スイスのプライベートバンクを告発して億万長者になった男

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2017年8月3日公開の「アメリカで富裕層の脱税ほう助を行なっていた スイス・プライベートバンカーの告白」です(一部改変)。

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ブラッドレー・C・バーケンフェルドの『堕天使バンカー スイス銀行の黒い真実』(長尾慎太郎監修、藤原玄訳、パンローリング)は、UBSの元プライベートバンカ-である著者が、スイスのプライベートバンクがアメリカ国内で組織的な脱税幇助を行なっていた事実を米司法省・議会に証言するまでの回想録だ。原題の『Lucifer’s Banker(ルシファーのバンカー)』は、「悪魔(スイスのプライベートバンク)に仕えた銀行員」という含意だろう。

国際金融界に激震を走らせたこの事件についてはすでに報じられているが、今回、当時者の告白が邦訳されたことで、あらためて事件の経緯を整理してみたい。

ボストンの金融界を追われてスイスへ

1965年2月26日、ボストン郊外の裕福な神経外科医の父と元ファッションモデルの母のもとに、3人兄弟の末弟として生まれたバーケンフェルドは、高校卒業後、空軍の戦闘機パイロットになることを夢見て全米最古の私立軍学校ノーリッジ大学に入学するが、F16のコクピットには背が高すぎる(身長190センチ以上ある)といわれ、インターンとして働いたボストンのステートストリート・バンクに就職する。

そこで年金基金など機関投資家のための為替取引を行なっていたバーケンフェルドは、上層部とトラブルを起こして解雇の憂き目にあう。それまで海外取引の為替レートはどの顧客にも平等なように1日の平均を採用していたが、新しい上司は懇意の顧客によいレートを使い、それ以外の顧客に悪いレートを押しつけるよう命じたのだ。

これを許されざる裏切りと考えたバーケンフェルドは、弁護士を雇い、銀行の不正を示すあらゆる書類を集め、取締役会長に送りつけるとともに、株主総会で違法行為の責任を問うた。さらに、ステートストリートの女性従業員に対するセクハラ事件が起こると、その責任者(バーケンフェルドを解雇した上司でもあった)に対する裁判所の召喚状を500部印刷し、2人のピエロを雇い、ウォール街の本社前で配ってまわった。

この行為によってボストンの金融業界で出入禁止の扱いを受けることになったバーケンフェルドは、別天地を目指すことを決める。29歳の彼が目指したのは、スイスだ。

1995年にジュネーブのクレディ・スイスのプライベートバンク部門に職を得たバーケンフェルドが不思議に思ったのは、誰も英語圏の顧客に会いにいかないことだった。当時のクレディ・スイスは保守的な銀行で、自ら海外の顧客を訪問するようなことをしていなかったのだ。そこでバーケンフェルドは、トロント、ボストン、(バミューダ諸島の)ハミルトンを上司とともに豪華旅行し、顧客の紹介で新たな大金持ちを獲得するビジネスモデルを開拓した。

その上司がジュネーブのバークレイズ銀行に転職する際にいっしょに引き抜かれたバーケンフェルドは、すべてのアメリカ人とカナダ人の顧客を担当することになる。彼のビジネスは、5つ星ホテルに泊まり、リムジンを乗り回し、マンハッタンの高級レストランで食事したあと、葉巻とコニャックを楽しみながら、新たに知り合った大金持ちに名刺をさっと渡しこう囁くことだった。

「ご存知でしょうが、ミスター・エックス。ジュネーブは1年中快適です。あなたのようなお立場の方は、責任と事業のプレッシャーも多いでしょうから、ちょっと休暇をお取りになって、お楽しみになられるのがよろしいかと思います。壮大な山々に、グルメレストラン、贅沢なお買い物。時にすぎることもあるくらいですね。それから、女性ですが、まあ素晴らしいですね。スイス人の固さというのは表向きにすぎないというのを知って実際に驚きましたよ。ちょうど日本人のようですね。セックス産業はブームを迎えていますが、完全に合法なんです。もちろん、お取り組みになれとは申しませんが、興味深い文化の違いですね」

これで顧客たちは、現金や宝石、美術品を抱えて競ってジュネーブを訪れ、シャンパンとスイスチョコレート、それにクラブ勤めのセクシーなロシア女性を楽しんだあと、銀行の口座や貸金庫に多額の資産を預けるのだという。

そんなある日、バークレイズ銀行バハマ支店からバーケンフェルドに電話がかかってくる。米国の規制のためアメリカ人口座をすべて閉じることになったので、大口の顧客をジュネーブで預かってくれないかというのだ。その顧客の預かり資産は2億ドルというとてつもない額だった。

ちょうどそのとき、プライベートバンク最大手のUBSからヘッドハンティングされていたバーケンフェルドは、この顧客を手土産に、18%の業績連動ボーナスという破格の条件で移籍することを決めたのだ。

税金を払わないビリオネア

バークレイズのバハマ支店に2億ドルを預けていたのは、イゴール・オレニコフというロシア系アメリカ人だった。UBSの脱税幇助事件を報じたニューヨークタイムズなどによれば、オレニコフは共産主義のソビエトを逃れてイランに移住した旧ロシア皇族の末裔を自称し、15歳の時に4個のスーツケースと800ドルの現金を持って一家でアメリカに渡った。カリフォルニアの大学を卒業した後、不動産業で財をなし、資産17億ドルのビリオネアとなったという。

アメリカンドリームを体現するオレニコフは、IRS(米国国税庁)との長い確執をつづけていた。彼は1990年にバハマに投資銀行を設立し、不動産会社の所有権を移転してほとんど納税していなかった(その豪勢な生活にもかかわらず彼の年収はわずか1万5000ドルだった)。オレニコフの主張によれば、彼はロシアコネクションの一部で、バハマの銀行は当時のロシア大統領エリツィンのオフショア投資会社だった。

オレニコフの資金をスイスに移すにあたっての問題は、適格仲介人(QI)契約への署名を拒んでいることだった。QIは外国銀行とIRSとの契約で、顧客情報をIRSに提供するか、もしくはアメリカ株を取得しないことを約するもので、W-9という税務申告書類に署名したうえで後者を選択すれば顧客情報をIRSに知らせる必要はない。通常はこれでなんの問題もないのだが、W-9への署名を拒否されるとスイスの銀行は顧客の資金を預かることができなくなってしまうのだ。

そこでバーケンフェルドは、リヒテンシュタインに架空の信託や法人を設立し、その名義でUBSに口座を開設するスキームを提案した。こうして2001年11月、オレニコフはUBSに巨額の資金を送金し、バーケンフェルドは一躍「UBSのロックスター」になった。

UBSの当時の上司は、プライベートバンクのビジネスを次のように説明した。

大金持ちの顧客が(たとえば)10億円をナンバーアカウント(名義人が表示されない数字だけの秘密口座)に預けたとする。その資金には利息が発生せず、顧客は3%のカストディ・フィー(預かり手数料)を負担することになるが、税金を逃れられることを思えば顧客はこの程度のコストは気にしない。しかしUBSは、こんな儲けでは満足しないのだ。

そこでどうするかというと、5%の定期預金を顧客に案内する。非課税の資金が5000万円の非課税の利益を生むのだから、顧客はよろこんでこの提案に応じるだろう。ところがおうおうにして、別の投資案件などでその資金が必要になることがある。

顧客が不動産を買いたいと思っても、資金は定期預金に凍結されてしまっていて自由に動かすことができない。そのときUBSは顧客に、定期預金を担保にして90%(9億円)まで「リーズナブルな金利」で融資することを申し出るのだ。自分のお金を金利を払って借りるというバカらしい話だが、顧客たちは逆に感謝するのだという。

だが顧客においしい取引をもちかけるには、UBSのプライベートバンカーは彼らを訪問しなければならない。「セキュリティ・アンド・コンプライアンス」部門は、アメリカに出張する担当者に対して、顧客の名前と電話番号はけっして携帯電話に残さず頭のなかに入れ、取引に関するデータをどうしても持っていかなければならない場合は、銀行が支給する暗号のかかったノートパソコンを使うよう指示していた。

そのミーティングでは、ハンスという担当者と次のようなやりとりがあった。

「では、みなさん。もし(アメリカの)税関で止められて、質問されたらどうしますか。えぇ、シナリオとしては3つです。まず、職員は商用でアメリカに来たのか、旅行で来たのか質問します。どう答えますか」

仲間の一人が手をあげた。「ビジネスと答えます。ウソはいけません」

ハンスはテーブルを叩き、「間違いです。あなたはいついかなるときでも観光で旅行しているのです」と言う……。

その当時からUBS上層部は、自分たちのビジネスがアメリカの法律に違反していることを知っていたのだ。

告発の理由

UBSはアメリカの富裕層顧客を獲得するために、米国内で美術展などの文化イベントやヨットレースなどの冠スポンサーになり、豪華なパーティーを頻繁に開いた。そこに招待される大金持ちの目的はスイスのプライベートバンカーと知り合うことだ。もちろんそこで、お金のからむ野暮な話はしない。さりげなく名刺を交換し、後日、ジュネーブで「資産運用」についてじっくり話し合うのだ。

UBSのプライベートバンカーとして「スポーツカー、モデル、ヨット、こりゃすごい」の生活を謳歌していたバーケンフェルドの人生に暗い影が差しはじめるのは2005年になってからだ。『堕天使バンカー』によれば、4月に同僚の一人がUBSのイントラネットで3ページの書類を見つけた。

その書類は「クロスボーダー・ビジネス・バンキング」というタイトルで、米州デスクのプライベートバンカーに対して、「PWM(プライベート・ウェルスマネージャー)はアメリカ人の顧客開拓のためにアメリカ大陸に渡ってはならない」「PWMはアメリカの税法の埒外にある商品を提案してはならない」「PWMは新規資金を獲得するためのマーケティングをするにあたり、顧客を勧誘するための策を弄してはならない」などと書かれていた。しかしそこで禁止されているのは、UBSの幹部たちが部下に強く命じていたことばかりだった。

それを読んだバーケンフェルドは、UBSのプライベートバンカーがアメリカで違法性を問われたとき、銀行は自分たちを「犯罪者」として見捨て、部下が勝手にやったことだと弁解するために内部文書に紛れ込ませたのではないかと疑うようになる。上司に問いただしてもなんの回答もないことから、彼はUBSを退職し、プライベートバンクの不正を世界に知らせるホイッスルブロアー(内部告発者)になる決意を固めるのだ……。

しかし日本語版監修者が「まえがき」で触れているように、この説明は素直には納得しがたい。それまで強欲な金持ちの上前をはねて豪奢な生活を楽しんでいたのに、一瞬にして「正義のひと」に変わってしまうからだ。

この事件について報じたニューヨークタイムズ紙や米上院調査委員会の報告書(『Tax Haven Banks and U.S. Tax Compliance』)をあわせて考えると、告発までの経緯はおそらく次のようになる。

バーケンフェルドがUBSの「秘密書類」に気づいたのとほぼ同じ2005年5月に、オレニコフが脱税で逮捕された。税務・司法当局の目的は、オレニコフを懲役と米国市民権剥奪の瀬戸際に追い詰め、巧緻に仕組まれた租税回避スキームの全容を解明することだった。

オレニコフはリヒテンシュタインを経由してUBSに2億ドルの資産を隠匿していたが、このスキームを手がけたのはバーケンフェルドだった。オレニコフの逮捕を知った彼は、当然、大富豪が司法取引で自分の名前を明かすにちがいないと考えただろう。そうなれば社内で責任を問われることは避けられないから、ともかくUBSを退社しなければならない。

ところがここで、UBSとバーケンフェルドのあいだに、60万スイスフラン(当時の為替レートで約5000万円)のボーナスをめぐってトラブルが起きる。バーケンフェルドは弁護士を雇ってこのボーナスを払わせるのだが、UBSがこの無理な要求を受け入れたのは「口止め料」の意味もあったのだろう。

だがバーケンフェルドは、ボーナスを受け取るとすぐにアメリカに飛んで、ホイッスルブロアーとしてUBSの不正を司法省に告発するのだ。

二転三転

『堕天使バンカー』によると、バーケンフェルドがはじめて司法省税務課を訪ねたとき、上席検事たちの対応はきわめて異様なものだった。彼らは最初からバーケンフェルドにきわめて敵対的な態度をとり、上席検事の隣に座っていた女性などは、挨拶の言葉を交わす前に彼を指さし、「あんたはホイッスルブロアーなんかじゃない、ただの情報屋だ」と金切り声をあげたのだという。

バーケンフェルドによれば、そのときまで司法省はスイスのプライベートバンクの悪事についてなんの情報ももっていなかった。しかしそうなると検事たちは、スイスの金融機関の重要な秘密を提供すると申し出ている人物を、最初から拒絶したことになる。これは常識では考えられない行動なので、バーケンフェルドはさまざまな陰謀(政治家や司法省上層部にはUBSとの関係を知られたくない者がいる)を挙げていくのだが、先に脱税で逮捕されたオレニコフがバーケンフェルドの名前を告げていたと考えればすべてのつじつまはあう。

そもそも『堕天使バンカー』には、なぜバーケンフェルドが内部告発先をIRSではなく司法省にしたのかの納得できる説明がない(弁護士の主張に乗せられたことになっている)。しかし彼には、司法省に行かなければならない理由があった。オレニコフの情報にもとづいてバーケンフェルドへの刑事訴追の準備が進んでいるのなら、それに対する免責を提供できるのは検事だけだからだ。

しかしこれは、司法省でこの事件を担当していた者たちにとっては、破廉恥きわまりない提案だった。これまでさんざんアメリカの法を犯してきた人間が、正義の「ホイッスルブロアー」となって現われ、「すべての罪を免除するなら情報を教えてやる」というのだから。もしこんな場面に立ち会えば、金切り声で相手を罵りたくもなるだろう。

その後のバーケンフェルドの行動も、このような視点で見ればきわめて理にかなっている。

司法省から免責を拒否された彼は、タックスヘイヴン批判の急先鋒だった民主党の上院議員カール・レビン(常設調査委員会議長)に情報を持ち込む。政治のちからによって、司法当局に圧力をかけようとしたのだ。

2008年5月7日、米司法当局はUBSアメリカ部門トップ、マーティン・リヒティをマイアミ空港で事情聴取のため拘束したと発表した(リヒティはマイアミ経由でバハマに向かおうとしており、アメリカに入国するわけではないから問題ないと考えていた)。このときバーケンフェルドはジュネーブにいたが、UBS幹部の逮捕を知るとただちにアメリカに帰国し、ボストンのローガン空港で逮捕される。

『堕天使バンカー』にはっきり書かれているわけではないが、バーケンフェルドは自分に逮捕状が出ていることと、前科がない以上、仮に逮捕されても収監されないことを知ったうえでアメリカに帰国したのだろう。なぜわざわざそんな危険な道を選んだかというと、UBSの悪事について上院で証言するよう求められていたからだ。

しかし事態はバーケンフェルドの思うようには進まない。上院調査委員会のスタッフは、公聴会への出席の話はなくなったと連絡してきた。その理由は、司法省がバーケンフェルドの証言を望まなかったからだ。

ここでふたたび司法省の“陰謀”についての記述がつづくが、これはバーケンフェルドを脱税幇助で起訴した検事たちが、裁判の前に被疑者が“政治的な英雄”に祀り上げられることを嫌ったからだろう。司法省は最初から最後まで、バーケンフェルドを「犯罪者」として扱ってきたのだ。

83億円の報酬

その後の事態の展開は、すでに広く報じられているとおりだ。

米司法当局はバーケンフェルドの証言に基づき、UBSにはおよそ2万件の米国人口座があり、総額200億ドルの資産から毎年3億ドルが脱税されているとして、銀行側に対し米国人顧客の情報を提供するよう求めた。

さらに2008年11月12日、UBSのプライベートバンキング部門を統括していた最高幹部ラウル・ワイルが脱税の共謀犯として起訴される。ワイルはすでにスイスに帰国しており、裁判所の出頭命令に応じなかったため、翌年1月に逃亡犯として国際指名手配された(2015年にワイルはイタリアで逮捕され、フロリダの連邦裁判所で裁判にかけられたが罪を免れた)。

2009年2月18日、UBSは米司法当局との司法取引に応じ、IRSに対する詐取・横領の共謀を認め、総額7億8000万ドルを支払うとともに、スイスの法令に則って顧客情報を開示すると発表した。だが翌19日、IRSはUBSに対し5万2000件の顧客情報を提供するよう新たな裁判を起こした。それまで米国人関連口座は約2万件とされてきたが、その数は2倍以上に膨らみ疑惑はさらに拡大した(UBSはその後、適正に納税されていない米国人口座が約4万7000件にのぼることを正式に認めた)。

連邦裁判所が顧客情報の提出を命じ、UBSがそれに応じない場合、司法取引は取り消され、UBSおよび経営幹部が刑事告発される可能性が高い。こうして事件は米国とスイスの外交問題に発展し、国務省やホワイトハウスを巻き込んだ紆余曲折の神経戦を経て、8月12日、UBSが4400件あまりの顧客情報を追加提出することでこの問題はようやく和解に至ったのだ――。

ところで米国とスイスとのあいだの「政治決着」について、バーケンフェルドはオバマ政権で国務長官だったヒラリー・クリントンの関与を主張している。それによると、オバマ政権はUBSスキャンダルを大目に見ることとひきかえに、イランの最高指導者との仲介役にスイスを使うことにした。

ヒラリーとスイスの外務大臣カルミ・レイとの会談の数カ月後、イランで人質にとられていたアメリカ人が解放された。またUBSは、2008年までクリントン財団に6万ドルほど寄附しただけだったが、会談後はそれが60万ドルに増え、いくつかの都心部開発計画で財団と提携するとして320万ドルを融資した。また国際問題について、ビル・クリントンとUBSのCEOが対談する謝礼として152万ドルを支払っている。

2009年8月、バーケンフェルドは脱税幇助の罪で40カ月(3年4カ月)の収監と、釈放後の3年間の執行猶予(監視)の刑が科せられた。しかしそのとき、彼は途方もない幸運を手にしていた。2006年半ばに、IRSがホイッスルブロアーに対する報償制度を創設したのだ。

新たに施行された法律によれば、内部告発者にはその情報によって米国民が得た利益の15~30%の報償が与えられる。バーケンフェルドの場合は、算出の基準となるのはUBSが支払った7億8000万ドルの罰金のうち、SEC(証券取引委員会)の取り分である2億ドルを除いた約5億8000万ドルだ。

2012年8月、品行方正により刑期を31カ月(2年半)に短縮されたバーケンフェルドは刑務所を出てニューハンプシャーに向かった。3年間の執行猶予を過ごすのに北東部のこの州を選んだのは、「われに自由を、さもなくば死を」をモットーとするこの地に(州)所得税がないからだった。

9月初旬、バーケンフェルドに1億4000万ドル(約150億円)という莫大な報償が支払われた――実際に受領したのは、連邦所得税を控除したあとの約7600万ドル(約83億円)。こうして、アメリカの納税者の「正義」のためにたたかい、国家に裏切られて投獄され、最後は億万長者として報われた「ヒーロー」の物語は完結するのだ。

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イギリスは謎の組織シティに支配されているのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年10月24日公開の「金融立国イギリスの中心地・シティが ウォール街に対抗できる理由」です(一部改変)。

関連記事:グローバルな金融システムを批判する「左派(レフト)」の論理とは?

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日本経済の課題は、世界最強を誇った製造業が新興国から激しく追い上げられ、競争力を失ってしまったことだ。そこで製造業に代わる牽引役として、「金融立国」を目指すべきだというひともいる。

そのとき必ず例に挙げられるのがイギリスで、サッチャー政権の新自由主義的な改革によって長期停滞を克服し、金融業を中心にグローバル化に成功したとされる。だが私はずっと、こうした提言には懐疑的だった。日本とイギリスではあまりにも条件が違いすぎるからだ。

国際金融の世界では「世界最大のタックスヘイヴンはアメリカとイギリス」というのが常識になっている。イギリスはジャージー島、ガーンジー島、マン島の王室属領、ケイマンやジブラルタルなどの海外領土、シンガポール、キプロス、バヌアツのようなイギリス連邦加盟国、香港などの旧植民地がタックスヘイヴンの重層的なグローバルネットワークを形成している。その中心に位置するのがシティと呼ばれるロンドンの金融街だ。

謎に包まれた組織

シティはウォール街としばしば比較されるが、その実態はまったく異なる。

ウォール街は、金融機関が集積するニューヨーク市の一区画に過ぎない。それに対してシティは、ロンドン市(グレーターロンドン)の行政の一部であるとともに、中世からの長い歴史のなかで数々の特権を認められた“自治都市”でもある。

シティという不思議な場所についてはこれまでほとんど調査・報道されることがなかったが、イギリスのジャーナリスト、ニコラス・シャクソンの『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』(藤井清美 訳、朝日新聞出版)によってはじめてその概要を知ることができた。

シティの正式名称は、「シティ・オブ・ロンドン・コーポレーション」という。コーポレーションとは、刺繍業組合や皮革加工業組合など1000年も前から存在している123もの同業組合(ギルド)の「共同体」ということだ。

地理的には、シティはテムズ川左岸のウォータールー橋とロンドン橋を東西の両端とする1.22平方マイル(約2キロ平方メートル)の地区で、別名スクエアマイルとも呼ばれる。ロンドンにはシティグループやHSBCなどの高層ビルが建ち並ぶ再開発地区カナリーウォーフやヘッジファンドの集まるメイフェアもあり、これら新興の金融街と合わせて広義のシティ(ロンドンの金融ビジネス)といわれることもある。

2008年のデータだが、シティは国際的な株式取引の半分、店頭デリバティブ取引の45%ちかく、ユーロ債取引の70%、国際通貨取引の35%、国際的な新規株式公開の55%を占めた。猫の額のような小さな街が、グローバル金融のハブとして圧倒的な強さを誇っているのだ。

シャンクソンは『タックスヘイブンの闇』で、シティの競争力の源泉を3つ挙げている。アジアとアメリカの中間にあるという地理的優位性、金融ビジネスの標準語である英語を母語とすること、そして、シティにつらなるタックスヘイヴン群のグローバルネットワークだ。

2008年4月には、旧ソ連邦を構成するCIS(独立国家共同体)から100社もの企業がロンドン証券取引所に上場した。これはシティの上場基準が、アメリカ(ウォール街)でADRを上場させるよりはるかに緩いからだ。

ロンドンには約30万人のロシア人が住んでおり、「ロンドングラード」とも呼ばれる。そのなかにはサッカー・プレミアリーグのチェルシーを買収した石油王ロマン・アブラモヴィッチのような大富豪もいて、彼らはイギリス特有の「非定住者(Non UK Domiciled)」となって海外所得に課税されない特権を享受している。

財政破綻の危機に陥ったキプロスもイギリスの元植民地で、ロシアからマフィアの裏資金を含む大量のマネーを受け入れてきた。こうした資金もさまざまなルートを通じてシティに流れ込み、ロシアの副検事総長は「(シティは)犯罪によって得た資金を洗浄する巨大な洗濯屋」と述べた。

シティはそれ自体がタックスヘイヴン(オフショア金融センター)として、多国籍企業や富裕層、反社会的組織に対して、租税回避や守秘性など自国では手に入らないさまざまな便宜を図っているのだ。

国家のなかのもうひとつの国家

シティがいつ成立したのかは定かではないが、1189年にリチャード1世が即位したときにはすでに自治都市として国王と交渉した記録が残っている。

当時はすべての権利の源泉が国王にあり、都市は国王から下されるチャーター(許可状)によって設立されたが、シティにはこのチャーターが存在しない。これが、シティが国家(国王)と対等の政治的権利を有しているとされる根拠だ。

シティの自治を象徴する逸話には枚挙のいとまがない。

シティに入るときは、国王ですら武器を置かねばならなかった。エリザベス女王が在位50周年記念式典でシティを訪れたときは、町の境界でロード・メイヤー(シティの市長)の出迎えを待った。国王との取り決めで、許可なくシティに立ち入ることが許されていないからだ。「シティから会談の申し入れがあったら、首相は10日以内に応じなければならないし、女王は1週間以内に応じなければならない」とする規則がいまも残っている。

こうした数々の特権は、シティが英国王室の財政を支援する代償として手に入れ、コモンロー(慣習法)として認められてきたものだ。シティでは毎年11月に市長の就任を祝う盛大な「ロード・メイヤーズ・ショー」が行なわれるが、12世紀の行事を再現したこのパレードはたんなるお祭りではなく、シティがその特権を誇示し、自治権を広く知らしめるイベントでもある。

もちろんシティは、行政区域としてはロンドンの一部なので、イギリス政府やロンドン市が定めたさまざまな規則に従わなければならない。だがこれには例外があって、金融に関する自治権はアンタッチャブルなものとされている。シティは「ロンドン市のなかのもうひとつの都市」であり、「国家のなかのもうひとつの国家」なのだ。

世界最古の自治都市

シティは、「世界最古の民主的な自治都市」とも呼ばれる。

シティには、ロンドン市長(メイヤー・オブ・ロンドン)とは別に、ロード・オブ・メイヤーという市長がいる。それ以外にもロード・メイヤーの補佐役であるシェリフと、長老参事会員のアルダーマンがおり、さらにはコート・オブ・コモン・カウンシルなる市民議会まである。

シティの長老参事会はイギリスの貴族院(上院)、コート・オブ・コモン・カウンシル(市民議会)は庶民院(下院)と同じだ。これは偶然ではなく、イギリスの政治制度全体がシティを模してつくられている。イギリス首相は下院によって選ばれるが、これは市民議会がロード・オブ・メイヤーを選出する制度に倣ったものだ。

イギリスの中央銀行であるバンク・オブ・イングランドはもともとはシティの豪商たちが1694年に設立した民間銀行で、ようやく国有化されたのは1964年のことだった。それでも「中央銀行の独立」は不文律として残り、法律上はイギリス政府は中央銀行に指示を出すことができるが、この権限はこれまでいちども行使されたことがない。

シティは王室債権徴収官なる「世界最古のロビイスト」も擁している。王室債権徴収官はシティが英国王室に保有する債権の管理人で、現在でも議員以外でただ一人下院の議場に入ることができ、議長の後ろに座っている。その役割は、「シティが享受している権利や特権を妨げるあらゆる法案に反対すること」だ。

ヴァチカンをも上回る資産

各国の元首がイギリスを訪れたとき、もっとも華やかな晩餐会が行なわれるのはバッキンガム宮殿ではなく、マンションハウスと呼ばれるロード・メイヤーの公邸だ。王室の予算では200人を集めた晩餐会を開くのがやっとだが、ロード・メーヤーは700人のゲストを招くことができる。

シティの権力の源泉は、このとてつもない財力にある。シティは、3つのファンドを保有している。

シティ・ブリッジ・トラストは、年間1500万ポンド前後の慈善寄付を行なっている。シティ・ファンドは賃貸所得や利子所得に中央政府からの資金を加えたもので、行政機関としての日常的な運営費を賄っている。

もうひとつがシティ・キャッシュで、これは「過去800年間に積み上げられた私的基金」というだけで、その実態は謎に包まれている。シティの特権によって、情報公開の対象外になっているのだ。

『タックスヘイブンの闇』でシャンクソンは、シティ・キャッシュはロンドンだけでなく香港やシドニーなど世界各地に不動産を保有しており、その資産はヴァチカンをも上回る可能性があると述べている。その莫大な富によって、壮麗な晩餐会や権力誇示のパレード、独自の外交が可能になるのだ。

シティは、グローバル資本主義と中世のコミューンの奇妙な合体だ。シャンクソンはこれを、鷲と獅子が合体した伝説の動物グリフォンにたとえている。

現在のシティは、居住者が9000人しかいないのに対して、昼間人口が35万人強という歪な構造になっている。そこでシティは市民議会の選挙において、居住者の1人1票に加えて企業にも投票権を認めている。この投票権は従業員数に応じて決まり、3万2000票あまりと居住者(本来の市民)よりもはるかに大きな政治的影響力を持っている。

そのうえこの選挙では、従業員が自らの意思で投票するのではなく、企業が一括して票を入れる。シティの企業の大半は金融業だから、これによって金融ビジネスに最適な制度や環境の維持が保証されているのだ。

製造業が凋落したイギリス経済は金融ビジネスによって支えられている。シティが「国家のなかの国家」だとしても、イギリス政府は「国益」としてそれを守らなければならない。シティの権限を剥奪して国家に従属させようとする政治的試みはこれまですべて失敗してきた。

イギリスは国内にシティというタックスヘイヴンを抱え込み、王室属領や海外領土、イギリス連邦、大英帝国の旧植民地など世界じゅうに広がるタックスヘイヴンのハブ(中心)となることで、グローバルな金融ビジネスを支配している。

戦後も「世界帝国」の遺産をそのまま引き継いだイギリスに対して、日本は敗戦によって海外の権益をすべて放棄し、4つの島に引きこもらざるを得なくなった。シティがウォール街と互角にたたかえるのは、オフショアのネットワークがあるからだ。日本語しか通じない国で、東京を中心としたグローバルな金融ネットワークなど望むべくもない以上、「金融立国」はしょせん絵に描いたモチだったのだ。

禁・無断転載

キャンセルカルチャーの光と影 週刊プレイボーイ連載(572)

社会がぎすぎすして、自由に発言できなくなったと感じているひとは多いでしょう。これは日本だけでなく世界的な現象で、「ポリコレ(政治的正しさ)」に反する言動をした個人や企業・団体を一斉に批判し、社会的な地位を抹殺(キャンセル)する運動は「キャンセルカルチャー」と呼ばれています。

なぜこのようなことが目立つようになったのかは、大きく2つの理由が考えられます。

ひとつは、SNSによって「道徳エンタテインメント」が安価に提供されるようになったこと。近年の脳科学は、不道徳な者を罰すると脳の報酬系が活性化することを発見しました。これは長大な進化の過程で埋め込まれたプログラムで、法律も警察もない人類史の大半において、わたしたちの祖先はお互いに隣人を監視し、誰もが「道徳警察」になることによって共同体の秩序を守ってきたのです。

不道徳な相手に対して「正義」を振りかざすとき、ひとは怒りとともに大きな快感を得ることができます。芸能人の不倫、皇族の結婚から回転寿司店で醤油差しをなめる行為まで、毎日のようにネットやSNSが炎上しているのは、それが誰でも参加できる娯楽だからです。

もうひとつは、社会がリベラル化するにしたがってアイデンティティが多様化したこと。徹底的に社会化された動物であるヒトには、自我(わたし)を他者や集団と融合させるという驚くべき能力があります。これが「アイデンティティ融合」で、その対象がアイドルなら「推し活」と呼ばれ、国や宗教だとナショナリスト、原理主義者になります。

リベラルな社会の大原則は、本人の属性にかかわらずすべての市民が平等な人権をもつことですから、差別や偏見にさらされているマイノリティが、自分が属する集団にアイデンティティ融合し、権利のために闘うことには正当な理由があります。女性の参政権や黒人の公民権など、こうした運動によって社会は進歩してきたのですが、その一方で、個人が前面に出るにつれて共同体が解体し、アイデンティティは細分化されていきます(性的少数者の呼称が「LGBTQIA+」のようにどんどん長くなるのはその典型です)。

問題は、さまざまなアイデンティティが社会のなかで協調できる保証がないことです。欧米では黒人(有色人種)や移民に対して、白人労働者階級がトランプや「極右」政党を支持し、自分たちこそがリベラルの偽善に抑圧されているのだと主張しています。女性の権利拡大を目指す活動家(フェミニスト)と、自分たちこそが社会(性愛の自由市場)から排除されていると訴える男権活動家(MRA: Men’s Raights Activist)が衝突するのも同じ構図です。

アイデンティティの対立はどちらが正しいと客観的に決めることはできず、たちまち泥沼に陥ってしまいます。それに加えて、「ダイバーシティ(多様性)教育」の名の下にそれをビジネスにする者まで現われて、収拾がつかなくなっています。

新著『世界はなぜ地獄になるのか』では、こうした「社会正義」の光と影を描いています。このやっかいな状況を変えることはできなくても、「地雷」を踏まないようにするためには役に立つはずです。

『週刊プレイボーイ』2023年8月7日発売号 禁・無断転載