10年後の政治の景色は変わっているだろうか 週刊プレイボーイ連載(619)

「派閥とカネ」の問題で揺れた岸田政権の後任を争う自民党総裁選は、石破茂氏が高市早苗氏との決選投票を制して第28代総裁に選出されました。

主要派閥の多くが解散した今回の総裁選でわかったのは、派閥の締めつけがなければ候補者が乱立することです。

得票数が少なかった候補者も意外とさばさばしているのは、「ポスト派閥時代」では、20人の推薦人を集めて総裁選に挑むことが、党内での「実力者」の証明になるからでしょう。政界はきわめてステイタス争いのきびしい世界で、今後、総裁選に立候補した者と、そうできなかった者のあいだではっきりした「格差」が生まれるでしょう。

政党政治は民主政の基本ですが、政党のなかに複数の派閥があり、配下の議員と親分子分の関係をつくって、選挙資金を配ったり、内閣の人事を決めたりするのは、いまや日本にしかない前近代的な遺物です。

“闇将軍”と呼ばれた田中角栄のように、派閥政治では、内閣総理大臣よりも派閥の領袖のほうがはるかに大きなちからをもつということが起こり得ます。派閥がなくなれば隠されていたステイタスが“見える化”されるため、そのことに気づいた有力政治家が、勝てるかどうかにかかわらず、レースに殺到したのです。

「政治家は、選挙に落ちたらタダのひと以下」という自虐ネタがあるように、大半の政治家にとっては、次の選挙で当選できるかどうかが最大の関心事です。どれほど高邁な理想をもっていても、議員バッジがなければなにひとつ実現できないのです。

派閥が選挙の面倒を見てくれなくなれば、当落線上の議員は、人気の高い党首を担いで、その勢いに乗りたいと考えるでしょう。だとすれば、一部で強い支持があったとしても、反発も強い「とがった」候補より、世論調査で有権者の好感度の高い候補を選ぼうとするでしょうし、実際、そのとおりの結果になりました。

政治家にとって、選挙の次に重要なのはポストです。これまでは、派閥の親分に忠誠を誓っていれば役職が割り当てられたのですが、ポスト派閥時代になると、派閥に属しているからといって、そのうちなんとかなるというわけにはいきません。

国会は狭い世界なので、与党も野党も含め、誰が能力があって、誰が使いものにならないかは、みんな知っています。欧米諸国では閣僚の若返りが進んでおり、今後は日本も、実力で抜擢されるようになるのではないでしょうか。

「政権交代可能な二大政党制」を目指して平成の政治改革が断行されましたが、結果として、自民党の一党支配は変わりませんでした。有力派閥に属していれば、それなりの「出世」が見込めるのですから、リスクを負って党を出る理由はありません。こうして、自民党のなかで保守派とリベラル派が「政権交代」するという奇妙なことになったのです。

しかしこれも、議員同士の関係が液状化すれば変わってくるでしょう。選挙で勝てそうな、あるいはより高いポストが得られそうな政党に移ることが合理的な選択になるからです。

「戦後80年たっても日本の政治は変わらない」といわれますが、10年後にはまったくちがう景色を目にしているかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2024年10月7日発売号 禁・無断転載

アメリカはどのように「分裂」しているのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

米大統領選が近づいてきたので、トランプ時代にアメリカについて書いた記事をアップします。映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』の公開に合わせて、今回は2017年12月29日公開の「アイデンティティ主義がもたらす さまざまな不愉快な出来事の原因と解決策」です(一部改変)。

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

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2075年、アメリカは環境破壊のためにフロリダをはじめとする沿岸地域が水没しつつあった。そのため化石燃料の使用を全面禁止する法案が成立したが、これに反発したジョージア、アラバマ、ミシシッピの南部三州が独立を宣言、合衆国は歴史上二度目の内戦に陥った――という設定で始まるのが『アメリカン・ウォー』(黒原敏行 訳/新潮文庫)だ。

著者のオマル・エル=アッカドは1982年にカイロで生まれ、ドーハで育ったのち98年に家族でカナダに移住、新聞社で調査報道に携わり、アフガニスタン戦争、グァンタナモ米軍基地、エジプトの「アラブの春」、米ミズーリ州ファーガソンで起きた白人警官による黒人少年射殺事件などの取材を手がけ、その後作家デビューを果たした。

この経歴を見ればわかるように、『アメリカン・ウォー』はたんなる近未来小説ではない。そこには中東での現在進行形の紛争の影が色濃く刻まれている。 続きを読む →

「解雇規制の緩和」に反対する”差別主義者”たち 週刊プレイボーイ連載(618)

石破茂氏が自民党の新総裁に選出されましたが、選挙戦で注目されたのは解雇規制の緩和です。

この問題を考えるには、「そもそも日本的雇用とはなんなのか?」から始めなければなりません。これは一般には、日本が年功序列と終身雇用の「メンバーシップ型」、アメリカが仕事の内容に応じて採用や解雇を行なう「ジョブ型」だとされます。

最近はメディアもこのような説明をしていますが、これははっきりいって詭弁です。そもそもメンバーシップ型の雇用制度をもつ国は、もはや日本くらいしかないのです。

バブル崩壊後の1990年代に、経済学者らが雇用制度を欧米型に変えるべきだと主張したときは、「ネオリベ」のレッテルを貼られ、はげしい批判を浴びました。それから20年ちかく、右も左も「雇用破壊を許すな」の大合唱を繰り広げてきました。

そんなひとたちが最近になって黙るようになってきた理由のひとつは、日本の労働生産性が先進国では最低レベルで、アメリカの労働者の半分くらいしかないことが繰り返し示されたことでしょう。給料が増えないのは「グローバリズムの陰謀」ではなく、過労死するほど働いてもぜんぜん稼げていないからなのです。

さらなる“不都合な事実”は、OECDを含むあらゆる調査で、日本のサラリーマンのエンゲージメント(仕事への熱意)がものすごく低いことが明らかになったことです。日本人は世界でもっとも仕事が嫌いで、会社を憎んでいます。「日本的雇用が日本人(男だけ)を幸せにした」という主張は、真っ赤なウソだったのです。

メンバーシップ型の雇用制度は、社員をタコツボに入れて、そこから出られないようにします。新卒で入社すれば「正社員の既得権」が手に入りますが、転職した会社で同じ「権利」はもらえません。会社を変わると不利になることが、日本の労働市場の流動性を低くしています。

しかしより重要なのは、メンバーシップ型の雇用制度が差別の温床になることです。

日本の会社は「イエ」制度で、メンバー(正社員)であるかどうかで「身分」が決まります。正社員と非正規のグロテスクな「身分差別」がここから生じますが、「あらゆる差別に反対する」はずの労働組合や、組合を支持基盤にする「リベラル」政党は、この問題に見て見ぬふりを決め込みました。裁判所から「不合理な待遇格差は違法」という判決を出されて、イヤイヤ対応しているのが実態でしょう。

それ以外でも、親会社からの出向と子会社のプロパー社員の給与格差は同一賃金・同一労働の原則に反します。海外子会社の現地採用と本社採用は「国籍差別」そのものでしょう。メディアがこの問題に触れたがらないので多くの日本人が誤解していますが、世界でジョブ型雇用な主流になるのは、「ウチ」と「ソト」を分けるメンバーシップ型雇用の差別的慣行が、リベラルな社会では許されないからです。

差別を容認する者は、定義上、「差別主義者」です。戦後日本の不幸は、「リベラル」を自称するメディアが、「働く者の安心を守れ」という美名の下に「差別」を煽り、なおかつそのことに気づいていないことです。

総裁選の候補者には、「日本をリベラルな社会にするために、日本的雇用を破壊しなければならない」と、堂々と主張してもらいたかったと思います。

参考:「いまこそ「金銭解雇の法制化」の議論を始めよう」

『週刊プレイボーイ』2024年9月30日発売号 禁・無断転載