「闇バイト」に申し込むのはどういう若者なのか? 週刊プレイボーイ連載(554)

多額の現金がある家を特定し、SNSで集めた「闇バイト」を使って強奪する凶悪事件が全国で多発し、社会不安が高まっています。主犯と目された容疑者がフィリピンから強制送還されたことで全容の解明が待たれますが、ここでは末端の実行犯について考えてみましょう。

報道によると、彼らの多くは「日当100万円」などの投稿をSNSで見つけて連絡し、求めに応じて運転免許証などを送っていました。その後、強盗であることがわかって躊躇したものの、「家族に危害が加えられるのでやめられなかった」などと供述しているようです。共通するのは、犯罪行為を強要されたとき警察に相談するなど他の選択肢を考えることなく、「しかたない」と受け入れてしまっていることです。

精神科医の宮口幸治さんは、医療少年院などで出会った少年たちのことを、ドキュメント小説『ケーキの切れない非行少年たちのカルテ』(新潮新書)で描いています。その登場人物のなかに、田町雪人という(架空の)少年がいます。貧しい母子家庭で育ち、6歳から万引きを始め、中学で児童自立支援施設に入所した雪人は、そこを出てから建設現場で働いたものの、職場での暴力、無免許運転、窃盗、無銭飲食などが続いて16歳で少年鑑別所に入所し、軽度知的障害を疑われたため医療少年院に送致されました。

軽度知的障害はIQ(知能指数)がおおむね50~70で、雪人のIQは68でしたが、家庭環境などによって低く出ることも多いとされ、障害認定を受けない境界知能との差はあいまいです。

雪人はどこにでもいるふつうの若者ですが、小学校3、4年レベルのコミュニケーション力しかなく、繰り下がりのある引き算ができず、丸いケーキを三等分する方法がわかりません。願い事を3つ訊ねると、「家族がみんな幸せ」「一生困らないお金」「戦争のない世界」と答えました。

少年院で勤勉賞を受けるなど優等生として過ごした雪人は10カ月で出院し、母と2人で暮らしながら、地元の建設会社で働きはじめます。ところが仕事がなかなか覚えられず、遅刻を注意した主任を思わず殴ってしまいます。解雇された雪人は、母の期待を裏切らないために、パチンコ店でたまたま出会った地元の先輩から誘われた仕事を始めます。それは特殊詐欺の受け子でした。

最初の仕事は大阪駅で200万円を受け取ることで、5万円の報酬をもらいました。ところが2度目の相手は知り合いの女性で、受け取りに失敗してしまいます。先輩から、1週間で50万円用意できないと大変なことになるといわれた雪人は、つき合い始めたばかりのあゆみから借りることにします。あゆみはアルバイトしながら、美容師の専門学校に入る学費を貯めていたのです。

1か月で利子をつけて返すと約束してあゆみから借金した雪人ですが、返すあてはありません。強く催促された雪人は、あゆみを夜の公園に呼び出して交渉しようとしますが、「嘘つき! 警察に言ってやる!」と叫ばれ、近くにあった石を拾うと後頭部めがけて思い切り殴りつけました。

雪人は裁判で「(知的)障害だからといって刑を軽くしてもらわなくていいです」と述べ、殺人で懲役13年の刑に服した――という物語です。

週刊プレイボーイ』2023年2月27日発売号 禁・無断転載

「あなたを人種や性別ではなく、個人として評価します」はマイクロアグレッションという差別

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2022年3月10日公開の「レイシズムを理由とした犯罪件数は大きく減少しているが、リベラルな白人による善意の「無意識の差別」が増加している」です(一部改変)。

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「奇妙な果実(Strange Fruit)」は、リンチで殺され、木に吊るされた黒人の死体のことで、1940年代にビリィ・ホリデイが歌ってアメリカ社会に大きな影響を与えた。2022年のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた映画『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』がこの名曲をテーマにしているように、80年以上経った現在でも、人種差別は肌の色のちがいを理由とした暴力的な抑圧だと思われている。

これに対しては、「黒人を殺して木に吊るすような事件は半世紀以上、アメリカでは起きていないではないか」という反論がある。スティーブン・ピンカーなどによる「合理的な楽観主義」によれば、さまざまな問題がありつつも、世界は「リベラル化」の大きな潮流にあり、ひとびとは人種のちがいに徐々に寛容になってきているのだ。

リベラルな白人による善意の「無意識の差別」

大著『暴力の人類史』でピンカーが膨大なデータを渉猟して示したように、アメリカにおいて、レイシズムを理由とした犯罪件数が大きく減少していることは間違いない。問題は、これが人種差別が解消しつつあることを示しているのか、それとも差別の質が変わっているのかで大きく意見が分かれることだ。

後者の立場で強力な主張をするのが、デラルド・ウィン・スーの『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション 人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』(マイクロアグレッション研究会訳、明石書店)だ。スーは中国系アメリカ人で、コロンビア大学ティーチャーズカレッジおよびソーシャルワークスクールのカウンセリング/臨床心理学部教授。マイノリティの心理学や多文化心理学の先駆的な研究で知られているという。そのスーは本書で、次のような主張をする。

有色人種にとっての最大の脅威は白人至上主義者たちやクー・クラックス・クランのメンバー、あるいはスキンヘッドではなく、善良で、平等主義の価値観を持ち、自身の道徳性を信じ、公平できちんとした人物であり、けっして意識的に差別など働かないという自己認識を持った人々である。

マイクロアグレッション(microaggression)とは、リベラルな白人による善意の「無意識の差別」であり、それは「奇妙な果実」で歌われたような露骨な人種差別よりもさらに有色人種(あるいは女性、LGBTなどマイノリティ)を傷つけるのだという。

マイクロアグレッションは、「私はもううんざりだ」という詩によく表われている。その冒頭部分で、アフリカ系アメリカ人の詩人はこう訴える。

「私はもううんざりだ」
大したことない白人たちが次々と権威や責任のある地位に昇進していくのを見ることに。
私がエレベーターに乗り込んだ時、白人女性が急いで出て行ったけれど、本当にここで降りるつもりだったのだろうかと、思い巡らせることに。
「黒人っぽくない話し方だね」と言われることに。
白人たちとやりとりする時、「人種など関係ない(don’t see color)と言われることに。
人種についての会話になったときに、水を打ったように静かになることに。
私が「アフリカ系アメリカ人」と呼ばれることを望んでいる理由を説明しなければならないことに。
ものごとはよくなるのだろうかと、思い巡らせることに。(後略)

マイノリティが日常的に感じているささいな「アグレッションaggression(攻撃、侵害、敵意)」は、それが曖昧であるからこそ、受け手の精神的なエネルギーを奪い、自尊心を低め、適応しようと努めることや問題を解決するためのエネルギーを枯渇させ、心理的・身体的なトラウマになるのだという。

3つのマイクロアグレッション

スーは、マイクロアグレッションを「アサルトassault」「インサルトinsult」「インバエリデーションinvalidation」の3つに分けて説明している。まずはそれを簡単に説明しておこう。

●マイクロアサルトmicroassault
「アサルトassault」は法律用語では「暴行」「脅迫」「強姦」などで、身体的・言語的な暴力をいう。「マイクロアサルト」はそれを日常化したもので、「環境に埋め込まれた(意識的かつ意図的な)サインや言語、または行為によって、周縁化された人々に伝えられる人種、ジェンダー、性的指向に対する偏った態度や信念、行為」と定義される。

具体的には、「KKKのずきんやナチのかぎ十字、首吊り縄、南部同盟の旗といったものを飾ったり、十字架を燃やしたりすること、男性の経営者のオフィスにプレイボーイのバニー写真を吊るしたりすること」で、違法とはいえないものの、差別や偏見の意図が誰にでも明示的にわかる言動だ。日本においても、「差別」が問題になる場合、ほとんどはこうしたケースだろう。

だがスーは、マイクロアサルトの「露骨なレイシズム」は「その意図が明確なため、周縁化された人々にとっては曖昧なものよりも対応が容易である」という。なぜなら、それが差別かそうでないのかを判断するための心理的なエネルギーを浪費しなくてもいいから。

●マイクロインサルトmicroinsult
「インサルトinsult」は相手を侮辱するような無礼な言動のことで、「マイクロインサルト」は「ステレオタイプや無礼さ、無神経さを伝えるコミュニケーション」と定義される。かすかな無視のようなもので表現され、加害者の意識的な自覚は伴わないことが一般的で、以下のような例が挙げられている。

・知的能力を出自に帰する
「あなたは、あなたの人種にとっての誇りですね」オバマ元大統領のような秀でた黒人に向けられるこうした賞賛には、「有色人種は一般的に白人ほど知的でない」という侮辱的なメタコミュニケーションが含まれている。

・二級市民
特定のグループは価値が低く、重要でなく、丁重に扱われることに値せず、差別的な扱いを受けても仕方がない存在であるという、無意識のメッセージ。「レストランでは、黒人の常連客が、ウェイターやウェイトレスが絶えず出入りする、厨房のドア近くにある小さいテーブルに座らされる」「女性の内科医が緊急治療室で、男性の患者から看護師と間違われる」など。

・異文化の価値観やコミュニケーションスタイルを病的なものとして扱う
マジョリティの文化に同化や変容を強いる。ラテン系の学生に「君が背負っている文化を教室に持ち込むのをやめなよ」といったり、黒人に向かって「どうして君はそんなに声が大きくて、感情的で、活発なんだい?」と訊くことは、白人の文化に同化することを暗に要求している。

・犯罪者もしくは犯罪者予備軍と決めてかかる
特定の有色人種は危険で犯罪者予備軍で、法を犯しそうで、反社会的であるとの信念。「白人女性がラテン系アメリカ人を見てハンドバッグを持つ力を強める」「白人男性が歩道でアフリカ系アメリカ人の集団とすれ違う時に財布を確認する」「店員が小切手を現金に引き換える時に黒人に対して白人よりも多くの身分証明書を要求する」など。

・性的なモノ扱い
女性が男性にとって性的に思い通りに扱うことができたり役立ったりする「モノ」や所有物に変えられるプロセス。「アジア系女性を性的な対象、家事労働者、そして芸者のようなエキゾチックさの象徴としての役割に従属させる」など。フェミニズムの価値観やフェミニズム運動の反動として、白人男性はしばしば、「アジア系アメリカ人女性は女らしくて従順」という魅力を感じているとされる。

・異常者扱い
個人の人種、ジェンダー、性的指向を異常で、逸脱していて、病的だと認識すること。「ゲイ男性が内科検診に行くと初診の内科医からHIVエイズと疑われる」など、LGBTのグループが頻繁に経験する。

●マイクロインバリデーションmicroinvalidation
「バリデーションvalidation」は「検証・証明・承認・妥当性確認」のことで、「インバリデーションinvalidation」はこれらを否認すること。「有色人種、女性、LGBTといった特定のグループの人々の心の動きや感情、経験的なリアリティなどを無視したり、否定したり、無価値なものと扱ったりするコミュニケーションや環境の中のサイン」と定義され、マイノリティとしてのアイデンティティを否定するような言動をいう。3種類のマイクロアグレッションのなかで、これがもっともダメージが大きくなる可能性があるとスーはいう。

・よそもの扱い
いつまでたってもよそ者と見なされることや、生まれ育った国なのに外国人扱いすること。アジア系アメリカ人が「英語を上手に」話すことを褒められることや、どこで生まれたかしつこく訊ねられるなど。

・人種、ジェンダー、性的指向を見ない
人種やジェンダー、性的指向のちがいについて、認めたり、目を向けたりしたがならいこと。「君を見るときにね、僕は君の人種など見ていないんだよ」「たったひとつの人種だけがある。それは、人類という人種さ」「私たちはみんなアメリカ人だよね」など。こうした態度は「カラーブラインド」といわれる。

・個人がもつレイシムズ/性差別主義/異性愛主義の否認
「同性愛嫌悪ではないよ、ゲイの友達がいるんだもの」「異人種間結婚にはまったく反対しないよ、ただ子どもたちのことが心配なだけだ」「雇用主として、すべての男性と女性を平等に扱います」などの一見リベラルな言葉には、「異性愛主義に毒されるはずがない」「異人種間で関係を結ぶことに躊躇する理由はただ子どもたちの心配をしているだけであり、決して個人的な偏見によるものではない」「女性差別などするわけがない」という隠れたメッセージが埋め込まれている。これらは、相手の人種的偏見などにまつわる個人的経験を否認することになる。

・メリトクラシー信仰
「あらゆる人はこの社会で等しいチャンスを与えられている」「最良のものが頂点に昇る」「充分に一生懸命やれば、誰でも成功できる」などのメリトクラシー(知能と学歴・職歴による専制)は、人種やジェンダー、性的指向は人生の成功になんら影響しないとする。ここから、「アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)は逆レイシズムだ」との主張が生まれる。

メリトクラシーによれば、成功は個人的な努力が報われたことの証しであり、当然のことながら成功者に広く支持されている。だがこの論理は、社会的・経済的に脱落してしまったひとに、(充分に努力していない、など)なんらかの欠陥があるという責任を負わせることになる。

「加害者」であることから逃れるリベラルな白人

マイクロアグレッションのこれらの定義は、アメリカ社会で有色人種(アジア系)として暮らすスーの実体験を背景にしており、日本でも国籍や身分、ジェンダーや性的指向を理由に日常的に同様の体験をしているひとはたくさんいるだろう。その意味で強い説得力があるものの、マイノリティの多様性に対して、マジョリティを「白人/男性/異性愛者」とパターン化しているようにも思える。

現実には、マジョリティとされる白人のあいだにも大きな多様性(分断)がある。「ホワイトトラッシュ(白いゴミ)」と蔑まれ、失業によって誇りを失い、アルコール・ドラッグ・自殺で「絶望死」しているホワイト・ワーキングクラスを「アメリカ社会の主流層」とすることには無理がある。あるいは、外見などを理由に性愛から排除されている若い白人男性(インセル/involuntary celibate非自発的禁欲主義者)は「マジョリティ」だろうか。

実際、スーの議論に対して「白人=加害者/有色人種=被害者」という単純な善悪二元だとの批判があり、「(白人/黒人の)どちらの参加者も単なる加害者ではなく……意味深いありようで、どちらも犠牲者だ」とか、「犠牲者の哲学」に代わって、「人間のポジティブな本質、クライエント自身のもつ強み、可能性のある解決策に焦点を当てるべきだ」などと主張する識者もいるようだ。だがスーはこうした批判を詳細に検討することなく、「レイシムズに対する責任を回避し、薄めるものであり、ばかばかしい主張だ」の一行で済ませている。

こうした強硬な態度は、「リベラルな白人は、さまざまな巧妙な方法で自らの加害者性を否定し、加害責任から逃れようとしている」という不信感から生じている。スーによれば、アメリカの人種問題で、白人は4つの「恐怖」を抱え、問題そのものを隠蔽しようとしている。

1)レイシストだと思われることへの恐怖
アメリカ社会においては、ひとびとは無意識のうちに人種でグループ分けしていることがさまざまな研究で明らかになっているが、それにもかかわらず、「人種的差異に気づかない振りをすることによって社会的交流において偏見を持たないと見せようとする」戦略的カラーブライドが広く行なわれている。

アメリカの(リベラルな)白人は、「自分たちの言うこと・することすべてがレイシスト」と思われることを恐れていて、「人種に関わる主題に対する忌避」や「人種的差異に気づかない振り・誤魔化し」によって自分を防衛しようとしている。

2)自身のレイシズムを認めることへの恐怖
リベラルな白人アメリカ人にとって、「自身がレイシストである、あるいは、少なくとも偏見に基づく態度をとっていると認識することは恐ろしいだけでなく、それが人間の良識の核となる部分を撃つため動揺もさせる」。その結果、「潜在的な人種的偏見のわずかなほのめかしに対してすら防衛的かつ怒りを伴う反応を示す」ようになる。

3)白人特権を認めることへの恐怖
リベラルな白人は、有色人種が偏見と差別に苦しみ「不利」を被っていることは認めるかもしれないが、「自分たちが肌の色によって自動的に「利益」を得ている」という可能性=白人特権を受け入れることに抵抗する。ひとつの理由は、「白人特権は白人至上主義の範囲の外部には存在できない」からであり、もうひとつは「人生における成功が自身の努力によるものではなくなってしまう」からだ。――これは「男性特権」「異性愛特権」も同じ。

4)レイシズムを終わらせる個人としての責任を負うことへの恐怖
白人を対象にした研究では、被験者の白人は、レイシズムの出来事に対して(1)人種差別的行動、言葉、および出来事をはっきりと認識し、(2)そのような状況を苦痛に思うことを示し、(3)その人物に対して責任ある行動をとる(レイシストを拒絶する)と述べたが、実際には、事前の予測より苦痛を感じないどころか、なんの行動も起こそうとしなかった。これを受けてスーは、「究極の白人特権は自身の生における特権的な位置を認めつつも、それに対して何もしないでいられることかもしれない」と述べる。

アメリカの大学で人種問題について議論すると、白人の学生は「私を責めないで。私の親は奴隷を所有していなかった」「私を非難しないで。私は、アメリカ先住民から土地を奪っていない」などと白人特権を否定しようとするが、こうした態度が「白人の脆弱性(ホワイト・フラジリティ)」と呼ばれていることはすでに述べた。

[参考記事]
BLM(ブラック・ライヴズ・マター)の背景にある「批判的人種理論(CRT)」とは何か?

カラーブラインドはマイクロアグレッションそのもの

日本でも、差別を解消する有力な方法として「カラーブラインド」や「ジェンダーブラインド」が推奨されているが、スーによれば、カラーブライドは「有色人種の人々に対して最も頻繁に伝えられるマイクロインバリデーションの一つ」で、その目的は、「人種に関する話題を議論や会話に中に持ち込まないよう要求する」ことと、「有色人種は同化したり変容したりすべきであると表明する」ことだ。

人種やジェンダーなどの「ちがい」を意識的に考慮しないようにする「ブラインド」戦略は、人種差別主義者や性差別主義者と見られないための「巧妙な防衛策」であり、人種やジェンダーにまつわるマイノリティの経験を否定している。

リベラルは「ブラインド」戦略を巧妙に駆使することで、自分たちの権力と特権を否認し、個人の利益が特定の特権集団の属することからもたらさる事実を否認し、レイシズムに対する責任を否認し、レイシズムに立ち向かって行動することの必要性を否認しようとしているのだとスーはいう。

アメリカの右派・保守派は、知能やパーソナリティにおいて、人種(ヒト集団)のあいだには遺伝的・生得的なちがいがあるして、「人種問題」はイデオロギー対立ではなく科学的事実の問題だと主張している。

それに対してリベラルは、この「遺伝モデル」がレイシズムそのものだとして、白人と黒人・ヒスパニックのあいだの収入や大学進学率のちがいは「文化」によるものだと反論している。ヒト集団のあいだに遺伝的・生得的なちがいはないものの、一部の有色人種は文化的に剥奪されているため、社会的・経済的に成功できないのだという。

だがスーはこの「文化的剥奪理論」を、「レイシムズや性差別主義の生物学的説明と闘う手段として、善意の白人教師によって提唱されたが、非難の矛先を遺伝学からより受け入れられるもの、つまり文化に移すことによって、われわれの理解を悪化させたにすぎない」と全否定している。

「遺伝的に劣っているのではなく、文化的に劣っているのだ」というリベラルの主張は、「中流階級の価値観からの逸脱とその優越性を示す」隠れたマイクロアグレッションそのものなのだ。

こうしたスーの主張はどれも説得力があると思うが、次のような矛盾が避けられないのではないか。

マイクロインサルトは、「黒人だから」「女だから」など、マイノリティをステレオタイプで見ることだ。それに対してマイクロインバリデーションでは、カラーブラインドやジェンダーブラインドなど、マイノリティの属性を見ない振りをすることの偽善性が批判された。しかしそうなると、「加害者」であるマジョリティはどうすればいいのだろうか。

この疑問についてスーは、邦訳で400ページを超える本のなかで、以下の7つの対処法を箇条書きで挙げているだけだ。

1 人種、文化、民族、ジェンダー、そして性的指向において自身と異なる人々と親密な関係を持つこと
2 競争的ではなく協力的な関係で協働すること
3 個人的な目標ではなく共通の目標(上位の目標)を共有すること
4 ステレオタイプや誤った情報ではなく正確な情報を交換し学ぶこと
5 他の集団と不平等ないし不均衡な地位に基づく関係ではなく平等な地位に基づく関係を共有すること
6 リーダーおよび権限ある人物を集団の調和と福祉に対する協力者として持つこと
7 すべての人類同胞との連帯感や精神的つながりを感じること

しかし、これらが容易にできないからこそ、「善意のリベラル」がマイクロアグレッションを行なうことになるのではないだろうか。もちろんスーは、こうした読者の疑問に気づいていて、「(問題は)いかにしてそれらをこの社会で達成するかにある」と認める。

とはいえ、これについてスーは、アインシュタインの「この世界は生きるのにあまりに危険すぎる。悪いことをする人がいるためではなく、ただ座って傍観する人がいるためだ」という言葉を引用するだけだ。はたしてこの警句で、社会に深く埋め込まれたマイクロアグレッションに対処できるのだろうか。

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同性婚でなぜ「社会が変わってしまう」のか? 週刊プレイボーイ連載(553)

首相秘書官が記者団に対して、「同性のカップルが隣に住んでいるのはちょっと嫌だ」「同性婚を導入したら国を捨てる人が出てくる」「(他の)秘書官も皆そう思っている」などと発言したと報じられ、更迭されました。この秘書官は首相の演説のスピーチライターを務め、「将来の経産次官候補」ともいわれていたことから、岸田首相は釈明に追われています。

「失言」のきっかけは、首相が国会で、同性婚制度について「社会が変わってしまう課題」と述べて批判されたことでした。秘書官はこの発言を擁護しようとして、「あなたたちだって、本音では嫌だと思ってるんでしょ」と述べたようです。

同性愛者らに対して「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がない」と雑誌に書いた衆議院議員が総務省の政務官に登用されるなど、「自民党の保守派議員は性的マイノリティに差別意識をもっているのではないか」とこれまでも批判されてきました。秘書官の発言はその懸念を裏づけたわけですが、深刻なのは、その後の会見でも本人はなにが問題なのか理解できていないことです(記者に対して「(私は)どっちかと言うと差別のない人間なので」などと繰り返し述べています)。

世界の価値観はますます「リベラル化」しており、欧米を中心に同性婚やパートナーシップの制度が整備されています。日本は5月に広島で行なわれるG7サミットの議長国ですが、このままでは欧州の首脳から人権について批判されかねません。首相は慌ててLGBT法案を議員立法で提出するよう指示しましたが、「怪我の功名」という表現が適切かは別として、この「差別発言」によって逆に差別の解消が進むかもしれません。

ただ、この問題で気になるのは、同性婚でなぜ「社会が変わってしまう」のかをメディアが(たぶん)意図的に触れないことです。

夫婦別姓や共同親権も同じですが、日本の場合、家族制度にかかわる議論にはつねに「戸籍」がからんできます。戸籍というのは、その成り立ちから明らかなように、「天皇の臣民簿」です。日本の右派・保守派は、国民が天皇の臣民として戸籍に登録されることが、日本という国のアイデンティティだと考えています。

ところが、戸籍はイエごとに「氏(うじ)」をもつため、夫婦別姓になっても異なる「氏」をひとつの戸籍に記載できません。子どもは(氏が同じ)親の戸籍に入りますが、離婚して共同親権になると、理屈のうえでは、氏が異なる親の戸籍にも子どもを記載しなければなりません(子どもは同時に2つの戸籍に登録されることになります)。

これらはいずれも、戸籍制度=天皇制の基盤を大きく揺るがせます。同性婚の場合、氏が統一できれば戸籍上は問題なさそうですが、同性がイエを構成することを受け入れられない保守派は多そうです。

このように考えれば、岸田首相の発言はまさにこの問題の本質を突いています。首相秘書官も、「君たちリベラルなメディアも、そろそろ天皇制と戸籍制度について真剣に論じるべきではないのか」とその真意を解説すれば、評価は大きく変わったことでしょう。そうした才覚のある秘書官を選べなかったことが、首相の自業自得ともいえますが。

参考:毎日新聞2月4日「更迭の荒井首相秘書官「同性婚、社会変わる」 発言要旨と詳報」
遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史 民族・血統・日本人』明石書店

『週刊プレイボーイ』2023年2月20日発売号 禁・無断転載