ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2016年1月29日公開の「極右もみんなリベラルになった社会で「保守派」の役割を考える」です(一部改変)。
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前回、「世界でいちばん幸福な国」デンマークの“右傾化”について書いた。デンマーク国会で、難民申請者の所持金や財産のうち1万クローネ(約17万円)相当を超える分を政府が押収し、難民保護費に充当するという法案が審議されていて、EUや国連から批判を浴びているという話だが、先日(1月26日)、この法案は出席した議員109人のうち81人が賛成票を投じて可決された。
さらにノルウェーでも、同様の法案が検討されている。こちらは難民申請者が5000ノルウェークローネ(約6万7千円)相当以上の物品(車など)を所持していた場合、没収はしないが、食費などにあてられる補助手当から一部減額する制度だという。
こうした各国政府の“反乱”を受けてEU政府も、旅券なしでの自由な往来を認めるシェンゲン協定の一時停止を検討しはじめた。難民流入を「例外的な状況」として、最長2年間を限度として国境での入国審査の再導入を認めるものだ。
難民問題によって加速されたヨーロッパの「反移民」の潮流は、人種差別や排外主義を容認する危険な時代の到来と一般には受け止められている。だが北欧など「北のヨーロッパ」は、世界でもっともリベラルな福祉社会だ。だとしたら、「リベラル」と「排外主義」という水と油のような関係はどのように両立するのだろうか。
これについて、「ヨーロッパはリベラルなまま“右傾化”している」というのが前回の記事の趣旨だが、このことはマリーヌ・ルペン率いる国民戦線を見るとよくわかる。父ジャン=マリー・ルペンを継いだマリーヌは、妊娠中絶や同性愛を容認し、反ユダヤ主義的発言を理由に父親を除名するなど、大きくリベラルに舵を切った。国民戦線の高い支持率が示すのは、反イスラームとリベラルが両立可能なばかりか、それがヨーロッパ社会で多数派になりつつある現実だ。
だとしたら問うべきは社会の“右傾化”ではなく、「なぜ極右までがリベラルになるのか?」だろう。そのこたえは、「私たちがみんなリベラルになった」からだ。
第二次世界大戦後、とりわけこの20年のあいだに、「あらゆる暴力を忌避する」という巨大な潮流がヨーロッパを席巻し、それが世界へと広がっていった。進化心理学者のスティーブン・ピンカーは『暴力の人類史』( 幾島幸子、 塩原通緒訳、青土社)で、この世界史的な変化を「権利革命」と名づけた。
これはとても興味深い視点なので、今回はすこし詳しく紹介してみたい。
人種差別もヘイトクライムも減少している
ピンカーは、アメリカにおける権利革命が1960年代の公民権運動に端を発し、それが女性の権利、子どもの権利、同性愛者の権利、動物の権利へと拡大していったと述べる。
歴史をひもとけば、ジェノサイドやテロリズムと並ぶヘイトクライム(憎悪犯罪)は民族暴動のことで、憎悪にとりつかれた暴徒が「敵」の構成員を手当たり次第に殺し、レイプし、拷問し、手足をもぎとる惨劇が世界各地で起こった。ヘイトクライムの特徴は、加害者(若い男たち)が異様な高揚を感じながら残虐行為を行ない、事件のあとでも良心の呵責を覚えないことだ。――それがどんなものか知りたいなら、1965年にインドネシアで起きた「共産党員」に対する大規模な虐殺(100万人以上が殺害されたとされる)の加害者をインタビューした映画『アクト・オブ・キリング』を観てほしい。
もちろんアメリカも例外ではない。17世紀から19世紀にかけて、ピルグリムファーザーズ、ピューリタン、クエーカー教徒、カトリック、モルモン教徒、ユダヤ人など、ほぼすべての宗教グループが殺人的暴動の標的になり、ネイティブアメリカン(インディアン)への暴力はジェノサイドと呼んでいいほど凄惨をきわめた。そのなかでも長期にわたって苦しめられてきたのが黒人(アフリカ系アメリカ人)で、南部では南北戦争後の数年間で何千人もの黒人が殺されている。
だがこうした殺人を含むヘイトクライムは、19世紀なかばのヨーロッパで減少しはじめた。アメリカでも19世紀末に殺人的な暴動が減りはじめ、1920年代には末期的な衰退に入ったと、ピンカーは詳細なデータを示しながら指摘する。ビリー・ホリデイは1940年代の代表曲「奇妙な果実」で、木に吊るされた黒人男性を「南部の木には奇妙な実がなる」と歌ったが、犯罪記録によればその頃には黒人へのリンチはほとんど行なわれなくなっていた。――最後の有名なリンチは1955年に、14歳の黒人少年が白人女性に口笛を吹いたことを理由に拉致され、片目をえぐり出されて殺された事件だ。
「奇妙な果実」がひとびとのこころに響いたのは、リンチが日常的に行なわれていたからではなく、(白人を含む)多くのアメリカ人が黒人へのリンチをおぞましい犯罪だと考えるようになったからだ。この名曲は、アメリカ社会の人種問題に対する価値観の変化を象徴している。
現在では、白人集団が祝祭的な気分のなかで黒人を処刑するKKK(クー・クラックス・クラン)のようなヘイトクライムは考えられないが、それでも黒人などマイノリティに対する迫害はつづいている。たしかに人種差別は深刻な問題だが、その一方で下記のようなデータもある。
FBIの統計によれば、人種を理由に殺害された黒人は1996年に(全米で)5人で、それが2004年には1人になった。年間1万7000件の殺人が起きる国で、憎悪殺人は統計ノイズにまで減少しているのだ。
黒人に対する加重暴行(武器を用いた暴行)、単純暴行、脅迫などは年間数百件(暴行)から1000件(脅迫)程度起きている。けっして少ない数とはいえないが、アメリカでは年間100万件の加重暴行が起きているからその比率は0.5%ほどで、ほとんどの犯罪に人種は関係していない。
こうした傾向は他の民族グループについても同じだ。
9.11同時多発テロでブッシュ政権は“報復”のためにアフガニスタンとイラクに侵攻したが、その一方で、米国内でムスリムに対する暴動が1件も起きていないことにも注目すべきだとピンカーはいう。これはロンドンやマドリードでの爆破事件や、昨年のパリの同時多発テロでも同じで、ムスリムに対する嫌がらせはあっても、憎悪によって生じた殺人は西洋全体で1件も起きていない。テロに対して個人的な暴力で報復することは、先進国ではほぼ放棄されたのだ。
ヘイトクライムの減少と同時に、人種差別的な発言に対する批判もきわめてきびしくなっている。アメリカでは、「レイシスト」のレッテルを貼られた政治家や芸能人、企業経営者などは社会的な地位を失うし、企業はマイノリティを平等に扱っていることをアピールしようと必死になる。ドナルド・トランプですら、移民(非アメリカ人)は「差別」しても、黒人やヒスパニック、ムスリムなどアメリカ人のマイノリティ(有権者)への批判は慎重に避けている。白人の優越が当然のこととされた100年前と比べれば、これはとてつもなく大きな変化だ。
コンピュータゲームではジェノサイドは許されてもレイプはタブー
権利革命の次の舞台は女性に対する暴力、とりわけレイプだ。
モーセの十戒は「汝、姦淫するなかれ」とはいうものの、「汝、強姦するなかれ」とは命じない。ユダヤ古代社会では、女性は夫の所有する財産目録のなかで、家屋の後ろ、奴隷と家畜の前に置かれていた。レイプは女性に対する犯罪ではなく、その女性の父親や夫の財産を奪ったことが罪とされたのだ(娘の処女性を父親から盗んだレイプ犯は、被害女性を自分の妻として買い取ることで罪をあがなうことができた)。こうした女性の扱いはユダヤ社会だけでなく、キリスト教社会やイスラーム、アジアやアフリカなど古今東西どこの文化でもほぼ同じだ。
差別的な女性観は現代までつづいており、女性は「もらわれた」ことを婚約指輪で周囲に知らせ、結婚式では父親から夫に引き渡される。1970年代までは夫婦間のレイプはどの国でも犯罪とはみなされなかったが、これは自分の持ち物をどうしようと本人の自由だからだ。
だが数千年つづいたこの理不尽な文化も、1970年代のフェミニズム第二波によって変わりはじめる。
1971年のスタンリー・キューブリックの映画『時計仕掛けのオレンジ』では、主人公は女性をその夫の前でレイプすることに快感を覚える。この作品について『ニューズウィーク』は、「人間の性格を最も深いレベルで限りなく探求したものであり、真に人間らしいとはどういうことかを表明したものだ」と称賛したが、これは当時としては一般的な映画評だった。だがフェミニストのスーザン・ブラウンミラーは、映画もその映画評も男性の一方的な視点によるもので、「(主人公が自分のこころのなかにある)願望をあらわしてくれているなどと思う女性は一人だっていない」と批判した。
それから40年経って、いまでは大衆文化でレイプが肯定的に描かれることは皆無になった。この変化をもっとも象徴的に表わしているのが、大量殺人からロリコンまで若い男性のありとあらゆる妄想を集めたコンピュータゲームだとピンカーはいう。1980年代以降のゲームの内容を分析すると、そこではひとつの都市をまるごと破壊する“ジェノサイド”は許されても、キャラクターに別のキャラクターをレイプさせるものはひとつもなかったのだ。
アメリカでは1970年代から犯罪全般が減少しているが、そのなかでも過去35年間でレイプ率は80%も減っている。かつてはレイプが真剣に取り扱われなかったり、女性がレイプを訴えるのをためらったことを考えれば、実際の減少率はこれよりさらに大きいだろう。
なぜレイプは急速に減ったのか。これはもちろん、女性に対する暴行を根絶しようとするフェミニスト運動が警察や司法を動かしたからだが、それと同時に、女性の社会進出によって西洋文化がどんどんユニセックス化していることも大きい。1970年から1995年までのアメリカの大学生男女の意識について調べると、「女性は自分の権利を心配するよりも良妻賢母になることを考えるべきだ」などの質問項目に対し、1990年代前半の男性は、1970年代の女性よりも高いフェミニスト意識を持っている。先進国では、いまや誰もがフェミニストなのだ。
この歴史的変化にともなって、妻に対する暴力(ドメスティック・バイオレンス)も急速に減っている。
アメリカでも日本でも、つい最近まで夫が妻を殴ることは犯罪とは見なされなかったし、不倫をした妻を殺すことには情状酌量の余地があると考えられてきた。実際、1987年には「夫が妻をベルトやステッキで殴るのは悪いことだ」と考えているアメリカ人は全体の半分しかいなかったが、それが10年後の97年には86%まで大きく増えた。同様に、いまでは80%以上のアメリカ人がDVを「社会的にも法的にも非常に重要な問題」と考え、99%が「夫が妻を負傷させた場合は法的介入が必要」と回答している。レイプと同様にこの20年間で、女性への暴力に対する社会の価値観は大きく変わったのだ。
女性の権利拡大は、じつは男性にも大きな恩恵を及ぼしている。1976年から2005年までの約30年間で、男性が妻や元妻、ガールフレンドに殺される割合が6分の1に減ったのだ。
なぜフェミニズムが夫殺しを減らすのか。その理由は、DVシェルターなどの法的・行政的保護によって、夫(パートナー)からの暴力や脅迫に耐えかねた女性が殺人以外の逃げ道を見つけることができるようになったからなのだ。
子どもの人権は大きく向上した
人種や性別を理由にした暴力の減少と並んで大きな変化が起きたのは、子どもの権利の拡大だ。
伝統的な狩猟採集社会はもちろん文明社会でも、出産直後の子殺しは当たり前のように行なわれていた。新生児殺しの理由の多くは経済的なもので、避妊や中絶のなかった時代には、家族全員を食べさせていくことができなければ赤ん坊を間引くほかなかった。
ユダヤ教やキリスト教では、生命は神の所有物で、子どもの命は親のものではないという理由から子殺しが禁じられていたが、このタブーは実際に行なわれる大量の子殺しと共存していた。中世史家によれば、裕福な家庭に生まれる子ども数は平均5.1人、中流家庭で2.9人、貧しい家庭で1.8人だったが、これは妊娠数とは関係なかった。1527年にフランスの僧侶は、「便所ではそこに投げ込まれた子どもたちの泣き声が響き渡っていた」と記している。
中世後期から近代前期にかけてようやく子殺しが社会問題になったが、その改善策は未婚の女中の胸を調べて、乳汁が分泌している徴候が見つかれば子殺しの罪を犯したとして死刑にしたり(ほとんどが仕えている家の主人によって妊娠させられていた)、幼少期を生き延びた子どもを救貧院に送ることだった。その救貧院はディケンズが『オリヴァー・ツイスト』で描いたような劣悪な環境で、「哀れな幼児はたいていあの世に召されて、この世で知りもしなかった父祖の墓に葬られる」ことになった。1862年のあるイギリスの検視官は、「警察は死んだ犬や死んだ猫を発見するのとまったく同じような感覚で、死んだ子どもを発見しているように見えた」と書いている。
ところが現在(2007年のアメリカ)、430万の出生数に対して殺された赤ん坊の数は221人で、新生児殺しは過去全体の平均値の2000分の1から3000分の1にまで減少している。これは避妊や中絶という「テクノロジー」が進歩したからであり、子どもに対する価値観が変わったからでもある。
子ども観の変化を象徴するのが、子育てにともなう体罰が「虐待」と見なされるようになったことだ。
中世においては子どもは「小さな悪魔」で、体罰によって「悪魔をそいつから叩き出す」のが当然と考えられていた。この子ども観にパラダイムシフトを起こしたのが啓蒙主義の時代のジョン・ロックの『教育論』(1693年)とルソーの『エミール、または教育について』(1762年)で、子どもは「白い紙(タブラ・ラサ)」のように教育によってどのようにでも成型できるものであり(ロック)、大人は善悪のルールで子どもをしつけるのではなく、自然と交わったり経験から学んだりすることを許すべきだとされた(ルソー)。
だが実際には、イギリスでは1908年まで10代の多くの子どもが放火や押し込みなどの微罪で吊るされつづけ、ドイツの子どもたちは「素直でないと、定期的に、猛烈に熱い鉄のストーブの前に座らされたり、寝台の支柱に何日も縛りつづけられたり、冷たい水や雪のなかに投げ入れられたりして『強化』され」ていた。
だが1946年にベンジャミン・スポックの不朽のベストセラー『スポック博士の育児書』が出たことで、「鞭を惜しめば子どもをだめにする」という考え方は劇的に変わった。変化はまずヨーロッパから始まった。
1950年代のスウェーデンでは親の94%が尻叩きをしていたが、1995年には33%まで3分の1に減っている(毎日尻叩きをする親は33%から4%にさらに大きく減少した)。ドイツでは1992年の時点で81%が子どもを平手打ちし、41%が子どもの尻を棒で叩き、31%が子どもの体にあざができるまで殴っていたが、2002年にはそれぞれ14%、5%、3%まで減少している。アメリカにおいても、2005年時点で(共和党支持の)南部では85%が尻叩きを容認するものの、(民主党支持の)北部では50%ちかくまで減っている。
こうした流れを受けて、1979年にスウェーデンは尻叩きを違法とし、他の北欧諸国もそれに追随し、国連とEUは加盟国すべてに尻叩きを廃絶するよう要請した。
アメリカ人の大多数は現在でも子どもへの体罰を容認しているとしても、殴ったり蹴ったりするような「虐待」とは明確な一線を引いている。1976年に児童虐待を「この国の深刻な問題」と考える者は10%だったが、10年後の1985年には90%にまで上昇した。これが口先だけでないことは、1990年から2007年までのあいだに身体的な児童虐待の割合が半減し、暴行、強盗、レイプなど子どもに対する暴力犯罪の発生率も3分の1から3分の2ほど減っていることで確認できる(家出や妊娠、警察沙汰、自殺の割合も減少した)。
子どもが家庭での暴力から守られるようになったのと並んで、学校でのいじめも根絶の対象とされるようになった。現在では44の州で学校でのいじめを禁じる法律が制定されており、その成果かどうかは別にして、ケンカや校内での恐怖、窃盗や性的暴行といった犯罪の発生率もすべて下降している。「子どもはもう安全だというのは早計だが、かつてよりはるかに生きやすくなっているのは確実」なのだ。
テクノロジーがもたらした「権利革命」
ここでは詳述しないが、西欧社会では人種差別や女性差別、子どもへの虐待と同様に、同性愛者への暴力犯罪や動物の虐待も強く嫌悪されるようになった。
同性愛の道徳性についてはげしい議論が交わされるアメリカですら、国民の大半が「同性愛者にも均等な就職機会をもたせるべき」と考えている。こうした寛容さは若い世代ほど顕著で、10代や20代の若者は相手が同性愛か異性愛かをほとんど気にしなくなっている。
また科学の領域でも、「ヒト以外の動物にはどんな実験をしてもかまわない」という常識が崩れ、ほとんどの科学者が実験動物も痛みを感じると考えるようになった。1970年代から始まった「動物の権利」運動は、狩猟(ハンティング)や捕鯨を文化として容認せず、肉食を忌避するベジタリアンを流行の最先端に押し上げた(ただし肉の誘惑を絶つのは難しく、本物のベジタリアンはアメリカの人口の3%程度しかいない)。
こうした「権利革命」の潮流は、近代の啓蒙主義と、そこから発展した人道主義、自由主義(リベラリズム)を源流とする。とりわけヨーロッパでは、第二次世界大戦のホロコーストの衝撃と、冷戦期に核の恐怖にさらされたことが「人権」を強く意識させ、凄惨なユーゴスラヴィア内戦を目の当たりにしたことで「人権が国家主権を超える」という新しい国際常識が生まれた。
この「拡張された人権概念」は西欧からアメリカのブルーステート(北部)、レッドステート(南部)、カナダやオーストラリアなど英語圏の移民国家(アングロスフィア)を経由して、ラテンアメリカやアジアの民主国家、さらには中国のような権威主義的国家にまで広まり、いまではアフリカやイスラームの大部分へと波及している、というのがピンカーの“歴史観”だ。
専門家を含むほとんどのひとが、ニクソン、レーガン以降の40年間、アメリカはどんどん“右傾化”していると考えているが、人種間結婚や女性の権利獲得、同性愛の許容、子どもへの処罰、動物の扱いなど、権利革命のさまざまな成果を見るかぎり、「今日の保守層はかつてのリベラル層よりずっとリベラルになっている」ことは間違いない。先進国では、いまや誰もがリベラルなのだ。
こうした大変化の原因はさまざま考えられるが、そのなかからもっとも重要なものを挙げろといわれたら、それはテクノロジーだとピンカーはいう。ラジオ、テレビ、映画、電話、インターネット、スマートフォンといった「電子革命」が知識を拡散し、「新しい平和」と「長い平和」をもたらした。情報ネットワークが世界大に張り巡らされた国際社会(コスモポリタン)では、ひとびとは肌の色や国籍、民族、宗教が異なるだけでは、相手を「絶滅すべき敵」と感じることができなくなったのだ。
それでは、この「リベラルな社会」のなかで保守派の役割とはどういうものだろうか。
「あらゆる暴力を根絶する」という世界史的変化=リベラルの大潮流はあちこちで行き過ぎや混乱を引き起こしている。ピンカーはその典型として、「子どもの安全」を挙げている。
40年前、アメリカの子どもの3分の2は徒歩か自転車で通学していたが、いまではそれが10%に減り、子どもは車で送り迎えされ、携帯電話で常に居所を把握され、自由に外遊びすることも許されず、母親の決めた遊びの約束(Play Date)にしたがって友だちに会うようになった。2008年には、9歳の息子に一人でニューヨークの地下鉄に乗って帰宅することを許した女性ジャーナリストが、その体験を新聞コラムに書いたことで「アメリカ最悪の母親」とバッシングされる騒ぎまで起きた。
子どもの安全の絶対化は、どのような事態を招いたのか。ピンカーは次のように書く。
「子どもを学校に送っていく途中の親の車にひかれる子どもの数は、それ以外の交通事故にあう子どもの二倍以上にのぼっている。したがって、子どもを誘拐犯に殺されないようにするために車で学校に送っていく親が多ければ多いほど、多くの子どもが死ぬのである」
ちなみに、子どもが行方不明になった事件のほとんどは家出したティーンエイジャーや、親権の裁定に納得していない離婚した親に連れ去られたケースで、他人による誘拐の年間件数は1990年代の200~300件から今日では100件前後まで減っている。アメリカの児童を5000万人とすると年間殺人率は100万分の1で、そのリスクは溺死の約20分の1、交通事故死の約40分の1だ。
過去2世紀にわたる「権利革命」は、歴史的にみて非常に大きな道徳性の向上を達成した。だがその価値を無限に高めようとする直近20年の運動は、いずれ馬鹿らしさに行き着くしかないようなものだとピンカーはいう。
このことは、EU(ヨーロッパ)の「拡張された人権」にも当てはまる。「(リベラル化した)保守」の役割が、権利革命の暴走を矯正し、正しい道に戻すことにあるのだとすれば、現在、ヨーロッパで起きていることを別の視点で眺めることができるだろう。
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