”超富裕税”の背景にあるタックスヘイヴン問題とは?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2015年12月30日公開の「先進国で強まる課税逃れ防止策の強化とタックスヘイヴン」です(一部改変)。なおスイスの大手プライベートバンク、クレディスイスは2023年3月、財務報告書に端を発した株価下落で経営危機に陥り、スイス政府の介入によってUBSに買収されました。

関連記事:”超富裕税”は格差社会を終わらせるか?

******************************************************************************************

2015年7月に出国税の適用が始まり、国外財産調書の申告漏れや虚偽記載にも罰則が科せられるようになった。こうした規制強化は日本だけのことではなく、アメリカやヨーロッパなどOECDに加盟する先進国はどこも国境を越える課税逃れの防止にやっきになっている。その標的がタックスヘイヴン(租税回避地)であることはいうまでもない。

フランスの若手経済学者ガブリエル・ズックマンの『失われた国家の富 タックス・ヘイブンの経済学』( 渡辺智之、林昌宏訳、NTT出版)は、世界規模の“税戦争”でなにが起きているのかを知る貴重な資料だ。

ちなみにズックマンの大学院時代の指導教官はトマ・ピケティで、『21世紀の資本』( 山形浩生、守岡桜、森本正史訳、みすず書房)にも協力している。ピケティと同じく政治的立場はリベラル左派でタックスヘイヴンに対してはきわめて批判的だが、だからこそ随所に興味深い知見が登場する。

プライベートバンク神話の嘘

ズックマンはまず、タックスヘイヴンの象徴としてスイスを取り上げる。

スイスの名高いプライベートバンク神話のひとつは、銀行秘密法はナチスの魔の手からユダヤ人の資産を守るために1935年に制定された、というものだ。だがズックマンは、これはまったく史実とは異なるという。

スイスの金融機関に国外から資金が流れ込んできたのは1920年代(14%増)で、それに比べて1930年代は1%増でしかない。その理由は明らかで、フランスで1921年と1925年に富裕層に対する課税が強化されたからだ。当時は株式や債券は無記名で、名義人の台帳もなく、資産は無条件に保有者のものとされた。資本市場に投資する富裕層は、自宅の金庫のほかに銀行の貸金庫にも証券を預けたが、ほどなくして海外(スイス)の金融機関を利用すればフランスに税金を納める必要がないことに気がついた。

1935年の銀行秘密法は、こうした海外の富裕層に便宜をはかるために制定された。最初に資金の流入があり、それを守るために法律をつくったのであって、迫害されているユダヤ人の資産を保護するために先回りして法を準備したわけではないのだ。第二次世界大戦後、ホロコーストが人類の悲劇として語られるようになると、スイス金融界は自分たちの暗い過去を隠蔽するために偽りの歴史をでっちあげたのだ。

終戦直後の混乱期を乗り越えると、1950年代からスイス金融界は黄金時代を迎えた。1973年のオイルショックで原油価格が急騰し、ペルシア湾岸の王族たちが大金持ちになると、その資金はこぞってスイスに流れ込んだ。アラブの顧客たちが求めたのは課税逃れではなく(国の支配層である彼らは税金を気にする必要はなかった)匿名性だった。実名で資金をアメリカ市場などに投資すると、口座を凍結されるのではないかと恐れたのだ。このときも、スイスの「鉄壁の守秘性」が顧客獲得に大きな威力を発揮した。

1980年代になると、金融自由化によって香港、シンガポール、ジャージー、ルクセンブルク、バハマなど世界各地に新たな資産運用の拠点が誕生した。このグローバルな競争によって一見、スイス金融界の成長は鈍化したように見えるが、これは上辺のことにすぎないとズックマンはいう。香港やシンガポール、カリブ海諸国につくられた銀行の多くはスイスの金融機関の子会社だからだ。このグローバル化によって、スイスに対するアメリカやEUからの風当たりが強くなっても、預かり資産をアジアなどのより隠しやすい国に容易に移転できるようになった。

現在(2013年)でもスイスは1兆8000億ユーロの外国人資産を保有しており、「銀行の秘密業務の時代は終わった」と宣言された2009年のG20以降、14%も増加している。その理由は、フランスやドイツの課税強化によって「小口(預かり資産数億円の口座)」の顧客が減っても、それを上回る大口の資金が流入してきたからだ。彼ら超富裕層は法人や信託、ペーパーカンパニーを自在に使いこなせるから、国際課税のルール変更など関係ないのだ。

タックスヘイヴンは世界の家計資産の8%を保有している

本書のいちばんの成果は、タックスヘイヴンに保有されている金融資産(すなわち「失われた国富」)を概算したことだ。

こうした計算は、それぞれのタックスヘイヴン国の海外からの投資額を合計すればかんたんなように思えるが、この方法はうまくいかない。なぜなら、タックスヘイヴン国はそのような「国家機密」を公開しないから。そこでズックマンは、コロンブスのタマゴのような方法を考えついた。

フランス人のA氏が、スイスの口座で米国市場(たとえばGoogle)の株式を保有しているとしよう。これをアメリカ側から見ると、外国人が自国の資産を保有しているのだから、対外負債として計上される。

それに対してスイスでは、自国の銀行にGoogleの株式が預けられていることは認識するものの、それを対外資産とは見なさない。なぜならそれはスイスのものではなく、フランス人投資家A氏の財産だからだ。

ところがフランスでも、この資産が計上されることはない。Google株はタックスへイヴンであるスイスに預けられていて、税務当局やフランス中央銀行には知る術はないのだから。

こうしてズックマンは、タックスヘイヴンが存在することで各国の対外負債勘定と対外資産勘定に齟齬が生じることに気がついた。それをたんねんに追っていけば、すかし絵のように空白の部分が浮かび上がってくるのだ。

こうした根気のいる作業の末にズックマンは、タックスヘイヴンには総額5兆8000億ユーロ(約750兆円)の金融資産が保有されていると推計した。そのうち3分の1の1兆8000億ユーロ(約240兆円)はスイス、残りの3分の2(3兆8000億ユーロ=約500兆円)はシンガポール、香港、バハマ、ケイマン諸島、ルクセンブルク、ジャージーなど他のタックスヘイヴンが保有している。これを見ても、タックスヘイヴンにおけるスイスの存在感は圧倒的だ。

ちなみに、2013年末時点の世界の家計資産の合計額はおよそ73兆ユーロ(約9500兆円)だから、タックスヘイヴンはその8%を保有していることになる。

このズックマンの推計は、タックスヘイヴンをめぐる議論に混乱を引き起こすことになった。これまでタックスヘイヴンの“闇の資金”は、税の正義を求める「タックス・ジャスティス・ネットワーク」が推計した21兆ドル(約2500兆円)から32兆ドル(約4000兆円)とされており、これに基づいて「世界の富の3分の1(ないしは5分の1)はタックスヘイヴンに隠されている」というのが常套句になっていたからだ。ところがズックマンが正しいとすると、タックスヘイヴンの“脅威”ははるかに小さくなってしまう。

ズックマンによれば、従来の推計は国際的な銀行預金の総量を基準にしているが、そこにはビジネスでタックスヘイヴンを使う合法企業の預金も含まれているから、それらをすべて租税回避の資金と見なすのは明らかに過大評価なのだ。

だが「最小」の推計値でも、タックスヘイヴンの資産に課税する効果は大きい。たとえばフランスでは、2013年度に約170億ユーロ(約2兆2000億円)の税収が不足したが、これはフランス人がタックスヘイヴンに保有する3600億ユーロ(約47兆円)に課税すれば全額埋め合わせることができるのだ。

タックスヘイヴンの金融資産に課税できるか

タックスヘイヴンに隠された金融資産にどのように課税するのか。これについてズックマンは、これまでの国際社会の取り組みにはほとんど効果がなかったと辛口の評価をする。

初期のタックスヘイヴン対策は、海外の税務当局から問い合わせがあれば答える、というオンデマンド型の情報提供に応じることだった。しかしこれは調査対象者がタックスヘイヴン国に口座を保有している証拠が必要だし、スイスなどでは消極的脱税は違法行為とは見なされないから、「照会基準に該当しない」といわれてしまえばそれまでだ。

だが問題はこれだけではない。ズックマンによれば、真の災厄はタックスヘイヴン国がこの無意味な規制を受け入れることでOECDのブラックリストからなんなく抜け出したことだ。タックスヘイヴン対策はタックスヘイヴンを「合法化」し、彼らのビジネスを太らせただけだった。

その反省から、現在はオートマティック型の租税情報交換が主流になっている。顧客(それぞれの国の居住者)の口座情報を当該国の税務当局に自動的に提供する制度はオンデマンド型よりも効果はありそうだが、これであぶりだされるのは小口の顧客だけで、真の富裕層にとっては、信託や財団、ペーパーカンパニーを使って情報交換の適用対象から外れるのはかんたんだという。

アメリカが鳴り物入りで導入したFATCA(外国口座税務コンプライアンス法)は、海外の金融機関に対し、米国籍を持つ顧客の情報をIRS(内国歳入庁)に提供するよう義務づけるものだ。しかしその罰則はアメリカ市場で得た取引に30%の懲罰的な源泉徴収課税を行なうだけで、もともと米国内で取引していない金融機関に対してはなんの効果もないと、ズックマンは批判する。

しかしそのFATCAも、EUが導入した貯蓄課税指令よりはずっとマシだ。これはヨーロッパの金融機関に対し、EU居住者の口座情報を当該国の税務当局に提供することを義務づけるものだ。しかしズックマンは、この制度は利子(すなわち銀行預金)しか対象にしていないため、株式や債券、ファンドなど配当の支払われる金融商品に乗り換えることでかんたんに規制を逃れることができるという。

さらにEU全加盟国が同一条件で参加したわけではなく、(EU内のタックスヘイヴン国である)ルクセンブルクとオーストリアは特別な枠組が認められ、顧客情報の提供の代わりに利子の35%に源泉課税し、その4分の3を当該国に(顧客に代わって)収めることで守秘性を維持することが認められた。この結果、スイスなど他のタックスヘイヴン国にも同じ条件を認めるほかなくなったのだ(2015年1月にEUのこの特例は廃止され、スイスとも2018年から口座情報を交換するよう協議中)。

だが最大の問題は、FATCAと同じく、この規制が個人にしか適用されないことだ。

2004年末に、スイスの銀行口座のうちヨーロッパ人の実名によるものが25%、法人(ペーパーカンパニー名義)が50%だったが、EU貯蓄課税指令の源泉徴収がスタートした2005年末には、実名口座が15%(10%減)、法人名義が60%(10%増)になった。BVI(ブリティッシュヴァージンアイランズ)のペーパーカンパニーやリヒテンシュタインの財団に資金を移すことで、大物はみんな逃げ出してしまったのだ。

このようにタックスヘイヴン規制にはほとんど効果はない。だったらどうすればいいのか?

貿易制裁、EUからの除名、資本課税

経済学者であるズックマンは、タックスヘイヴン国における金融ビジネスを否定しているわけではない。問題なのはそれが周辺国の公正な徴税を阻害し、損害を与えていることだ。

タックスヘイヴン国の金融機関が競争上の優位を確保できるのは、守秘性の壁によって顧客情報が守られているからだ。この壁は法によってつくられているのだから、これはいわば金融機関への補助金(非関税障壁)と同じだ。

だとすれば、「タックスヘイヴン国には貿易制裁で対抗すればいい」とズックマンはいう。たとえばドイツ、フランス、イタリアの居住者はスイスの金融機関に合計5000億ユーロ(約65兆円)の資産を保有し、この3カ国はそこから150億ユーロ(約2兆円)の税収を失っている。そこから逆算すると、この3カ国はスイス製品に30%の懲罰的関税を課す権利を持つことになる。もしこのような制裁が実現すれば、スイスはもはや守秘性を維持するメリットはなくなるのだから、租税の透明性はすみやかに実現するだろう。

ただしこの手法にはひとつ重大な欠陥がある。ヨーロッパの代表的なタックスヘイヴンのうち、ルクセンブルクがEU加盟国(というかEU創設メンバーのひとつ)であることだ。EU加盟国に対しては、このような懲罰的な関税を課すことは禁じられている。

この問題に対するズックマンの解決策はさらに大胆だ。

2020年には、ルクセンブルク内の生産から得られる所得(GNP)のうち50%は外国人のものになると推計されている。ルクセンブルクは「主権」をグローバル金融機関に売り渡してしまったのだから、もはや国家を名乗る資格はない。だとしたら、ルクセンブルク(現在のEU議長国で、ジャン=クロード・ユンケル元首相は欧州委員委員長)をEUから除名し、そのうえで懲罰的関税の対象にすればいいのだ。

タックスヘイヴンに保有されている金融資産に対して適切な課税ができないのは、その内訳を外部から知る方法がないからだ。そこでズックマンは、IMF(国際通貨基金)が世界じゅうの株式、債券、投資ファンドなど流通するすべての金融商品の保有者を記入した帳簿(金融資産台帳)をつくることを提案する。有価証券は現在は電子化されて、日本では「ほふり(証券保管振替機構)」が管理しているが、その世界版をイメージすればいいだろう。

国際的な証券保管機構にはすでにベルギーのユーロクリアとルクセンブルクのクリアストリームがあるから、そのデータを各国の証券保管機構と接続すればグローバルな金融資産台帳の構築は技術的には不可能ではない。

もしこれが実現すれば、金融資産から得た利益だけでなく、資産そのものに課税することも可能になる(資本課税)。たとえばIMFが金融資産評価額の2%に課税し、フランスの資本課税が1.5%だとすると、顧客はフランスの税務当局に資産を申告することで0.5%分の税還付を受けることができる。

このように世界的な資本課税は、顧客に税の申告を促す強力なインセンティブになる。申告しなければ税は払い損になってしまうのだから、ペーパーカンパニーや信託、財団を使った「節税策」はすべて無意味になるはずだとズックマンはいう。

グローバル企業に課税するには

最後にして最大の問題は、各国の税法のすき間をついて税逃れをするグローバル企業だ。スターバックスは、イギリス国内で大きなビジネスを行なっているのに、税率の安いオランダやルクセンブルクに利益を移転して税金をほとんど払っていないとしてデモの標的になった。

こうした国際的な租税回避を防ぐには、世界規模で利益に対して課税するしかない。この利益は会計操作の難しい販売量(売上)に基づいて配分するのが現実的で、これによってより公正な課税が可能になるだろう。

だがズックマンも認めるように、税の配分にあたっては各国の利害が真っ向から衝突するため、すべての国が納得する魔法の配分方式は見つかりそうにない。だがEUでは、販売量、賃金総額、資本を3分の1ずつカウントする単純な配分式によって域内の利益を分配することが検討されている。もしこれが実現したら、EUとアメリカを統合することでこの方式を広げていくことができるとズックマンは期待を寄せている。

こうした提言はいずれもきわめて大胆なもので、現在のところ実現可能性はなきに等しい。だが本書が、タックスヘイヴンやグローバル資本主義を批判するひとたちにひとつの「道」を提示したことの意義は大きい。

将来、リーマンショックのような世界規模の不況によってふたたび経済格差が重大な社会問題になれば、ズックマンの提案がひとびとの注目を集め、リベラル左派の政治家(あるいはポピュリスト)によって公の場に持ち出される可能性はじゅうぶんあるだろう。

後記:「実現可能性はなきに等しい」と述べたが、23年7月、グローバルテック(プラットフォーマー)を対象に、「売上高比で10%の利益を超える利潤の25%」に課税する権利をサービス利用者のいる国・地域に配分する「グローバル課税」の多国間合意がまとまった。2025年発効を目指すとするが、現時点ではアメリカが批准するかは不確実だ。

禁・無断転載

ユーディストピアにようこそ(『世界はなぜ地獄になるのか』あとがき)

本日発売の小学館新書『世界はなぜ地獄になるのか』のあとがき「ユーディストピアにようこそ」を出版社の許可を得て掲載します。書店さんで見かけたら手に取ってみてください(電子書籍も同日発売です)。

***************************************************************************************

社会がよりゆたかで、より平和で、よりリベラルになれば、わたしたちの生活レベルは全体として向上するが、それがさまざまなやっかいな問題を引き起こすことは、もちろん多くの知識人が気づいている。問題は、「だったらどうすればいいのか」の解がないことだ。

「歴史の終わり」で知られるアメリカの哲学者フランシス・フクヤマは近著『リベラリズムへの不満』で、戦後社会の繁栄を支えてきたリベラルデモクラシーが危機に陥っている現状を論じている。リベラリズムは主に3つの政治勢力から、リベラル化が不徹底だとして、あるいは行き過ぎだとして批判・攻撃されている(1)。

(1)リバタリアン(libertarian)

自由を至上のものとするリバタリアンは、国家の統治や規制を最小化し(あるいは解体し)、個人の自由を極限まで拡大することを求めている。この立場は一般に、経済活動の規制撤廃を求める「新自由主義(ネオリベ)」「グローバル資本主義」と呼ばれるが、そのもっとも先鋭的な政治勢力は、暗号技術(クリプト)とブロックチェーンによって、国家や法が恣意的に介入できない自由な世界を創造しようとする「クリプトアナキズム(暗号無政府主義)」だ(「サイファーパンク」ともいう)。

より穏健なサイファーパンクの立場としては、イーサリアム(ブロックチェーンによる社会・経済プラットフォーム)のプロジェクトを主導する起業家・プログラマーのヴィタリック・ブテリンによる非中央集権化・分散化の社会構想がある(2)。人間の社会的な営みの多くをアルゴリズム(分散型アプリケーションとスマートコントラクト)に置き換えていこうとするこの試みはきわめて興味深いが、残念ながらフクヤマは論じていない。

(2)コミュニタリアン(communitarian)

「共同体主義(コミュニタリアニズム)」は、人間は社会的な生き物であり、共同体から切り離されて生きていくことはできないと主張する。穏健でリベラルなコミュニタリアンの代表的な論者はマイケル・サンデルで、フクヤマもここに含まれるだろう。

リベラリズムと敵対するのはより保守的な共同体主義者で、かつてひとびとを包摂していた(とされる)イエや教会、ムラ、あるいは会社のような共同体をリベラル(およびネオリベ)が破壊したとして、「古きよき時代を取り戻せ」と叫んでいる。この懐古的理想主義は「レトロトピア(レトロなユートピア)」と呼ばれ、アメリカのトランプ支持者、イギリスのEU離脱派から日本の右翼・保守派まで、世界中で拡大している(3)。

(3)エガリタリアン(egalitarian)

社会的・政治的平等を意味する「エガリティ(egality)」を重視し、マジョリティとマイノリティのあいだにある構造的差別の解消を求める「左派(レフト)」「進歩派(プログレッシブ)」は、一人ひとりのアイデンティティを重視し、マイクロアグレッションのような小さな差別でも(あるいは小さな差別だからこそ)許されないとする。

「(社会問題に)意識高い系=ウォーク」であるエガリタリアンは、日本ではリベラルと混同されるが、差別に対するリベラルの不徹底を批判・攻撃するキャンセルカルチャーの主体だ。これがリベラリズムの脅威になるのは、言論・表現の自由よりも「社会正義」を優先し、「言論の自由は絶対的な権利ではなく、現状を擁護する抑圧的な勢力によって行使される誤った種類の言論は許容されるべきではない」(ドイツ出身の哲学者で批判理論の先駆者のひとりヘルベルト・マルクーゼ)と主張するからだ。

自由を制限・否定するこうした立場は、自由を至上のものとするリバタリアンだけでなく、科学的方法(仮説・実験・検証)による真実の探求=自由科学を重視する穏当なリベラルも受け入れることはできないだろう(4)。

右派コミュニタリアン(ポピュリスト)の権威主義がこれまでさんざん研究されてきたのに対し、エガリタリアンによるキャンセルカルチャーが近年、注目されているのは、それが新しい現象だからだ。日本での用語の混乱からもわかるように、これはもともとリベラルの運動だったが、悪性の細胞のように、いつの間にか異形のものと化してリベラリズムを侵食・攻撃しはじめた。

フクヤマは、リバタリアンが掲げる「自由」にも、コミュニタリアンが求める「共同体」にも、エガリタリアンの「社会正義」にも、それぞれじゅうぶんな大義があるとする。だがますます複雑化する社会で、すべての理想を叶える魔法のような政治制度は存在しない。だからこそ、誰もが不満を抱えつつも、ほどほどのところで妥協するしかない。これが「寛容」と「中庸」だ。

これは要するに、「あなたが生きているリベラルな社会は、人類史的には(とりわけあなたが先進国に生まれたのなら)とてつもなく恵まれているのだから、実現不可能な理想を振りかざしていたずらに社会を混乱させるのではなく、いまの自分に満足し、小さな改善を積み重ねていきなさい」という提言だ。

ここで、「そんな説教臭い話を聞きたいわけじゃない」と思ったかもしれない。だが、フクヤマがあえて寛容などという当たり前の(凡庸な)ことを主張したのは、すくなくとも現時点では、これ以外の解が存在しないからだ。──ただし、「不寛容な者に対しても寛容になれるのか」という重要な問いに対してはフクヤマは答えていない。

あなたは社会になんらかの不満を抱き、その問題を解決するための正義を必要としているかもしれないが、それは別の誰かの正義とは異なるだけでなく、しばしば真っ向から衝突する。そしてリベラルな社会では、異なる正義に優劣をつけることは原理的にできない。

アメリカ最高裁は2023年6月、ハーバード大などが人種を考慮した入学選考をすることを違憲と判断した。裁判で開示された資料では、アジア系の学生がハーバードに入学するためには、2400点満点のSAT(大学入学のための標準テスト)で白人より140点、ヒスパニックより270点、黒人より450点高い点数を取る必要がある。最高裁はこれを、近代社会の原則である市民の平等に反すると結論した。つづいて同様の理由で、大卒者のみに学生ローンの多額の返済免除を行なうバイデン政権の看板政策を違法とした。いまや保守派が、「リベラリズム」の論理で左派(レフト)に対抗しているのだ。

ここで、「世界がなぜ地獄になるのかはわかった。だったら、どうやってその地獄から抜け出すのか」という問いに答えておくべきだろう。これは、「どうすれば地獄から天国に行けるのか」という宗教的な問いにもなる。

これに対する私の答えは、「天国はすでにここにある」になる。

近代の成立とともに、自然を操作するテクノロジー(科学技術)を手にしたわたしたちは、人類史的には想像を絶するほどのゆたかさと快適さを実現した。しかしそのユートピア(自分らしく生きられるリベラルな社会)から、キャンセルカルチャーのディストピアが生まれた。

天国(ユートピア)と地獄(ディストピア)が一体のものであるのなら、この「ユーディストピア」から抜け出す方途があるはずがない。できるのはただ、この世界の仕組みを正しく理解し、うまく適応することだけだろう。

AIをはじめとする指数関数的なテクノロジーの発展によって、近い将来、なんらかのイノベーションが起きてブレークスルー(脱出口)が見つかるかもしれない(それはおそらくサイファーパンクから生まれるだろう)が、それまではこれが本書の暫定的な結論になる。

地雷を踏むことなく、平穏な人生を歩む一助として役立ててほしい。

2023年7月 橘 玲

(1)フランシス・フクヤマ『リベラリズムへの不満』会田弘継訳、新潮社
(2)ヴィタリック・ブテリン、ネイサン・シュナイダー『イーサリアム 若き天才が示す暗号資産の真実と未来』高橋聡訳、日経BP
(3)ジグムント・バウマン『退行の時代を生きる 人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』伊藤茂訳、青土社
(4)ジョナサン・ローチ『表現の自由を脅すもの』飯坂良明訳、角川選書

米名門大学の入学選考をめぐるやっかいな問題 週刊プレイボーイ連載(570)

誰もが公正(フェア)な世の中を実現したいと思っているにちがいありません。問題は、一人ひとり「フェア」の基準が異なることです。

アメリカでは、「奴隷制の負の遺産」によって黒人は劣悪な環境に置かれ、じゅうぶんな教育機会を得られなかったとして、それを補うために「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」が導入されました。この政策はその後、「アメリカ社会には暗黙の“白人支配”があり、それを打破するために人種多様性を重視しなければならない」と正当化されることになります。

差別によって苦しんでいるマイノリティに一定の優遇策を講じるのはよいことに思えますが、この制度に対しては、当の黒人からも強い反対がありました。その理由は、近所に白人の医師と黒人の医師がいたとして、自分の子どもが急病になったときにどちらの病院に行くかを考えればわかるでしょう。

白人の医師は優遇措置がないので、医学部の入学試験でも、医師国家試験でも、プロフェッショナルとして要求される水準を満たしていることは明らかです。黒人の医師も同様に優秀かもしれませんが、もしかしたら人種を理由に優遇を受け、本来であれば医師になれない成績でも合格したのかもしれません。

このようにしてアメリカでは、黒人でも黒人の医師を避けて白人の医師にかかるようになりました。子どもの生命がかかっているときに、「人種の平等」などといっている余裕はないのです。一部の黒人知識人は、弁護士や会計士などでも同様の事態が起きているとして、アファーマティブ・アクションは黒人の専門職の信用を崩壊させると危惧したのです。

しかしこうした主張は、「黒人保守派」「右翼」あるいは「アンクル・トム(白人に媚を売る黒人)」などといわれ、はげしい批判を浴びてきました。その後、名門大学を中心に「マイノリティ枠」が既得権になると、もはやこの優遇策に疑問を呈することすらタブーになりました。

ところがその後、アジア系の学生やその親が「アファーマティブ・アクションは不当だ」と訴訟を起こします。裁判に提出された資料では、アジア系の受験者がハーバード大学に合格するためには、2400点満点のSAT(大学進学適性試験)で白人より140点、ヒスパニックより270点、黒人より450点高い点数を取る必要があることが明らかになりました。これは、「人種多様性」の名を借りたアジア系への差別だというのです。

今年6月、米最高裁は人種を考慮した入学選考を違憲とする「歴史的判断」を下しました。この判決は「保守派」判事によるもので、民主党は強く反発していますが、だからといって「選考にあたって人種を考慮するな」という主張を「人種差別」とするのは困難です。

この混乱の背景には、白人によって「抑圧」されているはずの人種マイノリティのなかで、アジア系の学力だけが群を抜いて高いことがあります。しかしこの「事実(ファクト)」を追求するとものすごくやっかいなことになるので、大騒ぎしながらも、無意味な空理空論ばかりが飛び交うことになるのです。

参考:Thomas Sowell (2013)Intellectuals and Race, Basic Books

『週刊プレイボーイ』2023年7月24日発売号 禁・無断転載