「人間倉庫」と化したアメリカ民営刑務所の実態

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年8月13日公開の「コスト削減で確実に利益を出し続けるため 「人間倉庫」と化したアメリカ民営刑務所の実態」です(一部改変)。

******************************************************************************************

『13th -憲法修正第13条』は2016年のドキュメンタリー映画で、「アメリカの人口は世界全体の5%にすぎないにもかかわらず、アメリカ人受刑者は世界全体の受刑者数の25%を占めている」というバラク・オバマ前大統領の発言から始まる。

現在、アメリカの収監人口は200万人(仮釈放や出廷待機を含めると700万人)に達しており、黒人は全人口の15%を下回るが囚人の40%を占める。2001年には35歳から44歳の黒人男性の22%が収監経験を持ち(ヒスパニック男性は10%、白人男性は4%)、投獄率が変化しないとするといずれ黒人男性の3人に1人が刑務所に収監されると予想されている(ヒスパニック男性は6人に1人、白人男性は17人に1人)。「合衆国憲法修正第13条」は奴隷制廃止条項で、公民権運動で人種差別はなくなったはずなのに、いまも黒人は「事実上の奴隷」のままだと映画は告発する。

アメリカにおける「大量収監」はどんな事態になっているのか。そんな興味で手に取ったのがシェーン・バウアーの『アメリカン・プリズン 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』(満園真木訳、東京創元社)だ。

訴訟リスクで困難になる調査報道

中東でフリーのジャーナリストとして働いていたバウアーが民営刑務所に興味をもったきっかけは、自らがイランの刑務所に収監されたことだった。友人とシリアのダマスカスからイラクのクルド人自治区に行き、観光地周辺をハイキングしているときにイランとの国境に近づきすぎて国境警備隊に逮捕され、独房に入れられ数カ月にわたって尋問されたのだ。4カ月後に友人と同じ房に移されたが、釈放されるまで2年2カ月かかった。

解放後、バウアーは心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、「突然、混みあった場所にいられなくなることもあれば、部屋にひとりでいるのが苦しくて耐えられなくなることもあった。毎晩のように刑務所に連れもどされる夢を見た」という。

そんなとき、アメリカの刑務所でハンガー・ストライキが起きていることを知る。「カリフォルニアのペリカン・ベイ刑務所だけで500人以上が、10年以上にわたって穴倉で過ごしている。そのうち89人は20年以上の独房暮らしであり、ひとりなどはその期間が実に42年にわたっていた」という状況に衝撃を受けたバウアーは、自らの収監体験に整理をつけようと囚人たちと手紙のやりとりをするようなった。

こうしてバウアーは、民営刑務所の潜入取材を思いつく。アメリカではおよそ13万人が民営刑務所に収監されている。問題は、こうした調査報道がいまではきわめて困難になったことだった。

かつては、「狂気をよそおって女性専用精神病院に強制入院させられるように仕向け、その10日間の経験を発表した」ジャーナリストや、「サンフランシスコのバーを買って記者を店員として置き、隠しカメラを設置して、どんな不正も20ドルの賄賂で見逃す腐敗した検査官の所業を暴いた」新聞社があった。1990年代後半には、ニューヨークのシンシン刑務所で刑務官として働いた記録が本になっている(バウアーが民営刑務所を取材対象にしたのは、州刑務所の調査報道の先例があったからだ)。

だが1992年、スーパーマーケット・チェーンが傷んだ肉をパックしなおして売っている事実を潜入取材でテレビ局が暴いたとき、スーパー側は採用応募書類の虚偽記載と、割り当てられた業務(傷んだ肉をパックしなおすこと)の遂行を怠った不法行為で記者を訴え、550万ドルの損害賠償を請求した。この裁判で陪審員がスーパー側の主張を一部認めた(賠償金は2ドルに減額された)ことで、内情暴露系の報道はしばらく下火になった。現在ではあらゆる仕事で秘密保持契約を結ばなくてはならず、それに“悪口禁止”条項や雇用主保護規定などが加わって、訴訟リスクはさらに高まった。

バウアーが潜入したのはコレクション・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)という民営刑務所大手のルイジアナの刑務所で、本名を使用し、「自分のことを何もかも明かす必要はないが、決して嘘はつかない。誰かにジャーナリストなのかと訊かれたらそうだと認める」と決めて応募したところ、かんたんな面接だけであっさり採用が決まった。面接官は時給が9ドルだと告げたあと、「狩猟や釣りは好き?」とバウアーに訊いた。刑務所は国立森林公園のなかにあり、好きなだけアウトドアのレジャーが楽しめるのだという。その後、オクラホマ州の刑務所とアリゾナ州の移民収容センターからも採用したいとの連絡が届いた。

刑務官の約3分の1がPTSDになり、自殺率は一般市民の2.5倍

ルイジアナ州のバトンルージュから車で北に3時間のところに、人口4600人のウィンフィールドの町がある。「朽ちかけた木造家屋が並び、つながれた一匹の犬と洗濯かごをかかえたやつれた顔の白人女性ひとり以外誰もいない通り、仕事帰りのドライバーに発泡スチロールのコップに入ったダイキリを出すかつてのメキシコ料理店、南北戦争の将軍の名前が見出しに踊る地元紙の束、ガソリンスタンドの外の歩道で1セント硬貨を拾っている黒人女性……」と描写されているうらぶれた町だ。ウィンフィールドは世帯の38%が貧困ライン以下で、世帯収入の中央値は2万5000ドルしかない(2018年のアメリカの平均世帯収入は6万3179ドル)。

バウアーが働くことになる「ウィン矯正センター」は町の中心部から21キロ離れたキサッチナー国立森林公園の中にある。入口を入ると研修室と管理棟があり、食堂、体育館、医務室、面会室などのある区画の奥に5つの刑務所棟が通路に沿って並んでいる。一般囚棟は最大352人が収容でき、中央に“キイ”と呼ばれる八角形のコントロール室があって、そこから4方向に細長い建物が伸びている。

それぞれの建物には最大44人を収容する大部屋の雑居房が2区画あり、各区画の前方部分に樋型の小便器と腰かける便器がふたつ、洗面台がふたつある。その隣には高さ90センチの壁で仕切られたシャワーが2基。向かいには電子レンジ、電話、Jペイと呼ばれる機械が置かれている。Jペイというのは、「携帯音楽プレイヤーに曲をダウンロードしたり、1通30セントほどで短い電子メールを(検閲のうえで)送ったりすることができる」有料の通信端末だ。各区画にはテレビ室もあり、平日の昼12時半には人気番組を見るために受刑者が詰めかける。それぞれの受刑者に与えられているのは、薄いマットレスの敷かれたベッドと金属製のロッカーだけだ。

研修初日にバウアーといっしょだったのはレイノルズという19歳の黒人で、すでに赤ん坊もいるという。「不安なのか?」と訊かれ、「ちょっとね。君は?」とバウアーが訊き返すと、「全然。慣れてるから。殺しも見てきたしな。俺のおじさんは3人殺した。兄貴といとこも刑務所に入ってる。だから不安じゃない」とのこたえが戻ってきた。それ以外の4人の研修生は元ウォルマートの店長、看護師、マクドナルドで11年働き、数年軍務についたあと復職したシングルマザー、元郵便局員だった。

研修では教官から、受刑者が反抗したときの制圧の仕方のほかに、「受刑者とセックスしないこと(破った場合は罰金1万ドルか“重労働10年”の刑)」をきびしく指導され、「自殺したくなったり、家族と喧嘩ばかりするようになったら電話すべきホットラインの番号が書かれた冷蔵庫用のマグネット」が配られた。3回までなら無料でカウンセリングが受けられるという。

教官によると、刑務所では男でも女でも、セックスの落とし穴にはまる者が驚くほど多い。結婚していたり、恋人がいたりしても、受刑者から手紙を渡されたり、見た目をほめられたりといったアプローチを受けて、いいくるめられてしまうのだ。

「ある女性刑務官が厨房でひとりの受刑者と関係を持つようになった」と教官はいった。「すると、厨房で作業をしているべつの受刑者が“あいつがやっているんだから俺もやりたい”と言い出した。女性刑務官は告げ口されるのを恐れ、そのふたり目の受刑者ともセックスするようになった。すると3人目の受刑者が“あいつともあいつともやってるんだから、俺にもやらせろ”と言いはじめた」

しばらくすると、10人前後の受刑者が彼女とセックスするようになっていた。その10人が喧嘩になったことで情事が発覚したのだという。

自殺予防のための電話相談が必要なのは、平均で約3分の1の刑務官がPTSDになるからだ。これはイラクやアフガニスタン帰りの兵士よりも多い。刑務官の自殺率は平均すると一般市民の2.5倍で、自殺しなかった者も平均寿命より約10年も早く死んでいるとの調査結果もある。

“ぜったいに利益の出るおいしい商売”民営刑務所が抱えている矛盾

『13th -憲法修正第13条』で描かれたたように、アメリカの収監人口が急激に増えはじめたのは1970年代になってからで、背景にはニクソン政権の「麻薬戦争A War on Drugs」がある。ニクソンは薬物依存を「アメリカのパブリックエネミー(公共の敵)ナンバーワン」と呼んで、その根絶を有権者に誓った。

麻薬戦争はその後もカーター、レーガン、(父)ブッシュ、クリントン政権に引き継がれ、とりわけクリントン時代の「スリーストライク法(1年以上の刑を科せられた前科が2回以上ある者が3度目の有罪判決を受けた場合、犯した罪にかかわらず終身刑となる)」によって収監者が激増した(映画には、クリントン元大統領がスリーストライク法に署名したのは過ちだったと認める場面が出てくる)。

収監者が激増した理由のひとつは社会がゆたかになったことで、市民の「安全」に対する要求は年々きびしくなっていった。子どもが誘拐されたり、ギャングの抗争に巻き込まれて死亡するたびに世論が沸騰し、政治家は犯罪に対してきびしく対処することを約束した。コカインを粉末にして吸引するクラックコカインが黒人のあいだで流行したとき、売人(その多くは黒人)を刑務所に送るよう求めたのは黒人の政治家やコミュニティだった。

社会が犯罪に対して不寛容になるにつれて逮捕者が増え、各州は刑務所の新・増設に追われた。1981年にロナルド・レーガンが大統領になり、「市場原理主義」的な経済政策を採用すると、規制緩和と民営化が一気に進んだ。

刑務所関連の支出が4倍に増えたことに目をつけたのが、陸軍士官学校時代にルームメイトだったトーマス・ビーズリーとロバート・クランツで、2人は共和党の大統領候補の資金集めパーティで雑談中に、企業の重役から「若者にはすごいチャンスじゃないか。刑務所の問題を解決できると同時に、金をたくさん儲けられるんだ」といわれたという。

ドラッグ戦争が過熱すると、各州は受刑者に最低でも刑期の85%の服役を義務づけるようになった。刑務所建設ラッシュがピークを迎えた10年間に、年間10億ドルを費やして全米でおよそ600の刑務所が新たにつくられたが、それでも「需要」に追いつかなかった。

ビーズリーとクランツには政治的なコネとビジネスの経験があったが、刑務所を営利事業として運営できる人物がどうしても必要だった。そこで白羽の矢を立てられたのがテレル・ドン・ハットーで、テキサス州の刑務所プランテーションを運営した経験と知識を活かしてアーカンソー全体の刑務所の営利化にかかわり、ヴァージニア州で5年間刑務所運営に携わっていた。

3人がコレクション・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)を創設してまもなく、ハットーは国内最大の刑務所協会であるアメリカ刑務所協会(ACA)の会長となり、たちまち刑務所開設の認可を得た。彼らはヒューストンのホテルを移民収容センターに改造したのを皮切りに、テネシー州の少年拘置施設と成人用刑務所の運営を請け負い、1986年にCCAはナスダック上場を果たした。

2017年の時点でCCAが運営する施設は、州刑務所や郡拘置所から更生訓練施設、連邦移民収容センターまで全米80カ所におよび、常時8万人を収容している(民営刑務所には受刑者人口の約8%が収容されている)。

創業者の一人であるビーズリーはビジネス雑誌に、「(民営刑務所のビジネスは)車や不動産やハンバーガーを売るように売るだけ」と語った。実際、CCAの商売の仕方はホテルチェーンにちかいものだった。

バウアーが働いている当時、ルイジアナ州は受刑者1人につき1日34ドルを支払っていた。一方、州が運営する刑務所での受刑者1人あたりの1日の平均費用は52ドルだった。州と民営刑務所の契約のおよそ3分の2には収容率保証(一定数の受刑者を送り込めなかった場合は州が補償金を支払う)が条件に含まれていて、ウィン矯正センターは99%の収容率が保証されていた。いちど契約を交わしてしまえば、民営刑務所はぜったいに利益の出るおいしい商売なのだ。

ここから、民営刑務所が抱えている矛盾を見て取るのはたやすい。州がCCAに受刑者の収容を委託するのは刑務所の費用を抑えるためで、民営刑務所のコストは公営刑務所に比べて15%安いとの調査がある。それにもかかわらず、CCAは上場企業として利益を出し、株主に配当しなければならない(CCAはすくなくとも年8%の利益を見込んでいた)。となれば、あとは運営コストを引き下げるほかない。

バウアーの初任給は時給9ドルだが、ルイジアナ州の公営刑務所のヒラ刑務官は時給12.5ドルだった。ウィンでの受刑者1人あたりのコストは、1990年代後期から2014年にかけて、物価調整後で20%ちかく減っていた。「民営刑務所は質を下げずに税金を節約できる」とされたが、それが机上の空論なのは明らかだ。

民営刑務所の実態をひとことで表わすなら「人間倉庫」

公営刑務所よりも安いコストで囚人を受け入れ、それでも上場企業として株主を満足させるだけの利益を出そうとすればどのようなことになるかは、バウアーの体験として克明に描かれている。それについては本を読んでいただくとして、民営刑務所の実態をひとことで表わすなら「人間倉庫」になるだろう。できるだけ安いコストで、刑期が来るまで囚人をただ閉じ込めておくのだ。

社会復帰のためのプログラムもなければ刑務作業もなく、囚人はわずかな運動の時間とテレビを見る以外は、することもなく雑居房で過ごす。当然、トラブルが頻発するが、受刑者が暴れると暴動鎮圧の訓練を受けた特殊作戦対応チームSORTが投入され、プラスチック弾やスタンガン、催涙弾といった“殺傷能力の低い”武器を使って規律に従わせる。

ウィンの受刑者は75%が黒人で25%が白人だが、人種対立はないという。白人受刑者が少数派なので、ギャング組織をつくって黒人と対抗しようとは思わないようだ。受刑者と同じく刑務官も大多数がアフリカ系で、白人のバウアーは「なぜこんな仕事をするのか」といぶかしがられた(あとでジャーナリストだとわかったとき、みんな納得したという)。

民営刑務所での囚人の扱いがどのようなものか、ひとつだけ例を挙げておこう。

最初の頃にバウアーは、車椅子に乗った年輩の黒人受刑者に出会った。指先のない手袋をはめていたが、そこからなにも突き出していなかった。男は壊疽で両脚をなくしたうえ、指までなくしたのだという。

記録によると、男は4カ月間にすくなくとも9回、医師の診療を求め、足の腫れ、ただれ、膿み、眠れないほどのはげしい痛みを訴えたが、職員に足の裏用のパッドとうおのめ除去用テープ、鎮痛剤を渡されただけだった。いちど、腫れあがって膿がにじむ足を刑務所長に見せたことがあったがなんの対処もされず、看護師からは「あなたはどこも悪くない。こんど救急で来たら、仮病で懲罰の報告書を書く」といわれた。

夜は痛みのため、ベッドでは寝られず椅子に座っていた。ある日、寝不足で倒れてコンクリートの床で頭を打ったが、医務室に運ばれたものの、医者に見せることもなく棟に戻された。手足の指が黒ずんで膿がにじみ、ほかの受刑者たちが感染するのではないかと騒ぎだし、よその部屋に移らないなら殺すと脅されてようやく地元の病院に連れていかれたが、すでに手遅れで両脚を切断することになったのだ。

受刑者を病院に搬送した場合、入院費はCCAが負担し、短期の入院でも2人の刑務官を監視につけなくてはならない。1日34ドルしか会社にもたらさない受刑者のためにそんな費用を支払うのを会社が嫌がるのは当然だ。ウィンの受刑者の40%ちかくが糖尿病や心臓病、喘息などの慢性疾患で、約6%はエイズやC型肝炎のような感染性疾患だが、満足な治療は望むべくもない。バウアーによると、受刑者の3分の1が精神的な問題をかかえていて、1割に深刻な精神症状があり、およそ4分の1はIQ70未満だという。

囚人が刑務官を監視している

元陸軍レンジャー部隊で、以前は小さな町で警察署長をしていたという刑務官はバウアーに、「ここには殺人犯もいる。レイプ犯もいる。だが大部分は、愚かにも学校の近くで大麻を吸っちまったやつらだ。連邦の規則で25年。かと思えば、一家皆殺しにして25年から終身刑を食らったやつらが、6年から8年で出ていく」と説明した。事実、ウィンの受刑者の約5分の1が薬物関連犯だ。ただし、学校のそばで大麻所持で逮捕された場合、6年ほどの刑が一般的だという。

その一方で多くの刑務官は、受刑者がめぐまれすぎていると考えている。刑務官同士の雑談では、「(受刑者は)どうして今すぐ家に帰らなきゃならないんだ?」「ここなら食事もタダ、ベッドもタダなのに」「ケーブルテレビもタダだし、ほしいものはなんでもタダだ。どうしてわざわざ外に出て働かなきゃいけないんだ?」などとジョークを飛ばしあう。彼らのお気に入りは「レーシック手術を受けても受刑者が払うのはたった5ドル」だ(ただし手術を受けられればの話だが)。「受刑者のほうが私たちより権利があるのよ」「生活のために働くより、犯罪をおかすほうが簡単だな」もよくある受刑者評だ。

刑務官の仕事でもっとも神経を擦りへらすのは、受刑者に甘い顔をしてつけこまれることだ。刑務官の人員はつねに不足しているので、40人以上の囚人がいる雑居房をたった1人で管理しなければならないことがしばしばある。

やがてバウアーは、刑務官が囚人を監視するのではなく、囚人が刑務官を監視していることに気づく。ほかにやることのない囚人たちは、刑務官を徹底的に観察し、どこかに隙を見つけたらそこにつけいって、麻薬の仲介役にしたり、セックスの相手にしようとするのだ。

女性刑務官が美容院に行くと、「髪型が変わったね。似合うよ」と誘ってくる。結婚指輪をはずしていると、「家でなにかあったのかい?」と心配そうに声をかけられる。ある女性刑務官は、「あの受刑者は私がきれいだと思わせてくれる。好きになって当然でしょ。彼が必要としているものを誰もあげないなら、私があげて何が悪いの?」といった。

教官は刑務官たちにこんな注意をしている。「持ち込んだ缶とかボトルとかに気をつけろ。かならず持って帰るんだ。ここから持ち出せ。さもないと、やつらがゴミ箱をあさってあんたのDNAを手に入れる。それでこう言うのさ。どうしてこのDNAがここにあると思うんだってな。あんたはゴミ箱に捨てたプラスチックスプーンを拾われたんだって説明しなきゃいけなくなる。刑務所ってところにはそういう罠が山ほどあるんだ」

バウアーはやがて、受刑者がわざわざ目の前で規則を破って、自分の意志を削りとろうとしているという考えにとりつかれるようになる。カリフォルニアから訪ねてきた妻には、いつも落ち着かない表情をしていて、顔がときどき痙攣すると指摘された。呼吸も正常ではなく、寝ているあいだ何度も寝返りを打ってうなされているともいわれた。

時給9ドルで民営刑務所の刑務官になって1年5カ月で、バウアーはもう限界だと感じるようになった。だがそれは、刑務官の仕事が向いていないからではない。最後の頃の日々はこう語られている。

外はカエルとコオロギの合唱が響いていた。空気は甘くかぐわしかった。仕事から帰るといつもそうしているように、深呼吸して自分が何者かを思い出そうとした。(ソーシャルワーカーの)ミス・カーターの言ったとおりだ。この仕事が肌に合ってきている。悦びと怒りの境界が曖昧になりつつある。怒鳴ると生きている感じがする。受刑者にノーと言うことに悦びを感じている。受刑者が僕に懲罰報告書を書かれたと文句を言うのを聞いて、いい気味だと感じる。禁止されているテレビ室に洗濯物が干されていたら没収し、自分の服がもっていかれるのを見た受刑者が区画の奥から叫ぶとぞくぞくする。ロックダウン(刑務所の監房に囚人を閉じ込める措置)の最中、トリネコ棟で暴動を起こすぞと脅されたとき、SORTチームが来て棟全体に催涙スプレーをまくのを期待した。いまではひたすら刺激がほしかった。

『アメリカン・プリズン』でバウアーは、知られざる民営刑務所の実態だけでなく、囚人を綿花プランテーションに貸し出したり、州刑務所がプランテーションを運営して利益をあげるなど、奴隷解放後もさまざまな手段で実質的な「奴隷制度」がつづいていたことを詳細に調べている。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の生命も大切だ)」の運動の背後にあるアメリカ社会の複雑な歴史の一端が、本書を通して見えてくるだろう。

禁・無断転載

タイパ社会の政治はフォロワー数で決まる? 週刊プレイボーイ連載(558)

タイパはタイム・パフォーマンスの略で、映画を1.5倍速で観る若者が増えているとして話題になりました。ネット上のコンテンツがあまりに増えすぎて、処理できなくなったからだとされます。

タイパの背景には、時間資源の制約があります。イーロン・マスクやジェフ・ベゾスのような大富豪でも、わたしたちと同様に、1日は24時間しかありません。お金は(理屈のうえでは)無限に増やすことができますが、時間をお金で買うことはできないのです。

社会がゆたかになるにつれて、ひとびとの関心はお金から時間へと移っていきます。富裕層だけでなく、いまの平均的な若者も、ソーシャルゲームやサブスクの動画、Web漫画を楽しむのに、さほどお金を必要としなくなりました。

経済学の需要と供給の法則が教えるように、希少なものは価格は上がっていきます。いまでは、お金よりも時間の方がずっと価値が高いのです。

時間資源の制約は現代社会の本質で、たんに映画を早送りするだけなく、社会のあらゆる場面に影響は及んでいます。

あるタスクをこなそうとすると、一定の時間資源を投じなければなりません。そうすると、別のタスクに使う資源が足りなくなってしまいます。通常、このことはビジネスの場面で語られますが、愛情や友情も同じです。

恋人というのは、「プライベートな時間資源をもっとも多く投入している人間関係」と定義できます。より多くの時間資源を投じる別の相手が現われると、関係は破綻して恋は終わります。同様に親友は、「恋人や家族以外でもっとも多くの時間資源を投入している、通常は同性の人間関係」と定義できるでしょう。

仕事や家族・友人との関係だけでなく、わたしたちには趣味や勉強にあてる時間も必要です。そのうえ最近では、「1日8時間睡眠」とか「1日1万歩の散歩」などが身体的・心理的な健康に重要なことがわかってきました。これらのタスクをすべてこなそうとすると、時間がぜんぜん足りないのです。

このことを確認したうえで、政治について考えてみましょう。学校教育もメディアも、「民主的な社会では、国民一人ひとりが、自分がもっともふさわしいと考える政党や政治家に投票しなければならない」と教えています。しかしそのためには、政治・経済や社会問題について学ばなければなりません。

これはきわめて難易度の高いタスクなので、ちゃんとやろうとすれば大量の時間資源を消費しますが、その対価はほとんど実感できないでしょう。そうなるとほとんどのひとは、より簡便な方法に頼ろうとするはずです。

SNSは、一人ひとりの社会的評価を「見える化」するという、とてつもないイノベーションです。そこでは、フォロワー数が社会的な価値(評判)の指標になります。

だとしたら、SNSとともに育ったデジタルネイティブの若者たちは、ごく自然に、より多くのフォロワーをもつ人物がよりすぐれた政治家になるはずだと考えるでしょう。海外に逃亡したままいちども国会に出てこなかった人物を擁立した政党が、それなりの支持を得ている理由が、これでなんとなくわかるのです。

『週刊プレイボーイ』2023年4月3日発売号 禁・無断転載

コロナ禍より恐ろしい オピオイド依存症のパンデミック

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年7月30日公開の「アメリカは新型コロナ対策で失敗しているとされるが、 オピオイド依存症によってもっと多くの生命が失われていた」です(一部改変)。

******************************************************************************************

2016年4月、ロックスターのプリンスが死亡したとき、「鎮痛剤フェンタニルの過剰投与による中毒死」と報じられた。フェンタニルは鎮痛、疼痛作用のあるオピオイドの一種で、モルヒネやヘロインと同じくケシから採取されるアルカロイドの合成加工物だが、処方薬として広く使われている。

2017年10月、トランプ大統領はオピオイド問題に対処するため「公衆衛生上の非常事態」を宣言した。アメリカ政府によると、2016年に薬物の乱用が原因で最低でも6万7000人が死亡し、オピオイド関連はこのうち4万2000人と6割近くに上った。ヘロインの乱用者数が100万人、鎮痛薬として処方されたオピオイドの乱用者数が1100万人を超えたともいう。

いずれも驚くべき数字だが、そもそも医師が処方する鎮痛薬でなぜこんな大惨事が起きるのか。それを知りたくて、ベス・メイシーの『DOPESICK(ドープシック)アメリカを蝕むオピオイド危機』(神保哲生訳、光文社未来ライブラリー)を手に取ってみた。

メイシーはアメリカ東南部バージニア州に拠点を置くジャーナリストで、2012年から地元のヘロインの被害状況の取材を始め、この薬禍が1996年に中堅製薬メーカー、パデュー・フレデリックが発売した「オキシコンチン」という処方鎮痛薬に端を発していることを知る。オキシコンチンはやはりオピオイドの一種で、アルカロイドの合成化合物からつくられた鎮痛剤だ。

『DOPESICK』では、この処方薬が貧しい白人労働者の住む街を「破壊」し、ヘロイン中毒が蔓延する経緯と、依存症で子どもを失った親たちが医療関係者とともにこの惨事と闘う様子が描かれている。

とても興味深い内容なので詳しくはご自身で読んでいただくとして、ここではアメリカにおける「オピオイド問題」とはなんなのかをまとめておきたい。

安全だった街にドラッグを求める犯罪者があふれた

オピオイド問題の背景のひとつは、アメリカの医療において「痛み」が治療対象になったこと。もうひとつは「プアホワイト」と呼ばれる白人労働者層の貧困だ。

末期がんの疼痛管理が医療現場で普及するとともに、「治療とは痛みと戦うこと」というそれまでの常識は大きく転換し、1990年代には痛みは血圧、心拍数、呼吸数、体温につづく「第五のバイタルサイン」として医師が対処すべき症状になった。

それと同時に専門メディアが医療機関をランキングし、それを保険会社が医療費支払いの参考にしたことで、病院は痛みに積極的に対応せざるを得なくなった。患者という顧客を満足させられなければ、保険会社から治療費の払い戻しが受けられなくなる恐れすらあったからだ。

そんななかで登場したのがパデュー社のオキシコンチンで、ホスピスや終末医療向け鎮痛剤オキシコドンを一般市場向けに改良し、「12時間効果が持続するため、痛みに苦しむひとが薬を飲むために夜中に起きなくても済む「奇跡」を実現した」と宣伝した(コンチンはcontinueの略)。

オキシコンチンはたちまちパデュー社の大ヒット商品となり、製薬会社の接待攻勢もあって、多くの医師が痛みを訴える患者に積極的に処方するようになった。やがて、2週間分のオキシコンチンを処方して患者を帰宅させるのが定番の医療行為になっていった。

最初に薬禍が広まったバージニア州はアパラチア山脈によって東西に分かれ、東には州都リッチモンドやノーフォーク、チェサピークなど歴史のある観光都市が集まる一方で、山の西側はかつては石炭の町として栄えたものの、第二次世界大戦後は炭鉱が次々と閉鎖され高い失業率に苦しむことになった。

オキシコンチンの乱用が始まったアパラチア中央部の炭鉱地帯は、石炭産業が長期低迷にあった1960年代に、すでに人口の半分が貧困に喘いでいた。その悲惨な状況は当時、大きな社会問題となり、ジョンソン大統領が「貧困との戦い」を宣言し、その後のアメリカの社会保障政策の基盤となったフードスタンプ(食糧費補助)、メディケア(高齢者・障害者向け公的医療保険)、メディケイド(低所得者向け公的医療保険)、ヘッドスタート(低所得者の子どもへの就学援助)などを打ち出すきっかけになった。

1990年代になってもアパラチア山麓は、アメリカで最高水準の肥満と障害、薬物の乱用、非医療目的の処方箋の乱発・販売といった、不名誉な記録を次々と塗り替えていた。この地域ではそれまで、ロータブやベルコセットなどの鎮痛剤が、ブラックマーケットで1錠あたり40ドルで売られていた。ところが1990年代後半になると、これらの鎮痛剤に変わって、「オキシ」と呼ばれる薬が、80ミリグラムの錠剤1錠あたり80ドルで大量に売られるようになったのだ。

パデュー社は、「オキシコンチンを処方された方法で服用していれば依存症の危険性は0.5%」と説明していた。それが闇市場にあふれるようになったのは、薬の鎮痛効果を長時間持続させるためのコーティングを取り除くのがきわめて簡単だったからだ。

依存症者は、オキシコンチンの錠剤を数分間口に入れてゴム引きの表面を溶かした後、いちどそれを吐き出して、コーティングをシャツの袖に擦りつけて剥がす。これによってオレンジ色と緑色のコーティングがシャツの袖に付き、純粋な薬効成分だけが露出する。露出した薬効成分を砕いて鼻から吸入したり、水に溶かして注射するのだ。

メディケイドの適用者はオキシコンチンを1錠あたり1ドルの自己負担で買うことができたため、それを1錠あたり80ドルで売れば大きな利益になる。「80ミリグラムの錠剤が入った大きなボトルを1つ手に入れれば、それだけで1カ月分の生活費が稼げる」とされ、他の医師から処方を受けていることを申告しないまま別の医師から新たな処方を得ようとする「ドクターショッピング」が常態化した。

ほどなくして、シャツの裾にオレンジ色や緑色の染みをつけた依存症者たちが、処方箋を求めて町を徘徊するようになった。オキシコンチンをザナックスやクロノピン、ヴァリウムのようなベンゾジアゼピン系の神経薬と組み合わせたときに得られる最上級の陶酔感は「キャデラック・ハイ」と呼ばれた。

バージニア州の人口わずか4万4000人の町では、1999年8月から2000年8月までの1年間で、オキシコンチン絡みの重罪で150人が逮捕され、過去18カ月間にドラッグストアに対する武装強盗が10件発生した。家の扉にカギをかけないのが当たり前だった地域が、家のなかに銃を常備しなければならないほど危険な場所に変わった。

仕事のない貧しい白人労働者にとって、かつての石炭は鎮痛剤に変わり、処方薬を横流しすることが生活の糧になったのだ。

白人中流階級の子どもたちがオピオイド依存症で死にはじめた

オピオイドの流行は、アパラチア山脈の寒村からやがて上流階級地区へと広がっていく。その背景には、ティーンエイジャーの「薬パーティ」がある。日本では大学生の一気飲みで急性アルコール中毒の死者が出ることが社会問題になったが、アメリカでは高校生が帽子のなかにいろいろな薬の錠剤を入れて、それを仲間内で回し飲みする「ファーミング」というゲームが流行っているという。オキシコンチンはティーンエイジャーにとっての必須アイテムで、「グリーン・ゴブリン(緑の悪魔)」と呼ばれていた。

オピオイドが蔓延するバージニア州の地域の学校を調査すると、ハイスクールの在校生の24%、中学生の9%が「いちどは試したことがある」と答えた。「高校の同級生の4分の1がオキシコンチン依存症になっていた」と述べる地域住民もいた。

オピオイド依存症がメディアで大きく取り上げられるようになったのは、白人中流階級の子どもたちが依存症で死にはじめたからだ。

『DOPESICK』に出てくるテス・ヘンリーという女性は、外科医の父と看護師の母のあいだに生まれ(10歳のときに両親は離婚)、最高級住宅地で育ち、高校時代は陸上とバスケットボールに打ち込み成績も優秀だった。卒業後は地元の名門バージニア工科大学に入学したあと、ノースカロライナ大学アッシュビル校に転じてフランス語を専攻したが、学位を取得する前に退学した。

テスは若い頃から不安障害に苦しんでおり、大学時代、友人が親知らずを抜いたときに処方された鎮痛剤を分けてもらったことでオピオイド中毒になったようだ。ずっと苦しんいた喘息の発作も、オピオイドを処方されたことでその必要がなくなった(19世紀末にドイツの製薬会社バイエルが商品化したヘロインは鎮咳剤として広く使われた)。こうしてテスは、処方された薬がなくなるとディーラーを通して薬を探し求めるようになった。

大学中退後、地元のレストランでウエイトレスとして働きはじめたテスは、同僚のボーイフレンドの麻薬ディーラーからヘロインを勧められ、すぐに注射を打つようになった。週800ドルのウエイトレスの収入では足りなくなり、ホームセンターから銅製の配管器具を万引きし、それを別の店で返品することで金額分のギフトカードをもらおうとして警官に逮捕された。テスは妊娠6カ月だった。

ベス・メイシーがテスにはじめて会ったとき、男の子は生後5カ月になっていた。依存症の母親からは、胎内で薬物に晒される新生児薬物離脱症の子どもが生まれていたが、幸いなことにテスの息子は驚くほど健康だった。

メイシーに今後の目標を聞かれて、テスは「息子のよい母親になること」と即答した。「今は少しでも長く断薬して、学校に戻って普通の生活を送ること。幸い私にはいい家族がいるし、まだ死んでいないし、刑務所にいるわけでもない。私は二度、三度とやり直すチャンスを与えられて、ラッキーだと思っています」

実際に、テスには愛情深い看護師の母親がいて、疎遠になっていた外科医の父親も娘の薬物依存症の治療に支援を惜しまなかった。テスはさまざまな依存症治療を受け、施設にも入院したが、それでもヘロインをやめることができず、裁判で息子の親権も取り上げられてしまう。

ストリートと刑務所とシェルターと2つの精神病棟への出入りを繰り返したあと、テスは姿を消した。次に母親がテスの姿を見たのは、「セクシーで官能的な26歳」というコピーの下のほぼ全裸の写真だった。それは売春を斡旋するウェブサイトの広告だった。

テスはやがて、ラスベガスの街で売春する相手を見つけたり、カジノの片隅で寝たりして暮らすようになった。最後の住居は駐車場の放棄されたミニバンのなかだった。

2017年のクリスマス・イブ。ラスベガス中心部のアパートのゴミ捨て場で、空き缶を探していたホームレスが若い女の死体を発見した。テスは裸でビニール袋に包まれ、身体と袋は部分的に焼け焦げていた。死因は鈍器による頭部の外傷で、警察は殺害した者が証拠を消すために焼いたのだと考えた。

子どもをドラッグ漬けにするアメリカ文化

ベス・メイシーは取材を通して、高校のアメリカンフットボールのクォーターバックで活躍した息子や、男子生徒の憧れの的だった娘をオピオイド依存症で失い、茫然とする中上流階級の多くの親たちと出会った。

メイシーは、こうした悲劇の背景にはアメリカの薬文化があるという。20代の依存症者のほとんどが、子どもの頃にリタリンやアデロールなどADHD(注意欠陥・多動性障害)の薬を服用していた。集中力が増して親も教師も楽になるとされるが、その化学式はアンフェタミン(覚せい剤)とほぼ同じだ。学童向けのADHD処方薬は、1990年から95年の間だけで3倍に増えたという。

ある心理学者はメイシーに、「健康な状態を維持するために何らかの薬を飲んでいるのが当たり前の常態へと、アメリカの薬文化自体が変わってしまった」と語った。若者たちは朝一番で意欲を高めるアデロール(アンフェタミン)を、午後にはスポーツによる怪我の痛み用にオピオイド(ヘロイン)を、夜には眠るのを助けるためのザナックス(ベンゾジアゼピン系睡眠薬)を何の躊躇もなく服用していた。「彼らは薬に慣れていて、薬を飲むことに全く抵抗がありません。だからレクリエーション目的でハイになることにも抵抗を覚えないのです」。

高校時代にオキシコンチンに依存するようになった彼らは、その後、より安く効果の高いヘロインにはまるようになる。ある若い依存症者は、最初にヘロンを静脈注射したときのことを、「それは、まるで腕からイエス様が入ってくるような感覚でした。頭の中で白い光が爆発して、自分が雲の上に浮かんでいるようでした」と述べている。ただしこんな体験は最初の1回だけだったようだが。

メイシーははっきりとは述べていないが、アパラチア地方の白人の若者たちに薬物依存が蔓延する背景には閉塞感もあるのではないだろうか。テスのように高校卒業後に大学に進学する者は少なく、男は建設現場、女はウエイトレスなどの仕事で働くことになる。彼ら/彼女たちにとってはハイスクール時代が人生の頂点で、そのあとは長く退屈な下り坂が待っているだけなのだ。

処方薬によってオピオイドに依存するようになった若者たちは、やがて密売人からヘロインを購入するようになり、クスリを買うカネほしさに自らも麻薬密売の道へと転落していく。

バージニア州と隣接するメリーランド州最大の都市ボルチモアは、一人当たりのヘロイン使用量が全米でもっとも多く、オピオイドの過剰摂取で死亡する可能性が全国平均より6倍も高い。近隣から薬物常習者が流れ込んできたことで、地域の公衆便所には注射針を廃棄するための容器が設置され、図書館司書までが、オピオイドの過剰摂取で呼吸困難を起こした利用者に対処できるよう、オピオイド拮抗薬のナロキソンの使い方を習得しなければならなくなった。そんなボルチモアではヘロイン50袋が100ドルで入手でき、それを地元で6倍から8倍の値段で売りさばくことができた。

ボルチモアをマイアミ(フロリダ州)やバンゴー(メイン州)と結ぶ州間高速道路95号線には「通勤ディーラー」が大挙して押し寄せ、「リーファー(マリファナ)・エクスプレス」「コカイン・レーン」「ヘロイン・ハイウェイ」などと呼ばれるようになった。ヘロイン依存症になると、極度に無気力になりほとんど社会的に機能できなくなる。そこで通勤ディーラーたちは、メタンフェタミン(覚せい剤)の助けを借りて気分をアップさせ、仕事に出かけるのだとういう。

オピオイド依存症が白人の中上流階級の子どもたちに広がる一方で、「プアホワイト」と呼ばれる低所得者層はさらに甚大な被害を受けていた。

バージニア州の旧炭鉱町では、主要労働年齢の男性の57.26%が仕事に就いていなかった(女性は44%)。仕事を失った元炭鉱労働者にとっては、障害者を支援する福祉政策が事実上のセーフティネットとして機能していた。精神疾患や慢性疼痛、薬物障害の患者のなかには、福祉を受けつづけるためには病気のままでいた方が好都合だと考える者もいた。

子どもにADHDなど発達障害の診断をしてもらえるよう、医師に頼み込む親もいた。発達障害の診断を受けている子どもは大人になってから、障害者年金の受給資格を得やすくなるからだ。その結果、障害者手当の申請者数は1996年から2015年の間にほぼ倍増した。

両親または祖父母が麻薬またはアルコール依存症だと、子どもが依存症になる可能性は劇的に高くなった。「ある家族は過剰摂取でまず息子が死に、次の日に父親が死に、そのまた次の日に母親が死んでしまいました。もしもその死因が感染症だったら、アメリカ中が大パニックに陥っていたはずです」と、ある医師はメイシーに語った。

オキシコンチンの乱用が大きな社会問題になると、2001年4月、DEA(麻薬取締局)は製薬会社のパデューに対し、流通を自制しマーケティング戦略を再考するとともに、乱用を防止するために薬の再合成を検討するよう求めた。さらに同年7月、FDA(アメリカ食品医薬品局)はオキシコンチンに処方薬としては最上級の警告となる「ブラックボックス警告」を付けさせた。

その一方で、2001年のオキシコンチンの売上げはバイアグラを抜いて10億ドルに達した。パデュー社は、オキシコンチンの処方箋を無差別に乱発する医師を多く見つけた営業担当者に四半期あたり10万ドル(約1100万円)ものボーナスを払っていた。FDAの担当者はその後、パデューにコンサルタントとして転身したという。

全米で巨大な「リハビリ産業」が勃興した

オキシコンチンを販売するパデュー社は「オピオイドの依存症率は1%以下できわめて低い」と主張してきたが、この数値は慢性の非悪性疼痛という限定的な症状に対する発症率で、最近のデータでは依存症の発症率は56%にものぼるという。

オピイオド依存症者の40~60%は薬物維持治療によって一度は寛解するが、それを持続的なものにするためには10年以上かかる場合もある。2017年の統計では、オピオイド依存症者の約4%が毎年、過剰摂取で死亡していた。

薬物依存症に対しては、日本でもよく知られる「12ステップの回復プログラム」がある。匿名で集まったアルコール依存症者たちが、自分たちの体験を分かち合う自助グループを始めたのがきっかけで、いまでは薬物依存症やギャンブル依存症などでも匿名の治療会が開かれるようになった。

だがメイシーは、アメリカでは薬物依存症からのリハビリについて、薬物維持治療を提唱する一派と、匿名薬物依存症者の会とのあいだで深刻な対立が起きているという。

オピオイド(ヘロイン)の依存はあまりにも強力なので、完全な断薬は非現実的で、サボキソンやブプレノルフィン、サブテックスなどの代用薬物を投与して、無期限(場合によっては終身)の薬物維持治療をするのが「ハームリダクション」だ。薬物依存の専門家によれば、「1年間断薬状態を保てるようになるまで、治療を始めてから平均して約8年の年月を要し、その後もクリーンでいつづけるためには、4~5回の異なる治療が必要になる」という。

それに対して匿名薬物依存症者の会は、薬物維持治療を「一つのオピオイドからもう一つのオピオイドに薬の種類が変わっただけ」とみなす。会への参加は「断薬」が前提になるため、ハームリダクションを受けている依存症患者が排除される問題が生じている。断薬を絶対視するひとたちにとって、「薬物」を常用する者は自らの回復の妨げにしかならないのだ。

オピオイド依存症が蔓延したことで、全米で巨大な「リハビリ産業」が勃興した。その市場規模は年間350億ドル(約3兆8500億円)とされ、規制が歪められ拝金主義がまかり通っているとの批判も多い。

世界の人口の4.4%を占めるに過ぎないアメリカで、世界のオピオイド消費量のおよそ30%が消費されている。ピッツバーグ大学公衆衛生学部長ドン・パークは、「過去15年間で30万人のアメリカ人が過剰摂取で死亡していて、もし政府が抜本的な対策を行なわなければ、次の5年間で同じ数の人が死亡する」と予測している。2016年には1日に100人あまりのアメリカ人がオピオイドの過剰摂取で死亡していたが、合成オピオイドが普及するにつれて、その人数は1日250人に急増するとの予測もある。

この驚くべき事態に対して、ベス・メイシーは厳罰主義は事態を悪化させるだけだとして、コカインやヘロインを含むすべての薬物を処罰の対象から外し、代わりに住宅や食料、就労支援などの提供を始めたポルトガルの試みを紹介している。

経済学者のアン・ケースとアンガス・ディートンは、アメリカの貧しい白人の平均寿命だけが短くなっている奇妙な現象を「絶望死(Deaths: of Despair)」と名づけた。アメリカは新型コロナ対策で大きな失敗をしたと批判されているが、それ以前にオピオイド依存症によって多くの生命が失われていたのだ。

禁・無断転載