”超富裕税”は格差社会を終わらせるか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年11月19日公開の「アメリカの極端な経済格差は持続不可能だが 超富裕層の資産に高率の課税をすれば、多くの社会問題が解決する」です(一部改変)。

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雑誌『フォーブス』によると、資産10億ドル(約1000億円)以上のビリオネアがアメリカには705人もいる(2019年)。その一方で、国民の半分ちかくがその日暮らしの生活をしている。この極端な経済格差は新型コロナでさらに広がっているとされるが、こんな異常な状況が長く維持できるとは思えない(持続可能性がない)。

だったらどうすれいいのだろうか。今回はエマニュエル・サエズ、ガブリエル・ズックマンの『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』(山田美明訳、光文社)から「富裕税」という興味深い提案を見てみたい。原題は“The Triumph of Injustice: How the Rich Doge Taxes and How to Make Them Pay(不公平の勝利 富裕層はどのように税を逃れ、どのように彼らに支払わせるのか)”。

共著者の1人サエズはスペイン生まれのカリフォルニア大学バークレー校教授。不平等と税政策を研究し、「80年代以降、米国の上位1%の所得が国民総所得に占める比率が拡大しつづけていることを明らかにしたトマ・ピケティとの共同研究は「ウォール街を占拠せよ」の運動に影響を与えた」とされる。

ズックマンはフランス生まれで、同じくカリフォルニア大学バークレー校で経済学と公共政策を教えている。富と蓄積の分布を世界的・歴史的な視点から分析した著書『失われた国家の富 タックス・ヘイブンの経済学』( 渡辺智之、林 昌宏訳、NTT出版)が翻訳されている。

1億人超のアメリカ成人が年収200万円

サエズとズックマンは冒頭で、2016年9月26日に行なわれたヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの大統領候補テレビ討論会を取り上げる。トランプが納税申告書の公開を拒否していることについて、「カジノのライセンスを申請したときに提出した納税申告書しか公開されていませんが、それを見るかぎり、彼は連邦所得税を1銭も払っていません」とクリントンが批判した。するとトランプはほこらしげにそれを認め、「それは私が賢いからだ」と返したという。

著者たちは、これが「不公平税制の勝利の瞬間」だという。もはやアメリカでは、税金を払わないことが誇るべきアピールになったのだ。

その結果、いったいなにが起きたのか。アメリカの経済格差についてはすでの多くの報告があるが、その驚くべき実態をかんたんにまとめておこう。

まず、アメリカ社会を「労働者階級(所得階層の下位50%)」「中流階級(その上の40%)」「上位中流階級(その上の9%)」「富豪(上位1%)」に分ける。そのうえで2019年の課税・所得前平均所得を算出すると……。*以下、原稿執筆時の1ドル≒100円で計算している。

1) 労働者階級(成人の1億2000万人)の平均所得は1万8500ドル(約190万円)。著者たちが強調するようにこれは計算間違いではなく、1億人を超えるアメリカの成人が年収200万円程度の生活をしている。

2) 中流階級(9600万人)の平均所得は7万5000ドル(約750万円)。これは日本のサラリーマンの平均収入(平均441万円/2018年)より7割も多く、アメリカの中間層は「世界的に見ればいまだ裕福なひとびと」だ。この層の収入は1980年以来、年1.1%の割合で増加している。微々たるものに思えるが、これでも70年ごとに所得は倍増し、孫世代が祖父母世代の2倍稼ぐことになる。アメリカの中流階級の子どもたちは親のゆたかさを超えられないかもしれないが、祖父母は超えられるのだ。

3) 上位中流階級(2200万人)の平均所得は22万ドル(約2200万円)。アメリカの典型的な富裕層で、郊外に広々として家を所有し、子どもたちを学費のかかる私立学校に通わせ、十分な年金を積み立て、保証が手厚い医療保険に入っている。

4) 上位1%(240万人の富豪たち)の年間平均所得は150万ドル(約1億5000万円)。その頂点にいるのがジェフ・ベゾス(資産13兆円)、ビル・ゲイツ(10兆円)、ウォーレン・バフェット(8兆円)などの超富裕層だ(資産額は2020年当時。以下同)。

この所得分布からわかるのは、「現在のアメリカ経済において憂慮すべき問題は、中流階級が消失しつつある点にあるのではなく、労働者階級が驚くほど少ない所得しか受け取っていない点にある」ことだ。

著者たちは、こうした極端な経済格差はアメリカに特有な現象だという。1980年当時、上位1%の所得が国民所得に占める割合は、アメリカでも西欧諸国でも10%程度だった。現在、西欧諸国では上位1%の所得の割合は12%に増加したにすぎないが、アメリカは20%にもなった。同時に、下位50%の所得の割合はアメリカが12%に減ったのに対し、西欧諸国では24%から22%になったにすぎない。「高所得民主主義国のなかで、アメリカほど格差が拡大している国はない」のだ。

なぜこんなことになるのか。ひとつは、給与税(社会保険料)や消費税(売上税)など逆進的な税制によって所得の少ないアメリカ人に過酷な税負担が課されていること。もうひとつは、アメリカの富裕層が税金を払っていないことだ。アメリカのほとんどの社会階層が、給与税や消費税を含め所得の25~30%を税金として国庫に納めているが、超富裕層だけは例外的に20%ほどしか払っていない。―─これは日本も同じで、合計所得金額1億円までは累進的に所得税の負担率が上がり30%程度になるが、それ以降は下がりはじめ50億円を超えるあたりから20%以下になる(関口智立教大教授「資産課税の累進性高めよ」日本経済新聞2019年11月17日)。

フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグの資産の大半は配当しないフェイスブック株で、含み益には課税されない。その結果、税を徴収できるのはフェイスブックの法人税だけになるが、それもタックスヘイヴンを使った租税回避で消えてしまう。

「バミュランド」はバミューダを使った租税回避を表わす著者たちの造語で、「合法的税圧縮」の手法を税の専門家たちがグローバル企業や富裕層に広めたことで、アメリカは法人税や資本課税の大幅な引き下げを余儀なくされた。高い税率のままだと、ますます租税回避が進むだけだからだ。タックスヘイヴンの存在によって世界各国は税率の引き下げ競争に巻き込まれ、「資本への課税はますます減り、労働への課税はますます増える」悪循環に陥ってしまったのだ。

ウォーレン・バフェットの実効税率は0.055%

2016年のヒラリー・クリントンとの2回目のテレビ討論会で、トランプは「彼女(ヒラリー)の友人たちも多くは多額の控除を受けている。ウォーレン・バフェットが受けている控除はかなりのものだ」と反撃した。これに対して「オマハの賢人(バフェット)」は、「私の2015年の財務報告書によれば、調整後総所得は1156万3931ドル(約12億円)である。私のその年の連邦所得税は、184万5557ドル(約2億円)だった。前年の財務報告書も同じようなものだ。13歳になった1944年以来、連邦所得税は毎年支払っている」として、多額の控除はなく、市民としての責任を果たしていると主張した。

だが著者たちは、「実際には、この声明はまったく逆のことを証明している」という。『フォーブス』誌によれば2015年のバフェットの保有資産は653億ドル(約6兆6000億円)。控えめに見積もって利益率5%としても、税引き前所得は32億ドル(約3200億円)になる。本来の所得(32億ドル)に対する180万ドルの連邦所得税の実効税率は0.055%で、「トランプとさして変わらない」のだ。

バフェットが税金を納めていない理由もザッカーバーグと同じで、資産運用会社のバークシャー・ハサウェイは配当を支払っておらず、ほかの会社に投資する際には、その会社にも配当の支払いをやめさせている。バフェットの財産は数十年にわたり、個人所得税の課税対象にならないまま法人内に蓄積され、その利益が再投資されることで、バークシャー・ハサウェイの株価は1株およそ30万ドルと、1992年時の株価の30倍になった。「何らかの理由で現金が必要なときにはこの会社の株式をいくつか売り、わずかばかりのキャピタルゲインにわずかばかりの税金を支払うだけ」なのだ。

もちろんバフェットは、こうした状況をよしとしているわけではない。自分が支払う税率が秘書より低いことは正当化できないとして提唱したのがバフェットルールで、「年間所得が100万ドルを超える個人には30%の最低税率を適用する」ことを求めた。現在のキャピタルゲインの最高税率(20%)が賃金所得の最高税率(37%)よりも低いので、この不均衡を正すのだという。

だが著者たちは、「これではまったく解決にならない」という。課税されるのは株式を売却したときのキャピタルゲインだけで、「バフェットの本当の所得のなかのごくわずかな部分」にすぎない。そこで提案されるのが「富裕層への課税強化」だ。

とはいえこれは、「金持ちは不道徳だから罰するべきだ」ということではない。著者たちの論理は、哲学者ジョン・ロールズの『正義論』に依拠した以下のようなものだ。

道徳的な議論を脇に置いて、この問題を徹頭徹尾、功利主義的に考えるならば、税制の目的は社会全体の厚生を上げることだ。ロールズは、最大限の平等な自由を前提として、公正な社会を実現するためには「もっとも不遇な立場にある者の利益を最大にするべきだ」と説いた。

それがなぜ富裕層への課税を正当化するのか。これは(著者たちが述べているわけではないが)「お金の限界効用は逓減する」ことから説明できそうだ。最貧困層にとって100万円は大金だが、ベゾスやゲイツ、バフェットにとっては増えようが減ろうが気づきもしないだろう。だとしたら、国家が権力(暴力)を行使して超富裕層から最貧困層に所得を移転することで社会全体の厚生は拡大するはずだし、こうした政策を功利主義者は支持するだろう。

もちろん、累進税率は高ければ高いほどいいわけではない。100%の税金を課せば、ほとんどのひとは働くのをやめて、国家のお金で遊んで暮らすことを選ぶだろう。したがって「最適課税」の第一のルールは、「最高税率の引き上げにより税収が減るのであれば、税率は引き下げた方がいい」になる。

しかしこれは、逆にいえば「税率の引き上げにより税収が増えるのであれば、税収が増えるかぎりいくらでも税率を引き上げた方がいい」ということだ。これが第二のルールで、「富裕層に最適な税率とは、できるだけ多くの税収を生み出せる税率」なのだ。

重要なのは富裕層への最高限界税率

1920年代、数学者・経済学者のフランク・ラムゼイは「あらゆる納税者が同じ税率を課される場合、税収を最大にする税率は、課税対象所得の弾力性に反比例する」ことを証明した。

従来の経済学では、資本は弾力性(税率の増減に対する敏感性)が高いとされてきた。法人税を引き上げると工場を外国に移転したり、資本資産の購入を控えたりして資本ストックが減り、それによって賃金が下がり労働者が損失を被る。資本(企業)に課税したつもりでも、実際はそのコストは労働者が支払うことになる(「法人税は労働者に帰着する」)。

これが法人税を引き下げるべきだとする論拠だが、実際のデータによれば、「資本への課税が増えても投資が著しく減少することはないし、企業利益への課税を減らしても労働者の賃金が増えるとはかぎらない」という。

「ラムゼイルール(最適課税の基本原則)」では、「課税対象所得の弾力性が低い場合、税率を上げたとしても、計上される所得はあまり変わらない。そのため、税率を上げれば、自動的に税収は増える」「課税対象所得の弾力性が高い場合、税率が高くなると課税基盤が著しく縮小してしまい、あまり税収が増やせなくなるため、望ましくない」とされる。

だがこれは均等税しか考えていないため、「(資本のような)弾力性の高い所得にはあまり課税すべきではない」と一概にいうことはできない。筆者たちは、累進所得税で税収を最大化するのは最高限界税率(最高位の税率区分の所得額に適用される税率)なのだから「重要なのは富裕層の所得の弾力性だけ」だという。これが「修整ラムゼイルール」で、「富の集中度が高いほど、富裕層に課すべき最適税率も高くなる」。

タックスヘイヴンをなくせば経済は効率化する

もちろん法人税や富裕層への税率を大幅に上げれば、資金はタックスヘイヴン(バミュランド)に逃げてしまうだろう。したがってこれは、国際社会が租税回避を完全に封じることが前提になる。

著者たちは「懲罰を課す、協調する、防御措置をとる、労せずして利益を得ようとするフリーライダーに制裁を加える」という行動プランを挙げているが、これは夢物語というわけではなく、税率が低い国が徴収しない税を(本社のある)税率が高い国が代わりに徴収する矯正税(自国の多国籍企業への最低税率)はすでにOECDが提案している。

それに加えて、租税回避産業の規制を担当する「公衆保護局」を創設し、税務関連のサービス提供者を監視し、その業務が公益を害することのないようにする。その結果グローバル企業は税を考慮する必要がなくなり、「労働者の生産性の高いところ、インフラの充実したところ、消費者に自社製品を買えるだけの購買力のあるところ」で事業を展開しようとするだろう。常識に反して、タックスヘイヴンの無効化と税の引き上げは経済を効率化させるのだ。

賃金や配当、利子、家賃、企業利益だけでなくキャピタルゲインも含め、あらゆる種類の所得を累進所得税の課税対象にすることは、投資家にとってきびしすぎると思うかもしれない。だが、税務当局が資産の購入日など完全情報を把握すれば、「キャピタルゲインからインフレの影響を取り除くこともできる」。長期に保有した株式や不動産を売却して得た利益は、その間のインフレ率を控除した金額への課税にすれば投資家にとっても大きなメリットになるだろう。

公平な税制にとってもうひとつ重要なのは、「企業の所得税(法人税)と個人の所得税を統合する」ことだ。これはオーストラリアやカナダですでに行なわれており、法人税を支払ったあとの利益を株主に配当した場合は、二重課税を避けるために法人税分が控除される(法人税は個人所得税の前払いになる)。これで、会社が法人化されても法人化されなくても、なにも変わらなくなる。さらに、非公開会社の留保利益に対しても利益を株主に振り分ける(利益の全額を配当したのと同じと見なす)ようにすれば、利益を法人内に留保する節税法は意味を失うはずだ。

このようにして租税回避の道がすべて封じられ、どこにも逃げがない(「同額の所得には同額の税金を支払う」という原則が徹底される)「理想世界」が実現したとすると、著者たちの試算では、「富裕層からの税収が最大になる最高限界税率は75%前後」になる。ここでいう富裕層は年間所得50万ドル(約5000万円)超で、(もっとも税率の低い区分から最高限界税率までの)平均税率は60%になる。連邦政府・州政府・地方政府に支払われるあらゆる税を考慮すると、一般的なアメリカ人の実質税率は30%程度だから、所得に占める割合からすると、富裕層は平均の2倍の税金を支払うことになる。

法人税の実効税率を2倍にし、所得税の網羅性と累進性を高め、徴税の強化によって遺産税収を倍増させたうえで、著者たちはさらに「5000万ドル(約50億円)を超える財産には2%、10億ドル(約1000億円)を超える財産には3.5%の富裕税」の導入を提案する。

こうした税制改革によって、バフェットが支払う「正当な」税額は年間18億ドル前後になる。これは、2015年にバフェットが支払った所得税180万ドルの1000倍にあたる。

超富裕層への懲罰的な資産税

本書の過激な提案は、じつはこれに止まらない。著者たちは、累進課税の所得税の最高税率は「100%近いレベル」にしてもかまわないという。アメリカ社会でレントシーキング(レント=超過利潤を求めてどんなことでもする強欲)が目に余るようになってきたからで、「1ドル稼ぐごとに90セントを内国歳入庁に持っていかれるのであれば、2000万ドルもの報酬を手に入れたり、ゼロサム金融商品を生み出して数百万ドルを稼いだり、特許薬の価格を吊り上げたりする意味はなくなる」はずだ。

もちろんこれには、「イノベーションを阻害する」との反論があるだろう。だがいまや社会に役立つ創意工夫よりも、強欲のためのさまざまな悪知恵に使われることの方が多くなった。「大胆なイノベーションが生み出されるペースが速くなれば、規制当局がそれに追いつくことも、一般市民がその詐欺行為に引っかからないよう事前に知識を得ることも難しくなる」。

最高税率が引き下げられてイノベーションが促進されたとしても、レントシーキングが活性化するだけだ。超高所得に対して100%近い税率を課せば、「経済力が分散され、税引き後所得後の格差が縮小し、市場での競争が活発化する」のだという。

だがこれだけでは、持続不可能なレベルにまで広がったアメリカの経済格差を縮小させるのは力不足だ。そこでこの限界を突破するために、富裕層の財産そのものに高率の課税を行なう必要があるとして、「10億ドルを超える財産に10%の限界税率というかなり高めの富裕税を課す」ことが提案される。

これは超富裕層に対する懲罰的な課税だが、仮に数十年前から高率の富裕税を課したとしても、マーク・ザッカーバーグの2018年の財産は210億ドルに達していたという(同年の実際の財産は610億ドルで、およそ3分の1に縮小した)。ザッカーバーグの財産が、はじめて10億ドルを超えた2008年以来、年40%の割合で増加しているからで、「年率10%の富裕税を課しても、これほどの勢いで増加する資産は抑えられない」のだ。

しかしビル・ゲイツ場合、10%の富裕税によって2018年の970億ドルが40億ドルほどへと25分の1まで縮小する。ゲイツはすでに30年以上にわたり10億ドルを超える財産を所有しているため、「高い富裕税による財産を削り取られる期間」も長くなるのだ。

著者たちの試算によると、「高めの富裕税を1982年から課していた場合、アメリカの所得階層の最上位400人は、2018年になってもまだ数十億ドル規模の財産を持っているだろうが、その総額は現在の3分の1ほどでしかなくなる」。その結果、彼らの財産がアメリカの財産全体に占める割合は、富の格差が大きく広がり始める前の1982年当時とほぼ同じになる。逆にいえば、10%の富裕税は40年前の「貧富の差」と同じレベルに社会を止めるためのものなのだ。

註)ここで例にあげられているザッカーバーグの資産はメタの株価下落で2022年の1年間で11兆円減ったと報じられた。著者たちの議論では、こうした場合に、前年度の資産を基準に支払われた税を繰り戻し還付するのかどうかの議論がなされていない。

消費税を廃止し、税収は均等勢と富裕税に

保育への公的支援が貧弱なアメリカでは、託児所の年間費用が幼児1人あたり2万ドルに及ぶケースもざらにある。アメリカの母親の収入は第一子の出産後、父親に比べて平均31%も減少するが、これは「事実上、政府支出の不足分を補うため、女性の時間に重税を課しているのに等しい」。

アメリカは国民皆保険でないため、民間医療保険の保険料が「民間の税金」となり、もはや人頭税と化している。医療保険の年間平均保険料は労働者1人あたり1万3000ドル(約130万円)で、あまりに高すぎて成人のおよそ14%が無保険のままだ。

北欧などヨーロッパのリベラルな国々はどこも高率の消費税で社会保障を賄っているが、消費税には逆進性があるため、それによってさらに格差を拡大させてしまう。それにもかかわらずなぜ消費税の税率だけが上がっていくのかというと、個人所得税や法人税、資本課税の引き上げが租税回避の誘因になってしまうからだ。

だが誰もが「同額の所得には同額の税金を支払う(租税回避の逃げ場がない)理想世界」では、もはや効率の悪い消費税に依存する理由はない。消費税を廃止して、国民所得(労働所得+企業利益+利子所得)に6%の均等税(国民所得税)を課して基礎税収を確保したうえで、富裕層課税で国民所得のおよそ10%分に相当する税収を確保すれば、国民全員に医療や育児を提供できるし、公立大学への助成金の増加などにより、高等教育を受ける機会も均等化できるという。

超富裕層の資産に高率の課税をすれば、ビル&メリンダ財団やソロス財団のような社会貢献のための財団は運営できなくなるかもしれない。だが功利主義的に考えるならば、国民皆保険や保育無償化、教育費の軽減などによるアメリカ社会全体の厚生の増加は、それを補ってあまりあるというのが著者たちの立場なのだろう。

本書で提案された税制が実現したとすると、逆進的な売上税(消費税)を廃止したうえで、上位5%を除くすべての社会階層で、現在よりも(社会保険料を含めた)税金の支払いが少なくなる(所得の中央値あたりでは、平均税率が38%から28%まで下がる)と試算される。

民主的な社会では、市民(有権者)の95%が得をする提案が受け入れられる可能性はじゅうぶんにあるだろう。国家がさらに財政支出を拡張できるというMMT(現代貨幣理論)が話題になっているが、政府の借金が増えればひとびとは「国家破産」を恐れてお金を使わなくなるだろう。それを考えると、財政を悪化させずに95%の国民の可処分所得が増える富裕層課税のほうが、これからの“左派ポピュリズム”の主流になっていくのではないだろうか。

禁・無断転載

ブリゴジンの反乱に見るロシア人の屈折した心理 週刊プレイボーイ連載(568)

ヒトラーが愛した作曲家ワーグナーの名を冠したロシアの民間軍事会社「ワグネル」を創設したプリゴジンが、軍幹部の更迭を求めて武装蜂起するという驚くべき事態が起きました。反乱軍は、ドン川下流の都市ロストフ・ナ・ドヌーから北上し、モスクワまで200キロのところまで迫りましたが、ベラルーシ大統領ルカシェンコの説得を受けてプリゴジンは兵を撤収、自身もベラルーシに亡命しました(その後、プーチンと会談したのち、ロシアにとどまっていると報道された)。

近代国家の大前提は国家による暴力の独占で、軍に匹敵するような武装組織が存在すること自体、先進国ではあり得ないことです。レーニンはロシア革命で赤軍を創設し、徹底した官僚主義で近代化を進めましたが、ソ連崩壊によってロシアは前近代に戻ってしまったかのようです。――ドン川からモスクワを目指すというのは、帝政ロシア時代のコサックの反乱そのままです。

プリゴジンはなぜこのようなギャンブルに打って出たのか、おおよその経緯がわかってきました。

ワグネルはもともと中東やアフリカなどで正規軍ができない「汚れ仕事」を請け負い、2014年のウクライナ紛争では東部ドンバス地方の併合を主導しました。22年、ロシア軍がウクライナに侵攻すると、ワグネルは受刑者らを兵士にして最前線で戦い、大量の死者を出したとされます。

プーチンのウクライナ侵攻が軍事上の大失敗であることが隠せなくなると、その責任をめぐって軍幹部とプリゴジンのあいだに亀裂が走り、今年5月、東部の主要都市バムフトをワグネルが大きな犠牲を払って制圧すると両者の対立は決定的になります。反乱の直前には、ブリゴジンはSNSに投稿した動画で、ウクライナ侵攻は国防省が国民と大統領を欺こうした陰謀で、ウクライナにもNATOにもロシアに侵攻する意図はなかったとして、戦争の大義を全否定しました。

当然のことながら、国防省はワグネルを解体し、その影響力をなくそうとします。それを察知したプリゴジンは、武装蜂起によって逆に国防省を乗っ取ろうとしますが、あてにしていた軍内部の反乱は起きず、最後は抵抗を断念せざるを得なかったのでしょう。

この事件で明らかになったのは、「独裁者」であるプーチンが、いわれているほど絶対的な権力をもっていたわけではないことです。軍とワグネルの対立を解決できず、反乱の収拾を隣国の大統領に頼らなければならなかったことは、これまで演出してきたカリスマ性を大きく傷つけるでしょう。独裁者の権力は、さまざまな組織や権力者たちの微妙なバランスの上に、かろうじて成り立っているのです。

もうひとつ明らかになったのは、「ウクライナ侵攻に大義はない」と断言したプリゴジンの人気がロシア国内で高いことです。ロシア人は、この戦争になんの意味もないことを知りつつも、始めてしまった以上は、自分たちが「負け犬」や「加害者(戦争犯罪人)」になることはぜったい受け入れられないから、戦いつづけるしかないと思っているのかしれません。

『週刊プレイボーイ』2023年7月10日発売号 禁・無断転載

「市場原理主義を徹底してコミュニズムに至る」ラディカルマーケットの設計

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年5月6日公開の「「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」 私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる」です(一部改変)。

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「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」などというと、なにを血迷ったことをと思われるだろうが、エリック・A・ポズナーとE・グレン・ワイルは『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』( 安田洋祐、遠藤真美訳、東洋経済新報社)でそう主張している。それもポズナーは著名な法学者、ワイルは未来を嘱望される経済学者だ。原題は“RADICAL MARKET: Uprooting Capitalism and Democracy for a Just Society(公正な社会のために、資本主義と民主政を根底から覆す)”

この大胆(ラディカル)な理論を紹介する前に、著者たちのバックグラウンドについて触れておこう。

エリック・ポズナーは55歳で、シカゴ大学ロースクールの特別功労教授。法や慣習(社会規範)をゲーム理論を用いて分析する「法と経済学」を専門にしている。名前に見覚えがあると思ったら、保守系リバタリアンの法学者で、共和党を支持しながら、ドラッグ合法化や同性婚、中絶の権利を認めるリチャード・ポズナー(連邦巡回区控訴裁判所判事)の息子だった。

リチャード・ポズナーには、『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』( 鞍谷雅敏、遠藤幸彦訳、東洋経済新報社)など、経済学者ゲイリー・ベッカーとの多数の共著がある(もともとは2人でブログを書いていた)。ノーベル経済学賞を受賞したベッカーは「20世紀後半でもっとも重要な社会科学者」とされ、ミルトン・フリードマンらとともにシカゴ経済学派(新自由主義経済学)を牽引し、レーガン政権の政策に大きな影響を与えた。

もう一人の著者であるグレン・ワイルは1985年生まれの若干36歳で、プリンストン大学で博士号を取得、ハーバード大学、シカゴ大学での教職を経て、現在はマイクロソフト・リサーチ社の首席研究員だ(マイクロソフトCEOのサティア・ナデラが本書の推薦文を書いている)。イェール大学で「デジタルエコノミーをデザインする」というコースを教えてもいる。

Wikipediaのワイルの人物紹介では、「両親は民主党支持のリベラルだったが、アイン・ランドとミルトン・フリードマンの著作に触れてから市場原理主義(free market principles)に傾倒していく」とされている。

本書の謝辞には、「グレン(・ワイル)にとっては、この非常に大胆なアイデアを追求すれば、研究者としてのキャリアを犠牲にするリスクがあり、出版するのも困難だったのだが、そんな状況の中でゲイリー・ベッカー(略)が強く背中を押してくれた」とある。ベッカーは2014年に世を去っているから、シカゴ大学で最晩年のリバタリアン経済学者の知己を得たのだろう。リチャード・ポズナーの息子エリックとも、ベッカーの縁で知り合ったのかもしれない。

このようなことをわざわざ書いたのは、グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている。孫のような若者のそんなラディカルなアイデアを、新自由主義経済学の大御所ベッカーが後押ししたというのはなんとも興味深い。

「真の市場ルール」を阻む「私有財産」という障害

ポズナーとワイルは、現代の先進国が抱える問題は「スタグネクオリティ(stagnequality)」だという。スタグネーションstagnationは「景気停滞」のことで、これにインフレ(inflation)を組み合わせると、経済活動の停滞と物価の持続的上昇が併存する「スタグフレーション(stagflation)」になる。

それに対して景気停滞に「不平等inequality」を組み合わせた造語がstagnequalityで、「経済成長の減速と格差の拡大が同時に進行すること」だ。その結果、アメリカではリベラル(民主党支持)と保守(共和党支持)が2つの部族(党派)に分かれ、互いに憎悪をぶつけあっている。

この混乱を目の当たりにして、近年では右も左も「グローバル資本主義」を諸悪の根源として、資本主義以前の人間らしい共同体(コミューン、コモンズ、共通善)をよみがえらせるべく「共同体主義(コミュニタリアニズム)」を唱えている。

だが著者たちは、こうした「道徳と互酬性、個人的評判による統治(モラル・エコノミー)」は、狩猟採集社会や中世の身分制社会ではそれなりに機能したかもしれないが、現代の巨大化・複雑化した資本主義+自由市場経済では役に立たないという。「取引の範囲が広がり、規模が大きくなると、モラル・エコノミーは崩れてしまう」からで、「大規模な経済を組織するアプローチとして、市場経済に対抗する選択肢はない」のだ。

「脱資本主義」の代わりに提案されるのが「メカニカル・デザイン」で、「オークションを生活に取り込む」よう市場を再設計することだ。なぜならオークションこそが、市場を通した資源配分の機能をもっとも効果的にはたらかせる方法だから。これはオークションをデザインした経済学者ウィリアム・ヴィックリーの思想を現代によみがえらせることでもある。

著者たちは、「真に競争的で、開かれた、自由な市場を創造すれば、劇的に格差を減らすことができて、繁栄を高められるし、社会を分断しているイデオロギーと社会の対立も解消できる」として、これを「市場原理主義」ではなく「市場急進主義」と呼ぶ。真の市場ルールは「自由」「競争」「開放性」で、次のように定義される。

・自由:自由市場では、個人がほしいと思う商品があるとき、その商品の売り手が手放す代償として十分な金額を支払う限り、それを購入することができる。また、個人が仕事をしたり、商品を売り出したりするときには、こうしたサービスが他の市民に生み出す価値どおりの対価を受け取らなければいけない。そのような市場では、他者の自由を侵害しない限りにおいて、あらゆる個人に最大限の自由が与えられる。

・競争:競争市場では、個人は自分が支払う価格や受け取る価格を与えられたものとして受け入れなければいけない。経済学者のいう「市場支配力」を行使して価格を操作することはできない。

・開放性:開かれた市場では、すべての人が、国籍、ジェンダー・アイデンティティ、肌の色、信条に関係なく、市場交換のプロセスに加わることができて、お互いが利益を得る機会を最大化できる。

そんなことは当たり前だと思うだろうが、じつは「真の市場ルール」を阻む重大な障害がある。それが「私有財産」だ。

私的所有権こそが自由な市場取引の基礎だとされているが、「再開発や道路の拡張を阻む頑迷な地権者」を考えれば、いちがいにそうともいえないことがわかる。この地権者は、開発業者が「十分な金額」を払うといっても拒否し、「市場支配力」を行使して適正な取引を妨害し、「お互いが利益を得る」機会をつぶしているのだ。

これはけっして奇矯な主張ではなく、アダム・スミスやジェレミー・ベンサム、ジェーミズ・ミルなどは封建領主の特権と慣習が財産の効率的な利用の障害だと考えていた。「限界革命」を主導した「近代経済学の3人の父」のうち、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズは「財産とは、独占の別名にすぎない」と述べ、私有財産制を深く疑っていた。レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。

ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ。マルキシズムとのちがいは、ワルラスが中央計画を「計画者自身が独占的な封建領主になるおそれがある」として敵視し、「土地は競争を通じて社会が管理するようにし、その土地が生み出す収益は社会が享受したい」と考えていたことだ。

「私有財産否定」はマルクス経済学の専売特許ではなく、近代経済学のなかにもその思想は脈々と流れているのだ。

私有財産に定率の税(富のCOST)を課す「COSTの世界」

19世紀の独学の政治経済学者ヘンリー・ジョージは、土地を共同所有するうえで、国有化より「もっと単純で、もっと容易で、もっと穏やかな方法」として、「公共の用途のために地代を租税として徴収すること」を説いた。その税率は「地代の100%」で、これによって所有者は、「土地の上に建てたものの価値はすべて享受できるが、土地そのものの価値については、その全額を政府に払わなければならなくなり、土地を借りた人とまったく同じことになる」。

著者たちが提唱する「共同自己所有申告税COST/common ownership self-assessed tax」は、ジョージのアイデアをより洗練させたもので、私有財産に定率の税(富のCOST)を課す。その税率は7%とされているので、それをもとに「COSTの世界」を想像してみよう。

現代美術でもっとも人気のあるバンクシーは、商業主義を批判しながら、その作品はとてつもない値段で取引されている(2021年3月にクリスティーズに出品された「Game Changer」の落札額は16億7580万ポンド(約25億円)だった)。これについては、「それだけの価値がある」というひとも、「たんなる偽善者」と見なすひともいるだろう。

だがCOSTでは所有物に7%の税がかかるのだから、この作品を落札した美術収集家は、毎年1億7500万円を国庫に納めなくてはならない。逆にいえば、バンクシーの絵を自宅の居間に飾るのに、これだけのコストを払う価値があると思うひとだけが、この値段で落札するのだ。

こうして、「バンクシーの作品に価値があるのか、ないのか」という論争は意味を失う。毎年2億円ちかくを支払うのなら、それだけの価値があるのは間違いないのだ。

これは、私的に所有されるすべての美術品・工芸品にあてはまる。もちろん、そんなCOSTは払えないという所有者はたくさんいるだろうが、その場合は美術館・博物館に寄贈すればいい。

ボルドーやブルゴーニュのワインには1本数百万円するものもある。だがCOSTの世界では、ワインコレクターはその価値の7%を毎年支払わなければならない。この場合、税を逃れるもっともかんたんな方法は、その年度内に飲んでしまうことだ。

この単純な例からわかるように、私的所有物にCOSTが課されると富の概念が変わり、コレクションは意味を失う。あらゆるモノは「保有する価値」ではなく「使用する価値」だけで判断されることになるのだ。

著者たちの構想では、すべての個人と企業が、所有物を一つずつオンラインアプリの台帳に記載し、それぞれの評価額を自分で決めて入力する。だったら、課税を避けるには低い評価額にすればいいと思うだろうが、この巧妙なメカニカル・デザインでは、評価額は市場に公開されており、それを上回る価格を提示する者がいれば所有権は無条件で売り渡される(拒否権はない)。25億円で落札したバンクシーの絵にCOSTを払うのがバカらしいと思って10万円の評価額を入力すれば、たちまち購入希望が殺到し、そのなかでもっとも高額を呈示した者が手に入れるのだ。

逆に、その絵をぜったいに手放したくないと思えば、購入希望者が応じられないような高額の評価にすればいいが、そうなると多額のCOSTを国に納めなくてはならなくなる。このようにして、すべてのモノは自由で開放的な競争市場が評価する最適価格で取引され、もっとも効率的に活用されることになるのだ。

COSTの世界では、都心の真ん中で空き地を駐車場にしておくようなムダなことはできなくなる。その土地の活用にもっとも高い値段をつけた業者が購入し、一定の規制の下で、COSTを上回る利益が出るように開発することになるだろう。

「富の所有」から「使用価値による賃貸」へ

COSTは私有財産制を否定するわけではないが、富の保有にコストがかかることで、その実態は「所有」から「レンタル」へと変わっていく。不動産取引では、ひとびとは所有権を購入するというよりも、所有によっていくらのCOSTを支払うかを基準にするようになるだろう。

これは自由市場を維持したまま、不動産が国家(共同)所有になって、借主が賃料を支払うのと同じだ。そこではどのようなことが起こるのか、あくまでも私の理解だが、ちょっと想像してみよう。

子どもが私立中学校に受かって、学校の近くに住み替えたいとする。パソコンの画面に希望する地区や賃料、間取りなどの基本情報を入力すると、AIがあなたに合ったマンションや一戸建てのリストを抽出して表示する。そのCOSTが月額5万円だとして、あなたが「OK」のボタンをクリックすると、そこに住んでいたひとは無条件でその家をあなたに売り渡して出て行くことになる(実際には1カ月程度の転居期間が必要だろう)。

こうしてあなたは、希望の物件に引っ越すことができた。ここで当然、次のようは疑問が出るだろう。「引っ越してすぐに、他の希望者から購入申請されたらどうなるのか?」だが、そんなことは起こらない。

新しい住居が気に入って、すぐに転居したくないと思えば、AIでそのためのCOST(家の評価額)を算出してもらえばいい。それが月額5万5000円であれば、そのCOSTを支払っているかぎり、同じ条件の検索結果にあなたの家が表示されることはない。こうして、相場よりすこし割高のCOSTを支払うことで、あなたはずっといまのところに住みつづけることができる。

子どもが中学を卒業し、転居してもかまわなくなれば、AIに最安値のCOSTを算出してもらえばいい。これによってCOSTを(たとえば月額5000円)引き下げることができるが、購入希望者がいれば他の物件に転居しなければならない。

このように考えれば、COSTが不動産市場を劇的に効率化させることがわかるだろう。すべてのひとが、予算に応じて、もっとも便利なところに気軽に住み替えることができるのだ。

「富の所有」から「使用価値による賃貸」に変わると、不動産価格は大幅に下がるはずだ。著者たちの試算では、これによって不動産価格は3分の2から3分の1になるという。現在2000万円台のファミリータイプのマンションは700万円程度になり、COST(月額家賃)は4万円、1億円のマンションも3000万円台まで下がり、月額20万円以下のCOSTで住めるようになる。一部の富裕層が使いもしない不動産を買いあさるのではなく、土地は共有され、必要なひとたちに公正に配分されるのだ。

だがこれは、国家による土地の「中央管理」ではない。それとは逆に、管理はラディカルに分散される。COSTは「社会と保有者で所有権を共有すること」であり、「柔軟性の高い使用市場という新しい種類の市場をつくりだして、恒久的な所有権に基づく古い市場に取って代わるものとなる」のだ。

COSTの特徴は、課税されるのがモノであり、「人と人のつながりには課税されない」ことだ。「モノに過剰な愛着を持つことにペナルティが課されると同時に、モノの価格も下がるので、特に低所得層では、いまよりもずっと多様なものを手に入れられるようになる」。

それに加えて、COSTを全面的に導入すれば、社会の富を毎年何兆ドルも増やすことができる。それを国民に分配すると、UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)に似た制度になる。経済が成長すると、COSTが生み出す歳入が再分配される。他人の繁栄から全員が恩恵を受ける世界では社会的信頼が育まれ、共同体への愛着が生まれ、市民的関与が促されると著者たちはいう。

すなわち、「自由」「競争」「開放性」という市場の機能を徹底することで、新しい「ラディカルなコミュニティ」が誕生するのだ。

「熱心な少数者が無関心な多数者に勝てる」投票方式QV

COSTによる「ラディカル・マーケット」に続く著者たちのアイデアは「ラディカル・デモクラシー」だ。これは「平方根(radical)による投票システム」でもある。

オークションの背後にある思想は、「自分の行動が他人に課すコストに等しい金額を個々人が支払わなければならない」だ。これを投票にあてはめると、「集合的決定が行われる国民投票(あるいは他の種類の選挙)で負けた人にあなたが与えた損害を補償しなければならない。あなたが支払う金額は、あなたの投票によって負けた市民が選好していた別の結果になっていたら、その人たちが獲得していたであろう価値に等しくなる」とされる。

これを実現する方法がQV(Quadratic Voting)で「二次の投票」のことだ。そのルールは「公共財に影響を与える個人が支払うべき金額は、その人が持つ影響力の強さの度合いに比例するのではなく、その2乗に比例するべきだ」で、詳しい説明は本書を読んでもらうとして(それほど難しくはない)、この投票方式は以下の点で1人1票とは異なる。

  1. すべての有権者に一定数のボイスクレジット(投票権)が割り当てられる
  2.  投票する際は、投票数の二乗のボイスクレジットが必要になる
  3. 投票は支持する候補だけでなく、支持しない候補へのマイナス票に使える

あなたが36ボイスクレジットもっているとして、1票=1クレジットなら、36人の候補にプラスあるいはマイナスの投票ができる。これがもっとも投票の「費用対効果(コスパ)」が高い。

だが誰かに(プラスあるいはマイナスの)2票を投じようとすると4クレジット、3票なら9クレジット、6票だと36クレジットが必要になる。特定の候補に6票を投じるときは、36人の候補に1クレジットずつ投票するのに比べて、投票の影響力は6分の1になってしまうのだ。

このQVには、「熱心な少数者が、無関心な多数者に勝てる」という特徴がある。これを夫婦別姓や同性婚で考えてみよう。

世論調査によれば、いずれも国民の大多数が賛成するか、どちらでもいい(あえて反対しない)と思っている。それにもかかわらずなかなか進まないのは、一部の保守政治家が「日本の伝統を破壊するな」と頑強に反対しているからだ。

このとき、夫婦別姓や同性婚を望む「当事者」は少数派(マイノリティ)だが、この政策に大きな利害をもっている。QVであれば、このひとたちは強力なグループを形成して、自分たちの希望を阻む政治家に全員がマイナス6票を投じることができる。

そうなると伝統主義者の保守政治家は、このマイナスを挽回するのに6票を集めなくてはならないが、ほとんどの有権者はこの問題に無関心なので、「イエ制度を守れ」と叫んでも、貴重なボイスクレジットをすべて投じてもらうことは期待できない。マイノリティが「1人=マイナス6票」なのに対し、マジョリティからは「6人×(1人=プラス1票)」を獲得しなければならないのだ。

このようにしてQVは、有権者の「平均的な民意」に反して(特定の団体や主義者のために)極端な主張をする政治家を排除する効果がある。

だがこれは、マイノリティの主張がなんでも通るということではない。

死刑制度については日本でも熱心な廃止運動があるが、国民の多くは死刑存続を求めている。このような場合は、廃止派が存続派の有力政治家に「1人=マイナス6票」を投じても、その政治家は容易に、6人以上の「1人=プラス1票」を集めることができるだろう。

これが「投票数を増やそうとするとコストがかかる」という意味で、マイノリティの極端な主張も抑制され、多数派の有権者の意思に反するような結果にはならない。死刑廃止論者のすべきことは、選挙で気に入らない政治家を落選させることではなく、夫婦別姓や同性婚のように、有権者の大半が「死刑廃止」か「どちらでもいい」と思うように価値観を変えていく努力になるだろう。

著者たちは、2016年の共和党大統領予備選でQVを導入しうたらどうなったかをシミュレーションしている。それによると、極端な政治的見解を排除する効果によって、中道派が大統領選の候補者に選ばれ、トランプは最下位になったはずだという。トランプを拒絶する有権者がマイナス票を集中させる一方で、積極的にトランプを支持する共和党員はそれほど多くなかったからだ。

それにもかかわらず「1人=1票」でトランプが勝ったのは、共和党員の多くが「ヒラリーだけは嫌だ」と思っていたからだ。同様にヒラリー・クリントンは民主党支持者のあいだでも好かれてはいなかったが、「トランプだけは嫌だ」という圧力によって予備選を勝ち上がった。このようにして「嫌われ者同士」で大統領の座を争うことになったのがトランプ大統領誕生につながったのだという。

そのように考えれば、アメリカ社会は党派によって分断されているのではなく(有権者の大半は中道路線を支持している)、極端な候補が勝者になる選挙制度が社会を分断していることになる。

同様に、歴史家は「(1930年代の)ドイツ国民のうち極右を一度でも強く支持した人は10%に過ぎなかった」としている。それにもかかわらずヒトラーが選挙で選ばれたのは、有権者の多くが「共産党だけは嫌だ」と思っていたからだ。ワイマール憲法がQVだったら、ヒトラーが政権を握ることもなく、第二次世界大戦は起きなかったかもしれない。

著者たちは、選挙にQVが導入されると、「地域の共同体で、オンラインのソーシャルネットワークで、国の政府の下で、本当の意味で生活を共有し、協力し合う方向へと進む道が開かれる。豊かな公的生活が形成され、社会的関係が自然に発展していく」と述べる。ここでも、メカニカル・デザインによって「コミュニティ」が生まれるのだ。

ラディカル・マーケットでは資産格差はなくなる

それ以外でも本書では、移民労働力の市場を創造するビザ・オークション(個人間ビザ制度VIP)、機関投資家による支配を解く反トラスト規制、GAFAなどに「労働としてのデータ(個人情報)」の対価を払わせるデジタル労働市場など、さまざまな斬新なアイデアが展開されている。たとえばIT企業がデータの対価をユーザーに支払えば、「4人世帯の所得の中央値は2万ドル(約200万円)以上増える」という。

なかには実際に使われはじめているものもあり、暗号通貨のイーサリアムをベースとした「アカシャ」と呼ばれるSNSが、オンライン上のサービスをQVで評価しているという。ユーザーは自分が保有するボイスクレジットで「二次の投票」をするだけでなく、そのクレジットを使わずに貯めておくこともできる。

著者たちは、将来的には、QVに仮想のクレジットではなく現金を使うことまで構想している。この場合は、(例えば)1票を投じるのは1ドルだが、1000票なら100万ドル(1ドル×1000票×1000)が必要になる。これだと富裕層が政治を支配しそうだが、「公的な問題が私的な問題よりも重要である市民が、ボイスクレジットの限られた予算にしばられることなく、自由に意見を表明できるようになる」のはよいことかもしれない。すくなくとも、コストを支払う気もなく好き勝手なことをいうひとたちは退場していくだろう。

そのうえ投票で支払われたクレジットは、国庫に納められて国民に再分配される。現実の政治では、富裕層は寄付を通じて大きな影響力を行使し、その利益は一部の特権層が独占している。それに比べれば、「豊かな人が貧しい人にお金を払って、政治的な影響力を手に入れる」QVの方がよほど公正かもしれない。

ラディカル・マーケットの下では、すべてのモノが「使用価値」で評価されることになるので、資産による格差はなくなる。それにもかかわらず、わずかなCOSTしか支払えないひとと、多額のCOSTを払って優雅な生活をするひとがいるだろう。なぜなら、個人が生まれもった能力」にはちがいがあるから。COSTが実現する「自由で公正な市場」では、経済格差は「能力格差(メリトクラシー)」のみから生じるのだ。

その格差をなくしたいのなら、「COSTを人的資本に拡張する」ことが考えられるという。だが、大きな才能をもつひとに、才能に応じてCOST(税)を支払わせることができるのか、著者たちも懐疑的なようだ。

メカニカル・デザインでは、「市場は資源を最適に分配する並列処理のコンピュータ」だと考える。あまりにも巨大化・複雑化した現在の市場/社会をモラル(道徳)によって管理することはもはや不可能になっている。だとしたら、「市場というコンピュータ」を最適チューニングして(市場がより多くの富を生み、その富がより公正に分配されるようにして)、最大多数の最大幸福を達成するように「デザイン」するのが唯一の道になる。

著者たちは、「理論上では、市場はシリコンで複製できる」として、本書の最後でAI(アルゴリズム)が人間の欲求を学習する可能性を論じている。そうなれば、社会は「何らかの(ラディカルな)民主的手段や監査可能なアルゴリズム、準分権的な分散コンピューティングに基づいて統治する」未来が到来するかもしれない。これが、メカニカル・デザインによる「自由で公正なユートピア」になるだろう。

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