若者が「苦しまずに自殺する権利」を求める国 週刊プレイボーイ連載(541)

小樽市の女子大生(22)の遺体が札幌市内のアパートで見つかった事件では、このアパートに住む自称元自衛官・元傭兵で無職の53歳の男が、本人の依頼によって殺したと供述しています。報道によれば、男は知人に対して「人をわりと平気で殺せる人なんかなかなかいないですよ」「ただ役に立ちたいだけ」などと述べて、SNSで知り合った自殺願望のある複数の女性を殺害・解体したと話していたとされます(その後、複数殺人は「うそだった」と供述)。

この女子大生がどのような理由で「元傭兵」の男に会いにいったのかはまだわかりませんが、コロナ禍で若い女性の自殺が増えていることは間違いありません。自殺対策の指針となる「自殺総合対策大綱」でも、5年前との比較で、女性の自殺者数が19歳以下で69.8%、20代でも47.4%と大きく増加しており、「非常事態は続いている」と述べられています。

社会調査によれば、日本社会でもっとも幸福度が高いグループは大卒の若い(20代/30代)の女性です。それにもかかわらず、死を考えるようになるのは一人ひとり異なる重い事情があるのでしょうが、確かなのは「未来に希望がない」と思っていることです。

ここまでは多くのひとが同意するでしょうが、メディアが触れたがらないのは、「なぜ若者は将来に絶望しているのか」です。

与党の政治家がSNSで「あなたたちのために何ができますか?」と訊いたところ、「早く死にたい」「苦しまずに自殺する権利を法制化してほしい」という要望が殺到しました。「正直、将来に対する不安が多様で大きすぎて、早く死にたいと毎日考えています。(略)安楽死の制度化ばかりを望んでいます」「自分の子に迷惑をかけ、なにも生産できず、死ぬのを待つだけなら、条件付きの安楽死を合法化してほしいです」などと、20代の若者が政治家に訴えるのが日本という国なのです。――その後、大手新聞が若者に望むことを訊いたときも、「死ぬ権利」を求める意見が多くあったといいます。

若者たちの大きな不安の背景にはなにがあるのでしょうか。それはこのアンケートを読めばわかります。彼ら/彼女たちが繰り返し訴えているのは、「このままでは高齢者に押しつぶされてしまう」という言い知れぬ恐怖なのです。

日本は人類史上未曾有の超高齢社会に突入し、「現役世代(20~64歳)何人で高齢者(65歳以上)を支えるか」では、1975年には7.7人で1人の高齢者の負担を肩代わりしていたのに、2025年は1.9人に1人、2050年には1.4人に1人へと状況は急速に悪化していきます。先進国では人口動態はほぼ変わらないので、これは予測ではなく、「確実にやってくる未来」です。

政府は年金制度を維持するために、国民年金の保険料納付期間を現行の60歳から65歳まで延長する検討に入ったようです。とはいえ、この程度では超高齢化の重圧にとうてい対処できず、いずれ年金支給開始年齢が70歳、あるいはそれ以上へと大幅に引き上げられるのは避けらないでしょう。

この冷酷な現実が日本の若者たちを脅えさせていますが、テレビや新聞の視聴者・読者の大半はいまでは高齢者に占められているので、メディアはこの事実(ファクト)に触れることができないのです。

参考「(不安に寄り添う政治のあり方勉強会向け)Twitterでの不安アンケート収集結果」2020年2月12日 参議院議員 山田太郎事務所

『週刊プレイボーイ』2022年10月31日発売号 禁・無断転載

【アクセス5位】睡眠はもっとも強力な自己啓発

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス5位は2021年12月16日公開の「ひとはなぜ夢を見るのか?睡眠と夢の驚くべき効能とは」です(一部改変)。

******************************************************************************************

若い頃は、友人たちが夢について語るのをいつも不思議に思っていた。なぜなら、夢を見たことがほとんどなかったから。大学生でフロイトの『夢判断』を読んだときも、困惑しかなかった。判断しようにも、肝心の夢がないのだ。

同じようなひとはかなりいると思うが、いまではこれは夢を覚えていないだけだとわかっている。眼球運動のあるレム睡眠(浅い睡眠)のときに被験者を起こすと、およそ8割が「夢を見ていた」と答える。眠りの深さは、脳波や筋肉・眼球の動きによって「レム睡眠-N1-N2-N3」と分類され、かつては「深い睡眠では夢は見ない」とされていたが、近年の研究ではN3(もっとも深い睡眠)でも、無理やり起こされた被験者のおよそ半数が「夢を見ていた」と答えるという。

眠りから覚めて覚醒状態になるあいだに、脳は夢の大半を忘れてしまう。この健忘には個人差があるので、夢を詳細に覚えているひとと、「夢を見たことがない」ひとにわかれるのだろう。

アントニオ・ザドラ、ロバート・スティックゴールドの『夢を見るとき脳は 睡眠と夢の謎に迫る科学』(藤井留美訳、紀伊国屋書店)を手に取ったのは、自分が(ほとんど)体験したことのない夢の世界に興味があったからだ。著者たちは、1990年代の初頭から夢の研究に取り組み、睡眠と夢に関する科学論文を200本以上発表してきた第一人者だが、それでも「夢の謎と驚異は大きくなるばかりだ」という。

フロイトの「夢判断」はなんの根拠もない

世界最古の物語とされる4000年前のギルガメシュ叙事詩にも夢が出てくるように、夢の謎はずっとひとびとを虜にしてきた。だが「夢の科学」に大きな影響を与えたのは、フロイトの『夢判断』(1899)だった。

とはいえ現在では、フロイトの「独自の主張」とされるものの多くに先行研究があることがわかっている。

イギリスの心理学者ジェームズ・サリーは、『夢判断』の6年も前に「夢は暴露となる。自我から見かけの包装をはぎとり、赤裸々な正体をむきだしにする。潜在意識の暗い底から、原始的で本能的な衝動を呼び起こすのだ」(「暴露としての夢」1893)と書いた。

カール・シェルナーはフロイトより40年ちかく前に、『夢の生活』(1861)で、「夢は対象をそのまま描くわけではなく、別の何かで対象の重要な属性を象徴させるのだ」として、「煙草のパイプ、ナイフ、クラリネット」は男性器の象徴で、「住宅に囲まれた細い道」は女性器の象徴だと唱えた。

フランスの民族誌学教授エルヴェ・ド・サン=ドニは『夢の操縦法』(1867)で、夢は人物やモノの特徴・特質を「抽出」していると論じた。昼に食べたオレンジ(ミカン)のかたち、色、香りのどれが主体になるかによって、夢ではビーチボール、オレンジ色の夕焼け、レモンの木立として現われる。これが「抽出」だ。サン=ドニは、夢のなかで多種多様な概念が映像で現われることを「映像の重なり」で説明してもいる。――その30年後、フロイトはサン=ドニの説を掘り起こし、「抽出」を「遷移」、「映像の重なり」を「縮合」と呼び方を変えて自分の説に加えた。

フロイト独自の理論といえるのは、「夢は幼児期に由来する抑圧された性的願望の表現」くらいで、これが精神分析学の根幹になっている。眠っているときも「検閲官」が抑圧された無意識の素材を歪め、「縮合」「遷移」「表象可能性」「二次加工」などの「夢の仕事」によって、それとわからないかたちに変えてしまう。だが熟練した精神分析医の手にかかれば、(夢が呼びさます感情や思考を何の制約もなく描写していく)自由連想によって、検閲官による歪曲を「取り消し」て、夢のもとになった無意識の葛藤や欲望にまでさかのぼれるとされた。

ところがその後の数えきれない研究で、フロイトの説は「根拠がほとんどなく、経験的な証拠もない」という明白な結論が導き出されてしまった。だがフロイトの「夢理論」への批判は精神分析学を根底から脅かすものだったため、夢の研究者は精神分析家たちからはげしい攻撃を受け、「フロイト戦争」と呼ばれるまでになった。

そもそも、「フロイトが無意識を発見した」という主張自体が明らかな誤りだ。「意識できないこころのはたらきがある」という概念は数千年前までさかのぼれるし、「無意識(unconscious)」という言葉もフロイトが生まれる100年以上前につくられた。臨床的な観察にもとづいて無意識を最初に理論化したのはフロイトではなく、フランスの精神科医ピエール・ジャネだった。

だがフロイトと、その後継である精神分析学のマーケティングがあまりにも成功したために、「科学としての心理学・精神医学」はずっとフロイトの呪縛に苦しめられることになった。だが1953年にレム睡眠が発見されて、ようやく夢を科学的に研究できるようになり、いまや続々と新しい知見が積み重ねられているのだ。

眠っているあいだに能力が向上する

夢について考える前に、そもそもヒトはなぜ眠るのだろうか。じつはこれはずっと謎で、1970年代には「睡眠にはなんの役割もない」と大真面目に唱える研究者もいた。

だが、睡眠が重要なことは明らかだ。ラットを長時間覚醒させたままにしておくと、1カ月以内にかならず死ぬ。人間も同じで、「致死性家族性不眠症」という遺伝性の脳疾患がある。

昆虫や線形動物といった生き物にも、それなりの眠りがあるらしい。「周囲が明るくても真っ暗でも、毎日きまった時間に動きを止め、反応しなくなる」のだ。ここから、神経系をもつ生き物には、なんらかの「眠り」が必要なことがわかる。

もっとも有力なのは、眠りの「ハウスキーピング機能」説だ。オフィスビルを掃除するには、昼間よりも誰もいない夜間の方が効率がいい。同様に睡眠は、昼間の活動中にできないことを行なう時間なのだ。

N3のような深い睡眠(脳波が大きくゆっくりしているので「徐波睡眠」と呼ばれる)のときは、脳の基底部にある下垂体から成長ホルモンが分泌される。子どもは眠っているときに成長するが、その役割が徐波睡眠に割りあてられたのは、この時間の身体にはほかにやることがないからだろう。

睡眠は抗体の生産やインスリン分泌の調節にもかかわっている。睡眠中は免疫反応が活発になり、抗体生産性が上がるので、ワクチンの効果を最大限に引き出すには充分な睡眠が欠かせない。インスリンの調節にも睡眠は必須で、「健康な大学生でも、4時間睡眠を5日間続けただけで前糖尿病状態になった」という報告がある。

睡眠は、アルツハイマー型認知症とも関係がある。認知症の原因のひとつがアミロイドβという老廃物で、これが脳の神経細胞のあいだに蓄積されると認知症の引き金になる。

このアミロイドβは、覚醒時より睡眠中の方が2倍の速度で除去される。逆に、ひと晩徹夜しただけで神経細胞の間隙に存在するアミロイドβは5%も増加するという。認知症の最大の予防は、ちゃんと眠ることなのだ。

睡眠についての近年の大きな発見は、眠っているあいだの記憶や能力が向上することだ。著者たちはこの効果を、タイピングを使って検証した。

被験者に「4-1-3-2-4」の順番でひたすら数字をタイプしてもらうと、最初の5、6分で約60%速くなったが、そこで頭打ちとなり、10分間の制限時間が終わるまでに速さは変わらなかった。午前中に練習して夜にテストしたところ、指はちゃんと覚えていたようで、練習終了時と同じ速さで入力できたが、速くはなっていなかった。ところが、夜に練習して翌朝テストすると、タイプが15~20%速くなり、間違いも減っていたのだ。

同様の学習効果は視覚や聴覚の識別課題でも確認されていて、どれも睡眠後に成績が上がっている。

睡眠時の学習は、眠りの深さによって役割がちがっている。タイピングのような運動能力は深夜のN2睡眠、言語記憶はN3睡眠、情動記憶や問題解決に関係するのはレム睡眠で、視覚的な識別能力課題では、夜早い時間のN3睡眠と深夜のレム睡眠が長い方が翌日の成績が上がった。

このように、眠りの質によって学習分野が変わることが、レム睡眠からN3まで異なる睡眠の段階が生まれた理由だろうと著者たちは述べている。

夢は睡眠に依存する記憶処理の一形式

睡眠時の学習に夢はどのようにかかわっているのだろうか。それを知るために著者たちは、一酸化炭素中毒などで脳深部の海馬が損傷した患者に、3日間で合計7時間テトリスをしてもらった。

海馬は記憶にかかわる脳の部位で、ここが損傷すると、今朝何を食べたか、午後どこへ行ったかなどを思い出すことができなくなる。健忘の患者たちは、寝る時間になると自分がテトリスをやったことをまったく覚えていなかった。

ところがひと晩たつと、目覚めたときに5名中3名がテトリスの夢を見たと報告した。意識的な記憶が消えていても、無意識はテトリスをやったことをちゃんと覚えていて、それを夢で再現したのだ。――これは「テトリス効果」として有名になった。

次いで著者たちが指導する若い研究者が、夢を見ることが学習能力に影響するかを調べた。被験者はバーチャル迷路の課題を行なったあと、90分間の仮眠をとり、そのあとふたたび同じ課題に取り組んだ。

その結果は驚くべきもので、仮眠から目覚めたとき迷路の夢の記憶がなかった被験者は、迷路を脱出するまでの時間が仮眠後に1分半延びたのに対し、夢を見たと報告した被験者は、反対に2分半短縮したのだ。

仮眠中に被験者を起こし、そのときに見ていた夢を報告させる追加実験でも、夢の効果は確認された。課題に関係する夢を見ていた被験者は、迷路の攻略を平均91秒短縮させた(成績が10倍ちかく上がった)。一方、迷路の夢を見なかった被験者の時間短縮は10秒に満たなかった。

こうした実験から著者たちは、「夢は睡眠に依存する記憶処理の一形式」だと考えるようになった。それを体系化したのがNEXTUPモデルで「可能性理解のためのネットワーク検索(Network EXploration To Understand Possibilities) 」の頭文字だ。

夢とLSDによる幻覚は(ほぼ)同じもの

NEXTUPモデルでは、夢は「それまで手つかずだった弱い連想の発見と強化を通じて、既存の記憶から新しい知識を抽出する独特の働きをする」と考える。これを著者たちは「記憶進化」と呼ぶ。

この効果を調べた実験は興味深いので、すこし詳しく紹介しよう。

プライミングは心理学ではサブリミナル(潜在意識)への刺激のことで、意識できないきわめて短い時間、女性のヌードやナイフをもった男などの写真(プライム刺激)をモニターに映し、課題達成にどのような影響があるかを調べる。

著者たちが使ったのは「意味プライミング」と呼ばれる手法で、モニターに「wrong」「wronk」などが次々と表示されるので、被験者はそれを見て、単語か非単語(無意味な文字列)かを判断してキーを押す。

実験では、単語もしくは非単語が表示される直前に、「right(善)」「thief(泥棒)」「prune(剪定)」の3つの単語が0.25秒だけ映された。被験者はこのプライム刺激を意識できないが、無意識はちゃんと読み取っている。

覚醒時には、「right(善)」のプライム刺激のとき、「wrong(悪)」への反応の速さが(「thief(泥棒)」に比べて)3倍になった。

無意識が「right」を読み取ると、脳内でその音と意味を記憶しておく回路が活発になり、同時に関連するほかの単語の記憶が活性化される。脳は「善→悪」の関連づけをしていたため、次に表示された「wrong」に素早く反応することができたのだ。

次に著者たちは、真夜中にレム睡眠になっているとき、被験者を起こして同じテストをさせた。すると奇妙なことに、こんどは「thief(泥棒)」のプライム刺激の方が反応が速くなった(「善」よりも「泥棒」を「悪」と関連づけるようになった)。

こうした実験を繰り返すことで著者たちは、レム睡眠のときは、覚醒時に関連性が強かったプライミング効果が90%も低下していたのに対し、逆に関連が弱かった単語のプライミング効果が2倍以上になっていたことを発見した。「眠っている脳は、覚醒時よりずっと広範囲を検索して、起きているときには考えてもみなかった財宝を掘りあげようとする」のだ。

これはある種の「拡散思考」で、「疑問の答になりそうなことを、制約を課さずいくつでも出していく創造的方法」でもある。そしてじつは、こうした効果は別の方法でも実現できることが知られている。それがLSDなどの幻覚剤だ。夢と薬物による幻覚は、(ほぼ)同じものなのだ。

ぼーっとしているときにひらめく理由

LSDはセロトニン1A受容体と結合し、脳の各所でセロトニンの放出を阻害することで幻覚効果を生じさせる。同様に、ノンレム睡眠中にセロトニン濃度が(覚醒時に比べて)下がっていき、レム睡眠に入ると放出が完全に停止する。

レム睡眠時には、ノルアドレナリンの放出も阻害される。ノルアドレナリンはアドレナリンの脳内版で、いま目の前にあることに注意を集中させる効果がある。レム睡眠時にノルアドレナリンが消えると集中がほぐれ、セロトニン濃度もほぼゼロになることで、覚醒時には無視していた弱い連想に対して驚異を覚え、重要性を強く感じるようになるらしい。

この現象に重要な役割を果たすのがDMN(デフォルトモードネットワーク)だ。文字どおり、脳が(なんのタスクもしていない)デフォルト状態のときの活動で、「マインドワンダリング」ともいわれる。要するに、「ぼーっとしている」ことだ。

DMNは、「環境に重大な変化がないか監視して、危険を察知するサブネットワーク」「過去の出来事を思い出し、未来に起きることを想像するサブネットワーク」「空間を上手に動きまわるためのサブネットワーク」「単語と他者の行動を解釈するサブネットワーク」など、複数のネットワークで構成されることもわかってきた。

ぼーっと考えごとをしているとき、わたしたちは無意識のうちに、過去(あのときこんなふうにしていたら、こうなっただろう)と未来(これからこんなふうにしたら、こうなるだろう)をシミュレーションしている。DMNが自己と関連するのは、過去から未来へと向かう一貫した「自分」がいなければ、そもそもシミュレーションが成立しないからだ。「過去の自分」や「未来の自分」が「いまの自分」となんの関係もなければ、そんなことを考えてもなんの意味もない。

著者たちは、レム睡眠で夢を見ているとき「拡張マインドワンダリング」とでも呼べる状態になり、さまざまな連想をつなげているという。実際、睡眠中の脳画像でDMNの変化が大きいほど、翌日の課題の成績が向上していた。

夢のなかでアイデアを思いついたり、ぼーっとしているときに問題の解決策に気づいた経験は誰にもあるだろう。これはDMNが、脳の記憶を探索してさまざまな要素をつなげているからだ。それによって、思いもかけない要素が結びついてイノベーションが生まれる。

覚醒時には、脳は目の前の課題を処理しなくてはならないから、強い関係を優先し、弱い関係を脇にどけておく。だがこれは弱い関係を忘れてしまうのではなく、「気になること(気がかり)」を無意識に保存しているらしい。そして所在ない時間にDMNが活性化すると、こうした記憶が呼び出されてさまざまなひらめきが生まれるのだ。

仕事や勉強に集中しすぎるのは逆効果

これと関連して興味深いのは、近年、LSDなどの幻覚剤がうつ病の治療に高い効果があるとの研究が脚光を浴びていることだ。

この「幻覚剤ルネサンス」を牽引する研究者は、うつ病とは「自己」が強すぎる状態で、幻覚剤がDMNを後景に退かせることで自由な連想が可能になり、それが治療につながるのではないかと考えている。

だが『夢を見るとき脳は』の著者たちによると、夢や幻覚はDMNが活性化している状態で、それはセロトニンとノルアドレナリンの低下によって引き起こされる。どちらが正しいかは今後、検証されるだろうが、私見では、「うつ病とはDMNのシミュレーションがネガティブな方向にロックインされてしまった状態」と考えればいいのではないか。その拘束がレム睡眠や幻覚剤によってはずれ、自由にマインドワンダリングできるようになることで、別の可能性に気づいたり、気分が楽になったりするのだ。

代表的な抗うつ剤であるSSRIは、脳内でセロトニンの再取り込みを阻害することでセロトニン濃度を上げる効果があるとされており、この理論では、セロトニンの濃度が低いと抑うつ的になるはずだ。だがレム睡眠では、脳内のセロトニン濃度がゼロになることでマインドワンダリングが活性化し、幻覚剤はセロトニンの分泌を阻害してうつを寛解させる。主要な脳内神経伝達物質のひとつであるセロトニンについてはまだわからないことが多いが、今後、こうした矛盾にも一貫した説明ができるようになることを期待したい。

私たちは昼間のぼーっとした時間に、睡眠時の処理にそなえてさまざまな「気になること」を標識付けしている。ところがスマホなどによってマインドワンダリングする時間がどんどん少なくなると、この標識付けができなくなる(ぼーっとするのは「生産性が低い」のだ)。

著者たちは、じつはこれが不眠症が増えている理由のひとつではないかという。ベッドに入ったとたんに心配事が一気に押しよせてくるのは、昼間の時間に「気がかり」を処理できなかったからで、入眠前が「記憶の識別と標識付けという大事な作業ができる唯一の時間」になってしまうのだ。

現代社会では、仕事や勉強に「集中」することが重要だとされる。だがもっと大切なのは、なにもせずに「ぼーっとする」ことなのかもしれない。

禁・無断転載

バカと利口が議論するとどうなるのか? 週刊プレイボーイ連載(540)

デモクラシー(民主政)はデモス(民衆)が主権者として社会を支配する仕組みで、なにが正しくて、なにが間違っているかは市民の議論で決めることになっています。このとき、参加者の認知的な条件が一定の範囲に収まっていることが暗黙の了解事項になっていますが、この前提はつねに成立するのでしょうか。

誰もが学生時代にイヤというほど見せられた偏差値では、学力は正規分布し、それを図にするとベル(釣り鐘)のかたちになります。このベルカーブでは、平均(偏差値50)付近がもっとも多く、偏差値40から60のあいだに全体の7割(68.26%)が収まります。偏差値60~70は13.59%、70~80は2.14%で、偏差値80以上は0.14%しかいません。

ここまではときどき話題になりますが、ほとんど触れられないのは、偏差値40以下、30以下、20以下も同じ割合だけいることです。「少年院に収容されている若者の多くがケーキを3等分できない」という本がベストセラーになったのは、予想外の事実に驚いたというより、誰もがなんとなく思っていたことを「見える化」したからでしょう。

ひとびとの認知能力に(かなりの)ばらつきがあるとするならば、民主政が成り立つかどうかは、そうしたひとたちが集まって議論したときにどうなるかを調べてみなければなりません。とはいえ、被験者に知能指数を訊くわけにもいかず、研究者は人為的に“バカ”をつくりだすことでこの謎を解こうとしてきました。

その結果はというと、ディスプレイの画像をぼやけてよく見えなくするなどで、認知能力にハンディを負わされた被験者は、つねに自分の能力を大幅に高く評価しました。より困惑するのは、認知能力の高い(ハンディのない)被験者がこうした“バカ”と議論すると、正答率が大きく下がって、コイン投げで決めた方がマシになってしまうことです。

この奇妙な現象は、わたしたちの祖先がずっと、150人程度の共同体のなかで地位(ステイタス)をめぐって争ってきたことから説明できそうです。ライバルがたくさんいるときに、自分の能力が劣っていることを正直に認めるのは最悪の戦略です。たとえウソでも、高い能力をもっていると偽装したほうがまだ勝てる可能性があります。

こうして、脳は自らの能力を過大評価するように進化しました。“バカ”の特徴は、自分がバカであると気づかないことなのです。

その一方で、認知能力が高くても、それを露骨に見せびらかすことがつねに有利になるとは限りません。ライバルたちはみな、足を引っ張ろうと、虎視眈々と隙をうかがっているのです。

このような場合、自信満々にマウンティングするのではなく、相手も高い能力があると仮定し、慎重に振る舞うことが最適戦略になるでしょう。賢いひとは自分を過小評価し、(最初のうちは)誰もが同じように賢いと考えるのです。

この2人が対等の立場で議論すると、正しい答えを知っている賢いひとが、自信過剰の“バカ”に引きずられてしまいます。こうして、民主的な議論の結果は破滅的なものになってしまうというのです。

近刊の『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』(新潮新書)では、人間のやっかいな本性をめぐるさまざまな研究を紹介しています。「そんなバカな」と思うひとは、ぜひ自分で読んで確かめてみてください。

『週刊プレイボーイ』2022年10月24日発売号 禁・無断転載