累進課税はなぜ正当化できなくなってきたのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年9月21日公開の「累進課税はなぜ正当化できるのか? 日本で超累進課税が復活する可能性とは?」です(一部改変)。

******************************************************************************************

国家を運営するためには国民から税を徴収しなければならない。ここまではすべてのひとが合意するだろうが、「どのような税制がもっとも公平なのか」となると、議論百出して罵詈雑言が飛び交うようになる。国民一人ひとり利害が異なるし、主義主張もちがっているのだから、みんなが納得するような税制はものすごく難しいのだ。

日本を含むほとんどの国で、所得税は累進課税になっている。なんとなく当たり前に思っているかもしれないが、なぜ累進課税が正当化できるかは経済学や政治学における大問題だ。

「お金持ちのほうがたくさん払えるから」でもそれって、国民を平等に扱ってないんじゃないの?

「お金持ちは強欲で邪悪だから」勤勉で誠実なお金持ちや、強欲で邪悪な貧乏人はどうなるの?

「お金持ちだけが得するような制度になっているから」だったら税金で罰するより、その制度を変えればいいんじゃないの?

というように、すぐに思いつくような理屈にはただちに強力な反論が戻ってくる。思考実験でいろいろやってみても面白いかもしれないが、みんなが「たしかにそうだ!」とうなずくような理屈があれば「大問題」にはならないのだから、あまり見込みはないだろう。

アメリカの政治学者、ケネス・シーヴとデイヴィッド・スタサヴェージの『金持ち課税 税の公正をめぐる経済史』(立木勝訳、みすず書房) は、先進20カ国の過去200年間の税法を比較することでこの謎に迫った。原題は“Taxing the Rich(金持ちへの課税)”。

著者たちによると、イギリスで1799年に所得税が導入されて以降、アメリカ、フランス、日本などを含め、どの国でもその税率は19世紀を通じて非常に低い率にとどまっていた。ところが20世紀に入った途端、富裕層への課税が強化され、1950年代に累進税率(法定最高限界税率)はもっとも高くなる。だがその後、すべての国で累進税率は急速に下がりはじめ、お金持ちはあまり税金を払わなくなる(相続税率も同様の推移を描いている)。

所得税の累進課税は最初はあまり人気がなくて、その後、広く導入されるようになるものの、近年はまた人気がなくなった。なぜこのようなことが世界じゅう(すくなくとも先進国のあいだ)で起きたのだろうか。そのこたえは思いがけないものだった。

所得や財産への課税は不当とされていた

最初に、かんたんに税の仕組みのまとめておこう。

税には個人所得税のほかに相続税、消費税、法人税などがある。これらはそれぞれ一長一短があり、どれかひとつの方法だけで税金を徴収すると不公平になってしまう。

相続税には、「二重(三重)課税ではないのか」との執拗な批判がある。所得に対して税を支払い、資産運用の利益や消費にも税金を納め、それでも残ったお金に対して課税しているからだ。遺産を全額使いきってしまえば相続税はかからないのだから、「国家が国民に放蕩を勧め、子どもを愛することを罰している」ともいえる。これがアメリカなどの保守派が相続税(遺産税)を嫌う理由で、(理由はさまざままだが)カナダやオーストラリア、ニュージーランド、スウェーデンなど欧米先進国にも相続税を廃止したところがある。

法人税に対しても「二重課税」との批判は根強い。会社法では株式会社の所有者は株主で、会社(法人)の利益はすなわち株主の利益だ。そう考えれば法人段階で課税する理由はなく、株主に利益が分配されたときに、他の個人所得と合算して課税すればいい。「法人が利益をためこむ」と危惧するかもしれないが、だったら利益の内部留保を禁止し、いったん全額を株主に分配したうえで、資金が必要ならその都度、資本市場から調達するようにすればいいだろう。

これは荒唐無稽に思えるかもしれないが、LLC(合同会社)やLLP(有限責任事業組合)などの会社形態で実際に行なわれている(日本ではLLCは法人税課税の対象)。フィンテックによって資本市場が効率化すれば、株式会社も運転資金以外は余剰資金を保有せずに経営するのが当たり前になるかもしれない。日本では大手企業の多額の内部留保が問題になっているが、すべての会社を内部留保ができないパススルー型にして法人税を廃止すれば、効率な経営ができるうえに徴税業務も簡素化されて一石二鳥だろう。

消費税は相続税や法人税に比べて原理的な問題が少なく、なにより国内の消費にもれなく課税できることから、先進国では徐々に徴税の中心になってきた。だがそれでも、所得の低い層ほど実質負担が重くなる逆進性があるし、インボイス制度を導入せずに軽減税率を行なうと申告・徴税の実務が混乱する(日本では2023年10月に開始)。

歴史的には、国家はまず土地などの不動産に税をかけ、重商主義の時代には輸出を増やし輸入を減らすために多額の関税がかけられた。輸入品への関税は消費税と同じで、国内物価を上昇させるから逆進性がある。このことは19世紀には知られていて、富裕層がより多く税を負担する相続税や所得税の根拠とされた。

だが『金持ち課税』の著者たちによれば、それはきわめて微々たるものだった。大論争の末に1909年にイギリスで導入された累進課税「スーパータックス」の最高税率は8.3%だった。アメリカでも20年にわたる論争の末に1913年に累進所得税が導入されたが、その最高税率は7%だった。フランスはさらに極端で、1907年になっても富裕層は約2%の所得税を支払っているだけだった。

こうした事情は相続税もほぼ同じで、その背景にある価値観は明らかだ。政治家は国民の所得や財産に税を課すことをどこか不当なものと考えており、さまざまな事情からそうした課税が余儀ないものとなっても、その税率をできるだけ低くしようとしたのだ。

累進課税は「不公平」と見なされてきた

個人所得税には、大きく3つの分類が考えられる。定額税、定率税、累進課税だ。

定額税は「国民1人あたりいくら」と一律に決める方法で、一般に「人頭税」と呼ばれている。これは貧困層への逆進性がきわめて大きい(富裕層がものすごく優遇される)ので「国家による搾取」として忌み嫌われるが、必ずしも不公平というわけではない。

このことは、『金持ち課税』の冒頭に著者たちが掲げた旧約聖書からの一節でも明らかだ。

「あなたたちの命を償うために主への献納物として支払う銀は半シュケルである。豊かなものがそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる」(出エジプト記30章15節)

古代において「公平」な税(献納)は定額税だけであり、信者の懐具合によって金額を変え「差別」することは神によって禁じられていたのだ。

こうした定額方式は、日本でも町内会費や組合費などで広く使われている。これは「みんな同じ」というのが、直観的な「公平さ」と相性がいいからだろう。――町内会の委員から「あなたは金持ちだから倍払ってください」といわれて納得するひとはいないだろう。

定率税は「収入に対して何パーセント」と一律に決める方法で、「フラットタックス」と呼ばれている。新自由主義の経済学者はこの方式を支持することが多いが、現実に導入している国は(たぶん)ない。

とはいえ定率方式は、実社会ではマンションの管理費などで使われている。占有面積1平米に対する金額を決めておけば、ワンルームの管理費は少なく、5LDKは高くなるが、やはり「公平感覚」は満たされるだろう。

それに対して累進課税は、所得が増えるにしたがって支払額が増えていく方式だが、国家が行なうもの以外には例がない(身のまわりでなにか思いつきますか?)。これは累進課税が一般の「公平感覚」からずれていることを示している。――だからこそ正当化が難しいのだ。

それにもかかわらず、日本では昭和49年(1974年)までは所得税の最高税率75%、住民税と合わせると93%とされていた。だがこれは異常というわけではなく、アメリカでも1952年は最高税率が92%だった。だとすればそこにはなにか、みんなが納得する理由があるはずなのだ。

誤解のないように付記しておくと、最高税率(正確には「法定最高限界税率」)90%というのは、所得全額に対して90%が課税されるということではない。累進課税では所得に応じて段階的に税率が上がっていくので、最高税率は基準以上の所得に対してしか適用されない。現行の日本の所得税区分では最高税率は4000万円超の45%だが、これは所得金額が5000万円の場合、4000万円を超えた1000万円分に対して45%の税が課せられるということだ(それ以下の所得は別の税区分になる)。

最高限界税率以外にも、「実効税率」がよく使われる。これは所得に対して実際に支払った税金の割合のことで、日本の個人所得課税の実効税率は32%だ(2018年)。どの国も実効税率は最高税率より低いが、実効税率を長期にわたって国際比較することは困難なので、著者たちは最高税率の推移で代替している。法律上の最高税率と実効税率はほぼ相関するので、全体の傾向を論ずるのに問題はないとされている。

グローバリズム悪玉論は累進課税の根拠にならない

累進課税導入のもっともわかりやすい説明は、「民主政だから」というものだろう。

富の分布は、どのような社会でも富裕層がごく一部で、中流層や貧困層が圧倒的に多くなる。それに対して民主政は一人一票なのだから、経済学が前提するようにひとびとが合理的なら、有権者は富裕層から「搾取」して自分たちに分配させるような政策を支持するにちがいない。これが累進課税、というわけだ。

しかし、それなりに筋の通ったこの理屈はデータによって支持されない。これが正しいとすれば、すべての成人男性に参政権が認められたり、選挙権が成人女性にまで拡大されると、それにともなって最高税率が上がるはずだが、そんなことにはなっていないばかりか、有権者層が拡大すると最高税率が下がるという逆の現象まで起きているからだ。

そのうえこの理屈では、1970年代以降、最高税率が大きく下がっていることを説明できない。ここでよく出てくるのが「民主主義が劣化した」とか「ごく一部の超富裕層によって民主主義が簒奪された」という批判で、アメリカでは「謎の大富豪」コーク兄弟(オバマ政権に反対して結成されたティーパーティーの黒幕とされる)がその動かぬ証拠として名指しされている。

だがシーヴとスタサヴェージによると、こうした「グローバリズムの悪玉」論では最高税率の推移をうまく説明できない。コーク兄弟のいない、より平等な北欧諸国などでも個人所得税の最高税率は大きく下がっているからだ。

著者たちは、累進課税を正当化するのは損得勘定ではなく「公平感覚」だという。それには「支払い能力論」「平等な扱い論」「補償論」がある。

このうち「支払い能力論」は、「年収1億円の富裕層にとっての1ドルの税は、平均的な給与で暮らしている者より犠牲としては小さい」というもので、定額税(人頭税)を批判する強力な論拠を提供する。だがこれでは、定率税(フラットタックス)を擁護できても累進課税を正当化するには力不足だろう。――税率20%のフラットタックスなら、所得1億円のひとの納税額は2000万円で、所得100万円のひとは20万円なのだから、支払い能力を根拠にするならこれでじゅうぶんではないだろうか。

「平等な扱い論」は、国家は国民すべてを無差別に(全員をまったく同じに)扱うべきだとする。だがこれは、定額税(人頭税)にすればいいということではない。所得や家族構成によって、課税によるコスト(損失)は異なるからだ。だとすれば理想的な税制とは、貧乏人でも大金持ちでも課税によって実質的に同じコストを支払う(効用を失う)ように設計すべきだということになる。

これは理屈としては筋が通っているが、国民一人ひとりの効用をどのように計算するのかというやっかいな問題を引き起こす。ここでも、誰もが素直に納得できるのはフラットタックスまでだろう。

なお厚生経済学では、「社会全体の福祉(効用)が最大化するように税制を設計する」という原則を導入することでこの隘路を回避している。だがこうした経済学的な考え方が、有権者大多数の支持を得て政策を動かしているとはいいがたい。

最後に残された「補償論」は、富裕層は一般国民に対してなんからの「負い目」があり、その補償として高い税金を支払っているとする。しかし、お金持ちにはどんな「負い目」があるのだろうか?

強欲だから? 権力と癒着して甘い汁を吸っているから? 運がいいから?

そう考えるひともいるだろうが、これらはどれも有権者を大きく動かすちからにはならない。補償論で累進課税を正当化するには、誰もが直観的に納得できるようなもっとシンプルで強力な理由が必要なのだ。

先進国では累進課税が支持された理由は?

シーヴとスタサヴェージは過去200年間の先進諸国の所得税の法定最高限界税率の推移を観察し、そこに顕著な傾向があることを発見した。最高税率は最初はとても低く、20世紀に入ってから急に上昇し、1970年代以降になるとこんどは下降しはじめたのだ。

「補償論」が正しいとするならば、1900年頃になんらかの大きな出来事があり、それによって最高税率が上昇したが、20世紀半ばを過ぎると影響力を失って税率も下降したことになる。

税に対するひとびとの価値観を大きく変えた「イベント」とはいったい何か? もうおわかりと思うが、それは世界大戦だ。

第一次世界大戦(1914~1918年)は人類がはじめて体験した総力戦で、若者から壮年まで多くの国民(男性)が徴兵され、戦場で生命を失った。1939年のドイツによるポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦はそれをはるかに上回る総力戦で、ナチスによるユダヤ人のホロコーストや広島・長崎への原爆投下、国境変更にともなう膨大な難民の発生などで、兵士だけでなく数千万人の一般市民が生命を落とした。

ところでこの両大戦で、富裕層は一般国民と同じだけの犠牲を払っただろうか?

ヨーロッパで徴兵制が始まった当時は、お金を払って代理を立てることが認められていた。さすがにこれでは士気が保てないということで禁止されたが、それでも貴族の子弟が歩兵となって最前線で戦うようなことは考えられなかった。

だがそれよりも大きな問題となったのは、戦争特需によって大儲けする商人が出たことだ。ほとんどの国民が飢え苦しみ、死んでいくなかで、こんなことが許されていいのだろうか。

この理屈はとてつもなく強力で、反論を許さないものだった。戦争を続行するには巨額の資金が必要だが、国民を大規模に徴兵している国家は、その資金を富裕層から徴税するほかに選択肢がなかった。こうして世界大戦に参戦した国は、いずれも短期間に累進課税の最高税率をとんでもなく引き上げたのだ。

悲惨な戦争が終わると、「国家の失敗の犠牲者は補償されるべきだ」との左派の主張が、有権者に熱狂的に受け入れられた。

ドイツ降伏から2カ月後に行なわれたイギリスの総選挙で、労働党は「彼ら(戦争を勇敢に戦ったすべての国民)は、先の戦争(第一次大戦)後に多くの者が直面したよりも、ずっと幸福な未来を保証される価値があり、また保証されなければならない」と主張して、戦争の英雄であるチャーチル率いる保守党に大勝利を収めた。これはアメリカやフランスだけでなく、敗戦国のドイツや日本でも同じで、きわめて高い累進課税によって国家が富裕層から税を徴収し、それを国民に「補償(再分配)」するのが当然だとされた。

こうして欧米の先進諸国では、20世紀初頭から1950年代にかけて(日本では1970年代まで)最高税率が大きく上昇した。この現象は「福祉国家化」と呼ばれている。

日本で超累進課税が復活する「イベント」

シーヴとスタサヴェージは、世界大戦によってはじめて高率の累進課税は「公平」になったという。この主張が正しいとすれば、20世紀後半になってすべての先進諸国で最高税率が下がりはじめた理由もわかるだろう。

グローバル化やタックスヘイヴンの影響はもちろんあるし(これは法人税率にとりわけ顕著だ)、アメリカなどでは超富裕層が積極的なロビー活動をしていることも間違いないだろう。だがそれだけでは、有権者の価値観を大きく動かすことはできない。

ひとびとが累進課税を「公平」だと感じなくなったもっとも大きな理由は、「国民を動員する総力戦がなくなった」ことだ。平和な時代には富裕層が一般国民に「補償」する正当な根拠はなくなり、世界大戦以前と同様に、税の公平感覚はフラットタックスに近いものになっていくのだ。

もちろんこれは累進課税についてのひとつの仮説で、正しいかどうかは今後、多くの検証が必要になるだろう。だが「総力戦争による“富の徴兵”のみが、20世紀に入ってからの最高税率の逆U字型の推移をもっともよく説明できる」という『金持ち課税』の著者たちの主張には強い説得力がある。

だとすれば、今後の税制はどのようなものになっていくのだろう?

ふたたび大規模な戦争が始まれば、最高税率は上がるのだろうか。だが著者たちは、その可能性は考えられないという。現代の戦争は局地戦で、かつてのように国民を大規模に徴兵して歩兵にする必要はなく、兵士はドローンとロボットに置き換えられていく。そんな戦争をいくらやったところで、国民は富裕層が道徳的に「補償」すべきだとは思わないだろう。

こうして最高税率が下がれば、富裕層と貧困層との格差はますます開いていく。だが、それを「不正」だと声高に主張するだけでは有権者を動員できない。「なぜ格差は不公平なのか?」と問われて、「格差は不公平だから」というトートロジー(同義反復)でしかこたえられないのだから。

200年間の「金持ち課税」を徹底的に調べた二人は、このようにして、累進課税のフラットタックス化と格差の拡大は今後もつづくと予想する。

だが私は、日本の場合、戦争に匹敵する巨大な「イベント」がもうひとつ想定できると考えている。それは「国家破産」だ。

日本の財政が(もしかして)破綻し、日本円が(もしかして)紙くずになり、年金も社会保障も(もしかして)崩壊したときに、日本株の空売りやFX、あるいは仮想通貨への投資でなどで一部の人間だけが大儲けしたとしたら、ひとびとはそれを「不公平」だと感じないだろうか。そのときにこそ、富裕層に対して「補償」を求める超累進課税が復活するかもしれない。――富裕層が日本国内に残っていれば、の話だが。

禁・無断転載

第110回 遠い「電子政府」への道(橘玲の世界は損得勘定)

紙の健康保険証とマイナンバーカードを一体化させた「マイナ保険証」で10割負担を請求されるなどのトラブルが続出し、岸田政権は火消しに追われている。日本は世界的にも行政システムのデジタル化が遅れており、改革は当然だと思うが、それにしても不手際が目立つのではないか。そんなことを思ったのは、地方税のオンライン納税で思わぬ苦労をしたからだ。

法人の中間決算の時期になると、国税と都税事務所から納付書が送られてくる。国税の場合、この納付書だけでクレジットカード払いでき、ポイントを貯められるが、地方法人税だと、納付書を受け付けるのは銀行窓口などだけで、クレジットカードで支払おうとすればあらためて納税申告し、納付番号を発行してもらわなければならない。

なぜこんな面倒なことになっているのかさっぱりわからないのだが、文句は置いておいて、いまではeLTAX(エルタックス)で電子申告できるので、それを利用することにした。

納付書に記載された予定納税の額に異存がなければ、サイトのフォームにその数字を入力して申告は完了する(ここまででもけっこう大変なのだが)。次に支払い方法の選択があったので、「クレジットカード払い」をクリックしたら、なにもしていないのに、いきなり「お手続きが完了しました」という画面になってしまった。

困惑して都税事務所に問い合わると、申告情報が送られてきていないので納付番号が発行できないという。本来なら納税者が電子申告した情報はすぐに共有されるはずだというが、マニュアルを引っ張り出しても理由はわからず、最後には「手続き完了のメッセージが出たのだから完了しているのではないか」と言い出す始末で、まったく話にならなかった(ここまでで30分以上かかった)。

仕方がないのでサポートセンターに電話すると、ようやく原因が判明した。本来ならF-REGI(エフレジ)という公金支払いサイトがポップアップで立ち上がるはずなのだが、セキュリティのため、ブラウザがデフォルトでポップアップをブロックしていた。そのため、カード決済画面に移行しないまま「手続き完了」のメッセージが出てしまったのだ。

こんなことになったのは、電子申告のサイトと支払いサイトが別になっているからだろうが、これはいくらなんでも不親切ではないのか。支払いサイトが正しく立ち上がらない場合の警告表示をし、ブロック解除の方法を案内することくらいできるだろう。納税者が支払いをしないまま「手続き完了」画面を撮影し、「払ったはずだ」と主張したらどうするのか。

驚いたのは、公金支払いサイトでは納付を確認できず、eLTAXにもういちど戻って、メッセージ一覧から納付結果通知を開かなくてはならないことだ。なぜこんなに複雑なシステムにしてしまったのか。

この経験から電子政府への道が遠いことを実感したので、連日のように報じられるマイナカードの不祥事にも「やっぱり」という感想しかない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.110『日経ヴェリタス』2023年7月8日号掲載
禁・無断転載

”超富裕税”は格差社会を終わらせるか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年11月19日公開の「アメリカの極端な経済格差は持続不可能だが 超富裕層の資産に高率の課税をすれば、多くの社会問題が解決する」です(一部改変)。

******************************************************************************************

雑誌『フォーブス』によると、資産10億ドル(約1000億円)以上のビリオネアがアメリカには705人もいる(2019年)。その一方で、国民の半分ちかくがその日暮らしの生活をしている。この極端な経済格差は新型コロナでさらに広がっているとされるが、こんな異常な状況が長く維持できるとは思えない(持続可能性がない)。

だったらどうすれいいのだろうか。今回はエマニュエル・サエズ、ガブリエル・ズックマンの『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』(山田美明訳、光文社)から「富裕税」という興味深い提案を見てみたい。原題は“The Triumph of Injustice: How the Rich Doge Taxes and How to Make Them Pay(不公平の勝利 富裕層はどのように税を逃れ、どのように彼らに支払わせるのか)”。

共著者の1人サエズはスペイン生まれのカリフォルニア大学バークレー校教授。不平等と税政策を研究し、「80年代以降、米国の上位1%の所得が国民総所得に占める比率が拡大しつづけていることを明らかにしたトマ・ピケティとの共同研究は「ウォール街を占拠せよ」の運動に影響を与えた」とされる。

ズックマンはフランス生まれで、同じくカリフォルニア大学バークレー校で経済学と公共政策を教えている。富と蓄積の分布を世界的・歴史的な視点から分析した著書『失われた国家の富 タックス・ヘイブンの経済学』( 渡辺智之、林 昌宏訳、NTT出版)が翻訳されている。

1億人超のアメリカ成人が年収200万円

サエズとズックマンは冒頭で、2016年9月26日に行なわれたヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの大統領候補テレビ討論会を取り上げる。トランプが納税申告書の公開を拒否していることについて、「カジノのライセンスを申請したときに提出した納税申告書しか公開されていませんが、それを見るかぎり、彼は連邦所得税を1銭も払っていません」とクリントンが批判した。するとトランプはほこらしげにそれを認め、「それは私が賢いからだ」と返したという。

著者たちは、これが「不公平税制の勝利の瞬間」だという。もはやアメリカでは、税金を払わないことが誇るべきアピールになったのだ。

その結果、いったいなにが起きたのか。アメリカの経済格差についてはすでの多くの報告があるが、その驚くべき実態をかんたんにまとめておこう。

まず、アメリカ社会を「労働者階級(所得階層の下位50%)」「中流階級(その上の40%)」「上位中流階級(その上の9%)」「富豪(上位1%)」に分ける。そのうえで2019年の課税・所得前平均所得を算出すると……。*以下、原稿執筆時の1ドル≒100円で計算している。

1) 労働者階級(成人の1億2000万人)の平均所得は1万8500ドル(約190万円)。著者たちが強調するようにこれは計算間違いではなく、1億人を超えるアメリカの成人が年収200万円程度の生活をしている。

2) 中流階級(9600万人)の平均所得は7万5000ドル(約750万円)。これは日本のサラリーマンの平均収入(平均441万円/2018年)より7割も多く、アメリカの中間層は「世界的に見ればいまだ裕福なひとびと」だ。この層の収入は1980年以来、年1.1%の割合で増加している。微々たるものに思えるが、これでも70年ごとに所得は倍増し、孫世代が祖父母世代の2倍稼ぐことになる。アメリカの中流階級の子どもたちは親のゆたかさを超えられないかもしれないが、祖父母は超えられるのだ。

3) 上位中流階級(2200万人)の平均所得は22万ドル(約2200万円)。アメリカの典型的な富裕層で、郊外に広々として家を所有し、子どもたちを学費のかかる私立学校に通わせ、十分な年金を積み立て、保証が手厚い医療保険に入っている。

4) 上位1%(240万人の富豪たち)の年間平均所得は150万ドル(約1億5000万円)。その頂点にいるのがジェフ・ベゾス(資産13兆円)、ビル・ゲイツ(10兆円)、ウォーレン・バフェット(8兆円)などの超富裕層だ(資産額は2020年当時。以下同)。

この所得分布からわかるのは、「現在のアメリカ経済において憂慮すべき問題は、中流階級が消失しつつある点にあるのではなく、労働者階級が驚くほど少ない所得しか受け取っていない点にある」ことだ。

著者たちは、こうした極端な経済格差はアメリカに特有な現象だという。1980年当時、上位1%の所得が国民所得に占める割合は、アメリカでも西欧諸国でも10%程度だった。現在、西欧諸国では上位1%の所得の割合は12%に増加したにすぎないが、アメリカは20%にもなった。同時に、下位50%の所得の割合はアメリカが12%に減ったのに対し、西欧諸国では24%から22%になったにすぎない。「高所得民主主義国のなかで、アメリカほど格差が拡大している国はない」のだ。

なぜこんなことになるのか。ひとつは、給与税(社会保険料)や消費税(売上税)など逆進的な税制によって所得の少ないアメリカ人に過酷な税負担が課されていること。もうひとつは、アメリカの富裕層が税金を払っていないことだ。アメリカのほとんどの社会階層が、給与税や消費税を含め所得の25~30%を税金として国庫に納めているが、超富裕層だけは例外的に20%ほどしか払っていない。―─これは日本も同じで、合計所得金額1億円までは累進的に所得税の負担率が上がり30%程度になるが、それ以降は下がりはじめ50億円を超えるあたりから20%以下になる(関口智立教大教授「資産課税の累進性高めよ」日本経済新聞2019年11月17日)。

フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグの資産の大半は配当しないフェイスブック株で、含み益には課税されない。その結果、税を徴収できるのはフェイスブックの法人税だけになるが、それもタックスヘイヴンを使った租税回避で消えてしまう。

「バミュランド」はバミューダを使った租税回避を表わす著者たちの造語で、「合法的税圧縮」の手法を税の専門家たちがグローバル企業や富裕層に広めたことで、アメリカは法人税や資本課税の大幅な引き下げを余儀なくされた。高い税率のままだと、ますます租税回避が進むだけだからだ。タックスヘイヴンの存在によって世界各国は税率の引き下げ競争に巻き込まれ、「資本への課税はますます減り、労働への課税はますます増える」悪循環に陥ってしまったのだ。

ウォーレン・バフェットの実効税率は0.055%

2016年のヒラリー・クリントンとの2回目のテレビ討論会で、トランプは「彼女(ヒラリー)の友人たちも多くは多額の控除を受けている。ウォーレン・バフェットが受けている控除はかなりのものだ」と反撃した。これに対して「オマハの賢人(バフェット)」は、「私の2015年の財務報告書によれば、調整後総所得は1156万3931ドル(約12億円)である。私のその年の連邦所得税は、184万5557ドル(約2億円)だった。前年の財務報告書も同じようなものだ。13歳になった1944年以来、連邦所得税は毎年支払っている」として、多額の控除はなく、市民としての責任を果たしていると主張した。

だが著者たちは、「実際には、この声明はまったく逆のことを証明している」という。『フォーブス』誌によれば2015年のバフェットの保有資産は653億ドル(約6兆6000億円)。控えめに見積もって利益率5%としても、税引き前所得は32億ドル(約3200億円)になる。本来の所得(32億ドル)に対する180万ドルの連邦所得税の実効税率は0.055%で、「トランプとさして変わらない」のだ。

バフェットが税金を納めていない理由もザッカーバーグと同じで、資産運用会社のバークシャー・ハサウェイは配当を支払っておらず、ほかの会社に投資する際には、その会社にも配当の支払いをやめさせている。バフェットの財産は数十年にわたり、個人所得税の課税対象にならないまま法人内に蓄積され、その利益が再投資されることで、バークシャー・ハサウェイの株価は1株およそ30万ドルと、1992年時の株価の30倍になった。「何らかの理由で現金が必要なときにはこの会社の株式をいくつか売り、わずかばかりのキャピタルゲインにわずかばかりの税金を支払うだけ」なのだ。

もちろんバフェットは、こうした状況をよしとしているわけではない。自分が支払う税率が秘書より低いことは正当化できないとして提唱したのがバフェットルールで、「年間所得が100万ドルを超える個人には30%の最低税率を適用する」ことを求めた。現在のキャピタルゲインの最高税率(20%)が賃金所得の最高税率(37%)よりも低いので、この不均衡を正すのだという。

だが著者たちは、「これではまったく解決にならない」という。課税されるのは株式を売却したときのキャピタルゲインだけで、「バフェットの本当の所得のなかのごくわずかな部分」にすぎない。そこで提案されるのが「富裕層への課税強化」だ。

とはいえこれは、「金持ちは不道徳だから罰するべきだ」ということではない。著者たちの論理は、哲学者ジョン・ロールズの『正義論』に依拠した以下のようなものだ。

道徳的な議論を脇に置いて、この問題を徹頭徹尾、功利主義的に考えるならば、税制の目的は社会全体の厚生を上げることだ。ロールズは、最大限の平等な自由を前提として、公正な社会を実現するためには「もっとも不遇な立場にある者の利益を最大にするべきだ」と説いた。

それがなぜ富裕層への課税を正当化するのか。これは(著者たちが述べているわけではないが)「お金の限界効用は逓減する」ことから説明できそうだ。最貧困層にとって100万円は大金だが、ベゾスやゲイツ、バフェットにとっては増えようが減ろうが気づきもしないだろう。だとしたら、国家が権力(暴力)を行使して超富裕層から最貧困層に所得を移転することで社会全体の厚生は拡大するはずだし、こうした政策を功利主義者は支持するだろう。

もちろん、累進税率は高ければ高いほどいいわけではない。100%の税金を課せば、ほとんどのひとは働くのをやめて、国家のお金で遊んで暮らすことを選ぶだろう。したがって「最適課税」の第一のルールは、「最高税率の引き上げにより税収が減るのであれば、税率は引き下げた方がいい」になる。

しかしこれは、逆にいえば「税率の引き上げにより税収が増えるのであれば、税収が増えるかぎりいくらでも税率を引き上げた方がいい」ということだ。これが第二のルールで、「富裕層に最適な税率とは、できるだけ多くの税収を生み出せる税率」なのだ。

重要なのは富裕層への最高限界税率

1920年代、数学者・経済学者のフランク・ラムゼイは「あらゆる納税者が同じ税率を課される場合、税収を最大にする税率は、課税対象所得の弾力性に反比例する」ことを証明した。

従来の経済学では、資本は弾力性(税率の増減に対する敏感性)が高いとされてきた。法人税を引き上げると工場を外国に移転したり、資本資産の購入を控えたりして資本ストックが減り、それによって賃金が下がり労働者が損失を被る。資本(企業)に課税したつもりでも、実際はそのコストは労働者が支払うことになる(「法人税は労働者に帰着する」)。

これが法人税を引き下げるべきだとする論拠だが、実際のデータによれば、「資本への課税が増えても投資が著しく減少することはないし、企業利益への課税を減らしても労働者の賃金が増えるとはかぎらない」という。

「ラムゼイルール(最適課税の基本原則)」では、「課税対象所得の弾力性が低い場合、税率を上げたとしても、計上される所得はあまり変わらない。そのため、税率を上げれば、自動的に税収は増える」「課税対象所得の弾力性が高い場合、税率が高くなると課税基盤が著しく縮小してしまい、あまり税収が増やせなくなるため、望ましくない」とされる。

だがこれは均等税しか考えていないため、「(資本のような)弾力性の高い所得にはあまり課税すべきではない」と一概にいうことはできない。筆者たちは、累進所得税で税収を最大化するのは最高限界税率(最高位の税率区分の所得額に適用される税率)なのだから「重要なのは富裕層の所得の弾力性だけ」だという。これが「修整ラムゼイルール」で、「富の集中度が高いほど、富裕層に課すべき最適税率も高くなる」。

タックスヘイヴンをなくせば経済は効率化する

もちろん法人税や富裕層への税率を大幅に上げれば、資金はタックスヘイヴン(バミュランド)に逃げてしまうだろう。したがってこれは、国際社会が租税回避を完全に封じることが前提になる。

著者たちは「懲罰を課す、協調する、防御措置をとる、労せずして利益を得ようとするフリーライダーに制裁を加える」という行動プランを挙げているが、これは夢物語というわけではなく、税率が低い国が徴収しない税を(本社のある)税率が高い国が代わりに徴収する矯正税(自国の多国籍企業への最低税率)はすでにOECDが提案している。

それに加えて、租税回避産業の規制を担当する「公衆保護局」を創設し、税務関連のサービス提供者を監視し、その業務が公益を害することのないようにする。その結果グローバル企業は税を考慮する必要がなくなり、「労働者の生産性の高いところ、インフラの充実したところ、消費者に自社製品を買えるだけの購買力のあるところ」で事業を展開しようとするだろう。常識に反して、タックスヘイヴンの無効化と税の引き上げは経済を効率化させるのだ。

賃金や配当、利子、家賃、企業利益だけでなくキャピタルゲインも含め、あらゆる種類の所得を累進所得税の課税対象にすることは、投資家にとってきびしすぎると思うかもしれない。だが、税務当局が資産の購入日など完全情報を把握すれば、「キャピタルゲインからインフレの影響を取り除くこともできる」。長期に保有した株式や不動産を売却して得た利益は、その間のインフレ率を控除した金額への課税にすれば投資家にとっても大きなメリットになるだろう。

公平な税制にとってもうひとつ重要なのは、「企業の所得税(法人税)と個人の所得税を統合する」ことだ。これはオーストラリアやカナダですでに行なわれており、法人税を支払ったあとの利益を株主に配当した場合は、二重課税を避けるために法人税分が控除される(法人税は個人所得税の前払いになる)。これで、会社が法人化されても法人化されなくても、なにも変わらなくなる。さらに、非公開会社の留保利益に対しても利益を株主に振り分ける(利益の全額を配当したのと同じと見なす)ようにすれば、利益を法人内に留保する節税法は意味を失うはずだ。

このようにして租税回避の道がすべて封じられ、どこにも逃げがない(「同額の所得には同額の税金を支払う」という原則が徹底される)「理想世界」が実現したとすると、著者たちの試算では、「富裕層からの税収が最大になる最高限界税率は75%前後」になる。ここでいう富裕層は年間所得50万ドル(約5000万円)超で、(もっとも税率の低い区分から最高限界税率までの)平均税率は60%になる。連邦政府・州政府・地方政府に支払われるあらゆる税を考慮すると、一般的なアメリカ人の実質税率は30%程度だから、所得に占める割合からすると、富裕層は平均の2倍の税金を支払うことになる。

法人税の実効税率を2倍にし、所得税の網羅性と累進性を高め、徴税の強化によって遺産税収を倍増させたうえで、著者たちはさらに「5000万ドル(約50億円)を超える財産には2%、10億ドル(約1000億円)を超える財産には3.5%の富裕税」の導入を提案する。

こうした税制改革によって、バフェットが支払う「正当な」税額は年間18億ドル前後になる。これは、2015年にバフェットが支払った所得税180万ドルの1000倍にあたる。

超富裕層への懲罰的な資産税

本書の過激な提案は、じつはこれに止まらない。著者たちは、累進課税の所得税の最高税率は「100%近いレベル」にしてもかまわないという。アメリカ社会でレントシーキング(レント=超過利潤を求めてどんなことでもする強欲)が目に余るようになってきたからで、「1ドル稼ぐごとに90セントを内国歳入庁に持っていかれるのであれば、2000万ドルもの報酬を手に入れたり、ゼロサム金融商品を生み出して数百万ドルを稼いだり、特許薬の価格を吊り上げたりする意味はなくなる」はずだ。

もちろんこれには、「イノベーションを阻害する」との反論があるだろう。だがいまや社会に役立つ創意工夫よりも、強欲のためのさまざまな悪知恵に使われることの方が多くなった。「大胆なイノベーションが生み出されるペースが速くなれば、規制当局がそれに追いつくことも、一般市民がその詐欺行為に引っかからないよう事前に知識を得ることも難しくなる」。

最高税率が引き下げられてイノベーションが促進されたとしても、レントシーキングが活性化するだけだ。超高所得に対して100%近い税率を課せば、「経済力が分散され、税引き後所得後の格差が縮小し、市場での競争が活発化する」のだという。

だがこれだけでは、持続不可能なレベルにまで広がったアメリカの経済格差を縮小させるのは力不足だ。そこでこの限界を突破するために、富裕層の財産そのものに高率の課税を行なう必要があるとして、「10億ドルを超える財産に10%の限界税率というかなり高めの富裕税を課す」ことが提案される。

これは超富裕層に対する懲罰的な課税だが、仮に数十年前から高率の富裕税を課したとしても、マーク・ザッカーバーグの2018年の財産は210億ドルに達していたという(同年の実際の財産は610億ドルで、およそ3分の1に縮小した)。ザッカーバーグの財産が、はじめて10億ドルを超えた2008年以来、年40%の割合で増加しているからで、「年率10%の富裕税を課しても、これほどの勢いで増加する資産は抑えられない」のだ。

しかしビル・ゲイツ場合、10%の富裕税によって2018年の970億ドルが40億ドルほどへと25分の1まで縮小する。ゲイツはすでに30年以上にわたり10億ドルを超える財産を所有しているため、「高い富裕税による財産を削り取られる期間」も長くなるのだ。

著者たちの試算によると、「高めの富裕税を1982年から課していた場合、アメリカの所得階層の最上位400人は、2018年になってもまだ数十億ドル規模の財産を持っているだろうが、その総額は現在の3分の1ほどでしかなくなる」。その結果、彼らの財産がアメリカの財産全体に占める割合は、富の格差が大きく広がり始める前の1982年当時とほぼ同じになる。逆にいえば、10%の富裕税は40年前の「貧富の差」と同じレベルに社会を止めるためのものなのだ。

註)ここで例にあげられているザッカーバーグの資産はメタの株価下落で2022年の1年間で11兆円減ったと報じられた。著者たちの議論では、こうした場合に、前年度の資産を基準に支払われた税を繰り戻し還付するのかどうかの議論がなされていない。

消費税を廃止し、税収は均等勢と富裕税に

保育への公的支援が貧弱なアメリカでは、託児所の年間費用が幼児1人あたり2万ドルに及ぶケースもざらにある。アメリカの母親の収入は第一子の出産後、父親に比べて平均31%も減少するが、これは「事実上、政府支出の不足分を補うため、女性の時間に重税を課しているのに等しい」。

アメリカは国民皆保険でないため、民間医療保険の保険料が「民間の税金」となり、もはや人頭税と化している。医療保険の年間平均保険料は労働者1人あたり1万3000ドル(約130万円)で、あまりに高すぎて成人のおよそ14%が無保険のままだ。

北欧などヨーロッパのリベラルな国々はどこも高率の消費税で社会保障を賄っているが、消費税には逆進性があるため、それによってさらに格差を拡大させてしまう。それにもかかわらずなぜ消費税の税率だけが上がっていくのかというと、個人所得税や法人税、資本課税の引き上げが租税回避の誘因になってしまうからだ。

だが誰もが「同額の所得には同額の税金を支払う(租税回避の逃げ場がない)理想世界」では、もはや効率の悪い消費税に依存する理由はない。消費税を廃止して、国民所得(労働所得+企業利益+利子所得)に6%の均等税(国民所得税)を課して基礎税収を確保したうえで、富裕層課税で国民所得のおよそ10%分に相当する税収を確保すれば、国民全員に医療や育児を提供できるし、公立大学への助成金の増加などにより、高等教育を受ける機会も均等化できるという。

超富裕層の資産に高率の課税をすれば、ビル&メリンダ財団やソロス財団のような社会貢献のための財団は運営できなくなるかもしれない。だが功利主義的に考えるならば、国民皆保険や保育無償化、教育費の軽減などによるアメリカ社会全体の厚生の増加は、それを補ってあまりあるというのが著者たちの立場なのだろう。

本書で提案された税制が実現したとすると、逆進的な売上税(消費税)を廃止したうえで、上位5%を除くすべての社会階層で、現在よりも(社会保険料を含めた)税金の支払いが少なくなる(所得の中央値あたりでは、平均税率が38%から28%まで下がる)と試算される。

民主的な社会では、市民(有権者)の95%が得をする提案が受け入れられる可能性はじゅうぶんにあるだろう。国家がさらに財政支出を拡張できるというMMT(現代貨幣理論)が話題になっているが、政府の借金が増えればひとびとは「国家破産」を恐れてお金を使わなくなるだろう。それを考えると、財政を悪化させずに95%の国民の可処分所得が増える富裕層課税のほうが、これからの“左派ポピュリズム”の主流になっていくのではないだろうか。

禁・無断転載