知能による階層化でアメリカの「新上流階級」が生まれた

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年11月24日公開の「トランプ大統領誕生は 米国民衆による「反知性主義」の反乱だった」です(一部改変)。前回記事「アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって 分断されている」の続編にあたるので、合わせて読んでいただければ。

******************************************************************************************

アメリカの政治学者チャールズ・マレーは、『階級「断絶」社会アメリカ 新上流と新下流の出現』(橘明美訳、草思社)で1960年と2010年のアメリカを比較し、膨大な社会統計を分析することで、白人社会で大きな変化が起きていることを見出した。そのひとつが「中流の崩壊」で、グローバル化と知識社会化に適応できなくなった白人中流層が急速にニュープアに落ち込んでいるのだ。

プアホワイトが暮らす崩壊したコミュニティをマレーは「フィッシュタウン」と名づけたが、その割合はもっとも低かった1960年代の10%から上昇しつづけ、リーマンショック前の2007年に33%になった。このフィッシュタウンは、マスメディアや知識人・専門家が気づかないうちにその後も増殖をつづけ、稀代のポピュリストであるドナルド・トランプを世界最大の権力者の座につけるという大番狂わせを演出した。

マレーは、「知識社会においては、経済格差は知能の格差である」として、知能と社会階層に強い相関関係があることを明らかにした。その分析は大統領選の背景にあるアメリカ社会の変容を知るもっとも有用な基礎資料だが、残念なことに日本ではほとんど知られていない。それはマレーが保守派の知識人で、なおかつ「レイシスト(人種主義者)」のレッテルを貼られて、本国アメリカでリベラルなメディアや知識人から無視されているからだ。

そこで今回は、マレーが分析したアメリカ社会のもうひとつの社会階層である「新上流(ニューリッチ)」についても見てみよう。

20世紀末に大学の階層化が進んだ

ビル・クリントン政権で労働長官を務めたリベラル派の経済学者ロバート・ライシュはすでに20年前に、世界的ベストセラーとなった『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ 21世紀資本主義のイメージ』(中谷巌訳、ダイヤモンド社)で、21世紀のアメリカ人の仕事はスペシャリスト(知識労働)とマックジョブ(マクドナルドのようなマニュアル化された単純労働)に二極化すると予言した。新上流階級を構成するのがスペシャリストすなわち専門家だが、ここでは「クリエイティブクラス」と呼ぼう(より正確には、クリエイティブクラスは芸術家などのクリエイターと、医師・弁護士などのプロフェッショナルに分かれる)。

クリエイティブクラスが集まる新上流階級は1960年には存在していなかったが、1980年代にはテレビドラマにまで登場するようになった。「階級」と呼ぶ以上、その構成員がじゅうぶんな数に達していなければならないが、1960年のアメリカでは大学に進学できる若者はごく一部で、その卒業生が社会のなかでまとまった集団をつくることはなかった。だがじつは、この年は知識社会への決定的な分岐点だった。

1926年に行なわれた調査によれば、アメリカの全大学卒業生の平均IQが115だったのに対し、超一流大学(コロンビア、ハーバード、プリンストン、エールなど)の学生の平均IQは117でほとんど変わらなかった。1952年になっても、ハーバードの新入生のSAT(大学進学適性試験)の「英語(日本でいう国語)」の平均点は583で、全国平均を超えてはいたものの、とりたててどうというレベルではなかった。

だがその後、突如「革命」が起きた。1960年にハーバードの新入生の平均点は678に跳ね上がったのだ。1952年なら平均点をとれたような学生は、1960年には下位10%に入るのもやっとになった。

マレーは1960年代に同じような現象が全米で起き、大学の階層化が進んだという。その理由は社会がゆたかになって、ふつうの若者でも(奨学金などを利用して)大学に進学できるようになったからだが、それは同時に、学歴(知能の指標)がその後の人生に大きな影響をもつと誰もが気づいたからでもあった。こうして「知識社会化」が始まった。

20世紀末になると、この知識社会はすでに完成していることがわかる。SATで上位5%以内の高校生の進学先を調べると、全大学のなかの上位41校に彼らの半数が、上位わずか10校に20%が入学していたのだ。

こうしていまのアメリカでは、三流公立大学には全米平均レベルの学生ばかりが集まる一方、名門校には認知能力で上位10%を下回る学生など1人もおらず、大学によっては上位1%以内、場合によっては上位0.1%以内の学生がうようよいるところもあるとマレーはいう。

そしてこれが優秀な学生に出会いの場を提供し、学歴同類婚(選択結婚)を増やすことで、アメリカ社会の「知能による分断」を固定化したのだ。

あたまのいい子どもは孤独

新上流階級はどのように形成されたのか。マレーは、「あたまのいい子どもは孤独だからだ」という。

青春ものの映画やテレビを見ればわかるように、アメリカの学校においてもっとも人気のある男の子はアメリカンフットボールのクォーターバックで、女の子は(金髪の)チアガールだ。コンピュータのプログラムが書けたり、詩や小説の古典について語れるからといって尊敬されることは「ぜったいに」ない。

ハーバード大学ロースクールを出て企業弁護士になったのち、「内向的」なアメリカ人のためのコンサルタントに転身したスーザン・ケインは、子どもの頃は読書が大好きな女の子だった。ニューヨーク・ブルックリンでユダヤ教の博学なラビだった祖父を中心にして、ケインの家では、日曜の午後になると家族全員が本を持って書斎に集まった。家族のぬくもりに包まれながら、頭のなかで冒険の国を自由に飛び回るのは素晴らしい体験だったが、美しい子ども時代は突然、終わりを告げる。ケインはその体験をこう語っている(『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』古草秀子訳、講談社)。

思春期を前にして、私は読書が好きなせいで友人から「仲間はずれ」にされるのではないかと心配になった。その心配は、サマーキャンプへ行った10歳のときに確信に変わった。眼鏡をかけて賢そうな顔をした女の子が、大事なキャンプの初日に本を読んでいてばかりいるという理由で、それっきり昼も夜もずっとのけ者にされたのを見たのだ。じつは私も本を読みたかったけれど、持ってきたペーパーバックをスーツケースの奥にしまい込んだ(本が私を求めているのに見捨ててしまったような気持ちになって、罪の意識を強く感じた)。本を読みつづけた女の子が内気な堅物のように見え、本当は自分もまったく同じなのだと気づいていた一方で、それを隠さなければならないということもわかっていた。

ポジティブで外向的であることが成功への条件とされるアメリカでは、内向的な性格の若者はものすごく生きづらい。このような「孤独であまたのいい若者」が、同じような境遇の異性に出会ったら互いに強烈に惹かれあうだろう。そして1980年代のアメリカは、彼らに出会いの場を提供した。大学教育の普及によって「頭のいい若者」が特定の大学に集まるようになり、そこで自分の同類を見つけることになったのだ。

このようにして、あたまのいい男の子があたまのいい女の子と結婚し、子どもをつくるようになった。これが、知識社会において新しい「上流階級」が生まれる基礎になったのだとマレーはいう。

これについては人口動態調査に基づいた社会学者の研究もあって、1940年から2003年にかけての動向を調べたところ、教育段階の両端で同じ学歴の者同士の同類婚が増えていることがわかった。すなわち、大卒者は大卒者と、高校中退者は高校中退者と結婚するのだ。その結果、1960年にはどちらも大学卒という組み合わせは全米のカップルのわずか3%だったが、2010年には25%まで増えた。

認知能力が似た者同士が夫婦になるのは打算のためではない。新上流階級と新下級階級の分離がいったん固定化すると、両者は異なるサブカルチャーを持つようになる。ようするに、「(新上流階級と新下級階級は)いっしょにいても楽しくない」のだ。

スーパーZIPの偏った人種構成

『階級「断絶」社会アメリカ』でのマレーの独創は、アメリカでは所得階層によって住む場所が明確に分かれているという社会学的事実から、ZIP(郵便番号)によって高所得者と低所得者の地域を分類したことだ。このうち、認知能力で上位5%以内が住む高級住宅地が「スーパーZIP」だ。

スーパーZIPの人口は(全米の5%なのだから)25歳以上の910万人で、大卒者の割合は63%、世帯所得の中央値は14万1400ドルだ(約1500万円。以下は2000年の国勢調査に基づくデータ)。マレーは「新上流階級(広義のエリート)」を240万人と概算しているから、スーパーZIPの住民はその約4倍になる(その後の20年で富裕層の所得は大幅に上がったので、この中央値は現在では20万ドルを超えているだろう)。

スーパーZIPの住民は、(定義上)裕福で高学歴である以外に、以下の特徴がある。

まず、それ以外の地域のひとびとに比べて既婚者が多く、離婚経験者が少なく、シングルマザーも少ない。男性は労働力率が高く、失業者が少なく、労働時間が長い。また都市のスーパーZIPでは犯罪率が低く、郊外のスーパーZIPでは犯罪はめったに起きない。

スーパーZIPの際立った特徴のひとつは人種構成だ。

2000年の時点で、スーパーZIPの住民の82%が白人、8%がアジア系、アフリカ系とヒスパニックがそれぞれ3%だった。これに対してそれ以外の地域では、白人が68%、アフリカ系が12%、ヒスパニックが6%、アジア系が3%だった(2010年の国勢調査に基づけば、間違いなくスーパーZIPのアジア系の比率が上がっているはずだとマレーは指摘する)。

マレーは、新上流階級のもっとも成功しているひとたちがどこに住んでいるかを知る方法がないかと考え、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の卒業生名簿に目をつけた(2004年に開かれた第25回同窓会のためにつくられた1979年卒の名簿を入手した)。

彼らはほぼ全員が50代で、まさにキャリアの頂点に立っていた。そのうちアメリカ在住で、かつZIPコードが特定できるのは547人で、そのなかにはCEOが51人、社長・頭取・総裁が107人、会長・理事長が15人、その他何らかの事業のトップに立つ責任者・共同経営者・経営者が96人いた。さらにトップに次ぐ地位としてCFO、COO、執行副会長・副社長、常務取締役などが115人いた。

この計384人を新上流階級(広義のエリート)としてその住所をZIPコードで振り分けると、61%がスーパーZIPに住み、残りの39%もその多くはスーパーZIPに準ずる地域に家を構えていた(全体の83%が上位20%以内のZIPコードに含まれていた)。

「成功した新上流階級」は特定の地域に集住しているが、それは具体的にはどこなのか。マレーは人口統計からアメリカに5つの巨大なクラスター(新上流階級の密集地)があることを突き止めた。

アメリカでもっともスーパーZIPが集積しているのがワシントン(特別区)で、ニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)にスーパーZIPの大きな集積があり、ロサンゼルスとボストンがそれに続く。

ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。ニューヨークは国際金融の、シリコンバレーはICT(情報通信産業)の中心で、(ビジネスの規模はそれより劣るものの)ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。これらの都市では、ビジネスチャンスは、高い知能と学歴を有する者にしか手に入らない。

「反知性主義」の反乱

それでは、新上流階級はどのような政治信条を持っているのだろうか。マレーはこれをリベラル指数(LQ)によって計測した。

LQは「民主的行動のためのアメリカ人」(ADA)という団体が集計した連邦議会議員の投票行動に対する指標で、100なら完全なリベラル、0なら完全な保守となる(「純粋リベラル」はLQ90以上、「リベラル」は75~89、「中道」は25~74、「保守」は10~24、「純粋保守」は0~9)。

まず全体的な傾向だが、2002年、2004年、2006年、2008年の選挙で選ばれた連邦議会議員のLQを調べたところ平均は51.5で、議員の57%が「純粋リベラル」か「純粋保守」すなわち左右どちらかに極端に偏っており、「中道」はわずか21%だった。これはアメリカ社会が共和党支持と民主党支持で分断している証拠にも思えるが、アメリカ人の政治信条は右から左までほぼ均等だということもできる(図①)。

 

次いでマレーは、スーパーZIPの住民の政治信条を調べてみた。それが図②だが、二極化の度合いはすこし高くなっているが中道も増え、その分布は平均的なアメリカ人とほとんど変わらない。

この結果を意外だと思うかもしれないが、じつはこれにはすこし仕掛けがあって、スーパーZIPのなかからニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコ一帯の4つの巨大クラスターを除いたものなのだ。

図③が、その4大クラスターの政治信条を示したものだ。これを見れば一目瞭然だが、新上流階級の巨大集積では、成人人口の64%が「純粋リベラル」(いわゆる「極左」)の議員によって代表されていて、保守派は「純粋保守」と「保守」を合わせても19%しかいない(図版はすべてマレー前掲書より作成)。

これをもとにマレーは、アメリカの政治、経済、文化に大きな影響力を持つ(狭義の)エリートの価値観は極端に「リベラル」に偏っており、それは平均的なアメリカ人はもちろん、4大クラスター以外のスーパーZIPに住む新上流階級とも大きく異なっていると主張した。

これを見ると、今回の大統領選が、知識社会アメリカを「支配」する彼ら新上流階級に対する大衆の「反知性主義」の反乱だったことがよくわかる。その一方で4大クラスターに集住する新上流階級(ヒッピームーヴメントの末裔たち)は、自分たちの価値観を真っ向から否定する新しい大統領をぜったいに認めないだろう。

これが今後4年間の、アメリカ社会の基本的な構図なのだ。

禁・無断転載

ストレスが脳に炎症を起こすことがわかってきた 週刊プレイボーイ連載(560)

ストレスが身体だけでなく心の健康にも悪いことはむかしから知られていましたが、その仕組みはずっと謎に包まれていました。

ウイルスや細菌に感染しているわけでもないのに免疫系が過剰に活性化し、白血球が正常な細胞を攻撃して臓器や組織に炎症が起きるのが自己免疫疾患で、典型的な現代病とされています。研究者は、各種の臓器に炎症が生じている患者はうつ病など、さまざまな精神疾患を併発しやすいことや、炎症性物質であるサイトカインの数値が高いと、うつ病や双極性障害、統合失調症などを発症する危険性が高くなることに気づいていました。

しかし、このようなエピソードをいくら集めても、医学的にはあまり意味がありませんでした。これまで、脳には免疫機能がないとされていたからです。

ところが2010年代になって、「ミクログリア」と呼ばれる脳内の細胞が免疫の役割を果たしていることがわかってきました。グリア細胞は神経系(ニューロン)を含まないため、これまでさほど注目されてこなかったのですが、この発見(ミクログリア革命)によっていまや精神医学は根底から書き換えられようとしています。

なんらかの理由で身体の免疫反応が高まると、それが頭蓋骨の裏側にあるリンパ管を通して脳内の免疫細胞であるミクログリアに伝わります。するとミクログリアは、緊急事態が起きていると「誤解」してサイトカインを放出し、付近にあるニューロンを片っ端から攻撃しはじめるのです。――脳が炎症を起こすと副腎からストレスホルモンを放出させ、さらに身体の免疫反応が高まるという悪循環も考えられます。

ラットを使った動物実験では、ミクログリアを意図的に「破壊モード」にすると、脳が縮小してアルツハイマー認知症のような症状が出ました。人間でも、うつや不安障害、認知症などの患者は、記憶や感情に関連する脳の部位である海馬が縮んでいることが脳画像で確認されています。

従来の精神医学は、精神疾患はドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質の欠乏や過剰が原因だとして、向精神病薬でその濃度を調整しようとしてきました。しかしこれは副次的な症状に過ぎず、さまざまな精神疾患や発達障害、認知症などに共通するのは、ミクログリアの暴走による脳の炎症かもしれないのです。

最近では、「疑似絶食療法」で身体の免疫反応を下げ、ミクログリアの活動を抑制する治療法が注目されています。今後、精神障害の治療は大きく変わっていくことになるでしょう。

近年の脳科学では、脳は身体的な暴力と心理的な攻撃を区別できないと考えます。強いストレスにさらされることは、日々、殴る蹴るの暴行を受けているのと同じことなのです。

この知見が広く知られるようになれば、いじめやハラスメントがますます大きな社会問題になるのは間違いありません。それと同時に、個人としては、健康と幸福のために、ストレスのない環境をいかに構築するかが重要になっていくでしょう。

参考:ドナ・ジャクソン・ナカザワ『脳のなかの天使と刺客 心の健康を支配する免疫細胞』 夏野徹也訳、白揚社

『週刊プレイボーイ』2023年4月24日発売号 禁・無断転載

アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって 分断されている

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年6月13日公開の「アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって 分断されている」です(一部改変)。

なお、この記事で書いたことは2016年の米大統領選でのトランプ勝利で現実のものとなり、その後、アメリカのリベラルな研究者たちが、保守派・右翼とされるチャールズ・マレーの主張が正しかったことを(しぶしぶ)認めました。「絶望死するアメリカの低学歴白人労働者たち」と合わせてお読みください。

******************************************************************************************

すこし前の話だが、ワシントンのダレス国際空港からメキシコのカンクンに向かった。12月の半ばで、機内はすこし早いクリスマス休暇をビーチリゾートで過ごす家族連れで満席だった。

乗客は約8割が白人で残りの2割はアジア(中国)系、あとは実家に帰ると思しきヒスパニックの家族が数組という感じだった。クリスマスまでまだ1週間以上あるから、彼らは長い休暇をとる経済的な余裕のあるワシントン近郊のひとたちだ。

その富裕層の割合は、アメリカの人種構成とは大きく異なっている。国勢調査によれば、全米の人口のおよそ7割は白人(ヨーロッパ系)で、10%超がアフリカ系(黒人)、6%がヒスパニックでアジア系は5%程度だ。しかし私が乗り合わせた乗客のなかに黒人の姿はなく、メキシコに向かう便にもかかわらずヒスパニックの比率もきわめて低かった。

もちろん私は、たったいちどの体験でアメリカについてなにごとかを語ろうとは思わない。このときの違和感を思い出したのは、チャールズ・マレーの『階級「断絶」社会アメリカ』(橘明美訳、草思社)を読んだからだ。

アメリカの経済格差は知能の格差

著者のマレーが自らが認めているように、本書はアメリカ社会を分析したいくつかの先行研究を組み合わせたコロンブスのタマゴだ。しかしこのタマゴは、見た目がグロテスクで味はほろ苦く、アメリカの知識層に大きな衝撃をもたらした。

アメリカがごく一部の富裕層と大多数の貧困層に分裂しているという話は、耳にタコができるほど聞かされている。では、この本のどこがショッキングだったのだろうか。

マレーは、アメリカの知識人なら誰もが漠然と思っていて、あえて口にしなかった事実を赤裸々に書いた。彼の主張はきわめて単純で、わずか1行に要約できる。

「アメリカの経済格差は知能の格差だ」

マレーはこのスキャンダラスな仮説を実証するために、周到な手続きをとっている。

まず、アメリカにおいてもっともやっかいな人種問題を回避するために、分析の対象を白人に限定した。ヨーロッパ系白人のなかで、大学や大学院を卒業した知識層と、高校を中退した労働者層とで、その後の人生の軌跡がどのように異なるのかを膨大な社会調査のデータから検証した。

そのうえでマレーは、認知能力の優れたひとたち(知識層)とそれ以外のひとたちが別々のコミュニティに暮らしていることを、郵便番号(ZIP)と世帯所得の統計調査から明らかにした。

アメリカ各地に知識層の集まる「スーパーZIP」がある。このスーパーZIPが全米でもっとも集積しているのがワシントン(特別区)で、それ以外ではニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)にスーパーZIPの大きな集積があり、ロサンゼルスやボストンがそれに続く。

ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。この街ではビジネスチャンスは、国家機関のスタッフやシンクタンクの研究員、コンサルタントやロビイストなど、きわめて高い知能と学歴を有するひとにしか手に入らない。

ニューヨークは国際金融の、シリコンバレーはICT(情報通信産業)の中心で、(ビジネスの規模はそれより劣るものの)ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。グローバル化によってアメリカの文化や芸術、技術やビジネスモデルが大きな影響力をもつようになったことで、グローバル化に適応した仕事に従事するひとたち(クリエイティブクラス)の収入が大きく増え、新しいタイプの富裕層が登場したのだ。

マレーは、スーパーZIPに暮らすひとたちを「新上流階級」と呼ぶ。彼らが同じコミュニティに集まる理由はかんたんで、「わたしたちのようなひと」とつき合うほうが楽しいからだ。

新上流階級はマクドナルドのようなファストフード店には近づかず、アルコールはワインかクラフトビールでタバコは吸わない。アメリカでも新聞の購読者は減っているが、新上流階級はニューヨークタイムズ(リベラル派)やウォールストリートジャーナル(保守派)に毎朝目を通し、『ニューヨーカー』や『エコノミスト』、場合によっては『ローリングストーン』などを定期購読している。

また彼らは、基本的にあまりテレビを観ず、人気ランキング上位に入るようなトークラジオ(リスナーと電話でのトークを中心にした番組)も聴かない。休日の昼からカウチに腰をおろしてスポーツ番組を観て過ごすようなことはせず、休暇はラスベガスやディズニーランドではなく、バックパックを背負ってカナダや中米の大自然のなかで過ごす。ここまで一般のアメリカ人と趣味嗜好が異なると、一緒にいても話が合わないのだ。

アメリカでは民主党を支持するリベラル派(青いアメリカ)と、共和党を支持する保守派(赤いアメリカ)の分裂が問題になっている。だが新上流階級は、政治的信条の同じ労働者階級よりも政治的信条の異なる新上流階級と隣同士になることを好む。政治を抜きにするならば、彼らの趣味やライフスタイルはほとんど同じだからだ。

新上流階級の台頭とコミュニティの崩壊

もちろん、アメリカ社会における新上流階級の登場を指摘したのはマレーが最初ではない。

クリントン政権で労働長官を務めたリベラル派の政治学者ロバート・ライシュは、1991年の『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ 21世紀資本主義のイメージ 』(中谷巌訳、ダイヤモンド社)で、市場のグローバル化によって労働市場は「ルーティン・プロダクション・サービス(工場労働)」「インパースン・サービス(対人サービス業)」「シンボリック・アナリスト(知識産業)」に分かれていくと指摘した。

だが分裂していくのはワークスタイル(仕事)だけではない。

戦前はもちろん、戦後も1960年代くらいまでは、大富豪も庶民とたいして変わらなかった。金持ちになればハイボールがジムビームではなくジャックダニエルになり、乗っている車がシボレーではなくビュイックやキャデラックに変わったが、日々の生活や余暇の過ごし方は一般のアメリカ人と同じで、ただそれを召使に囲まれて優雅に行なっていただけだった。富裕層は庶民と異なるスタイルを身につけていたが、異なる文化コンテンツをもっていたわけではなかった。

しかし1980年代以降、とりわけ21世紀になって、アメリカ社会に大きな変化が訪れた。

ニューヨークタイムズのコラムニスト、デイビッド・ブルックスは2000年の『アメリカ新上流階級ボボズ ニューリッチたちの優雅な生き方』(セビル楓訳、光文社)で、高学歴の富裕な社会集団を「ボヘミアン(Bohemian)的なブルジョア(Bourgeois)」と定義し、「BOBO」と命名した(この名称自体は定着しなかった)。ここでいうボヘミアンは、「既存の秩序やルールにとらわれず自由な生き方を求めるひとたち」で、作家やアーティスト、同性愛者などを指す。

次いで2002年、社会学者のリチャード・フロリダが『クリエイティブ資本論 新たな経済階級の台頭』( 井口 典訳、ダイヤモンド社)などの一連の著作で、知識社会の中心はクリエイティブな仕事をするひとたち(クリエイティブクラス)であるとして、同性愛者が多く暮らす都市はキリスト教原理主義的な南部の都市よりも際立って経済成長率が高いことを示した。知識層(BOBO)は自由闊達なボヘミアン的文化に引き寄せられるため、同性愛者を差別しない寛容な都市にクリエイティブな才能が集まり、それを目当てにクリエイティブな企業が進出してくるのだ(ニューヨークやサンフランシスコ郊外のシリコンバレーが典型)。

それと同時に、2000年に政治学者のロバート・パットナムが共同体論の記念碑的作品となる『孤独なボウリング 米国コミュニティの崩壊と再生』(柴内康文訳、柏書房)を刊行し大きな反響を呼んだ。アメリカのボウリング人口は増えているものの、かつて隆盛を誇ったボウリングクラブはほとんど消滅してしまった。パットナムは膨大な統計と社会調査を駆使して、ひとびとがコミュニティに所属するよりも自分ひとりで孤独なボウリングをするようになった現実を示した。

パットナムは、アメリカ社会が全体としてコミュニティ文化を失いつつあると論じた。しかしマレーは『階級「断絶」社会アメリカ』で、アメリカ社会を新上流階級と労働者階級に分けたうえで、労働者階級のあいだではたしかにコミュニティが崩壊しているが、新上流階級のなかでは「古きよきアメリカ」の価値観がまだ健在であることを発見したのだ。

これが本書のもっとも大きな意義で、かつ論争の焦点だろう。

格差社会の「強欲な1%」に美徳がある

マレーは、アメリカ社会の建国の美徳として「結婚」「勤勉」「正直」「信仰」の4つを挙げる。これについては異論もあるだろうが、円満な家庭を営み、日々仕事をし、地域のひとたちを信頼し、日曜には教会に通うひとは、孤独な1人暮らしをし、仕事がなく失業中で、犯罪に怯えて誰も信用せず、教会の活動からも足が遠のいているひとよりも幸福である可能性が高いことは間違いないだろう。

そのうえでマレーは、認知能力において上位20%の新上流階級が暮らす「ベルモント」と、下位30%の労働者階級が住む「フィッシュタウン」という架空の町を設定し、いずれの基準でもベルモントにはフィッシュタウンよりも圧倒的に高い割合で「幸福の条件」が揃っていることを示す。

もちろんマレーは、一人ひとりを取り上げて「知能が低いから幸福になれない」などといっているわけではない。彼が指摘するのは、フィッシュタウンでは働く気がなかったり、薬物やアルコールに溺れたり、赤ん坊を置いて遊びに行くような問題行動をとるひとたちが急速に増えているという事実だ。その割合が限界を超えると地域社会は重荷を背負えなくなり、コミュニティは崩壊して町全体が「新下流階級」へと落ちてしまう。

それに対して新上流階級ではこうした問題行動はごく少ない(あるいは排除されてしまう)ため、アレクス・ド・トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で描いたような健全なコミュニティを維持することが可能なのだ。

こうしてマレーは、格差社会における「強欲な1%」と「善良な99%」という構図を完膚なきまでに反転する。アメリカが分断された格差社会なのは事実だが、美徳は“善良”な99%ではなく“強欲”な1%のなかにかろうじて残されているのだ。

このように書いてもイメージできないだろうから、本書に登場する現実のフィッシュタウン(善良な99%)を紹介しよう。ペンシルバニア州フィラデルフィアにある低所得地域で、住民のほとんどは白人だ。

最初は、1980年代半ばに20歳だったジェニーの体験談。ジェニーは7人兄弟の一人で、父親の暴力のため両親は子どもの頃に離婚していた。

「息子を産んだのは20歳のときです。19歳で妊娠して、20歳で生みました。早くに結婚した姉もちょうど妊娠していました。わたしは当時つき合っていた男性と結婚したくて、これで結婚できる、そして姉みたいになれると思ったのですが、うまくいきませんでした。そうしたら妹も妊娠して、姉妹3人がそろって妊婦になってしまって、それ自体は悪いことじゃありませんが、母は驚いてました(後略)」

次は、地元のカトリックの中学校に通う16歳の娘を持つ母親の話。

「この4カ月で娘は6回もベビー・シャワー(妊娠した人のためのパーティー)に招かれました(略)(娘が通っている学校には)52人も妊娠している女子生徒がいるんです。52人ですよ。ひどい話です。しかもそれ以外に、すでに子供を産んだ生徒もいるんですから。(略)誰もがみんなこうだから、もう誰が悪いともいえないし、いったいどうなってしまったんでしょう? なぜこんなにたくさんの子供たちが妊娠するんでしょう? わたしが学校に通っていたころも少しはいましたけど、でも1年にせいぜい4人でした」

マレーはこうした新下流階級の規模を、「生計を立てていない男性」「一人で子供を育てている母親たち」「孤立している人々」という3つの基準から、(控えめに見積もっても)30歳以上50歳未満の全白人の2割に達すると推測している。

マレーは分析の対象を白人に限ることで、アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって分断されている事実を示した。

もちろんマレーは本書で、こうした分断社会を無条件に肯定すべきだといっているのではない。ただ、グローバルな知識社会の現実を直視しなければ、いかなるきれいごとの「対策」も無意味だと述べているだけだ。

禁・無断転載