日本でいちばんストレスがないのは平社員? 週刊プレイボーイ連載(559)

ストレスが健康に悪いことはいまや常識ですが、イギリスの疫学・公衆衛生学者マイケル・マーモットは、それが社会的地位に強く影響されることをイギリスの官僚制度で明らかにしました。

ホワイトホールは主要官庁が並ぶロンドンの大通りで、日本では霞が関にあたる行政府の代名詞です。マーモットはここで働く官僚たちを対象に、1960年代から30年におよぶ大規模な疫学調査を行ないました。

イギリスの公務員制度は職務・職階によって厳密に階層化されていて、管理職や執行職・専門職は政策の策定や執行にかかわるもっとも地位の高い役職で、書記職はそれを支えるバックオフィスの仕事です。その下にはさらに、事務補助職など公務員制度では最底辺の仕事があります。

1万8000人の男性公務員の平均的な死亡率を基準にして、各階級の相対的な死亡率を調べたマーモットは、階級が高い者ほど死亡率が低く、階級が低くなるにつれて平均死亡率が高くなることを発見しました。

40~64歳の男性では、もっとも地位の高い管理職の平均死亡率が全体平均の約半分であるのに対し、もっとも地位の低い公務員の平均死亡率は全体の2倍に達しました。最底辺の公務員は、最上位の公務員の4倍もの割合で死亡していたのです。

マーモットは、二番目に地位の高い集団(執行職・専門職)の死亡率が、官僚制度の頂点にいる管理職よりも高いことなどから、ステイタスによるストレスは相対的なもので、自分よりステイタスの低い者がいるからといって、ストレスの悪影響から逃れられるわけではないと主張しました。よりステイタスが高い者が組織のなかにいると、それがストレスになって死亡率を高めるのです(その後の研究で、この傾向は女性公務員も同じであることがわかりました)。

ところが2019年、東京大学の国際共同研究が、日本と韓国および欧州8カ国の35~64歳の男性労働者を対象に、ステイタスと健康の関係を調べたところ、これとは異なる結果が出ました。欧州では(ステイタスの低い)肉体労働系の仕事の死亡率がもっとも高く、(ステイタスの高い)管理職・専門職の死亡率がもっとも低かったのですが、日本と韓国では逆に、管理職・専門職の死亡率が農業従事者に次いでもっとも高く、肉体労働系や事務・サービスなどの仕事を上回ったのです。

研究者はこの結果について、バブル崩壊後の日本では、リストラによる人減らしや長時間労働の負担が管理職や専門職に集中したからではないかと述べています。実際、日本では「下級熟練労働者」すなわち平社員の死亡率が、管理職・専門職の7割で、もっとも低くなっているのです。

近年、管理職になりたがらない若者が増えていますが、このデータからは、日本の会社ではこれが合理的な選択だとわかります。若手社員は上司である中間管理職の悪戦苦闘をじっと観察し、うかつに昇進に応じると、どんな目にあうのかをちゃんと理解しているようです。

参考:マイケル・マーモット『ステータス症候群 社会格差という病』鏡森定信、橋本英樹訳、日本評論社
「日本と韓国では管理職・専門職男性の死亡率が高い 日本・韓国・欧州8カ国を対象とした国際共同研究で明らかに」田中宏和、李延秀、小林廉毅、ヨハン・マッケンバッハ他(2019)東京大学プレスリリース

『週刊プレイボーイ』2023年4月17日発売号 禁・無断転載

絶望死するアメリカの低学歴白人労働者たち

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年3月11日公開の「非大卒の白人はなぜ絶望死するのか? 白人労働者階級を苦しめる「全面的な人生の崩壊」」です(一部改変)。

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世界じゅうで平均寿命が延びしているのに、アメリカの白人労働者階級(ホワイトワーキングクラス)だけは平均寿命が短くなっている。この奇妙な事実を発見した経済学者のアンガス・ディートンとアン・ケースは、その原因がドラッグ、アルコール、自殺だとして、2015年の論文でこれを「絶望死(Deaths of Despair)」と名づけた。その翌年にドナルド・トランプが白人労働者階級の熱狂的な支持を受けて大統領に当選したことで、この論文は大きな注目を集めた。

「絶望死」とは、「死ぬまで酒を飲み続けたり、薬物を過剰摂取したり、銃で自分の頭を打ち抜いたり、首を吊ったりしている」ことだ。『絶望死のアメリカ 資本主義がめざすべきもの』(松本裕訳、みすず書房)で2人は、2015年の論文をもとに膨大な統計データを渉猟し、アメリカ社会で起きている「絶望死」の実態を詳細に描き出している。著者たちは夫婦で、いずれもプリンストン大学教授。ディートンは「消費、貧困、福祉に関する分析」で2015年にノーベル経済学賞受賞し、ケースも著名な医療経済学者だ。

毎日ボーイング3機が墜落し、乗客全員が死亡しているのと同じ

『絶望死のアメリカ』の主張をひとことでまとめるなら、「アメリカの白人は高学歴と低学歴で分断されている」になる。本書では、アメリカ社会で大卒の資格をもたない白人がどれほどの苦境に追いやられているかの残酷な現実が、多くの印象的なグラフとともに、これでもかというほど呈示されている。

社会学者の吉川徹氏は、『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』(光文社新書)で、日本社会は「大卒/非大卒」で分断されていると指摘した。私の理解では、アメリカと日本で(そしておそらくは他の先進諸国・新興国でも)同じことが起きているのは、知識社会が知能(能力)によって労働者を選別しているからだ。だがその圧力は、日本よりもアメリカの方がはるかにきびしいようだ。

ディートンとケースは、アメリカ社会の分断線を「高学歴」と「低学歴」の間に引いている。ここでいう高学歴は4年制大学を卒業あるいは大学院を修了した者で、高卒・高校中退だけでなく、大学に入学したものの卒業できなかったり、コミュニティカレッジ(二年制の公立大学)を卒業した者も「低学歴」に分類されている。――昨今では「高学歴/低学歴」の用語は不適切とされているようなので、以下の記述では「大卒/非大卒」で統一する。

著者たちは本書の目的を、「戦場を解剖する」ことだとしている。そこには、非大卒の白人アメリカ人が「戦死」しているとの含意がある。

2017年には、15万8000のアメリカ人が絶望死した。これは「ボーイング737MAX機が毎日3機墜落して、乗員乗客全員死亡するのと同じ数字」だ。

絶望死が始まったのは1970年代で、1990年代以降に顕著になった。著者たちの試算では、非大卒白人の死亡率が他の先進国(あるいはアメリカ国内の他の集団)と同じように改善していれば生きていたであろう中年アメリカ人のうち、60万人が死んでいるという。絶望死は、1980年代初頭からのアメリカでのエイズ死亡者総数約67万5000人に匹敵する「パンデミック」なのだ。

最初に示されるのは、ケンタッキー州における絶望死(自殺、薬物過剰摂取、アルコール性肝疾患による死亡率)で、1990年以降、大卒白人の死亡率がほとんど変わらないのに対し、非大卒白人は、1995年から2015年の20年間に10万人あたり37人から137人へと約4倍に増えている。

著者たちは、どこで死亡率が増えているのかも調べている。それによると、1999年から2017年のあいだに45~54歳の白人死亡率がもっとも大きく増えたのはウェストバージニア州、ケンタッキー州、アーカンソー州、ミシシッピ州で、どの州も教育水準は国の平均より低かった。中年死亡率が顕著に下がったのはカリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州、イリノイ州だけで、これらの州はすべて教育水準が高かった。

アメリカには、ロッキー山脈に沿って南のアリゾナから北のアラスカまで走る「自殺ベルト」がある。自殺率がもっとも高いのはモンタナ、アラスカ、ワイオミング、ニューメキシコ、アイダホ、ユタで、もっとも低い6州はニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツ、メリーランド、カリフォルニア、コネチカットの東部、西海岸諸州だ。ここにも、大卒/非大卒の学歴のちがいが現われている。

生まれた年による絶望死の推移は、コホート(出生年ごとの集団)によって示されている。このグラフも驚くべきもので、大卒白人にコホートによる死亡率のちがいがほとんど見られないのに対し、非大卒の白人は1935年~1945年生まれまでは死亡率が大卒とほとんど変わらず、1950年生まれから死亡率が上がりはじめ、それ以降、5年刻みで高くなっている。

20歳で働きはじめるとすると、1950年代~60年代に就職した世代は非大卒でも絶望死を免れていたが、それ以降は社会に出る時期が後になるほど絶望死の割合が高くなっていく。45歳になったときの死亡率で見ると、1960年に生まれた非大卒白人は1950年生まれより死亡リスクが50%も高く、1970年生まれは100%(2倍)も高いリスクにさらされている。

1980年生まれや85年生まれは調査時点では45歳に達していないが、死亡率は1970年生まれよりもさらに上がっている。このことは、白人労働者階級の絶望死が「中年」だけの問題ではないことを示している。今後、絶望死は高齢化していくとともに、若い非大卒の白人はそれ以上に死んでいるので、死者の総数も確実に増えていくのだ。

生き続けるよりも死んだほうがましだと感じるひとたち

非大卒の白人はなぜ絶望死しているのか。著者たちは実証的なデータを積み上げてその謎に迫ろうとする(アメリカではCDC/米国疾病予防管理センターの統計サイトCDC Wonderで死亡証明書の情報の大部分が公開されている)。

データからは、45~54歳の白人死亡率は1990年代前半からさほど変わっていないように見える。だがこれは、非大卒の白人の死亡率が25%増加している一方、大卒白人の死亡率が40%減少しているからだ。

主要な死因のひとつは、当然のことながら健康だ。病気などで身体の具合が悪いひとは、健康なひとよりも死亡率は高いだろう。

そこで白人の健康指標を調べると、成人(25歳以上)の非大卒の喫煙率は29%で、大卒の7%に比べて4倍も高かった。2015年には非大卒の3分の1が肥満とされたが、大卒は4分の1未満だ。

非大卒ではさらに、現代に近づけば近づくほど健康状態が悪化している。40歳時点で「健康状態が悪い」と申告する割合は1993年の8%から2017年の16%へと四半世紀の間に倍増した。その結果、驚くべきことに、非大卒の白人では「買い物や映画に出かけるのがつらい」と答える割合と「家でくつろぐのがつらい」と答える割合が25~54歳の年齢層では50%増えていて、「友人との交流がつらい」と答える割合は20年間で倍近くにまでなっている。

アメリカでは、1億人以上が(最低3カ月は続く)慢性的な痛みをわずらっている。

地域別では西海岸、アパラチア、南部、メイン州、ミシガン北部がひどく、ノースセントラル・プレーンズ(大平原北部)と北東部のアムトラック沿線(ニューヨーク州からバージニア州にかけての地域)、カリフォルニアのベイエリアはさほどでもない。アメリカで自殺率の高い州は、住民がもっとも痛みを訴えている州でもある。

痛みを訴えるひとの割合は、住民の学歴が高い地域ほど報告が少なく、失業率が高く貧困な地域ほど高くなっている。非大卒の白人の間で近年、中年期に痛みが著しく増しているのは、体重の増加が腰や膝の痛みを引き起こしているからかもしれない。

日常的な痛みに悩まされていて、買い物ばかりか家でくつろぐことすらつらいのなら、仕事をするのは難しいだろう。実際、非大卒では「働けない」と自己申告した人の割合が1993年の4%から2017年には13%にまで増えた。

それ以前に、非大卒が働こうと思っても職自体がないという現実がある。

1979年から2017年の約40年間でアメリカの1人あたり国民所得は85%伸びているが、非大卒の白人男性の平均収入は13%も購買力を失った。リーマンショック後の2010年1月から2019年1月の間に1600万近い雇用が生まれたが、そのうち非大卒が就ける仕事は300万にも満たなかった。

健康状態が悪く、働いていないか収入が低く、将来性のない男性は、結婚相手にはふさわしくない。こうして、低学歴の白人の婚姻率が下がっている。その一方で、低学歴の白人女性の大半が、少なくとも1人は婚外子を生んでいる。

こうしたデータを挙げながら、ディートンとケースは、白人労働者階級を苦しめているのは「全面的な人生の崩壊」であることを説得力をもって示す。「仕事が破壊されれば、最終的に、労働階級は生きていけなくなる。人生の意義、尊厳、誇りを失い、婚姻関係やコミュニティを失うことで自尊心も失い、それが絶望をもたらす」のだ。

その挙句に白人労働者階級は、自ら生命を断つか、アルコールやドラッグで「緩慢な自殺」をするようになる。「人が自ら命を絶つのはそれ以上生きている価値がないと感じるとき、生き続けるよりも死んだほうがましだと感じるとき」だと著者たちはいう。絶望死の理由は、「自分の人生にはなんの価値もない」ところまで追いつめられてしまったからなのだ。

「低学歴白人の黒人化」が進行している

かつて白人の保守派は、マイノリティ(黒人)の貧困層が生活保護に頼って暮らしていることを「福祉の女王」とはげしく批判した。しかしいまや、白人労働者階級が社会保障や障害保険の受給対象になっている。

黒人のコミュニティが崩壊し、母子家庭が急増したことを、保守派は「家族の価値を放棄した自己責任」とみなした。これもいまでは、白人労働者階級のコミュニティは崩壊し、高卒や高校中退の白人女性が父親のいない子どもを産むようになった。こうした現象をひと言でいうならば、「低学歴白人の黒人化」だ。

ディートンとケースは、非大卒の白人は、1970年代から80年代にかけて都市部の黒人が体験したことを30年遅れて追体験しているという。知識社会の高度化によって最初に黒人の雇用が破壊され、次いで非大卒白人の雇用が消失したのだ。

その結果、「白人よりも黒人の方がうまくやっている」という奇妙なことが起きるようになった。これが、本書でもっとも議論を呼ぶであろう主張のひとつだ。

新型コロナによって人種別の平均寿命はヒスパニックで2年、黒人で3年縮んだとされる。これは大惨事だが、それ以前でも黒人の死亡率は白人よりずっと高かった。

だがディートンとケースが強調するのは、(コロナ前は)その差が一貫して縮小していることだ。「1970年から2000年にかけて、黒人の死亡率は白人よりも大きく減少し、21世紀の最初の15年を見ると、労働階級白人の死亡率が増えている一方で、黒人のそれは下がっている」。その結果、1990年代初頭までは白人の2倍(100%)以上だった黒人の死亡率は20%まで縮まった。――同様に、ヒスパニックは白人より平均的にずっと貧しいが、死亡率は非大卒白人よりも低い。

アフリカ系アメリカ人は、白人よりもずっと自殺しにくい。中年期の黒人自殺率はこの50年でほとんど変わっておらず、現在も白人の約4分の1だ。さらにこの四半世紀では、首、腰、関節の痛みを訴える黒人の割合はいずれの学歴集団においても、中年白人より20%低かった。

さらに興味深いのは「自己評価(幸福度)」調査で、40歳を過ぎると、学士号を持たない黒人の自己評価が非大卒の白人より高くなる。そればかりか、大卒/非大卒にかかわらず、黒人は白人に見られるような中年期の落ち込みを経験していない。「意外なことに、黒人のほうがストレスが少なくなっている」のだ。

「全死因死亡率が白人については増加しているときに黒人については減少しているというのはたしかに普通ではないし、驚くべきことだ」と著者たちはいうが、経済学者として、その理由を特定するのはきわめて慎重だ。データからわかるのは、「黒人が薬物過剰摂取、自殺、アルコール中毒に苦しんでいなかった」ということくらいだ。

「痛みや中毒、アルコール、自殺による死、低賃金のろくでもない仕事、下がり続ける婚姻率、宗教の減退の物語」は、「4年制大学の学位を持たない非ヒスパニックの白人アメリカ人」にのみあてはまる物語なのだ。

データからすれば、「黒人の人生は多くの側面で改善していて、その一方で低学歴白人の人生は悪化している」ことは間違いないが、これは政治的にきわめて微妙な問題を提起する。トランプを支持する「白人至上主義者」たちは、「白人労働者階級は差別されるマイノリティ」で「自分たちこそが犠牲者」だと主張しているが、その正しさを追認することになりかねないのだ。

これについて著者たちは、マンガ『ドゥーンズベリー』の8コマを引用するにとどめる。マンガでは、新聞を読んでいた白人のレイが黒人のBDに対して、(自分のような)中年白人の死亡率が上がっているのに、黒人やラテン系には影響がないのはヘンだと述べる。それに対してBDは、「ヘンじゃないさ」「黒人はずっとそう。もう慣れっこさ」と反論する。レイが「黒人特権か」と訊くと、BDが「そう、ある意味、幸運」と述べる。

「労働市場がもっとも能力の低い労働者に背を向けたとき、最初に打撃を受けたのは黒人だった。技能が低かったため、そして長く続いてきた人種差別のためでもある。その数十年後は、今度は白人としての特権にずっと守られてきた低学歴の白人の番だった」と著者たちはいう。

低学歴白人の人数は6000万、トランプの得票は7000万

なぜこんなことが起きたのか? 誰もが真っ先に思いつくのは「経済格差の拡大」で、アメリカ社会が先進国のなかでもっとも貧富の差が大きな国であることは繰り返し指摘されている。

だがディートンとケースは、データからはこの「経済格差=諸悪の根源説」は支持できないという。これが本書でもっとも論争的なもうひとつの主張になる。

単純な事実として、アメリカにおける所得の不平等が著しく拡大したのは1970年以降だが、この時期はアメリカ社会で死亡率が急減し、平均余命が急速に延びはじめていた時期にあたる。経済格差の拡大と不平等が「社会全体」の健康に害を与えるのなら、平均余命は短くなるはずだが、そのようなことは起きていない。

さらにアメリカの州ごとに絶望死を比較すると、ニューヨークやカリフォルニアのように「ゆたかだが不平等の大きな州」で少なく、ラストベルト(錆びついた地帯)と呼ばれる「貧しいが不平等はさほど大きくない州」で“エピデミック”が広がっている。「経済格差が絶望死の原因」とすると、この事実が説明できない。

「貧困」もまた、絶望死の主犯と考えることはできない。アメリカ社会における(貧困ライン未満の所得で暮らす)貧困世帯の割合は1990年代を通じて減っており、2000年には総人口の11%まで下がった。絶望死はまさにこの期間に増えているのだから、貧困とはまったく相関していない。「収入は、仕事、社会的地位、結婚、社会的生活状態といった社会的変化ほどおそらく重要ではない」と著者たちはいう。

だとしたらいったいなにが原因なのか? 本書に掲載された膨大なデータが指し示す結論はひとつしかない。それは、「絶望死の原因は貧困でも経済格差でもなく、学歴(教育)格差」だということだ。

知識社会が高度化するにつれて、仕事に必要とされる学歴や資格のハードルが上がっていくことを「スキル偏向型技術変化」という。これに対応するために労働市場での大卒の割合が増えれば、雇用者は非大卒でじゅうぶんな仕事でも大卒を優先的に雇うようになる。その結果、非大卒は労働市場から排除されてしまう。

このことをよく示しているのが、リーマンショック以降の回復期のアメリカの雇用状況だ。2010年1月から2019年1月の期間で、労働市場における25歳以上の大卒者の就業人数は合計1300万人増えた。それに対して学士号を持たない就業者の増加は270万人で、高卒以下となるとたったの5万5000人だ。

大卒と非大卒の賃金格差も開いている。1970年代後半、大卒労働者の賃金は非大卒より平均40%高かったが、2000年までには「賃金プレミアム」は倍増し、「天文学的な80%という割合になった」。2017年、高卒者の失業率は大卒者のほぼ2倍だった。高卒資格しか持たない45~54歳(賃金がピークを迎える年齢)の4分の1が働いていないが、学士号以上は10%だ。

2018年の国勢調査では、25歳から64歳のアメリカ人(労働年齢人口)1億7100万人のうち62%(約1億人)が非ヒスパニック白人で、そのうち62%が4年制の学位を持っていない。「絶望死」の高リスク層である低学歴白人の数は約6000万人(労働人口の38%)で、これは2020年の大統領選でトランプが獲得した7000万票と不気味なほど近い。

知識社会における経済格差とは“知能の格差”の別の名前

絶望死の原因がメリトクラシー(能力主義)であり、学歴(知能)による選別であることは明らかだが、奇妙なことに、著者たちは「どうすればいいのか?」の提言で、教育にわずか2ページしか割いていない。これが本書の3つ目の論点で、その理由は、教育に予算をかけて大卒者を増やせば解決するような簡単な問題ではないことがわかってきたからだろう。

アメリカではメディアや教育関係者が、「大卒資格がなければまともな仕事につけない」と騒ぎ立てたことで、就学しなくても学位を授与する「ディプロマミル(学位商法)」が広がり、なんの役にも立たない学位を取得するために多額の学生ローンを抱えるひとたちが急増する事態になっている。

「まともな」大学に入学しても、日本とはちがって卒業が難しいため、学生の半数近くが中退し、資格もないのに負債だけを抱えている。いまでは「高等教育にちからを入れよう」と提言すると、こうした被害者を増やすことになってしまうのだ。

だが著者たちは、正統派の経済学者として、富裕層課税やベーシックインカムのような「レフト(左翼)」の好む政策には慎重な態度を崩さない。問題の本質が「貧困」ではなく、「仕事の消失」に端を発した「人生の崩壊」だとすれば、お金を配っても絶望死は解決できない。富裕層課税については、「貧しい人々があまりにも多く、金持ちはあまりにも少ない」ため、貧困層にとってはたいした救済にはならないとする。

だったらどうすればいいかというと、オピオイド禍を引き起こした製薬会社や、世界でも桁違いの医療費にもかかわらず「平均余命の減少を食い止めることができていないだけでなく、むしろその減少に貢献している」アメリカの医療制度など、できるところから着実に改善していくことを提案している。とはいえ、「泥棒を止める正しい方法は盗みを止めさせることであって、税金を上げることではない」という穏健な現実主義が、怒れるひとびとにどこまでアピールできるかは疑問だ。

なお、政治学者のチャールズ・マレーは2012年の『階級「断絶」社会アメリカ  新上流と新下流の出現』(橘明美訳、草思社)において、アメリカの白人社会で「大卒/非大卒」の分断が起きており、低学歴白人ではコミュニティが崩壊し、失業率や未婚の出産が激増し、黒人貧困層と同じような事態になっていることを指摘している。ディートンとケースの『絶望死のアメリカ』は、マレーの著作を精緻化したものでもある。

マレーはリチャード・ハーンスタインとの共著“Bell Curve”(1994年)で、黒人と白人の間に1標準偏差程度のIQの差があり、それが社会的・経済的成功に影響していると述べて憤激を買い、「遺伝決定論」「優生学」「人種主義者(レイシスト)」のレッテルを貼られ、アカデミズムの世界から実質的に排斥された。だがいまや、ノーベル経済学賞を受賞したリベラルな経済学者が、自分たちの先行研究としてマレーの著書を挙げるようになった。

もちろん著者たちは“Bell Curve”についてはひと言も触れていないが、「知識社会における経済格差とは“知能の格差”の別の名前である」というマレーとハーンスタインの主張を、リベラルな知識人が受け入れざるを得なくなるのも時間の問題ではないだろうか。

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「人間倉庫」と化したアメリカ民営刑務所の実態

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年8月13日公開の「コスト削減で確実に利益を出し続けるため 「人間倉庫」と化したアメリカ民営刑務所の実態」です(一部改変)。

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『13th -憲法修正第13条』は2016年のドキュメンタリー映画で、「アメリカの人口は世界全体の5%にすぎないにもかかわらず、アメリカ人受刑者は世界全体の受刑者数の25%を占めている」というバラク・オバマ前大統領の発言から始まる。

現在、アメリカの収監人口は200万人(仮釈放や出廷待機を含めると700万人)に達しており、黒人は全人口の15%を下回るが囚人の40%を占める。2001年には35歳から44歳の黒人男性の22%が収監経験を持ち(ヒスパニック男性は10%、白人男性は4%)、投獄率が変化しないとするといずれ黒人男性の3人に1人が刑務所に収監されると予想されている(ヒスパニック男性は6人に1人、白人男性は17人に1人)。「合衆国憲法修正第13条」は奴隷制廃止条項で、公民権運動で人種差別はなくなったはずなのに、いまも黒人は「事実上の奴隷」のままだと映画は告発する。

アメリカにおける「大量収監」はどんな事態になっているのか。そんな興味で手に取ったのがシェーン・バウアーの『アメリカン・プリズン 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』(満園真木訳、東京創元社)だ。

訴訟リスクで困難になる調査報道

中東でフリーのジャーナリストとして働いていたバウアーが民営刑務所に興味をもったきっかけは、自らがイランの刑務所に収監されたことだった。友人とシリアのダマスカスからイラクのクルド人自治区に行き、観光地周辺をハイキングしているときにイランとの国境に近づきすぎて国境警備隊に逮捕され、独房に入れられ数カ月にわたって尋問されたのだ。4カ月後に友人と同じ房に移されたが、釈放されるまで2年2カ月かかった。

解放後、バウアーは心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、「突然、混みあった場所にいられなくなることもあれば、部屋にひとりでいるのが苦しくて耐えられなくなることもあった。毎晩のように刑務所に連れもどされる夢を見た」という。

そんなとき、アメリカの刑務所でハンガー・ストライキが起きていることを知る。「カリフォルニアのペリカン・ベイ刑務所だけで500人以上が、10年以上にわたって穴倉で過ごしている。そのうち89人は20年以上の独房暮らしであり、ひとりなどはその期間が実に42年にわたっていた」という状況に衝撃を受けたバウアーは、自らの収監体験に整理をつけようと囚人たちと手紙のやりとりをするようなった。

こうしてバウアーは、民営刑務所の潜入取材を思いつく。アメリカではおよそ13万人が民営刑務所に収監されている。問題は、こうした調査報道がいまではきわめて困難になったことだった。

かつては、「狂気をよそおって女性専用精神病院に強制入院させられるように仕向け、その10日間の経験を発表した」ジャーナリストや、「サンフランシスコのバーを買って記者を店員として置き、隠しカメラを設置して、どんな不正も20ドルの賄賂で見逃す腐敗した検査官の所業を暴いた」新聞社があった。1990年代後半には、ニューヨークのシンシン刑務所で刑務官として働いた記録が本になっている(バウアーが民営刑務所を取材対象にしたのは、州刑務所の調査報道の先例があったからだ)。

だが1992年、スーパーマーケット・チェーンが傷んだ肉をパックしなおして売っている事実を潜入取材でテレビ局が暴いたとき、スーパー側は採用応募書類の虚偽記載と、割り当てられた業務(傷んだ肉をパックしなおすこと)の遂行を怠った不法行為で記者を訴え、550万ドルの損害賠償を請求した。この裁判で陪審員がスーパー側の主張を一部認めた(賠償金は2ドルに減額された)ことで、内情暴露系の報道はしばらく下火になった。現在ではあらゆる仕事で秘密保持契約を結ばなくてはならず、それに“悪口禁止”条項や雇用主保護規定などが加わって、訴訟リスクはさらに高まった。

バウアーが潜入したのはコレクション・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)という民営刑務所大手のルイジアナの刑務所で、本名を使用し、「自分のことを何もかも明かす必要はないが、決して嘘はつかない。誰かにジャーナリストなのかと訊かれたらそうだと認める」と決めて応募したところ、かんたんな面接だけであっさり採用が決まった。面接官は時給が9ドルだと告げたあと、「狩猟や釣りは好き?」とバウアーに訊いた。刑務所は国立森林公園のなかにあり、好きなだけアウトドアのレジャーが楽しめるのだという。その後、オクラホマ州の刑務所とアリゾナ州の移民収容センターからも採用したいとの連絡が届いた。

刑務官の約3分の1がPTSDになり、自殺率は一般市民の2.5倍

ルイジアナ州のバトンルージュから車で北に3時間のところに、人口4600人のウィンフィールドの町がある。「朽ちかけた木造家屋が並び、つながれた一匹の犬と洗濯かごをかかえたやつれた顔の白人女性ひとり以外誰もいない通り、仕事帰りのドライバーに発泡スチロールのコップに入ったダイキリを出すかつてのメキシコ料理店、南北戦争の将軍の名前が見出しに踊る地元紙の束、ガソリンスタンドの外の歩道で1セント硬貨を拾っている黒人女性……」と描写されているうらぶれた町だ。ウィンフィールドは世帯の38%が貧困ライン以下で、世帯収入の中央値は2万5000ドルしかない(2018年のアメリカの平均世帯収入は6万3179ドル)。

バウアーが働くことになる「ウィン矯正センター」は町の中心部から21キロ離れたキサッチナー国立森林公園の中にある。入口を入ると研修室と管理棟があり、食堂、体育館、医務室、面会室などのある区画の奥に5つの刑務所棟が通路に沿って並んでいる。一般囚棟は最大352人が収容でき、中央に“キイ”と呼ばれる八角形のコントロール室があって、そこから4方向に細長い建物が伸びている。

それぞれの建物には最大44人を収容する大部屋の雑居房が2区画あり、各区画の前方部分に樋型の小便器と腰かける便器がふたつ、洗面台がふたつある。その隣には高さ90センチの壁で仕切られたシャワーが2基。向かいには電子レンジ、電話、Jペイと呼ばれる機械が置かれている。Jペイというのは、「携帯音楽プレイヤーに曲をダウンロードしたり、1通30セントほどで短い電子メールを(検閲のうえで)送ったりすることができる」有料の通信端末だ。各区画にはテレビ室もあり、平日の昼12時半には人気番組を見るために受刑者が詰めかける。それぞれの受刑者に与えられているのは、薄いマットレスの敷かれたベッドと金属製のロッカーだけだ。

研修初日にバウアーといっしょだったのはレイノルズという19歳の黒人で、すでに赤ん坊もいるという。「不安なのか?」と訊かれ、「ちょっとね。君は?」とバウアーが訊き返すと、「全然。慣れてるから。殺しも見てきたしな。俺のおじさんは3人殺した。兄貴といとこも刑務所に入ってる。だから不安じゃない」とのこたえが戻ってきた。それ以外の4人の研修生は元ウォルマートの店長、看護師、マクドナルドで11年働き、数年軍務についたあと復職したシングルマザー、元郵便局員だった。

研修では教官から、受刑者が反抗したときの制圧の仕方のほかに、「受刑者とセックスしないこと(破った場合は罰金1万ドルか“重労働10年”の刑)」をきびしく指導され、「自殺したくなったり、家族と喧嘩ばかりするようになったら電話すべきホットラインの番号が書かれた冷蔵庫用のマグネット」が配られた。3回までなら無料でカウンセリングが受けられるという。

教官によると、刑務所では男でも女でも、セックスの落とし穴にはまる者が驚くほど多い。結婚していたり、恋人がいたりしても、受刑者から手紙を渡されたり、見た目をほめられたりといったアプローチを受けて、いいくるめられてしまうのだ。

「ある女性刑務官が厨房でひとりの受刑者と関係を持つようになった」と教官はいった。「すると、厨房で作業をしているべつの受刑者が“あいつがやっているんだから俺もやりたい”と言い出した。女性刑務官は告げ口されるのを恐れ、そのふたり目の受刑者ともセックスするようになった。すると3人目の受刑者が“あいつともあいつともやってるんだから、俺にもやらせろ”と言いはじめた」

しばらくすると、10人前後の受刑者が彼女とセックスするようになっていた。その10人が喧嘩になったことで情事が発覚したのだという。

自殺予防のための電話相談が必要なのは、平均で約3分の1の刑務官がPTSDになるからだ。これはイラクやアフガニスタン帰りの兵士よりも多い。刑務官の自殺率は平均すると一般市民の2.5倍で、自殺しなかった者も平均寿命より約10年も早く死んでいるとの調査結果もある。

“ぜったいに利益の出るおいしい商売”民営刑務所が抱えている矛盾

『13th -憲法修正第13条』で描かれたたように、アメリカの収監人口が急激に増えはじめたのは1970年代になってからで、背景にはニクソン政権の「麻薬戦争A War on Drugs」がある。ニクソンは薬物依存を「アメリカのパブリックエネミー(公共の敵)ナンバーワン」と呼んで、その根絶を有権者に誓った。

麻薬戦争はその後もカーター、レーガン、(父)ブッシュ、クリントン政権に引き継がれ、とりわけクリントン時代の「スリーストライク法(1年以上の刑を科せられた前科が2回以上ある者が3度目の有罪判決を受けた場合、犯した罪にかかわらず終身刑となる)」によって収監者が激増した(映画には、クリントン元大統領がスリーストライク法に署名したのは過ちだったと認める場面が出てくる)。

収監者が激増した理由のひとつは社会がゆたかになったことで、市民の「安全」に対する要求は年々きびしくなっていった。子どもが誘拐されたり、ギャングの抗争に巻き込まれて死亡するたびに世論が沸騰し、政治家は犯罪に対してきびしく対処することを約束した。コカインを粉末にして吸引するクラックコカインが黒人のあいだで流行したとき、売人(その多くは黒人)を刑務所に送るよう求めたのは黒人の政治家やコミュニティだった。

社会が犯罪に対して不寛容になるにつれて逮捕者が増え、各州は刑務所の新・増設に追われた。1981年にロナルド・レーガンが大統領になり、「市場原理主義」的な経済政策を採用すると、規制緩和と民営化が一気に進んだ。

刑務所関連の支出が4倍に増えたことに目をつけたのが、陸軍士官学校時代にルームメイトだったトーマス・ビーズリーとロバート・クランツで、2人は共和党の大統領候補の資金集めパーティで雑談中に、企業の重役から「若者にはすごいチャンスじゃないか。刑務所の問題を解決できると同時に、金をたくさん儲けられるんだ」といわれたという。

ドラッグ戦争が過熱すると、各州は受刑者に最低でも刑期の85%の服役を義務づけるようになった。刑務所建設ラッシュがピークを迎えた10年間に、年間10億ドルを費やして全米でおよそ600の刑務所が新たにつくられたが、それでも「需要」に追いつかなかった。

ビーズリーとクランツには政治的なコネとビジネスの経験があったが、刑務所を営利事業として運営できる人物がどうしても必要だった。そこで白羽の矢を立てられたのがテレル・ドン・ハットーで、テキサス州の刑務所プランテーションを運営した経験と知識を活かしてアーカンソー全体の刑務所の営利化にかかわり、ヴァージニア州で5年間刑務所運営に携わっていた。

3人がコレクション・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)を創設してまもなく、ハットーは国内最大の刑務所協会であるアメリカ刑務所協会(ACA)の会長となり、たちまち刑務所開設の認可を得た。彼らはヒューストンのホテルを移民収容センターに改造したのを皮切りに、テネシー州の少年拘置施設と成人用刑務所の運営を請け負い、1986年にCCAはナスダック上場を果たした。

2017年の時点でCCAが運営する施設は、州刑務所や郡拘置所から更生訓練施設、連邦移民収容センターまで全米80カ所におよび、常時8万人を収容している(民営刑務所には受刑者人口の約8%が収容されている)。

創業者の一人であるビーズリーはビジネス雑誌に、「(民営刑務所のビジネスは)車や不動産やハンバーガーを売るように売るだけ」と語った。実際、CCAの商売の仕方はホテルチェーンにちかいものだった。

バウアーが働いている当時、ルイジアナ州は受刑者1人につき1日34ドルを支払っていた。一方、州が運営する刑務所での受刑者1人あたりの1日の平均費用は52ドルだった。州と民営刑務所の契約のおよそ3分の2には収容率保証(一定数の受刑者を送り込めなかった場合は州が補償金を支払う)が条件に含まれていて、ウィン矯正センターは99%の収容率が保証されていた。いちど契約を交わしてしまえば、民営刑務所はぜったいに利益の出るおいしい商売なのだ。

ここから、民営刑務所が抱えている矛盾を見て取るのはたやすい。州がCCAに受刑者の収容を委託するのは刑務所の費用を抑えるためで、民営刑務所のコストは公営刑務所に比べて15%安いとの調査がある。それにもかかわらず、CCAは上場企業として利益を出し、株主に配当しなければならない(CCAはすくなくとも年8%の利益を見込んでいた)。となれば、あとは運営コストを引き下げるほかない。

バウアーの初任給は時給9ドルだが、ルイジアナ州の公営刑務所のヒラ刑務官は時給12.5ドルだった。ウィンでの受刑者1人あたりのコストは、1990年代後期から2014年にかけて、物価調整後で20%ちかく減っていた。「民営刑務所は質を下げずに税金を節約できる」とされたが、それが机上の空論なのは明らかだ。

民営刑務所の実態をひとことで表わすなら「人間倉庫」

公営刑務所よりも安いコストで囚人を受け入れ、それでも上場企業として株主を満足させるだけの利益を出そうとすればどのようなことになるかは、バウアーの体験として克明に描かれている。それについては本を読んでいただくとして、民営刑務所の実態をひとことで表わすなら「人間倉庫」になるだろう。できるだけ安いコストで、刑期が来るまで囚人をただ閉じ込めておくのだ。

社会復帰のためのプログラムもなければ刑務作業もなく、囚人はわずかな運動の時間とテレビを見る以外は、することもなく雑居房で過ごす。当然、トラブルが頻発するが、受刑者が暴れると暴動鎮圧の訓練を受けた特殊作戦対応チームSORTが投入され、プラスチック弾やスタンガン、催涙弾といった“殺傷能力の低い”武器を使って規律に従わせる。

ウィンの受刑者は75%が黒人で25%が白人だが、人種対立はないという。白人受刑者が少数派なので、ギャング組織をつくって黒人と対抗しようとは思わないようだ。受刑者と同じく刑務官も大多数がアフリカ系で、白人のバウアーは「なぜこんな仕事をするのか」といぶかしがられた(あとでジャーナリストだとわかったとき、みんな納得したという)。

民営刑務所での囚人の扱いがどのようなものか、ひとつだけ例を挙げておこう。

最初の頃にバウアーは、車椅子に乗った年輩の黒人受刑者に出会った。指先のない手袋をはめていたが、そこからなにも突き出していなかった。男は壊疽で両脚をなくしたうえ、指までなくしたのだという。

記録によると、男は4カ月間にすくなくとも9回、医師の診療を求め、足の腫れ、ただれ、膿み、眠れないほどのはげしい痛みを訴えたが、職員に足の裏用のパッドとうおのめ除去用テープ、鎮痛剤を渡されただけだった。いちど、腫れあがって膿がにじむ足を刑務所長に見せたことがあったがなんの対処もされず、看護師からは「あなたはどこも悪くない。こんど救急で来たら、仮病で懲罰の報告書を書く」といわれた。

夜は痛みのため、ベッドでは寝られず椅子に座っていた。ある日、寝不足で倒れてコンクリートの床で頭を打ったが、医務室に運ばれたものの、医者に見せることもなく棟に戻された。手足の指が黒ずんで膿がにじみ、ほかの受刑者たちが感染するのではないかと騒ぎだし、よその部屋に移らないなら殺すと脅されてようやく地元の病院に連れていかれたが、すでに手遅れで両脚を切断することになったのだ。

受刑者を病院に搬送した場合、入院費はCCAが負担し、短期の入院でも2人の刑務官を監視につけなくてはならない。1日34ドルしか会社にもたらさない受刑者のためにそんな費用を支払うのを会社が嫌がるのは当然だ。ウィンの受刑者の40%ちかくが糖尿病や心臓病、喘息などの慢性疾患で、約6%はエイズやC型肝炎のような感染性疾患だが、満足な治療は望むべくもない。バウアーによると、受刑者の3分の1が精神的な問題をかかえていて、1割に深刻な精神症状があり、およそ4分の1はIQ70未満だという。

囚人が刑務官を監視している

元陸軍レンジャー部隊で、以前は小さな町で警察署長をしていたという刑務官はバウアーに、「ここには殺人犯もいる。レイプ犯もいる。だが大部分は、愚かにも学校の近くで大麻を吸っちまったやつらだ。連邦の規則で25年。かと思えば、一家皆殺しにして25年から終身刑を食らったやつらが、6年から8年で出ていく」と説明した。事実、ウィンの受刑者の約5分の1が薬物関連犯だ。ただし、学校のそばで大麻所持で逮捕された場合、6年ほどの刑が一般的だという。

その一方で多くの刑務官は、受刑者がめぐまれすぎていると考えている。刑務官同士の雑談では、「(受刑者は)どうして今すぐ家に帰らなきゃならないんだ?」「ここなら食事もタダ、ベッドもタダなのに」「ケーブルテレビもタダだし、ほしいものはなんでもタダだ。どうしてわざわざ外に出て働かなきゃいけないんだ?」などとジョークを飛ばしあう。彼らのお気に入りは「レーシック手術を受けても受刑者が払うのはたった5ドル」だ(ただし手術を受けられればの話だが)。「受刑者のほうが私たちより権利があるのよ」「生活のために働くより、犯罪をおかすほうが簡単だな」もよくある受刑者評だ。

刑務官の仕事でもっとも神経を擦りへらすのは、受刑者に甘い顔をしてつけこまれることだ。刑務官の人員はつねに不足しているので、40人以上の囚人がいる雑居房をたった1人で管理しなければならないことがしばしばある。

やがてバウアーは、刑務官が囚人を監視するのではなく、囚人が刑務官を監視していることに気づく。ほかにやることのない囚人たちは、刑務官を徹底的に観察し、どこかに隙を見つけたらそこにつけいって、麻薬の仲介役にしたり、セックスの相手にしようとするのだ。

女性刑務官が美容院に行くと、「髪型が変わったね。似合うよ」と誘ってくる。結婚指輪をはずしていると、「家でなにかあったのかい?」と心配そうに声をかけられる。ある女性刑務官は、「あの受刑者は私がきれいだと思わせてくれる。好きになって当然でしょ。彼が必要としているものを誰もあげないなら、私があげて何が悪いの?」といった。

教官は刑務官たちにこんな注意をしている。「持ち込んだ缶とかボトルとかに気をつけろ。かならず持って帰るんだ。ここから持ち出せ。さもないと、やつらがゴミ箱をあさってあんたのDNAを手に入れる。それでこう言うのさ。どうしてこのDNAがここにあると思うんだってな。あんたはゴミ箱に捨てたプラスチックスプーンを拾われたんだって説明しなきゃいけなくなる。刑務所ってところにはそういう罠が山ほどあるんだ」

バウアーはやがて、受刑者がわざわざ目の前で規則を破って、自分の意志を削りとろうとしているという考えにとりつかれるようになる。カリフォルニアから訪ねてきた妻には、いつも落ち着かない表情をしていて、顔がときどき痙攣すると指摘された。呼吸も正常ではなく、寝ているあいだ何度も寝返りを打ってうなされているともいわれた。

時給9ドルで民営刑務所の刑務官になって1年5カ月で、バウアーはもう限界だと感じるようになった。だがそれは、刑務官の仕事が向いていないからではない。最後の頃の日々はこう語られている。

外はカエルとコオロギの合唱が響いていた。空気は甘くかぐわしかった。仕事から帰るといつもそうしているように、深呼吸して自分が何者かを思い出そうとした。(ソーシャルワーカーの)ミス・カーターの言ったとおりだ。この仕事が肌に合ってきている。悦びと怒りの境界が曖昧になりつつある。怒鳴ると生きている感じがする。受刑者にノーと言うことに悦びを感じている。受刑者が僕に懲罰報告書を書かれたと文句を言うのを聞いて、いい気味だと感じる。禁止されているテレビ室に洗濯物が干されていたら没収し、自分の服がもっていかれるのを見た受刑者が区画の奥から叫ぶとぞくぞくする。ロックダウン(刑務所の監房に囚人を閉じ込める措置)の最中、トリネコ棟で暴動を起こすぞと脅されたとき、SORTチームが来て棟全体に催涙スプレーをまくのを期待した。いまではひたすら刺激がほしかった。

『アメリカン・プリズン』でバウアーは、知られざる民営刑務所の実態だけでなく、囚人を綿花プランテーションに貸し出したり、州刑務所がプランテーションを運営して利益をあげるなど、奴隷解放後もさまざまな手段で実質的な「奴隷制度」がつづいていたことを詳細に調べている。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の生命も大切だ)」の運動の背後にあるアメリカ社会の複雑な歴史の一端が、本書を通して見えてくるだろう。

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