背水の陣」として耕作農業に移行したとの説がある。「寒冷化」説の別ヴァージョンで、これもそれなりの説得力があるが、やはり考古学的な証拠と整合しない。この時期はまだメソポタミアのデルタ地帯はゆたかな湿地帯で、狩猟や採集が困難になっていたという確固たる証拠は見つかっていない。農耕が始まったのは、食料が「欠乏」しているのではなく「豊富」な地域なのだ。

スコットはこの謎に「農耕の広がりについて満足のいく代替説明はまだない」としているが、『人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?』(白須英子訳、文藝春秋)でレザー・アスランは、定住民が巨大な神殿をつくるようになり、石工などの専門家集団に安定した食料を提供しなければならかったために農耕と野生動物の飼育が必要になったのではないかと述べている。

それがどのような理由にせよ、いったん農耕が始まると、紀元前6500年頃には小規模な町が生まれ、紀元前5000年までにメソポタミア南部には数百の町があり、完全に作物化した穀物が主食として栽培されていた。紀元前4000年になると敷地を壁で囲った原始的な「都市」が登場し、紀元前3100年頃に「階層化した、税を集める、壁をめぐらせた国家」がはじめて生まれた。作物栽培と定住が始まってから4000年以上もたっていた。

国家による農耕によってひとびとの暮らしは劇的に変わったとして、スコットは新しい環境を「ドムス複合体」と呼ぶ。ドムスはdomestication(家畜化)の略だが、その本来の意味は「住居」だ。ドムスでは穀物と動物を「飼い馴らし」、その世話をするのに大量の人力を必要とした。その結果、「耕地、種子や穀物の蓄え、人、そして家畜動物が前例のないほど密集し、すべてが共進化しながら、誰にも予想しなかったような影響を生み出した」のだ。

「家畜化」が農耕によって加速した

「農耕の開始によって人口は大きく増えた」というのが常識になっているが、これも正確とはいえない。紀元前1万年には地球上のホモ・サピエンスの数は400万と推計されるが、農耕が始まってから1000年以上経った紀元前5000年になってもその数は500万人程度だった。人口が増えるのはそれからで、その後の5000年間で世界人口は1億人超になっている。

スコットは、疫学的に見て、ドムス複合体の初期が人類史上もっとも致死率が高い時期だったとする。紀元前3200年までに、メソポタミアのウルクは2万5000人から5万人の住民を抱える世界最大の都市となった。人間と家畜が狭い空間に集住したことで、コレラ、天然痘、おたふく風邪、麻疹、インフルエンザ、水痘、マラリアなどの疫病が蔓延した。

初期のメソポタミア人は、感染症が伝染する原理を理解していたようだ。病人を分離して接触を避け、それでもうまくいかなければ町を放棄して逃げ出した形跡があちこちに残されている。

狩猟採集民は感染症の危険を十分にわかっていたから、大きな定住地には近寄らなかった。都市文明を拒否したのは「未開」だからではなく、それが伝染病との接触を避ける最良の方法だったからだ。

都市国家を維持するには多数の人口を維持しなくてはならないが、疫病によって住民は死んでいく。だとしたら、国家はなぜ維持できたのだろうか。これには主に2つの理由があった。

ひとつは奴隷で、古代国家は戦争による捕虜と、奴隷貿易による大規模な買い付けで人口を補充していた。もうひとつが「多産」で、ドムスで暮らすようになった女性はより多くの子どもを産むようになった。

狩猟採集民の女性はいちどに2人の子どもを抱えて運べないため、子どもをつくるのはおよそ4年ごとになる(これには離乳を遅らせる、堕胎薬を使う、育児放棄する、あるいは子殺しをするなどの手段がとられた)。また、激しい運動とタンパク質豊富な赤身肉の食餌という組み合わせは思春期の訪れを遅らせ、排卵を不定期にし閉経を早めた。

それに対して定住では初潮が早まるほか、穀物食は軟食をつくりやすいので離乳も早まった。その結果排卵が促進されて毎年子どもを産めるようになり、女性の生殖寿命も伸びたため、「定住農民は前例がないほど繁殖率が高く、死亡率の高さを補って余りある」ほどになったとされる。だがその代償として、定住民は狩猟採集民と比べると平均身長が5センチ以上も低く、たいては骨や歯に栄養不足の痕跡がある。

ここで興味深いのは、野生動物も家畜化されると多産になることだ。生殖年齢に達するのが早くなり、排卵と妊娠の回数が多く、生殖寿命も長くなって、繁殖率が高くなる。それに加えて家畜は野生種より暴力性が低くなり(人間に慣れやすい)、雌雄差(性的二形)が小さくなる。これは「幼形成熟(ネオテニー)」と呼ばれる。

こうして、スコットがなぜ都市国家を「ドムス複合体」と呼ぶのかがわかる。そこでは人間が野生動物を家畜化するだけでなく、人間まで「家畜化」されるのだ。

一般に「自己家畜化」とは、旧石器時代の人類が、小さな共同体で濃密な社会生活を営むなかで徐々に暴力性を低め、向社会的になっていったことをいうが、スコットはその「家畜化」が農耕と国家によって加速したとする。

これはきわめて刺激的な説だが、「ヒトが最初に農業を採用してからまだ240世代しか経過していない。農業が広まってからだと、せいぜい160世代にしかならない」との理由で、遺伝的な変異が起きたかどうかについては留保している。

穀物と徴税

初期の都市国家は疫病が蔓延し、奴隷を駆り集めて人口減を補い、高位のひとびとを除けば住民の大半は過酷な農作業に従事していた。それに対して狩猟採集民は「物質的に安楽で、自由で、健康的」な暮らしをしていた。

だったらなぜ、ひとびとは都市で暮らしたのか? 「それは閉じ込められていたからだ」というのがスコットの答えだ。敷地を囲む壁は、外部の「野蛮人」の侵入を防ぐと同時に、内部の住民を逃亡させないためのものだった。

ベルリンの壁を考えれば、壁にこのような機能があるのはわかるが、「壁=侵入者を防ぐ」という常識にとらわれていると、この単純な事実に気づけない。これはスコットの慧眼で、中国の万里の長城も、その本来の目的(の一部)は、農民が域外に逃れるのを防ぐことだったかもしれない。

さらに国家には、伝染病に匹敵する「疫病」があった。それが「税」だ。

スコットは、国家が税を徴収するには「計算」できなくてはならないとする。そのため、税の対象は計量可能な食物になる。

タピオカの原料となるキャッサバは世界じゅうの熱帯で栽培されるイモ類で、栽培がかんたんで栄養価が高い(ただし食用には毒抜きが必要になる)。それ以外にもヤマノイモやタロイモなど食用に適した作物がたくさんあるが、そのなかでなぜ穀物(コムギ、オオムギ、イネ)が集中的に植えられたのだろうか。穀物からつくられる食べ物(パンや米、麺)が美味しいからではない。「集中的な生産、税額査定、収奪、地籍調査、保存、配給」などの税の条件を満たすからだ。

キャッサバは地中で育ち、ほとんど世話はいらないし、隠すのも容易で1年で成熟する。地中に放っておいても腐らないので、向こう2年は食べられる(収穫時期がない)。それに対して穀物は毎年1回の収穫時期が決まっていて、計量と持ち運びが容易なので、税吏は収穫時期に農地を訪れて課税するだけでいい。穀物のこの利点を「発見」したからこそ、国家が成立したのだ。

スコットは、国家とは「再生と繁殖」を管理するために奴隷、臣民、女性などを文明によって「家畜化」するシステムだとする。国家を否定する「アナキスト」のスコットが「反穀物」な理由がこれでわかるだろう。穀物がなければ国家は存在できなかったのだから、人類が「エデンの園」から追放される悲劇も起きなかったのだ。

初期の国家は脆弱で、戦争や疫病だけでなく、集中的な灌漑農業 森林破壊による洪水、土壌の塩類化などで穀物の収量が低下し、かんたんに崩壊した。そうなると文明のない「暗黒時代」になるが、じつはこの時期にひとびとの福祉が向上していた形跡がある。国家や文明のない方が、ひとびとは幸福だったのだ。

明確な国家覇権の時代の始まりを紀元1600年頃(大航海時代の始まり)とすれば、国家が支配してきたのは人類の歴史のごく一部(「最後の1パーセントのうちの、そのまた最後の10分の2」)にすぎない。世界の大半では、国家はその最盛期ですら季節限定の制度だった。「国家」のなかで生きるのが当たり前になった私たちは、文字や遺跡などの歴史資料によって「国家」をあまりに過大評価し、「非国家」を極端に過少評価しているのだ。

もうひとつ興味深いのは、国家と「野蛮人(国家の周辺で暮らす遊牧民など)」との関係だ。「定住と町と国家からなる文明世界」と「移動性で分散性の狩猟民、採集民、遊牧民からなる原始世界」という二元論は「根本的に間違っている」とスコットはいう。

実際には、数千年にわたって定住と非定住は往来可能で、両者の中間にもさまざまな組み合わせの多くの選択肢があった。国家に隣接する野蛮人の多くは、事実上、「国家作りのプロセスそのものから逃れた難民」だった 命がけで国家に対して反乱を起こすよりも、逃亡した方がずっと危険が少ないのだ。

そのうえ移動性の高い遊牧民の軍の方が、国家の軍隊より優秀だった。そのため国家は、ヤクザにみかじめ料を払うように、遊牧民を金銭で懐柔するほかなかった。中国ではこれが「朝貢」として制度化され、匈奴などに賄賂を支払うことは、野蛮人(外夷)が皇帝の威光に服する行事に“粉飾”された。騎馬民族は「農業余剰物の支配をめぐって国家と競合した最強のライバル」で、文明自体が「野蛮人という自分自身の疫病」をつくりだしたのだ。

現代人は「自分がつくった動物園で暮らす唯一の種」

クリストファー・ライアンはパートナーであるカシルダ・ジェタとの共著『性の進化論 女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?』(山本規雄訳、作品社)で、「人類はもともと乱婚だった」という刺激的な主張をして注目を集めた。新著『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』(鍛原多惠子訳、河出書房新社)は、そのライアンが(スコットのいう)「エデンの園からの追放」物語をさらに先に進めたものだ。原題が“Civilized to Death The Price of Progress(死へと向かう文明化 進歩の代償)”であるように、この本では現代文明が全否定される。

ライアンにいわせると、現代人は「自分がつくった動物園で暮らす唯一の種」であり、狩猟採集民のほうが、健康、ゆたかさ、幸福度などあらゆる面においてずっと優れている。その事実を隠蔽するのが「不断の進歩の物語(NPP/Narrative to Perpetual Progress)」で、「世界はどんどんよくなっている」という楽観的な進歩主義者がハーメルンの笛吹き男よろしくひとびとを惑わしているのだという。

リチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」の教祖となったが、狩猟採集民の特徴は平等主義で、「寛大さと親切心」は人間の本性だ。スティーブン・ピンカーは狩猟採集民の暴力性がきわめて高いというが、これは開拓民よって殺された原住民が含まれるなど、データの扱いに問題がある。マット・リドレーは「(一部の人は)いまだに石器時代の最悪な状態より悲惨で不自由な暮らしに甘んじている」と断言するが、石器時代の狩猟採集民は悲惨でもなければ不自由でもなく、農耕民よりも生活水準はずっと高かった……などなど。

それに対して「楽観的な進歩主義者」がほめそやす現代社会は、「人間によってデザインされ、つくられ、管理され、占有される究極の人間動物園」だ。ライアンは、私たちがどれほど悲惨な人生を送っているか(身体を病み、こころを病み、幸福から見放されている)の事例をこれでもかというくらいに並べ立てる。

「先史時代(狩猟採集民)の再評価」は現代社会批判の新しいトレンドで、なるほどと思う指摘も多いが、「狩猟採集民の世界は素晴らしい」と単純にいうことはできない。

現代社会では、生きづらさを抱える子どもたちが増えている。それに対して狩猟採集民の子どもは、大人たちから大切に育てられ、共同体のなかで居場所を与えられる。これはたしかに素晴らしいが、それには条件がある。ライアンはそのことを率直に書いているので、その部分を引用してみよう。

現代社会では、愛されず望まれない子どもたちも生き延びる。それは一見良いことにも思える。だが(人類学者のサラ・)ハーディーは、テクノロジーの発達によって「子どもは母親や他の養育者との絶え間ない触れ合いから切り離され」、農耕後の社会では祖先の環境では生き延びることができなかった大勢の男女が成人すると論じる。これらの人びとが生き延びるために、世界は「ありとあらゆる虐待」を生き抜いた「哀れな浮浪児の群れ」や「難民キャンプの孤児」にあふれている。

狩猟採集民の子どもが共同体から愛されるのは、愛される子どもだけしか残されないからなのだ。

この本の最後でライアンは、ホモ・サピエンスの未来として、エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』で論じた「悲嘆の五段階説」に依拠して、以下の3つの可能性をあげる。

  1. 「否認」と「怒り」 経済、生態系、政治の崩壊によるハルマゲドン。ただし自然災害(人為的災害も)は、それを生き延びた被害者を抑圧的な日常から解放するかもしれない。災害は「物理的には地獄かもしれないが、一時的とはいえ一種の社会ユートピアを形成する」のだ(災害ユートピア)。あえていえば映画『マッドマックス』のような世界だろうか。
  2. 「取引」と「抑うつ」 テクノロジーによる漸進的な問題の解決。人間は機械(コンピュータ)と融合し、メモリーの中だけの存在になる。これはSFの世界で、レイ・カーツワイルはシンギュラリティによってそれが現実になるとする。
  3. 「受容」 狩猟採集民的な思考を戦略的に現代生活に持ち込む。ここでライアンが取り上げるのが、サイケデリック(幻覚剤)と神秘体験の効用だ。これもまた最近のトレンドになっているようだ。

サイケデリックの復興についてはマイケル・ポーランの『幻覚剤は役に立つのか』 (宮﨑真紀訳、亜紀書房)に詳しいので、合わせて読まれたい。

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