リスパ思考の成功法則(『人生は攻略できる』新書版まえがき)

2019年3月にポプラ社から刊行した『人生は攻略できる』が新書になりました。新書版まえがき「リスパ思考の成功法則」を、出版社の許可を得て掲載します。

本日(9月13日)発売で、もう書店に並んでいると思います(電子書籍も同日発売です)。見かけたら手に取ってみてください。

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本書の親本が出たのは2019年3月で、その後、未知のウイルスが世界中に蔓延するという予想もしていなかったことが起きた。それでも新書版にするにあたってあらためて読み返すと、直さなければならないところはほとんどなかった(データは最新のものに改めた)。パンデミック(疫病)は進歩を止めたのではなく、時代の針をさらに進めたからだ。

コロナ禍の前は毎朝定時に出社するのが当たり前で、リモートワークはお伽噺だと思われていた。取引先に「ZOOMで打ち合わせしましょう」というと、「バカにしてるのか!?」と怒られそうだった。でも目に見えないウイルスが、そうした古い常識をすべて書き換えてしまった。ひとびとは、リアルでなくてもできることがたくさんあることを知ったのだ。

でもこれで、現実の価値が下がったわけではない。これからは、ほんとうに大事なこと(恋人・家族・親友との時間など)をリアルに割り当て、そうでないことはヴァーチャルで済ませるようになるだろう。あるいは、リアルとヴァーチャルが融合して、このように区別すること自体、意味がなくなるかもしれない。

しかし、どのようなSF的な未来が訪れても、変わらないものがある。それが、「あるものを選んだら、別のものをあきらめなくてはならない」というトレードオフの法則だ。1日は24時間で、なにかに 10時間を費やせば残りは14時間だ。睡眠時間やそれ以外の雑用を加えれば、これで1日は終わってしまう。

この10時間をすべて仕事に使えば、収入は増えるかもしれないが、恋人と過ごす時間がなくなって愛想をつかされるにちがいない。ゲームにはまったり、パーティで踊ったりするのは楽しいだろうが、勉強の時間がなくなって落第してしまう。

どれほどの大富豪でも(イーロン・マスクでも)、この時間資源の制約からは逃れられない。トレードオフを気にせずになんでも好きなことができるのは、無限の時間を持っている神だけだ。将来は、タイムマシンで時間を操作したり、18歳の身体のまま何百歳まで生きられるようになるのかもしれないが、それまではリアルであれヴァーチャルであれ、限られた資源をなにに使うかが決定的に重要なのだ。

限られたお金を有効に使うのが「コスパ(コストパフォーマンス)」で、限られた時間を有効に使うのが「タイパ(タイムパフォーマンス)」だ。でも、もうひとつ大事な指標があって、それが「リスパ(リスクパフォーマンス)」だ。

「成功するためにはリスクを取らなくてはならない」といわれる。これはそのとおりで、みんなと同じことだけしていれば、みんなと同じものしか手に入らない。だがこの法則を逆にして、「リスクを取れば成功できる」というわけにはいかない。リスクとは(統計学的には)、成功する確率と失敗する確率を両方含んだものだからだ。

多くのひとが間違えるのは、「リスクなしで成功できる」と思っていることだ。これが不可能なのは、世の中には君より(もちろんぼくよりも)賢いひとがものすごくたくさんいるからだ。こんなウマい話があったとしたら、とっくのむかしにこの賢いひとが見つけているだろう。

強く願えば夢がかなって大儲けできると錯覚することを、「サバイバルバイアス」という。生き残った(サバイバルした)ひとだけに注目することで、ネットにあふれる「成功」物語が典型だ。それらがすべてウソということはないし、なかには素晴らしい成功を収めたひともいるだろう。でもだからといって、成功者の真似をすれば同じことができるとはいえない。リアリズムで考えれば、君が(あるいはぼくも)「選ばれし一人」である可能性はかぎりなく小さい。

リスクを取らなければ成功できないが、リスクを取れば失敗するかもしれない。だとすれば、このゲームを攻略する戦略は(たぶん)ひとつしかない。それが、「失敗してもいいリスクを取って、試行錯誤しながら経験値を上げていく」ことだ。

このときに重要なのがリスパで、「同じリスクならリターン(利益)の大きな方を選ぶ」あるいは「同じリターンならリスクの小さな方を選ぶ」ことをいう。金融市場では、リスクは値動きの大きさで測る。ビットコインのような仮想通貨(暗号資産)はしばしば暴落してきわめてリスクが高いから、相当に高い利益を期待できないとリスパが悪い。同様に、法律すれすれのところで荒稼ぎするような商売もリスパは悪いだろう。

大きなリスクを取って勝負することと、小さなリスクで堅実に前進していくことに優劣はない。これは、どのように人生というゲームを攻略するかの価値観のちがいだ。

でも覚えておいてほしいのは、つねに「再チャレンジ」できるようにリスパを管理することだ。なぜなら、やり直せるかぎり失敗は経験になるから。とりわけ若いうちは、無謀な挑戦をして大失敗しても、それが逆に高く評価されることもある(残念ながら年をとってから同じことをすると、誰からも相手にされなくなる)。

SNSの時代には、誰もが評判という資産を持てるようになった。でもSNSはしばしば炎上して、標的にされると社会的に葬り去られてしまう(実際に死んでしまうこともある)。

これほどリスクが高いのなら、SNSにはいっさい手を出さないというのもひとつの見識だろう。でもその一方で、「検索してヒットしないのは存在しないのと同じ」という現実がある。

芸能人の不倫や不適切動画が炎上するのは、「不道徳」と見なされたからだ。だとすれば、道徳的・倫理的になることで炎上のリスクをかなり下げられるはずだ。

これはなにも、「道徳の教科書に出てくるようなひとになりなさい」ということではない。ここで大事なのが「アカウンタビリティ」で、日本語で「説明責任」と訳される。

アカウンタブルであるとは、なぜそのようなことをしたのか説明できることをいう。回転寿司の仕組みがわからなくて他人の寿司を間違えて取ってしまったというのはアカウンタブルだが、他人の寿司にわざとわさびを載せるのはどう考えても説明のしようがない。「不道徳な行為」というのは、「説明できない(アカウンタブルでない)行為」のことだ。

このように考えれば、「なぜそんなことをするのか」「なぜこんな発言をしたのか」と訊かれたときに、つねに答えられるようにしておくことが大事だとわかるだろう。

よいことか悪いことかはわからないが、SNSの時代には誰もが倫理的に振る舞うことを要求されるようになる。これは「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス:政治的正しさ)」と呼ばれるが、これからの社会はますます「リベラル」になって(ポリコレの基準が高くなって)、たとえ悪意がなくても、誰かに危害を加えたり、差別したりすることはいっさい許されなくなるだろう(考えてみれば、これは当たり前のことでもある)。

2023年の4月末から5月半ばにかけて、コロナ後はじめての海外旅行で、香港・マカオと東南アジア(シンガポール、カンボジア、タイ)を回った。政治的な問題を抱える国や地域もあるものの、どこも思いのほか活気にあふれていた。

国ではなく国民のゆたかさを示す「一人あたり名目GDP」ランキング(2022年)では、日本は3万3800ドルで世界30位。それに対してシンガポール(6位)は8万 2800ドルと日本の2・4倍、香港(20位)は4万9200ドルで1・5倍だ。タイはまだ中進国だが、高層ビルが次々と建設されているバンコクの高級コンドミニアムの価格は1億~5億円と六本木などと変わらない。

戦争やテロ、地球温暖化など、世界は多くの難問を抱えているが、それでもひとびとはみな、すこしでもゆたかになりたい、幸福になりたいと思って精いっぱい努力している。明日は今日よりもよくなるはずだという”希望”によって、グローバル経済はこれからも成長していくだろう。

そんな未来には、多くのチャンスが君を待っているにちがいない。その機会を逃さず人生を攻略し、成功と幸福を実現してほしいと思うし、この本を手に取ってくれた君なら、きっとそれが可能だと信じている。

 

第111回 デジタル化阻むメディアの罪(橘玲の世界は損得勘定)

来年秋に紙の保険証を廃止してマイナ保険証に一本化するという方針をめぐって混乱が続いているが、これはメディアの偏向した報道にも原因がある。

たとえばある全国紙は、政府が「マイナの利点」としているものは紙の保険証でも対応可能だとして、「誤解を与えかねない」と批判した。

記事によると、マイナ保険証を使えば、高額療養費の限度額を超える支払いが確実に免除されるが、「オンライン資格確認システム」を導入済みの医療機関なら、患者が口頭で申し出れば同じことができるという。

紙の保険証では、転職直後に古い保険証を使い、診療報酬請求が差し戻される問題があった。マイナ保険証ではこうした事態を防ぐことができるが、これもオンライン資格確認システムを導入していれば、紙の保険証で対応できると厚労省は回答した。

ここから記事は、マイナ保険証と紙の保険証が同じであるかのように書くが、これはとんでもなく馬鹿げている。厚労省の担当者は、アナログであれデジタルであれ、データベースにアクセスできれば同じ行政サービスが提供できると述べただけだ。

このことは、通帳とキャッシュカードで考えるとわかりやすい。通帳を窓口にもっていっても、ATMマシンを利用しても、銀行のデータベースにアクセスして口座からお金を引き出すことができる。だがこれによって、「紙の通帳はキャッシュカードと同じだ」とか、「通帳の方が安心だからAMTを廃止しろ」などと主張する者はいないだろう。

アナログな通帳や保険証をデジタルのデータベースにつなぐためには、必ず手作業が必要になり、そこでコストが発生する。逆にいえば、コストを度外視すれば、デジタルと同じことをアナログで実現することは理屈の上では可能だ。

ATMを廃止しても、全国のコンビニに銀行窓口を設置すれば、いまと同じ利便性を維持することはできるだろう。だがそのためには、天文学的なコストが必要になる。「マイナ保険証と紙の保険証は同じ」という主張は、デジタル化が遅れることで生じるコストを誰が負担するのかの視点が完全に抜けている。

とはいえ、ICチップとパスワードで本人認証するマイナカードの方式は、現在では一時代前のものになってきている。原理的に考えるなら、これは「アナログな身体とデジタルのデータベースをどう紐づけるか」の問題だから、もっとも確実なのは生体認証だ。

生成型AI「ChatGPT」を開発したオープンAIのサム・アルトマンが、ボット対策としてユーザーの虹彩をスキャンするプロジェクトを始めたように、将来は生体情報で本人認証するのが当たり前になるだろう。だとしたら、デジタル保険証にも虹彩認証を導入すればいい。これなら、高齢者施設が保険証を管理する問題もなくなる。

それにもかかわらず、「進歩派」を自認するメディアは「紙とFAXの時代に戻せ」と率先してラッダイト運動をしている。この国のデジタル化の未来には絶望しかない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.111『日経ヴェリタス』2023年9月2日号掲載
禁・無断転載

ライドシェア導入を目指すのは保守政党という日本の絶望 週刊プレイボーイ連載(575)

今年5月にシンガポール、カンボジア、タイ、8月にフィリピンとインドネシアを訪れました。これらの国に共通するのは、どこもライドシェア・サービスが利用できることです。(シンガポールに本社を置くGrabが普及していますが、インドネシアではGojekと市場を二分しています)。海外SIMを入れたスマホに配車アプリをインストールするだけで、いつでも車を呼ぶことができ、ものすごく便利です。

観光客がライドシェアを好むのは、これまでぼったくりタクシーで何度も嫌な思いをしてきたからです。配車アプリなら目的地までの金額が最初に提示され、到着時にドライバーにその金額を支払えばいいだけの明朗会計です。ドライバーは顧客から低い評価をされると次からマッチングできなくなるので、きれいな車で快適なサービスを提供しようと努力しています(新興国では廃車寸前のタクシーが走っていますが、ライドシェアに登録する車にはきびしい条件があります)。

それに対して日本のタクシーはメーター制で、海外のようなトラブルは起きないとして、業界はライドシェアの導入に頑強に反対してきました。その結果、UberもGrabも日本ではタクシーを呼ぶためのツールでしかありません。

観光振興に「配車実験」を試みた自治体はありましたが、国が中止を指導したり、業界が議員に働きかけて撤回させるなど、どこも本格導入できていません。自家用車を利用して有償の運送業務を行なうことは、「白タク」として違法とされているからです。

ライドシェア不要論の背景には、駅前のタクシー乗り場に客待ちの車の長い列ができていたように、タクシーの供給過剰がありました。ところが運転手の高齢化とコロナ禍で廃業が相次いだ結果、状況は劇的に変わり、いまや地方の空港や大都市の主要駅では、タクシーを待つ客の長い行列ができています。

マイナ保険証への強い反発に見られるように、高齢化した日本では、新しいことへのチャレンジが徹底して嫌われるようになりました。“進歩派(リベラル)”を自認する政党やメディアが、「使い慣れた紙の保険証のほうが安心」と高齢者の不安を煽り、現代のラッダイト運動を主導しているのはその典型です。

しかし現実には、訪日観光客が大きなスーツケースを引きずって右往左往するだけでなく、地方ではタクシーがほとんどなくなり、高齢者が自分で車を運転しなければ買い物にも行けなくなりました。こういう地域でこそ、ライドシェアは必要とされるでしょう。

本来のリベラルは、「よりよい社会」を目指すために、テクノロジーを積極的に活用しようとするはずです。ところが日本では、ライドシェアの導入に意欲を見せているのは菅義偉前首相で、「自分の言ったことなので、(ライドシェアを)必ず実現させる」と語る一方、野党はこの問題にはまったく無関心です。

マイナ問題にしても、ライドシェアにしても、保守派がデジタル化やイノベーションを推進し、(自称)リベラルが「弱者」を盾にそれを阻もうとする奇妙な構図に、現在の日本社会の閉塞感が象徴されているのでしょう。

「「ライドシェア」菅氏が導入に意欲」朝日新聞8月24日

『週刊プレイボーイ』2023年9月4日発売号 禁・無断転載