合理的楽観主義者は世界と未来をどのように見ているのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年1月16日公開の「「世界がどんどん悪くなっている」というのはフェイクニュース。 先進国の格差拡大にも関わらず 「公正なルール」のもとでの不平等は受け入れられる」です(一部改変)。

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2004年に『タイム誌』の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれた進化心理学者のスティーブン・ピンカーは、『暴力の人類史』(青土社)につづいて2018年に“Enlightenment Now(いまこそ啓蒙を)”を上梓し、日本でも『21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩 』(橘明美、坂田 雪子訳、草思社)として昨年末に発売された。上下巻で1000ページちかい大部の本で、とてもそのすべてを紹介できないが、かんたんにいうなら「18世紀の“啓蒙の時代”以降、世界はますますゆたかで平和になり、人類は幸福になった(人口が増えたにもかかわらず平均寿命・健康寿命や教育年数が延び、1人あたりGDPが増え戦争や殺人事件が減った)。だとすれば「反知性主義」に陥ることなく、「理性、科学、ヒューマズム、進歩」を信じて啓蒙をより先に進めていこう」と説く合理的楽観主義の本、ということになるだろう。

本書のいちばんの読みどころは第三部「理性、科学、ヒューマニズム」で、「世界は決して、暗黒に向かってなどいない」という事実(ファクト)に基づいて、右派ばかりでなく左派(リベラルな知識人)のあいだにも蔓延する「啓蒙への蔑視」が徹底的に批判される。前著『暴力の人類史』を既読の方は、第一部「啓蒙主義とは何か」で全体の構成をつかんだあと第三部に進み、そのあと第二部「進歩」から興味ある各論を読んでいってもいいだろう。

ここではその各論から、「不平等は本当の問題ではない」(第九章)と「幸福感が豊かさに比例しない理由」(第十八章)について、私見を交えて紹介してみたい。あらかじめ述べておくと、私はピンカーの主張のほとんどに同意している。だからこそ、あえて違和感のある部分を取り上げることにする。

「世界がどんどん悪くなっている」というのはフェイクニュース

冷戦が終わってグローバル化が進展したことで、世界の富は大きく増大し、貧困は減少した。その結果、先進国と新興国(発展途上国)のあいだの(道徳的にとうてい正当化できない)格差も縮小した。

この事実は、10億人を超える巨大な人口を抱える「最貧困国」中国とインドから、経済成長によって続々と中流階級が生まれたことを見れば誰でもわかるだろう。近年の日本のインバウンド景気は、こうした新興国で空前の海外旅行ブームが起きたことでもたらされた。

ところが日本でも世界でも、知識人(を自称するひとたち)は「グローバル資本主義が善良な庶民の生活を破壊した」として呪詛の言葉を浴びせかけてきた。最近、このひとたちがようやく黙るようになったのは、ハンス・ロスリングらの『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』( 上杉周作、関美和訳、日経BP)がベストセラーになったことなどで、「世界がどんどん悪くなっている」というフェイクニュースを垂れ流すことができなくなったからだろう。――ロスリングはこの「とんでもない勘違い」をネガティブ本能と呼んでいる。

だが悲観論者の主張にもまったく理由がないわけではない。世界の格差を研究する経済学者ブランコ・ミラノヴィッチが示したのは、グローバル化によって新興国の中流層と先進国の富裕層の富が大きく増えたのに対して、先進国の中流層が逆に貧しくなっている現象だった(『大不平等 エレファントカーブが予測する未来』立木勝訳、みすず書房)。この「中流から脱落したひとたち」が、アメリカで稀代のポピュリスト、ドナルド・トランプを大統領の座に押し上げ、イギリスを国民投票でEUから離脱させ(ブレグジット)、フランス全土で黄色のベストを着たゲリラ的なデモを引き起こしたことは拙著『上級国民/下級国民』(小学館新書)でも指摘した。

ところがピンカーは、こうした先進国内の格差拡大(不平等)は「本当の問題ではない」という。

格差社会への批判としては、リチャード・ウィルキンソンとケイト・ピケットの『平等社会』(酒井泰介訳、東洋経済新報社)が広く知られている。2人は世界各国の格差を統計分析し、「所得格差の大きい国では殺人、収監、10代の妊娠、乳幼児の死亡、身体および精神疾患、社会不信、肥満、薬物乱用の率が高い」ことを発見した。これはきわめて説得力のある主張に思えるが、ピンカーは「複雑に絡み合う相関関係をいきなり一つの原因で説明しようとするところに問題がある」と批判する。

北欧のような経済的に平等主義な国と、ブラジルや南アフリカのような不平等な国を比較すれば、たしかにウィルキンソンとピケットが述べるような格差の負の効果が見つかるだろう。だが平等主義の国には、経済的なゆたかさや教育レベルの高さ、文化的な均質さ、民主的で透明性の高い統治などの要素があり、それらがどのような相関関係になっているのかを知るのはきわめて困難だ。「すぐれた社会」と「劣った社会」の差は、分析のやり方を変えれば、不平等以外の要因からも説明できるのだ。

分析の対象を先進国にかぎっても、「シンガポールや香港のように豊かだが不平等な国が、旧共産圏の東欧諸国のように貧しいが平等な国より社会的に健全だ」という例を加えるか外すかで結果が変わってくるとピンカーはいう。たしかにそのとおりだろうが、これだけでは、「同じゆたかな社会でも、アメリカのような格差社会より北欧のような格差の小さな社会の方が望ましい」との“常識的な主張”への反論にはならないだろう。

問題は不平等ではなく、能力主義が政治的に歪められていること

そこで次にピンカーは、「不平等を不公正と混同してはならない」と述べる。最近の研究では、「人は分配方法が“公正”だと思えるかぎり、分配結果が“均一ではない”ほうを好む」ことが明らかになったのだという。

宝くじは当せん者と外れた大多数のあいだにとてつもない「格差」を生むが、そのルール(単純に運がいい人間が当せんする)が公正であれば参加者は納得する。逆にルールが歪められていると(たとえば、貧困層が宝くじに当たりやすくなる“アファーマティブ・アクション”)、それによって不平等が縮まっても「不公正なゲーム」と見なされてひとびとは受け入れない。「ひとは公正なルールのゲームを好む」のだ。

この研究を受けてピンカーは、「人は国が能力主義社会であるかぎりは経済的不平等を受け入れるが、国が能力主義社会だと感じられなくなったときには怒りを覚える」と述べる。問題は「成果主義」ではなく、「成果主義=能力主義が政治的に歪められていること」なのだ。

その結果右派のポピュリストが、「自分の取り分以上のものを不正に得ている悪者」として、黒人などのマイノリティや移民、生活保護受給者などを槍玉にあげるのを許すことになる。だとすればいたずらに“右傾化”を嘆くのではなく、ルールをより公正なものに変えればいいことになる。

だがこの“ネオリベ的”なロジックにも、容易に反論が思いつく。宝くじのルールは(期待値が異常に低いことを脇に置いておけば)たしかに公正かもしれないが、ゲームに参加しない(宝くじを買わない)という選択が認められている。だが市場経済は、国民のほぼ全員が事実上、参加を強要されるゲームだ。

私が錦織圭選手とテニスをすれば、100回戦って100回とも錦織選手が勝つだろう。私はその結果を不公正だとは思わないが、もしもこの「絶対に勝てない」ゲームに強制的に参加させられるとしたら、そのようなルールをものすごく不公正だと感じるにちがいない。ポピュリストに投票するひとたちは、高度化する知識社会をそのような「無理ゲー」だと思っているのではないだろうか。

もうひとつピンカーは、福祉社会が機能するかどうかは国民がどの程度自分をコミュニティの一部だと感じられるかにかかっているので、「受益者があまりにも移民やエスニック・マイノリティに偏ると、その連帯感に亀裂が生じる恐れがある」とも述べている。この主張はリベラルがぜったいに受け入れることができないだろうが、同じゆたかな社会でも、なぜ北欧が平等な福祉社会になって、アメリカが自由競争にもとづいた格差社会になったのかをきわめてシンプルに説明する。

北欧社会は民族的に(比較的)均一で、アメリカのような人種問題がない。そんな社会では、「なんであんな奴らのために俺の税金を使うんだ」という反発は生まれにくい。近年、北欧社会が政治的に揺らぎはじめたのは、移民問題が顕在化したことでアメリカと同じような状況が生まれつつあるからだろう。

アメリカは世界有数の福祉国家

ピンカーは、「(アメリカの)中間層の空洞化」は誤解だとも述べている。その理由は、1979年から2014年までのあいだにアメリカの低所得層(3人世帯で年収3万ドル以下)の人口の割合が全体の24%から20%に、下位中間層(3万~5万ドル)が24%から17%に、中間層(5万~10万ドル)が32%から30%に減少していることだ。だとしたら減った分はどこにいったのかというと、その多くは上位中間層(10万~35万ドル)になり、人口全体の割合も13%から30%に増えた。さらにその一部は富裕層(30万ドル超)に上がり、人口比で0.1%から2%に増えたという。

アメリカ社会はこの30~40年でとてつもなくゆたかになった。「中間層の空洞化は、アメリカ人の大半が裕福になった結果」で、格差の拡大(富裕層の所得が中間層や低所得層の所得よりも速く上昇した)はその代償なのだ。

そのうえ、アメリカでは貧困も撲滅されつつある。アメリカはじつは“隠れた福祉国家”で、国民(被用者)は雇用主を介して健康、年金、障害等の保険をかけている。国による社会的支出にこれらを加えると、アメリカの社会的支出(再分配比率)はOECD35カ国中34位から、一気にフランスに次ぐ第2位に躍り出る。

この“隠れた給付”に消費財の質の向上と価格低下を考慮に入れて生活費を計算すると、「アメリカの貧困率は過去50年間で4分の3以上も低下し、2013年には4.8%になった」と社会学者は推計している。――2015年と16年に中間層の所得がかつてないレベルまで上がったことで貧困率は1999年以来の最小値になり、最貧困層(シェルターにも保護されていないホームレス)の人口は2007年から15年にかけておよそ3分の1に減少した。

もちろんピンカーは、アメリカの人口の一部(中高年、低学歴、非都市域、白人)が苦境に立たされていることを見逃しているわけではない。だがこうした現象を「経済格差」として社会問題にすることは、技術革新反対論(AIをぶっ壊せ)や近隣窮乏化政策(メキシコとのあいだに壁をつくれ)を引き起こすことにしかならない。重要なのは不平等それ自体と格闘することではなく(そもそも不平等は「問題」ではない)、「不平等と一緒くたにされている個々の問題」と取り組むことなのだ。

そのなかで明らかな優先課題は経済成長率を上げることで、全体のパイが増えれば再分配に回せる部分も大きくなる。そのうえで教育、基礎研究、インフラ整備に投資し、医療給付や退職給付(年金)の政府負担を増やす(雇用主の負担を減らし企業を活性化させる)。

それでもまた足りないなら、「啓蒙されたゆたかな社会」は最終的にはUBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)かそれに近い負の所得税を導入することになるのではないかと予想している。

不平等な社会のほうが幸福度は高い

「不平等=悪」という常識(ステレオタイプ)は、30年間にわたって68の社会の20万人を調査した社会学者らの研究によって決定的に反証された。彼らが発見したのは、「発展途上国においては、格差は人々の気力をくじくのではなく逆に鼓舞していて、不平等な社会のほうがかえって人々の幸福度が高い」という事実だった。

なぜこんなことになるかというと、貧しくて不平等な社会でひとたび経済成長が始まると、「自分もゆたかになれる(明日は今日よりもよくなる)」と信じられるからではないだろうか。逆に貧しくて平等な社会は、「頑張ってもたいして生活はよくならない」と思えて「希望」を失ってしまうのだ。

そうだとしても、先進国の格差拡大はひとびとを不幸にしているのではないだろうか。だが幸福度のアンケート調査によると、「アメリカ人の自己申告の幸福度における格差は、実は縮小している」という。その理由は、アメリカ社会が全体としてゆたかになったからで、富裕層の富が増えても生活が大きく改善されるわけではない(2台ある車を20台にしても幸福感はさほど変わらない)のに対して、低所得者の生活がずっと速いスピードで改善されつつある(家族で1台しかなかった車が2台になれば生活の満足度は大きく上がる)からだとされる。

しかしこれは、いまひとつ説得力に欠ける。アメリカ社会がゆたかになり、ひとびとの幸福度も上がっているなら、なぜこれほど不満をもつひとが多いのかを説明できない。こうして、「幸福感が豊かさに比例しない理由」が問われることになる。

2015年のアメリカ人は半世紀前に比べて寿命は9年延び、教育は3年長く受け、所得は家族1人につき年間3万3000ドルも増えている。だとすれば今日のアメリカ人は1.5倍幸福になっていなければならないが、ぜんぜんそんなことになっていない。

これは心理学的には、「ヘドニック・トレッドミル現象(目が光や闇に慣れるように幸福に慣れてしまう)」と「社会的比較理論(幸福感は相対的なもので周囲との比較で決まる)」で説明される。

アメリカ人が思ったほど幸福になっていないことを認めたうえでピンカーは、重要なのは主観的な幸福ではなく、客観的な幸福の条件が向上していることだという。主観的な幸福感がすべてなら、「オウム真理教に入って洗脳されればいい」という話になってしまう。それよりも、幸福の土台(インフラ)である健康、教育、自由、余暇、人権など(アマルティア・センのいう「基本的な人間のケイパビリティ」)が満たされているかどうかの方がはるかに大事だ。「人は長生きをして、健康に恵まれ、刺激的な人生を送っていれば真の良い状態にある」といえる。それを幸福だと自覚できるかどうかは副次的な話なのだ。

これはたしかにもっともだが、「私はぜんぜん幸福じゃない」という“ゆたかな”ひとにこの理屈をぶつけてもまったく納得してもらえないだろう。そこで次に、「主観的な幸福とは何か」が問題になる。

「幸福な人生」を目的として努力するのは徒労

幸福を考えるうえで、ピンカーは例によっていくつかの印象的な事実(ファクト)を挙げる。ひとつは「現代人はより孤独になっているというのは誤り」で、社会学者の40年にわたる調査の結果、アメリカ人の家族や友人との結びつきはほとんど変わっていなかった(現代のアメリカ人は自宅で知人をもてなすことが減り、代わりに電話やメールで交流するようになった)。

主観的な孤独の感じ方でも、若干増加してはいるものの、この増加は主に独身者が増えたことで説明できる。学生を対象にした長期の調査では、「多くのことを一人でやっていてつらい」とか「話し相手がいない」と答える割合は一貫して減少している。

フェイスブックなどのソーシャルメディアについても、「(SNSの)利用者は親しい友人を多くもち、他者を信頼し、周囲の支えを感じ、政治にも積極的に参加する傾向」がある。それにもかかわらずなぜ「コミュニティの崩壊」が騒がれるかというと、ひととのつき合い方が変わったからだという。

以前とちがい、ひとびとは教会やディナーパーティ(あるいはボーリング場)で知人と交流することはなくなり、カジュアルな集まりやデジタル・メディアが好まれるようになった。「遠い親戚よりも、近くの同僚のほうを信頼するようになり、友人の数は多くないが、そもそもそれほど大勢の友人が欲しいと思わなくなっている」としても、社会性がなくなったわけではないのだ。

うつ病については、「診断される人」が増えているのは間違いないとしても「うつ病に苦しむ人」が増えているかどうかは別だとされる。

「診断される人」が増えているのは、うつ病への理解が深まり(あるいは製薬会社のキャンペーンの効果で)ひとびとが自分をうつ病だと口にしやすくなったことと、メンタルヘルスの専門家によってうつ病の基準が引き下げられたことで説明できる(アメリカ精神医学会発行の『精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)』第4版(1995年)には300以上の疾患名が並び、1952年の初版と比べると3倍に膨らんだ)。

では「うつに苦しむ人」はどうかというと、全国を代表する多様な年齢からなるサンプルを長期間調べた研究は存在しないものの、スウェーデンとカナダの研究は1870年代から1990年代に生まれた1世紀にわたる被験者を追跡調査しており、いずれもうつ病が長期的に増加した兆候は見られなかった。

また、子どもや思春期の若者を対象にした調査でも、1990年から2010年の世界全体の不安障害とうつ病の有病率を調べた最大規模のメタ分析で、精神疾患の有病率が上昇しているとのエビデンスは見つかっていない。

そのうえでピンカーは、「幸福感だけがすべてではない」として、「人生の意義」に目を向けるよう勧める。「子育て、本の執筆、大切な理念のために戦うなど、時にわたしたちは短期的には幸せでなくても生涯を通して見れば満足のいく選択をすることもある」のだ。

幸福なひとが現在を生きているのに対して、意義のある人生を送るひとには「語るべき過去」と「未来に向けた計画」があるという。これを私なりに解釈すると、「ひとは(進化によって埋め込まれたプログラムによって)幸福になるように設計されているわけではない」ということになる。「幸福な人生」を目的として努力するのは徒労なのだ。

しかしそうなると、人生の意義を感じることもできず、幸福でもない(多くの)ひとはどうすればいいのだろうか。ピンカーは、この問いには答えていないように私には思える。

それ以外にも本書には、「ポピュリズムは老人の政治運動であり、いずれ衰退する」「気候変動は現実の脅威だが、技術によって解決できる(脱炭素化の有効な手段は原子力発電だ)」「テロの恐怖は過大評価されており、テロリストは実際は無力だ」「アメリカにおいても、世界じゅうでも、偏見や差別は減少している」など、論争必至の主張が多数述べられている。

「世界はどんどん悪くなっている」と思っているひとにこそ、読んでほしい。

禁・無断転載

孤独な若者とテロリズム 週刊プレイボーイ連載(561)

和歌山県内で衆議院補欠選挙の応援演説を行なっていた岸田総理に向かって、24歳の男が自製の鉄パイプ爆弾を投げる事件が起きました。幸い軽症者のみで済みましたが、安倍元首相への銃撃から1年もたっておらず、社会に大きな衝撃を与えました。

報道によると、容疑者の男は兵庫県の住宅地で母親と兄の3人で暮らしており、小学校時代は「ごくふつう」で、中学から不登校ぎみになって父親との関係が悪化したものの、父親が家を出たあとは生活も落ち着いたようです。最近は、母親と一緒に庭の手入れをするところを近所のひとが目にしてます。

メディアの取材でも小中学校時代の親しい友人は見つからず、高校卒業後に進んだ関西の調理師専門学校では、「いつも1人で座っていて、おとなしくて、真面目な印象だった」と講師が語っています。ここから浮かんでくるのは、「誰も気にとめない、孤立した若者」の姿です。

卒業後は栄養士や調理師として働くわけでもなく、自宅に戻り、政治に関心をもつようになります。衆議院議員・地方議員は25歳以上、参議院議員は30歳以上という被選挙権の年齢規定や、立候補に必要な供託金が憲法違反だとして、弁護士に依頼しない本人訴訟で国を訴え、そのことを本人のものと思われるSNSのアカウントで報告していました。

国家賠償請求訴訟の提訴から11日後に、山上徹也による安倍元首相への銃撃事件が起きます。これが、若者に強い影響を与えたことは間違いないでしょう。山上は40代でかなり年上ですが、事件前まで働いていた倉庫会社では、昼の弁当を駐車場の車のなかで一人で食べるなど、明らかに周囲から孤立していました。二人はとてもよく似ているのです。

大きなちがいは、山上には「宗教二世」という背景と、テロの明確な動機があったことです。それに対してこの若者は、なぜ国賠訴訟がテロにつながるかわからず、本人も語ろうとしません。黙秘を続けるのはなにか秘密があるのではなく、「第二の山上になりたかった」という以外に動機がないからではないでしょうか。

内閣府の調査で、「引きこもり状態にある人」が全国で146万人と推計されました。その定義は、自室からほとんど出ないか、近所のコンビニなどにしか出かけないことです。しかしこの若者は、裁判を起こすだけでなく、地元の政治家の市政報告会に参加して質問するなど、積極的に活動していたのだから、「ひきこもり」には入らないでしょう。

ほとんど部屋から出ることがなかった中年男が、自活を迫られて通学中の小学生らを殺傷したり、元官僚が自活できない長男を刺殺する事件が起きたことで、ひきこもりが深刻な社会問題であることが広く知られるようになりました。しかし日本社会には、ひきこもりではないものの、山上やこの若者のように、社会から孤立した膨大な数の男がいるはずです。

もちろんそのほとんどは、犯罪とは無縁の暮らしをしています。しかしそれでも、この事件によって、社会のメインストリームから脱落したように見える男の子がいる親の不安がさらに高まることは間違いないでしょう。

『週刊プレイボーイ』2023年5月8日発売号 禁・無断転載

アメリカはディストピアで、日本はユートピアなのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年9月1日公開の「「アメリカはディストピア、日本はユートピア」 経済格差の大きい欧米社会の驚くべき状況」です(一部改変)。

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新型コロナの影響を受けて、世界的に経済格差がさらに拡大するのではないかと危惧されている。アメリカ社会を揺るがしている一連の抗議行動も、黒人への「人種差別」に反対するだけではなく、その底流には自分たちの未来に対する不安や絶望があるのではないだろうか。

今回は、そんな「格差社会」を論じた本を紹介してみたい。

不平等が大きい国ほど社会問題が悪化する

2009年に刊行されたアメリカの経済学者リチャード・ウィルキンソンと疫学者ケイト・ピケットの共著『平等社会 経済成長に代わる、次の目標』(酒井泰介訳、 東洋経済新報社)は、経済格差の拡大がひとびとの健康、精神衛生、肥満、暴力、10代の出産、信頼などさまざまな指標を悪化させることを示して全英ベストセラーとなり、各国に翻訳されて大きな反響を呼んだ(日本語版は2010年刊)。続編である『格差は心を壊す 比較という呪縛』(川島睦保訳、東洋経済新報社)』では、それから10年後に世界の格差がどうなったのかを検証している。

ウィルキンソンとピケットは、所得格差の問題として以下の5つを挙げる。

1) 社会的な格差問題を悪化させる
2) 社会的な融合を阻害する
3) 社会的な団結を損なう
4) 地位への不安を高める
5) 消費主義や自己顕示的な消費を増大させる

これをひと言で要約するなら、「アメリカやイギリスのような経済格差の大きな国はなにもかもうまくいっていない」になるだろう。たしかに、新型コロナで露呈した「世界でもっとも経済格差の大きな国」アメリカ社会の矛盾と混乱は、「格差がすべてを悪化させる」という理論の正しさを証明しているように思える。

しかしその一方で、ウィルキンソンとピケットは「格差の小さな国はうまくいっている」として、北欧諸国や日本を例に挙げる。2人によれば、「アメリカはディストピア、日本はユートピア」なのだ。

ここで「ほんとうなのか」と疑問に感じるひとがいるだろう。戦後日本はずっと「アメリカのようになりたい」と努力してきたし(最近はちがうかもしれないが)、北欧と日本はまったく異なる社会だとされてきたからだ。

しかし、『格差は心を壊す』の冒頭に掲載された「不平等が大きい国ほど社会問題が悪化する」というグラフを見ると、たしかに所得の不平等と健康社会問題インデックス(平均寿命、信頼、精神障害(薬物・アルコール依存症を含む)、肥満、幼児死亡率、児童の算数・読み書き能力、刑務所収監率、殺人犯罪率、未成年出産、社会階層間移動などをベースに算出)はきれいに相関しており、所得の不平等がもっとも大きなアメリカの指標がとびぬけて悪く、所得の不平等がもっとも小さな日本の指標がいちばんいい。日本に近い国はスウェーデン、ノルウェー、フィンランドなど北欧諸国で、アメリカに近いのはポルトガルやイギリスだ。

これは、著者たちに都合のいいデータだけを選んだのではないだろうか。だが、所得格差の大きな国ほど暴力犯罪が多発し健康状態が悪化することは、1970年代以降、多くの査読付き専門誌に発表された研究論文で示されているという。

とはいえ、相関関係があるからといって因果関係があるとは限らない。「所得が不平等だから国民の健康状態が悪化する」のではなく、「不健康な国民が多いから所得が不平等になる」のではないだろうか。

しかしこれも、不平等と健康状態悪化のどちらが先行しているかを判断する一連の基準が開発され、それを踏まえた数百に及ぶ研究から、「所得の不平等拡大と様々な健康社会問題の悪化の間には確かな因果関係が存在する」ことが明らかになったとされる。

ウィルキンソンとピケットの「格差論」が広く受け入れられたのは、格差拡大が繁栄から取り残された貧困層だけの問題ではなく、富裕層を含む社会全体の問題だとしたからだ。

当然のことながら、多くの社会問題は富裕層より貧困層に深刻な影響を与える。しかし、「格差拡大で二極化が進む」ということは、「格差が拡大すれば富裕層はよりゆたかで幸福になれる」ということではない。富裕層(高い教育を受け、高給の仕事につくひとたち)であっても、格差の大きな社会では暴力犯罪に怯えて暮らすことになる。それよりも、格差の小さな安全な社会で人生を楽しんだ方がいいのではないか、との提案には説得力がある。

それに加えて本書では、所得格差がさまざまな社会問題だけでなく、心の問題を悪化させるメカニズムに注目している。欧米社会の驚くべき状況が報告されているので、すこし詳しく紹介してみたい。

80%の米国人が無力感、うつ、神経過敏、不安を訴えている

アメリカ人に対して、わたしたちは「積極的」「陽気」「おおらか」などのイメージをもっているが、ウィルキンソンとピケットによれば、これは虚像にすぎない。なぜなら、「米国人の80%以上がシャイ(shyness/臆病)に悩んでいる」のだから。

スタンンフォード・シャイネス・サーベイによると、「調査対象となった米国人の80%以上が、人生のある時点、つまり現在、過去、あるいは幼少期から現在までの全期間で、他人との接触にシャイだと答えている」。また3分の1以上が、これまでの人生の半分以上の期間でシャイ、約4分の1が自分を慢性的なシャイと見なし、いちどもシャイだと感じたことがない回答者はわずか7%だった。

10代の米国人(13~18歳)1万人以上を対象にした「全米併存疾患調査――思春期世代の調査」で、まったく初対面の同世代と出会ったときの反応を聞いたところ、ほぼ半数が尻込みしたと答えている。また60%以上の両親が、自分の子どもをシャイな性格だと回答した。

「パーティで他人と気楽に会話することができない」とか、「誰かが自分のことを噂していると考えただけで虫唾が走る」とか、さらには「スーパーのレジで店員相手に支払いすることさえパニックになる」「サングラスか帽子がないと出かけられない」というものまで、アメリカ社会で急速に「社交不安障害」が広がっている。

精神科で向精神薬を処方された患者数からみると、1980年以降、アメリカでは社交不安に苦しむひとが総人口の2%から12%に増えたという。訓練を受けた調査員が18~75歳の米国人1万人を対象にそれぞれの自宅で1時間の面談を行なったところ、「46%が過去に精神障害の症状、生活に支障をきたす深刻な経験をしたことがあると答えている」との調査結果もある。

米国心理学会の2017年調査によると、「80%の米国人が無力感、うつ、神経過敏、不安など複数のストレス症状を訴えている」とされ、ストレスの度合いを「1(全く感じない、あるいはほとんど感じない)」から「10(かなり深刻)」で自己診断させると、回答者の20%が8,9あるいは10の高レベルだと答えた。

世界保健機構(WHO)の調査では、「先進国では開発途上国よりも心の病の発症率が大幅に高い」ことが明らかになった。21世紀はじめに行なわれたWHOの調査では、精神障害の生涯発症率はアメリカ55%、ニュージーランド49%、オランダ43%、ドイツ33%に対して、ナイジェリアは20%、中国は18%だった。

メディアやSNSがうつを生み出す

生活水準はむかしよりずっとよくなっているはずなのに、なぜこんなことになるのか。ウィルキンソンとピケットは、格差が拡大する先進国では他人との比較を気にするようになり、それが社交不安やうつ病につながるのではないかという。

ボランティアの腕に水ぶくれの傷をつくってその回復状況を調べた実験では、人間関係が良好でない被験者ほど傷の治りが遅い。風邪のウイルスが含まれた鼻薬を複数のボランティアに投与した実験では、同じような環境で友だちが少ない被験者は、対照群に比べて風邪をひく可能性が4倍も高い。こうした実験から、「友だちが少なくなると健康状態が悪化する」ことがわかる。

これはヒトが徹底的に社会的な動物で、孤独=共同体から疎外されることが強いストレスになるからだろう。よく知られているように、ストレスは免疫や循環器系にさまざまな悪影響をもたらし、老化を加速させる。きわめて軽微なストレスでも、数カ月、数年も続けば、慢性疾患を引き起こし寿命が短くなることも示されている。

年齢とともに血圧が上昇するのは当たり前だと思うかもしれない。実際、先進国の調査対象者の血圧の平均値は60歳代が20歳代に比べて12~15ポイントも上回っていた。だが定住的な農業の経験のない部族社会、たとえばアマゾンの熱帯雨林で狩猟採集生活を送るシングー族やヤノマミ族では加齢による血圧の上昇は見られない。同様に、閉ざされた環境で生活するイタリアの修道女を20年にわたって観察した研究では、食事の内容は周辺地域のひとたちとまったく変わらないにもかかわらず、いくら年齢を重ねても血圧は上昇しなかった。

ストレスホルモンが急激に高まるのは「社会的評価(自尊心や社会的地位)」が脅威にさらされたときだ。他人が自分の行動に対してマイナス評価を下す可能性があるときは、そうでない場合に比べ、(ストレスホルモンである)コルチゾールの増加が3倍になる。

ウィルキンソンとピケットは、先進国でうつや不安症が蔓延するのは、メディアやSNSによって「身体的な魅力や知性、余暇の過ごし方、皮膚の色、芸術的な趣味、消費の傾向などすべてが、序列の評価の点で大きな社会的意味を持つようになる」からであり、経済格差がこうした差異を拡張するからだとする。その結果、不平等な社会では平等な社会に比べて心の病を持つ人が3倍も多くなるのだ。

社会的地位が低いほど心の病を抱えている

経済格差によって心の病が悪化するという主張には説得力があるが、「日本やドイツでは過去にどのような種類であれ心の病を経験した人は10人当たりで1人未満だったが、オーストラリアや英国では5人当たり1人以上、米国では4人当たり1人以上になっている」というデータはどうだろう。

日本でもうつは深刻な社会問題になっていて、「うつは日本の風土病」とまでいう精神科医もいる。それにもかかわらず、欧米では日本の倍以上もうつの患者がおり、経済格差の少ない日本は「精神的な健康度が高い国」に分類されている。これは実態を反映していないのではないだろうか。

じつはこうした疑問は著者たちも認めていて、「100万人の英国の生徒が精神的に病んでいる」「米国人の大人の25%以上が心の病を患っている」というデータに対して、ある精神科医から「医者としても市民の常識としても“ばかげて”いる」との批判が寄せられたという。「それは単に日常生活の“医療化”、すなわちちょっとした悩みや痛み、情緒不安定でもすぐに病気と見なして治療の対象としてしまう社会風潮を反映しているにすぎない」というのだ。

これに対してウィルキンソンとピケットは、世界保健機関(WHO)の世界メンタルヘルス調査とメンタルイルネス疫学調査にもとづいて、うつ病患者だけで世界で3.5億人もおり、とくに女性の病気としては、先進国・新興国を問わず、エイズ、結核を大きく引き離して第1位で、毎年100万人以上がうつ病で自ら生命を断っていることを指摘する。アメリカでも、18~30歳のいちばんの死亡原因は自殺なのだ。

ここから著者たちは、「精神科医が入念に調査された科学データの結果を信じることができなかったのは、心の病の発生率が想像を超えていたからだ」という。そればかりか、ひとは自分の苦しみを他人に知られたくないと思っているのだから、「心の病の広がりは実態よりも控えめにしか観察されないのではないだろうか」とすら述べる。先進国では、多かれ少なかれ、誰もがうつ病のリスクを抱えているのだ。

それでは、うつの分布はどうなっているのだろうか。2007年にイングランドで実施された心の病に関する総合調査によると、家計所得の最下位20%は最上位20%より“一般的な精神障害”になる可能性が高く、この傾向はとりわけ男性に顕著に現われる。「最下位の所得階層の男性は最上位の階層の男性と比較して、心の病を抱える(年齢を考慮した後の)確率は3倍も高い」のだ。

トランプは健康状態の悪い州地滑り的な大勝利をした

一般的な精神障害”のなかでももっとも極端な差が生じるのがうつ病で、「最下位階層の男性は最上位階層の男性に比べてうつ病にかかる確率は35倍も高い」。この傾向は家計所得が増えるにつれて改善していくが、全体を5つのグループに分けた場合、「(最富裕層の次に裕福な)第2富裕層」ですら、男性の場合、最上位層の男性に比べてうつ病にかかる確率はかなり高くなる。

フィブリノーゲンは血中の血液凝固因子で、ストレスに反応して増加し、傷を負ったときに血液の凝固を早め、多量の出血を防いでくれる。イギリス政府で働く中年の男女3300人を対象とした研究では、男女とも役職(地位)が下がるごとにフィブリノーゲンの量が増えていることが判明した。「序列の高いヒヒが目上のヒヒの攻撃を恐れるように、役職の低い役人もある種の攻撃に備えているように見える」のだ。

イギリスの心理学者ポール・グルバートは、絶望とは「抗議行動が成功しなかった場合の一種の“虚脱”戦略であり、ポジティブな感情や信頼の気持ち、探索や調査、追求の欲求は、身の安全のためにどこかでトーンダウンされなくてはならない」という。日常生活で敗北や挫折、いじめ、仲間はずれなどを経験することは誰にでもあるだろうが、それが長く続き、自分は孤立無援だと感じ、一人であれこれ悩む悪循環に陥ると、抑うつの深みにはまり込んで「ひきこもり」になる。

ひきこもりはこれまで、日本や東アジアに特有の社会現象だと考えられてきたが、欧米先進国でも珍しいものではなくなってきた(英語版Wikipediaにも“Hikikomori”の項目がある)。

それに加えて、欧米では子どもたちの自傷行為が大きな社会問題になっている。イングランドでは15歳の子どもの22%がこれまでに1回以上自傷行為を経験し、そのうち43%が月に1回の頻度だった。オーストラリアの調査では12人に1人(200万人)がある時期に自らを傷つけた経験があり、アメリカやカナダでは学齢期の子どもの13~24%に自傷の経験がある。

こうしたデータを列挙したあと、ウィルキンソンとピケットはうつのメカニズムを次のように分析する。

不平等が拡大すれば、社会に対する恐怖感や社会的地位への不安が高まる。その恐怖や不安が恥ずかしさの感覚を呼び、引きこもりや服従、従属の本能を強めていく。社会的な階層ピラミッドの背丈が高く、その傾斜も厳しく、社会に対する不信が強まれば、心理的な負担が増していく。社会的な地位を巡る競争や不信感が強まれば、人々は互いによそよそしくなり、思いやりの気持ちも少なくなる。すきがあれば他人を引きずり下ろそうとさえする。

2016年のアメリカ大統領選では、健康状態の悪い州でトランプが地滑り的な大勝利をした。「肥満、糖尿病、過度の飲酒、運動不足、短い平均寿命」を合体させた係数が、トランプの勝利をもっともよく予測したのだ。

こうしてウィルキンソンとピケットは、稀代のポピュリストであるドナルド・トランプ大統領を誕生させたのは、所得格差の拡大を放置してきたアメリカ社会だと結論する。

アメリカ社会は「二重経済」なのか

そのトランプ当選を受けて書かれたのがアメリカの経済史家ピーター・テミンの『なぜ中間層は没落したのか アメリカ二重経済のジレンマ』( 猪木武徳、栗林寛幸訳、慶応大学出版会)だ。大恐慌の経済史で知られるテミンはこの本で、アメリカ社会は「二重経済(double economy)」だと述べている。

経済学者のアーサー・ルイスは西インド諸島セントルシアに生まれ、イギリスで高等教育を受け、発展途上国の開発モデルによってノーベル経済学賞を受賞した初の黒人となった。

ルイスは、発展途上国には農村部と都市部の2つの経済部門があり、異なる発展水準、技術水準、需要のパターンによって分断されていると考えた。テミンはルイスのこの理論を援用し、世界でもっともゆたかなアメリカでも「二重経済」が生じており、それが原因で社会の分断が進んだと主張する。テミンによれば、アメリカはいまや発展途上国の様相を呈するようになったのだ。

ルイスの二重経済モデルでは、発展途上国には(都市の)「資本主義」部門と(農村の)「生存」部門があり、経済発展にともなって農村から都市へと労働力が移動する。労働力不足に悩む資本主義部門は、農民を住み慣れた故郷から引き離す必要があるため、生存部門の賃金を抑制する。こうして2つの経済部門の経済格差は、意図的(政策的)に拡大されるのだ。

これを受けてテミンは、アメリカ経済は「FTE部門」と「低賃金部門」の2つの経済に分断されているとする。FTEは「金融(Finance)」「技術(Technology)」「電子工学(Electronics)」であると同時に、「Full-Time Employee(フルタイム雇用)」でもあるという。具体的には、知識産業で働く高給の専門職のことだ。

一方の低賃金部門は、中西部のラストベルト(錆びついた地帯)にわずかに残った製造業のような衰退産業で、約50%が白人で、他の半分はアフリカ系アメリカ人とラテン系移民がほぼ同数だとされる。貧困というと黒人の問題と思われるが、黒人はアメリカ人口の15%未満で、仮に黒人の全員が低賃金部門で働いていたとしてもその5分の1に満たない。

アメリカの中間層は1970年に62%だったが、2014年には43%に減っている。中間層が解体して低所得部門が拡大した結果、貧困は白人(プアホワイト)の問題にもなったのだ。

「知能による分断」を無視しているのではないか

アメリカ人の30%が大学卒で、これがFTE部門に入る人数の上限となる。人口の20%がFTE部門とするならば、二極化によって80%が低賃金部門に追いやられる。

金融部門のCEOの年収は10億ドル以上、非金融部門のCEOは約1億ドルで、トップ1%の年収の下限は33万ドル、資産の下限は400万ドルだ(収入がトップ10%に入るアメリカ人の所得は10万ドル以上)。それに対して、中位の労働者の収入は約4万ドルとされる。

大学教授は専門職の典型とされ、中位の大学で教える教員(経済学)の年収は約10万ドルでFTE部門に属するが、英語・英文学の場合、年収は約6万ドルで、低賃金部門の中位労働者に危険なほど近い。

それにもかかわらず、インフレ調整済みの授業料は1980年から2012年にかけて主な州立大学で250%、全州立大学とカレッジで230%、コミュニティ・カレッジ(一般に2年生の公立カレッジ)で165%増加した。営利カレッジに入学するのは大学生の12%にすぎないが、彼らが学生ローン破産のほぼ半分を占める。学生ローンを抱える人は現在、4000万人を超え、ローンの総額は1兆2000億ドルを超えている。

これらはどれも重要な指摘だが、テミンの主張には疑問もある。アーサー・ルイスの理論では、発展途上国の「二重経済」は農村から都市への人口移動によって解消されることになるが、アメリカの「二重経済」では低賃金部門からFTE部門への労働者の移動は起こらず、逆に低賃金部門が増えていくだけだ(FTE部門は経済的には拡大するが、AIのようなテクノロジーによって大量の労働者は必要なくなっていく)。当然のことながら、農村から都市への移動が止まる「ルイスの転換点」も訪れないだろう。これほど大きく異なる社会現象を、同じ「二重経済」とすることができるだろうか。

アメリカ社会はなぜ「二重経済」になったのか。その原因についてテミンは、「黒人(マイノリティ)への優遇策を批判することで、白人労働者(マジョリティ)の賃金を抑制している」とか、「新ジム・クロウ法で黒人を大量投獄している」とか、白人が「多数派少数派majority minority(マイノリティ意識をもつようになったマジョリティ)」になったなどを挙げているが、これらはどれもすでにリベラルによる「グローバル資本主義=ネオリベ批判」の定番になっている。その結論が、「アメリカでは超富裕層のための政治が行なわれており、民主制から寡頭制に向かっている」では、正直、すこし拍子抜けだった。

なぜこのような中途半端な分析になるかというと、「二重経済」のもっとも大きな要因である「知能による分断」を無視しているからではないだろうか。

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