黒人の窮状を伝えた若手社会学者がキャンセルされるまで

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年2月18日公開の”アカデミズムのサラブレッド”で新進気鋭の社会学者だったアリス・ゴッフマンは、なぜ「キャンセル」されたのか?」です(一部改変)。

******************************************************************************************

エスノグラフィー(参与観察)は文化人類学や社会学で行なわれるフィールドワークの一種で、研究者が調査対象者と行動と共にし、同じ立場でさまざまな経験を記録する手法をいう。以前紹介したボストン大学の社会学者アシュリー・ミアーズは、元モデルという変わった経歴を活かして、ファッションモデルや有名クラブのVIPの世界に潜入してその実態を報告した。

参考:富裕層とファッションモデル ニューヨークの有名クラブの生態学

アリス・ゴッフマンは同じ社会学者で、エスノグラフィーの手法を使い、30代前半できわめて高い評価を受けた著作を発表した。ところがその後、この著作は「炎上」し、彼女は「キャンセル」されてしまう。

キャンセルカルチャーは、PC(政治的正しさ)の基準に反した者を糾弾し、社会的な地位を抹消(キャンセル)する左派(レフト)の運動で、東京オリンピック開会式をめぐる一連の騒動を見ればわかるように、その標的になるのは性差別、いじめ、人種差別などをした(と見なされる)者だ。

ところがこのケースでは、アリス・ゴッフマンはきわめてリベラルな主張をしたにもかかわらず、キャンセルの嵐に見舞われることになった。その著作は2014年の“On the Run: Fugitive Life in an American City(オン・ザ・ラン あるアメリカの都市の逃亡生活)”で、21年に『逃亡者の社会学 アメリカの都市に生きる黒人たち』(亜紀書房)として翻訳された。ちなみに“On the Run”は「逃亡中」の意味だ。

ここでは私にわかる範囲で、いったい何が起きたのかを見てみたい。

アカデミズム界のサラブレッド

その特徴ある姓で気づいたかもしれないが、アリス・ゴッフマンは「20世紀のアメリカでもっとも重要な社会学者の一人」とされるアーヴィング・ゴッフマンの娘だ。

アーヴィングは1922年にカナダで生まれ、30歳で結婚して男の子をもうけたあと、アメリカにわたって社会学者として成功し、第73代のアメリカ社会学会会長に選出された。81年に社会言語学者のジリアン・サンコフと再婚し、翌年、アリスが生まれたが、同じ年に胃がんのため60歳で死去した。

ここからわかるように、アリス・ゴッフマン(アーヴィング・ゴッフマンと区別するために、以下、アリスとする)に父の記憶はまったくない。それにもかかわらず、実父と同じ社会学者を目指したのは興味深いが、ここではフロイト的な解釈は控えておこう。

母のサンコフもアーヴィングとは再婚で、死別のあと、93年(アリスが11歳のとき)に言語学者のウィルアム・ラボフと三度目の結婚をしている。アリスの義父となるラボフも高名な学者で、ペンシルバニア大学の言語学研究所所長を務めていた。

アリスは社会言語学者の両親によって、子どものときにフィラデルフィアのイタリア人家族に預けられ、そこで方言の収集をさせられていたという。その後、彼女は義父が務めるペンシルバニア大学で社会学の博士号を取ることになる。

その家族歴から一目瞭然だが、アリスはアカデミズムの世界のサラブレッドだ。実父は誰もが知っている高名な社会学者で、義父は自分が所属する大学の実力者、母親も学者で、その将来にはわずかの障害物もないはずだった。のちの「炎上」の背景には、このあまりにも恵まれ過ぎた経歴がある。

アリスがエスノグラフィーを手掛けるきっかけはペンシルバニア大学1年生のとき、「直接観察を通じて都市生活を研究する」という課題が学生に課されたことだった。アリスは最初、ダウンタウンにある自主制作映画のレンタル店で働こうとしたが、「映画をよく知らない」という理由で雇ってもらえず、大学内のカフェテリアで働きながら従業員(そのほとんどがフィラデルフィアの貧困地域から通う黒人)を参与観察することにした。

レポートを書き終えたあと、アリスはカフェテリアのアルバイトを辞めたが、翌年の秋、そこを仕切っていた60代の黒人女性に「家庭教師を必要としているひとを知らないか」と問い合わせた。彼女は同居する娘(シングルマザー)の息子で高校1年生のレイと、息子の娘で、数ブロック離れたところでやはりシングルマザーの母親と暮らす高校1年生のアイシャという2人の孫を紹介した。こうしてアリスは、週に2~3回、ダウンタウンにある黒人居住区に家庭教師として通うようになった。

これを機にアリスは、本格的にフィラデルフィアの労働者階級の黒人たちの生活を調査することに決め、黒人地区にアパートを借りて引っ越した(地元の不動産業者は白人には貸してくれなかったため、アイシャの姉が代わりに交渉した)。その後、アイシャの14歳のいとこロニーが少年院から戻ってくると、「6番街」と名づけられた地区のストリートボーイズと知り合うようになる。彼らのリーダー格が22歳のマイクで、映画館でいちどグループデートをしたあと、アリスの面倒を見るようになる。

このときアリスは21歳で、後日、2人の関係が問題になるが、マイクは自分の物語を白人の学者に書いてもらうために、打算と興味、そして友情によってアリスを迎え入れたのだとされている。実際、アリスは身長157センチで、40代を迎えた現在の写真でも少女のように見えるので、女に不自由していなかったマイクにとって性的な対象にはなり得なかったという説明を疑う理由はない。

こうしてアリスは、黒人のストリートボーイズたちと「つるみ」ながら、6年にわたって彼らの生活を膨大なフィールドノートに記録することになる。その作業のなかで彼女が発見したキーワードが「逃亡」だ。

ストリートボーイズの「逃亡」でメディアの寵児(セレブリティ)に

黒人のストリートボーイズが「逃亡」するのは、地元の警察から指名手配されているからだが、重罪を犯して逃げ回っているわけではない。ほとんどの場合、微罪で執行猶予になったものの、裁判所が科した罰金・訴訟費用の滞納か公判期日に出廷しないこと、あるいは保護観察・仮釈放の遵守事項(禁酒や門限)に違反したために逮捕令状を出されていた。

2007年、アリスは「6番街」の18歳から30歳までの男性308人にインタビューしたが、そのうち約半数の144人が令状を出されていると答えた。さらに、146人中139人の女性が、過去3年間にパートナーや隣人、あるいは親しい男性の親族が「警察に指名手配されるか、保護観察または仮釈放中であるか、裁判にかけられているか、更生施設にいるか自宅拘禁の状態にある」と語った。

マイクは22歳から27歳までのあいだに拘置所や刑務所で約3年半を過ごした。投獄されていなかった139週のうち、87週は5つの判決が重なって保護観察か仮釈放の状態だった。35週は合わせて10の逮捕令状が出されており、5年間に少なくとも51回出廷し、そのうち47回はアリスが付き添った。

このようなことになるのは、彼らが複雑な法律問題をクリアする資源(リソース)をもっていないからだ。中流階級の白人家庭なら、子どもが警察の世話になるようなトラブルを起こしても、弁護士をつけ罰金を払って解決できるだろう。だが労働者階級の黒人の場合、小さな法律違反が積み重なって身動きとれなくなってしまうのだ。

ストリートボーイズのあいだでは、「ダーティdirty」か「クリーンclean」かが重要な問題になる。「ダーティ」は令状が出されていて、警察に呼び止められて名前を照会され、所持品検査をされると逮捕される可能性がある者、「クリーン」は警察の職務質問をうまく切り抜けられる者のことだ。

自分が「ダーティ」の場合、状況が「ホットhot」か「クールcool」かが次の問題になる。ホットな状況は、誰かが射殺されるなどの事件が起き、警察が未決令状を出された者を捜索している。そんなときは、状況が「クール」になるまでその地域には立ち入らず、事件に関わる者から距離を取らなければならない。

令状が出ていると、ファストフード店やスーパーマーケットなどで働くこともできない。いつ警官がやってきて逮捕されるかわからないからだ。その結果、ドラッグの売人になって稼ぐしかなくなり、さらに自分の立場を悪くしていく。それはまるで、罠にかかってがんじがらめになっていくようだ。

1970年以降、ひとびとが犯罪に対して「ゼロ・トレランス(容赦なし)」で対処するよう求めたことでアメリカの収監率は上昇し、2000年代までに獄中にいる者が107人に1人と、米国史上、類を見ない割合に達した。「(アメリカでは)220万人が刑務所か拘置所に投獄され、さらに480万人が保護観察か仮釈放の状態にある。近代史において、スターリン政権下のソ連の強制収容所だけが、こうした刑罰上の収監に近い水準にあった」とアリスは書く。

だがアメリカ社会で、この大量投獄が大きな社会問題になっているわけではない。その理由は、囚人の割合が不均衡なまでに黒人に偏っているからで、「高校すら卒業していない(黒人)男性のおよそ60パーセントが、30代半ばまでに刑務所に行くことになる」という異常な事態になっている。

これは保守派から、黒人コミュニティの自己責任(怠惰な文化)だと批判されてきたが、それに対してアリスは、6年間の参与観察によって、それが個人の努力ではどうしようもない社会現象で、黒人の若者は些細なことで「逃亡者」になってしまうと論じた。これが、リベラルを中心に彼女の著作が高く評価された理由だ。

参考:BLM(ブラック・ライヴズ・マター)に対する保守派の論理とは

アリスの研究は2011年のアメリカ社会学会の最優秀博士論文となり、14年にシカゴ大学出版会から単行本として出版。翌15年3月、アリスはTEDに登場し、ストリートの黒人が置かれた理不尽な状況と、司法制度や警察の取り調べを改革する必要を力説した。この講演は大きな注目を集め、再生回数はたちまち100万回を超えた。アリスは一躍、メディアの寵児(セレブリティ)になった。

炎上はどのように始まったか

アリスの参与観察は2007年夏、悲劇によって終わりを告げた。マイクの弟分で、アリスが親しくつき合っていた家族の三人兄弟の長男チャックが、ギャング団同士の抗争で銃撃され、死亡したのだ。

葬儀のあと、マイクはチャックを殺した相手の捜索を開始した。そのうち何回かは、マイクに同乗者がいなかったため、アリスが車の運転を買って出た。

ある晩、マイクは標的の男がテイクアウトの中華料理店に入るのを見たと思った。その場面はこう描写されている。

彼(マイク)は銃をジーンズに押し込み、車から降りて、隣接する路地に身を隠した。マイクが駆け戻って車に乗り込んだらすぐに走り出せるよう、私はエンジンをかけながら車内で待った。だが、その男性が食事を持って出てきたとき、どうやらマイクはこの男のことを考えていた人物ではないと思ったようだ。マイクは車に戻り、私たちは車を発進させた。

アリスはなぜこんな危ない橋を渡ったのか。それは「暴力について直に学びたい、あるいは、自分の誠実さと勇気を証明したいという理由」ではないという。彼女が車を運転したのは、「マイクやレジー(チャックの弟)と同様、チャックを殺した人間に死んでほしかった」からだ。

「おそらく、チャックの死は私のなかのなにかを壊した」とアリスは書く。マイクが銃を持って中華料理店に向かったとき、彼女はその行為を止めようとはしなかった。「ただ単に、彼(加害者)が私たちから奪ったものへの落とし前をつけさせたかった」だけだ。

この体験は、「振り返れば、私は、一人の男に死んで欲しいという感情がどのようなものなのか学べたことを嬉しく思っている」と総括されている。アカデミズムの著作としては異例だが、それだけアリスとインフォーマント(調査対象者)であるストリートボーイズとの友情が深かったのだろう。

ところがこの記述に、法倫理学者から批判が浴びせられる。彼によれば、アリスの行為は殺人という重大犯罪の共謀であり、研究者としての倫理を大幅に踏み外した「重大かつ深刻な非道徳」だというのだ。

この批判は法学的には正しいのかもしれないが、アリスは実際にはどのような違法行為にもかかわっておらず、自分の心情(怒りと悲しみ)を率直に書いただけなのだから、言いがかりのようにも思える。すくなくともこれが、アリスの著作の価値を否定するようなものでないことはまちがいない。

ところが、この批判的な書評が掲載されたのをきっかけに、インターネット上に本書への大量のネガティブ投稿が溢れ、手がつけられない事態になっていく。いわゆる「炎上」だ。

アリスは、アメリカ社会には、中流階級の白人の若者は大学に、貧困地区の黒人の若者は監獄に行くような「分断」があることを告発したのだから、左派から批判される理由はどこにもないように思える。だが実際には、彼女の本が注目され、メディアで大きく取り上げられるようになると同時に、その著作に多くの歪曲や捏造が含まれているのではないかとの疑惑がくすぶりはじめた。

決定的なのは、著作の矛盾点を微に入り細を穿って追及した60ページ、3万語に及ぶ長大な批判文が匿名のアドレスから何百人もの社会学者に送られたことだ。そこには、開かれていないはずの少年審判にアリスが出席しているとか、死んでいるはずの人物が登場している、出席した葬儀の回数が異なっているなどが「捏造」の証拠として挙げられていた。

それに続いて、研究者やジャーナリストからも、「警察が病院で指名手配犯を逮捕している」「テーブルに銃を置いて容疑者を尋問した」などの記述に対して、事実でないか、大幅に誇張しているとの批判が現われた。

アリスはこの告発文に対していったん長文の反論を書いたものの、それを公表しても火に油を注ぐだけだと判断して掲載を取りやめた。さらに、インフォーマントを守るために、6年間書き溜めた膨大なフィールドノートを焼却していたことも明らかになった。その結果、「反論できずに逃げている」「証拠を隠滅した」とのさらに激しいバッシングを受けることになったのだ。――アリスの反論を読んだジャーナリストは「説得力のある説明がなされている」と述べ、フィールドノートの焼却は本の出版と同時に決めていたと説明されたが、なんの役にもたたなかった。

「なにひとつ不自由なく育った白人の若い女が、黒人コミュニティの恥を暴き、セレブになった」

なぜこのような騒ぎになったのか。その経緯について私は何本かの記事を読んだだけだが、問題は、インフォーマントを守るために匿名化の作業を行なったことにあるようだ。調査対象者が指名手配犯である以上、これは当然のことだが、そのため、どれが事実で、どれが匿名化による「創作」なのかわからなくなってしまった。

アリスはチャック、レジー、ティムの3人兄弟と親しくしていたが、彼らが住む家は祖父の所有で、シングルマザーのミス・リンダがまったく掃除をしないため、「小便と嘔吐物、煙草の吸殻の臭いが充満し、ゴキブリが好き勝手に天井や汚い家具をはい回っていた」と描写されている。これはこの黒人家庭の正確な描写なのか、それとも自宅を特定できないようにするための「創作」が入っているのだろうか。もし後者なら、そこには「だらしがない黒人」という偏見が紛れ込んでいる――という話になっていく。

本書に登場する黒人の若者たちは、多かれ少なかれ犯罪に手を染めている(だから指名手配から逃亡することになる)。刑務所にいる夫や恋人に会いに行く女たちも、囚人にこっそりとドラッグを渡して小遣い稼ぎをしている。本書に登場するのはシングルマザーばかりで、夫婦が揃った家庭はひとつも出てこない。こうしたネガティブな部分もためらわずに記述しているのが本書の魅力なのだが、しかしそれは「事実」なのか、それとも「偏見」によって歪められているのか。

こうした批判は一種の「悪魔の証明」で、反論や弁解をすればするほど泥沼にはまっていく。その意味でアリスの対応は仕方のないものだったのだろうが、それは同時に、批判する者たちに好きなようなレッテルを貼られることを意味した。

カリフォルニア大学の社会学者は、アリスの著作を「ジャングルブック」と評した。西洋人がアフリカのジャングルを探検し、もの珍しい動物や、興味深い「原住民」の風俗を面白おかしく描写するのと同じだというのだ。しかし、エスノグラフィーが部外者による観察である以上、すべてが「ジャングルブック」の要素を含んでいる。だとしたらこれは、エスノグラフィーという手法を使う社会学への全面的な否定ではないだろうか。

マイノリティの社会に入り込んで参与観察を行なう社会学者はたくさんいるのに、なぜアリスだけが大々的な「キャンセル」の標的になったのか。そこにはいろいろな要因があるだろうが、もっとも大きいのは、彼女の恵まれた出自や環境のように思われる。

アリスへの異常なまでの反感や憎悪を要約するなら、「なにひとつ不自由なく育った白人(ユダヤ系)の若い女が、黒人コミュニティに土足で上がり込んでその恥を暴き、セレブになった」だろう。そこにミソジニー(女性嫌悪)やアカデミズム内の嫉妬を見いだすこともたやすい。

キャンセルカルチャーは終わらない

アリスは本の印税をインフォーマントの家族と分け合っていて、たびたび「6番街」を訪ねており、本書の登場人物たちに歓迎される場面をジャーナリストが書いている。フィールドノートを燃やしたにもかかわらず「6番街」のインフォーマントたちはたちまち特定され、事実を検証したジャーナリストもいて、「本に書かれた内容はおおむね正しい(匿名化の作業を行なっているため事実と完全に一致することはない)」とされたが、そうした報道も焼け石に水だったようだ。

本の出版当時、アリスはウィスコンシン大学社会学部の助教授だったが、テニュア(終身在職権)を取得できず、2019年にカリフォルニア・クレアモントのポモナ・カレッジの客員助教授に移った。この採用にあたって、128名の署名者(「個人の安全」のために匿名)による抗議文が大学に送られたことが報じられている。

そこには「ゴッフマン氏の学術的な誠実さへの疑わしい評判、黒人男性の過剰な犯罪化、黒人女性の性的側面の過剰な強調をめぐる全国的な論争は、わたしたちが共有するコミュニティの価値と合致していない」「覗き見趣味的で非倫理的な研究を行ない、研究対象のコミュニティにアウトサイダー(部外者)としてかかわることの「位置」に無自覚な白人教員を採用することは、有色人種に対する有害な物語を強化するだけだ」など、典型的な「キャンセルカルチャー」の言葉が並んでいる。

黒人のストリートボーイズと6年にわたって交友し、彼らを「逃亡者」へと追い立てる司法や警察を告発したアリスは、いつしか「人種主義者(レイシスト)」の同類とされていった。アリスはこのカレッジに採用されたものの、やはりテニュアは取得できず、その立場は不安定なままのようだ。

なお、2015年にアリスが行なったTEDトーク「私たちがどのように子供たちを大学―または刑務所に送り込んでいるか」は日本語字幕版がネットに公開されており、それを観ると、なぜ彼女が「キャンセル」の標的にされたのかがなんとなくわかるだろう。

参考記事:Gideon Lewis-Kraus“The Trials of Alice Goffman” The New York Times Magazine(Jan.12,2016)
Colleen Flaherty“Past as Prologue” Inside Higher ED(April 25, 2017)

禁・無断転載

「病は気から」を科学する

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年3月19日公開の「「病は気から」のプラセボは実際に「薬効」があった。 条件づけにより薬を投与せず完全にがんが消えたマウスも」です(一部改変)。

******************************************************************************************

代替医療は「エビデンスのない治療法」のことで、ホメオパシーやハーブ療法だけでなく鍼や漢方も含まれる。近代医学においてエビデンスというのは、二重盲検によるランダム化比較試験で統計的に有意な効果を得ることだ。それ以外の治療法は、効果がないのにあるように見せかけている「エセ医学」ということになる。

ところで、薬の効果を調べるのになぜこんな面倒なことをしなければならないのだろうか。それはよく知られているように、プラセボ効果があるからだ。「病は気から」という言葉があるように、なんの薬効もない偽薬でも症状が緩和したり病気が治ったりすることがあるから、「科学的に正しい治療」はそれと厳密に区別されなければならないのだ。

この論理はまったく正しいのだが、「たとえ気のせいであって、病気が治るのならそれでじゅうぶんではないか」という疑問をもたないだろうか。

この問いに挑んだのがジョー・マーチャントの『「病は気から」を科学する』( 服部由美訳、講談社)だ。マーチャントは大学で生物学を学び、医療微生物学で博士号を取得したイギリスの科学ジャーナリストで、本書の原題は“CURE: A Journey into the Science of Mind Over Body(キュア “身体の向こうのこころ”の科学への旅)”。

マーチャントによれば、欧米では成人の38%がなんらかの補完代替療法を利用していて、合計すると、毎年、代替医療の開業医に3億5400万回の診療を受け、340億ドルを支払っている。一般開業医での診察はおよそ5億6000万回だから、代替医療市場はその6割にも達する。だとしたらこれは、たんなるインチキではなく、ひとびとがなんからの一貫した効果を実感しているからではないのだろうか。

プラセボには実際に「薬効」がある

パーキンソン病はドーパミンを生成する脳細胞が徐々に死んでいく変性疾患で、脳内のドーパミン濃度が下がるにつれ、筋肉のこわばり、緩慢な動作、震えなどの症状が徐々に進行していく。そのため、投薬によってドーパミンを補充するのが標準的な治療法になっている。

このパーキンソン病はプラセボの効果がきわめて高く、なんの薬効もない偽薬で重篤な症状が和らぐ可能性があることが繰り返し報告されてきた。そこでブリティッシュコロンビア大学(カナダ)の神経科医ジョン・ストースルは、患者の脳内でいったい何が起きているのか脳スキャン画像で調べてみた。

ストースルが驚いたことに、プラセボを飲んだあとの被験者の脳は、本物の薬を飲んだときと同じようにドーパミンであふれていた。たんに「薬を飲んだ」と思い込んだだけで、ドーパミン濃度は3倍まで上がり、健康なひとのアンフェタミン服用時と同等になっていたのだ。このことは、プラセボには実際に「薬効」があることを示している。

モリネッティ病院(イタリア)の神経科学者ファブリッツィオ・ベネディッティが率いるチームは、パーキンソン病の患者の脳に「脳深部刺激療法」の電極を埋め込む際にプラセボ効果の測定を試みた。患者に「アポモルヒネという強力な抗パーキンソン病薬を投与します」と伝えて、実際には生理用食塩水を注射したところ、脳活動のグラフでスパイクが密集している部分(パーキンソン病の特徴であるニューロンの興奮を制御できない状態)が、プラセボ注射の直後にほぼ完全な沈黙になった。「圧倒するような空白部分を遮るものは、1個のスパイクだけだ」という驚くべき効果だった。

ベネディッティは、大学生にアルプスの高地で半時間のエクササイズをさせて高山病にする実験も行なっている。高地では血中酸素濃度が薄くなるので、脳はプロスタグランジンと呼ばれる神経伝達物質を産生し、身体に多くの酸素を送り込もうとする。これが血管拡張などの変化を引き起こし、高山病に特有の頭痛やめまい、吐き気を引き起こす。

高山病は酸素の欠乏によって起こるのだから、それを治療するには酸素を吸えばいい。ところがここでベネディッティは奇妙な現象を発見した。被験者に酸素の含まれていない空気を吸わせても高山病の症状が寛解したのだ。

血中酸素濃度を調べてみると、当然のことながら、偽の酸素では値は変化していなかった。だがそれにもかかわらず脳内のプロスタグランジン濃度が低下し、血管拡張状態が緩和されていた。「被験者がプラセボ効果を体験しているとき、脳は本物の酸素を吸っているかのような反応を見せ、症状が和らぎ、エクササイズの成績がよくなった」のだ。

このような実験から、「プラセボ効果自体にはなんら神秘的なところはなく、生理学的には脳が本当の薬と同じような反応を見せ、その効果は測定可能である」ことが明らかになった。ベネディッティは、音楽からセックスまで、生活のあらゆる側面にプラセボ効果が存在するとして、「人間は象徴的な動物なんです。どんな場面でも、重要なのは心理的な要素です」と述べている。

いまでは、プラセボ効果の限界について2つの重要な点が明らかになっている。

(1)治療を信じるこころが起こす効果は、身体がもっている天然ツールにかぎられる
偽の酸素を吸うことにより脳に空気中の酸素濃度が高いかのような反応が起きても、血中酸素の実際の濃度を上げることはできない。切断手術を受けたひとにプラセボで脚がはえてこないのと同じく、Ⅰ型糖尿病の患者にプラセボを与えてもインスリンは産生されない。

(2)期待がもたらす効果は、特定の症状にかぎられる
プラセボの効果は、痛みや痒み、発疹や下痢に加え、認知機能、睡眠、カフェインやアルコールなど中毒性のあるものの影響など、「自分で気づいている症状」に限定される。そのなかでもうつ病や不安、依存症などの精神障害に対してはプラセボ効果がとくにに強く出るらしい。

近代医学こそがもっとも強力な「呪術医療」

現在の抗うつ剤の主流はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)だが、ハーバード大学の心理学者で、プラセボ研究プログラムの副責任者であるアービング・キルシュがFDA(米国食品医薬品局)から臨床試験データを入手して検証したところ、プロザックなどの抗うつ剤にはプラセボを超える効果がほとんどなかった。同じく、強力な鎮痛剤だと考えられているいくつかの薬に、痛みに対する直接的な効果がまったくないこともわかってきた。これまで「薬効」とされてきたものの多くが、じつはプラセボだった可能性がある。

オピオイド系の鎮痛剤は、脳内のエンドルフィン受容体と結合することで作用する。パーキンソン病におけるドーパミンと同じで、なんらかの方法で脳内のエンドルフィン濃度が上がれば鎮痛効果が生じるということだ。

そしてどうやら、このメカニズムが発動する条件は、「特定の薬」を投与されることではなく、「痛みが和らぐ」という期待が引き起こされることだけらしい。「薬の投与に気づいていること」と、「それに対して前向きな期待を抱いていること」が、脳内の天然エンドルフィンの放出につながるのだ。製薬会社にとって不都合なことに、これまで強力な鎮痛剤だとされていた薬が作用するのは、このプロセスだけだったようだ。

ベネディッティは、本物の薬を使ってプラセボ効果を検証した。手術後の患者に同じ鎮痛剤を点滴したが、一方は効果について説明し、対照群は説明なしでコンピュータによってひそかに点滴したのだ。鎮痛剤の薬効はどちらも同じだが、実際には、医師から説明を受けて薬を投与された患者は、知らずに薬を投与された対照群よりも最高で50%まで痛みが和らいだ。

ここから、現代社会においてもっとも強力なプラセボ効果をもつのは代替医療ではなく、「近代医学」であることがわかる。さらにメディアの報道と広告の影響力が大きくなったため、ひとびとが抗うつ剤の有効性を意識し、信じるようになった結果、SSRIが強い効果をもつようになった。近年はSSRIの効き目が落ちているとされるが、これは当初のプラセボ効果が消失してきたからだろう。近代医学こそがもっとも強力な「呪術医療」だったのだ。

とはいえ、プラセボはどんな症状にも効果をもつわけではない。プラセボのもうひとつの特徴は、コレストロール値や血糖値など、自分ではわからない値に影響を及ぼすという証拠がほとんどないことだ。

うつや痛みのような「意識できる症状」には効果があっても、「意識できない身体の異常」に影響を与えることはできない。このことは、プラセボが「病気の根源的なプロセスや原因にかかわることはない」ことを示している。

プラセボだと知っていても効果がある

テッド・カプチャクは1960年代に台湾や中国で東洋医学を学んだあと、マサチューセッツ州ケンブリッジに小さな鍼治療院を開いた。カプチャックの施術は評判を呼び、多くの患者を劇的に治癒させたが、そのうちになにかがおかしいと思いはじめた。患者が症状を訴え、処方箋を書いただけで治癒したこともあったのだ。

1998年、治療院の近くにあるハーバード大学医学部が漢方医学の専門家を探していて、それに採用されたことでカプチャクは本格的にプラセボ効果を研究しようと決めた。

カプチャックは、偽の鍼と偽の薬という2種類のプラセボの比較を行なった。ベネディッティは本物の薬同士で対照実験を行なったが、こちらは「偽物」同士の対照実験なのだから、これまでの常識ではなんの意味もないはずだった。

ところがその結果、「痛みにはプラセボの鍼が有効で、不眠にはプラセボの薬が有効だった」ことがわかった。さらに、特定の潰瘍治療の試験でプラセボに反応したひとの割合が、デンマークの59%に対しブラジルではたった7%しかいなかった。

だがこれは、プラセボが「効かない薬に対する心理反応」であることを考えれば当然のことでもある。それは文化的・社会的な環境(患者の心理状態)に大きく影響されるため、治療法によってプラセボの種類が異なったり、地域・文化によって効果が変化するようなことが起きるのだ。

カプチャクはこうした結果に勇気を得て、さらに大胆な実験を行なった。被験者に「この薬は有効成分が一切入っていないプラセボだ」とあらかじめ伝えたのだ(より正確には「このカプセルには有効成分は入っていないが、心身の相互作用、自然治癒のプロセスを通して作用する可能性がある」と説明した)。

プラセボ効果は偽薬を本物の薬だと思い込むことから生じるのだから、あらかじめプラセボであることを伝えてしまっては効果は消失するはずだ。だが実際には、プラセボと知りつつ飲んだ場合でも、何も飲まなかった場合と比較して痛みが30%軽くなった。

プラセボを併用することで副作用を抑える

カプチャクの研究が発表されると、オンラインでプラセボを販売する業者が登場した。医薬品と偽ってプラセボを売るのは犯罪だが、プラセボだと断ったうえで偽薬を売るのはなんの規制もない。

薬効のない偽薬を10~25ポンド(1500~4000円)でネット販売しているある業者は、ウェブサイトに「研究により、プラセボは高価であるほどよく効くことがわかっている」と説明している。これは間違いではなく、「高価な治療ほど効果も高い」以外にも次のような「プラセボの法則」がわかっている。

  • 薬のサイズが大きければ、小さなサイズより効果が高くなる
  • 1回分が2錠なら、1錠の場合よりよく効く
  • 見覚えのある商標名の錠剤は、そうでないものより効果が高い
  • 色つきの錠剤は白い錠剤よりよく効く傾向にあるが、どの色がいちばんよいかは、高めたい効果による
  • 青い錠剤は睡眠を促し、赤い錠剤は痛みの緩和に向いていて、緑の錠剤は不安に対する効果がもっとも高い
  • 治療が大げさであればあるほど、プラセボ効果が高くなる
  • 一般的には、手術は注射より、注射はカプセルより、カプセルは錠剤より効果が高い

「プラセボだとわかっているプラセボ」になぜ効果があるのかは、「パブロフの犬」で知られる条件づけによって説明できる。

なにも知らない被験者にプラセボの鎮痛剤を注射すると、その効果は0~100%の間で大きく変動する。プラセボがまったく効かないひともいれば、痛みが完全に消失するひともいるということだ。

ところが、あらかじめ本物の鎮痛薬を何度か注射されたことがある被験者に、見た目が同じプラセボを注射すると、その効果は95~100%まで劇的に上がった(大半の被験者にプラセボ効果があった)。

このことは、プラセボが身体の無意識の反応であることを示唆している。鎮痛薬の注射で痛みが消失する体験を脳がいったん記憶すると、パブロフのイヌがベルの音でよだれをたらすように、同じに見える注射によって、薬効がなくても脳はエンドルフィンを放出して痛みを抑える。そしてこの反応は、意識がプラセボであることを知っていても、無意識に(条件反射的に)起こるのだ。

プラセボの特徴が明らかになってきたことで、ノースカロライナ大学の小児科医エイドリアン・サンドラーは、この効果を利用して副作用のある治療薬の投与量を減らせるのではないかと考えた。ADHD(注意欠陥・多動性障害)の治療には脳内のドーパミンやノルアドレナリンを増強する投薬が行なわれるが、頭痛やめまい、食欲減退、不眠などの副作用のおそれがある。そこでサンドラーは、治療薬を半量にした対照群と、半量の治療薬にプラセボを加え、投薬量そのものは同じに感じられる「条件づけ」群を比較してみた。

すると、(たんに投薬量を半分にした)対照群の子どもの症状は2カ月目に著しく悪化したが、条件づけしたうえで半分にしたグループの症状は安定したままで、全量を投薬したグループと同じだった。そればかりか、薬を減らした条件づけ群の子どもたちの方が効果が高い傾向があり、それにもかかわらず副作用は全量の子どもたちより少なかった。

これは投薬の副作用に苦しむ子どもたちにとって朗報だが、製薬会社が抵抗するため、大規模な治験に進むことができていないという。

「ノセボ効果」はプラセボの負の側面

あまり知られていないが、「ノセボ効果」はプラセボ効果の影の側面だ(ラテン語でプラセボは「私は喜ばせる」、ノセボは「私は害を及ぼす」)。「病は気から」ならぬ「呪いは気から」で、ブードゥー教の呪術から女子学校での生徒の集団失神まで、超常現象などもち出さなくてもこのノセボ効果で説明できる。

80歳のアラバマの男性はブードゥー教の呪いをかけられて衰弱し、明らかに死期が近づいていた。どのように説得してももうすぐ死ぬという患者の気持ちを変えられないと判断した医師は、家族の承諾を得て強力な催吐剤を与えた。患者が胃のなかのものを吐き出すと、医師は袋に入れてひそかに持ち込んだ緑色のトカゲをこっそり取り出し、それが胃から出てきたかのように見せかけた。

驚く患者に医師は、「祈祷師が魔術を使って体内でトカゲを孵化させたのだ」と説明し、邪悪な動物がいなくなったのだからまた元気になれると請け合った。すると患者は元気になった。

これは、一部の騙されやすいひとだけのことではない。最近のアメリカとイギリスの研究では、被験者に「強力なWi-Fiの放射にさらされている」あるいは「環境有害物質を吸い込んでいる」という偽の情報を与えることで不快な症状が引き起こされた。わたしたちは、プラセボの影響を受けるのと同様に、多かれ少なかれノセボ効果の負の影響も受けているのだ。

2007年、抗うつ剤の臨床試験に参加していた29歳の男性が、恋人と言い争ったあと残っていたカプセルを一気に服用し、動悸と異常な血圧低下で病院に運び込まれた。医療スタッフは6リットルの輸液を4時間以上かけて行なったが、そのあとで臨床試験の担当者から連絡を受けた。その患者はプラセボ群に入っていて、服用したのは抗うつ剤ではなかった。患者にそのことを伝えると、15分と経たないうちに症状が消えた。

こうした症例や実験から、いまでは副作用の多くは、薬を直接の原因とするものではなく、実はノセボ効果ではないかと考えられている。うつ病から乳がんまで、新薬の臨床試験では患者のおよそ4分の1が副作用(疲労感、頭痛、集中力の欠如など)を報告するが、その比率はプラセボ群でも同じなのだ。

進化心理学者のニコラス・ハンフリーは、ノセボ効果は進化の適応として発達したのではないかという。人類はその歴史の大半を近代医学以前の、病気の原因も治療法もわからない世界で生き延びてきた。そんなときは、周囲のひとたちが嘔吐しているのに気づいたとき、自分が病気かどうかにかかわらず嘔吐を始めるのは生き延びる確率を上げたはずだ。頭痛やめまい、失神なども、危険を知らせたり治療が必要だと伝える生物学的な警戒信号なのかもしれない(肉食獣に遭遇した仲間が恐怖で卒倒したら、なにが起きたのか調べにいくよりも、自分も失神したほうが生存できたかもしれない)。

わたしたちがノセボ効果の広範な影響の下にあると考えると、プラセボに対して新しい理解が可能になる。

学生をアルプスの高地に連れていって高山病にしたベネディッティは、2014年に発表した研究で、一部の学生に「高地にいると副作用としてひどい頭痛が起こる」と警告した。するとその学生たちは、警告を受けていない学生よりもずっとひどい頭痛になった。

次いでベネディッティは、頭痛の学生たちにアスピリンと偽薬を服用させてみた。予想どおり、鎮痛剤は頭痛について警告されていた学生も、警告されていなかった学生も、どちらにも効果があった。

興味深いのはプラセボ群で、警告を受けずに(ほんものの)頭痛になった学生にはあまり効果がなかったが、警告によるノセボ効果で頭痛を起こした学生には、プラセボはかなりの効果を発揮した。

ここからベネディッティは、「プラセボが効果を発揮するのは、頭痛の余分なノセボ効果を取り除くときだけだった」と結論した。これがどこまで一般化できるかはわからないが、プラセボはなんらかの「神秘的」なちからで病気を治すのではなく、ノセボで起きていたうつや痛みなどを取り除くことで驚くような効果を示すのかもしれない。

VR(仮想現実)は新たなプラセボになるか

1975年、ニューヨーク、ロチェスター大学の心理学者ロバート・アデルは、ラットを使って「味覚嫌悪」を研究していた。味覚嫌悪は、以前、気分が悪くなった食べ物を口にすると吐き気を催す生理反応だ。

アデルはまず、ラットにサッカリンで甘味をつけた水を与え、吐き気を催させる注射をした。これでラットは甘い水と吐き気を結びつけ、水を飲むのを拒むようになった。そこで次に、スポイトで無理に水を飲ませ、ラットが不快な結びつきを忘れるのにかかる時間を調べようとした。ところがラットの吐き気は収まらず、それどころか黒魔術のように次々と死んでいった。

詳しく調べてみると、甘い水を無理に飲ませたことで免疫系が抑制され、感染症にかかっていたことがわかった。条件づけは唾液分泌、心拍数、血流量などよく知られた反応を引き起こすだけでなく、免疫系を傷つけることすらあるのだ。

その後、神経科学者のデビッド・フェルテンが、自律神経系が主要な免疫臓器である脾臓や(白血球をつくり保存する)胸腺につながっていることを発見し、脳が免疫系を制御していることを生理学的に基礎づけた。

この知見は、がんなどの難病の治療にあらたな可能性を開いた。1980年代と90年代にアラバマ大学で行なわれた一連の実験では、研究者たちはマウスに、樟脳の匂いとナチュラルキラー細胞(がんと闘うはたらきのある一種の免疫細胞)を活性化させる薬の結びつきを覚えさせたあと、マウスの身体に湿潤性腫瘍を移植した。

移植後、条件づけしたマウスには薬を投与せず、樟脳の匂いだけを嗅がせたところ、通常の免疫療法を受けたマウスより長生きした。ある実験では、条件づけだけを行ない実薬を投与しなかった2匹から、完全にがんが消えていた。

「免疫抑制プラセボ効果」の発見は過剰な投薬に苦しむ患者にとって朗報だが、ここでも製薬会社の壁が立ちふさがる。投薬量を減らすための研究にはまったく予算がつかないからだが、思いがけないところで事態は好転しつつあるという。

現代の脳科学は、疲労は身体的な現象ではなく、破壊的な損傷を防ぐために脳がつくりあげる「感覚」だとする。アンフェタミンやカフェインなど、運動能力を向上させる薬物は、筋肉そのものを増強させるのではなく、中枢神経系の「ブレーキ」を解除することで作用する(「火事場の馬鹿力」はその一例だ)。

原因不明の衰弱と疲労感に悩まされる慢性疲労症候群(CFS)は身体の病気ではなく、脳が身体の疲労感を過大評価しているのだとされている。「本来なら、人に無理をさせないための疲労感が、むしろ牢獄になっている」のだ。

この仮説が正しければ、脳を「再教育」することで症状は寛解するはずだ。そこで、非常に軽いインターバルトレーニングから脳を運動に慣れさせる段階的運動療法(GET)と、患者が病気に対してもっている否定的考えを変えていく認知行動療法(CBT)を併用したところ、かなりの効果があることが確認された。

原因不明の痛み、鼓腸、下痢、便秘に苦しむ過敏性腸症候群(IBS)の患者は世界人口の10~15%にも達する。この難病についても、身体的な損傷ではなく、脳が消化管にもつ「イメージ」が原因の可能性がある。ここで登場するのが催眠術で、暗示によって胃と腸のイメージを整えることで、どの治療も効かなかった患者の70~80%が寛解したという。さらに、「消化管に対する思考パターンを変えることで症状を永久に和らげる効果がある」ともされた。

研究者は、IBSの大きな要因が過去の開腹手術ではないかと考えている。手術によって消化管を動かされるのは脳にとってはとてつもない衝撃で、意識ではそのことを覚えていなくても、神経系には深く刻み込まれているかもしれない。開腹手術によって刺激を受け過敏になった腸の神経系は、その後、脳に増幅した痛みの信号を送るようになる。これが引き金となってIBSを発症するのではないかというのだ。

わたしたちは誰もが脳にマインドマップ(身体の地図)をもっている。その地図がなんらかの原因で脳の予想とずれると、脳は潜在的危険の警報を受けつづけることになる。その典型が幻肢痛で、事故などで切断した四肢に強い痛みを感じる。

この幻肢痛では、鏡を使って健康な手や足の像を反転させ、切断した四肢が動かせるかのように脳に錯覚させる治療法(ミラーセラピー)がよく知られている。それと同様に、マインドマップと脳の予想を合致させるような体験を人工的につくることができれば、薬物に頼らない安全な「鎮痛剤」ができるかもしれない。

こうして開発が進められているのが「VR(仮想現実)の鎮痛剤」で、すでにオキュラス(VR開発会社)のヘッドセットを利用した熱傷患者などへの治験が行なわれている。これからの鎮痛剤の臨床試験は、製薬会社ではなく、ゲーム産業からの資金提供で行なわれるようになるかもしれない。

禁・無断転載

「メールをお送りさせていただきます」は誤用? 週刊プレイボーイ連載(552)

「メールをお送りさせていただきます」は誤用――といわれても、その理由がすぐにわかるひとは多くないでしょう。でもこれは、疑問形にできるかどうかで簡単に判別可能です。

「させていただく」の典型的な用法は、高価な骨董品を「拝見させていただきます」という場合ですが、これは「拝見してよろしいでしょうか」と言い換えることができます。ここからわかるように、「させていただく」には、「目上の者の好意によって、なにかをすることを許してもらった」という含意があります。

不祥事を起こした政治家が「反省させていただきます」と答弁すると、イラっとするのもそのためです。その政治家は「反省してよろしいでしょうか」と訊ねているわけではなく、国民が自分の「反省」を受け入れていることを前提にしているのです。

メールを送る許可を得ているわけでもないのに、「お送りさせていただきます」と書くのも同じことです。現実にはこんなことでいちいち文句をいうひとはいないでしょうが、「受講票を確認させていただきます」という受付の対応に激怒した年配の男性がいたといいますから、覚えておいても損はないでしょう。――相手の許可を得たいわけではないので、たんに「受講票を拝見します」でよかったのです。

とはいえ、「メールをお送りします」という正しい使い方に抵抗を覚えるひともいるでしょう。この表現では、相手への敬意が足りていないように感じるのです。

これは、日本語には強い「敬意逓減の法則」が働いているからです。どんな敬語もどんどんすり減って、いずれ役に立たなくなってしまうのです。

その典型が、若者のあいだで急速に広まった「よろしかったでしょうか」です。「いいですか」→「よろしいですか」→「よろしいでしょうか」の順で敬意を高めたものの、それもすり減ってしまったため、より相手と距離を置き、敬意を示すために過去形を加えたのでしょう。目の前の相手の意図を過去形で質問するのは矛盾していますが、敬語の原理(相手と距離をとればとるほど敬意が高まる)からは正しい「進化」なのです。

最近、気になるのは、若い編集者から「かしこまりました」といわれることです。メールならともかく(これも違和感がありますが)、私の感覚では、これは時代劇に出てくる言葉です。

ネット上のビジネス敬語の解説では、目上の者に「了解しました」を使うのは誤用だとされ、「承知しました」「かしこまりました」を使うべきだとされています。しかしなぜ、ここまで「目上/目下」を気にしなければならないのでしょうか。近代社会では市民はみな平等なのだから、「了解です」や「わかりました」でなんの問題もないでしょう。

日本は近代のふりをした「身分制社会」で、身分の上下が決まらないと尊敬語・謙譲語を正しく使えません。そのため、「目下」の立場になることの多い若者ほど、「敬語警察」を恐れて、日本語に混乱してしまうのでしょう。

だとすればやるべきは、敬語を「民主化」して、前時代的な用法を一掃することではないでしょうか。

参考:椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』角川新書

『週刊プレイボーイ』2023年2月6日発売号 禁・無断転載