「国防はタダで強化できます」という保守派とはなんなのか? 週刊プレイボーイ連載(549)

岸田首相が防衛費増額の財源の一部を増税で賄う方針を示した際に、「今を生きる国民の責任」と述べたとされ、批判を浴びました。その後、事前に用意した発言案には「国民」と記されていたものの、「上から目線」だとして、首相自身が「われわれの責任」に言い換えたと報じられました。――新年のラジオ番組では、「未来の世代への責任」という言い方をしています。

原理的に考えるならば、近代国家は民主的な統制のもとに暴力を独占して、治安を維持し国土を防衛するのですから、軍事費を国民が負担するのは当然のことです。ところがSNSでは、「防衛は政府の責任で、国民の責任にするな」などの批判があふれました。

「われわれの責任」や「未来の世代への責任」という言い方は、民主政における国家と国民の関係をあいまいにしてしまいます。どうせなら、もっとはっきりと「日本国民であるあなたの責任」といえばよかったのです。

この出来事で不思議なのは、「保守」を自認する自民党の政治家が、「国防は国民の責任ではない」という大衆の誤解に反論しないばかりか、「防衛費のための増税は認められない」と逆に首相を批判したことです。

一部の政治家は、主権国家は無制限に通貨を発行できるのだから、必要な財源はいくらでも国債を発行して調達すればいいと考えているようです。イギリスのトラス首相は、大規模な減税による財政赤字を国債で賄うという経済政策が金融市場の不安を招き、国債、通貨(ポンド)、株価のトリプル安に見舞われ、年金基金の財政悪化などに飛び火したことで、就任からわずか49日で辞任に追い込まれました。

とはいえ、首相を批判する側が間違っていると言い切ることもできません。本来、増税以前に論ずべきは、「そもそも防衛費を増額する必要があるのか」でしょう。ロシアによるウクライナ侵攻や北朝鮮の相次ぐ弾道ミサイル発射などを理由になし崩し的に決まりましたが、防衛予算を増やしても北朝鮮が核開発やミサイル発射実験をやめるとも思えません。

政府が防衛費増額を急いだ背景には、アメリカの世界戦略があるといわれています。「対中包囲網」を構築したいアメリカは、日本、韓国、台湾、オーストラリアにタイ、ベトナムなどを加えた「東アジア版NATO」を目指しているとされます。欧州のNATO加盟国の平均的な軍事支出がGDPの2%なので、アメリカの軍事協力を求めるのなら、日本も同様の負担をしなければならないというわけです。

ところが政府は、こうした「密約」を否定しているので、防衛費増額と増税が唐突に決まったように感じられて、強い批判にさらされたのでしょう。だとしたら、「国防強化」を求めてきた保守派の政治家がすべきことは、国民の納得を得られるようにその必要性を説くことでないでしょうか。

これまで保守派のメディアや知識人は、「水と安全はタダ」というリベラルの勘違いをさんざん批判・嘲笑してきました。それにもかかわらず、「国防はタダで強化できます」というのでは、これまでの主張はなんだったのかという話になってしまいます。

凶弾に倒れた「真正保守」の元首相も、草葉の陰でさぞ嘆いていることでしょう。

『週刊プレイボーイ』2023年1月16日発売号 禁・無断転載

誰もが安心して過ごせる一年になりますように 週刊プレイボーイ連載(548)

昨年(2022年)の今頃は、コロナ禍も終息に向かい、米大統領選やEU離脱の国民投票のような大きな政治イベントもないので、久しぶりに落ち着いた1年になると思っていました。ところが2月末にロシアがウクライナに侵攻し、世界は大きく変わってしまいました。

専門家の多くはこの事態を予想できませんでしたが、だからといって間違っていたということはできません。軍事専門家の予測どおり、ロシアの侵攻は大失敗になっているからです。

4000万を超える人口と広大な国土をもつ国を短期間で制圧し、傀儡政権を樹立することが不可能なのは軍事の常識でした。「合理主義者」だったはずのプーチンが、とんでもなく不合理な判断をするとは誰も思わなかったのです。

昨年12月にウクライナがドローンでロシアの防空網をかいくぐり、首都モスクワまで200キロのところにある空軍基地を攻撃したことで、戦況は新たな局面を迎えました。ロシアもウクライナも交渉による解決を望むとは思えず、ウクライナ危機は数十年続くと予想する専門家もいます。

たとえそうなっても、中国やインド、新興国はロシアの安い原油・天然ガスを輸入するでしょうから、財政破綻はなさそうですが、プーチン政権が続くあいだは国際社会から排除されることは間違いないでしょう。仮にプーチンが失脚しても、ウクライナに謝罪して莫大な賠償金を支払うことはできず、より右翼的な政権が登場する可能性が高そうです。

もうひとつの不安要素は、ゼロコロナ政策が「成功」していたはずの中国で、民衆の不満から規制をゆるめたとたん、感染が急拡大していることです。

オーストラリアやシンガポールのように、ゼロコロナからウイズコロナへと移行した国があるなかで、なぜ中国は政策変更しないのか批判されましたが、14億の人口と脆弱な医療体制を考えれば、それ以外の選択肢がなかったというのが実情でしょう。――公衆衛生の専門家は、ゼロコロナを緩和すると200万人の死者が出ると予測しています。

それに加えて中国では、不動産バブルが崩壊しつつあり、住宅ローンの支払い拒否が広がっています。バブル期の日本と同じく、地価はずっと上がりつづけると信じられていた中国では、家族や親戚に借金し、多額の住宅ローンを組んでマイホームを買うのが、庶民にとっての唯一の資産形成法でした。地価が下落すれば破産者が続出し、大きな社会的混乱が起きることは避けられません。

ウクライナ危機でエネルギー・穀物価格が上がり、中国の景気低迷で世界経済が失速すると、もっとも大きな影響を受けるのは一人当たりの所得の低い新興国です。すでにスリランカやペルーで政権が転覆しましたが、こうした事態が相次ぐかもしれません。

とはいえこれらはみな、いまある材料から(浅知恵で)予測したことで、未知の感染症や戦争の勃発に匹敵するブラックスワン(原理的に予測不能の現象)がまた起きることも考えられます。誰もが安心して過ごせる一年になることを祈るばかりです。

『週刊プレイボーイ』2022年12月26日発売号 禁・無断転載

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

今年がみなさまにとってよい1年でありますように。

2023年元旦 橘 玲

*昨年も海外に行けなかったので、2018年に訪れたネパール・カトマンドゥのマウンテンフライトで見たヒマラヤの山並みをアップします。奥に見える高い山がチョモランマ(エベレスト)です。