移民問題を解決するには福祉を廃止しなければならない

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今回は2021年8月12日公開の「欧米や日本のような「リベラル能力資本主義」では 「上級国民(エリート)」と「下級国民」に社会は分断される」です(一部改変)。

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ブランコ・ミラノヴィッチは元世界銀行主任エコノミストで、世界の格差を検証し、グローバル化が中国やインドなどで膨大な中間層を生み出し、産業革命以降はじめて「北(欧米)」と「南(旧植民地国)」の格差が縮小したことを発見した。しかしその一方で、最貧国の貧困層と先進国の中間層は所得が伸びず、先進国の上位1%の富裕層の所得だけが大きく伸びており、それをグラフにすると象が鼻を高く上げているように見える「エレファントカーブ」を提唱したことで知られる。

参考:「移民を二級市民にせよ」というリベラルな経済学者の提案

『資本主義だけが残った 世界を制するシステムの未来』( 西川美樹訳、みすず書房)は、そのミラノヴィッチの最新作で、現代世界には「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義(権威主義的資本主義)」しかないという大胆な主張をしている。

私は『無理ゲー社会』(小学館新書)で、誰もが「自分らしく生きたい」と願うリベラルな社会では、人種や民族、性別、国籍、宗教、身分、性的指向などにかかわらずすべてのひとを公平に扱うメリトクラシー(知識社会化)が徹底され、この巨大な潮流に適応できる「上級国民(エリート)」と、適応に失敗して社会からも性愛からも排除されてしまう「下級国民」に社会は分断されると述べた。

資産に大きなレバレッジをかけられる資本主義は「夢をかなえる」のに最適な経済制度で、だからこそひとびとを魅了し、またたくまに世界を席巻した。視点は異なるものの結論はミラノヴィッチと同じで、わたしたちには他の選択肢はないのだ。原題は“Capitalism, Alone; The Future of the System That Rules the World(資本主義だけ 世界を支配するシステムの未来)”。

現代の大富豪は「大きな金融資本」と「大きな人的資本」を両方もっている

ミラノヴィッチは欧米や日本など先進諸国を「リベラル能力資本主義」と規定し、いくつかの点で「古典的資本主義」とは異なるという。ここでの古典的資本主義は「1914年(第一次世界大戦)以前のイギリス」に代表され、マルクスが描いたように資本家と労働者が分断されると同時に、ヨーロッパ諸国によって世界は植民地化されていた。

これとは別に、「第二次世界大戦後のアメリカとヨーロッパ」の福祉国家化を「社会民主主義的資本主義」とするが、これは「リベラル能力資本主義」の前段階だ。グローバル化とテクノロジーの発達、富の拡大によって福祉国家は維持不可能になり、必然的にリベラル能力資本主義へと「進化」していった。

古典的資本主義とリベラル能力資本主義の大きなちがいは、資本所得と労働所得の分布だ。

古典的資本主義では、資本家は働かずに資本(土地や植民地のプランテーション)から利益を得て、それを「顕示的消費」にあてていた。これが「有閑階級」で、彼ら/彼女たちにとって労働は「下賤な者」がやることだった。その一方で、労働者は日々の糧を得るために身を粉にして働き、資本をまったくもっていなかった(資本から疎外されていた)。

ところがリベラル能力資本主義では、「資本豊富な人は金持ちだけでなく、労働所得から見ても相対的に裕福である」とミラノヴィッチはいう。そればかりか、上位1%(あるいは上位0.1%といったさらに選り抜きの集団)の労働所得の割合が伸びている。ジェフ・ベゾスやイーロン・マスクを思い浮かべればわかるように、現代の大富豪は「大きな金融資本」と「大きな人的資本」を両方もっているのだ。

その一方で、先進国では労働者も一定の資本(その多くはマイホーム)を所有しているし、老後に備えて、(主に国家を通じて)年金の原資を株式や債券などで積み立てている。マルクス的な「総労働と総資本の対立」という図式はもはやどこにもない。

「格差社会」はよいものかもしれない

第一次世界大戦前と現代のもうひとつのちがいは「同類婚」の顕著な増加だ。前近代は身分によって結婚相手が決まっていたが、ここでの「同類」は学歴の同質性で、欧米だけでなく世界じゅうで高学歴(高所得者)同士、低学歴(低所得者)同士の結婚が増えている。これによって「所得と富の世代間継承」が増加し、「相対的移動性(生まれたときの社会・経済的地位が成長とともに変わること)」が低下する。

資本は働いて得た収入を蓄積・運用したものだから、当然のことながら、労働所得の格差より資本の格差の方が大きくなる。そこでミラノヴィッチは、資本所得のジニ係数を1975年から2015年にわたってアメリカ、イギリス、ドイツ、ノルウェーで比較した。

ジニ係数は経済格差の指標で、0が完全平等(すべての富が平等に分配される)、1が完全不平等(1人の独裁者がすべての富を独占する)になる。

「格差社会」といわれるアメリカとイギリスでは、1975年に資本所得のジニ係数はすでに0.9に達していた。驚くのは、より「平等」とされるドイツで0.85から0.9、ノルウェーで0.8から0.9のあいだで、1個人もしくは1世帯がすべての資本所得を独占する最大の不平等に近づいていたことだ。それも、この格差は40年前からほぼ同じ水準で推移している。

ここからわかるのは、先進国は1970年代からすでに「格差社会」だったことだ。近年、経済格差がさかんに議論されるようになったのは、グローバル化による「富の爆発」で資産10兆円を超える超大富豪が何人も現われ、その実態がようやく注目を集めるようになったからだろう。「資本所得が極度に集中し、もっぱら金持ちがそれを受領する」というのは「リベラル能力資本主義の構造的な特徴」なのだ。

だがここで留意しなければならないのは、こうした事態を引き起こしたなんらかの「悪」が存在するわけではないことだ。ミラノヴィッチはこのように述べる。

働いて金持ちになれるなら、それはそれでよいことではないか。労働と所有権の両方から高い所得を得るほうが、後者だけから高い所得を得るよりましではないか。それに同類婚はたしかに不平等を拡大させはするが、それはそれで好ましいことではないだろうか。女性が労働力にもっとおおいに参加し、賃金の支払いを伴う労働に価値を置く社会規範を反映し、自分によく似たパートナーを選ぶことを意味するのだから。一方で、現代の資本主義の特徴には不平等を強化する作用を持つものがあることと、その反面、そうした特徴をじつは大半の人が社会的に好ましいと思っているかもしれない(それが不平等に及ぼす作用は脇に置いて)というかなりアンビバレントな状況を心に留めておく必要がある。

「国が裕福になればなるほど、「自然と」もっと不平等になる傾向」をミラノヴィッチは「富の呪い」と呼ぶが、わたしたちは自ら望んで「呪い」にかけられているのだ。

腐敗はそんなに悪いことなのか

リベラル能力資本主義と対立する「政治的資本主義」は中国に代表されるが、ミラノヴィッチはこれを「後進の被植民地国が封建制を廃止し、経済的政治的独立を回復し、固有の資本主義を築くことを可能にする社会システム」と定義する。東ヨーロッパなどもともとゆたかな国で社会主義(ソ連による遠隔支配)が失敗し、中国やベトナムのような後進国で成功したのは、共産主義とナショナリズムの一体化によって封建主義から土着資本主義への転換ができたからだというのだ。「植民地化された第三世界における共産主義革命は、西洋で国内のブルジョワジーが果たしたのと同じ役割を果たした」という主張は、大胆だが説得力がある。

中国を見ればわかるように、政治的資本主義の特徴は「きわめて効率的なテクノクラート」と「法の支配の欠如」だ。それによって、国家は国の利害に基づき、必要とあれば民間部門を好きなように抑制し、高速道路や高速鉄道などのインフラを民主国家ではあり得ないようなスピードで建設できる。「法を超越した国家権力」が中国の驚異的な経済成長を支えたことは間違いない。

「共産主義」や「社会主義」の衣をかぶってはいるものの、政治的資本主義もリベラル能力資本主義と同様に、社会の経済格差を拡大させる。入手できるデータからの試算では、2010年代の中国の不平等水準はアメリカの不平等を顕著に上回り、ラテンアメリカで見られる水準に近づいていた。「1980年代半ばから2013年にかけて、アメリカの可処分所得の不平等はジニ係数で約4ポイント上昇したが(ジニ係数約41に達した)、ほぼ同時期に中国の不平等は20ポイント近く上昇していた」という。

政治的資本主義のもうひとつの大きな問題は「腐敗」が避けられないことだ。テクノクラートに大きな権限が集中し、「法の支配」が無力化されているのだから、これで潔癖でいるのは不可能だろう(清貧を貫くと「裏切り者」として権力者集団から排除される)。

だがここでミラノヴィッチは、「腐敗はそんなに悪いことなのか?」と問う。

多くの社会が、控えめな腐敗からかなりの腐敗までと共存し、ともに繁栄してきたし、こうした腐敗は社会全体に浸透し、多くの人の暮らしを、いっさい「腐敗のない」システムよりも快適なものにしてきた。それどころか、たがいに便宜をはかるシステムのもとで動くのに慣れた多くの人びとは、それまでとまったく異なる「クリーン」な制度に適応するのにかえって苦労する。

また、中国の分散した「縁故資本主義」は地方間の競争をうながし、シュンペーターのいう創造的破壊の役割を果たしているとの主張もある。

グローバル化する世界では、モノ、情報、人間の順でアンバンドリングされていく(連結が解かれる)。

モノが「こちら」で生産され「あちら」で消費されるのが貿易だ。次いで、生産と管理の調整は「こちら」で行なわれるが、実際のモノの生産は「あちら」で行なわれるようになった。これがグローバル・バリュー・チェーン(オフショアリング)で、中国はこの大きな流れに乗ったことで急速な経済成長を実現した。次にやってくるのは人間のアンバンドリングで、労働者の物理的存在がリモート操作に置き換わり、「移動規制が完全に解かれた――ただし実際の人間の移動はいっさい伴わない――世界」がやってくるという。

中国のような政治的資本主義がつねにリベラル能力資本主義より優位にあるかというと、そうともいえない。政治的資本主義は、高い成長率や効率的な行政によって自らの正統性を証明しつづけなくてはならないのだ。これはとくに、民主的な選挙によって権力の正統性を確立できない中国にあてはまるだろうし、中国やベトナムが強力な社会統制によってコロナの初期に感染抑制に成功したことも説明する。ひとびとは「有能さ」が実感できるかぎり、政府を支持するのだ。

つねに勝ちつづけなくてはならないのはきわめて困難なゲームに思えるが、「社会ダーウィン主義からすれば強みとみなすこともできる」とミラノヴィッチはいう。

福祉国家ほどスキルも野心も低い移民をひきつける

リベラル能力資本主義では、「きわめて成功をおさめているエリート層」と、「グローバリゼーションの恩恵をほとんど受けていないと感じて憤慨し、それが正しいかどうかは別として、グローバルな貿易と移民を自分たちの不幸の元凶とみなす大勢の人びと」のあいだの格差が拡大し、それが福祉国家を根底から蝕んでいく。このことをミラノヴィッチは、保険の「逆選択」で説明する。

リスクが異なるのに同じ保険料を請求されると、リスクが低いひとは保険料が割高だと反発して保険から抜け、リスクが高いひとは保険料が割安だと感じて加入したいと思う。その結果、ハイリスクの者だけが集まってきてしまうのが「逆選択」で、これによって保険制度は破綻してしまう。

同じ原理は、リスクの異なる集団で構成される国家の福祉制度にも適用できる。

少数派の人種集団が多数派の人種集団よりも失業率が高く、健康状態が悪く、犯罪に手を染めたり収監される割合が高ければ、多数派の人種集団は「平等」な社会制度を割高だと思い、民間の医療プランや私立教育、個人年金などを利用するようになるだろう。

少数派の移民集団が多数派の市民と同化せず、失業保険や生活保護のような福祉給付を不当な割合で受け取っていると思えば、市民は児童手当の減額を求めたり、移民を排斥して自分たちの既得権を守ろうとするだろう。前者はアメリカで、後者はヨーロッパで起きていることだ。

さらなる問題は、グローバリゼーションの時代には、高度に発達した福祉国家ほど、スキルも野心も低い移民をひきつけることだ。

国を捨てなければならないやむを得ない事情があり、選択肢として、福祉が充実しているが社会的移動性の低い国(いったん社会階層の底辺に入ってしまうとそこからなかなか上昇できない)と、福祉は貧弱だが社会的移動性の高い国(社会階層を上がっていきやすい)があったとしたら、どちらを選ぶだろうか。

あなたが医師や弁護士などの資格をもっているか、自分の能力に高い自信を抱いているのなら、格差が大きくても「成り上がり」が可能な国への移住に魅力を感じるだろう。その一方で、自分のスキルや能力に自信がなければ、福祉によって最低限の生活が保障される国が魅力的に見えるのではないか。

これは机上の空論ではなく、「何かをつくりあげる人びと(おそらくスキルが高いか野心があると想定される)は、高い課税率から低い課税率の司法域、すなわち福祉の発達が低い場所に移住しがちである」「アメリカよりも経済的に平等な国から来た移民は、スキルが高い傾向にあった」などの研究がある。この「不都合な事実」は、アフリカや中東の貧しいひとたちがヨーロッパの福祉国家を目指し、きわめて高い知能をもつ者がシリコンバレーに集まることをうまく説明するだろう。

逆にいうと、福祉が充実して所得移動性の低い国(日本はその典型だ)は、「最も野心の低い移民を引きよせ、彼らがいったん底辺層を築くと、その子どもの上位への移動はおそらく限られたものになる」という「破滅的なフィードバック・ループ」にはまるおそれがある。

先進国で左派が右傾化する理由

福祉国家は「二種類の逆選択にさらされ、それらはたがいを強化し合っている」とミラノヴィッチいう。

  1. 国内では、貧乏人と金持ちの二極化が民間による社会サービスの提供を促し、政府の提供するサービスからの金持ちの撤退を招いている。
  2. 国際的には、スキルの低い移民を呼び込むことで逆選択が働き、それが自国民の離脱を招いている。

だったらどうすればいいのか。これについてのミラノヴィッチの提案はきわめて過激だ。

先進国(福祉国家)には大きな市民権プレミアムが、貧困国には逆に大きな市民権ペナルティがある。移民問題とは、移住によってこのプレミアム格差を埋めようとすることへの反発なのだから、これに対処するもっとも現実的な方法は、市民権に格差をつけることだ。

具体的には、「家族を伴わず、たとえば4、5年といった一定期間しか滞在を許されず、一人の雇用主のもとでしか働くことを許されない循環移民システム」で、「仕事に関連するすべての権利は国内の労働者と同じだが(賃金、事故や健康保険、組合加入など)、移民はそのほかの市民権をいっさい持たない。仕事に関連しない社会給付を拒否され、投票権もない」システムが提案される。それは湾岸協力会議諸国やシンガポール、あるいはイギリスやアメリカのある種のビザと似たものになるだろう。

「移民の性質を根本的に変化させ、労働の一時的な移動ときわめて似たものにして、市民権とすべての福祉給付への無条件のアクセスにつながらないようにする」この制度は、移民を「差別」し、「二級市民」をつくりだすだろう。これに対してリベラルは反発するだろうが、その場合は、原理的に、次の2つしか解決策はない。

ひとつは先進国の富を大規模に貧困国に再分配し、「市民権格差」をなくすこと。中南米の国がアメリカと、アフリカの国がヨーロッパと同じゆたかさになれば、もはや移民する理由はなくなる。だがこれはたんなる絵空事で、とうてい実現可能とは思われない。

もうひとつは、充実した福祉が低スキルの移民を引きつけるのだから、先進国は福祉を大幅に縮小(あるいは全廃)し、社会的移動性を高めればいい。こうすれば高スキルの者以外、移民にメリットを感じなくなるだろう。

グローバル化が進む時代には、原理的に考えれば、リベラルは「福祉の廃止」を主張しなければならない。なぜなら、「長い目で見れば福祉国家の存在は、労働の自由な移動を含む完全なグローバリゼーションとは相容れないもの」だから。

だが現実には、先進国は福祉を維持しつつ移民問題に対処しようとする。その結果、フランス、オーストリア、オランダ、スウェーデンなどの「リベラルな福祉国家」では、一部の左派政党が移民排斥を唱える「極右」政党に接近するという奇妙な事態になっている。

とはいえ、考えてみればこれはとりたてて不思議なことではない。左派政党が支持基盤でもある「(国内の)忘れられたひとびと」を守ろうとすれば、たとえ途上国の経済成長に貢献するものであっても、自国の雇用を減らすような対外投資(資本の流出)を拒否するだろうし、スキルのない自国の労働者と競合する移民の流入を阻止しようとするのは当然なのだ。このようにして「福祉国家の創設に重要な役割を果たしたこうした左派政党は、ナショナリストならびに反インターナショナルであるという一見逆説的な立場」をとるようになったのだ。

とはいえ左翼は、極右とはちがって「すでに入り込めた移民」の権利を擁護しつつ、移民のさらなる流入に反対する。これが福祉国家における「左翼」と「右翼」の(ささやかな)ちがいになるのだろう。

禁・無断転載

「移民を二級市民にせよ」というリベラルな経済学者の提案

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2017年10月20日公開の「欧州の排外主義に対する経済学的な処方箋は 「移民への課税」と「二級市民化」だ」です(一部改変)。

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イギリスのEU離脱、トランプ大統領誕生、ヨーロッパで台頭する極右……などを論ずるときに、その背景にある格差の拡大に注目が集まるようになった。セルビア系アメリカ人の経済学者で、世界銀行の主任エコノミストだったブランコ・ミラノヴィッチ(現在はルクセンブルク所得研究センター上級研究員)はグローバルな格差問題の専門家で、「エレファントカーブ」を提唱したことで知られている。

エレファントカーブとは、所得分布を横軸、国民1人あたりの所得の伸びを縦軸にして、1988~2008年の20年間で実質所得がどれだけ伸びたかを示した図だ。

このグラフでは、アフリカなどもっとも貧しいひとたちの所得はまったく増えておらず、これが象の尻尾にあたる。だがそこから実質所得が急速に伸びはじめ、象の巨大な胴体を形成する。これは中国やインドの最貧困のひとたちがこの20年でぞくぞくと中間層の仲間入りをしたことを示している。

だがグラフはそこからまた急速に下がり、グローバルな所得分布で上位30~20%のひとたちの実質所得がほとんど伸びていないことがわかる。象の頭にあたるこの部分にいるのはゆたかな先進国の中間層だ。そして最後に、上位1%の富裕層の実質所得が大きく伸びて、象が鼻を高くもちあげているように見える。

この印象的なグラフで、冷静終焉以降の急速なグローバリゼーションがどのような効果をもたらしたかが“見える化”された。それは以下の4点にまとめられる。

  1. 世界のもっとも貧しいひとたちは、あいかわらず貧しい。
  2. 新興国(発展途上国)の経済発展によって分厚い中間層が形成された。
  3. その反動で、グローバル化に適応できない先進国の中間層が没落した。
  4. 先進国を中心に(超)富裕層の富が大きく増えた。

ミラノヴィッチは、『大不平等 エレファントカーブが予測する未来』 (立木勝訳、みすず書房)でグローバルな不平等について論じている。そこからは、移民をめぐる昨今の欧米諸国の混乱を受けてリベラルな知識人(経済学者)の考え方が大きく変わってきていることがうかがえる。興味深い議論なので、備忘録も兼ねて、ミラノヴィッチの主張をまとめておきたい。

「グローバリズムが格差を拡大した」はフェイクニュース

論者によって大きく意見が分かれるグローバリゼーションへの評価だが、ミラノヴィチは、先進国で格差が拡大しているのは事実だとしたうえで、世界人口の大きな部分を占める新興国で広範な経済成長が実現したことで、全体としてはグローバルな不平等の水準が下がっているという。このことはデータでも確かめられていて、グローバルなジニ係数は1988年の72.2から2008年の70.5、さらに2011年には約67まで低下している。その結果、産業革命以降でははじめてグローバルな不平等は拡大を停止した。

「グローバリズムが格差を拡大した」と主張するひとが日本にもたくさんいるが、これはフェイクニュースの類だ。実際には、グローバリズムによって世界の経済格差は縮小し、平均的に見れば、世界のひとびとは1980年代よりもはるかにゆたかで幸福になった。まずはこの単純な事実を押さえておこう。

それにもかかわらず、ゆたかな先進国とそれ以外の国で、いまだに深刻な不平等が存在していることはまちがいない。その原因が「グローバリズム」でないとしたら、格差の元凶はいったいなんだろう。

それを知るために、ミラノヴィチは19世紀に注目する。産業革命という“ビッグバン”によって、この時期からグローバルな格差が拡大を始めたのだ。

1820年にはイギリスの1人あたりGDPは2000ドルだったが、100年後の第一次世界大戦前夜には5000ドルちかくまで増加した。一方、中国の1人あたりGDPは同時期に600ドルから550ドルへと減少している(金額はすべて1990年国際ドル)。こうした傾向はそれ以外でも顕著で、19世紀を通じて西ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリアの平均所得が着実に増加したのに対し、インドや中国など欧米以外の地域は停滞ないし没落した。

グローバルな不平等を考えるとき、それが同じ国に暮らす個人間(貧しい者とゆたかな者)の亀裂なのか、別々の国に暮らす個人間の亀裂なのかが重要になる。前者は「階級に基づく不平等」、後者は「場所に基づく不平等」だ。

1820年には、場所の要素はほぼ無視できた。グローバルな不平等のうち、各国間の差によるものは20%にすぎず、大半(80%)は各国内の差から生じていた。ゆたかになるために重要なのは「階級」で、ヨーロッパでもロシア、中国、インドでも貧しい者とゆたかな者がいた。

ところがその後の100年でこの関係は逆転し、第一次大戦前にはグローバルな不平等の80%はどこで生まれたか(移民の場合ならどこで暮らしているか)で決まり、社会階級で決まるのは20%になった。

その理由はヨーロッパによるアフリカ、アジアの植民地化で、少数のヨーロッパ人が現地人の数百倍もの所得を得るようになった。欧米先進国では、労働者でも植民地の人びとの大半より高い生活水準を享受していた。「良家」に生まれること(階級)よりもゆたかな国に生まれること(場所)のほうがずっと重要になったのだ。

各国間の不平等のギャップが最高点に達したのは1970年頃で、1人あたりGDPではアメリカ人は中国人の20倍もゆたかだった。だが2010年にはこの比率は4倍未満に縮まって1870年と同じになっている。

「日本」には低スキルの移民しか集まってこない?

ミラノヴィチは、正しい場所(国)に生まれた者には「市民権プレミアム」が与えられ、悪い場所(国)に生まれた者には「市民権ペナルティ」がつくという。市民権プレミアムの大きさは、世界の最貧国であるコンゴを基準として所得の大きさで計測される。

それによれば、(コンゴに対して)アメリカの平均所得は9200%、スウェーデンは7100%、ブラジルは1300%、イエメンは300%だ(日本の1人あたりGDPはアメリカの約7割なので市民権プレミアムは6400%程度)。

このことは、コンゴではなくたまたまアメリカで生まれたというだけで、その人の所得が90倍以上になることを示している。グローバルな不平等の3分の2は、国というひとつの変数だけで(統計学的には)説明できてしまう。

次にミラノヴィチは、それぞれの国のゆたかな10%と貧しい10%に注目して市民権プレミアムを計測した。

それによると、スウェーデンの下位10%の市民権プレミアムは1万400%(平均は7100%)だがブラジルは900%(平均は1300%)だ。一方、スウェーデンの所得分布の上位10%の市民権プレミアムが(貧困層の1万400%から)4600%に縮小するのに対して、ブラジルでは(900%から)1700%にまで拡大している。

なぜこのようなことになるかというと、それぞれの国で経済格差の実態が異なるからだ。

スウェーデンのような福祉国家は富裕層と貧困層の格差がそれほど大きくないが、コンゴのような最貧国は格差が大きい。その結果、スウェーデンの貧困層はコンゴの貧困層より100倍もゆたかだが、富裕層は47倍しかゆたかではない。一方、中進国で格差の大きいブラジルの富裕層はコンゴの富裕層の18倍もゆたかなのに、貧困層は10倍しかゆたかではない。

グローバルな経済格差の歪みは、平等な福祉国家にとってやっかいな問題を引き起こす。

スウェーデンとアメリカの平均所得が同じだとすれば、(所得分布が相手国の底辺部分に入る)貧しい移民希望者はアメリカよりもスウェーデンを目指すべきだ。なぜならスウェーデンの貧しいひとたちの方が、(平均的には)アメリカの貧困層よりずっと大きな市民権プレミアムをもっているのだから。

しかしこの移民希望者が相手国の所得分布の上位部分に入れる見込みがあるなら、貧富の格差の大きなアメリカを目指すべきだということになる。アメリカの富裕層の市民権プレミアムは、スウェーデンの富裕層よりずっと大きのだから。

国ごとに市民権プレミアムの分布が異なっていると、発達した社会保障制度のある福祉国家は所得分布の底辺部分に入る低スキルの移民を引きつけ、教育程度が高く能力に自信のある移民は格差の大きな国を目指そうとする。

もちろん、移民希望者が移住先を決めるのは経済格差だけではない。ほかの条件が同じなら、不平等でも流動性が高い社会、すなわち最底辺から中流へと階段を上っていきやすい国の方が魅力的あることはまちがいない。

この議論は私たちにとっても示唆的だ。平等性が高く、年金や健康保険などの社会保障制度が整い、社会的流動性が低い国に集まってくるのは低スキルの移民だけだとすると、この条件をもっとも満たす国はいうまでもなく日本だからだ。日本は移民に対して「鎖国」していると批判されるが、高いスキルをもつ優秀な移民に見捨てられている以上、この政策は必然なのかもしれない。

移民を完全に自由化すると世界はアメリカのようになる

グローバルな不平等は是正すべきだと(一般論では)誰もが思うだろう。だがそれはどのようにして実現できるのか。

ひとつは、今後も新興国の経済成長率が先進国を上回ることだ。そうなればいずれは、中国やインドの1人あたりGDPが欧米や日本に並ぶようになるだろう。実際、1970年代まで世界の最貧国だった韓国の1人あたりGDPはいまや日本とほぼ同じになった。

これは平等を求めるひとたちにとってよい知らせだが、すべての国が高い経済成長を実現できるわけではない。だとしたら、アフリカや中東などの「破綻国家」に生まれた貧困層は、どのようにして不平等を克服すればいいのだろうか。

その方法が「移民」しかないことは明らかだ。

現在、世界の移民(現在居住している国で生まれていない者と定義する)の総数は推定約2億3000万人で、世界人口の3%強にあたる。移民の総数は1990年から2000年までは年間平均1.2%の割合で増加し、2000年以降は年間2.2%に加速している(統計があるのは2013年まで)。この2.2%という数字は、世界人口の増加率の約2倍だ。

ギャラップ社が2008年から実施している調査によれば、別の国への移住を望んでいる者が約7億人(世界人口の10%、成人の13%)いるという。実際の移民総数は世界人口の3%だが、潜在的な総数は16%ということになる。

このことをよりわかりやすくイメージしてみよう。

世界人口に占める移民人口の割合は、現時点ではフィンランドとほぼ同じだ。もし潜在移民がすべて移住したら、世界はむしろアメリカと似た状況になる。移民を自由化すれば世界の姿が劇的に変わることがわかるだろう。ほとんどの国は、このような変化に耐えられないにちがいない。

だからといって、たまたま貧しい国に生まれたひとだけが「市民権ペナルティ」を払う現状が正義にもとることも否定できない。これが現代のリベラルな社会が抱えた深刻な「道徳問題」だ。

ミラノヴィチは、移民政策の矛盾として以下の4つを挙げる。

  1.  各国の市民には自国を離れる権利があるのに、ふさわしいと思う場所へ移っていく権利はない。
  2.  グローバル経済では、生産、商品、技術、アイデアといったさまざまな要素の自由な移動が奨励されながら、労働力の移動の権利だけが厳しく制限されている。
  3.  経済学における所得最大化の原理では、各人には自分の労働力と資本をどこで、どのように使うかを自由に決める権利があることが前提となっているのに、その原理は個々の国民国家のみに適用されて、グローバルには適用されていない。
  4.  自国内で人間開発を行なう開発概念は広く認められているのに、居住する国家とは無関係に、個人の立場の向上に力点を置く普遍的な開発概念は認められていない。

ニューヨーカーとアマゾンの部族にあいだには所得や生活水準に巨大なギャップがあるが、両者の生活を比較して「格差」を論じても意味はない。その一方で、同じ文明圏に属し互いに接触のある者どうしに経済格差があれば、たとえそれが「巨大なグローバルギャップ」より小さなものであっても、政治的な緊張関係は悪化する。

グローバル化というのは、身分や国籍、宗教、文化の壁を取り払って世界じゅうのひとびとがより近づくことでもある。これはたしかに素晴らしいことだが、貧困層が(下層)中流層になって格差が縮小すると両者の「接触」が増し、政治的な緊張が逆に高まることになる。これこそが、アメリカの人種問題やヨーロッパの移民問題で起きていることなのだ。

福祉国家には国民の民族的・文化的な均質性が必要

ミラノヴィチは、移民はグローバリゼーションの一部で、人間の移動は、経済学的には商品や技術の移動、あるいは資本の移動と変わらないと述べる。

問題は、ヨーロッパ大陸が長いあいだ移民を送り出す側で、アメリカやカナダ、オーストラリアのように移民の流入に対処した経験がないことだ。そのうえヨーロッパの国民国家は、歴史的に見て民族が均質だった(あるいはフランスやドイツのように、中央政府の政策を通じて均質化された)。

文化的・規範的に均質な社会に宗教や文化、人生観が異なる移民が流入すると、生え抜きの国民と移民とのあいだに交流は生まれず、「民族ゲットー」が形成され、この「隔離」は世代を経ても変わらない。これがヨーロッパを苦しめる問題だが、その構図はアメリカの人種問題とよく似ている。

近年、経済学者のなかに、「福祉国家が成立するには、国民が民族的・文化的に均質だという前提が必要だ」との主張が強まっている。均質性はひとびとのあいだの親近感を増すだけでなく、ひとびとが(自分と同様に)社会規範を遵守していると思わせてくれる。年金を受け取るために年齢をごまかしたり、どこも悪くないのに病気休暇を取ったりする者がいなければ、福祉国家は持続していける。逆に、そういう基準を守らない者がいたら、福祉国家はすこしずつ崩れていく。

アメリカでは奴隷制が社会に深く組み込まれていたため、もともと白人と黒人のあいだに親近感が成立していなかった。これがヨーロッパが福祉社会化し、アメリカがネオリベ的な社会になっていった理由だ。

ところがそのヨーロッパで、移民が社会の大きな割合を占めたことで親近感の喪失が進み、それが福祉社会を動揺させて「極右」による排外主義が台頭している。このやっかいな事態にどう対処すればいいのだろうか。

特効薬はないとしても、経済学的な処方箋を提示することはできるとミラノヴィチはいう。それは、「移民への課税」と「二級市民化」だ。

標準的な経済学では、自由貿易は特定の労働者集団に悪影響があるとしても、ぜんたいとしてはひとびとの厚生(幸福度)を高めるとする。だとすれば貿易を禁止するのではなく、自由貿易を許容したうえで、一部の労働者が被るネガティブな影響を富の移転によって緩和すればいい。

ミラノヴィチは、この枠組みは移民問題でも同じだという。まず移民を認め、そのうえで負の影響(移民の流入で地元労働者の賃金が下がるなど)があったら、それを補償すればいい。その財源は、移民によって利益を得る当事者、すなわち移民自身が支払うことになる。

リベラルな社会では、国籍による差別(移民規制)は許容されるものの、ひとたび移民を受け入れれば(市民権を取得すれば)国民国家内でのあらゆる差別は許されない。だがこの極端な硬直性が、問題の解決を妨げているのではないだろうか。

移民希望者は、たとえ差別的な扱いをされても、母国にいるよりも経済状況が改善すると考えるからこそ移民しようとする。こうした移動によってグローバルな貧困が削減されるのだから、これは世界全体にとってもよいことだ。そう考えれば、移民を促進するために受け入れ国で何段階かの「市民権」を法的に導入し、移民を「合法的に」差別することも認められるのではないか。

具体的には、移民によって送り出し国と受け入れ国の両方で特定階層の所得が下がる可能性があるのだから、移民にそれを補償する税を要求する。あるいは、移民に対して一定の年齢になるまで定期的に、定められた年数を出身国で働くよう義務づけたり、一時雇用に限定して受け入れたりする(これは現実にスイスが実施している)。

こうした限定的な開放政策によって、移民は職場で、また市民権に関して差別に直面するだろうが、それでも彼らにとってはゆたかな国に移民したほうが母国にいるより有利だし、グローバルな格差の解消にとっても有益なのだ。

これは、国家の開放性と市民権のあいだにきびしいトレードオフがあるということでもある。

すべての移民希望者に一般市民と同じ権利を付与しようとすれば、排外主義と「極右」の台頭を招くことになる。開放的な移民政策をとろうとすれば、市民権を一定程度制限するほかはない。

グローバルな不平等が理不尽だと思うなら、移民の市民権を制限するという「より小さな理不尽」を受け入れるべきだ。――これが現代の“リベラル”な経済学者の提言だが、リベラルを自称するひとたちはどう考えるだろうか。

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ウクライナ紛争をどのように終わらせるのか 週刊プレイボーイ連載(565)

G7広島サミットはウクライナのゼレンスキー大統領が急遽参加し、世界の注目を集めました。その意味では成功といえるでしょうが、ウクライナの置かれた状況を考えれば、ゼレンスキーがたんなる儀礼のために訪日したわけではないとわかります。

ロシアがウクライナに進行してから、すでに1年が過ぎました。当初は1~2週間でキエフが陥落し、ロシアが傀儡政権を立てると予測されていたことを思えば、ウクライナの抵抗には驚嘆すべきものがありますが、それも欧米の支援があってこそです。ただし、この戦争をどのように終わらせるかについては、まったく目途がたっていません。

これまで明らかになったことは、ロシアにはウクライナ全土を占領するほどの軍事力はないものの、欧米による経済制裁の効果は限定的で、戦争の長期化にも耐えられることです。それに対してヨーロッパは、ロシアからの天然ガス供給が滞ったことで光熱費が高騰し、物価高に抗議するデモで政権が動揺しています。中国の景気回復で今年の冬にさらなるエネルギー資源の逼迫が起これば、もともとプーチンに親近感を抱いていた欧州のポピュリストは、ウクライナ支援はもう十分だといいだすかもしれません。

バイデン政権はロシアと中国を“仮想敵”として国内をまとめようとしているため、ウクライナへの武器供与を継続するでしょうが、来年秋の大統領選の結果如何ではそれもどうなるかわかりません。トランプが復活するようなことがあれば、「アメリカファースト」を掲げてウクライナ支援から手を引くかもしれないからです。

さらに、頼みの綱のバイデン政権も、ウクライナがロシア本土を攻撃することはもちろん、クリミアやドンバスを奪還することまで望んでいるとは思えません。ロシアが核兵器を保有しているからで、追い詰められたプーチンが戦術核を使用して形勢を逆転しようと試みれば、なんらかの対処をせざるを得なくなります。とはいえ、ロシアへの軍事的な懲罰は、世界最終戦争(人類の滅亡)の引き金になる可能性があり、選択肢は限られています。

そのように考えれば、現状のまま戦況を膠着状態にして、ロシアの実効支配を事実上容認するかたちで休戦にもちこむしかなさそうです。いわば朝鮮戦争方式で、両国が名目上は戦争を継続したまま、現状を国境として棲み分けるのです。

もちろんこれでは、一方的に侵略されたウクライナは納得できないでしょうが、休戦と同時に欧米が大規模な経済援助を行なうことを約束し、10年後、あるいは20年後には西欧並みのゆたかさが手に入るという希望をひとびとがもてるようにします。これは荒唐無稽な話ではなく、いまだに世界の最貧国に沈んだままの北朝鮮に対して、韓国の生活水準は先進国に並びました。ウクライナがゆたかになればなるほど、ロシアに実効支配された地域の住民たちは、ウクライナへの併合を求めるようになるでしょう。

これがもっとも現実的なプランに思えますが、それを実現するためにも、ウクライナはあと数年は欧米の軍事支援をつなぎとめる必要があります。ゼレンスキーはこれからも、世界を駆け巡ってウクライナの苦境をアピールし続けなくてはならないでしょう。

『週刊プレイボーイ』2023年6月5日発売号 禁・無断転載