【アクセス7位】人類は暴力を抑制すると同時に、殺しを楽しむように進化した

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス7位は2021年2月25日 公開の「「人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した」「自己家畜化」したヒトの道徳性と邪悪さ」です(一部改変)。

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リチャード・ランガムはハーバード大学生物人類学教授で、ウガンダで長くチンパンジーを観察した行動生態学者でもある。『善と悪のパラドックス ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史』(依田卓巳訳、NTT出版)はそのランガムが、「自己家畜化」をキーワードに、ヒトの道徳性と邪悪さの進化的起源に迫った野心作だ。原題は“The Goodness Paradox: The Strange Relationship Between Virtue and Violence in Human Evolution (善のパラドックス ヒトの進化における徳と暴力の間の奇妙な関係)“

本書の冒頭でランガムは、「もし人間が善良に進化したのなら、なぜ同時にこれほど卑劣なのだろうか。あるいは、邪悪に進化したのなら、なぜ同時にこれほど親切なのだろうか」と問う。そのうえで人間には「反応的攻撃性(reactive aggression)」と「能動的攻撃性(proactive aggression)」という2種類の攻撃性があり、前者を抑制することで社会的寛容を獲得する一方で、後者をより巧妙・残酷に発達させたと論じている。

ヒトのオスは攻撃性が抑制されている

「#MeToo」運動などによって性暴力やドメスティックバイオレンスなど「毒々しい男らしさ(toxic masculinity)」が大きな問題となっている。殺人や暴行などの犯罪統計を見ても、そこに歴然とした性差があることは間違いない。

2013年のWHOの調査では、身体的または性的暴力のどちらかを受けた女性の割合の平均は、主要10カ国の都市部で41%、都市部以外では51%だという。これは驚くべき数字だが、『男の凶暴性はどこからきたのか』(デイル・ピーターソンとの共著/山下篤子訳、三田出版会)の著書もあるランガムは、それにもかかわらず、男(ヒトのオス)の暴力性は他の霊長類と比べるときわめて抑制されているという。

野生のチンパンジーでは、成熟したメスの100%がオスから日常的に暴力をふるわれている。その目的は「目をつけたメスをおびえさせて、将来交尾の要求を容易に受け入れさせる」ためで、「いちばん数多く攻撃することで、ほかのオスと自分を区別させるのだ」という。

この胸の悪くなるようなやり方でほんとうにうまくいくのだろうか。だがランガムの観察では、「メスをもっとも攻撃したオスがもっとも頻繁な交尾相手となった」。進化の目的がより多くの子孫(利己的な遺伝子)を後世に残すことだとすれば、愛情などどうでもよく、「メスをおびえさせて性交を強要する戦略」はきわめて効果的なのだ。――チンパンジーは乱婚で、オスが子育てに参加しないのも大きいだろう。

このような例をあげながらランガムは、問うべきは男の凶暴性ではなく、「ヒトのオスではなぜメスへの攻撃性が大きく抑制されているのか」だという。このとき参考になるのは、チンパンジーの類縁種であるボノボだ。

ボノボ(ピグミーチンパンジー)はチンパンジーとの共通祖先から90~210万年前(人類の祖先が分岐したあと)に分かれ、異性だけでなく同性同士でもセックスを介して親密なコミュニケーションをとることで知られている。チンパンジーとは外見も社会行動(20~30頭の小集団で暮らし、メスが思春期になると群れを離れる)もよく似ているが、社会性には顕著なちがいがある。

チンパンジーが攻撃的で、ボノボが温和になった理由は「生息地の動物学上の差異」だとランガムはいう。同じアフリカの熱帯雨林でも、チンパンジーはコンゴ川の北寄り、ボノボは南寄りに暮らしている。更新世(約260万年~1万年前)の乾季にコンゴ川の水量が大きく減少したとき、北側で暮らしていた類人猿の一部が川を渡って南側に移動した。その後、水量が増えて彼らは南側に取り残されてしまった。

コンゴ川の北と南の生態学的なちがいは、ゴリラがいるかどうかだ。南側には山地がないため、たとえ川を渡ったとしてもゴリラは生きていくことができなかった。

チンパンジーとゴリラは、食べ物をめぐって競合している。そのためコンゴ川の北に生息するチンパンジーは、熟した果物や葉、茎を探すために長距離を移動しなければならず、子連れの母親とは別々になる。野生のチンパンジーの基本は単独行動なのだ。

それに対してコンゴ川の南では、ゴリラがいないために、豊富な食べ物を独占することができる。これが親密な社会の成立を可能にし、メスが安定した結びつきを築くことで「(オスに対する)防衛的な協力体制」をとるようになった。こうなると狂暴なオスは嫌われるから、メスの選好に合わせて攻撃性の低下や性的なコミュニケーションを進化させたのだという。

ランガムは、突き詰めれば「すべての生き物は環境に適応しているのだ」と述べる。オオカミの一部はヒトに家畜化されることで攻撃性を大きく減らしてイヌになった。同様にウマやウシ、ヒツジなども家畜化によって温和な性格に変わった。だがボノボはヒトの家畜になったわけではない。このように、なんらかの環境の変化で家畜のような特徴をもつようになることを「自己家畜化」という。

チンパンジーとボノボの共通祖先から500~600万年前に分岐した人類も、同様の「自己家畜化」によって攻撃性を低下させたのではないか。だとしたら、その進化を促した「環境」とはいったいなんだろう?

人類は「自己家畜化」されてきた

人類が自己家畜化の産物だと最初に唱えたのは18世紀末のドイツの人類学者ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハだとされる。1795年にブルーメンバッハは「ヒトはほかのどんな動物よりはるかに家畜化され、最初の祖先から進化している」と記した。

だがこの卓見は、20世紀に入ると不穏な気配を帯び始める。人類学者のオイゲン・フィッシャーは1914年の論文「家畜化の結果としての人種的特性」で、「アーリア人はほかの人種より家畜化されているので優れている」と主張した。金髪や白い肌に対するなかば無意識の嗜好が、すぐれたアーリア人の特徴の人為的な選択につながったというのだ。

次いで1921年、歴史家のマルティン・ブリュネーがフィッシャーの自己家畜化(自然淘汰)説を受け継いで、「もう一度自然淘汰の法則が成り立つように」不妊手術の合法化と福祉施設の廃止を提唱した。

それに対して、1973年にノーベル医学生理学賞を受賞した動物学者コンラート・ローレンツは、1940年の論文「種固有の行動の家畜化が引き起こす無秩序」で、「文明の影響で人間は過度に家畜化されたせいで魅力に欠け、幼児退行して成長できなくなった」とまったく逆の主張をした。この著名な動物学者は、「高度に家畜化された集団」を自然の理想形の劣化版と考えたのだ。

だが問題は、いずれの立場でもナチスの優生学に行きつくことだった。自己家畜化をより進化した人類への自然淘汰だと考えても、人類を劣化させるものだと考えても、国家が人種政策によって「交配」に介入することを正当化するのだ。

こうして第二次世界大戦後、自己家畜化論は人種主義につながるとして嫌悪され顧みられなくなった。それを復権させたのがロシア(旧ソ連)の遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフだ。

スターリンの粛清によって家族を失ったベリャーエフは、1959年からシベリアの細胞学・遺伝学研究所でギンギツネを使った画期的な実験を行なった。ベリャーエフの興味は、数千匹のキツネのなかから大人しい個体だけを選んでかけ合わせると、従順さが増大するだけでなく、家畜化の他の特徴も現われるのではないかというものだった。そこで、エサをやりながら身体をなでても嫌がらない子ギツネを選び、交配させてみた。

結果は驚くべきものだった。わずか3世代で攻撃性やおびえた反応を示さない個体が出現し、第4世代では何匹かの子ギツネがイヌのように尾を振って近づいてきた。第10世代になると、注意を引くためにクンクン鳴き、研究者に近づいてにおいを嗅いだりなめたりする個体が子ギツネの18%に及び、その割合は第20世代で35%、第30~35世代で70~80%になった。

そればかりではなく、選択的交配から10年目に白ブチのオスのキツネが生まれた。次に、ある種のイヌと同様に垂れ耳と丸まった尾という特徴が現われ、15~20世代後には尾や四肢が短く、(下の前歯が上の前歯より前に出る)反対咬合や(上の前歯が被りすぎる)過蓋咬合のあるキツネが出現した。さらに、家畜化されたキツネは農場のキツネよりも頭蓋骨が小さくなっていることも確認された。

繁殖周期にも大きな変化があった。選択交配の開始から3年目には、メスの6%が夏だけでなく春と秋にも子を産むようになった。10年目にはメスの40%が1年に3回出産した。これらはいずれも家畜化の特徴だ。

ダーウィンは、体毛が白く目の青い猫は耳が聞こえなくなる傾向があることに頭を悩ませた。自然淘汰が環境への適応だとするならば、生物学的に不利な特性が進化するとは考えられないからだ。

だがベリャーエフの実験は、この謎を見事に解明した。なんらかの特徴(従順さ)を基準に選択的に交配すると、それ以外のとくに意味をもたない(あるいは好ましくない)一連の身体的な変化が付随的に生じるのだ。

「家畜化症候群」には大きく以下の4つの特徴がある。

  • 野生種より小型になる
  • 野生の祖先より顔が平面的になり、前方への突出が小さくなる傾向がある
  • 家畜ではオスとメスのちがいが野生動物に比べて小さい
  • 家畜は哺乳類であれ鳥類であれ、野生の祖先より顕著に脳が小さくなる傾向がある

人類の化石にもこうした家畜化の特徴ははっきり現われている。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人など先行する人類より小型で平面的な顔貌をし、男女の骨格のちがいが小さい。より興味深いのは頭蓋容量(脳の大きさ)で、過去200万年間の人類史で着実に増大してきたが、3万年ほど前に方向転換が生じて脳が小さくなりはじめた。現代人の脳は2万年前の古代人より10~30%も小さいという。

とはいえ、脳が縮小することで認知機能がかならずしも低下するわけではない。家畜化されたモルモットの脳は野生種の祖先より体重比で約14%小さいが、より早く迷路のゴールにたどり着き、関連性を習得し、逆転学習の成績が向上している。家畜化するとなぜ脳が小さくなるのかは不明だが、ヒトの脳が小さくなっているからといって「退化」しているわけではないようだ。

平等主義の根底には暴力(処刑)がある

ヒトの「家畜化症候群」はいつ始まったのか? これを確定するのは困難だが、ランガムは「30万年前」との説を提唱する。その頃にヒトが高度な言語能力をもつようになったと考えられるからだ。

道徳性の根拠として「評判仮説」がある。「有益な人として知られることが人生の成功に大きな影響力を持ち、善行が報われ、美徳が「適応」になる」というのだ。

認知心理学者ジャン・エンゲルマンはこの仮説を確認するために、「チンパンジーは評判を気にするか?」を調べた。「被験者」となったチンパンジーは、「仲間の食べ物を盗むことができるが、それをときどき別のチンパンジーに見られる」という状況に置かれた。評判を気にするなら、見られているときに食べ物を盗む回数が減るはずだが、そのようなことはなかった。ほかのチンパンジーを手助けする実験でも同じ結果が得られた。

チンパンジーは個性のちがいを認識しており、協調性がある個体は好かれ、そうでない個体は避けられる傾向にある。それにもかかわらず、仲間から協調的に見られるように意識することはない。なぜなら彼らは話せないから。噂話をするための高度な言語・コミュニケーション能力がなければ、他人からどう思われようが関係ないのだ。

エンゲルマンは次に、就学前の5歳児でチンパンジーと同じ実験をした。すると5歳児は、チンパンジーとちがい、誰かが見ているときは盗む回数が減り、仲間を手助けすることも多くなった。ヒトは言語を獲得したことで評判を意識するように進化し、それが脳のプログラムに組み込まれているらしい。

これは「評判仮説」の有力な証拠になるが、ランガムは、これだけではヒトの攻撃性が大幅に低くなったことを説明できないという。誰でも心当たりがあるだろうが、社会には一定数のきわめて暴力的な男(女もいるかもしれないがごく少数)が存在するからだ。圧倒的なちからをもち、暴力で相手を思いどおりにできるなら、評判など気にする必要はないだろう。たんなる噂話では「暴君」に対抗できないのだ。

そこでランガムは、「処刑仮説」を提起する。高度な言語能力を獲得したことで(成人の)男たちが結託できるようになり、自分たちにとって不都合な「過剰な暴力」を排除した。暴君は個人対個人では圧倒的に優位でも、相手が徒党を組めば対抗する術はない。こうして乱暴者は処刑され、ベリャーエフのキツネと同じように、従順な個体だけが残って家畜化が進んだというのだ。

「処刑仮説」の傍証としてランガムは、ナミビアの狩猟採集民に巨大な雄牛を贈って驚かせようとした人類学者リチャード・リーの体験を紹介している。喜んでもらえるとばかり思っていたリーは、男たちから「この雄牛は痩せこけている、ただの骨の袋だ、肉がないから角を食べなければならない」などと侮辱されてショックを受けた。やがて、年長者がリーにこう語った。

「若者がたくさんの獲物をしとめると、自分をリーダーか重要人物と考え、ほかの人びとを使用人か劣った者として見るようになる。それを受け入れることはできない。いつか彼の自尊心がほかの人間の命を奪うことになるので、われわれは自慢する男を拒絶する。だからいつも、その肉には価値がないと言うのだ。そうして彼を冷静にさせて、威張らせない」

狩猟採集民の社会は「平等主義」で成り立っていて、過度に目立つ(共同体の和を乱す)者は危険視される。だからこそ、一線を越えて冗長しないように、傲慢に思える行為は徹底的に抑え込まれる。

格差社会への批判として、昨今、狩猟採集民の平等主義が再評価されているが、ランガムによれば、こうした手放しの称賛は平等主義の根底に暴力(処刑)があることを見逃している。「支配的な行為がないことが取り得の平等主義が、人間がなしうるもっとも支配的な行為によって維持されているというのは、皮肉で不穏な結論」なのだ。

もうひとつランガムの指摘で重要なのは、狩猟採集民が実現したのが「男たちの平等」であることだ。

結託して暴君を処刑する能力を得たことで大きな利益を得たのは下位の男たちだった。彼らには、その権力を女たちと分かち合う理由はない。こうして「男の連合」が女や子どもを支配し、社会を統制する仕組みがつくられた。ボス(リーダー)が下位の男性連合に支配されることは「逆支配階級制(反支配階級制)」と呼ばれるが、それは成人男子が自分たちの共通利益を守るためのネットワークで、「家父長制」の起源でもあるのだ。

「道徳」は仲間による非難から自分を守る盾

狩猟採集民は通常、1000人ほどのメンバーからなり、独自の共通言語(または方言)と、葬儀などの文化的習慣を共有する。だが食料確保の制約のため、全員が同じ場所で暮らすことはできず、平均50人以下の「バンド」という集団で生活する。

バンドにも集団の決定を主導するようなリーダーシップがあり、その範囲においては名声が重要な基準になる。リーダーは称えられ、尊敬されるが、自分の考えを押しつけることはできないし、地位を利用してバンドの構成員から何かを受け取ることもできない。「他者に命令できないということは、狩猟採集民にはボスの地位がないということだ」。

こうしたルールは、食料を保存する手段がなく(富が蓄積できない)、すべての男が働いて自分の食べ物を獲得しなければならないという制約のなかで、共同体を成立させる必要性から生まれたのだろう。そのため農耕によって富の蓄積が可能になり、下位の男による「平等の専制」が崩壊するにつれて階層性(ヒエラルキー)が現われた。リベラルな知識人のなかには、狩猟採集社会こそが人間の本性で、農耕(穀物)が社会を邪悪なものにしたと主張する者もいるが、これは話が逆で、階層性が「ヒトの本性」であり、狩猟採集社会の物理的な制約によってそれが表に出るのを防いでいたのだろう。

【参考】わたしたちは文明化によって不幸になったのか

狩猟採集社会の「平等主義」というのは、要するに「男たちの専制」のことだった。ランガムは触れていないが、一夫一妻制というのも、男たちに女を平等に「分配」する仕組みとして定着したのではないだろうか。

傲慢や自慢が「処刑」につながる社会では、「道徳」は仲間による非難から自分を守る盾になる。わたしたちが善悪に敏感なのは、悪と判定されると殺されてしまうからなのだ。

こうして、ヒトは社会的なあやまちを指摘されると赤面するように進化したのだとランガムはいう。赤面は口先だけの謝罪よりも自責の表明として効果的で、顔を赤くしたり涙を流したりする相手をそれ以上責めようとは思わないのだ。

規範心理は「文化規範を身につけるために進化した仕組み」のことで、「誰もが従うことを期待されるルール」でもある。すべての文化は、社会化を通して子どもたちに道徳をしつけている。規範心理すなわち道徳は、「社会的な落とし穴」から身を守るために進化した。

「評判」と「処刑」の圧力によってヒト(男)は家畜化され、攻撃性を減らして同じ社会のメンバーに対して寛容になっていった。これがヒトの“善(ジキル)”の側面だとするならば、“悪(ハイド)”は何だろう?

人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した

言語という強力なツールを獲得したヒトは、男たちが共謀することで共同体内の暴力を抑制し、「反応的攻撃性」を減らしていった。だがその一方で、男たちの連合は「共謀した暴力行使」すなわち「徒党を組んだ攻撃」の大きな威力を他の社会に向けるメリットに気づいた。

狩猟採集では、「縄張り」が大きければ大きいほどより多くの食料を獲得できる。とはいえ、同じ社会のメンバー同士で殺しあっていては、他の社会から侵略を受けて全滅してしまう。ヤクザは内部抗争(内輪揉め)をきびしく禁じる一方で、できるだけ組織を大きくして、隙があれば他の組の縄張りを奪い取ろうとする。これは狩猟採集民と同じで、『仁義なき戦い』も植民地主義も、何百万年ものあいだ人類がやってきた「縄張り獲得」ゲームの繰り返しなのだ。

他の社会への徒党を組んだ攻撃は「連合による能動的攻撃性」と呼ばれるが、これは「反応的攻撃性」とはちがって認知能力が重要になる。これもヤクザの抗争と同じで、強大な敵に戦いを挑めば自滅するだけだ。「戦争」を仕掛けるのは、相手がじゅうぶんに弱く、こちらが確実に勝てる(算段がある)ときだけにしなければならない。戦争(社会と社会の闘争)は高度に知的なゲームなのだ。

「連合による能動的攻撃性」は利他主義の由来を説明する。「戦闘における自己犠牲」のような美徳は、他の社会を殲滅するために内部の結束を強めるよう進化したなかから生まれた。この適応は群淘汰(集団選択説)のように思えるが、「利己的な遺伝子」説でも利他的戦略が一定の割合で生じることが説明でき、いまだ論争が続いている(群淘汰の弱点は、自己犠牲ばかりの高潔な集団では利己的な戦略が圧倒的に有利になることだ)。

高い認知能力を獲得したヒトは、社会のなかで寛容になると同時に、異なる社会(敵)に対してはかぎりなく残酷に振る舞うよう進化した。

「なぜ殺すのか」の問いに対してランガムは、おそらく本書でもっとも議論を呼ぶであろう回答をする。「不穏ではあるけれども生物学的に意味をなす答えは、殺しを楽しんでいるからだ」というのだ。

セックスをするとき、「自分の遺伝子の複製を最大化しよう」と考えるひとはいない。異性に惹かれ、セックスを求めるのは、それが快楽と強く結びついているからだ。その「おまけ」として子どもが生まれ、遺伝子が後世に引き継がれていく。

同様に「殺し」をするときに、生存・性愛の利益を最大化するという進化論的な効果を意識する必要はない。他者(異なる社会のメンバー)を殺すのが快楽になるように脳のプログラムを「設計」しておけば、敵を皆殺しにして縄張りを拡張し、結果として適応の恩恵を受けるようになる。すなわち、「人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した」のだ。――これがおそらく、ネアンデルタール人などヒト(ホモ・サピエンス)に先行してユーラシア大陸で暮らしていた人類が絶滅した理由だろう。

ランガムの不穏な説が正しいとすると、協調や共感力、道徳心がどこまで役に立つのかは心もとない。それは本来、社会のなかで「反応的攻撃性」を引き下げる環境圧力によって進化してきた。それが社会の外にまで届いていないのなら、道徳教育は内集団びいきを強めるだけで、他者(敵)への憎悪や残酷さがより苛烈になるかもしれない。

だったらどうすればいいのか。この難問についてランガムは多くを語らず、本書の最後でこう述べているだけだ。

人類が探求すべき重要なことは、協調の促進ではない。その目標はむしろ単純で、家畜化と道徳感覚によってしっかりと基礎づけられている。それより困難な課題は、組織的な暴力が持つ力をいかに軽減させるかだ。

私たちはその道を歩きはじめたが、まだ先は長い。

禁・無断転載

人手不足が日本を合理的な社会にしていく 週刊プレイボーイ連載(542)

アイスランド・レイキャビクの空港でレンタカーを借りようとしたら、カウンターでキーといっしょに車のイラストが描かれた紙を渡されました。戸惑いながら駐車場に行ってみると、レンタカー会社のスタッフは誰もおらず、利用者が書類を片手に車体を真剣にチェックしています。返却の際に傷があると賠償が発生することがありますが、そのときなって「これは最初からついていた」といっても手遅れなので、あらかじめ自己申告することになっているのです。

ホテルに着くと駐車場が満車で、フロントの女性にどうすればいいか訊くと、午後6時から午前10時までは路上駐車が許可されているから、そのあたりに適当に駐めておくよういわれました。10時過ぎたらどうなるのかと訊くと、ちょっと肩をすくめて、「レッカー移動される前に自分で動かしてね」との答えが返ってきました。

「そんなの当たり前だよ」ホテル近くのバーで知り合った男性にその話をしたら、一笑にふされました。

「アイスランドの人口はたった32万人しかいないんだ。そんな国に、夏になると国の人口を超える観光客がやってくる。手厚いサービスなんてできるわけないから、あらゆることが最小限で動くようになってるんだよ」

たしかに、レストランは学校や会社の食堂のようなセルフサービス方式で、ウエイターがサーブするのはごく限られた高級店だけです。大露天風呂ブルーラグーンは一大観光地ですが、入場時にICチップが埋め込まれたロッカーキーを渡され、施設内の支払いを電子データとして記録し、出口でまとめて精算するようになっていました。

アイスランドはヨーロッパの辺境で、漁業以外にさしたる産業がありませんでしたが、21世紀になって急速に「金融化」します。高金利のポンド預金やユーロ預金でヨーロッパ中から集めたお金でグローバル市場に投資する「ヘッジファンド国家」になったあげく、世界金融危機で国家破産寸前まで追い詰められました。

しかしこの危機を数年で乗り切ると、こんどは「リベラル化」が進みます。もともとマッチョな男社会であるにもかかわらず、2009年にはヨハンナ・シグルザルドッティルが、レズビアンであることをカミングアウトした世界初の首相になりました。

金融化とリベラル化に共通するのは、「自由と自己責任」というネオリベ(新自由主義)的な精神です。少ない人口で社会を回さなければならない以上、性別や性的指向などにかかわらず、政治家は結果さえ残してくれればいいのです。

アイスランドの徹底した合理主義の背景には、「人手が足りない」という外的要因がありました。それに対して1億の人口を擁する日本は、ずっと「人手はいくらでもある」を前提にやってきました。そのような社会では、マイナンバーのような合理的な制度は仕事を奪う元凶として嫌われることになるでしょう。

それが少子高齢化によって、日本でも「人手が足りない」という危機感が高まってきました。こうして、世界から周回遅れでも、少しずつ不愉快な合理性を受け入れるようになっていくのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2022年11月7日発売号 禁・無断転載

【アクセス6位】Qアノンのディープステイトと秘密結社イルミナティ

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス6位は2021年2月11日公開の「建国以来、アメリカ人はイルミナティなど「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた」です(一部改変)。

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トランプ前大統領の「選挙は盗まれた」「議事堂に行って、勇敢な議員を励まそう」との演説に扇動された熱狂的な支持者たちによるアメリカ連邦議会議事堂占拠は、今後、現代史の画期をなす出来事として繰り返し語られ分析されることになるだろう。

この事件の不可解さは、トランプ支持者がQアノンなる陰謀論を信じていることにある。この陰謀論では、「アメリカはディープステイト(闇の政府)に支配されており、トランプはそれと闘っている」とされる。彼らにいわせれば、「選挙を盗んだ」のもディープステイトの策略ということになる。

ディープステイトとはいったい何なのか? 諸説あるものの、この用語が広く知られるようになったきっかけは、NSA(国家安全保障局)、CIA(中央情報局)の元局員で、政府がアメリカ国民に対して組織的な監視活動を行なっていることを告発したエドワード・スノーデンのようだ。スノーデンは、行政権力が法や倫理を無視して歯止めなく監視・統制を強めていく実態を「ディープステイト」と呼んだ。

だがQアノンの陰謀論は、このような(真っ当な)権力システム批判ではなく、明らかに政府内に巣くう特定の陰謀集団を想定している。この発想は目新しいものではなく、建国以来、アメリカ人は「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた。

こうした秘密結社のなかでもっともよく登場するのがイルミナティ(Illuminati)だ。といっても、この名高い(悪名高い)結社は日本人にはほとんど馴染みがなく、私もダン・ブラウンの歴史ミステリーを原作にした映画『天使と悪魔』(ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演。2009年)くらいしか知らなかった。ローマ教皇が死んだばかりのバチカンで4人の枢機卿が拉致され、イルミナティから脅迫テープが届く……というのが物語の導入だ。

キリスト教圏の歴史や文化(サブカルチャー)に大きな影響を与え、いまもアメリカの「怒れるひとびと」を動員するちからをもつ秘密結社とはいったい何なのだろうか?

イルミナティの目的は教育によって理性を広めること

イルミナティは「陰謀」にまみれているので、主流派の歴史家は敬遠し扱おうとしなかった。その数少ない例外がイギリスの歴史家ニーアル・ファーガソンで、『スクエア・アンド・タワー ネットワークが創り変えた世界』( 柴田裕之訳、東洋経済新報社)の冒頭に「イルミナティの謎」の章を置いている。ファーガソンはこの本で、人類の歴史を「スクエア(広場)」と「塔(タワー)」の拮抗と交代として読み解こうとしている。これを私の用語でいうと、「バザール」と「伽藍」になる。

タワー(伽藍)が強固な階層性組織だとするならば、広場(バザール)は階層性を侵食するネットワークだ。強大な権力もいずれはネットワークに侵食されて崩壊するが、中心のない「スクエア=ネットワーク」だけでは社会を統治することができず、混沌のなかからふたたび「タワー=階層性」が現われる。――この魅力的な歴史観についてはいずれ別の機会に論じてみたい。

そのファーガソンはイルミナティを、18世紀のドイツ、バイエルン地方で誕生した秘密結社的なネットワークだとする。それが「神話化」することで、現代に至る壮大な「陰謀論のネットワーク」へと成長したのだ。

アダム・ヴァイスハウプトは1748年に南ドイツの法学教授の家に生まれ、父親が若くして死んだために、大学改革を命ぜられた男爵の後援で父親の跡を継ぎ、若干24歳でバイエルン中部にあるインゴルシュタット大学の教会法の教授に、翌年には法学部の学部長に任命された。

この若い法学者は、幼少期にイエズス会のきびしい教育を受けた反動でフランス啓蒙運動の過激な哲学者に傾倒しており、それを保守的な南ドイツ移植したいと考えていた。だが彼が奉じたのは禁忌とされた無神論だったので、仲間を集めるにしても、その目的を秘匿しなければならなかった。こうして1776年、ヴァイスハウプト28歳のときに秘密結社「イルミナーテンオルデン(イルミナティ教団)」が創設された。

この結社のある会員の回想によると、ヴァイスハウプトはイルミナティの目指すところを次のように語ったという。

この上なく巧妙かつ安全な手段を講じ、美徳と叡智をもってして愚昧と悪意に勝利せしめることを目指す団体。科学のあらゆる分野で最も重要な発見をなし、会員を教導して偉大たらしめる団体。現世において全き者となるという確実な褒賞を会員に保証する団体。迫害と弾圧から会員を守る団体。あらゆる形態の専制を封じる団体。

イルミナティは「啓明」という名のとおり、その目的は「迷信と偏見の雲を追い散らす、理性の太陽によって啓蒙し、知性を導く」ことであり、「私の目的は理性を優位に立たせることだ」とヴァイスハウプトは宣言した。そのための方法は「陰謀」ではなく「教育」で、結社の総則(1781年)には「この同盟の唯一の意図は、空虚な手段に訴えることなく、美徳を助長し、それに報いることによる教育である」と記された。

フリーメイソンに寄生したイルミナティ

イルミナティは啓蒙主義を掲げる秘密結社として創設されたが、その性格に決定的な影響を与えたのは、ヴァイスハウプトがイエズス会しか「組織」を知らなかったことだ。その結果、矛盾するようだが、「イエズス会のような階層性をもつ反イエズス会(反カトリック)の秘密結社」が生まれることになった。

イルミナティの会員は、多くが古代ギリシアや古代ローマに由来する暗号名をもち(創設者であるヴァイスハウプトの暗号名は「スパルタクス」)、会員は下から「修練者」「ミネルヴァル(ギリシア神話の知恵の神アテナに相当するローマ神話の女神ミネルヴァからとった名称)」「啓蒙されたミネルヴァル」の3階級に分けられ、低い階級の者には結社の目的や活動内容は漠然としか知らされなかった。

入会にあたっては秘密厳守の宣誓をしなければならず、この誓いを破ると「この上なく陰惨な死」をもって罰せられることになっていた。新加入者は孤立した「細胞」に組み込まれ、上位の会員の監督下に置かれるが、その人物の正体は知らされなかった。

とはいえ、創設時の会員は学生が大半で、2年経っても会員総数はわずか25人だった。1779年12月(創設3年目)でも60人にしかならなかったが、それからわずか数年のうちに会員数は1300人を超えるまでに急増し、バイエルンだけでなくドイツ各地に支部をもつようになった。

なぜこのような「躍進」が可能になったのか。それは、イルミナティがフリーメイソンに食い込んだからだ。

フリーメイソンもまた陰謀論の定番で、その神話化された来歴については諸説が入り乱れているが、中世の石工(王宮や教会などの建築家)組合を前身とし、「理性の時代」の潮流のなかで、17世紀中期にスコットランドのロッジ(地方支部)が「思索的メイソン」を受け入れ、そこからイングランド、フランス、ドイツ、北米へと広がっていったとされる。

フリーメイソン自体も啓蒙主義(理神論)の秘密結社だが、1770年代になると、ドイツでは名士の社交クラブのような存在になっていたらしい。そうなると、「テンプル騎士団を起源とする伝承がないがしろにされている」と不満をもつ会員が現われ、「厳格な典礼の遵守」を求めるようになった。

そんな「原理主義者」が新興の弱小秘密結社に目をつけ、それを利用して“堕落したメイソン”を立て直そうとした。イルミナティは「寄生植物」のように、フリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長したのだ。

フリーメイソンの原理主義者たちは、イルミナティの組織に自分たちの儀式を次々と加えた。修練者の階級は「ミネルヴァル」と「小啓明者」に分かれ、その上に「大啓明者(スコットランド修練者)」と「教導啓明者(スコットランド騎士)」が置かれた。上位の「啓蒙されたミネルヴァル」階級も「小密儀(司祭)」「大密儀(魔術師)」「王」へと階層化された。「王」の会員のなかから国家監査官、管区長、長官、首席司祭といった結社の役員が選ばれ、多数の地方「教会」は「県」「地方」「査察」の傘下に入った。

「秘密結社のなかの秘密結社」として組織が整備されるにつれて、イルミナティはドイツの名士たちのあいだで強烈な魅力をもつようになった。それはいわば招待制のサロンのようなもので、イルミナティであることが新たなステイタスシンボルになったのだ。こうして、ドイツの錚々たる諸侯や貴族、知識人だけでなく聖職者までもが結社に加わった(モーツァルトのオペラ『魔笛』(1791年)にイルミナティの影響が見られることはよく知られている)。

だが上流階級への急速な浸透がバイエルン政府の警戒を招き、「宗教に背き、敵対する」として、創設から8年後の1784年には活動を事実上禁止する3つの布告のうちの最初のものが発せられた。調査委員会によってイルミナティの会員が大学や官界から追放され、職を失い、投獄されたり国外に追放される者が出ると、結社はあっけなく崩壊した。ファーガソンは、「イルミナティは、1787年の末までには実質的に機能しなくなっていた」と述べる。

それにもかかわらず、なぜこの秘密結社は「神話化」していったのか。それは同じ頃、ヨーロッパで大事件が起きたからだ。それが1789年のフランス革命だ。

秘密結社によって誕生し、秘密結社を恐れるアメリカ

人間にとっての根源的な恐怖は、何が起きているのかわからないことだ。このときわたしたち(脳=無意識)は、納得できる説明を必死になって探し求める。それまで世界でもっとも裕福で強大な権力をもつと信じられていたフランスの絶対王政が革命によってあっけなく倒されただけでなく、国王と王妃がギロチンにかけられて斬首されるという驚天動地の出来事は、まさに「説明」が必要とされていた。

フランス革命を牽引した活動家のなかにフリーメイソンのメンバーがいたことは周知の事実だが、革命運動が「秘密」裏に工作しなければならないことを考えれば当然の話でもあった。活動家たちは、メイソンに入会することで秘密結社のネットワークを自在に使うことができるようになった。

だが先に述べたように、18世紀末のヨーロッパではフリーメイソンは名士の社交クラブになっていたのだから、イギリスやドイツの上流階級は自身がメイソンだったり、周囲にメイソンのメンバーがいることは珍しくなかっただろう。そんな彼らにとって、フリーメイソンが革命の主体というのは容易に信じがたかった。

そこで早くも1797年、高名なスコットランドの物理学者ジョン・ロビンソンが、フリーメイソン、イルミナティ、リーディングソサエティ(啓蒙的な読書クラブ)が「ヨーロッパの既成宗教をすべて根絶し、既存の政府を1つ残さず転覆させる」という陰謀を画策しているとの著書を刊行した。

同年、フランスのイエズス会士、オーギュスタン・ドゥ・バリュエルも「フランス革命の間に見られた最も忌まわしい行為に至るまで、何もかも予知され、決められ、また、組み合わされ、あらかじめ計画されており……考え抜かれた非道の所産だった」として、ジャコバン派そのものがイルミナティの後継者だと主張した。

こうしてフランス革命直後から「イルミナティ陰謀説」がヨーロッパを席捲し、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は「イルミナティは依然としてドイツ全土で危険なまでに破壊的な勢力だ」と警告された。

「イルミナティ神話」は、大西洋を渡って独立したばかりのアメリカにも伝わった。アメリカのひとびとも、なぜフランスで革命などという「荒唐無稽」なことが起きたのかの説明を求めていたが、それより切実なのは、独立直後の国家がまだ脆弱で、イギリスやスペインなどのヨーロッパの大国、あるいはカトリック(バチカン)が新政府を転覆させるための陰謀を画策しているのではないかという不安が広まっていたことだった。

当時のアメリカの政治や社会は混沌としており、さまざまな陰謀が現われては消えていっただろう。「何者かが自分たちに陰謀をはたらいている」との不安はたんなる妄想ではなく、根拠があった。この不安が、ヨーロッパの得体の知れない秘密結社(イルミナティ)と結びついても不思議はなかった。

だがファーガソンも指摘するように、ここには歴史の皮肉がある。アメリカの独立革命に大きな役割を果たしたのがフリーメイソンだったからだ。ボストン茶会事件のとき、主要な独立運動組織5つのうちの1つがフリーメイソンのセント・アンドルーズ・ロッジで、「反(植民地)政府的な扇動行為の温床と化していた」。

ベンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアの所属ロッジのグランドマスターになったばかりか、『フリーメイソン憲章』のアメリカにおける最初の版の発行者でもあった。ジョージ・ワシントンも20歳のときにヴァージニアのロッジに加入し、1783年には新たに設立されたロッジのマスターになっている。

ワシントンは1789年4月30日の大統領就任式でフリーメイソンのセント・ジョンズ・ロッジ第一の聖書にかけて就任宣誓をし、1794年の連邦議会議事堂定礎式ではフリーメイソンの式服一式を身にまとって肖像画を描かせた。有名な1ドル紙幣の「(未完のピラミッドの上に載った万物を見通す)プロヴィデンスの目」も、多くの歴史家がフリーメイソンとのつながりに疑問を呈しているが、ファーガソンはその関係は明らかだとしている。

フリーメイソンが革命や独立運動で主導的な役割を果たしたのは、「秘密」の活動に向いていたからだけではない。当時はまだ貴族(上流階級)と平民(中流階級)が対等の立場で交流することはできなかったが、「身分にかかわらずすべての会員が平等」という秘密結社が地下活動の拠点となったことで、より大きなネットワークを可能にしたのだとファーガソンは指摘している。

アメリカは秘密結社(フリーメイソン)によって誕生したが、その直後から秘密結社(イルミナティ)を恐れるようになったのだ。

イルミナティと反ユダヤ主義

1730年代にアメリカのニューイングランドを中心に興った宗教復興運動が第一次大覚醒で、次いで独立後の1800年代から1830年代にかけて第二次大覚醒と呼ばれる福音主義運動が始まる。この「キリスト教原理主義」の高揚のなかで、宗教活動を軽視・否定するフリーメイソンへの反発が広がり、独立運動への貢献は歴史から消されていく。こうしてアメリカ現代史のなかで、フリーメイソンの建国の役割は無視されるようになっていった。

それを華々しく復活させたのがジョン・トッドという若者で、1970年代半ばからアメリカ各地で「イルミナティの陰謀」を説き、一時はテレビに出演するまでの注目を集めた。――以下の記述はジェシー・ウォーカー『パラノイア合衆国 陰謀論で読み解く《アメリカ史》』(鍛原多惠子訳、河出書房新社)に拠る。

トッドは自分のことを、アメリカに魔法をもたらしたコリンズ家に生まれ、13歳で魔術師の司祭職について学びはじめ、14歳でオハイオ州コロンバスの魔女団で秘伝を授けられたが、それはフリーメイソンの秘伝とまったく同じだと語った。

18歳で高位の聖職者になったトッドは徴兵されてドイツの軍事基地に駐屯しているとき、酒に酔ってドイツ人将校を射殺して刑務所に送られたが、ある日、「1人の上院議員、1人の下院議員、将官が2人」が迎えに来た。すると軍法会議の記録が抹消され、名誉除隊でアメリカへの帰国を許され、自宅に戻ると2000ドルとニューヨーク行きのファーストクラスの封筒が置かれていた。こうしてトッドは、「イルミナティと呼ばれる強力な政治組織」の存在を知ることになる。

イルミナティを組織していたのはロスチャイルド家で、その下には「十三人委員会」、ロスチャイルド家専属の聖職者、世界でもっとも強力なフリーメイソンから成る「三十三人委員会」、ロックフェラー家、ケネディ家、デュポン家など超富裕層から成る「五百人委員会」の階層があった。イルミナティはスタンダード石油、シェル石油、チェース・マンハッタン銀行、バンク・オブ・アメリカ、シアーズ、セイフウェイなどの大企業を支配し、全米キリスト教会協議会、全米大魔王同盟、連邦準備制度、アメリカ自由人権協会、アメリカ青年商工会議所、(右派の政治団体である)ジョン・バーチ協会、共産党を牛耳っているとされた。

イルミナティは、アメリカでは「外交問題評議会(国際問題を討議する場として1921年に設立され、雑誌『フォーリン・アフェアーズ』を発行。国際連合世界政府を構想したことで右派から「影の世界政府」と批判された)」を自称していたともいう。

トッドは最高位の十三人委員会に迎え入れられ、13州の管理を命じられ、世界全体を支配しようとするイルミナティの8年計画について知らされた。その計画は1980年12月に完了予定となっていた。この大陰謀を知って、トッドは1972年にイルミナティを脱会し(キリスト教福音主義と出会って回心を体験したという)、ひとびとに危険を知らせるために全米を回っている――という話をして教会の信徒から寄付を募っていた。

「イルミナティの大陰謀」はトッドが考えついたものではない。20世紀初頭のイギリス作家ネスタ・ウェブスターは、イルミナティとその関連組織がフランス革命ばかりか、その後のヨーロッパで起きたあらゆる革命の背後にあったと論じた。彼女の語るイルミナティは、「共産主義であるとともに資本主義でもあり、銀行、ボルシェビキ、フリーメイソン、神秘主義、ドイツ人、ユダヤ人すべてをひっくるめたものだった」。

ここには明らかに反ユダヤ主義の影があるが、この議論に影響を受けたのがウィンストン・チャーチルで、1920年、「ユダヤ人による運動というものは新しいものではない。スパルタクス・ヴァイスハウプト集団(イルミナティ)の時代から、カール・マルクス、そしてトロツキー(ロシア)、クン・ベーラ(ハンガリー)、ローザ・ルクセンブルク(ドイツ)、エマ・ゴールドマン(アメリカ)まで、阻害された発展、嫉妬心にもとづく悪意、不可能な平等がもたらす文明破壊と社会再構成は着々と進められてきた」と記した。

トッドの物語(あるいは妄想)は、「イルミナティとその背後にいるユダヤ人」という構図で作り出された膨大な陰謀論の沃野から生まれたのだ。

『スターウォーズ』からQアノンへ

1969年8月、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8カ月だった女優のシャロン・テートと友人ら3人が自宅で斬殺される事件が起きた。この猟奇殺人はカルト的コミューンの指導者チャールズ・マンソンに命じられたメンバーによる犯行だった。

ジョン・トッドの陰謀論で興味深いのは、自分がマンソンの「古い友人」であり、マンソンがアメリカの刑務所に「イルミナティ軍団」を形成し、1~2年後に出所することになっていると述べたことだ。トッドによれば、マンソンの軍団はイルミナティから武器の供与を約束されており、議会が銃規制を強化して一般市民の銃器を押収すると、「(マンソンらは)支持者たちと全米を掃討して何百万人という人を殺し、政府が戒厳令を敷くように仕向ける」のだという。

このように、1970年代のイルミナティ復興の背景にはアメリカ社会を大きく揺さぶったヒッピー・ムーヴメントがある。作家カート・アンダーセンはトランプ後のアメリカでベストセラーとなった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』( 山田美明、山田文訳、東洋経済新報社)で、60年代のアメリカを「狂気と幻想のビッグバン」と名づけた。

この時代の雰囲気を象徴するものとしてアンダーセンが挙げるのが、ゲシュタルト療法を創始したドイツ人の心理療法士フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」だ。

私は私の好きなことを、あなたはあなたの好きなことをする。私はあなたの期待に応えるためにこの世界にいるのではなく、あなたは私の期待に応えるためにこの世界にいるのではない。あなたはあなた、私は私であり、この二人がたまたまどこかで出会うのであれば、それはすばらしいことだ。出会わないのであれば、それはそれで仕方のないことだ。

若者たちはこれを、理性や合理主義は自由を拘束する「システム」を生むだけで、自分だけの真実をつくりあげることこそがシステムへの抵抗であり、そのためには「自分らしく生きる」ことが必要だと解釈した。このようにして科学は「文化的構築物」となり、真実は相対的なもので、夢想=スピリチュアリズムに大きな価値が置かれることになった(そこには当然、ドラッグの影響もあった)。

60年代はまたハレー・クリシュナ・マントラ(クリシュナを崇めるヒンドゥーの新興宗教)などのニューエイジが広まったが、それよりも大きな影響力をもったのが急進化したキリスト教だ。

1960年代後半、カリフォルニアのヒッピーたちのなかに、福音主義的キリスト教を信奉する「ジーザス・ピープル」「キャンパス・クルセード・フォー・クライスト」「キリスト教世界解放戦線」などの組織が次々と誕生した。若者たちはLSDで恍惚とするなかで、「福音主義的できわめて熱狂的な根本主義的キリスト教」に出会った。アンダーセンは、これが南部など保守的な地方に移植され、第四次大覚醒(福音主義運動)を引き起こしたのだという。

ヒッピーとキリスト教原理主義は対極にあるように見えるが、「理性を捨て、好きなことを信じる無制限の自由」を謳歌するのは同じだ。福音主義も「ポスト理性のアメリカという荒海から生まれた一つの反体制文化だった」のだ。

1970年に福音主義者ハル・リンゼイの『今は亡き大いなる地球(The Late Great Planet Earth)』がベストセラーになったが、この本では「サタンや反キリストや偽預言者、あるいはその手下が地位も名声もある人々を装い、この世を支配しているという陰謀」が詳細に語られた。福音主義者は1948年のイスラエル建国を「聖書の預言が成就する紛れもない証拠」とし、核戦争によるハルマゲドンとともにキリストが降臨し「千年王国」が始まるとの終末論を夢想した。

1991年には福音主義者パット・ロバートソンによる『新世界秩序(The New World Order)』 がベストセラーになった。この本では、秘密結社が世界政府を創設すると同時に、「キリスト教とアメリカの自由を攻撃し、歴史の終焉をもたらす善と悪の権力間の最終闘争を加速する」とされた(マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』林和彦訳、三交社)。

この秘密結社はイルミナティのことで、「フランス革命への道筋を準備し、そのあと世界共産主義の源となり、やがてロシア革命を生み出した(イルミナティ創設者の)ヴァイスハウプトの指令」に従っているとされ、その背後にはロスチャイルド家、クーン=ロブエ家、ジェイコブ・シッフ社、ヴァールブルク家などの国際ユダヤ資本があるとする。――この記述が反ユダヤ主義だと批判され、著者たちはユダヤ人社会に謝罪することになった。

「新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)」というのは、もともとは独立直後のアメリカで、国際的な秘密結社(影の政府)が自分たちの自由と主権を奪うために企んでいる陰謀の総称として使われたようだ。その伝統を60年代のヒッピーカルチャーと福音主義が蘇らせ、映画『スターウォーズ』でも、第1銀河帝国による支配が「ニュー・オーダー(New Order)」と呼ばれている。それをさらにSNSの陰謀論者たちが利用して、「トランプがディープステイト(闇の政府)という秘密結社と闘っている」という物語に仕立て直した。

Qアノンの「秘密結社」はアメリカの歴史に根づいた「神話」を巧妙に利用しており、だからこそ「陰謀」の被害者にされていると疑心暗鬼になったひとびとのこころを強烈にとらえ、燎原の火のように広がることになったのだろう。

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