コロナ禍より恐ろしい オピオイド依存症のパンデミック

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年7月30日公開の「アメリカは新型コロナ対策で失敗しているとされるが、 オピオイド依存症によってもっと多くの生命が失われていた」です(一部改変)。

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2016年4月、ロックスターのプリンスが死亡したとき、「鎮痛剤フェンタニルの過剰投与による中毒死」と報じられた。フェンタニルは鎮痛、疼痛作用のあるオピオイドの一種で、モルヒネやヘロインと同じくケシから採取されるアルカロイドの合成加工物だが、処方薬として広く使われている。

2017年10月、トランプ大統領はオピオイド問題に対処するため「公衆衛生上の非常事態」を宣言した。アメリカ政府によると、2016年に薬物の乱用が原因で最低でも6万7000人が死亡し、オピオイド関連はこのうち4万2000人と6割近くに上った。ヘロインの乱用者数が100万人、鎮痛薬として処方されたオピオイドの乱用者数が1100万人を超えたともいう。

いずれも驚くべき数字だが、そもそも医師が処方する鎮痛薬でなぜこんな大惨事が起きるのか。それを知りたくて、ベス・メイシーの『DOPESICK(ドープシック)アメリカを蝕むオピオイド危機』(神保哲生訳、光文社未来ライブラリー)を手に取ってみた。

メイシーはアメリカ東南部バージニア州に拠点を置くジャーナリストで、2012年から地元のヘロインの被害状況の取材を始め、この薬禍が1996年に中堅製薬メーカー、パデュー・フレデリックが発売した「オキシコンチン」という処方鎮痛薬に端を発していることを知る。オキシコンチンはやはりオピオイドの一種で、アルカロイドの合成化合物からつくられた鎮痛剤だ。

『DOPESICK』では、この処方薬が貧しい白人労働者の住む街を「破壊」し、ヘロイン中毒が蔓延する経緯と、依存症で子どもを失った親たちが医療関係者とともにこの惨事と闘う様子が描かれている。

とても興味深い内容なので詳しくはご自身で読んでいただくとして、ここではアメリカにおける「オピオイド問題」とはなんなのかをまとめておきたい。

安全だった街にドラッグを求める犯罪者があふれた

オピオイド問題の背景のひとつは、アメリカの医療において「痛み」が治療対象になったこと。もうひとつは「プアホワイト」と呼ばれる白人労働者層の貧困だ。

末期がんの疼痛管理が医療現場で普及するとともに、「治療とは痛みと戦うこと」というそれまでの常識は大きく転換し、1990年代には痛みは血圧、心拍数、呼吸数、体温につづく「第五のバイタルサイン」として医師が対処すべき症状になった。

それと同時に専門メディアが医療機関をランキングし、それを保険会社が医療費支払いの参考にしたことで、病院は痛みに積極的に対応せざるを得なくなった。患者という顧客を満足させられなければ、保険会社から治療費の払い戻しが受けられなくなる恐れすらあったからだ。

そんななかで登場したのがパデュー社のオキシコンチンで、ホスピスや終末医療向け鎮痛剤オキシコドンを一般市場向けに改良し、「12時間効果が持続するため、痛みに苦しむひとが薬を飲むために夜中に起きなくても済む「奇跡」を実現した」と宣伝した(コンチンはcontinueの略)。

オキシコンチンはたちまちパデュー社の大ヒット商品となり、製薬会社の接待攻勢もあって、多くの医師が痛みを訴える患者に積極的に処方するようになった。やがて、2週間分のオキシコンチンを処方して患者を帰宅させるのが定番の医療行為になっていった。

最初に薬禍が広まったバージニア州はアパラチア山脈によって東西に分かれ、東には州都リッチモンドやノーフォーク、チェサピークなど歴史のある観光都市が集まる一方で、山の西側はかつては石炭の町として栄えたものの、第二次世界大戦後は炭鉱が次々と閉鎖され高い失業率に苦しむことになった。

オキシコンチンの乱用が始まったアパラチア中央部の炭鉱地帯は、石炭産業が長期低迷にあった1960年代に、すでに人口の半分が貧困に喘いでいた。その悲惨な状況は当時、大きな社会問題となり、ジョンソン大統領が「貧困との戦い」を宣言し、その後のアメリカの社会保障政策の基盤となったフードスタンプ(食糧費補助)、メディケア(高齢者・障害者向け公的医療保険)、メディケイド(低所得者向け公的医療保険)、ヘッドスタート(低所得者の子どもへの就学援助)などを打ち出すきっかけになった。

1990年代になってもアパラチア山麓は、アメリカで最高水準の肥満と障害、薬物の乱用、非医療目的の処方箋の乱発・販売といった、不名誉な記録を次々と塗り替えていた。この地域ではそれまで、ロータブやベルコセットなどの鎮痛剤が、ブラックマーケットで1錠あたり40ドルで売られていた。ところが1990年代後半になると、これらの鎮痛剤に変わって、「オキシ」と呼ばれる薬が、80ミリグラムの錠剤1錠あたり80ドルで大量に売られるようになったのだ。

パデュー社は、「オキシコンチンを処方された方法で服用していれば依存症の危険性は0.5%」と説明していた。それが闇市場にあふれるようになったのは、薬の鎮痛効果を長時間持続させるためのコーティングを取り除くのがきわめて簡単だったからだ。

依存症者は、オキシコンチンの錠剤を数分間口に入れてゴム引きの表面を溶かした後、いちどそれを吐き出して、コーティングをシャツの袖に擦りつけて剥がす。これによってオレンジ色と緑色のコーティングがシャツの袖に付き、純粋な薬効成分だけが露出する。露出した薬効成分を砕いて鼻から吸入したり、水に溶かして注射するのだ。

メディケイドの適用者はオキシコンチンを1錠あたり1ドルの自己負担で買うことができたため、それを1錠あたり80ドルで売れば大きな利益になる。「80ミリグラムの錠剤が入った大きなボトルを1つ手に入れれば、それだけで1カ月分の生活費が稼げる」とされ、他の医師から処方を受けていることを申告しないまま別の医師から新たな処方を得ようとする「ドクターショッピング」が常態化した。

ほどなくして、シャツの裾にオレンジ色や緑色の染みをつけた依存症者たちが、処方箋を求めて町を徘徊するようになった。オキシコンチンをザナックスやクロノピン、ヴァリウムのようなベンゾジアゼピン系の神経薬と組み合わせたときに得られる最上級の陶酔感は「キャデラック・ハイ」と呼ばれた。

バージニア州の人口わずか4万4000人の町では、1999年8月から2000年8月までの1年間で、オキシコンチン絡みの重罪で150人が逮捕され、過去18カ月間にドラッグストアに対する武装強盗が10件発生した。家の扉にカギをかけないのが当たり前だった地域が、家のなかに銃を常備しなければならないほど危険な場所に変わった。

仕事のない貧しい白人労働者にとって、かつての石炭は鎮痛剤に変わり、処方薬を横流しすることが生活の糧になったのだ。

白人中流階級の子どもたちがオピオイド依存症で死にはじめた

オピオイドの流行は、アパラチア山脈の寒村からやがて上流階級地区へと広がっていく。その背景には、ティーンエイジャーの「薬パーティ」がある。日本では大学生の一気飲みで急性アルコール中毒の死者が出ることが社会問題になったが、アメリカでは高校生が帽子のなかにいろいろな薬の錠剤を入れて、それを仲間内で回し飲みする「ファーミング」というゲームが流行っているという。オキシコンチンはティーンエイジャーにとっての必須アイテムで、「グリーン・ゴブリン(緑の悪魔)」と呼ばれていた。

オピオイドが蔓延するバージニア州の地域の学校を調査すると、ハイスクールの在校生の24%、中学生の9%が「いちどは試したことがある」と答えた。「高校の同級生の4分の1がオキシコンチン依存症になっていた」と述べる地域住民もいた。

オピオイド依存症がメディアで大きく取り上げられるようになったのは、白人中流階級の子どもたちが依存症で死にはじめたからだ。

『DOPESICK』に出てくるテス・ヘンリーという女性は、外科医の父と看護師の母のあいだに生まれ(10歳のときに両親は離婚)、最高級住宅地で育ち、高校時代は陸上とバスケットボールに打ち込み成績も優秀だった。卒業後は地元の名門バージニア工科大学に入学したあと、ノースカロライナ大学アッシュビル校に転じてフランス語を専攻したが、学位を取得する前に退学した。

テスは若い頃から不安障害に苦しんでおり、大学時代、友人が親知らずを抜いたときに処方された鎮痛剤を分けてもらったことでオピオイド中毒になったようだ。ずっと苦しんいた喘息の発作も、オピオイドを処方されたことでその必要がなくなった(19世紀末にドイツの製薬会社バイエルが商品化したヘロインは鎮咳剤として広く使われた)。こうしてテスは、処方された薬がなくなるとディーラーを通して薬を探し求めるようになった。

大学中退後、地元のレストランでウエイトレスとして働きはじめたテスは、同僚のボーイフレンドの麻薬ディーラーからヘロインを勧められ、すぐに注射を打つようになった。週800ドルのウエイトレスの収入では足りなくなり、ホームセンターから銅製の配管器具を万引きし、それを別の店で返品することで金額分のギフトカードをもらおうとして警官に逮捕された。テスは妊娠6カ月だった。

ベス・メイシーがテスにはじめて会ったとき、男の子は生後5カ月になっていた。依存症の母親からは、胎内で薬物に晒される新生児薬物離脱症の子どもが生まれていたが、幸いなことにテスの息子は驚くほど健康だった。

メイシーに今後の目標を聞かれて、テスは「息子のよい母親になること」と即答した。「今は少しでも長く断薬して、学校に戻って普通の生活を送ること。幸い私にはいい家族がいるし、まだ死んでいないし、刑務所にいるわけでもない。私は二度、三度とやり直すチャンスを与えられて、ラッキーだと思っています」

実際に、テスには愛情深い看護師の母親がいて、疎遠になっていた外科医の父親も娘の薬物依存症の治療に支援を惜しまなかった。テスはさまざまな依存症治療を受け、施設にも入院したが、それでもヘロインをやめることができず、裁判で息子の親権も取り上げられてしまう。

ストリートと刑務所とシェルターと2つの精神病棟への出入りを繰り返したあと、テスは姿を消した。次に母親がテスの姿を見たのは、「セクシーで官能的な26歳」というコピーの下のほぼ全裸の写真だった。それは売春を斡旋するウェブサイトの広告だった。

テスはやがて、ラスベガスの街で売春する相手を見つけたり、カジノの片隅で寝たりして暮らすようになった。最後の住居は駐車場の放棄されたミニバンのなかだった。

2017年のクリスマス・イブ。ラスベガス中心部のアパートのゴミ捨て場で、空き缶を探していたホームレスが若い女の死体を発見した。テスは裸でビニール袋に包まれ、身体と袋は部分的に焼け焦げていた。死因は鈍器による頭部の外傷で、警察は殺害した者が証拠を消すために焼いたのだと考えた。

子どもをドラッグ漬けにするアメリカ文化

ベス・メイシーは取材を通して、高校のアメリカンフットボールのクォーターバックで活躍した息子や、男子生徒の憧れの的だった娘をオピオイド依存症で失い、茫然とする中上流階級の多くの親たちと出会った。

メイシーは、こうした悲劇の背景にはアメリカの薬文化があるという。20代の依存症者のほとんどが、子どもの頃にリタリンやアデロールなどADHD(注意欠陥・多動性障害)の薬を服用していた。集中力が増して親も教師も楽になるとされるが、その化学式はアンフェタミン(覚せい剤)とほぼ同じだ。学童向けのADHD処方薬は、1990年から95年の間だけで3倍に増えたという。

ある心理学者はメイシーに、「健康な状態を維持するために何らかの薬を飲んでいるのが当たり前の常態へと、アメリカの薬文化自体が変わってしまった」と語った。若者たちは朝一番で意欲を高めるアデロール(アンフェタミン)を、午後にはスポーツによる怪我の痛み用にオピオイド(ヘロイン)を、夜には眠るのを助けるためのザナックス(ベンゾジアゼピン系睡眠薬)を何の躊躇もなく服用していた。「彼らは薬に慣れていて、薬を飲むことに全く抵抗がありません。だからレクリエーション目的でハイになることにも抵抗を覚えないのです」。

高校時代にオキシコンチンに依存するようになった彼らは、その後、より安く効果の高いヘロインにはまるようになる。ある若い依存症者は、最初にヘロンを静脈注射したときのことを、「それは、まるで腕からイエス様が入ってくるような感覚でした。頭の中で白い光が爆発して、自分が雲の上に浮かんでいるようでした」と述べている。ただしこんな体験は最初の1回だけだったようだが。

メイシーははっきりとは述べていないが、アパラチア地方の白人の若者たちに薬物依存が蔓延する背景には閉塞感もあるのではないだろうか。テスのように高校卒業後に大学に進学する者は少なく、男は建設現場、女はウエイトレスなどの仕事で働くことになる。彼ら/彼女たちにとってはハイスクール時代が人生の頂点で、そのあとは長く退屈な下り坂が待っているだけなのだ。

処方薬によってオピオイドに依存するようになった若者たちは、やがて密売人からヘロインを購入するようになり、クスリを買うカネほしさに自らも麻薬密売の道へと転落していく。

バージニア州と隣接するメリーランド州最大の都市ボルチモアは、一人当たりのヘロイン使用量が全米でもっとも多く、オピオイドの過剰摂取で死亡する可能性が全国平均より6倍も高い。近隣から薬物常習者が流れ込んできたことで、地域の公衆便所には注射針を廃棄するための容器が設置され、図書館司書までが、オピオイドの過剰摂取で呼吸困難を起こした利用者に対処できるよう、オピオイド拮抗薬のナロキソンの使い方を習得しなければならなくなった。そんなボルチモアではヘロイン50袋が100ドルで入手でき、それを地元で6倍から8倍の値段で売りさばくことができた。

ボルチモアをマイアミ(フロリダ州)やバンゴー(メイン州)と結ぶ州間高速道路95号線には「通勤ディーラー」が大挙して押し寄せ、「リーファー(マリファナ)・エクスプレス」「コカイン・レーン」「ヘロイン・ハイウェイ」などと呼ばれるようになった。ヘロイン依存症になると、極度に無気力になりほとんど社会的に機能できなくなる。そこで通勤ディーラーたちは、メタンフェタミン(覚せい剤)の助けを借りて気分をアップさせ、仕事に出かけるのだとういう。

オピオイド依存症が白人の中上流階級の子どもたちに広がる一方で、「プアホワイト」と呼ばれる低所得者層はさらに甚大な被害を受けていた。

バージニア州の旧炭鉱町では、主要労働年齢の男性の57.26%が仕事に就いていなかった(女性は44%)。仕事を失った元炭鉱労働者にとっては、障害者を支援する福祉政策が事実上のセーフティネットとして機能していた。精神疾患や慢性疼痛、薬物障害の患者のなかには、福祉を受けつづけるためには病気のままでいた方が好都合だと考える者もいた。

子どもにADHDなど発達障害の診断をしてもらえるよう、医師に頼み込む親もいた。発達障害の診断を受けている子どもは大人になってから、障害者年金の受給資格を得やすくなるからだ。その結果、障害者手当の申請者数は1996年から2015年の間にほぼ倍増した。

両親または祖父母が麻薬またはアルコール依存症だと、子どもが依存症になる可能性は劇的に高くなった。「ある家族は過剰摂取でまず息子が死に、次の日に父親が死に、そのまた次の日に母親が死んでしまいました。もしもその死因が感染症だったら、アメリカ中が大パニックに陥っていたはずです」と、ある医師はメイシーに語った。

オキシコンチンの乱用が大きな社会問題になると、2001年4月、DEA(麻薬取締局)は製薬会社のパデューに対し、流通を自制しマーケティング戦略を再考するとともに、乱用を防止するために薬の再合成を検討するよう求めた。さらに同年7月、FDA(アメリカ食品医薬品局)はオキシコンチンに処方薬としては最上級の警告となる「ブラックボックス警告」を付けさせた。

その一方で、2001年のオキシコンチンの売上げはバイアグラを抜いて10億ドルに達した。パデュー社は、オキシコンチンの処方箋を無差別に乱発する医師を多く見つけた営業担当者に四半期あたり10万ドル(約1100万円)ものボーナスを払っていた。FDAの担当者はその後、パデューにコンサルタントとして転身したという。

全米で巨大な「リハビリ産業」が勃興した

オキシコンチンを販売するパデュー社は「オピオイドの依存症率は1%以下できわめて低い」と主張してきたが、この数値は慢性の非悪性疼痛という限定的な症状に対する発症率で、最近のデータでは依存症の発症率は56%にものぼるという。

オピイオド依存症者の40~60%は薬物維持治療によって一度は寛解するが、それを持続的なものにするためには10年以上かかる場合もある。2017年の統計では、オピオイド依存症者の約4%が毎年、過剰摂取で死亡していた。

薬物依存症に対しては、日本でもよく知られる「12ステップの回復プログラム」がある。匿名で集まったアルコール依存症者たちが、自分たちの体験を分かち合う自助グループを始めたのがきっかけで、いまでは薬物依存症やギャンブル依存症などでも匿名の治療会が開かれるようになった。

だがメイシーは、アメリカでは薬物依存症からのリハビリについて、薬物維持治療を提唱する一派と、匿名薬物依存症者の会とのあいだで深刻な対立が起きているという。

オピオイド(ヘロイン)の依存はあまりにも強力なので、完全な断薬は非現実的で、サボキソンやブプレノルフィン、サブテックスなどの代用薬物を投与して、無期限(場合によっては終身)の薬物維持治療をするのが「ハームリダクション」だ。薬物依存の専門家によれば、「1年間断薬状態を保てるようになるまで、治療を始めてから平均して約8年の年月を要し、その後もクリーンでいつづけるためには、4~5回の異なる治療が必要になる」という。

それに対して匿名薬物依存症者の会は、薬物維持治療を「一つのオピオイドからもう一つのオピオイドに薬の種類が変わっただけ」とみなす。会への参加は「断薬」が前提になるため、ハームリダクションを受けている依存症患者が排除される問題が生じている。断薬を絶対視するひとたちにとって、「薬物」を常用する者は自らの回復の妨げにしかならないのだ。

オピオイド依存症が蔓延したことで、全米で巨大な「リハビリ産業」が勃興した。その市場規模は年間350億ドル(約3兆8500億円)とされ、規制が歪められ拝金主義がまかり通っているとの批判も多い。

世界の人口の4.4%を占めるに過ぎないアメリカで、世界のオピオイド消費量のおよそ30%が消費されている。ピッツバーグ大学公衆衛生学部長ドン・パークは、「過去15年間で30万人のアメリカ人が過剰摂取で死亡していて、もし政府が抜本的な対策を行なわなければ、次の5年間で同じ数の人が死亡する」と予測している。2016年には1日に100人あまりのアメリカ人がオピオイドの過剰摂取で死亡していたが、合成オピオイドが普及するにつれて、その人数は1日250人に急増するとの予測もある。

この驚くべき事態に対して、ベス・メイシーは厳罰主義は事態を悪化させるだけだとして、コカインやヘロインを含むすべての薬物を処罰の対象から外し、代わりに住宅や食料、就労支援などの提供を始めたポルトガルの試みを紹介している。

経済学者のアン・ケースとアンガス・ディートンは、アメリカの貧しい白人の平均寿命だけが短くなっている奇妙な現象を「絶望死(Deaths: of Despair)」と名づけた。アメリカは新型コロナ対策で大きな失敗をしたと批判されているが、それ以前にオピオイド依存症によって多くの生命が失われていたのだ。

禁・無断転載

SNSはみんなが望んだ「地獄」 週刊プレイボーイ連載(557)

22世紀からネコ型ロボットが自宅にやってきたのび太君は、困ったことや欲しいものがあると、なんでもドラえもんに頼むようになります。ポケットから出された「ひみつ道具」でとりあえず願いはかなうものの、そのうち事態は思わぬ方向に進み、痛い目にあって反省する……というのが、誰もが知っている国民的マンガの基本ストーリーです。

この作品が予言的なのは、テクノロジーの本質を描いているからです。それは、「みんなが望むものだけが現実化する」という法則です。

自動車や蒸気機関車・電車、飛行機が発明されたのは、もっと速く移動できたらいいと思ったらからです。エアコンは亜熱帯や熱帯でも快適に過ごすことを可能にし、医療の進歩は平均寿命を大幅に伸ばし、「いつまでも元気に」という願いをかなえました。

「失敗は成功の母」といいますが、失敗とはある意味、役に立たない発明でもあります。なんらかの新しい結果を生み出したかもしれませんが、誰もそれを望まなかったので、そのまま捨てられ忘れ去られたのです。

回転寿司チェーンで他人の注文したすしにわさびを載せるなどの不適切動画が拡散したり、芸能人の私生活を暴露して人気を集めたYouTuberが参議院選挙に当選し、いちども登院しないまま除名処分を受けるなどのニュースが続いたことで、「SNSが社会を破壊している」との声が大きくなっています。

これはもちろん間違いではなく、毎日のように起きている炎上騒動から陰謀論の拡散、社会の分断まで、あらゆる場面でSNSが強い影響を及ぼしていることは明らかです。以前なら知り合い同士の噂にすぎなかった話題が、またたくまに全国ニュースになるという“異常”な事態に、わたしたちはまったく対処できていません。

こうした混乱は、日本よりも英語圏でより深刻です。日本でのSNSの潜在的な利用者が6000万人程度だとすると、世界の英語人口は15億人とされますから、その十数倍の規模があります。それに加えて、言語は共通でも、人種、国籍、民族、宗教、文化的背景などが異なるひとたちが同じバーチャルな言論空間に集まれば、至るところで利害が対立することは避けられません。

これはいわば、どこに「地雷」が埋まっているかわからない状態です。Twitterの買収前にイーロン・マスクが指摘したように、フォロワー数1億人を超えるようなSNSのセレブリティは、いまではたんなる告知以外、ほとんど発言しなくなっています。どこでどのような反応が生じるか予測できないのなら、黙っているのがいちばんです。

毎日のように誰かが「地雷」に触れ、炎上によって(心理的に)爆死する光景は、まさに戦場のようです。しかしここで強調しておかなくてはならないのは、SNSのテクノロジーは、「いつも誰かとつながっていたい」「自分の評判をすこしで高めたい」という“夢”をかなえてくれるからこそ、世界中で広まったということです。

SNSは「地獄」かもしれませんが、それはわたしたちみんなが望んだからこそ、この世界に誕生したのです。

『週刊プレイボーイ』2023年3月27日発売号 禁・無断転載

アメリカの知られざる下級国民「ワーキャンパー」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2019年8月1日公開の「アメリカの知られざる下級国民「ワーキャンパー」 の増加が意味するものとは?」です(一部改変)。この話は『ノマドランド』として映画化され、第93回アカデミー賞作品賞を獲得しました。

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『上級国民/下級国民』(小学館新書)では、欧米先進国を中心に、「白人」や「男性」などこれまで社会の主流派(マジョリティ)とされていた一部が中流階級から脱落し、下層(アンダークラス)に吹きだまっていることを述べた。日本でも欧米から半周遅れで同様の事態が起きており、これを表わすネットスラングが「上級国民/下級国民」だ。

アメリカの白人が「知能」によって新上流階級と新下流階級に分断されていることを指摘したのは政治学者のチャールズ・マレーで、トランプが大統領に選出されて世界を驚かせるより前(2012年)に、『階級「断絶」社会アメリカ 新上流と新下流の出現』(橘明美訳、草思社)で、「知識社会」からドロップアウトし貧困に陥る白人たちの苦境を報告した。

マレーは行動計量学者リチャード・ハーンスタインとの共著“The Bell Curve(ベルカーブ)”で白人と黒人のIQを比較し、悪名を轟かせていたために、「白人の分断」という指摘もリベラル派から無視されていたが、トランプ大統領誕生後、リベラルな研究者やジャーナリストらが精力的に行なったラストベルト(錆びついた地域)の研究は、すべてマレーの後追いでその正しさを追認するものだった。

たとえば、アメリカの政治学者ジャスティン・ゲストの『新たなマイノリティの誕生 声を奪われた白人労働者たち』( 吉田徹他訳、弘文堂)では、「所得や教育にもとづく棲み分けがアメリカ社会において歴史的な前例を見ないまでに加速してきている」としたうえで、それがさらなる社会経済的な固定化につながる理由を、「多様な種類の人々が混ざりあうために社会的上昇の機会が減少するからでもあり、またおそらくは、チャールズ・マレーが論争的に主張するように、社会が知能指数によって分断されているためでもある」とストレートに書いている。

そのアメリカで、いま新しい社会現象が起きている。それが「ワーキャンパーworkamper」で、「work(働く)」と「camper(キャンパー)」の造語だ。その大半は貧しい白人高齢者で、彼ら/彼女たちはキャンピングトレーラーとともにアメリカじゅうをドライブし、キャンプ場で暮らしながら季節労働者として働いている。まさに、「アメリカの知られざる下級国民」だ。

キャンプ場で暮らしながら季節労働者として働く「ワーキャンパー」

ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーがワーキャンパーに興味をもったのは、そこに男性だけでなく、高齢の女性もたくさんいることに気づいたからだ。彼女たちは大型RVを運転しながら、たった一人で放浪生活をつづけている。

そんな女性ワーキャンパーを取材したのが『ノマド 漂流する高齢労働者たち』( 鈴木素子訳、春秋社)で、原題は“Nomadland Surviving America in the twenty-First Century(ノマドランドと21世紀のアメリカのサバイバル)”だ。

なぜ、すべてを捨ててノマド(放浪者)になるのだろうか。

大自然に恵まれたアメリカではキャンプがさかんで、ひとたび都市を離れれば大型キャンピングトレーラーを牽引する車をいたるところで見かける。夏はコロラドやワイオミング、冬はフロリダや南カリフォルニアの自然のなかで、ヘンリー・ソローの『森の生活』のような暮らしをするのが退職後の理想とされている。

優雅なキャンパーとワーキャンパーのちがいはどこにあるのか。それは、ワーキャンパーには家がないことだ。彼ら/彼女たちは、家賃や住宅ローンを払わない暮らしを自主的に選択したのだ。

現代の「ワーキャンパー運動」を主導するのは、ボブ・ウェルズというアラスカ出身の元セイフウェイ商品管理係だ。

1995年、ボブは13年間連れ添った妻と離婚し、クレジットカードを限度額まで使い切って3万ドルの負債を背負い込んで自己破産した。離婚後のボブは、2人の息子と暮らす妻に2400ドルの月収の半分を渡していたが、そうなると職場のあるアンカレッジにアパートを借りることができず、家を建てようと何年も前に買っておいた土地から毎日80キロの通勤を余儀なくされることになった。

そこでボブは、古いピックアップトラックにキャンパーシェル(荷台に取り付ける脱着可能な居住部分)を載せて、職場のセイフウェイのすぐそばに車を停め、週末だけ自宅に帰ることにした。すると上司たちは、ボブの奇行を気にしないばかりか、勤務時間になっても姿を見せない者がいると、その分の仕事もボブに回すようになり、思わぬ時間外収入が入ってきた(ボブはいつでもすぐ目の前にいたのだ)。

この経験からボブは、一生このスタイルでやっていけるんじゃないかと思うようになった。そして、中古のシボレーの箱型トラックを500ドルで買い、ボックス部分にベッドを運び込み、居住可能に改装した。ボブは40歳にして、箱型トラックに暮らすようになった。

次いで、合材と木材で二段ベッドを作り、座り心地のいいリクライニングチェアを置き、プラスチック製の棚を壁にネジ止めした。アイスボックスとコールマン製のコンロをキッチン代わりにし、水はコンビニエンスストアのトイレで大きな容器を満杯にした。

壁と屋根に断熱材を入れ、気温がマイナス34度以下に落ち込む冬も暖かく過ごせるように触媒ヒーターと40ガロン入りのプロパンガスのタンクを買った。夏の暑さ対策には、換気扇つきのシーリングファンを取り付けた。発電機と蓄電池、インバーターで照明を確保し、電子レンジとブラウン管テレビも備え付けた。

こうして新しいライフスタイルに満足すると、ボブは2005年に「安上がりRV生活」というウェブサイトを立ち上げ、車上生活の体験とノウハウを提供しはじめた。

2008年の金融危機後、ボブのサイトへのアクセスが爆発的に増えた。「失業した人、貯金をすべて失った人、家の差し押さえが決まった人たちからeメールが毎日のように届いた」とボブは述べている。そんなひとたちを励ましているうちに、ボブは車上生活のエヴァンジェリスト(伝道者)になっていった。

アメリカ人家庭の6世帯に1世帯は収入の半分以上が住居費

『ノマド』の主人公であるリンダ・メイも、ボブの「安上がりRV生活」を見て車上生活を決意した一人だ。

アメリカでは家賃が高騰しており、法定最低賃金で働く正社員の収入でワンベッドルームのアパートの賃料をまかなえる地域は、全米でわずか12の郡と大都市圏が1つだけになった。アパートを適正価格で借り、住居費を収入の30%以下に抑えたければ、少なくとも時給16.35ドル(連邦最低賃金の倍以上)は稼ぐ必要がある。

アメリカ人家庭の6世帯に1世帯は収入の半分以上を住居費に費やしており、家賃を払うと食料品、医薬品、その他生活必需品を買うお金がほとんど、あるいはまったく残らない低収入の家庭も少なくない。

シングルマザーとしてカジノのバーホステスなどの仕事をして娘2人を育て上げたリンダは、62歳で賃料月600ドルのトレーラーハウスに住み、時給10ドル50セントでレジ係をしていた。それまでは長女の一家に身を寄せていたのだが、6人家族に寝室が3つだけの狭いアパートに引っ越すことになったため、一緒に住むのが無理になったのだ。

リンダはあと数年で公的年金を受給できるのだが、はじめて計算書をちゃんと読んでみて驚いた。年金受給額は月500ドルほどで、トレーラーハウスの賃料すら払えないのだ。八方ふさがりで自殺まで考えていたとき、インターネットで「ノマド」というオルタナティブなライフスタイルを知り、家賃を払いつづける代わりに、1994年モデルのキャンピングカー、エルドラドを4000ドルで購入したのだ。

2015年のアメリカの国勢調査によると、一人暮らしの高齢女性は6人に1人以上が貧困ライン以下の生活をしている。公的年金の受給額は女性が男性より月に341ドルも少なく、貧困ラインを割っている高齢者の数は、女性(271万人)と男性(149万人)で倍ちかい開きがある。女性は生涯賃金が男性より少なく、結果として貯蓄額も年金受給額も少なく、平均寿命が男性より5年長いことが貧困化の原因になっているのだ。――日本の女性が置かれた状況はこれと同じか、さらに劣悪だ。

だが「有利」なはずの男性にしても、ブルーワーカーの老後は貧困と隣り合わせだ。

65歳以上のアメリカ人の大半にとって、公的年金は最大にして唯一の収入源になっているが、その額はやっと食いつなげるかどうかというレベルで、中流層の労働者の半数ちかくは、退職後は日にわずか5ドルの食費でやりくりすることになるという。

これが「定年の消滅」で、定年退職者の多くは何らかの労働収入なしには生き延びられなくなった。それなのに高齢者向けの仕事は賃金が下がる一方で、肉体的にもきびしいものになっている。

日本では生活保護への依存がバッシングの対象になっているが、「大きな政府」を嫌い自主自尊をモットーとするアメリカでは、「定年」で公的年金に依存することが批判と侮蔑を浴びている。ワイオミング州出身の元上院議員は、「“強欲老人”は現役世代の血税を飲み干しつつ、ゆたかなレジャーを楽しみながら老後を過ごす、老人病の吸血鬼だ」と公的年金を批判した。

生活保護にも公的年金にも頼れない「誇り高きアメリカ人高齢者」はどのように生きていけばいいのか。

じつは、家賃というくびきから逃れトレーラーハウスで「自由」に暮らすというライフスタイルは、大恐慌後の1930年代にすでに登場していた。それがいま、金融危機後のアメリカで復活し、急速に広まっているのだ。

ワーキャンパーの最大の雇用者は、アマゾン・ドット・コム

ワーキャンパーの仕事はキャンプ場の管理人やビート(サトウダイコン)の収穫のような季節労働だ。雇用主からしたら、数か月の仕事のために労働者の住居を用意するのは無駄なコストだ。ワーキャンパーは「家」といっしょにやってくるので、車を停めるキャンプ地さえあればいい。

アメリカでも高齢者の就職事情はきびしく、リンダの履歴書には建築関連の学位が2つと、ラスベガスのホームデポで施工管理の専門家として時給15ドルで働いた経験もあったのに、60歳を過ぎると学歴や職歴はまったく考慮されず、ようやくありついたレジ係の仕事もいつまで続けられるかわからなかった。

それに対して季節労働の雇用者は、応募してくるのが高齢者であることを前提としているので、最低限の条件を満たせば年齢にかかわらず採用される。こうして、働かなくては暮らしていけない高齢者と、労働者に住居を提供するコストを減らしたい雇用者の利害が一致して、ワーキャンパーのライフスタイルが成立した。

そんなワーキャンパーの最大の雇用者は、アマゾン・ドット・コムだ。

アマゾンはフルフィルメント・センター(FC)と呼ばれる倉庫で大量の派遣社員を採用しているが、配送量が劇的に増える感謝祭(11月の第4木曜日)からクリスマスにかけてはそれだけでは足りなくなり、ノマドによる労働チームを追加投入している。

アマゾンはワーキャンパーたちのために、「キャンパーフォース・プログラム」という独自の制度を導入している。

勤務はシフト制で、最低でも1日10時間は通して働く。その間ずっとコンクリートの堅い床の上を歩きまわり、屈んだりしゃがんだり背伸びしたりしながら、商品のバーコードをスキャンし、商品を仕分けし、箱詰めする。

アマゾンは従業員が常時持ち歩くハンディスキャナーからデータを収集し、分析することで生産性をリアルタイムで監視している。新たな商品をピックアップしてスキャンするたびにスキャナーに次のピックアップまでの持ち時間が表示され、カウントダウンが始まる。うっかり間違った列に行ってしまい、5分以上の遅れが生じると監督が叱責に来る。

時給11ドル25セントで1日16キロから32キロも歩きながら作業すれば、鎮痛剤が手放せなくなる。高齢者には(とりわけ女性には)過酷な仕事だが、2016年には「記録的な数の応募者が集まった」ためにキャンパーフォースの採用を例年より早く打ち切ったという。

アマゾンが若者ではなく高齢のワーキャンパーを雇用するのは「家付き」でやってくるからだけでなく、職業倫理が高く(倉庫では従業員による商品の窃盗が大きな問題になっている)、福利厚生や社会保険をほとんど要求しないからだ。だがじつはもうひとつ理由があって、「追加生活保護の対象となる所得の高齢者」や「フードスタンプの受給者」など「雇用機会上のハンデをもつ」とされるカテゴリーに属する労働者を雇うことで、賃金の25~40%の連邦税控除を受けることができるのだという。

伝統的な中流の生活ができないアメリカ人は数百万人もいる

ワーキャンパーは自分たちを「ホームレス」ではなく「ハウスレス」だという。

元がん患者の通称タイオガ・ジョージは60代半ばで住宅費と食費の両方をまかなうのが難しくなり、大型キャンピングカーに移り住んだ。自身のブログで「歴史上、世界でもっとも偉大な放浪者」を標榜し、「家賃は金輪際払わない!」をモットーに掲げて、開始から10年もたたずして約700万人の訪問者数を記録した。

20代の風俗嬢テラ・バーンズはタイオガ・ジョージのブログに影響を受けて、98年モデルのシボレー・アストロで暮らしながらストリップクラブを渡り歩き、「お金のために脱ぎながら国じゅうを走り回る車上生活」の詳細を報告した。RV生活の家計を公開するなどして、ブログで月に1000ドル以上稼げるようなった60代の女性ワーキャンパーもいる。

ネットで情報交換し助け合ううちに、ノマドのあいだに自然にコミュニティがつくられていった。最大のものはアリゾナ州の砂漠の町クォーツサイトで1月から2月のあいだ(アマゾンの繁忙期が終わった後)に行なわれるイベントで、この時期に周辺の砂漠で暮らす車上生活者は4万人以上と推定されている。

「アメリカ最大の駐車場」「高齢者の春休み」「貧乏人のパームスプリングス」などと呼ばれるクォーツサイトでワーキャンパーのためのイベントを主催するのは「安上がりRV生活」のボブ・ウェルズで、合同食事会や家電ショップの買い物ツアー、射撃講座などさまざまな講習会が用意されている。そのなかでもっとも人気なのは「ステルス・パーキング術」の講習で、「周囲に溶け込んで目立たなくなることで危険を回避する方法」だという。

ノマドの多くは、正規の料金を払って整備されたRVキャンプ場を利用するようなことはせず、ウォルマートなどのショッピングセンターの駐車場や、都会の倉庫街の空き地などに「停泊」する。だがこのやり方は、従業員や周囲の住民から通報され、いつ警察に「ノック」されるかわからない。

じつは、ワーキャンパーはほぼ全員が白人だ。その理由は、(やはり白人である)著者のジェシカ・ブルーダーが述べているように、アメリカ社会で白人が「特権階級」だからだ。

商業施設や公的施設の駐車場など、違法ではないが不適切な場所にキャンピングカーを「停泊」させていても、白人であれば口頭で注意されるだけで済む。だが仮に黒人のワーキャンパーがいたとしたら、そのまま警察署に連行されてきびしい尋問を受けるだろう。「アメリカじゅうを放浪しながら働く」というぜいたくは、白人にのみ許されているのだ。

しかしそれでも、ワーキャンパーの実態が「最貧困すれすれの白人高齢者」であることは間違いない。本人たちもこれを自覚していて、ブログに次のように書き込んだりしている。

――都会で車に住んでいると、人にホームレスと指さされます。
――ホームレスと指さされると、自分がホームレスに思えてきます。
――そこで風景に溶け込んで隠れようとします……何をするにも「普通」に見えるよう、気を使いながら。
――だから、所持品を入れたゴミ袋を毎朝近くの藪に隠しに来る、どう見てもホームレスのおじいさんに、知り合いみたいに微笑みかけられると、(控えめに言っても)平静ではいられません。
――というのも、気づいてしまうから。増え続けている路上生活者の仲間に、自分も加わってしまったことに。そしてホームレスも自分も、たいして違わないことに。

自らもキャンピングカーを購入し、3年間で2万4000キロを旅してワーキャンパーを取材した著者は、「車上生活者は生物学で言う『指標種』のようなものだ」という。指標種は、他の生物より環境の変化に敏感で、生態系全体の大きな変化を他にさきがけて予言する。

いま、伝統的な中流の生活ができずに苦しんでいるアメリカ人の数は数百万人にのぼる。国内のいたるところで、多くの家族が、未払いの請求書が散らばったテーブルの前で途方に暮れている。

食費、医療費、クレジットカードの請求、水道・光熱費、学生ローンや車のローンの分割払い、そしていちばん大きな出費である家賃……。生き延びるためには、このうちどれかを諦めなくてはならない。こうして、家を捨てて荒野へと向かう「指標種」が現われる。

取材を終えて、著者は問う。「人は、そして社会は、いつまでこうした不可能な選択に耐えられるのだろう?」

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