コロンビア大学黒人名物教授はなぜ「ドラッグ合法化」を主張するのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2017年3月30日公開の「コロンビア大学黒人名物教授が提言する ”「ドラッグの非犯罪化」による黒人の救済”」です(一部改変)。

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今回は名門コロンビア大学の名物教授カール・ハートの『ドラッグと分断社会アメリカ』(寺町朋子訳、早川書房)を紹介したい。

ハートがなぜ「名物」なのかというと、本人も認めるように、彼がアメリカの黒人のなかではきわめて数少ない心理学教授だからだ(同様に経済学の教授も少なく、数学や物理学などではもっと少ない)。

そのうえハートはレゲエミュージシャン、ボブ・マーリーのような奇抜なドレッドヘアでテレビなどにも積極的に登場し、きわめて過激な主張をしている。それは「マリファナなどソフトドラッグだけでなく、コカインのようなハードドラッグも非犯罪化・合法化すべきだ」というものだ。

『ドラッグと分断社会アメリカ』はふたつのパートから構成されている。ひとつはフロリダの典型的な黒人居住区に育ち、バスケットボールとラップに夢中の10代を過ごしたハートが、友人たちが次々とギャングスターになっていくなかで、いかにしてアカデミズムで成功したかを回顧した半生記、もうひとつはハートの専門である神経精神薬理学の知見から「根拠に基づいた」薬物政策への提言だ。

アメリカにおいては、子ども時代にどんなに賢くても黒人が社会的に成功することは容易ではない。そんななかでハートは、高校卒業後、軍隊に志願したことで大学入学資格を得、数々の差別に耐えて学問の世界に踏みとどまった。その体験は興味深いが、それは本をお読みいただくとして、ここではドラッグに対するハートの主張に焦点を当ててみたい。

クラック・コカインという「悪魔」

ハートが本書で取り上げるドラッグは、日本ではあまり馴染みのない「クラック・コカイン」だ。これは化学的には「粉末コカイン(コカイン塩酸塩)から塩酸を除去したコカイン塩基だけの化合物」と説明される。

粉末コカインとクラック・コカインは化学構造がほぼ同じで人体に対する効果も変わらないが、使用方法が大きく異なる。

神経精神薬(ドラッグ)が効果を及ぼすためには、血管に注入された化学物質が脳に到達する必要がある。このとき、薬物が早く脳に到達するほど強い薬理作用が現われる。

南米にはコカの葉を噛む風習があるが、こうして摂取された少量のコカインは小腸の壁を通って血流に入る(アルコールと同じく、満腹では薬物の吸収が遅れるので薬理作用が現われるのも遅くなる)。小腸から吸収されたコカインはその後、肝臓を通過することになるが、肝臓は口から入った毒物を解毒し脳を保護するための酵素を生産している。その効果でコカインが分解され薬理作用が大幅に弱められるのが「初回通過代謝」で、ドラッグユーザーはこの効果を知っていて薬物を錠剤やカプセルとして経口摂取することを好まない。

一方、鼻から吸引されたコカインの粉末は肝臓を迂回することができる。アメリカ映画では粉末コカインを細かく砕いて鏡などの上に線(ライン)を引き、ストローなどで吸引する場面がよく出てくるが、これだと薬理作用を感じるまでに5分くらいしかかからない(口から摂取すると30分ほどかかる)。

鼻からの吸引よりももっと効果が高いのは静脈注射で、血液中に注入されたコカインは心臓を通過してすぐさま脳に運ばれるためほぼ即座に精神高揚作用が現われる。だが静脈注射は心理的にハードルが高いし、汚染した注射器や減菌していない器具の使いまわしによってエイズなどに感染する恐れもある。

それに対してコカインを喫煙できれば、血管を介して病気に感染する危険を避けつつ、静脈注射と同じくらい早く薬物を脳に到達させることができる。肺は表面積が大きいので、喫煙するとたくさんの血管によって薬物が血中からすばやく脳に運ばれるのだ。

粉末コカインを喫煙できるまで過熱すると、分解して効果がなくなってしまう。だが塩酸を除去したクラック・コカインは気化する温度でも安定しており、喫煙によっても粉末コカインを注射したときと同じくらい効果的な作用が得られる。

それまで粉末コカインは、ウォール街などの金持ちの白人(ヤッピー)の嗜好品とされ、黒人はほとんど手を出さなかった。だがマリファナと同じように喫煙できて効果の高いクラック・コカインは、ラップやヒップホップを通じて黒人の若者たちのあいだに急速に広まっていく。

クラック・コカインが登場するのは1980年代はじめだが、当時は科学者もその薬理作用を正確に理解しておらず、新奇な薬物の蔓延を目の当たりにしてアメリカ社会はパニックに陥った。こうして「クラック・コカインの悪魔視」が始まったのだとハートはいう。

黒人の大量投獄は黒人政治家が主導した

1914年の『ニューヨーク・タイムズ』には、「コカイン『中毒』の黒人は南部の新たな脅威」と題された、医師が執筆した次のような記事が掲載されている。

黒人のほとんどは貧しく、読み書きができず、怠惰である……いったん薬物の常用癖ができてしまったら、更生の見込みはない。黒人を薬物に近づけない唯一の方法は収監である。ただし、これは一時しのぎの策にすぎない。なぜなら、釈放された黒人は、かならずまた常用するからだ。

[コカイン]はほかにも、「中毒者」をとくに危険な犯罪者に変えるいくつかの病的状態を生じる。このような病的状態のひとつが、ショックに対する一時的な免疫である。「強烈な一撃」、つまり致命傷に対する耐性ができるのだ。正気の人間は、弾丸が急所に当たったらその場で倒れるのに、「中毒者」は弾丸でも阻止できない。

コカインは黒人を凶悪な「ゾンビ」に変えるのだから、中毒者を射殺するには威力のある弾丸が必要だと保安官たちは断言した。専門家たちは議会で「南部の白人女性に対する攻撃のほとんどは、コカインの乱用で異常な精神状態をきたした黒人による直接的な結果だ」と証言した。その結果1914年に、実質的に薬物を禁止する「ハリソン麻薬税法」が成立する。

これと同じことが70年後に、今度はクラック・コカインで起こったとハートはいう。だがそこには、ひとつ大きなちがいがあった。1910年代は白人がコカインを使う黒人を悪魔視したが、1980年代は白人と黒人がともに、クラック・コカインを悪魔視したのだ。

1986年6月、大学バスケットボールのスター選手レン・バイアスがクラック・コカインの喫煙によって死亡したと報じられると、集団ヒステリーはさらに激しくなった。だがこの22歳の選手は、じつが粉末コカインを使っていたことがわかった。

同じ月に全米プロフットボールリーグ(NFL)クリーヴランド・ブラウンズのディフェンシブバックで23歳のドン・ロジャーズが死亡し、やはりコカインが原因とされた。2人の若いスポーツ選手が絶頂期にあいついで亡くなったことで、一般市民はコカインの影響は恐ろしいほど予測がつかないと思い込むようになった。

黒人の公民権活動家ジェシー・ジャクソンは、バイアスの追悼演説で「われわれの文化は、娯楽や気晴らし、逃避のかたちとしての薬物を拒絶しなくてはなりません……クー・クラックス・クランのリンチよりも薬物のせいで多くの命が失われているのです」と語った。

こうして黒人自身が、より多くの警官やより長期間の刑罰を求めはじめ、クラック・コカインを、わが子を手の施しようのない怪物に変貌させる元凶とみなすようになった。これが、クラック・コカインに対する厳罰化の始まりだ。

1986年に制定された反薬物乱用法は、ニューヨーク選出の下院議員(ハーレム出身の黒人)の旗振りで成立したが、5グラムのクラック・コカインを密売したとして有罪判決を受けた者は最低でも5年間服役しなくてはならない。粉末コカインの売買では同等の期間の刑が申し渡されるのは500グラムで、量刑に100倍もの格差がある。

この反薬物乱用法のもとで投獄されたのは、黒人が圧倒的に多かった。たとえば1992年にはその割合は91%、2006年には82%を占めている。

クラック・コカインの影響が過大に報じられたことで黒人社会に恐怖が植えつけられ、黒人政治家の主導で厳罰化が進められた結果、多くの若い黒人が刑務所に送られることになった。皮肉なことに、黒人の若者を犯罪から守ろうとして、黒人コミュニティは崩壊の危機に瀕してしまったのだ。そしてこれは、本来であれば不要なことだったとハートはいう。なぜなら粉末コカインとクラック・コカインは、薬理学的な効果としてはまったく同じものなのだから。

薬物依存は犯罪を増やさない

ドラッグ依存症者(ジャンキー)で私たちが真っ先に思い浮かべるのは、脳の快楽中枢に電極を埋め込まれ、ドーパミンの放出を求めて食事もせずにひたすらレバーを押しつづけるラットだろう。だがこのあまりに有名な「快楽=ドーパミン仮説」は、科学的には正確とはいえないとハートはいう。

まず、ドーパミンは心地よい状況でのみ放出されるのではなく、ストレスのたまる経験や、嫌な経験をしているときにも放出されることがわかった(電気ショックや、痛みや嫌な体験の前兆となる合図で動物にストレスを与えると、ドーパミンの濃度が上がる)。

さらに、ドーパミンを遮断すると、動物はコカインなどの薬物の自己投与をやめるが、ヘロインの場合はこうした効果は見られない。もしドーパミンが脳における唯一の快楽の源なら、快楽を産むどんな薬物の自己投与もやむはずだ。

アンフェタミン(覚醒剤)の化学式をすこし変えるとメタンフェタミンになり、ドーパミンの放出を増やし活力を増進して注意力や集中力を高める効果があるが、この薬理作用はADHD(注意欠陥多動性障害)やナルコレプシーの治療薬として広く使われている。そして患者の大多数は、依存症にならない。

もしドーパミンの濃度上昇をともなう快感のみが依存症を引き起こすならば、「リタリン」などの商品名で処方されるメタンフェタミンを服用した患者がなぜ依存症にならないかを説明できない。脳の活動はきわめて複雑で、まだわかっていないことのほうが多いにもかかわらず、それを過度に単純化することで非科学的な誤解が広まるのだ。

さらに、「薬物依存は犯罪を増やす」という定説も疑わしい。たしかに薬物依存と犯罪には関係があり、住居侵入や窃盗、強盗といった犯罪にかかわる者は、そのような罪を犯さない者より薬物依存症である可能性が高い。しかし薬物依存者の半数はフルタイムで雇われており、多くの者が薬物に関連する罪をいちども犯さないことも統計的に確かめられている。

アメリカ司法省司法統計局が受刑者における薬物と犯罪のつながりを1997年から2004年までのデータで分析したところ、薬物の影響下で罪を犯した者は3分の1にすぎず、薬物依存者もやはり3分の1程度だった(大半の受刑者は、罪を犯したときは素面だった)。薬物を買う金ほしさに犯行に及んだ者は受刑者のうち17%で、投獄される前の1カ月間に薬物を使った者は少なかった。

またニューヨーク市で1988年に起きた2000件ちかいすべての殺人事件を調査したところ、逮捕者の76%でコカインの陽性反応が出たものの、殺人事件の約半数は薬物とまったく関連がないことが判明した。依存者がクラック・コカインを買おうとして殺人を犯したのはわずか2%で、犯行前に薬物を使った者が殺人を犯したのは1%にすぎなかった。

これらのデータからハートは、薬物と暴力犯罪のほんとうのつながりは薬物取引で生み出される利益にあると考えた。1988年にニューヨーク市で起きた殺人の39%はたしかに薬物取引と関連があったが、ほとんどは薬物販売の縄張り争いや売人間の強盗によるものだった。クラック・コカインが「非暴力的だった人間を凶暴な殺人者に変貌させる」という巷間に流布したイメージは、過剰な報道による恐怖が生み出した幻想なのだ。

ドラッグを使用してもほとんどのひとは依存症にならない

ここからハートは、さらに過激な方向へと議論を進める。「多くのひとは、コカインなどのハードドラッグを使用しても依存症になることはない」と主張するのだ。しかし、ドーパミンの快楽を得るために狂ったようにレバーを押しつづけるラットはどうなるのだろうか。

「それは、ラットをケージのなかの特殊な環境に置いているからだ」とハートはいう。人間に似てラットはきわめて社会的な動物なので、独りぼっちにされると強いストレスを受ける。こうした孤独な状態が、薬物研究で用いられるラットの「通常」の条件なのだ。

では、ふつうに生活するラットは薬物に対してどのような反応を示すのだろうか。カナダの心理学者ブルース・アレクサンダーはこの疑問にこたえるために、ラットパークをつくってみた。そこには社会的接触や交尾の相手となるラットがたくさんおり、探索しがいのある場所や運動玩具、落ち着ける暗い場があり、モルヒネ入りの甘い水も置かれている。

ラットパークのラットと通常の孤立したケージのラットを比較すると、孤立したラットはすぐにモルヒネ水を飲むことに没頭したが、ラットパークのラットははるかに少ない量しか飲まなかった。――条件によっては、孤立したラットは社会生活を送るラットの20倍もモルヒネ水を飲んだ。

コカインやアンフェタミンについても同じような結果が出ているとしたうえでハートは、「社会的な接触や性的接触、快適な生活環境といった自然な報酬――「代替の強化刺激」――が手に入るばあい、健康な動物はたいてい代替の強化刺激を好む」という。動物でも人間でも、薬物ではない代替の強化刺激に手が届けば薬物使用が減る証拠がいまでは数多く得られているのだ(94%のラットが、コカインの静脈注射よりサッカリンで味をつけた甘い水を好んだ。アカゲザルを用いた実験では、コカインの代替報酬として提供される食べ物の量に応じてコカインを摂取する選択回数が減った)。

しかし動物実験をどれほど繰り返しても、「ドラッグに手を出したひとの多くは依存症にはらない」という仮説を証明することはできない。そこでハートは、人間にドラッグを投与して、環境と依存症の関係を調べることを思いつく。しかし、こんな人体実験が許されるのだろうか。

ハートはまず、ニューヨークの情報週刊紙『ヴィレッジ・ヴォイス』に広告を出してクラック・コカイン常習者を募集した。そのうえで彼らが、コカインと他の報酬(5ドルの現金引換券か商品引換券)を比較して、どのような条件でコカインを選択するかを調べた。

参加者がコカインか引換券をもらうためには、パソコンのキーボードのスペースキーを200回押す必要があった。だがこのとき「ジャンキー」と呼ばれる彼らは、脳の「快楽中枢」に電極を埋め込まれたラットのように、コカインの誘惑のために狂ったようにスペースキーを叩きつづけるようなことはしなかった。

ハートはこの実験結果を、おおよそ次のようにまとめている。

  1. 報酬としてのコカインの量が多いときは、薬物常用者はほとんどの場合、引換券よりもコカインを選択した。
  2. 報酬のコカインの量が少ないときは、薬物常用者はしばしば引換券を選択した。
  3. 引換券が商品ではなく現金の場合、コカインを選択した回数が平均で2回少なかった。

この結果からハートは、人間の行動はおおかた、自分の環境のなかでどんな報酬を得るかによって決まり、薬物常用者も一般人と同様に、ごくふつうの生活環境ではドラッグとそれ以外のインセンティブを比較し合理的に選択していることを発見した。

当然のことながら、この主張はアメリカで大きな論争を引き起こした。ドラッグの害は一般に思われているよりも軽微で、多くのひと(約9割)はドラッグを使っても依存症にならず、依存症になったとしても、他の強化刺激を与えるなどの心理療法によって治療可能だというのだから(実験では、適切な介入を受けた被験者の68%が8週間にわたって薬物に手を出さなかった)。

ドラッグの合法化で黒人の若者が救われる

ハートによれば、薬物依存のリスクがもっとも高い集団であるティーンエイジャーでも、クラック・コカインの使用者はこれまで5%以下にとどまっている(薬物を入手できる環境でも、95%の若者は手を出さない)。依存症になるリスクは、大人になってから薬物を使い出した場合よりも、青年期初期に使い出した場合の方がはるかに高いが、高校最上級生でもコカインを日常的に使う割合が0.2%を超えたことはない(ドラッグを経験した若者のうち、常用者になるのはわずかしかいない)。

それにもかかわらず、「科学的には間違った前提にもとづいて」クラック・コカインに過剰な刑罰を課したために、ドラッグの密売を手がける黒人の若者が壊滅的な被害を被っている。

アメリカのある大規模な研究では、1990年から2005年までにはじめて少年司法制度にかかわった10万人ちかいティーンエイジャーのうち、57%が黒人だった。男性が圧倒的に多く、平均年齢は15歳で、ほとんどは薬物がらみの犯罪か暴行の容疑で逮捕されていた。

この研究によれば、初犯内容の凶悪さに関係なく、投獄されたティーンエイジャーのほうが、同種の犯罪をおかしても投獄されなかったティーンエイジャーよりも、大人になってからふたたび投獄される可能性が3倍あった。カナダの同様な大規模研究では、ティーンエイジャーのときに実刑判決を受けた者は、似たような罪を犯しても投獄されなかった者に比べて、大人になってから逮捕される可能性が37倍もあった。

こうしてハートは、「問題を抱えたティーンエイジャーたちをまとめて、両親もそばにおらず、スポーツ界や学術界で成功することをめざす同世代の仲間もほとんどいない環境に隔離することは、彼らをさらに悪い犯罪行為に走らせる傾向がある」との結論に達した。「不良」の烙印を押されたうえ、犯罪行為にかかわることでしか男らしさやアイデンティティを確認できないと感じる仲間とつき合うことで、将来に犯罪を引き起こす危険性は大幅に増すのだ。

こうした理不尽な事態に対して、冒頭に述べたように、ハートは「ドラッグの非犯罪化(合法化)」を提言する。ドラッグの売買を罪に問うことがなくなれば、黒人の若者の多くが収監を免れ、人生を棒にふらなくてもよくなるし、社会にとっても将来の犯罪者が大幅に減るという利益を享受できるのだ。

ハートの提言に納得できるかどうかは別にして、これがドラッグに対する旧来の常識を覆す興味深い指摘であることは間違いないだろう。もっとも、ドラッグ=悪という常識が固定化した社会でドラッグの合法化を唱えれば、強い批判を浴びることも間違いない。

だったらなぜハートは、有名大学の教授職にありながら、このような茨の道を歩むのだろうか。

じつはハートは、15歳のときに16歳のガールフレンドを妊娠させている。ハートはそのことをまったく忘れていた(あるいは気づいていなかった)が、ハートが有名人になったことを知って、そのガールフレンドが父親の責任を問う訴訟を起こした。

こうしてハートは、21歳になる「見知らぬ息子」と対面することになる。ぎこちない対面のあと、ハートは息子に「それで、なんの仕事をしてる?」と尋ねた。

「笑わせんなよ。知ってんだろ」と息子はいった。「薬を売ってんのさ」

禁・無断転載

 

リベラル化によって異世界は一般社会に回収されていく 週刊プレイボーイ連載(564)

綺羅星のごとく男性アイドルを輩出してきたジャニーズ事務所の創設者(故人)に少年愛の性癖があることは、1960年代から業界関係者のあいだでは公然の秘密で、80年代末には元アイドルの告発本がベストセラーになって広く知られることになりました。90年代末には『週刊文春』が連続キャンペーンを行ない、それに対してジャニーズ事務所が提訴、一審では文春側が敗訴したものの、東京高裁は「セクハラに関する記事の重要な部分について真実であることの証明があった」と認定し、2004年に最高裁で判決が確定しています。

ところが、日本のほとんどのメディアはこの裁判を報じませんでした。ジャニーズ事務所の圧力を恐れたからだとされ、たしかにそうした事情もあるでしょうが、その背景には「しょせん芸能人の話」という認識があったはずです。

事態が動き出したのは今年3月、イギリスのBBCが「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」というドキュメンタリーを放映してからです。4月には事務所に所属していた元タレントが日本外国特派員協会で記者会見し、2012年からの4年間に創設者から15回ほどの性的被害を受けたと証言、この「外圧」で追い込まれたジャニーズ事務所は現社長が動画での謝罪を余儀なくされました。

この一連の経緯は、ハリウッドを揺るがせた#MeTooとよく似ています。大物映画プロデューサーのセクハラを女優らが実名で告発、性被害を受けた女性たちがSNSで次々と声を上げる世界的な運動になりました。

映画界では、新人女優がプロデューサーなど実力者と性的な関係をもつことはよくある話だとされてきました。この慣習が黙認されてきたのは、ハリウッドが特殊な世界だとされてきたからでしょう。自ら望んでそこに足を踏み入れた以上、一般社会の常識を期待することはできず、異世界のルールに従わざるを得ない、というわけです。

権力とセックスのたんなる交換(いわゆる枕営業)であれば、この理屈も成り立つかもしれません。しかしこの映画プロデューサーは、配役と引き換えに性交渉を女優に強要するだけでなく、女性スタッフにまで性加害を行なっていたことが暴露され、はげしい批判を浴びることになりました。

ジャニーズ創設者がある種の天才であることは間違いありませんが、困惑するのは、その才能が少年愛から生まれたものらしいことです。70年代や80年代の出来事であれば「そういう時代だった」で済んだかもしれませんが、今回の証言で明らかになったのは、最高裁で判決が確定してからも少年に対する性加害が続いていたことです。

相手が成人なら合意のうえだと説明できても、未成年の場合はどのような弁明も不可能です。そして現在では、相手の明確な同意を得ない性行為は許されなくなり、とりわけ拒絶のできない小児や少年・少女への性加害は道徳的には殺人に匹敵する重罪と見なされます。しかし日本の芸能界で大きな権力を手にした80歳過ぎの老人には、こうした価値観の変化に気づくことは難しかったのでしょう。

社会がリベラル化すれば異世界は一般社会に回収され、「あのひとは特別」「あそこはふつうとちがうから」という言い訳は通用しなくなっていきます。その意味では、この創業者は長く生き過ぎたし、その結果、残された者は名声と既得権の呪縛にとらわれて身動きがとれなくなってしまったのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2023年5月22日発売号 禁・無断転載

経済学的に麻薬戦争を解決する方法は麻薬を合法化すること

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年2月23日公開の「メキシコなどの麻薬カルテルを撲滅する 唯一の「経済学的」解決法は、麻薬を合法化すること」です(一部改変)。

下記の記事も合わせてお読みいただければ。

タイの「ソフトドラッグの実質合法化」の現場から考える、世界のドラッグ合法化の流れと日本の現状

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2016年末にアメリカ・テキサス州のエル・パソから国境を越えてメキシコのシウダー・フアレスを訪れた。というよりも、私はただ国境を流れるリオ・グランデの写真を撮りたかっただけで、いやいやメキシコに入国したといったほうがいい。同じ橋を渡って戻ってこられると思ったら、アメリカへの入国は15分ほど歩いた別の橋だったのだ。シウダー・フアレスは、「戦争地帯を除くと世界でもっとも危険な都市」のひとつとされている。

なぜこんなことを思い出したかというと、イギリスのジャーナリスト(『エコノミスト』誌エディター)トム・ウェインライトの『ハッパノミクス 麻薬カルテルの経済学』( 千葉敏生訳、みすず書房)を読んだからだ。ちなみに原題は『NARCONOMICS』で、Narcotic(麻酔薬)を短縮したNarco(ナルコ)はドラッグの俗語だ。「ナルコノミクス」は“ドラッグ経済学”のことだが、これではなんのことかわからないから、「ハッパノミクス」は原タイトルをうまく活かした洒脱な邦題だ。

この本の最初で、ウェインラントは2010年にシウダー・フアレスを訪れたときのことを書いている。メキシコシティから国内便の搭乗前に、彼はセキュリティコンサルタントから追跡用のデバイスを渡される。それを右足の靴下に隠しておけば、たとえなんからの事情でホテルにチェックインできなかったとしても所在を突き止めることができるというのだ。

なぜこんなスパイのようなことをするかというと、シウダー・フアレスは路上殺人、大量虐殺、死体から切り離された生首などで地元マスコミを賑わしていたからだ。ジャーナリストが粘着テープでぐるぐる巻きにされ、車のトランクに押し込められる事件もあとを絶たなかった。――とはいえ、肝心の追跡デバイスは機能しなかったのだが。

ウェインラントを危険な取材に駆り立てたのは、どうしても知りたいことがあったからだ。それは、「アメリカ政府をはじめとして先進諸国が莫大な税金を「麻薬戦争」に注ぎ込みながらも、麻薬カルテルが生き延びたばかりか、ますます隆盛を誇っているように見えるのはなぜか」という疑問だった。「世界の納税者たちは、違法薬物との戦いに年間最大1000億ドルを支払っている。アメリカだけでも、連邦レベルでおよそ200億ドルを拠出しているし、年間170万人が麻薬がらみで逮捕され、25万人が刑務所に収監されている」というのに……。

この謎を解くためのウェインラントの武器は経済学だ。たとえアンダーグラウンドであってもドラッグが巨大ビジネスであることは間違いなく、ギャングたちの行動は経済学のさまざまな理論で解明できるはずなのだ。

暴力と犯罪を経験したことのない子どもを探すのが難しい街

じつはシウダー・フアレスには、日本人ジャーナリストの工藤律子氏がウェインラントと同じ2010年秋に取材に訪れている。『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)によれば、工藤氏もメキシコの友人たちから「本当に行くの?」「やめておいたほうが、いいと思う」と忠告されている。

現地で活動するNGOに案内を頼んだ工藤氏は、子どもたちから信じがたい話を聞くことになる。NGOが運営するコミュニティセンターで出会ったあどけない少女は、自分の体験をこう説明した。

 兄さんは、そこのコートで友だちと遊んでたんです。私は、コートの横の坂を下りた所にあるお店へ行って、帰る途中でした。コートの前の道に、白い車が2台、停まっているのが見えました。その横を通りすぎてまもなく、車から男たちが飛び出してきて、コートのなかの人に向かって、銃を撃ったんです。兄のとなりに立っていた男の子が殺され、兄の足にも2発、流れ弾が当たりました。今も、兄の足にはその痕が残っています。

淡々と語る少女に工藤氏が「怖くなかった?」と訊くと、「もう慣れたわ」というこたえが返ってきた。

そのほかにも、目の前で親が撃たれ、自分の上に血まみれで倒れこんできた経験をもつ子ども、両親が殺され保育施設に通ってこなくなった双子の姉妹、1歳の頃に父親が撃ち殺され、父の名前を訊かなくなった子どもなど、暴力と犯罪を経験したことのない子どもを探すのが難しいほどだ。

シウダー・フアレスで唯一のカウンセリングを行なっている臨床心理士によると、親を殺された5歳から8歳の子どもたちの絵は、銃や血が多く描かれ、人物の顔にしばしば目や鼻などがない。これは「自分は目撃したくない」と記憶を否定する表われだという。

父親を殺され祖母と共に暮らす10歳の男の子は、「大人になったら、殺し屋を雇って、パパの仇をとるんだ」と語った。こうして暴力の連鎖がつづいていく。なぜこんなことになるのだろうか。

1980年代まで、メキシコは地方ごとにギャング組織はあったものの互いに抗争を繰り広げるようなことはなかった。その後、治安が急速に悪化していくのだが、その理由として、「アメリカの不法移民送還によってカリフォルニアのヒスパニックたちのギャング文化が伝えられた」「カルデロン大統領の強権的な麻薬政策の失敗」「1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)によるグローバリズム」などさまざまな理由が挙げられている。どれも一理あるものの、ウェインライトによれば、シウダー・フアレスの悲劇は単純な経済学の原理で説明できる。それは稀少性だ。

麻薬カルテルの撲滅に全力を挙げると暴力が急増した

パブロ・エスコバルは、1970年代から80年代にかけてメデジン・カルテルの帝王としてコロンビアの麻薬ビジネスに君臨した。1993年にエスコバルが治安部隊に射殺されると、南米からカリブ海を通ってフロリダに至る麻薬密輸ルートは壊滅し、アメリカの「麻薬戦争」の大きな勝利とされた。だがその結果、中米とメキシコを経由して米墨国境を超える陸路の密輸ルートが開拓されていく。こうして麻薬ビジネスの拠点はコロンビアからメキシコに移り、マフィア組織が巨大化していく。

カルテルの活動を封じるため、アメリカとメキシコの当局は国境警備を強化した。とりわけ9.11同時多発テロ以降、アメリカ側の国境は厳戒態勢がとられるようになり、全長3000キロあまりの国境に正式な検問所は47カ所だけになった。そのなかでも、通過する貨物トラック数が多いのは上位数カ所だけだ。

経済学は「稀少なものは価値が高い」と教える。この原理をあてはめると、メキシコのギャング組織にとって検問所を支配できるかどうかが死活問題になった。そして、メキシコ経由でアメリカに輸入されるコカインのおよそ7割はシウダー・フアレスで国境を通過するのだ。

さらに間の悪いことに(あるいはなんらかの陰謀かもしれないが)、それまでシウダー・フアレスの麻薬取引を支配してきた組織のボスが、1997年にメキシコシティで整形手術の最中に死亡した――手術ミスをした3人の医師は数カ月後、250リットルのドラム缶からコンクリート詰め死体となって発見された。これによって組織が衰退し、利権をめぐって地元のフアレス・カルテルと新興のシナロア・カルテルの抗争が始まった。2011年には市の遺体安置所には月間300体のペースで死体が積み上がった。

この時期、メキシコ大統領はフェリペ・カルデロンで、2006年の就任以来、アメリカの捜査当局と協力しながら麻薬カルテルの撲滅に全力を挙げた。警察だけでなく軍隊まで投入し、マフィアと癒着した警察幹部や州知事すら逮捕するという不退転の姿勢で臨み、カルテルの最重要幹部37人のうち25人が逮捕・殺害、およびライバル組織に“処刑”されるという大きな戦果をあげた。

だが奇妙なことに、これによってメキシコの暴力は逆に急増した。カルデロンが大統領に就任したときのメキシコの殺人発生率は10万人あたり10件とラテンアメリカ諸国では安全な部類で、アメリカの一部の州より低かった。それが2012年には2倍になり、カルデロンはメキシコ史上もっとも不人気な大統領として官邸を去ることになる。

なぜ警察同士が殺し合うのか

2000年以降のシウダー・フアレスでは、治安を回復させようとするとますます治安が悪化するという理不尽なことが起きた。その原因は、市警察がフアレス・カルテルと癒着していると考えた大統領側が、州警察や連邦警察を投入したことだ。

ここで疑問が生じるだろう。大量の警官がいれば治安は改善するのではないか。だが問題は、メキシコの警察が何層にも分かれた別組織になっていることだった。

市警察がフアレス・カルテルと手を結んでいる以上、対抗するシナロア・カルテルに勝ち目はないはずだ。いくら武装しているからといって、警察組織と真っ向から衝突すれば叩きつぶされるのは目に見えている。だがあろうことか、シウダー・フアレスでは、シナロア・カルテルが対立する組織と癒着した警察官を次々と“処刑”しはじめたのだ。

なぜこんなことが可能になったのだろうか。それはシナロア・カルテルにも警察の後ろ盾ができたからだ。

メキシコには2000超ある地方自治体それぞれに独自の警察があり、31州すべてに独自の州警察が存在し、さらにその上に連邦警察がある。連邦警察は高度な訓練を受けた重装備のエリート部隊で、市警察とは指揮系統がまったく別だ。シナロア・カルテルはここに目をつけ、連邦警察を買収したのだ。

その結果シウダー・フアレスでは、市警察と連邦警察が互いに相手をマフィアと癒着していると非難しあうばかりか、ときに撃ち合いを繰り広げる異常な事態になった。治安維持のために利害関係の異なる警察組織を大量に投入したことによって、本来なら終わるはずの抗争が激化してしまったのだ。

こんな悲劇を引き起こさないためには、いったいどうすればよかったのだろうか。後知恵ではいろいろ考えられるが、ポイントはシウダー・フアレスの稀少性だとウェインライトはいう。それは麻薬カルテルにとって、どれほどの犠牲を払っても獲得するだけの価値がある“宝石”なのだ。

だとすれば、もっとも効果的なのはシウダー・フアレスの価値を下げることだ。そのためには国境警備を強化するのではなく、国境を開く必要がある。どこからでもアメリカに麻薬を持ち込めるようになれば、ひとつの町の支配権をめぐってマフィア同士と警察同士が殺し合うようなことはなくなるだろう。

マラス(マフィア組織)は刺青によって転職リスクを解決した

2010年代以降、シウダー・フアレスから「世界一危険な都市」の称号を奪ったのがホンジュラスのサン・ペドロ・スーラだ。

ホンジュラスはグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアに囲まれた中米の国で、90年代までは「比較的安全な国」といわれていたが、2009年の軍事クーデター以降、麻薬組織が勢力を伸ばし治安は急速に悪化した。もはや旅行者が近づくようなところではなくなったが、工藤律子氏はホンジュラスのマフィア組織マラスも取材している(『マラス 暴力に支配される少年たち』集英社文庫)。

「マラス(maras)」の語源には諸説あり、エルサルバドルで「騒ぎを起こす連中」を指す「マラ(mara)」、あるいはスペイン語で「群衆・群れ」を意味する「マラブンタ(madabunta)」に由来するという。

「マラス」のイメージは、従来の「ギャング」「マフィア」とは大きく異なる。ネットで「maras」と画像検索すればすぐにわかるが、そこに出てくるのはスキンヘッドで顔や頭部にまで刺青をした若者たちだ。こうしたタトゥー・カルチャーはアメリカのヒップホップが起源だろうが、マラスではそれがアニメやSFのレベルになってしまっているのだ。

マラスの抗争が残虐なのは、異なる組織のメンバーと出会うとたちまち殺し合いが始まるからだ。だが、彼らがこのようなことをする理由はどこにあるのだろう。

ウェインライトはこれを組織論で説明する。会社組織にとって重要なのは社員の採用・定着だが、これはギャングも同じだというのだ。

映画などで描かれた日本の「ヤクザ戦争」も同じだが、抗争を繰り返すギャングにとって重要なのは、ライバルより多くの構成員を確保することだ。組織が若いメンバーに「採用ノルマ」を課した結果、メキシコや中米では貧しい子どもたちが10代前半で半ば強制的にギャングに引きずり込まれることになった。

だがこれだけでは、まだ組織は安定しない。新入社員が3年で辞めるように、せっかく「採用」した新入りギャングも対立組織に移ってしまうかもしれない。しかしマフィアにとってそれ以上に大問題なのは、下部組織がまるごと寝返ることだ。

一般企業の場合、報酬を引き上げることで社員の転職リスクに対処しようとする。こうしたコストを嫌って、イタリアマフィア(コーサ・ノストラ)などは加入にあたって独自の儀式を行ない裏切り者を処刑してきた。これを「秘密結社方式」とすれば、マラスはこの問題にさらに効率的な解決策を見つけた。刺青によってどの組織に属しているかを一目瞭然にしてしまえば、もはや他のグループに移ることはできないのだ。

組織のシンボルを身体に彫り付けることで、マラスの労働市場にはまったく流動性がなくなった。お互いの構成員を引き抜ける可能性はゼロなので、マラスは人材をめぐって争う理由はないし、高い報酬を払う必要もない。

しかしその代償として、若者たちが大量に死ぬことになった。最初にマラスの抗争が勃発したエルサルバドルでは、世界最悪となった2009年の殺人発生率で試算すると、男性は一生のあいだにおよそ10分の1の確率で殺害されることになる。しかもこれは平均値で、貧しい男性やマラスとかかわりをもつ家族で育った男性ではその確率はずっと高くなる。

だが2012年になると、エルサルバドルの殺人発生率はいきなり3分の1に減少し、ブラジル並みに変わった。この“奇跡”を起こしたのは、サルバトルチャとバリオ18という対立する2つのギャングのリーダーが刑務所のなかで手打ちしたことだった。5万人以上の若者が抗争で殺され、刑務所がギャングで溢れるようになってようやく、彼らは競争するより協調する方が利益が大きくなることに気づいたのだ。

ホンジュラスの不幸は、ギャング同士の対立の構図が複雑でエルサルバドルのような手打ちができなかったことだ。こうしてホンジュラス第二の都市サン・ペドロ・スーラがシウダー・フアレスを抜いて「世界一危険な町」に躍り出ることになる。

外資の誘致に成功すると麻薬産業が勃興する

サン・ペドロ・スーラ郊外には、熱帯雨林の生い茂るなかに「マキラ」と呼ばれる保税工場が点在している。マキラは税優遇措置が適用された外資系企業の工場で、原料・部品、機械などを無税で輸入してさまざまなものを生産している。有名なのは下着や靴下など衣料品だが、それ以外にも自動車部品、果物の梱包、コールセンターなどがあり、これによってサン・ペドロ・スーラはホンジュラス一の工業都市になった。

いわゆるオフショアリング(一つの国を拠点としていた営利事業を別の国に移転する経済行為)だが、ここでも疑問が生まれるだろう。なぜ外資の誘致に成功して(相対的に)ゆたかになったのに治安が崩壊してしまうのか。

だがこれも経済学で説明できる。国際的な麻薬カルテルも“ビジネス”としてオフショアリングの機会を探っている。彼らにとってもっとも便利なのは、あらかじめ生産や物流のインフラが整っていて、なおかつ所得が低く警官を買収しやすい場所に進出することなのだ。そして不幸なことに、サン・ペドロ・スーラはこの条件にまさにぴったりだった。

2011年、ホンジュラス警察がはじめて大規模なコカイン処理施設を発見したが、その施設は週400キログラムのコカイン・ペーストを純粋な粉末コカインに変える生産能力をもっていた。こうした大規模な事業が地元警察の協力なしには成り立たつはずはない。

ホンジュラスの警官の月給は300ドルに満たない。これなら麻薬の輸送や殺人を見逃してもらうことはかんたんだし、抵抗する警官や兵士を地元のギャングに始末させるコストも安くすむ。

巨大な「アンダーグラウンド産業」がやってきたことで、その利権をめぐって地元ギャングの抗争が始まった。それに輪をかけて問題をこじらせたのが、麻薬カルテルがコカインで報酬を支払うようになったことだ。

コカインを受け取った地元ギャングは、それを売りさばかなければ現金を手にすることができない。こうして小売市場での縄張りをめぐって暴力が横行するようになり、ストリートギャングの報復殺人で殺人発生率が急増した。2013年にはホンジュラス人のおよそ1000人に1人が殺人で命を落とし、この殺人発生率がずっとつづくとすると、この国の平均的な男性は一生のうちになんと9分の1の確率で殺害されることになるという。

こうした事態はホンジュラスだけでなく、隣国のグアテマラでも同じだ。彼らは長年、麻薬カルテルを撲滅しようと努力してきたが、それは無駄だったばかりか、状況はますます悪化している。いまや国家より国際麻薬カルテルのほうがはるかに巨大なのだ。

犯罪に「鉄拳」で立ち向かうと公約してグアテマラ大統領になったオットー・ペレス・モリーナは、2011年にメキシコで開かれた世界経済フォーラムで聴衆に訴えた。

 20年前、私はグアテマラの軍事情報部長だった。われわれは大きな成果を上げた。大量のコカインを押収し、大麻畑を破壊した。そして多くの麻薬密売組織のボスをつかまえた。それから20年後、私は大統領に就任し、麻薬密売組織がずっと巨大化していることに気がついた。

そしてこのグアテマラ大統領は、「今日の中米では、アメリカの麻薬摂取による死亡者よりもずっと多くの人々が、麻薬の密売やそれにともなう暴力で死んでいる」として、すべての麻薬を合法化することを求めたのだ。

この動きは2015年にペレス・モリーナが汚職の罪で告発され、大統領を辞職したことで停滞したが、コスタリカがマリファナを非犯罪化し、国際社会に薬物対策の見直しを求めたように、コカインやヘロイン、覚せい剤を含むすべての麻薬を合法化・非犯罪化すべきだとの主張は右派・左派を問わず中南米で支持を広げている。

なぜならそれが、「麻薬戦争」を終わらせる唯一の方法だからだ。すくなくとも、麻薬問題を「経済学的に」理解しようと世界じゅうを取材したウェインライトはそう結論している。

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