タイパ社会の政治はフォロワー数で決まる? 週刊プレイボーイ連載(558)

タイパはタイム・パフォーマンスの略で、映画を1.5倍速で観る若者が増えているとして話題になりました。ネット上のコンテンツがあまりに増えすぎて、処理できなくなったからだとされます。

タイパの背景には、時間資源の制約があります。イーロン・マスクやジェフ・ベゾスのような大富豪でも、わたしたちと同様に、1日は24時間しかありません。お金は(理屈のうえでは)無限に増やすことができますが、時間をお金で買うことはできないのです。

社会がゆたかになるにつれて、ひとびとの関心はお金から時間へと移っていきます。富裕層だけでなく、いまの平均的な若者も、ソーシャルゲームやサブスクの動画、Web漫画を楽しむのに、さほどお金を必要としなくなりました。

経済学の需要と供給の法則が教えるように、希少なものは価格は上がっていきます。いまでは、お金よりも時間の方がずっと価値が高いのです。

時間資源の制約は現代社会の本質で、たんに映画を早送りするだけなく、社会のあらゆる場面に影響は及んでいます。

あるタスクをこなそうとすると、一定の時間資源を投じなければなりません。そうすると、別のタスクに使う資源が足りなくなってしまいます。通常、このことはビジネスの場面で語られますが、愛情や友情も同じです。

恋人というのは、「プライベートな時間資源をもっとも多く投入している人間関係」と定義できます。より多くの時間資源を投じる別の相手が現われると、関係は破綻して恋は終わります。同様に親友は、「恋人や家族以外でもっとも多くの時間資源を投入している、通常は同性の人間関係」と定義できるでしょう。

仕事や家族・友人との関係だけでなく、わたしたちには趣味や勉強にあてる時間も必要です。そのうえ最近では、「1日8時間睡眠」とか「1日1万歩の散歩」などが身体的・心理的な健康に重要なことがわかってきました。これらのタスクをすべてこなそうとすると、時間がぜんぜん足りないのです。

このことを確認したうえで、政治について考えてみましょう。学校教育もメディアも、「民主的な社会では、国民一人ひとりが、自分がもっともふさわしいと考える政党や政治家に投票しなければならない」と教えています。しかしそのためには、政治・経済や社会問題について学ばなければなりません。

これはきわめて難易度の高いタスクなので、ちゃんとやろうとすれば大量の時間資源を消費しますが、その対価はほとんど実感できないでしょう。そうなるとほとんどのひとは、より簡便な方法に頼ろうとするはずです。

SNSは、一人ひとりの社会的評価を「見える化」するという、とてつもないイノベーションです。そこでは、フォロワー数が社会的な価値(評判)の指標になります。

だとしたら、SNSとともに育ったデジタルネイティブの若者たちは、ごく自然に、より多くのフォロワーをもつ人物がよりすぐれた政治家になるはずだと考えるでしょう。海外に逃亡したままいちども国会に出てこなかった人物を擁立した政党が、それなりの支持を得ている理由が、これでなんとなくわかるのです。

『週刊プレイボーイ』2023年4月3日発売号 禁・無断転載

コロナ禍より恐ろしい オピオイド依存症のパンデミック

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年7月30日公開の「アメリカは新型コロナ対策で失敗しているとされるが、 オピオイド依存症によってもっと多くの生命が失われていた」です(一部改変)。

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2016年4月、ロックスターのプリンスが死亡したとき、「鎮痛剤フェンタニルの過剰投与による中毒死」と報じられた。フェンタニルは鎮痛、疼痛作用のあるオピオイドの一種で、モルヒネやヘロインと同じくケシから採取されるアルカロイドの合成加工物だが、処方薬として広く使われている。

2017年10月、トランプ大統領はオピオイド問題に対処するため「公衆衛生上の非常事態」を宣言した。アメリカ政府によると、2016年に薬物の乱用が原因で最低でも6万7000人が死亡し、オピオイド関連はこのうち4万2000人と6割近くに上った。ヘロインの乱用者数が100万人、鎮痛薬として処方されたオピオイドの乱用者数が1100万人を超えたともいう。

いずれも驚くべき数字だが、そもそも医師が処方する鎮痛薬でなぜこんな大惨事が起きるのか。それを知りたくて、ベス・メイシーの『DOPESICK(ドープシック)アメリカを蝕むオピオイド危機』(神保哲生訳、光文社未来ライブラリー)を手に取ってみた。

メイシーはアメリカ東南部バージニア州に拠点を置くジャーナリストで、2012年から地元のヘロインの被害状況の取材を始め、この薬禍が1996年に中堅製薬メーカー、パデュー・フレデリックが発売した「オキシコンチン」という処方鎮痛薬に端を発していることを知る。オキシコンチンはやはりオピオイドの一種で、アルカロイドの合成化合物からつくられた鎮痛剤だ。

『DOPESICK』では、この処方薬が貧しい白人労働者の住む街を「破壊」し、ヘロイン中毒が蔓延する経緯と、依存症で子どもを失った親たちが医療関係者とともにこの惨事と闘う様子が描かれている。

とても興味深い内容なので詳しくはご自身で読んでいただくとして、ここではアメリカにおける「オピオイド問題」とはなんなのかをまとめておきたい。

安全だった街にドラッグを求める犯罪者があふれた

オピオイド問題の背景のひとつは、アメリカの医療において「痛み」が治療対象になったこと。もうひとつは「プアホワイト」と呼ばれる白人労働者層の貧困だ。

末期がんの疼痛管理が医療現場で普及するとともに、「治療とは痛みと戦うこと」というそれまでの常識は大きく転換し、1990年代には痛みは血圧、心拍数、呼吸数、体温につづく「第五のバイタルサイン」として医師が対処すべき症状になった。

それと同時に専門メディアが医療機関をランキングし、それを保険会社が医療費支払いの参考にしたことで、病院は痛みに積極的に対応せざるを得なくなった。患者という顧客を満足させられなければ、保険会社から治療費の払い戻しが受けられなくなる恐れすらあったからだ。

そんななかで登場したのがパデュー社のオキシコンチンで、ホスピスや終末医療向け鎮痛剤オキシコドンを一般市場向けに改良し、「12時間効果が持続するため、痛みに苦しむひとが薬を飲むために夜中に起きなくても済む「奇跡」を実現した」と宣伝した(コンチンはcontinueの略)。

オキシコンチンはたちまちパデュー社の大ヒット商品となり、製薬会社の接待攻勢もあって、多くの医師が痛みを訴える患者に積極的に処方するようになった。やがて、2週間分のオキシコンチンを処方して患者を帰宅させるのが定番の医療行為になっていった。

最初に薬禍が広まったバージニア州はアパラチア山脈によって東西に分かれ、東には州都リッチモンドやノーフォーク、チェサピークなど歴史のある観光都市が集まる一方で、山の西側はかつては石炭の町として栄えたものの、第二次世界大戦後は炭鉱が次々と閉鎖され高い失業率に苦しむことになった。

オキシコンチンの乱用が始まったアパラチア中央部の炭鉱地帯は、石炭産業が長期低迷にあった1960年代に、すでに人口の半分が貧困に喘いでいた。その悲惨な状況は当時、大きな社会問題となり、ジョンソン大統領が「貧困との戦い」を宣言し、その後のアメリカの社会保障政策の基盤となったフードスタンプ(食糧費補助)、メディケア(高齢者・障害者向け公的医療保険)、メディケイド(低所得者向け公的医療保険)、ヘッドスタート(低所得者の子どもへの就学援助)などを打ち出すきっかけになった。

1990年代になってもアパラチア山麓は、アメリカで最高水準の肥満と障害、薬物の乱用、非医療目的の処方箋の乱発・販売といった、不名誉な記録を次々と塗り替えていた。この地域ではそれまで、ロータブやベルコセットなどの鎮痛剤が、ブラックマーケットで1錠あたり40ドルで売られていた。ところが1990年代後半になると、これらの鎮痛剤に変わって、「オキシ」と呼ばれる薬が、80ミリグラムの錠剤1錠あたり80ドルで大量に売られるようになったのだ。

パデュー社は、「オキシコンチンを処方された方法で服用していれば依存症の危険性は0.5%」と説明していた。それが闇市場にあふれるようになったのは、薬の鎮痛効果を長時間持続させるためのコーティングを取り除くのがきわめて簡単だったからだ。

依存症者は、オキシコンチンの錠剤を数分間口に入れてゴム引きの表面を溶かした後、いちどそれを吐き出して、コーティングをシャツの袖に擦りつけて剥がす。これによってオレンジ色と緑色のコーティングがシャツの袖に付き、純粋な薬効成分だけが露出する。露出した薬効成分を砕いて鼻から吸入したり、水に溶かして注射するのだ。

メディケイドの適用者はオキシコンチンを1錠あたり1ドルの自己負担で買うことができたため、それを1錠あたり80ドルで売れば大きな利益になる。「80ミリグラムの錠剤が入った大きなボトルを1つ手に入れれば、それだけで1カ月分の生活費が稼げる」とされ、他の医師から処方を受けていることを申告しないまま別の医師から新たな処方を得ようとする「ドクターショッピング」が常態化した。

ほどなくして、シャツの裾にオレンジ色や緑色の染みをつけた依存症者たちが、処方箋を求めて町を徘徊するようになった。オキシコンチンをザナックスやクロノピン、ヴァリウムのようなベンゾジアゼピン系の神経薬と組み合わせたときに得られる最上級の陶酔感は「キャデラック・ハイ」と呼ばれた。

バージニア州の人口わずか4万4000人の町では、1999年8月から2000年8月までの1年間で、オキシコンチン絡みの重罪で150人が逮捕され、過去18カ月間にドラッグストアに対する武装強盗が10件発生した。家の扉にカギをかけないのが当たり前だった地域が、家のなかに銃を常備しなければならないほど危険な場所に変わった。

仕事のない貧しい白人労働者にとって、かつての石炭は鎮痛剤に変わり、処方薬を横流しすることが生活の糧になったのだ。

白人中流階級の子どもたちがオピオイド依存症で死にはじめた

オピオイドの流行は、アパラチア山脈の寒村からやがて上流階級地区へと広がっていく。その背景には、ティーンエイジャーの「薬パーティ」がある。日本では大学生の一気飲みで急性アルコール中毒の死者が出ることが社会問題になったが、アメリカでは高校生が帽子のなかにいろいろな薬の錠剤を入れて、それを仲間内で回し飲みする「ファーミング」というゲームが流行っているという。オキシコンチンはティーンエイジャーにとっての必須アイテムで、「グリーン・ゴブリン(緑の悪魔)」と呼ばれていた。

オピオイドが蔓延するバージニア州の地域の学校を調査すると、ハイスクールの在校生の24%、中学生の9%が「いちどは試したことがある」と答えた。「高校の同級生の4分の1がオキシコンチン依存症になっていた」と述べる地域住民もいた。

オピオイド依存症がメディアで大きく取り上げられるようになったのは、白人中流階級の子どもたちが依存症で死にはじめたからだ。

『DOPESICK』に出てくるテス・ヘンリーという女性は、外科医の父と看護師の母のあいだに生まれ(10歳のときに両親は離婚)、最高級住宅地で育ち、高校時代は陸上とバスケットボールに打ち込み成績も優秀だった。卒業後は地元の名門バージニア工科大学に入学したあと、ノースカロライナ大学アッシュビル校に転じてフランス語を専攻したが、学位を取得する前に退学した。

テスは若い頃から不安障害に苦しんでおり、大学時代、友人が親知らずを抜いたときに処方された鎮痛剤を分けてもらったことでオピオイド中毒になったようだ。ずっと苦しんいた喘息の発作も、オピオイドを処方されたことでその必要がなくなった(19世紀末にドイツの製薬会社バイエルが商品化したヘロインは鎮咳剤として広く使われた)。こうしてテスは、処方された薬がなくなるとディーラーを通して薬を探し求めるようになった。

大学中退後、地元のレストランでウエイトレスとして働きはじめたテスは、同僚のボーイフレンドの麻薬ディーラーからヘロインを勧められ、すぐに注射を打つようになった。週800ドルのウエイトレスの収入では足りなくなり、ホームセンターから銅製の配管器具を万引きし、それを別の店で返品することで金額分のギフトカードをもらおうとして警官に逮捕された。テスは妊娠6カ月だった。

ベス・メイシーがテスにはじめて会ったとき、男の子は生後5カ月になっていた。依存症の母親からは、胎内で薬物に晒される新生児薬物離脱症の子どもが生まれていたが、幸いなことにテスの息子は驚くほど健康だった。

メイシーに今後の目標を聞かれて、テスは「息子のよい母親になること」と即答した。「今は少しでも長く断薬して、学校に戻って普通の生活を送ること。幸い私にはいい家族がいるし、まだ死んでいないし、刑務所にいるわけでもない。私は二度、三度とやり直すチャンスを与えられて、ラッキーだと思っています」

実際に、テスには愛情深い看護師の母親がいて、疎遠になっていた外科医の父親も娘の薬物依存症の治療に支援を惜しまなかった。テスはさまざまな依存症治療を受け、施設にも入院したが、それでもヘロインをやめることができず、裁判で息子の親権も取り上げられてしまう。

ストリートと刑務所とシェルターと2つの精神病棟への出入りを繰り返したあと、テスは姿を消した。次に母親がテスの姿を見たのは、「セクシーで官能的な26歳」というコピーの下のほぼ全裸の写真だった。それは売春を斡旋するウェブサイトの広告だった。

テスはやがて、ラスベガスの街で売春する相手を見つけたり、カジノの片隅で寝たりして暮らすようになった。最後の住居は駐車場の放棄されたミニバンのなかだった。

2017年のクリスマス・イブ。ラスベガス中心部のアパートのゴミ捨て場で、空き缶を探していたホームレスが若い女の死体を発見した。テスは裸でビニール袋に包まれ、身体と袋は部分的に焼け焦げていた。死因は鈍器による頭部の外傷で、警察は殺害した者が証拠を消すために焼いたのだと考えた。

子どもをドラッグ漬けにするアメリカ文化

ベス・メイシーは取材を通して、高校のアメリカンフットボールのクォーターバックで活躍した息子や、男子生徒の憧れの的だった娘をオピオイド依存症で失い、茫然とする中上流階級の多くの親たちと出会った。

メイシーは、こうした悲劇の背景にはアメリカの薬文化があるという。20代の依存症者のほとんどが、子どもの頃にリタリンやアデロールなどADHD(注意欠陥・多動性障害)の薬を服用していた。集中力が増して親も教師も楽になるとされるが、その化学式はアンフェタミン(覚せい剤)とほぼ同じだ。学童向けのADHD処方薬は、1990年から95年の間だけで3倍に増えたという。

ある心理学者はメイシーに、「健康な状態を維持するために何らかの薬を飲んでいるのが当たり前の常態へと、アメリカの薬文化自体が変わってしまった」と語った。若者たちは朝一番で意欲を高めるアデロール(アンフェタミン)を、午後にはスポーツによる怪我の痛み用にオピオイド(ヘロイン)を、夜には眠るのを助けるためのザナックス(ベンゾジアゼピン系睡眠薬)を何の躊躇もなく服用していた。「彼らは薬に慣れていて、薬を飲むことに全く抵抗がありません。だからレクリエーション目的でハイになることにも抵抗を覚えないのです」。

高校時代にオキシコンチンに依存するようになった彼らは、その後、より安く効果の高いヘロインにはまるようになる。ある若い依存症者は、最初にヘロンを静脈注射したときのことを、「それは、まるで腕からイエス様が入ってくるような感覚でした。頭の中で白い光が爆発して、自分が雲の上に浮かんでいるようでした」と述べている。ただしこんな体験は最初の1回だけだったようだが。

メイシーははっきりとは述べていないが、アパラチア地方の白人の若者たちに薬物依存が蔓延する背景には閉塞感もあるのではないだろうか。テスのように高校卒業後に大学に進学する者は少なく、男は建設現場、女はウエイトレスなどの仕事で働くことになる。彼ら/彼女たちにとってはハイスクール時代が人生の頂点で、そのあとは長く退屈な下り坂が待っているだけなのだ。

処方薬によってオピオイドに依存するようになった若者たちは、やがて密売人からヘロインを購入するようになり、クスリを買うカネほしさに自らも麻薬密売の道へと転落していく。

バージニア州と隣接するメリーランド州最大の都市ボルチモアは、一人当たりのヘロイン使用量が全米でもっとも多く、オピオイドの過剰摂取で死亡する可能性が全国平均より6倍も高い。近隣から薬物常習者が流れ込んできたことで、地域の公衆便所には注射針を廃棄するための容器が設置され、図書館司書までが、オピオイドの過剰摂取で呼吸困難を起こした利用者に対処できるよう、オピオイド拮抗薬のナロキソンの使い方を習得しなければならなくなった。そんなボルチモアではヘロイン50袋が100ドルで入手でき、それを地元で6倍から8倍の値段で売りさばくことができた。

ボルチモアをマイアミ(フロリダ州)やバンゴー(メイン州)と結ぶ州間高速道路95号線には「通勤ディーラー」が大挙して押し寄せ、「リーファー(マリファナ)・エクスプレス」「コカイン・レーン」「ヘロイン・ハイウェイ」などと呼ばれるようになった。ヘロイン依存症になると、極度に無気力になりほとんど社会的に機能できなくなる。そこで通勤ディーラーたちは、メタンフェタミン(覚せい剤)の助けを借りて気分をアップさせ、仕事に出かけるのだとういう。

オピオイド依存症が白人の中上流階級の子どもたちに広がる一方で、「プアホワイト」と呼ばれる低所得者層はさらに甚大な被害を受けていた。

バージニア州の旧炭鉱町では、主要労働年齢の男性の57.26%が仕事に就いていなかった(女性は44%)。仕事を失った元炭鉱労働者にとっては、障害者を支援する福祉政策が事実上のセーフティネットとして機能していた。精神疾患や慢性疼痛、薬物障害の患者のなかには、福祉を受けつづけるためには病気のままでいた方が好都合だと考える者もいた。

子どもにADHDなど発達障害の診断をしてもらえるよう、医師に頼み込む親もいた。発達障害の診断を受けている子どもは大人になってから、障害者年金の受給資格を得やすくなるからだ。その結果、障害者手当の申請者数は1996年から2015年の間にほぼ倍増した。

両親または祖父母が麻薬またはアルコール依存症だと、子どもが依存症になる可能性は劇的に高くなった。「ある家族は過剰摂取でまず息子が死に、次の日に父親が死に、そのまた次の日に母親が死んでしまいました。もしもその死因が感染症だったら、アメリカ中が大パニックに陥っていたはずです」と、ある医師はメイシーに語った。

オキシコンチンの乱用が大きな社会問題になると、2001年4月、DEA(麻薬取締局)は製薬会社のパデューに対し、流通を自制しマーケティング戦略を再考するとともに、乱用を防止するために薬の再合成を検討するよう求めた。さらに同年7月、FDA(アメリカ食品医薬品局)はオキシコンチンに処方薬としては最上級の警告となる「ブラックボックス警告」を付けさせた。

その一方で、2001年のオキシコンチンの売上げはバイアグラを抜いて10億ドルに達した。パデュー社は、オキシコンチンの処方箋を無差別に乱発する医師を多く見つけた営業担当者に四半期あたり10万ドル(約1100万円)ものボーナスを払っていた。FDAの担当者はその後、パデューにコンサルタントとして転身したという。

全米で巨大な「リハビリ産業」が勃興した

オキシコンチンを販売するパデュー社は「オピオイドの依存症率は1%以下できわめて低い」と主張してきたが、この数値は慢性の非悪性疼痛という限定的な症状に対する発症率で、最近のデータでは依存症の発症率は56%にものぼるという。

オピイオド依存症者の40~60%は薬物維持治療によって一度は寛解するが、それを持続的なものにするためには10年以上かかる場合もある。2017年の統計では、オピオイド依存症者の約4%が毎年、過剰摂取で死亡していた。

薬物依存症に対しては、日本でもよく知られる「12ステップの回復プログラム」がある。匿名で集まったアルコール依存症者たちが、自分たちの体験を分かち合う自助グループを始めたのがきっかけで、いまでは薬物依存症やギャンブル依存症などでも匿名の治療会が開かれるようになった。

だがメイシーは、アメリカでは薬物依存症からのリハビリについて、薬物維持治療を提唱する一派と、匿名薬物依存症者の会とのあいだで深刻な対立が起きているという。

オピオイド(ヘロイン)の依存はあまりにも強力なので、完全な断薬は非現実的で、サボキソンやブプレノルフィン、サブテックスなどの代用薬物を投与して、無期限(場合によっては終身)の薬物維持治療をするのが「ハームリダクション」だ。薬物依存の専門家によれば、「1年間断薬状態を保てるようになるまで、治療を始めてから平均して約8年の年月を要し、その後もクリーンでいつづけるためには、4~5回の異なる治療が必要になる」という。

それに対して匿名薬物依存症者の会は、薬物維持治療を「一つのオピオイドからもう一つのオピオイドに薬の種類が変わっただけ」とみなす。会への参加は「断薬」が前提になるため、ハームリダクションを受けている依存症患者が排除される問題が生じている。断薬を絶対視するひとたちにとって、「薬物」を常用する者は自らの回復の妨げにしかならないのだ。

オピオイド依存症が蔓延したことで、全米で巨大な「リハビリ産業」が勃興した。その市場規模は年間350億ドル(約3兆8500億円)とされ、規制が歪められ拝金主義がまかり通っているとの批判も多い。

世界の人口の4.4%を占めるに過ぎないアメリカで、世界のオピオイド消費量のおよそ30%が消費されている。ピッツバーグ大学公衆衛生学部長ドン・パークは、「過去15年間で30万人のアメリカ人が過剰摂取で死亡していて、もし政府が抜本的な対策を行なわなければ、次の5年間で同じ数の人が死亡する」と予測している。2016年には1日に100人あまりのアメリカ人がオピオイドの過剰摂取で死亡していたが、合成オピオイドが普及するにつれて、その人数は1日250人に急増するとの予測もある。

この驚くべき事態に対して、ベス・メイシーは厳罰主義は事態を悪化させるだけだとして、コカインやヘロインを含むすべての薬物を処罰の対象から外し、代わりに住宅や食料、就労支援などの提供を始めたポルトガルの試みを紹介している。

経済学者のアン・ケースとアンガス・ディートンは、アメリカの貧しい白人の平均寿命だけが短くなっている奇妙な現象を「絶望死(Deaths: of Despair)」と名づけた。アメリカは新型コロナ対策で大きな失敗をしたと批判されているが、それ以前にオピオイド依存症によって多くの生命が失われていたのだ。

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SNSはみんなが望んだ「地獄」 週刊プレイボーイ連載(557)

22世紀からネコ型ロボットが自宅にやってきたのび太君は、困ったことや欲しいものがあると、なんでもドラえもんに頼むようになります。ポケットから出された「ひみつ道具」でとりあえず願いはかなうものの、そのうち事態は思わぬ方向に進み、痛い目にあって反省する……というのが、誰もが知っている国民的マンガの基本ストーリーです。

この作品が予言的なのは、テクノロジーの本質を描いているからです。それは、「みんなが望むものだけが現実化する」という法則です。

自動車や蒸気機関車・電車、飛行機が発明されたのは、もっと速く移動できたらいいと思ったらからです。エアコンは亜熱帯や熱帯でも快適に過ごすことを可能にし、医療の進歩は平均寿命を大幅に伸ばし、「いつまでも元気に」という願いをかなえました。

「失敗は成功の母」といいますが、失敗とはある意味、役に立たない発明でもあります。なんらかの新しい結果を生み出したかもしれませんが、誰もそれを望まなかったので、そのまま捨てられ忘れ去られたのです。

回転寿司チェーンで他人の注文したすしにわさびを載せるなどの不適切動画が拡散したり、芸能人の私生活を暴露して人気を集めたYouTuberが参議院選挙に当選し、いちども登院しないまま除名処分を受けるなどのニュースが続いたことで、「SNSが社会を破壊している」との声が大きくなっています。

これはもちろん間違いではなく、毎日のように起きている炎上騒動から陰謀論の拡散、社会の分断まで、あらゆる場面でSNSが強い影響を及ぼしていることは明らかです。以前なら知り合い同士の噂にすぎなかった話題が、またたくまに全国ニュースになるという“異常”な事態に、わたしたちはまったく対処できていません。

こうした混乱は、日本よりも英語圏でより深刻です。日本でのSNSの潜在的な利用者が6000万人程度だとすると、世界の英語人口は15億人とされますから、その十数倍の規模があります。それに加えて、言語は共通でも、人種、国籍、民族、宗教、文化的背景などが異なるひとたちが同じバーチャルな言論空間に集まれば、至るところで利害が対立することは避けられません。

これはいわば、どこに「地雷」が埋まっているかわからない状態です。Twitterの買収前にイーロン・マスクが指摘したように、フォロワー数1億人を超えるようなSNSのセレブリティは、いまではたんなる告知以外、ほとんど発言しなくなっています。どこでどのような反応が生じるか予測できないのなら、黙っているのがいちばんです。

毎日のように誰かが「地雷」に触れ、炎上によって(心理的に)爆死する光景は、まさに戦場のようです。しかしここで強調しておかなくてはならないのは、SNSのテクノロジーは、「いつも誰かとつながっていたい」「自分の評判をすこしで高めたい」という“夢”をかなえてくれるからこそ、世界中で広まったということです。

SNSは「地獄」かもしれませんが、それはわたしたちみんなが望んだからこそ、この世界に誕生したのです。

『週刊プレイボーイ』2023年3月27日発売号 禁・無断転載