トランプ大統領を生んだ「ケンブリッジ・アナリティカ事件」とはなにか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年6月4日公開の「ブレグジットとアメリカのトランプ大統領誕生に多大な影響を与えたケンブリッジ・アナリティカ事件の内幕と「行動マイクロターゲティング」の手法」です(一部改変)。

ブリタニー・カイザー(Netflix『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』予告より

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ブリタニー・カイザーの『告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル』(染田屋茂、道本美穂、小谷力、小金輝彦訳、ハーパーコリンズ・ジャパン)は、ケンブリッジ・アナリティカ事件の内幕を描いたとても興味深い本だ。それに加えて、いまアメリカ全土で起きている混乱の背景を知ることもできる。といっても、まずは「ケンブリッジ・アナリティカ(CA/Cambridge Analytica)」とはなんなのか、から説明しなくてはならないだろう。

2016年は現代史に長く記憶される2つの大きな政治的事件が起きた。いうまでもなく、イギリスの国民投票でのEU離脱(ブレグジット)とアメリカのトランプ大統領誕生だ。選挙コンサルティング会社であるケンブリッジ・アナリティカは違法に収集した有権者の個人データを使って両者の選挙結果を操り、「(リベラルにとっての)災厄」をもたらした悪の元凶としてはげしく非難され、この「データゲート事件」によって2018年に会社は消滅した。

『告発』の著者ブリタニー・カイザーは1987年にテキサス州ヒューストンに生まれ、シカゴで育ち、イギリスで大学教育を受けたあと、博士論文を書きながら給料のいい仕事を探していた。カイザーは共働きの裕福な家庭に育ったが、エンロンに勤めていた母親が2000年の倒産(エンロンショック)で仕事を失い、ついで父親が経営していた不動産会社が2008年のサブプライム危機(リーマンショック)で破綻し、父もうつ病を患ってしまったのだ(その後、じつは脳腫瘍だったことがわかる)。

カイザーは熱烈な民主党支持者で、大学生のときに、オバマ前大統領の2008年の選挙運動にソーシャルメディア担当として参加した。そこでコンサルタントの仕事に興味をもったが、2016年の大統領選に向けてのヒラリー・クリントンのキャンペーンや人道支援運動にはよい仕事がなかった。

2014年、カイザーはオバマの選挙活動で知り合った友人から、中央アジアのある国が選挙活動でソーシャルメディアに詳しいコンサルタントを探していると、ロンドンのレストランでの会食に誘われた。そこには同じように売り込みにきていた男がいて、アレクサンダー・ニックスと名乗った。

ニックスはケンブリッジ・アナリティカのCEOで、1975年生まれだからそのときは40歳前だった。カイザーは26歳で、この出会いをきっかけにニックスから入社を誘われ、波乱に満ちた3年間を過ごすことになる。

本書の原題は“Targeted: The Cambridge Analytica Whistleblower’s Inside Story of How Big Data, Trump, and Facebook Broke Democracy and How It Can Happen Again”(『ターゲットにされて ケンブリッジ・アナリティカ内部告発者のインサイドストーリー。ビッグデータ、トランプ、フェイスブックはどのように民主政を破壊し、それはどのようにもういちど起きるか』)。Targetedとは、自分がターゲットにされたことと、ケンブリッジ・アナリティカが有権者をターゲットに選挙結果を操作していることをかけているのだろう。

ケンブリッジ・アナリティカ誕生まで

まず、本書と英語版Wikipediaを参考に、ケンブリッジ・アナリティカの数奇な短い歴史をまとめてみよう。

1989年、ナイジェル・オークスというイギリス上流階級出身のビジネスマンが非営利のシンクタンク「行動ダイナミクス研究所(BDI/Behavioral Dynamics Institute)」を設立した。オークスは貴族の生まれで、イートン校で教育を受け、グローバル広告代理店サーチ&サーチやテレビ制作の仕事をしたのちBDIを設立した。

その趣旨は「コミュニケーションを通じて人間の行動を理解し、その行動に影響を与える方法を研究する」ことで、ケンブリッジ大学の心理学研究者などといっしょに、行動心理学、社会心理学、脳科学などの最新の知見をマーケティングに活用して商業利用する可能性を探ろうとした。――オークスは、イギリス王室の親戚でもあるレディ・ヘレン・テイラーの「2人目の真剣なボーイフレンド」としても知られている。

1993年、オークスは「心理学者や人類学者によってもたらされた学術的な洞察を使って従来の広告手法をより実り多いものにする」ために「戦略的コミュニケーション研究所(SCL/Strategic Communication Laboratories)」を設立した。BDIはSCLの非営利の外郭団体(約60の学術機関と数百人の心理学者からなる共同事業体)となり、エリザベス女王のいとこが理事に名を連ねた。こうした経緯を見るかぎり、「イギリスの上流階級が大衆を操作する手法を研究し、実践するためにつくった会社」というのがその実態のようだ。

アレクサンダー・ニックスはロンドンの高級住宅地ノッティングヒルで育ち、イートン校で学んだあとマンチェスター大学で美術史の学位を取得し、メキシコで英系投資銀行の融資の仕事をしていた。ニックス家はイギリスのジェントリー(地主階級)出身で、祖先は東インド会社で財をなし、父親は投資銀行家で、SCL創設者ナイジェル・オークスの友人かつ同社の株主でもあった。

2003年、28歳のときにニックスは投資銀行を辞めてSCLに参加する。当時は9.11同時多発テロ(2001年)の余波で、各国がテロ対策に力を入れたこともあって、SCLはいくつかの政府のパートナーになっていた。だが世界金融危機で防衛予算が削減されると、これまでのやり方では利益をあげられなくなり、2010年にオークスはSCLをニックスに任せ、選挙コンサルティングビジネスへと転身を図ることになる。――同じ年に、ニックスはノルウェーの億万長者一族の女性と結婚している。彼女はロンドンで育ち、ニックスと同じく馬術とポロの熱心な競技者でもあった。

SCLを引き継いだニックスは、営業のターゲットをアメリカに定めた。2008年につづき12年の大統領選でもオバマに完敗した共和党=保守派は、従来の選挙活動ではITとSNSを駆使する民主党に対抗できないとの強い危機感を抱いていた。

そんなところに「イギリス上流階級」の洗練された若者が、最先端の心理学とビッグデータを駆使した選挙戦術を売り込みにきた。ニックスはたちまちアメリカの保守派に人脈をつくり、オルタナ右翼のニュースサイト「ブライトバート・ニュース」設立者であるスティーブ・バノンと知り合い、バノンから大富豪のロバート・マーサーと娘のレベッカを紹介された。

マーサーはコンピュータサイエンスの天才で、1970年代にIBMで初期の人工知能を研究したあと、40代後半(1993年)で天才数学者ジェームズ・サイモンズが率いるヘッジファンド、ルネッサンス・テクノロジーズに参加し、そこでの成功によって莫大な資産を築くことになる(主要ファンドのメダリオンは1989年から2006年のあいだに年平均39%の収益をあげた)。

60歳でヘッジファンド業界から身を引くと、マーサーは次女のレベッカとともにアメリカ政治に深くかかわるようになり、「超保守主義のリバタリアン」として、共和党・保守派の主要な資金提供者の一人になっていく。そんなマーサーが、選挙に「科学」を持ち込んだSCLとニックスに関心をもつのは当然だった。

2012年、ニックスはマーサーから1500万ドルの出資を受けてアメリカで新会社を設立する。「ケンブリッジ・アナリティカ」という社名はスティーブ・バノンが命名したという。

ここまでが、カイザーがニックスと出会う「前史」だ。ニックスがなんの経験もなく野心しかない20代のアメリカ女性を営業で雇ったのは、アメリカの保守政界に食い込むのに役に立つと考えたからだろう。

謎の男アレクサンダー・ニックス

『告発』の魅力のひとつは、著者のカイザーがイギリスの“上流階級のなかの上流階級”で、世界じゅうの選挙結果を操ろうとするアレクサンダー・ニックスという謎の男と3年にわたって身近に接してきたことだ。とはいえ、ニックスがそもそもなにを目的にしていたのかは最後までよくわからないままだ。

イギリスの大富豪の一族に生まれ、ノルウェーの大富豪を妻に迎えたニックスには、カネのために働く理由はまったくない。だがニックスは報酬の支払いにはきびしく、「この仕事でいくら儲かるか」に執着していた。

カイザーがSCLをはじめて訪れたとき、バッキンガム宮殿のグリーンパーク近くにある事務所は「1960年代から一度も改装していないような古いビル」で、「名も知れない小さな新興企業のオフィスが集まっていて、SCLもビタミン飲料の会社と廊下を共有していた」「1階の会議室に通じる廊下には、小さな瓶が詰まった木箱が所狭しと置かれ、足の踏み場もない。会議室は全入居者の共有スペースになっていて、使うときには時間単位で料金を支払う必要があるらしい。アレクサンダーのような上流階級(ボッシュ)の政治コンサルタントのオフィスとして想像していたのとはまるで違っていた」と描写されている。

「そもそもSCLのオフィスは、大物の実業家や国家元首を連れてくるような場所ではない。狭く、窓もなく、正午頃でも薄暗かった。カーペットはすり切れたグレーの工業用のもので、吊り天井は小さなくぼみででこぼこしており、奇妙な染みがついていた。ふたつのガラスボックス(幹部とデータサイエンティストの部屋)を除けば、およそ90平方メートルのひと部屋にスタッフ全員が押し込まれ、机を寄せてつくったふたつの島の周りを取り囲んでいた。ほかには、内密のミーティングができる唯一のスペースとして2.5メートルか3メートルほどの小さな部屋があり、テーブルがひとつと椅子がいくつか置いてあった。エアコンがないので「スウェットボックス」と呼ばれていた。社員たちが缶詰のイワシのように「スウェットボックス」に詰め込まれているあいだ、アレクサンダーは見込み客を近くの洒落たバーやレストランで接待するのだ」

この雑居ビルの狭いオフィスで働いていたのはルーマニア人やリトアニア人のデータサイエンティストで、それを仕切っていたのはケンブリッジ大学の同級生である2人の博士だった。卒業後は金融機関や石油サービス会社で働いていたが、「最先端のデータプログラムを設計する機会と自分の裁量で仕事のできる機会を求めてSCLに移ってきた」のだ。――SCLには一時期、グーグルの元CEOエリック・シュミットの娘ソフィアもインターンで働いていた。

ニックスは、政治的イデオロギーにまったく興味がなかったようだ。アメリカの保守派に近づいたのは、民主党=オバマ陣営がすでに選挙でSNSを活用しており、食い込む余地がなかったからだ。ブレグジットにかかわるようになったのも、マーサーやバノンから英国独立党(UKIP)など離脱派を紹介されたからだった。

2016年の共和党大統領候補を決める予備選では、SCL=ケンブリッジ・アナリティカはテッド・クルーズとトランプ陣営に助力していた。そのときニックスは、カイザーにこういっている。

「トランプが大統領になるなどと考えているのはもちろん馬鹿げている(中略)。米国人はそんなことを考えないし、多くの人が笑い物にしている。(テッド・)クルーズや(マーク・)ルビオ、あるいはほかの誰かが共和党の指名を獲得し、結局はヒラリーに負ける」

ニックスは天性の営業マンで、彼が夢中になるのは「大衆を操って選挙に勝つ」というゲームと、世界じゅうの有名人とレストランやバー、パーティーなどで飲み騒ぐことだったようだ。ニックスはカイザーに、「(個人情報を使って選挙結果を操ることは)西部開拓時代と同じだよ」と述べた。

「行動マイクロマーケティング」の驚くべき効果

カイザーは、ケンブリッジ・アナリティカが行なっていたのは「PSYOP(サイオプ)」だという。Psychic Operation(心理作戦)のことで、Psychic War(心理戦争)を言い換えたものだ。

PSYOPの基本は「行動させるコミュニケーション」だ。クライアントへのプレゼンテーションでは、ニックスはこれを、プライベートビーチに一般人が入ってこないようにするにはどうすればいいかで説明する。

対処法のひとつは、四角い白い看板に「パブリックビーチはここまで」と書いた看板を立てることだが、これはまったく効果がない。もうひとつの対処法は、鉄道の踏切のような鮮やかな黄色の三角形の標識に、「注意! サメの目撃情報あり」と書くこと。こちらはものすごく効果がある。コミュニケーションの仕方によって、ひとびとの行動は自由に操作(operate)できるのだ。

ニックスはクライアントに、「弊社は広告会社ではありません」と説明する。「人の心理を見抜く力を備え、科学的に厳密なコミュニケーションを行う会社なのです。政治運動やコミュニケーション活動が陥りがちな最大の誤りは、めざす目標地点ではなく、現在いる場所から始めようとすることです」

「現在いる場所」とは、たとえば目の前にある(売りたい)商品だ。映画館でコーラの販売量を増やしたいと相談すれば、広告代理店の営業マンは「販売場所にもっとコーラをたくさん置きましょう。コーラのブランド化が必要です。映画の前にコーラの宣伝をする必要もあります」というだろう。

だがニックスは、「それは全部コーラのことだ」という。「ここで立ち止まって、ターゲットとなる観客に視点を移し、『いったいどんなときにコーラをもっと飲みたくなるのだろう』と考えてみてください」

そして次のスライドで、映画館の空調の温度がどんどん上がっていく様子を見せる。「やるべきなのは、ただ劇場の室温を上げることなのです」

大衆を動員する手法は、全体主義(ナチズム)の研究などで繰り返し取り上げられてきた。SCLの新しさは、大衆をセグメントに分類して、それぞれのグループに最適な「行動させるコミュニケーション」を開発し、さらに効果を高めていることだ。これが「サイコグラフィクス」で、性格タイプに合わせて特定のメッセージを送ることは「行動マイクロマーケティング」と呼ばれる。

サイクゴラフィックスのベースになるのが「ビッグファイブ理論(OCEANモデル)」で、パーソナリティ(そのひとらしさ)は、「開放的(Open)」「堅実(Conscientious)」「外向的(Extroverted)」「協調的(Agreeable)」「神経質(Neurotic)」の5つの特性の組み合わせで理解できるとする。

銃規制に反対するキャンペーンを行なうとき、サイコグラフィックスで「閉鎖的で協調性がある」とされたグループには、伝統と家族の価値を強調する言葉とイメージを使った広告が効果がある。

それに対して「外向的で協調性に欠ける」グループは、「何に関しても自分の意見を聞いてもらいたがる」「自分にとって何が最善か知っていて、何事も自分で判断したいと思っており、人の指図を受けることを、特に政府から指図されるのを嫌う」とされる。「自助自立」を重視するこうしたターゲットは、女性が拳銃を振りかざし、きびしい表情を浮かべ「私が拳銃をもつ権利を問題にしないでほしい。あなたが拳銃をもたない愚かさを問題にしないから」という広告に強く反応したという。

ケンブリッジ・アナリティカはビッグファイブ理論をもとにターゲットを32の主要な性格グループに分け、それぞれのグループごとに最適化された広告をつくるだけでなく、それを20~30ものバリエーションにして異なる時間に送信し、ソーシャルメディアの異なるフィードに掲載して、なにがいちばん効果的かを検証した。ランダム化比較試験によって、もっとも費用対効果の高い広告を効率的に見つけようとしたのだ。

世界を揺るがした「若き天才」たち

ケンブリッジ・アナリティカのPSYOPが成功するためには、ターゲットとなる有権者の膨大なビッグデータが必要だ。疑惑の焦点は、それをフェイスブックから不正に入手したのではないかというものだった。

2015年12月、英紙ガーディアンが、アレクサンドル・コーガンなる「ロシアと関係の深い」ケンブリッジ大学の講師が、フェイスブックのデータをケンブリッジ・アナリティカに提供したとの疑惑を報じた。記事によれば、コーガンは2014年にアマゾンの「メカニカルターク」で「これがあなたのデジタルライフです」という性格診断クイズを実施し、応じたユーザーに1ドルずつ払った。ユーザーがフェイスブックでこのクイズに回答すると、「友だちAPI」によって、ユーザーと友だちリストにある全員のデータが取り込まれた。コーガンは回答者の性格をモデル化するプログラムとフェイスブックのデータセットをケンブリッジ・アナリティカに売ったというのだ。

だがこれについては、関係者の主張が錯綜している。カイザーは、「友だちAPI」の機能を使えば膨大なデータを入手することは可能だが、これはフェイスブックがビジネスとして行なっていたことで、「2012年のオバマキャンペーンでも友だちAPIは使われていた」と指摘する。オバマ陣営の中心的なデータサイエンティストは、「自分はオバマ・フォー・アメリカのデータ統合プロジェクトすべてにかかわっていたが、データに関してはルールに従って行動していたので恥じることは何もなかった。ただひとつ、『友だちAPI』だけは不気味に感じていた」と書いている。

ケンブリッジ・アナリティカは、独自の方法でフェイスブックからデータを収集してもいた。「セックス・コンパス」では、ベッドでの好きな体位といった性的嗜好を探る質問によって「性的性格」を診断し、「ミュージカル・セイウチ」では、マンガっぽく描かれた小さなセイウチが「本当の音楽的アイデンティティ」を判定する。こうした人気アプリを使ってユーザーと彼らの「友だち」のすべてのデータを集めるのだが、これはクレジットカード会社から信用情報を合法的に購入するのとまったく同じで、会社案内のパンフレットにも「フェイスブックの3000万人を超えるデータをはじめ、約2億4000万の米国人のデータを保有している」と公式にうたっていた。

フェイスブックが方針を変更して「友だちAPI」によるデータ収集を禁じたのは2015年のことで、だとすればコーガンの行為も、彼からデータを購入したケンブリッジ・アナリティカもまったく問題ないことになる。実際、フェイスブックはケンブリッジ・アナリティカに対して、「サーバーからフェイスブックのデータを削除してバックアップがないことを確認した」とのメールを受け取っただけで満足し、それ以上のことはなにもしなかった。

話をさらに混乱させるのが、ガーディアンにこの情報を提供したクリストファー・ライリーという若者だ(1989年生まれで当時26歳)。カイザーと並ぶもうひとりの「内部告発者」で、緑色に染めた髪に眼鏡の風貌を覚えているひともいるだろう。

医師と精神科医の両親のもとにカナダのヴィクトリアで育ったワイリーは、子ども時代にディスレクシア(難読症)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されたコンピュータの天才で、まさにハッカーの典型のような人物だ。

ワイリーの経歴はカイザーと驚くほど似ていて、学校をドロップアウトしたあとカナダのリベラル政党の選挙キャンペーンにかかわり、2008年のオバマの選挙活動にボランティアとして参加した。その後、ロンドンの大学に進み、2013年(カイザーの1年前)にSCLでデータサイエンティストとして働きはじめる。

そこでの役割についても関係者で意見が食い違っているが、英語版Wikipediaの記述によると、ワイリーはSCL時代にサイコグラフィックスの手法を習得し、ケンブリッジ・アナリティカのサーバーから8700万人のフェイスブックユーザーのデータセットを不正にもちだして、ケンブリッジ・アナリティカのシニアスタッフとともにユーノア・テクノロジーズ(Eunoia Technologies)という会社を設立し、ブレグジットやトランプ陣営に売り込みにかかった。

当然、ケンブリッジ・アナリティカのニックスと法的紛争になり、2018年にユーノアは解散・閉鎖された。そして同年3月、ワイリーはケンブリッジ・アナリティカのスキャンダルの内部告発者として華々しくデビューすることになる(著書に“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica’s plot to break the world”(マインドファック ケンブリッジ・アナリティカの世界破壊作戦の内幕)がある。

それに加えてさらに話をややこしくするのは、マイケル・コジンスキーなる元ケンブリッジ大学心理統計学センター講師(現在はスタンフォード大学准教授)が現われて、「ケンブリッジ・アナリティカのサイコグラフィックスは自分がつくった」と主張したことだ。コジンスキーは2008年に博士後期課程の学生としてポーランドからケンブリッジにやってきて、同僚が開発した「マイ・パーソナリティ」というフェイスブックのアプリを使って、何百万というフェイスブックのユーザーに関する正確なモデルを構築した。

2014年にそれを聞きつけたコーガンが商用利用の目的で接触してきたが、コジンスキーは申し出を断った。その後コーガンは、おそらくは不正な手段でコジンスキーのデータセットを入手し、ケンブリッジ・アナリティカに持ち込んだというのだ。

真相がどこにあるかは、疑惑の中心であるアレクサンドル・コーガンがシンガポールに逃れ、映画『007 スペクター』からとった「アレクサンダー・スペクター」という偽名で隠れ住むようになったことで藪の中になった。コーガンは1985年(あるいは86年)に旧ソ連領のモルドヴァに生まれ、ロシアのサンクトペテルブルク大学と関係があるほか、中国政府からも研究資金を得ているとされる。

このように「データゲート事件(ケンブリッジ・アナリティカ スキャンダル)」には多士済々な人物が登場するが、興味深いのは、カイザー、ワイリー、コーガン、コジンスキーなどがみな1980年代生まれで、事件当時は20代か30代前半だったことだ。ブレグジットとトランプ大統領誕生という世界を揺るがした大事件の背後には、「若き天才」たちがいた。

フェイスブック、グーグル、ツイッターはトランプ陣営に協力していた

ケンブリッジ・アナリティカの行動マイクロターゲティング戦略は、2016年の大統領選の結果にどれほどの影響を及ぼしたのか。最後に、カイザーによる評価をまとめておこう。

ニックスたちは、保守派の有権者を「コア・トランプ有権者(選挙活動に動員する)」「投票させるターゲット(投票する気があるが行くのを忘れるかもしれない者たち)「無関心なトランプ支持者(予算が余ったときにだけ働きかけかける)」、リベラルな有権者を「コア・クリントン支持者(なにをしてもムダ)」「あいまいなクリントン支持者(投票を思いとどまらせる)」グループに分けた。

さらに、説得可能な有権者の性格タイプが州ごとにちがうことも割り出した。たとえばアイオワ州の保守派は「ストイック」「世話好き」「伝統主義者」「衝動的」で、サウスカロライナ州の保守派は「衝動的」の代わりに「個人主義者」が入る。「ストイック」な有権者へは伝統、価値観、過去、行動、結果といった言葉を織り交ぜたメッセージを送り、「個人主義者」は決断や防御といった言葉を含むメッセージが効果的だった。

選挙後の評価では、こうした心理的働きかけの結果、トランプの好感度を平均で3%上昇させ、「投票させる」キャンペーンでは有権者の不在者投票の申請を2%増加させたという。オンライン広告を見た14万7000人の調査では、11.3%がトランプに好感をもつようになり、トランプに投票する意思がある有権者が8.3%増加した。「トランプが僅差で勝ったことを考えると、これは大きな成功」だとカイザーはいう。

PSYOPのもうひとつの目的は、ヒラリーへの投票を思いとどまらせることだった。「フェイスブックのビデオ広告によってトランプに投票する意思をもつ人が3.9%増加し、ヒラリーに投票する意思をもつ人が4.9%減少した」とされるが、そのときに大きな効果を発揮したのが、ニュース記事とまったく同じに見える「ネイティブ広告」だ。

「非常に神経質」に分類されたひとたちには「怖がらせる」メッセージがもっとも効果的で、「ヒラリーは米国を破壊する」というネイティブ広告は、対照群より20%も高い効果を示した。「中道左派の女性は実はやや保守的」という傾向もあり、「家庭を切り回せないようなら、ホワイトハウスは絶対に切り回せない」というミシェル・オバマの、2007年のオバマvsヒラリーの民主党予備選での発言を文脈から切り離し、夫の浮気に対してヒラリーを揶揄しているように見せかけるメッセージも効果的だった。ネイティブ広告は「費用は高くついたが投資効果は驚異的だった」とカイザーはいう。

もうひとつ重要なのは、「ケンブリッジ・アナリティカ経由だけでも1億ドルがデジタル広告に使われており、そのほとんどがフェイスブックに注ぎ込まれた」とのカイザーの指摘だ。莫大な選挙資金がIT大手に投じられた見返りとして、トランプの選対本部にはフェイスブック、グーグル、ツイッターから社員が派遣され、さまざまなサービスを提供した。

これをフェイスブックは「一段上のカスタマーサービス」、グーグルは「アドバイザーの立場」、ツイッターは「無償の労働」と説明した(クリントン陣営はフェイスブックの支援を断った)。――現在、tweetをめぐってトランプとツイッター社は対立しているが、大統領選では「カンバセーショナル広告形式」を使って、トランプのキャンペーンのツイートがヒラリーのツイートの上に表示される仕組みを提供していた。

カイザーは、「社会的弱者」にグルーピングされるのは多くが非常に神経質なひとたちで、恐怖を喚起する広告がきわめて大きな効果を発揮したと述べる。トランプ支持の「プアホワイト」だけでなく、ブレグジット支持者のなかの「落ちこぼれ」層も同じで、「恐怖心に訴えかけるメッセージを送れば、最も説得可能な人たち」だった(それ以外の離脱派の類型は「熱心な活動家」「若い改革者」「不満を抱く保守党支持者」)。

彼ら/彼女たちは「政治家、銀行、企業をはじめとするエスタブリッシュメントに対して猜疑心を抱き、自分の経済状況、公共秩序の悪化、そして将来全般に不安を感じ」ていて、とりわけ移民問題に関心が高い。「「恐れ」は神経質な人たちに限らず、誰に対しても、私たちのもっているどんなツールよりも効果的」なのだ。

白人警官が黒人の容疑者を死亡させた事件をめぐって、現在、アメリカ全土で大きな混乱が起きている。この事態に際してトランプは、州兵だけでなく米軍を派遣する意向を示し、対立をさらに煽っているように見える。

こうしたtweetは衝動的なように思えるが、それはトランプ選対本部のデータサイエンティストたちが、2020年11月の大統領選に向けての「効果な選挙活動」として戦略的に指示しているのかもしれない。「行動マイクロターゲティング」の手法を知れば、これを「陰謀論」として一笑にふすことはできなくなるのではないだろうか。

禁・無断転載

死刑制度のある日本は犯罪に甘い国? 週刊プレイボーイ連載(578)

死刑制度をどうするかは、日本におけるもっともセンシティブな問題のひとつです。存続派は「死刑を廃止すると凶悪犯罪が増える」と主張しますが、多くの研究では、死刑があるから強盗や殺人を思いとどまっているという証拠はありません。逆に日本の場合、「自殺する勇気がないから、無差別殺人をして死刑にしてもらう」という動機で凶悪犯罪が起きています。

とはいえ、ここでいいたいのは別のことです。死刑を廃止した国は、それによって安全が脅かされるリスクを受け入れたのでしょうか。

イギリスでは子どもを性加害から守るために、独立の機関が採用予定者の過去を調査し、就業を禁止できるようにしています。日本でも同様の制度が創設されそうですが、こちらは裁判で有罪が確定したケースをデータベースで調べるだけです。

司法手続きを通さずに市民の権利を制限するのは日本では考えられませんが、驚くのはこれだけではありません。イギリスでは2003年、リベラルな労働党政権によってIPP(公衆保護のための拘禁)が導入され、刑期が満了しても、釈放後に再犯の可能性が高いと見なされると、期限を定めずに収監を継続できるようになりました。

この法律は12年に廃止されましたが、その時点で刑期を終えた6000人以上が収監されていたといいます。同様の制度は、カナダ、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなどリベラルな先進国で導入されていて、性犯罪、とりわけ小児性犯罪が主な対象となっています。

「実質的な終身刑」が人権侵害だと批判されると、次は「去勢」です。ドイツでは25歳以上の性犯罪者を対象に、本人の同意を得たうえで「去勢手術」を行なっています。スウェーデンやデンマークなどリベラルな欧州の国にも、保釈を認める条件として人為的にテストステロン値を下げる制度があります。

イギリスには、2000年にスタートしたDSPD(危険で重篤な人格障害)に対する制度もありました。「その法のもとで危険だと考えられる人物を、たとえなんら犯罪をおかしていなかったとしても、警官が逮捕し、検査と治療のためと称して施設に送ることができる」とされますが、中国が新疆でウイグル人に対して行なっていることとどこがちがうのでしょうか。

こうした事例からわかるのは、リベラルな先進国ほど、死刑を廃止する一方で予防拘禁を導入していることです。逆にいえば、死刑を廃止できるのは、社会にとって危険な人物は刑務所(あるいは精神科病院)に収容しておけばいいと考えているからでしょう。

わたしたちは人類史上未曾有の「とてつもなくゆたかで、とてつもなく安全・平和な社会」を実現しましたが、それによって身体的・精神的に危害を加えられることに強い不安を感じるようになりました。欧米諸国では、とりわけ子どもが犠牲になるリスクをいっさい許容できなくなっています。

そんな「先進国」から見ると、死刑制度を頑強に維持する日本は、犯罪に甘い国だと思われているかもしません。

参考:エイドリアン レイン『暴力の解剖学 神経犯罪学への招待』高橋洋訳、紀伊國屋書店

『週刊プレイボーイ』2023年10月2日発売号 禁・無断転載

サブカルチャーでわかるアメリカの陰謀論

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年2月/19日公開の「アメリカの陰謀論は映画などのエンタテインメントを生み出してきた。「新世界秩序」「トゥルーサー」「UFO信者」など現実と虚構が混沌とした世界は今後ますます「加速」するだろう」です(一部改変)。

映画『陰謀のセオリー』。メル・ギブソン演じる主人公は陰謀論者のタクシー運転手

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1997年公開の映画『陰謀のセオリーConspiracy Theory』(リチャード・ドナー監督、メル・ギブソン、ジュリア・ロバーツ主演)は、ニューヨークのタクシー運転手で陰謀論者の男の話が徐々に現実のものになっていく、というサスペンス映画だ。

主人公の男は、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件をはじめとして、ありとあらゆる陰謀論を収集し、客にしゃべりまくるばかりか、政府の陰謀についてのニュースレターを書き、5人しかいない「支持者」に郵送している。

ひとはみな、説明できないものごとに強い脅威を感じる。大統領(JFK)がテレビ中継中に狙撃されて死亡し、その犯人とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドが事件から2日後に、警察本部の地下通路でマフィア関係者に射殺されるという前代未聞の出来事は、政府・司法の公式説明ではとうてい納得できるものではなく、ひとびとはより整合性のあるストーリーを求めた。

JFK暗殺の翌年(1964年)、アメリカの現代史家リチャード・ホフスタッターは「アメリカ政治におけるパラノイド・スタイルThe Paranoid Style in American Politics」という有名な論文を発表した。作家のジェシー・ウォーカーは、『パラノイア合衆国 陰謀論で読み解く《アメリカ史》』( 鍛原多惠子訳、河出書房新社)でホフスタッターの論文を、「激しい誇張、不信感、陰謀の幻想を特徴とする「(アメリカ政治の)心のスタイル」を描きだそうと試み、それを19世紀の反フリーメイソン運動や反カトリック運動から、執筆当時の「大衆的な左派メディア」や「現代の右派」にいたる幅広い活動に見出している」と要約している。

ウォーカーは、「アメリカは、いつの時代もパラノイアに取り憑かれている」「陰謀論は歴史に彩りを添えるだけではない。この国の核心にあるのだ」と述べ、ビル・クリントンが大統領に就任したときの次のようなエピソードを紹介している。

クリントンは大統領に当選して間もなく、古くからの友人で、その後、自身の補佐役に任じたウェブスター・ハッベルにこう述べたという。「ハブ、君を司法省の職に就けたら、二つの疑問に答えを見つけてほしい。一つめは、JFKを殺したのは誰なのか。二つめは、UFOは存在するのか、だ」

FBIとCIAの謀略が陰謀論の源泉

2004年(JFK狙撃事件の40年後)、ABCニュースの調査ではアメリカ国民の7割が大統領の死の背後に陰謀があると信じていた(1983年の調査ではさらに高く、8割に上っていた)。2006年の全国規模の調査では、36%が「アメリカの指導者が9.11のテロ攻撃を許した、あるいはその計画にかかわっていた可能性が「非常に」または「やや」高いと回答した」。より困惑するのは1996年のギャラップ調査で、71%もの国民が政府はUFOの情報を隠していると考えていた。

しかしウォーカーによると、これはアメリカ国民がたんに“陰謀”に洗脳されているということではない。こうした疑心暗鬼の背後には現実の陰謀があった。

1956年にFBIが始めた「コインテンプロ」は、「破壊活動分子と見なす政治運動家を阻止し制圧するための対情報プログラム」で、共産党などの「反社会的集団」にFBIの捜査官を潜入させ、偽情報を流したり暴力的な蜂起を扇動したりして内部から攪乱させる謀略だった。

このコインテンプロはその後、「社会主義労働者党、白人至上主義団体、黒人国家主義者/黒人至上主義者 新左翼」へと拡大され、その後の議会による調査では、潜入捜査官がミリシア(極右の民兵組織)にテロをそそのかしていたことも明らかになった(ミリシアのメンバーがテロ計画を通報したことで未然に防がれた)。

1950年代には、CIAは「MKウルトラ計画」を実施している。朝鮮戦争で捕虜になった米兵が共産主義に洗脳されたことに衝撃を受け、より効果的な洗脳手法の開発を目指したもので、一般人の被験者にLSD(幻覚剤)を投与する実験も行なわれたが、その詳細は明らかにされていない。――映画『陰謀のセオリー』では、主人公はこのMKウルトラ計画の犠牲者だった。

それ以外にも、CIAが市民の郵便物を開封していたり、外国要人の暗殺に関与していたことも明らかになって、70年代には多くのアメリカ人がFBIやCIAを謀略機関と見なすようになっていた。

決定的なのは1972年のウォーターゲート事件で、民主党本部の盗聴を指示したニクソン大統領が辞任に追い込まれる政治スキャンダルにアメリカ社会は大きく動揺した。前年(71年)にベトナム戦争に関する国防総省の秘密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)がニューヨーク・タイムズにスクープされるなど、政府内部からの情報漏洩に疑心暗鬼になっていたニクソン政権では盗聴が常態化していた。当時のアメリカでは、ホワイトハウスも陰謀論に取り憑かれていたのだ。

アメリカ映画に登場する陰謀論

アメリカの政治や司法で現実に行なわれた陰謀は、大衆文化にどのように取り込まれていったのだろうか。政治学者マイケル・バーカンは、『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』(林和彦訳) 三交社)で、「陰謀の存在を信じることが、20世紀末から21世紀初頭にかけての千年王国主義の中心をなすテーマである」として、「陰謀信仰」の3つの原則を挙げている。

  1. 何事にも偶然はない あらゆる出来事は意図的に発生する。これがもっとも極端にまで走ると、「実世界よりはるかに首尾一貫した幻想世界」という結末に至る。
  2. 何事も表面とは異なる 陰謀を画策する者たちは正体や活動を隠蔽している(外見が清廉潔白に見えるからといって、その個人や集団が無害という保証にはならない)。
  3. 何事も結託している 陰謀論者たちの世界に偶然のはいり込む余地はない。表面的な見方ではわからなくても、あらゆるものにある決まったパターンが存在する。隠された結合を描き出すために、つねに連鎖や相関を打ち立てなければならない。

こうしてつくられた陰謀論は、「世界が任意的なものではなく、意味に満ちている」との約束=安心感を与えてくれるものの、その一方で、あらゆる出来事にこの3原則を当てはめると次々と矛盾が露わになる。陰謀論者はそれに対処するために、新たな陰謀を「発見」しつづけなければならない。その結果、彼らの陰謀世界は徐々に歪んだものになっていく。

アメリカの大衆文化(サブカルチャー)でどれほど奇怪な陰謀論が広まったかを、バーカンの本から抜粋してみよう。

・ブラック・ヘリコプター
アメリカ政府を乗っ取り、国民を支配しようとする国際的な陰謀組織(新世界秩序軍)の前衛部隊が黒いヘリコプターに乗って現われる。ジム・キースという陰謀論者の『アメリカ上空のブラック・ヘリコプター 新世界秩序の突撃舞台』(1994)、『ブラック・ヘリコプター2 大詰め戦略』(1997)によって広く知られるようになった。映画『陰謀のセオリー』でも、CIAやFBIの上位にある謎の組織の戦闘員が黒いヘリコプターで登場する。アメリカ人はこの場面を、ブラック・ヘリコプターの都市伝説と重ね合わせたのだろう。

・強制収容所(FEMA)
アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency/FEMA)は災害などの緊急事態に対処する実在の政府組織だが、陰謀論者によれば、FEMAは反体制主義者などを収容するための強制収容所網を秘密裏に整備している。この都市伝説は、1970年代から80年代にかけて、核戦争など将来の非常事態に備えた対応計画、演習、行政命令などの一連の政府活動から生まれたらしい。もともとは左翼が唱えた陰謀論だが、その後、右翼が、監禁されるのは自分たちではないかという強烈な危機感をもつようになった。

・マインド・コントロール
CIAの(実在した)「MKウルトラ計画」から派生したとする「モナーク・プロジェクト」の陰謀。キャシー・オブライエンなる女性が「抑圧された記憶」を回復したとして、「CIAの性的奴隷と麻薬密輸用として訓練され、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領やクリントン大統領夫人ヒラリーなどから性的な虐待を受けた」と告発して話題になった。

・マイクロチップ埋め込み
1980年代に「バーコードは個人の手に刻印される獣の刻印(悪魔の印)の前駆体」との説が登場し、その後、「バーコードではなくマイクロチップを埋め込もうとしている」へと進化した。新たに登場したテクノロジーが陰謀論に取り込まれていく例で、新型コロナのワクチン接種でも、「ワクチンと見せかけてマイクロチップを埋め込まれるのではないか」との陰謀論が欧米で広まっている。

宇宙人と新世界秩序が合体してイリミナティへ

現実から離れて奇怪な方向へと進んでいくアメリカの陰謀世界の象徴が、UFO(未確認飛行物体)とキリスト教原理主義(福音派)の融合だ。

UFO伝説のなかでもっとも有名なのは、ニューメキシコ州のロズウェル近郊に謎の飛行物体が墜落し、その残骸が軍によって「エリア51」に回収され秘匿されているというもので、1947年6月14日の出来事とされる。1961年には、ベティ・ヒルとバーニー・ヒルの夫婦が異性人に誘拐されたと訴える「アブダクション」がメディアの注目を集めた。

それ以外にも、1960年代後期から70年代にかけて、西部諸州で畜牛の切断死体が次々と発見される「キャトル・ミューテーション(家畜惨殺)」が起き、悪魔教の儀式、ヒッピーの仕業、UFOの目撃証言などと結びつけられた。異星人の「収穫」や生物学的な物質の採取、「異星人と人間の混血種を繁殖させている」などの説が唱えられた。

こうして1970年代には世界的なUFOブームが到来する。スティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』(1977年)もこの時期で、日本でもUFOを扱うテレビ番組が人気を集めた。

1991年、イラク(サダム・フセイン)のクウェート侵攻に対する、アメリカを中心とする多国籍軍の「第一次湾岸戦争」が起きる。このときジョージ・H・W・ブッシュ大統領(父ブッシュ)は、演説で「新世界秩序(New World Order/NWO)」という言葉を使った。これは「国際的な集団安全保障体制を構築する」という意味だったが、陰謀論者は特別なメッセージとして受け取った。

「新世界秩序」は、アメリカ建国直後から陰謀論とともにあった。独立を果たしたばかりのアメリカに対して、イギリスを中心とする「国際的な陰謀組織」が秘密裏の工作によって「新世界秩序」を押しつけようとしているとの不安が社会を覆っていた。

その後、60年代のニューエイジやオカルト主義(スピリチュアリズム)の影響を受けて、福音派(キリスト教原理主義者)が「新世界秩序」を千年王国運動と結びつけるようになった。彼らの信じる前千年王国説では、ハルマゲドンとともに悪魔が世界を支配し、キリストが降臨して善と悪の「最終決戦」が始まる。悪魔が押しつける「新世界秩序」はハルマゲドンとキリスト降臨の前兆なのだ。

大統領が「新世界秩序」というキーワードを(陰謀論者にとっては)意図的に使ったことは、湾岸戦争が悪魔による「陰謀」であり、アメリカ政府はすでに「悪」に乗っ取られている証拠だとされた。こうして保守派のパット・ロバートソンは、同(91)年『新世界秩序(The New World Order)』を発表する。「イルミナティが世界政府を創設し、アメリカの自由を攻撃し、歴史の終焉をもたらす善と悪の最終戦争が始まる」と主張するこの本はアメリカでベストセラーになった。

参考:Qアノンのディープステイトと秘密結社イルミナティ

「新世界秩序」の終末論がなぜUFOと結びつくことになったのか。これについてバーカンは、「冷戦の終焉」の影響を指摘している。それまでアメリカは「共産主義=悪魔」「悪の帝国=ソ連」の脅威にさらされ、それが陰謀論の源泉になってきた。だがそのソ連が自滅してしまったことで、陰謀論者ははしごを外されてしまった。

このとき必要とされたのは、「ソ連=共産主義」を上回る巨大な悪だ。こうして「宇宙人」が召喚され、「陰の政府(ディープステイト)」が異性人と結託し、世界を支配しようとしているという「UFO+新世界秩序」型の陰謀論が生まれたというのだ。

「MJ-12(マジェスティック/マジック12)」は、1987年に発見された(とされる)ドワイト・アイゼンハワー大統領宛の秘密文書で、そこには十数名の軍高官と著名な科学者からなる超極秘集団が、UFOの墜落と搭乗者の遺体の回収について記していた。その内容は「政府と異星人の密約」で、合衆国政府は1964年4月30日から異性人たちと接触をはじめ、1971年には「密約」を交わし、異星人の技術を政府へ移管することを求めた。その代償として政府は、キャトル・ミューテーションや米国市民の一時的な誘拐を黙認したとされる。

これに秘密結社が結びついたのが「イルミナティの基本計画」で、「人類を一つの世界政府にまとめるために、宇宙からの脅威を使うこと」が決定された。この陰謀に参加したのは「イエズス会、フリーメイソン、ナチ党、共産党、外交問題評議会、日米欧三極委員会、ビルダーバーグ会議、バチカン、スカル・アンド・ボーンズ(イェール大学の秘密結社的なエリート学生組織)、ロックフェラー家、ランド研究所(保守派のシンクタンク)、連邦準備銀行、CIA、国連」だとされる。

パロディ宗教から生まれた陰謀論

アメリカの陰謀論の特徴は、それがハリウッド映画などの大衆文化に取り込まれ、さまざまなエンタテインメントを生み出したことだ。

ロズウェル事件が話題になった1950年代半ばから、「UFOに関する体験や調査があまりに真実に肉薄しすぎると、ダークスーツに身を包んだ正体不明の小集団(通常2、3名)が忍び寄ってきて邪魔するか殺される」との都市伝説が広まりはじめた。これが「メン・イン・ブラック伝説」で、トミー・リー・ジョーンズ、ウィル・スミス主演で大ヒットした映画『メン・イン・ブラック』(1997年)はこれに基づいている。その前年(96年)には、エリア51に収容されていたエイリアンが地球侵略の引き金を引く『インデペンデンス・デイ』が制作されている。

福音派の陰謀論の定番である「新世界秩序」は、『スターウォーズ』シリーズで、銀河帝国を創設するダース・シディアスが「ニューオーダー(新秩序)」を宣言する場面に転用された。超常現象をテーマに1990年代に大ヒットしたテレビシリーズ「X-ファイル」など、陰謀論とエンタテインメントの融合は探せばいくらでも見つかるだろう。

しかしこれは、陰謀論が「ひとびとを夢中にさせるもの」だと考えれば当たり前のことだ。エンタテインメントの制作者が「大衆を夢中にさせる物語」をつくろうとすれば、それは往々にして陰謀論と区別がつかなくなる。

陰謀論を批判する者が陰謀論に取り込まれていくという現象もしばしば起きた。それをよく表わしているのが、パロディ宗教「ディスコーディアン」だ。ケリー・ソーンリーという元海兵隊員が高校時代のギャグ仲間と始めたもので、パロディ聖典『プリンキピア・ディスコーディア』では、ボーリング場に巻物を手にしたチンパンジー(大天使)が現われ、続いてギリシアの混沌の女神エリスが顕現し、「なぜ原始の秘密によって人びとのあいだに混沌が生まれたのか」と問う。

このパロティ宗教の教祖になったソーンリーの動機は、いたって真剣なものだった。きっかけは海兵隊員時代にオズワルドという若者と友人になったことで、その後、オズワルドはソ連に亡命するが、考えを変えて1962年に娘を連れてアメリカに帰国、翌63年にケネディ大統領狙撃犯として逮捕される。

ソーンリーはJFK暗殺をオズワルドの単独犯行と考えていたようだが、パロディ宗教の背景には、かつての友人の「混沌」を理解したいという強い思いがあった。

ディスコーディアン協会は徐々に帰依者を増やしていったが、そのなかに「トロツキストで無政府主義者のリバタリアン」であるロバート・ウィルソンという若者がいた。彼はソーンリーと組んで、「マインドファック作戦」と称して、さまざまな陰謀集団に手紙を送りつけた。

キリスト教反共十字軍には、バイエルン・イルミナティの便箋を使って、「われわれはロック音楽業界を乗っ取った。だが貴様たちはまだ気づいてはいまい。われわれは19世紀はじめにはすでに音楽業界を牛耳っていたのだ。ベートーヴェンがわれわれの最初の信奉者だった」という手紙を送った。右派のジョン・バーチ協会や左派の地下新聞、リバタリアンやヒッピー組織などの出版物にもイルミナティの噂をばらまき、この秘密結社の存在をカウンターカルチャーに浸透させた。

ウィルソンは、自分たちはゲリラ的存在で、「ありとあらゆるオルタナティブ・パラノイアを提供する大規模なギャグ問屋(コスミック・ギャグ・ファクター)」だと考えていた。その目的は「誰でもその気になれば好みのパラノイアを選ぶことができるようにすること」で、その結果として「このパラノイアゲーム全体を眺めて、より広範で、笑えて、希望のもてる現実地図に目覚めてほしい」と考えていたという。――ウィルソンとロバート・シェイの共著『イルミナティ』三部作(集英社文庫)はこうして生まれた。

だが後年、パロディ宗教の教祖になったソーンリー自身が陰謀の罠にはまりこんでいく。「ぼくは文字通り情報機関に取り込まれている。ところが私を殺そうという試みが三度失敗してからは、周辺は落ち着いてきており、現在スパイの大半はぼくの味方になったようだ」と書き、自分は「ブリル教会の繁殖/環境操作実験の産物」だと信じるようになった。

陰謀論とエンタテインメントは紙一重で、陰謀論をパロディにしようとした者も陰謀論にからめとられてしまうのだ。

トゥルーサーとバーサー

ジェシー・ウォーカーは『パラノイア合衆国』で、現代の陰謀論を「フュージョン・パラノイア(融合パラノイア)」で「カフェテリア悪魔教」だとする。かつての陰謀論や終末論はそれぞれの文化に特有なものだったが、60年代の洗礼を受けた以降は、「東西の宗教、ニューエイジのアイデアや秘伝、急進的な政治要素をごた混ぜにし、得られた成果物に矛盾があっても気にしない」ようになった。これが「パラノイアの融合」で、その好例としてオウム真理教が挙げられている。

カフェテリアというのはビュッフェスタイルのことで、「自分に合わない教義は捨て去り、他の宗教的要素を取り入れ、自分自身の信仰をカスタマイズする傾向」だ。『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(山田美明、山田文 訳、東洋経済新報社)のカート・アンダーセンも、1980年代からアメリカ社会の「ファンタジー化」が進み、「真実は相対的なものになり、批判は不当なものになり、個人の自由が絶対視され、誰もが何を信じ、何を疑ってもよくなった。その結果、さまざまな分野で意見と事実の差がなくなった」と述べている。

現代アメリカの代表的な陰謀論がトゥルーサー(truther)とバーサー(birther)だ。

トゥルーサーは「9.11トゥルース運動」に参加するひとたちで、さまざまなヴァージョンがあるが、「アメリカ政府内の何者かが9.11を計画したか、それを防止する手立てをわざわざ取らなかった」とする。アル・カイダのテロリストに乗っ取られた航空機が世界貿易センタービルに激突する瞬間、UFOが現われた(あるいは悪魔の顔が写真に写った)との風説も広まっている。

バーサーは、「オバマはハワイではなくケニア生まれなので、アメリカ大統領になれない」と主張するひとたちだ。ウォーカーによれば、この陰謀論が白人のあいだに急速に広がったのは、それが「魔法のような解決法」だったからだ。

白人が「黒人」のオバマを批判すると、レイシスト(人種主義者)のレッテルを貼られてしまう。だがオバマに大統領の資格がないとするならば、「自分はオバマを支持しているが(オバマの政策に賛成だが)、残念なことに、合衆国の憲法の規定によって彼は大統領になることができない」と自分の偏見を正当化できる。

そもそもバーサー説は2008年の民主党予備選挙でヒラリー・クリントンの支持者がいいはじめたもので、それをドナルド・トランプが引きついでSNSでオバマの出生疑惑を追及し、熱狂的なフォロワーを獲得して16年の大統領選の地歩を築いた。――これが現在に至るトランプとオバマの遺恨につながっている。

Qアノンの陰謀論にUFOが登場するわけではないが、これがさらに複雑な事態を引き起こしている。UFO+新世界秩序の荒唐無稽な陰謀論があまりにも広がったため、「陰謀論者とはUFO信者のことだ」とされるようになった。そうなると、UFOを信じていないQアノンは「陰謀論者」でないことになる。連邦議会議事堂を占拠したトランプ支持者が、「陰謀論者はUFOがもうすぐ降りてくるとか、そういう類のものだ。立証されている事実は、陰謀論にはなり得ない」と力説するのは、こうした背景があるのだろう(2月7日朝日新聞「「トランプ寄り」報道が情報源」)。

「誰もが自分の信じたいものを信じる権利がある」のなら、この対立には解決はない。これからますます、現実と虚構が混沌とした世界が「加速」するのではないだろうか。

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