イエスは実在したが、キリスト(救世主)は創作された

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今回は2014年12月4日公開の「イエス・キリストは実在したのか?」です(一部改変)

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レザー・アスランは1972年にテヘランで生まれ、7歳のときにイラン革命で両親とともにアメリカに逃れた。「1980年代のアメリカで、ムスリムであることは火星人みたいなものだった」という環境のなかで自分の居場所を探していたアスランは、高校2年生のときにカリフォルニア州の福音伝道キャンプでイエスの物語を聞いてたちまち魅了される。

熱心なクリスチャンとなった彼は大学で宗教史を専攻したが、その頃から聖書の記述と歴史的事実の矛盾に気づくようになった。その後、20年にわたってイエスの実像に迫る研究をつづけたアスランがその成果をまとめたのが『イエス・キリストは実在したのか?』(白須英子訳、文藝春秋)だ。

この本は発売直後から全米でセンセーションを巻き起こし、20万部を超えるベストセラーになった。なぜこれほど評判になったかというと、アスランがキリスト教信仰を捨て去ったあとイスラームに改宗したからだ。

欧米社会(とりわけアメリカ)には、ムスリムにイエスについて客観的で公正な学術研究などできるわけはない、という偏見がある。

本書の刊行直後、アメリカの右派寄りテレビ局「フォックス・ニュース」のキャスター、ローレン・グリーンが「なぜ、ムスリムのあなたがイエスのことを書いたのか?」とアスランに意地悪な質問をした。これに対してアスランは、自分は学位を持つ宗教学者・歴史学者として歴史上の人物としてのイエスを研究してきたと説明したうえで、「キリスト教徒の学者がイスラームの歴史やその始祖ムハンマドについて書いてはいけない、あるいは書けるはずがないと決めつけるのがおかしいのと同様、ムスリムがイエスのことを書くことを疑問視するのは妥当ではないのではないか」と反論した(本書の翻訳者、白須英子氏の「訳者あとがき」より)。このインタビューが大きな反響を呼び、アスランはすっかり時のひとになった。

処女懐胎は後世のつくり話

原書のタイトルは『ZEALOT』で、「狂信者」とか「熱狂者」の意味だ。副題は「ナザレのイエスの人生と時代」という素っ気ないものだが、日本版の『イエス・キリストは実在したのか?』も間違いとはいえない。アスランの主張は、「イエスは実在したが、キリスト(救世主)は創作された」というものだからだ。

新約聖書では、聖母マリアが処女のままイエスを懐妊したことになっている。こんなことは現実にはあり得ないから、これをどう解釈するかで古来、侃々諤々の議論が行なわれてきた。

私が知るなかでもっとも大胆な説はイギリスの進化心理学者ニコラス・ハンフリーによるもので、マリアはヨセフと結婚したときすでに別の男性と性的関係があり、妊娠していたというものだ。当時はこのようなふしだらはとうてい許されないから、マリアは夫に対し、「自分は処女のまま懐妊したのだ」と言い張るしかなかった。イエスはものごころついたときから「神から授かった子ども」と母親にいわれつづけ、自分が特別な存在だと思うようになった……(『喪失と獲得』垂水雄二訳、紀伊國屋書店)。

だがこの魅力的な(というか不謹慎な)解釈は歴史的事実とは異なるようだ。本書によれば、生前のイエスに対して彼が処女から生まれたと考えるひとはいなかった。その理由は単純で、イエスには複数のきょうだいがいたからだ。

イエスに「義人ヤコブ」と呼ばれる弟がいたことは文献的に明らかで、それ以外にヨセフ、シモン、ユダという兄弟と、福音書では触れられているが名前も数もわからない姉妹がいたらしい。兄が磔刑に処せられたあと、ヤコブが使徒とともにエルサレムでイエスの教団を継いだことも間違いない。

だが同時に、アスランはイエスの出生に不審な点があることにも言及している。

イエスがはじめて故郷のナザレで説教を始めた頃、聴衆の一人が「この人はマリアの息子か?」とつぶやいた。ユダヤ人の男児を「ヨセフの息子」ではなく「マリアの息子」と呼ぶことはふつうは考えられない。ここから聖書学者のあいだでは、イエス私生児説だけでなく「ヨセフはもともと実在していない」との説も唱えられた。

イエスの生涯についてのもうひとつの謎は、彼が既婚者だったかどうかだ。新約聖書にはイエスが結婚していたという記述はないが、当時のユダヤ社会では30歳を過ぎた男性が妻帯していないということはほとんど考えられなかった。イエスは修道僧ではなく世俗の預言者なのだから、妻や子どもがいたとしてもおかしくはない。

だがアスランが述べるように、こうしたことはすべて推測の域を出ない。イエスの名がローマ世界で広く知られるようになったのは死後100年以上たってからで、パレスチナの地にあまたいたZEALOT(狂信者)のことなど生前は誰も興味を持っていなかったし、後世に書き伝えようとも思わなかったからだ。

ユダヤ人はなぜ「寛容なローマ」に反抗したのか

アスランは、イエスが生きた当時のユダヤ社会は「革命前夜」の熱狂に包まれていたという。

紀元後6年、ナザレのイエスの誕生とほぼ同時期にユダヤは正式にローマの属州となった。当時のユダヤ人の生活はエルサレムの大神殿が中心だったが、大祭司はローマ人総督と癒着して私腹を肥やし、ほしいままに振る舞っていた。

神殿は奴隷たちが耕す広大な領地を有する「封建国家」で、ユダヤ人から徴収される神殿税や巡礼者からの膨大な供物、神殿内で商売を許された商人や両替商からの上納金などでその歳入は巨額のものになった。

敬虔なユダヤ教徒は祭司貴族階級の堕落を批判し、ローマから「神の土地」を取り戻すことを求めた。こうした「ユダヤ原理主義の過激派」がZEALOTで、洗礼者ヨハネに影響を受けて宣教活動を始めたイエスもその一人だった。

イエスはローマ総督ピラトによって紀元30~33年頃にゴルゴダの丘で十字架にかけられるが、これはローマ帝国ではありふれた処刑方で、反抗者への見せしめとして街角、劇場、丘の上、高台など目立つ場所ならどこにでも十字架が立てられた。ユダヤ人がローマ支配に抵抗するようになると処刑者の数も増え、ゴルゴダの丘には十字架が林立していた。イエスの死も、やはりありふれたものだった。

当時の革命的熱狂は、イエスの死後、ユダヤの地で起きた出来事を見るだけでも明らかだ。紀元36年に「サマリア人」と呼ばれる預言者が蜂起を起こし、44年にはテウダの蜂起があり、56年には神殿の大祭司ヨナタンが暗殺される。

それ以降も57年に「エジプト人」と呼ばれる預言者の蜂起があり、66年にはついにユダヤ全土が蜂起してエルサレムからローマ人を追放する。これが「革命」の頂点で、70年にはローマの大軍によってエルサレムは陥落し、神殿も徹底的に破壊されてしまうのだ(このユダヤ人蜂起の中心になったのがZealot Party(熱心党)と呼ばれるユダヤ原理主義者の過激派グループだ)。

ユダヤ人がローマに反抗したのは、圧政に苦しんだからではない。ローマ人の支配は植民地の宗教に寛大で、ユダヤ教徒の奇妙な慣習や律法の厳格な遵守、計りしれない強烈な優越感も大目に見られてきた。それではなぜ、ユダヤ人は勝ち目のない反抗を繰り返したのか。それは、神が彼らのために選んだ土地に外国人が一人でもいることを許さないからだ。

旧約聖書によれば、ユダヤ人がはじめてこの地にやってきたとき、出会った人間は男も女も、子どももすべて虐殺し、雄牛、山羊、羊は手当たり次第に殺し、すべての農場、畑、穀物、生き物を例外なしに焼き払えと神が命じた。

「あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民の属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない」
「あなたの神、主が命じられたように必ず滅びつくさねばならない」(「申命記」20章16‐17節)

聖書では、ユダヤ軍が「息のあるものをことごとく滅びつくした」あとでやっと、神は入植を許した。だがその聖なる土地はいまやローマの偶像崇拝者に占領され、大祭司は総督の雇い人となってその片棒をかついでいる。

「昔の英雄たちなら、そのような屈辱と堕落をどう受け止めるであろうか?」とアスランは問う。そのこたえは一つしかない。

――彼らならこの土地を血の海にするであろう。彼らなら、異教徒の頭を砕き、彼らの偶像を焼き払い、彼らの妻や子を虐殺するであろう。彼らなら、イスラエルの神に、天から戦車に乗って突如現われ、罪深い民族を踏みつけ、山々を神の怒りで身悶えさせてくれと頼むであろう。

大祭司はわずかな金と虚栄心のために神に選ばれた民をローマに売った裏切り者だ。そんな輩は抹殺してしまわなければならないのだ。

イエスは暴力革命家(ZEALOT)の一人

紀元30年、イエスは驢馬に乗り「ああ救いたまえ!(ホサナ)」と叫ぶ群衆を従えてエルサレムに入場した。その翌日、弟子とともに「異邦人の庭」と呼ばれる教会の神殿に入ったイエスは、両替商のテーブルをひっくり返し、食べ物や土産物を売る露天商を追い払い、生贄に用意されていた羊を放し、鳥かごを開けて鳩を逃がした。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの正典福音書すべてに書かれているこの名高い事件は、イエスが暴力革命をも辞さないZEALOTであったことのなによりの証だとアスランはいう。

だが新約聖書からはイエスのこうした暴力性はきれいに消えてしまう。その代わりに「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」の言葉に象徴されるように、イエスはローマ帝国の地上の権力を容認したことになった。だがこの解釈は、イエス本来の意図とはまったくちがう。

エルサレム当局から「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているか」と問われたイエスは、皇帝の名前と肖像が彫り込まれたディナリオン硬貨を指差して、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」といった。なぜなら、皇帝の偶像が彫られた硬貨は神とはなんの関係もないからだ。だとすればその硬貨は、皇帝のものとするほかはない。

それに対して、ユダヤの土地は神のものである(「土地はわたしのものである」〈「レビ記」25章23節〉。ローマ皇帝はその土地となんの関係もないのだから、ローマ人はユダヤから立ち去らなくてはならない。「神のものは神に返しなさい」との言葉は征服者であるローマにとって許すことのできないZEALOTの論理で、イエスが磔刑に処せられたのは当然だった――アスランはこのようにいう。

それではなぜ、イエスの死後、異なる解釈が流布されるようになるのか。それは、サウルという一人の野心家が現われたからだ。

「キリスト」を創作したパウロ

熱心なユダヤ教徒(ファリサイ派)であったサウルはある日、目が眩むような光とともに「わたしはイエスだ」との声を聞き、視力を失ってしまう。だがアナニアというイエスの信奉者が彼の上に手を置くとたちまちサウルの視力は回復した。この奇跡によってサウルは回心し、名をパウロと変えてイエスの教えを伝えはじめた。

だがパウロの宣教は、イエスの弟ヤコブに率いられたエルサレムのイエス教団とはまったく異なっていた。

この頃、イエスの教えはエルサレムのユダヤ人と、ローマ帝国各地に離散したユダヤ人(ディアスポラ)のあいだで広まっていた。前者は正統派、後者は分派で、そこに対立や軋轢があたったとしても、あくまでも「ユダヤ人の王」を奉じるユダヤ人の宗教だった。ところがパウロは、ユダヤ人ではなく異邦人たちにイエスの教えを説いたのだ。

パウロはなぜ、異邦人を相手にしたのか。

このときはまだ十二使徒が存命しており、エルサレムにはイエスの弟「義人ヤコブ」がいた。ユダヤ人への宣教では、パウロはイエス教団の末端の一人にしかなれなかった。だが宣教の相手を異邦人にすれば、パウロは(異邦人に布教した)イエスの「最初の使徒」になれるのだ。

こうしてパウロは、イエスの教えを異邦人にも受け入れられるよう大胆に改変していく。とりわけ「モーセの律法」を「石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務め」(「コリントの信徒への手紙Ⅱ」3章7-8節)と否定したことはイエス教団の幹部たちを仰天させた。

パウロが宣教を始めて10年ほどたった紀元50年頃、その異端を見逃せなくなったヤコブはエルサレムにパウロを呼び出して厳しく糾弾した。だがパウロは自説を頑として譲らず、ヤコブは対抗上、パウロが信者を集めていた土地に自分の息のかかった伝道者を送り込みはじめた。パウロの最大の拠点であるローマでその任を任されたのが十二使徒の一人ペトロだ。

パウロはイエス教団の傍流であり、どれほど「信徒への手紙」を書いても、ヤコブやペトロなどの正統派の攻勢を跳ね返すことはできなかった。このまま時が過ぎれば、パウロの教えはイエス教団の異端のひとつとして歴史のなかに埋もれてしまったかもしれない。

しかしここで、予想もしないことが起きる。イエス教団の神殿への批判を疎ましく思った大祭司アナヌスによって、紀元62年にイエスの弟であるヤコブが処刑されてしまう。さらに紀元64年のローマ大火の首謀者として、皇帝ネロがローマの伝道の中心だったパウロとペトロを処刑してしまった。それに加えて紀元70年には、ユダヤ人の反乱への報復としてエルサレムが灰燼に帰してしまう。こうして「イエス」の関係者がすべていなくなってしまうと、ローマ帝国に残された信徒たちはイエスの教えのなかから都合のいいものだけを取り出して、布教のしやすい物語――すなわち「キリスト(救世主)の物語」を自由に創作できるようになったのだ。

イエスは「愛」を説き、すべての「悪」はユダヤ人に押しつけられた

紀元70年にエルサレムが壊滅すると、キリスト教の宣教運動は古代ギリシアの影響を受けた地中海沿岸のアレクサンドリア、コリント、エフェソ、ダマスカス、アンティオキア、ローマなどに移り、非ユダヤ人信奉者の数がユダヤ人信奉者を上回るようになった。諸福音書が書かれた1世紀の終わりごろには、宣教の主な対象はローマの知識エリートになっていた。

ZEALOTであるイエスはこのときすでに、「愛」を説き救済を約束するメシアへと変貌していた。だがこの教えをローマ人に布教する際には、そのメシアを殺したのがローマ人総督ピラトだという歴史的事実がどうしても問題になる。そこで福音書作者はこの事実を巧妙に書き換え、ピラトを免責しようとする。

紀元90年頃にダマスカスで書かれた「マタイによる福音書」では、ピラトはイエスの死にいかなる責任もないしるしとして、群集の前で手を洗い、ユダヤ人たちに対し、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と注げる(「マタイ」27章1-26節)。

マタイと同じ頃、アンティオキアで執筆していたルカは、ピラトに「あなたたちは、この男を民衆を惑わすものとしてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪は何も見つからなかった。(中略)この男は死刑にあたるようなことは何もしていない」(「ルカ」23章13-15節)と語らせている。

さらにヨハネは、血に飢えたユダヤ人の説得の失敗したピラトがやむなくイエスを十字架にかけるとき、イエスは「わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」と語ったとして、すべての責任をユダヤ人に押しつけてピラトの罪を許す(「ヨハネ」19章1-16節)。

こうした「創作」によって、「イエス=キリスト(メシア)の死に責任を負うのはユダヤ人であってローマ人ではない」という都合のいい筋立てができあがっていった。

こうしてキリスト教はローマ帝国の国教となり、カトリックや正教の教会は権力と繁栄を謳歌するが、その代わりすべての「悪」を担わされたユダヤ人は厳しい差別にさらされ、それはやがてナチスによるホロコーストへとつながっていくのだ。

ここで述べたことはアスランの独創ではなく、近年の聖書学の知見に基づいた“標準的な”歴史解釈のひとつだ。日本では新約聖書学者の田川健三氏が『イエスという男』(作品社)などで同様のテキスト批判を行なっているので、両者の見解を比較してみてもいいだろう。

禁・無断転載

ムラ社会を批判しながら、ムラ社会的連帯責任を正当化するひとたち 週刊プレイボーイ連載(585)

*12月11日発売号に掲載されたコラムです。適宜、新しい情報を加えました。

アメリカンフットボール部の部員3名が大麻など違法薬物の所持で逮捕されたことで、日本大学が廃部の方針を示しました。これに対して、複数のアメフト部員が廃部の撤回を念頭に、大学側と話し合う場を設けるよう要望書を提出したことも報じられました。

ここからわかるのは、大学側が当事者であるアメフト部の部員と話し合うことすらなく、一方的に廃部を決め、違法行為とは無関係の学生に連帯責任を負わせたことです(100人以上いるアメフト部員のうち寮生は20~30人)。

「これは氷山の一角で、まだまだ不祥事が出てくる」との意見もありますが、たとえそうであっても、徹底的な調査によって違法行為をした者に一定の処分を課せばいいことです。そもそも大麻は、欧米諸国では合法化が進み、もはや問題になることすらありません。そのことを脇に置いたとしても、教育機関としての大学の役割は、学生を罰することではなく、良識ある社会人になるよう更生させることでしょう。

アメフト部のガバナンスが崩壊しているのなら、部員たちが夢を目指して一丸となれる組織をつくるのが管理者の責任です。廃部以外に事態を収拾できないのなら、責任をとるべきは能力のない大学管理者でしょう。

こんなことは当たり前だと思うのですが、驚くべきは、「リベラル」を自称しているメディアが廃部の撤回を求めず、「被害者は学生」などといいながら、被害者を罰する連帯責任を「しかたない」と容認していることです。

ある新聞は、廃部は「臭い物にふた」だと批判しながらも、「「廃部しか世論の理解が得られない」(日大関係者)状況にした責任は重い」として、執行部に再発防止策を含む改善計画の実行を求めています。しかし、この「世論」はいつ、誰が、どのように決めたのでしょうか。

日大の学生やアメフト部OBなどが廃部を求める運動を起こし、多くの賛同者を得たというのなら「世論」といえるでしょうが、そんな事実はどこにもありません。それとも、日本社会はYahoo!ニュースのコメント欄に従うしかないと思っているでしょうか。

江戸時代の「五人組」制度を例にあげるまでもなく、もともと連帯責任は、無関係の者まで罰することで、同調圧力によってムラ社会を統治する仕組みでした。日本社会ではずっと必要悪とされてきましたが、近代社会は自由で自立した市民によって形成されるのですから、犯したわけでもない罪で罰せられることなどあっていいはずはありません。

*皮肉なことに、11月30日に日大が文科省に提出した「改善計画」では、日大のガバナンスが機能しなかったのは「ムラ社会」だったからとしています。

300万人にもおよぶ膨大な死者と、広島・長崎への原爆投下で悲惨な敗戦を迎えると、前近代的なムラ社会を脱すべく、自由と民主主義がさかんに称揚されました。それを主導したのが「戦後リベラル」ですが、80年ちかくもそんなことをやってきて、挙句のはてが「連帯責任はしょうがない」では、これまでの立派な主張はすべて方便だったのかといいたくなります。

1930年代の日本の新聞は、中国での軍部の暴走を批判しつつも、「今回はしかたない(このようなことが二度と起きないよう改善せよ)」と侵略を正当化してきました。これによって日本は抜き差しならない状況になり、アメリカと開戦すると、あとは「鬼畜米英」の翼賛報道一色になったのです。

残念なことに“リベラル”メディアは、もはやこんな歴史すら記者に教えていないようです。

*12月15日の理事会でアメフト部の廃部が正式に決定されたものの、「現役の部員については活動ができるよう受け皿を設ける」として、新たな部の創設を検討するそうです。

『週刊プレイボーイ』2023年12月11日発売号 禁・無断転載

 

命の〈価格〉をどのように決めるべきか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年7月15日公開の「命の〈価格〉はどのように決められるのか? 日常的につけられている人命の値札と公平性」です(一部改変)。

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新型コロナのような感染症が蔓延して患者が病院に押し寄せると、すべてのひとを治療できず、誰を優先し誰を後回しにするかのルールを決めなくてはならなくなる。日本ではこのトリアージを正面から議論することを嫌い、病院の恣意的な判断を行政やメディアが黙認する不健全な状態が続いているが、日本よりはるかにリベラルな北欧やオランダなど北のヨーロッパでは高齢者に対し、「コロナに感染してもあなたは入院治療を受けることはできない」と通告している。

アルツハイマー型認知症の新薬がアメリカで条件付き承認されたことが大きなニュースになったが、治療費用は年間600万円かかるという。超高齢社会に突入した日本では、今後、認知症患者は確実に増えていくが、この新薬を保険適用して、巨額の財政支出で(あるいは増税して)治療費用を国が負担すべきなのだろうか。

このように、資源の制約があるなかで生命や健康の議論は金銭問題に直結する。トリアージとは、費用対効果の高い患者(若者)への治療を優先し、費用対効果の低い患者(高齢者)を後回しにすることだ。医療のコストとリターンを考えればこれは理にかなっているが、受け入れるのに躊躇するひともいるだろう。

誰もが目をそらしているこの問題に正面から向き合ったのが、ハワード・スティーヴン・フリードマンの『命に〈価格〉はつけられるのか』(南沢篤花訳、慶応義塾出版会)だ。著者のフリードマンはコロンビア大学准教授で、応用物理学の学士号、統計学の修士号、生体医工学の博士号をもつデータサイエンティストで医療経済学者でもある。原題は“Ultimate Price; The Value We Place on Life(究極の価格 わたしたちが人生につける価値)。

「9.11同時多発テロ」犠牲者の値段

フリードマンは最初に、この本のテーマとして4つの重要なことを挙げている。

  1. 人命には日常的に値札がつけられていること
  2. こうした値札が私たちの命に予期せぬ重大な結果をもたらすこと
  3. こうした値札の多くは透明でも公平でもないこと
  4. 過小評価された命は保護されないまま、高く評価された命よりリスクに晒されやすくなるため、この公平性の欠如が問題であること

このことがよくわかるのが、2001年の9.11同時多発テロ後にアメリカではげしい議論となった補償問題だ。

テロ後、米議会は収入の落ち込む航空業界の支援に数十億ドルを支出すると同時に、テロの負傷者や犠牲者の遺族への補償を決議した。これは航空会社や空港、セキュリティ会社、あるいは世界貿易センターなど、訴訟の対象となりそうな組織への提訴の権利を放棄させるためだった(それ以前のテロでは、政府による犠牲者への補償は行なわれていない)。

この困難な仕事を任されたのが元連邦検事のケネス・ファインバーグで、「9.11テロ犠牲者補償基金」の特別管理者に任命され、「非経済的価値と依存度、経済的価値を組み合わせた公式」を考案した(ファインバーグの物語は マイケル・キートン主演『ワース 命の値段』として2020年に映画化された)。――以下の記述はわかりやすくするために、1ドル=100円で換算する。

犠牲者への支払い額は、「経済的価値」と「非経済的価値」の合計とされた。このうち「非経済的価値」は一律2500万円で、妻や子どもなど扶養家族がいる場合は、「依存度」として一律1人1000万円が上乗せされた。

大きな問題になったのは犠牲者の「経済的価値」で、予想生涯収入から税金などを差し引いた金額が基準とされた。犠牲者の年齢や引退までの予想勤務年数、それまでに予想される収入増の情報も考慮された。ただし、犠牲者には金融機関に勤務する者も多く、非常に高額な年収の犠牲者家族への莫大な支払いを避けるため、予想年収は2310万円が上限とされた。

このプロセスが完了する2004年6月までに97%の家族が総額7000億円の受け取りに同意し、平均で死者1人につき2億円となった。ただし、補償額の最低が2500万円だったのに対し、最高は7億円を超えており、「ある人の命は、別のある人の30倍近い価値が認められた」。

議論になったのは、女性犠牲者への支払いが平均で男性犠牲者への支払い額の63%にしかならなかったことだ。家庭で子どもの世話をしていたり、高齢者の介護をしていたりした女性は、働いていない分補償額が少なくなった。

また、高卒で比較するにせよ、大卒あるいは修士課程修了で比較するにせよ、黒人は白人より賃金が25~30%少ない。女性は男性より賃金が低く、これは経験年数、教育レベル、年間の勤務時間数、業界、職種、人種、未婚か既婚かを問わず変わらない。こうした人種差やジェンダーギャップが、そのまま補償額に反映された。年齢の影響も顕著で、60歳を超えた犠牲者の補償金は、60歳以下の犠牲者の半分にも満たなかった。

これらはどれも不公正と見なされ、基金には抗議が殺到した。2004年にはファインバーグ自身が、「もしまた同じようなことが起こったら、もしまたテロの犠牲者への補償金が米議会で検討されるようなことがあったら、対象となる受給者はすべて、どのような呼び方をされるにせよ、同額の給付金が非課税で支給されるべきだ、という強い主張が可能である。このような一律支給のアプローチのほうが、管理側にとっても容易なばかりでなく、支給対象者間の格差も最小限に抑えられ、消防士などの救助者の命の犠牲が、株のブローカーや銀行家の犠牲者の命の犠牲より軽く見積もられた、との抗議ができなくなるだろう」と書いた。

もっとも、実際にこのようにしたら、逆の抗議が殺到して収拾がつかなくなったかもしれないが。

「統計的生命価値」を算出する3つの方法

9.11同時多発テロの補償に使われた「命の〈価格〉」の計算方法は「統計的生命価値(VSL:Value of Statistical Life)」と呼ばれる。これには大きく「仮想評価法」「賃金ベース」「顕示選好法」がある。

「仮想評価法(選好意識調査)」は、「何かに対して金銭を支払う意思、あるいは何かと引き換えに金銭を受け取る意思の度合い」を基準にする手法で、具体的には、「1万人に1人が死ぬ事例Xを避けるために、あなたはいくらなら払う意思がありますか?」などと質問する。その回答が9万円だったとすると、1万人がその金額を払った場合、1人の命を救うための値段は9億円になる。

この手法の問題として、調査回答者が全人口を代表しているわけではなく、抽象的な質問は根拠のない憶測や希望的観測(思いつきのいい加減な回答)を生むことが多いとか、不都合なデータポイント(極端な外れ値)を切り捨てているなどがあるが、もっとも深刻なのは「支払うことと支払われることはまったくちがう」だろう。「1000万円もらえるなら一定のレベルのリスクを負ってもいい」ことは、「そのリスクを減らすために1000万円支払ってもいい」ことと同じではない。

2つ目の「賃金によるVSL決定法」では、よりリスクの高い職業に就いた場合、いくら余計に支払われるかを見る。この超過収入が、ひとびとがリスクを受け入れてもいいと考える「価格」だ。

だがこの手法は、どの仕事を引き受けるかに関して求職者に選択肢があることが前提になっている。「求職者は、どの仕事にどれだけ死の危険があるかを知っていて、各仕事によるリスクの増減を理解した上で、よりリスクの高い仕事にはより高額の賃金を要求できなければならない」のだが、現実にはこの条件が満たされることはまれだろう。

さらに問題なのは、個人によってリスク許容度がちがうことで、まったく同じ死亡率の職業でも、上位5%の35億7000万円から下位5%の1億8000万円まで命の〈価格〉に34億円ちかい開きが生じた。

3つ目の「顕示選好法」では、何人の人がリスクを減らすために支払う意思があるか(支払意思額)を基準にする。自転車のヘルメットを例にとると、防護効果の低い安価なヘルメットではなく、高くても防護効果の高いヘルメットを購入するひとがどれくらい増えているかを調べ、「リスク軽減率の増加に対する、より高価なヘルメットに対して支払われる金額の増分の比」が命の〈価格〉になる。

この手法の問題は、購入者ごとに可処分所得の額が異なることを考慮していないことだ。その結果、リスクを減らすための支払い意思を調べたはずが、富裕層は命の〈価格〉が高く、貧困層は安いことを示しただけになってしまった。

1995年、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)で、この「統計的生命価値(VSL)」を使って低所得国、中所得国、高所得国の命の〈価格〉を計算したところ、高所得国の国民には貧困国の国民の15倍もの値段がつけられた。これがはげしい非難を浴びたために、2001年には国際的に「1人あたり1億円」を命の価値として用いるようになった。

だがこれは、ゆたかな国の実態とかけ離れている。同じVSLを使った評価では、米環境保護庁(EPA)は70歳以下に3億7000万円、71歳以上に2億3000万円の〈価格〉をつけた。ところがこれも「高齢死亡割引」だと批判されたため、2010年は(年齢にかかわらず)1人当たり9億1000万円、2011年には8億3000万円と評価が変わった。命の〈価格〉はきわめて政治的に決められるのだ。

「今日死ぬ命」と「10年後に死ぬ命」に差をつけられるか

フリードマンは、命の〈価格〉としてもっとも広く使われている統計的生命価値(VSL)は、「ガーベッジ・イン、ガーベッジ・アウト(ゴミを入れたら、ゴミが出力される)」だという。だとしたら、もっとよい算出方法はないのだろうか。

「費用便益分析(cost-benefit analysis)」は、行政や企業など費用(コスト)を支払う側から見た命の〈価格〉だ。

一般的な費用便益分析では、費用(工場の増設)とそれが生み出す利益(増産・増益)を比較し、失敗のリスクを勘案したうえで、コストを投じる経済合理性があるかを判断する。行政の場合は、ある規制(排煙や水質汚染対策)を実施する社会的な費用と、そこから得られる利益(住民の健康や死亡率の低下)を比較する。

「住民が健康になるなら規制はきびしい方がいい」と思うかもしれないが、過剰規制によって工場が操業できなくなれば雇用が失われ地域経済が崩壊してしまうだろう。行政は命の〈価格〉を計算しつつ、どこまで規制するかを判断しなくてはならないのだ。

公害や温室効果ガスのような環境問題で費用便益分析を使うときに難しいのは、現在のコストと将来の利益(それによって救われる命)の比較方法だ。経済学では通常、こうした場合は一定の割引率で将来の利益を現在価値に換算する。

だがそうなると、規制を回避したい側は、利益が生じるのを遠い将来にしたり、割引率を高くすることで、将来価値(規制の必要性)を低く見積もることができる。この計算は事業の費用便益の比較には向いているかもしれないが、対象が「命」だときわめて不都合なことになる。

割引率を3%とすると、今日の約5000人の死は1世紀後の10万人の死と等価になる。今日の人の命は100年後の人の命よりおよそ20倍の価値があるのだ。地球温暖化問題が典型だが、災害が起こるのが十分に遠い未来だと、現在価値はゼロに近づき、悲劇を避けるために支払うコストもゼロになってしまう。こうして、短期で利益の出る規制は支持されやすく、遠い将来にしか利益の見込めない規制は支持されにくくなる。

「今日の1000ドルが10年後の1000ドルより価値があるのは明らかだが、今日の1000人の命は10年後の1000人の命より価値があるのだろうか?」とフリードマンは問う。そして、「すべての命を等価に扱うためには、命が今年救われるか、来年救われるか、あるいは10年後に救われるかに関係なく、割引率は0%を採用するのが妥当である」とする。

企業が安全対策などで費用便益分析を行なうこともある。これも抵抗があるかもしれないが、メーカーは生命を守るために際限なくコストをかけるわけにはいかない。

1960年代末、フォードはサブコンパクトカーのピントに安全上の問題が見つかったとき、悪名高い費用便益分析を行なった。「改良にかかる費用、発売遅れによる売上への影響、事故、負傷、死亡リスクの増大」などを見積もり、模擬裁判まで行なった結果、「避けられる死」の価格を1人20万ドルとし、欠陥があるまま販売することを選択したのだ。これはのちに大きな社会問題になり、最終的に、死亡者1人あたり「250万ドルの填補的損害賠償と350万ドルの懲罰的損害賠償」という莫大なコストを支払うことになった。

公的保険が適用される治療を選別する

超高齢社会で今後、高齢者の医療費の急激な負担増が不可避の日本では、どこまでを公的保険でカバーするかが議論の焦点になってくるだろう。このようなとき、欧米で使われているのが「質調整生存年数(QALY)」と「費用対障害調整生存年数(DALY)」で、いずれも健康の〈価格〉をつける方法だ。

ここではイギリスの公的保険制度(NHS)ですでに使われているQALYを見てみよう。

1QALYは完全に健康な状態で1年暮らすことで、死者は0QALYだ。死(0)と完全な健康(1)のあいだに、脚を骨折したり、呼吸器疾患やAIDSだったり、その他の健康面で大きな問題を抱えているひとたちがいる。

QALYは5つの効用尺度(EQ-5D)で評価される。「移動の程度」「痛み/不快感」「身の回りの管理(自分で洗面や着替えができること)」「不安/ふさぎ込み」「仕事や勉強、家事、余暇の活動など普段の活動ができる能力」だ。

どのように計算されるか、治療の比較例を見てみよう。

ある病気に対し、治療Aと治療Bの2つの選択肢がある。治療Aは年間治療費が100万円で、5年間の延命が期待できるから、「予想される追加費用総額」は500万円だ。それに対して治療Bは年間治療費が150万円、10年の延命が期待でき、「追加費用総額」は1500万円になる。

治療によってたんに延命できるだけでなく、生活の改善も期待できる。この改善度合いが「生存時間中の年間平均QALY増分」で、治療Aでは0.5QALY、治療Bでは0.3QALYだ。それが治療Aでは5年、治療Bでは10年継続するのだから、「期待されるQALY合計増分」は2.5QALY(0.5×5年)と3QALY(0.3×10年)になる。

ここから1QALYあたりの治療費用が計算できる。

治療Aでは2.5QALYの増加のために計500万円を支出するから、1QALY=200万円(500万円÷2.5)だ。それに対して治療Bでは、3QALYの増加のために計1500万円を支出するから、1QAYL=500万円(1500万円÷3)になる。

患者の生活の質を1QALY増やすためのコストは、治療Aが200万円、治療Bが500万円なのだから、治療Aの方が費用対効果が高い。そこで公的保険では治療Aのみを認め、治療Bは自費負担となるだろう。治療Bでは治療Aより5年延命できるが、そのためには患者は、差額の1000万円を支払わなければならないのだ。

このようにQALYを使うと、「増分費用対効果比(ICER)」によって、保険適用かそうでないかの判断ができる。イギリスではブレア政権のときに「国立医療技術評価機構(National Institute for Health and Care Excellence :NICE)が設立され、もっともQALYの高い治療を行なうためのガイドラインを提供している。

公的な医療資源に制約がある以上、いずれ日本でも同じような計算が必要になるだろう。抵抗は大きそうだが。

それ以外でもフリードマンは、刑事司法、生命保険、出産、男女産み分け、中絶、子育てなどさまざまな場面での命の〈価格〉を論じている。これらはいずれも社会にとって不可欠な計算だが、完ぺきとはほど遠い。

わたしたちは、「命はすべて尊い、だが価格がつけられないわけではない。命には常に価格がつけられている。多くの場合、価格は不公平である」という現実をまずは受け入れる必要がある。そのうえで、「人の命に価格がつけられるときは、公平につけられ、必ず人権と人命が守られるようにしなければならない」のだ。

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