政界の裏金疑惑をリベラル化と「説明責任」から読み解く 週刊プレイボーイ連載(587)

政治資金パーティをめぐる裏金疑惑が拡大し、岸田政権はますます窮地に追い込まれています。実態はこれから検察によって解明されていくでしょうが、ここではこの事件を「説明責任」から読み解いてみましょう。なぜならこれが、今年の(というよりも、リベラル化する社会の)キーワードになるからです。

副大臣を辞職したある安倍派議員は、それがよほど悔しかったのか、記者団に「派閥から収支報告書に記載しなくてよいと指示があり、適法と推測せざるを得なかった」と語っています。

この正直な告白からわかるのは、ほとんどの政治家に違法行為の認識がなかったらしいことです。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」で、長年やってきているのだから、自分だけが批判されるいわれはないという理屈です。派閥の事務方も、違法行為を隠蔽するというより、たんに前例を踏襲していただけなのでしょう(その後、ある大臣経験者はこれを「文化のようなもの」と説明しました)。

ところが、いったんこのグレイな慣習が表沙汰になると、政治資金規正法に違反しているではないかとの批判に答えることができなくなってしまいます。その結果、派閥は議員に「しゃべるな」と箝口令を敷き、それによってますます心証が悪くなり、ついには関係する議員全員を政府や党の要職から更迭せざるを得なくなったのです。

「アカウント」は日本では金融機関などの口座や得意先・顧客の意味で使われますが、英語では“account”の第一義は「報告・説明」で、動詞では「説明する・責任をとる」になります。ここから「アカウンタビリティ(accountability)」は「説明責任」と訳されるようになりました。

リベラルな社会では、公人はもちろん私人であっても「アカウンタブル(accountable)」であることが求められるようになりました。「なぜそのようなことをしたのか?」と問われたら、その合理的な理由を説明できなければならないのです。

これを逆にいうと、説明できない行為は、ただそれだけで道徳や倫理に反すると見なされます。それが有名人であれば、たちまちSNSで炎上し、「キャンセル」の標的にされるでしょう。

ジャニー喜多川の性癖はみんな知っていましたが、「しょせん芸能界の話」と見て見ぬふりをしていました。宝塚の問題も同じで、学校でのいじめが大きな社会問題になっていても、「女の園がそうなるのは当たり前」で済まされてきました。ところがどちらも、いったん表沙汰になると、不適切な状況を放置してきた理由を説明できず、強い批判を浴びることになったのです。

日本社会は「近代のふりをした身分制社会」なので、政治や芸能の世界以外にも、アカウンタブルでない慣習がたくさん残っているでしょう。しかしそれらは、これからひとつずつ「説明責任」を問われることになるはずです。

グローバル世界と同じく日本も「リベラル化」の巨大な潮流のなかにあるので、ますます強まる「正論」の圧力から逃れる術はありません。だとしたら残された道は、「透明性」と「アカウンタビリティ」によって身を守ることしかなく、こうして日本も北欧など「リベラル」な社会と同じになっていくのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2024年1月8日発売号 禁・無断転載

友だちレンタルやAIロボットで癒しと性愛は得られるか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2022年1月27日公開の「世界的なリベラル化が「孤独」を増殖し、 20年後にはロボットに癒しや性愛を求めるようになる」です(一部改変)。

******************************************************************************************

2018年1月、イギリスのテリーザ・メイ首相(当時)は「孤独は現代の公衆衛生上、もっとも大きな課題の一つ」として、世界初の「孤独担当大臣」を任命した。21年2月、菅義偉(前)首相が英国に次いで世界で2番目となる孤独・孤立対策担当大臣を任命し、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設置された。ほとんど話題にならなかったものの、21年6月には坂本哲志孤独・孤立対策担当大臣が、イギリスのダイアナ・バラン孤独担当大臣とオンラインで会合を行ない、孤独対策に関する二国間協力を推進する日英共同メッセージを出している。

先進国を中心に、孤独が大きな社会問題になっている。いったい何が起きているのか、それを知りたくてノリーナ・ハーツの『The Lonely Century なぜ私たちは「孤独」なのか』(藤原朝子訳、ダイヤモンド社)を手に取ってみた。

著者のハーツは1967年生まれの経済学者で、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン名誉教授。3歳から学校に通い始めたという早熟の天才(ギフテッド)で、19歳で大学を卒業、23歳でペンシルバニア大学ウォートン校でMBAを取得、世界銀行などに勤務したあと、ケンブリッジ大学で経済学と経営学の博士号を取得している。2001年には“The Silent Takeover(静かなる買収)”で、グローバル資本主義を批判する「左派(レフト)の女性経済学者」としてデビューした(邦訳は『巨大企業が民主主義を滅ぼす』 鈴木淑美訳、早川書房)。

ノーツはその後、発展途上国の債務問題、意思決定のノウハウ本(『情報を捨てるセンス 選ぶ技術』中西真雄美訳、講談社)、「ジェネレーションK」と名づけた13歳から20歳までの若者の研究など、話題のテーマを次々と扱っている。これを「才気煥発」と評する者も、「流行りものに片っ端から手を出しているだけ」と批判する者もいるようだ。

本書でハーツは、先進国で孤独が蔓延している原因は、新自由主義(ネオリベ)のイデオロギーが「現実離れした自助努力と、小さな政府、そして残酷なほど激しい競争を追求し、地域社会や集団の利益よりも個人の利益を上に位置づけ」たからだという。だが私は、日本でもよく聞くこうした安直な解釈には懐疑的だ。

ひとびとはなぜ孤独になったのか。その主な理由は、わたしたちの社会がますます「リベラル」になっているからだろう。私はリベラル化を「自分らしく自由に生きたい」という価値観と定義しているが、そうなればひとびとはばらばらに(自分らしく)生きるようになり、教会や町内会、PTAなどの中間共同体は解体していく。

新自由主義がもてはやされたのは、こうした時代の価値観(私は私、あなたはあなた)をもっともよく反映しているからだ。イデオロギーが現実をつくったのではなく、現実に合ったイデオロギーが選ばれたのだ。

だがそれを除けば、本書は孤独についての最新の研究が手際よくまとめられており、面白く読めた。ここではそのなかから、興味深い箇所をいくつか紹介してみたい。 続きを読む →

不死のテクノロジーを目指すトランスヒューマニズムとは

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年6月7日公開の「テクノロジーの進化で「不死」を実現できると考える
トランスヒューマニストたちの思想とは?」です(一部改変)。

******************************************************************************************

すべての物語はわれわれの終わりから始まる。われわれが物語を考え出すのは、自分が死ぬからだ。

アイルランド生まれのジャーナリスト、マーク・オコネルは『トランスヒューマニズム 人間強化の欲望から不死の夢まで』(松浦俊輔訳、作品社)をこう書き出した。オコネルは本書で、テクノロジーのちからで肉体の(あるいは動物としての)制約から「人間」を解放しようとするトランスヒューマニストたちを取材している。その意図は原題“To Be a Machine : Adventures Among Cyborgs, Utopians, Hackers, and the Futurists Solving the Modest Problem of Death (マシンになる 死という“ささやかな問題”を解決しようとするサイボーグ、ユートピアン、ハッカー、フューチャリストたちをめぐる冒険)”によく表われている。

オコネルによれば、「物語が語られるようになってこのかた、語られるのは、人間の生身の体から抜け出し、今の動物の形をした自分とは別の何かになりたいという欲求をめぐる話」だった。人類最古の物語であるシュメールのギルガメシュ叙事詩では、友人の死に狼狽したギルガメシュが、自分にも同じ運命が待ち受けていることを受け容れることができず、死からの救済を求めて世界の果てまで旅をする。

人類は5000年ちかく、おそらくはそれ以上にわたって「不死」を夢見てきたが、これまで誰一人として「動物」としての運命から逃れることはできなかった。だが強大なテクノロジーを手にしたいま、「人間」の限界を超えて死を克服できると考えるひとたちが登場した。これがトランスヒューマニスト、すなわち「超人」だ。 続きを読む →