証券口座の乗っ取り、「進化の軍拡競争」いつまで(日経ヴェリタス連載123回)

証券口座の“乗っ取り”が大きな社会問題になっている。私が利用しているネット証券でもこの数カ月、立て続けにさまざまなセキュリティ強化策が導入されたが、正直、戸惑うことも多い。

「電話番号認証」は、証券会社に登録してある電話番号から電話をかけて本人認証するシステムだ。ところがスマホから指定された番号に電話してみると、「確認できました。3分以内にログインをして下さい」というアナウンスが流れるものの、ログインできない。

あれこれ調べてみると、これはたんに発信番号を「確認」したという意味で、どんな番号からかけても同じアナウンスをするらしい。そうなると正しい(登録した)電話番号を調べなければならないが、そのためには口座にログインしなければならない。これではまるで『キャッチ=22』のような話だ。

ジョセフ・ヘラーが1961年に発表したたこの小説では、第二次世界大戦中、地中海の小島の米軍基地に駐留するパイロットたちの不条理な体験が描かれる。

「キャッチ=22」はとてつもなく大きな影響力をもつが、じつはどこにも存在しない軍規だ。それによれば、狂気と判断されると出撃が免除されるが、狂気を理由として出撃免除を申請すると、正気と見なされて申請は却下される。私が遭遇した不条理は、「登録電話番号がわからないとログインできない」にもかかわらず、「ログインしないと登録電話番号がわからない」というものだ。

カスタマーサービスに電話すれば調べてもらえるのだろうが、サイトのトップには「大変混み合っています」という表示が出ている。けっきょく、自宅に戻って固定電話からかけてみて、無事ログインできた(その後、登録電話番号をスマホに変更した)。

同じようなトラブルが多いからか、証券会社のホームページには登録電話番号を照会するフォームがあるが、そのためには口座番号が必要で、口座番号を知るにはログインしなければならない……。こうした面倒を避けるには、登録した電話番号を設定変更時に確認できるようにすればいいだけだと思うのだが、そんな余裕もなかったのだろうか。

さらに困惑するのは、その頃からネット証券を騙って「【至急】電話番号認証が未確認のままです」というフィッシングメールが大量に送りつけられるようになったことだ。

文面を読むと、「安全性強化」のために電話番号を用いた本人確認の導入を進めていて、期日までに対応しないと一部サービスが利用停止になるとして、「電話番号認証」の画面でアカウント情報を入力するよう指示している。「電話番号が未登録の場合も上記より手続きが可能です」とあるので、ログインできなくなったひとが試してみようと思うかもしれない。

セキュリティが複雑になると、利用者が理解できなくなって、それが詐欺の新たな材料になってしまう。かといって放置するわけにもいかないので、これは難しい問題だ。

人間よりも賢いAIの登場で、フィッシングの手口はますます“進化”している。それにともなって金融機関のセキュリティも強化していかなくてはならないのは当然だが、この「進化の軍拡競争」にいつまでついていけるのか、正直不安しかない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.133『日経ヴェリタス』2025年8月30日号掲載
禁・無断転載

ホロコーストを否定する「歴史修正主義」の歴史

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年11月公開の記事です。(一部改変)

Alexey Fedorenko/Shutterstock

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アメリカのホロコースト研究者デボラ・E・リップシュタットは、ホロコースト否定論者の系譜を研究した『ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ』(滝川義人訳/恒友出版)でイギリスの歴史家、デイヴィッド・アーヴィングの名誉を棄損したとして訴えられ、4年に及ぶ裁判闘争を余儀なくされた。その顛末を描いた映画『否定と肯定』については前回書いた。

参考:ホロコースト否定論者と戦うということ

リップシュタットが歴史家として注目されたのはホロコーストを研究したからではなく(これはユダヤ人を中心に多くの学者がいる)、ホロコースト否認を歴史学のテーマとして取り上げたからだ(こちらは研究者がほとんどいない)。

1993年4月、アメリカ、ワシントンD.C.のホロコースト記念博物館開館に合わせて行なわれた世論調査で、「ホロコーストが起きなかったという話はあり得るか」との質問に、アメリカの成人の22%、高校生の20%が「イエス」とこたえた。同時期のギャロップの世論調査では、成人の38%、高校生の53%が、ホロコーストの意味をまったく知らないか、あいまいにしか説明できず、成人の22%、高校生の24%が、ドイツでナチスが権力の座についたあとに起こったことを知らなかった。

こうした状況に危機感を抱いたことで、ホロコースト否認の主張を「真面目に扱う」ことを決意したのだとリップシュタットはいう。なぜなら、否認論者の主張は無知を栄養分にして広がっていくのだから。

冷戦後に発掘されたソ連の新資料でガス室の存在は証明された

漠然としか知らないことについて、一見筋の通った説明をされると、「そういうこともあるかも」と思ってしまう。とりわけホロコーストのような、人間の想像力超えるような出来事についてはなおさらだ。

第二次世界大戦前、ヨーロッパ(現在のウクライナやベラルーシなどソ連西部を含む)には総計950万人のユダヤ人が住んでいた。それが、戦争が終わると300万人ほどしか生き残っていなかった。アメリカやパレスチナなどに移住した者を除いても、その差はおよそ600万人になる。これは千葉県(620万人)や兵庫県(550万人)に匹敵する数だ。それが1939年のドイツ軍によるポーランド侵攻から45年の終戦までの6年間(実際には1941年のソ連侵攻からわずか4年間)に殺されたなどということがあり得るだろうか。

アウシュヴィッツと隣接するビルケナウの強制収容所では、120万人を超える収容者(その大半はユダヤ人)が死亡したとされている。これは岩手県(125万人)や大分県(115万人)に匹敵する数だ。しかもそのほとんどはガス室で青酸ガス(チクロンB)によって組織的に殺され、遺体は焼却されたとのだという。

「こんな荒唐無稽なことがほんとうに起きたのだろうか」と思っているところに、否定論者はささやく。「そんなわけないよね。じつはこれはぜんぶ陰謀なんだよ」

このプロパガンダはとりわけ、ホロコーストが起きてほしくなかったひとたちに対して有効だ。これが、第二次世界大戦で「罪人」の立場に立たされているドイツ人や、ドイツ系アメリカ人のあいだで否定論が広がる理由だろうが、それ以外の国にも否定論者はいる。リップシュタットを訴えたアーヴィングはイギリス人で、対独戦に従軍した海軍士官を父にもつが、それにもかかわらずドイツとの戦争に突き進んだチャーチルを批判し、ヒトラーを擁護した。

こうした否定論者の系譜について述べる前に、しばしば議論になるガス室について、現在ではすでに決着がついていることを確認しておこう。 続きを読む →

SNS規制のやっかいな問題(週刊プレイボーイ連載656)

2024年11月、オーストラリア議会が16歳未満のSNSを禁止する世界初の法案を可決しました。対象となるのはFacebook、Instagram、X、TikTok、Snapchatで、その後YouTubeが加えられ、今年12月から施行の予定です。

こうした流れは世界的に広がっており、日本でも愛知県豊明市が、「「余暇時間」でのスマホ使用は1日2時間以内」「小学生以下のスマホ使用は午後9時まで、中学生以上18歳未満は午後10時まで」を目安とする条例を市議会に提出しました。

アメリカでは2010年頃から10代の女子のうつ病が急激に増え、自傷行為や自殺が大きな社会問題になっています。この現象がSNSが広まった時期と一致していることから、「IT企業が子どもたちをスマホ依存症にして金儲けしている」との批判が高まったのです。

決定的なのは、2021年にFacebook(現Meta)の機密文書が内部告発者によって公開されたことです。自社が運営するInstagramについて、すでに19年に「10代の少女3人に1人に対し、我々は身体イメージの問題を悪化させている」との調査結果を得ていながら、なんの対応もとっていなかったことが暴露され、マーク・ザッカーバーグが上院の公聴会で自殺した若者の遺族に謝罪する事態になりました。

しかしその一方で、こうした規制を批判する専門家もいます。ひとつは実効性がないことで、今年7月に「オンライン安全法」が施行され、アダルトサイトの閲覧にきびしい年齢制限が課されたイギリスでは、VPN(仮想プライベートネットワーク)を使ってイギリス国外からアクセスしているように見せて、規制を逃れる動きが急増しています。

それよりも困惑させられるのは、研究者がどれほど調べても、SNSが若者のメンタルヘルスに悪影響を及ぼしているという確たる証拠が見つからないことです。SNSの使用がうつ病と強い相関関係をもつことは間違いありませんが、これは因果関係を示しているわけではありません。もともと抑うつ傾向が強い若者が、SNSに依存しているのかもしれないからです。

現在では、「SNSの影響は個人ごとに異なる」と考えられています。

自傷や自死のおそれから精神科に入院中のティーンエイジャ―へのインタビュー調査では、SNSにアップされた「リア充」の同世代を見て、自分を「ゴミのように」感じたという証言がある一方で、「(SNSを)使ってると幸せな気分になれるんだ」と語る若者もいました。その結果、全体の平均を調べると、ポジティブな効果とネガティブな効果が相殺されて「影響なし」になってしまうのでしょう。

このような「多様性」があるのなら、一律の規制は、これまでSNSからよい影響を受けていた子どもたちに害を及ぼすことになってしまいます。かといって悪影響を放置するわけにもいかないので、「一人ひとりの個性に合わせたSNSの使い方を教えるべきだ」というのが科学的に正しい提言になります。

とはいえ、これは不可能といわないまでもものすごく大変なので、「どうにかしろ」と責められる政治家は規制の誘惑に勝てなくなるのでしょう。

参考:エミリー・ワインスタイン、キャリー・ジェームズ『スマホの中の子どもたち デジタル社会で生き抜くために大人ができること』豊福晋平・訳、水野一成・解説/日経BP

『週刊プレイボーイ』2025年9月8日発売号 禁・無断転載