将来の性犯罪に対して刑を科したらどうなるか(週刊プレイボーイ連載658)

神戸市内のマンションで24歳の女性が刺殺された事件は、殺人容疑で逮捕された35歳の男がストーカー事件で2度の有罪が確定し、執行猶予中だったことで、性犯罪の再犯についての議論を提起しました。

報道によると、神戸市の建設会社で働いていた2020年9月、女性のあとをつけてオートロックのマンションに侵入した男は、エレベーターに同乗するなどつきまとったとして、ストーカー規制法違反などで罰金の略式命令を受けました。22年9月には同じく神戸市内で、路上で見かけた女性に一方的に行為を抱き、オートロックを解錠した女性のあとにつづいてマンションに侵入、女性の部屋に押し入って首を絞めるなどしたとして、懲役2年6カ月執行猶予5年の刑を言い渡されています。

男はその後、東京の配送会社でドライバーとして働いていましたが、夏休みで帰省するといって神戸に行き、たまたま見かけた女性に衝動的に好意を抱いて凶行に及んだようです。その後、執行猶予の判決に批判が集まりましたが、ある裁判官は「刑はあくまでも犯した罪への代償。再犯の恐れに対して刑を科すことはできない」と述べています。

じつはイギリスでも1990年代に、仮釈放中の犯罪が大きな社会問題になり、97年に政権の座についたリベラルな労働党ブレア政権の下で「IPP(公衆保護のための拘禁)」と「DSPD(危険で重篤な人格障害)プログラム」が導入されました。

IPPは重大な暴力・性犯罪を対象に、刑期を満了しても再犯の可能性が高いと見なされると、期限を定めずに収監を継続できる制度で、DSPDプログラムは、重大な暴力犯罪の可能性が高いと判断されたパーソナリティ障害者に対し、制度上は、なんの犯罪をおかしていなくても「危険性」に基づいてDSPDユニット(刑務所と高セキュリティ精神科病院の中間的な施設)での治療・拘禁を命ずることができます。

ところがその後、IPPは「実質的な終身刑」だと批判され、2012年に廃止されることになります。だからといって性犯罪などの前科がある収容者をそのまま社会に戻すこともできず、刑期を終えた多数の収容者(2025年時点で約1000人、うち99%が10年以上の拘禁)の存在が政治問題になっています。

DSPDも同様に、「将来の危険性」に基づく収容は予防拘禁だと批判されたことで、2010年代以降、プログラムは徐々に縮小・再編されて、刑務所・保健・福祉の連携による包括的な地域ベースの支援「PDS(パーソナリティ障害戦略)」に置き換えられつつあります。とはいえ、反社会的人格の治療には限界があり、専門スタッフや予算の不足もあって、機能しているとはいい難いという批判もあります。

ゆたかで平和な社会では、ひとびとは「安全」に高い関心をもつようになります。とりわけ性犯罪や小児性犯罪は社会的脅威とされ、治安と人権の複雑で困難な問題を引き起こします。神戸のストーカー事件でもいたずらに厳罰化を求めるのではなく、イギリスの困難な経験を学ぶことから始めていいのではないでしょうか。

参考:「神戸女性刺殺、過去の2事件との共通点 元裁判官「重く受け止めて」」朝日新聞2025年9月1日

『週刊プレイボーイ』2025年9月29日発売号 禁・無断転載

ボスニア紛争のジェノサイドでなにが起きたのか? 

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2015年8月公開の記事です。(一部改変)

サラエボにあるスレブレニツァ虐殺記念碑/ Kaaca/Shutterstock

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1995年7月11日、ボスニア・ヘルツェゴビナの街スレブレニツァをセルビア系の武装勢力が制圧し、その後の数日でボスニア人の男性7000人が殺害された。ボスニア紛争の残虐さを象徴するこの事件は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷と国際司法裁判所(ICJ)によってジェノサイド(集団虐殺)と認定されている。

(この記事を執筆した)2015年はこの「スレブレニツァ虐殺」から20年で、7月11日、和平にかかわった米国のクリントン元大統領や各国代表、遺族ら数千人が集まって現地で追悼集会が開かれた。この集会には、和解のためにセルビアのブチッチ首相も参加したが、墓地参拝に加わろうとしたところ、「出て行け」などと叫ぶボスニア人の集団が投石し、石が顔に当たって眼鏡が割れる騒ぎが起きた。

ブチッチ首相は帰国後、「セルビアとボスニアの間に友情を築こうとした私の意図が、一部の人々に伝わらなかったことを残念に思う」と述べた。

ブチッチ首相が追悼集会に出席するという「歴史的決断」をしたのは、「謝罪」がセルビアのEU加盟の条件とされているからだ。ボスニア人がブチッチ首相の出席を受け入れたのは、同様に「寛容(許し)」がEU加盟の条件になっているからだろう。国際社会から強い圧力をかけられていても、歴史問題における「和解」はこれほどまでに難しい。

もっとも、ほとんどのひとはスレブレニツァのことなど知らないだろう。私も同じで、この事件に興味を持ったのはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにある「1995年7月11日記念館」を訪れたからだ。

この記念館は、スレブレニツァ虐殺の被害者の写真や遺族の証言を集め、二度とこのような悲劇を起こさないよう、後世に虐殺の記憶を残すためのものだ。壁一面を埋め尽くす殺害された男性たちの写真には圧倒されるものがあり、夫や息子を奪われた女性たちの証言は胸を打つ。

いったいなぜ、こんなに悲劇が起きたのだろう。 続きを読む →

「政治家は選挙に落ちたら「ただのひと以下」」の法則(週刊プレイボーイ連載657)

政治家という職業はなんの保証もない自営業で、選挙に落ちたら「ただのひと以下」です。誰もそんなことにはなりたくないので、任期途中での解散がある衆議院の場合、選挙に強い一部の有力者を除けば、議員の本音は「できるだけ長くいまの地位にとどまりたい」「選挙は再選できる可能性が高いときにやりたい」になります。このことを前提に、参院選の敗北から石破首相の退陣表明までを振り返ってみましょう。

2024年9月27日に自民党総裁に選出された石破茂氏は、10月27日の衆院選で50議席以上を減らし、与党で過半数割れの敗北を喫しました。翌25年7月の参院選でも改選前の52議席が39議席になる惨敗で、衆院につづいて少数与党になりました。

石破氏は自民党の傍流で、もともと弱かった政権基盤がこの連敗でさらに弱体化したことで、読売新聞と毎日新聞は「石破首相退陣へ」の号外まで出しました。ところがここから思わぬ粘り腰が発揮され、各社の世論調査で政権支持率が上昇する奇妙な現象が起きます。

石破氏は、選挙で負けたのは「裏金」問題などの政治不信が原因で、不祥事になんらかかわっていない自分が、「裏金議員」に辞任を求められるいわれはない、と思っていたのでしょう。この理屈はそれなりに筋が通っており、だからこそ「石破辞めるな」デモが首相官邸前で行なわれました。

この事態を選挙に強くない議員から見ると、自民党の支持率は低迷し国民民主や参政党に追い上げられる一方で、解散総選挙がなければ最長で2028年10月まで3年間、いまの地位にとどまれます。こうした事情は野党第一党の立憲民主も同じで、選挙になれば議席を失いそうな議員がたくさんいます。与党と野党で「選挙だけはなんとしても避けたい」という思惑が一致しているのだから、石破氏側に足元を見られたのも当然です。

ところが自民党の有力議員からすると、石破政権がつづいても党勢が退潮する一方なら、自らの政治生命にかかわります。そこで「国政選挙で2回も負けた以上、結果責任を取るべきだ」と、こちらもかなりの説得力がある理屈を持ち出しました。すると石破氏側は、「総裁選の前倒しを要求するなら署名・押印した書面を提出せよ」と圧力をかけ、総裁選前の解散をちらつかせたことで党内に動揺が広がります。――当初、これはたんなるブラフ(はったり)と見なされましたが、その後の報道で、首相がこの選択肢を真剣に検討していたことが明らかになりました。

そうなると、解散覚悟で総裁選の前倒しを求める議員と、いまの地位を失うくらいなら石破総裁でいいという議員のあいだで党が分裂してしまいます。このことに危機感を抱いた菅義偉元首相が小泉進次郎氏とともに官邸に駆けつけ、退陣を説得したというのが今回の経緯のようです。

今後、10月4日に総裁選が行なわれ、国会での首相指名は10月中旬以降になりそうです。多くの議員が怖れるのは、ここで混乱が生じ、新首相が信任を問うために解散総選挙に打って出ることでしょう。そのように考えると、野党と協調できる候補者に議員票が集まると予想しておきましょう。

参考:「退陣表明2日前 D案「→解散」」朝日新聞2025年9月11日

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