ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2020年11月13日公開の「「アメリカ人はカルト空間に閉じ込められている」
大統領選の「異常」な事態こそが”アメリカらしさ”」です(一部改変)。
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1995年の地下鉄サリン事件のとき、雑誌編集者として何人かのオウム真理教の信者から話を聞いたことがある。事件に関与した教団幹部ではないが、いずれも20代後半から30代前半で、国立大学か有名私立大学を卒業し、その多くは大手企業に就職した経験があった(もっとも高学歴だったのは東京大学大学院修士課程在学中の在家信者だった)。
教団は当時、世界はフリーメーソンによって支配されており、自分たちは米軍とCIAから毒ガス攻撃を受けているとの奇怪な主張をしていたが、彼らは(私が会ったのは全員が男性信者だった)露骨な「陰謀論」を口にすることを慎重に避けていた。とはいえ言葉の端々から、自分たちが「世界の秘密(神秘体験)」を知った“選ばれた人間”だという意識がはっきり感じられた。
そんな彼らの話を繰り返し聞いているうちに、この賢い若者たちは「カルト空間」に閉じ込められているのではないかと思うようになった。本人は理路整然と話しているつもりでも、思考の根拠が歪んでいるので、会話はどこか妄想めいたものになってしまうのだ。もっともそのことは自分でもわかっているらしく、「この世界こそが妄想だ」というポストモダン的な相対主義へと議論は向かっていくのだが。
アメリカ大統領選の混乱を見ながらそんな昔のことを思い出したのは、トランプ大統領が「ディープステイト(闇の政府)」と戦っているというQアノンの陰謀論や、「レイシスト」の警察を解体し自主管理でコミュニティを運営しようとする左派(レフト)の理想主義に、同様の「思考の歪み」を感じたからだ。
アメリカはファンタジー(魔術思考)に支配されてきた
「アメリカ人がカルト空間に閉じ込められている」というのは、私の思い込みというわけではない。2016年のトランプ大統領誕生後に刊行され、大きな話題となった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』( 山田美明、山田文訳、東洋経済新報社)で、作家のカート・アンダーセンは、アメリカという国は「自分たちだけのユートピア」を求めて故郷を捨てたピルグリム・ファーザーズという「常軌を逸したカルト教団によって建設された」と述べている。
それ以来500年のあいだ、アメリカは「ファンタジー(魔術思考)」に支配され、ひとびとはしばしば「狂乱」に陥った。そうした歴史を顧みるならば、真実(トゥルース)を否定する大統領の登場はなんら驚くようなことではなく、むしろ必然だったとアンダーセンはいう。
17世紀、アメリカ=新世界はヨーロッパ人にとって「空想の場所」であり、「熱病が生み出す夢、神話、楽しい妄想、幻想の場所」だった。新世界を目指す者たちは「スリルと希望に満ちたフィクションを信じるあまり、この夢が叶えられなければ死ぬ覚悟で、友人、家族、仕事、分別、イングランド、既知の世界など、あらゆるものを捨てて旅に出た。そして大半が本当に死んだ」。
新世界に最初にやってきたイングランド人たちは、「魅力的な信念や、大胆な希望や夢、真実かどうかわからない幻想のために、慣れ親しんだあらゆるものを捨て、フィクションの世界に飛び込むほど向こう見ずな人たちだったに違いない」とアンダーセンは書く。
だとしたら、夢に駆り立てられて大西洋を渡ったヨーロッパ系アメリカ人の祖先は、母集団である平凡なヨーロッパ人と比べてなんらかの性格的なちがいがあるのだろうか。大多数のひとたちは、同じような困難な境遇にありながらも、故郷にとどまることを選んだのだから。
パーソナリティ心理学は、こうした性格傾向(特性)を「外向性/内向性」と「経験への開放性」で説明する。
「外向性/内向性」は近年では、性格的に明るい(陽気)か暗い(陰気)かではなく、刺激に対する感度(覚醒度)のちがいとされる。外部から五感に一定の刺激を受けた時、外向性パーソナリティでは脳が反応する閾値が高く(感度が鈍く)、内向性パーソナリティでは閾値が低い(感度が高い)。
脳の覚醒度には心地よく感じる一定の範囲があり、そこから外れることを嫌って無意識に(自動的に)刺激を調整しようとする。外向的なひとは最適な閾値に対して脳が低活動なことが多く、刺激が足りないと感じているから、見知らぬひとたちが集まるパーティ、大音響でアップテンポの曲が演奏されるライブハウス、危険なスポーツや不倫のようなあやうい恋愛に魅かれるだろう。
一方、内向的なひとは最適な閾値に対して脳が活動過多なことが多く、強い刺激を苦手にするから、パーティやクラブを避け、一人で読書をしたり、クラシック音楽を聴くのを好み、決まったパートナーと長く暮らすか、あるいは独身を貫くかもしれない(刺激に対して極端に感度が高いパーソナリティは、最近は「繊細さん」と呼ばれる)。
「経験への開放性」は新しもの好き(新奇性)のことだとされていたが、これもいまでは「意識の解像度のちがい」だと考えられている。開放性の高いひとは解像度が低く、さまざまな(余分な)情報が意識に流れ込んでくる。開放性の低いひとは解像度が高く、意識の焦点が合っている。
意識の解像度が低いと、大量の情報を処理できなくなって妄想的になるが、思いがけないものを結びつけて奇抜な比喩や斬新なアイデアを思いつくこともある。もっとも「経験への開放性」が高いのが詩人だが、芸術家だけでなく科学者やベンチャー起業家(スティーヴ・ジョブズ)にもこのタイプは多い。それに対して意識の解像度が高い(「経験への開放性」が低い)と、安定しているものの型にはまった生活や考え方をしがちだ。
アンダーセンの『ファンタジーランド』をパーソナリティ心理学で説明するならば、外向的(強い刺激を求める)で、なおかつ経験への開放性が高い(妄想的な)移民が集まってきたことで、アメリカは「狂気と幻想の国」になったのだ。
「旅人遺伝子」の謎
「陽気で活動的で、つねに新しいことにチャレンジする」というアメリカ人のステレオタイプは、パーソナリティ心理学の「外向性」と「経験への開放性」にぴったり重なる。「経験への開放性」は芸術的な感性やイノベーションと結びついており、それがアメリカを、映画や音楽など魅力的なエンタテインメントを生み出したり、シリコンバレーから続々とベンチャー企業が誕生する「夢の国」にしたのかもしれない。だがその一方で「経験への開放性」は妄想的傾向の指標ともなり、その値が極端に高いと(意識の解像度が低すぎると)統合失調症と診断される。
行動遺伝学によると、性格的傾向のおよそ半分は遺伝で、残りの半分は環境で説明できる。アメリカで起きる常軌を逸した(ように見える)出来事の背後には、なんらかの「生得的」なものがあるらしい。
じつは同じような印象を、オウム真理教の信者にも感じた。彼らはもちろん「異常」などではなく「ふつうの若者たち」だったが、そこには一定の性格的な傾向があった(すくなくともそのように感じた)。それを当時は「夢を見ているような」と表現したが、まさに「経験への開放性が高い」パーソナリティだ。オウム真理教がその特異な教義によって「妄想的」な若者たちを選択的に引き寄せいていたと考えれば、信者たちに抱いた私の困惑をうまく説明できる。
もちろん、ある社会現象を「遺伝的」あるいは「生得的」な要素に還元することは慎重でなければならない。「アメリカ」と「オウム真理教」を同列に語るのならなおさらだ。
それでもこの話を書こうと思ったのは、近年、ヒト集団のあいだでドーパミンの影響にちがいがあることがわかってきたからだ。――外向性や経験への開放性には、脳内神経伝達物質のドーパミンがかかわっている。
アメリカの精神医学者ダニエル・Z・リーバーマンは、ライターのマイケル・E・ロングとの共著『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』( 梅田智世訳、インターシフト)で、「旅人遺伝子」についての興味深い議論をしている。
1996年、イスラエルの研究者リチャード・エプスタインが4番目のドーパミン・レセプターを発見した。DRはドーパミン・レセプター(受容体)の略で、D1DRからD5DRまで5種の亜型が存在する。このうち4番目のD4DRは認知や情動との関連が強い大脳皮質や中脳辺縁系に集まっており、新奇性(新しいものや変わったもの)追求の傾向に関係するとされる。
このD4DRの第3エクソン(遺伝子をコードする部分)は繰り返し回数に個人差があり、2~12回の多型がある。エプスタインの発見が注目されたのは、繰り返し回数が6回以上のグループと、5回以下のグループで新奇性追求に有意な個人差があることが示されたからだ。この繰り返し回数(エクソンの長さ)は4回と7回が多いため、短いグループを4R、長いグループを7Rと呼ぶこともある。
D4DR-7Rの遺伝子タイプは脳内のドーパミン活動量が多く、「退屈への耐性が低く、新しいものやめずらしいものならなんでも追い求める。衝動的、探索的、移り気、興奮しやすい、浪費癖といった傾向を示すこともある」とされる。それに対してD4DR-4Rの遺伝子タイプは「内省的、頑固、誠実、禁欲的、気長、質素である傾向が強い」。このちがいは政治イデオロギーにも影響し、新奇性を追求する7Rは「リベラル」で、新奇性を避ける4R は「保守」になる傾向があるともされる。
この説はいまだ完全に立証されてはいないものの、2つの遺伝子タイプは「経験への開放性」パーソナリティと一致する。保守的な4R が故郷に残り、夢を実現するためにリスクを恐れず海を渡った移民たちには7Rの「冒険家タイプ」が多いのではないだろうか。
この疑問はじつは研究されていて、世界では平均して5人に1人が7Rの遺伝子をもっているが、その割合は地域によってかなり異なる。人類発祥の地(アフリカ)の近くにとどまった集団には7R の遺伝子が少なく(4Rの遺伝子が多く)、より遠くまで移動するほど7R 遺伝子の割合が高くなるのだ。
アメリカ大陸では、ベーリング海峡を渡って北から南へと旅をした道程と平仄を合わせるように、インディアン/インディオの7R 遺伝子保有比率は北米32%、中米42%、南米69%と高くなっていく。「長いアレル(遺伝子タイプ)を持つ人の割合は、移動距離が1000マイル長くなるごとに4.3ポイント上昇する」のだ。
これがD4DR-7R が「旅人遺伝子」とされる理由だが、リーバーマンは、これにはもうひとつの解釈が成り立つという。
それまでとまったく異なる環境で生きていくのはきわめて大きなストレスがかかる。だとすれば、新しい刺激(新奇性)に対する耐性(低反応性)をもつ者の方がうまく環境に適応できるのではないか。この説明では、ある集団のなかで7Rの遺伝子タイプをもつ者たちが選択的に移住への旅に出たのではなく、「ひとたび移動が始まったあとに7R遺伝子の保有者が生存上有利になった」ことになる。
リーバーマンは、「旅人遺伝子であれば、距離にかかわらず、移動をはじめた者は均等に7Rの遺伝子をもっているはずだ」という。だが実際には、アメリカ大陸のインディアン/インディオに見られるように、移動距離に応じて7R 遺伝子の保有割合が高くなっている。これは何世代にもわたってなじみのない環境に適応した結果で、「7Rの遺伝子は移動の引き金ではなく、移動する者たちの生存を助けるものだった」ことを示しているという。
双極性障害の4つのタイプ
約5万年前の「出アフリカ」によってヒトはユーラシア大陸全域からアメリカ大陸、オセアニアなど地球全土に広がっていった。アフリカからの移動距離が遠くなるほど、新奇な環境への適性をもつ7Rの遺伝タイプが多くなっていく。同様にアメリカ人の(ヨーロッパ系の)祖先たちも、旧大陸と大きく異なる環境に適応するために、それに最適なパーソナリティだけが残ったのだろうか。
これは魅力的な仮説だが、じつは現代の移住にはあてはまらない。「移民集団の7R遺伝子の保有率は祖国にとどまっているひとたちとほとんど変わらない」のだ。そうなると、「ファンタジーランド」の別の説明が必要になる。
じつは、脳内のドーパミン濃度は4Rか7Rかの遺伝子タイプだけで決まるわけではない。神経伝達物質は、いったん分泌されほかの脳細胞の受容体と結合したあと、相互作用を終わらせるために放出元の細胞に戻される。この回収作業を行なうのがニューロンのトランスポーターで、いわば「再取り込みポンプ」だ。抗うつ剤として広く使われているSSRIは、セロトニンの再取り込みを阻害する(受容体に蓋をする)ことで脳内のセロトニン濃度を高める作用がある。
ドーパミンの再取り込みを担うのがドーパミン・トランスポーターだが、コカインにはその再取り込みを阻害する効果がある。その結果、コカインを摂取すると脳内のドーパミン濃度が高まり、気分が高揚したり、集中力が高まったりする。この作用は「躁状態」によく似ている。
いまだ諸説あるものの、双極性障害(躁うつ病)にはセロトニンとドーパミンの両方がかかわっている。うつ状態では脳内のセロトニンが枯渇しているが、そこになんらかの要因でドーパミンが増えると躁状態がやってくる。この躁状態は、同じく脳内のドーパミンに強く影響される統合失調症とよく似ている(妄想や幻聴などが現われて区別がつかないこともある)。
この仮説が正しいとすると、双極性障害の発症率は、ヒト集団におけるドーパミン・トランスポーターの効率のちがいを表わしているかもしれない。世界全体では人口のおよそ2.4%が双極性障害を患っているが、アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くにのぼる。
さらに、アメリカでは双極性障害の患者のおよそ3分の2が20歳までに発症するが、ヨーロッパではその割合は4分の1にすぎない。リーバーマンはこれを、「アメリカの遺伝子プールでは(双極性障害の)高リスク遺伝子の密度がほかよりも高い」からだとする。
双極性障害はスペクトラム(連続体)で、重度から軽度に向けて大きく4つのタイプに分けられる。
- 双極Ⅰ型 うつ状態と躁状態がはっきりとした精神疾患で、典型的な躁うつ病。躁状態では極度のハイパーテンションになり、まったく眠らずに過活動しても疲れを感じず、全財産をギャンブルに注ぎ込んだり、上司に辞表を叩きつけて事業を始めたり、ローンを組んで高額の買い物をしたりする。その病状は、脳内のドーパミン濃度を上げるアッパー系のドラッグによく似ている。
- 双極Ⅱ型 うつ状態は重度だが、躁は軽躁状態と呼ばれる比較的軽いものになり、場合によっては単極性のうつ病と区別が難しい場合もある(そのため、単極性うつ病から双極性障害へと病態が連続しているとの説もある)。
- 気分循環症(サイクロサイミア) 軽躁状態と軽いうつのサイクルで、社会生活には問題ないものの、周囲からは「気分が変わりやすい」と思われる。
- 発揚気質(ハイパーサイミック) うつ状態のない軽躁状態が続くことで、「活動過多(ハイパー)な性格」とされる。
リーバーマンは発揚気質のパーソナリティを、「陽気で気力に溢れ、ひょうきんで過度に楽観的で、過剰な自信を持ち、自慢しがちで、エネルギーとアイデアに満ちている。多方面に広く関心を向け、なんにでも手を出し、おせっかいで、あけっぴろげでリスクを冒すのを厭わず、たいてはあまり眠らない。ダイエット、恋愛、ビジネスチャンス、さらには宗教といった人生の新たな要素に過剰に熱中するが、すぐに興味を失う。しばしば偉業を成し遂げるが、一緒に暮らすと苦労する相手でもある」と描写する。――これはアメリカ人の「自画像」そのものだ。
アメリカは「軽躁文化」、日本は「抑うつ文化」
双極性障害がスペクトラムだとすれば、もっとも重度な双極Ⅰ型(躁うつ病)の有病率が高い社会では、より軽度な双極Ⅱ型だけでなく、サイクロサイミア(気分循環症)やハイパーサミック(発揚気質)の比率も高くなるはずだ。そして、これこそがアメリカ社会の特徴だとリーバーマンはいう。とりわけ「西部諸州を切り開いた冒険的な開拓者は、リスクを厭わず興奮を求める性格の持ち主で、遺伝的にドーパミン活性過剰である可能性が高い」とされる。
双極性スペクトラムのなかでもっとも裾野が広い(人数の多い)ハイパーサミックは、「異常な症状をいっさい体験することなく、モチベーションの高さ、創造性、リスクを冒して大胆な行動をとる傾向などの、平均以上のドーパミン活性レベルを反映した利点を享受している」。社会的・経済的な成功者を思い浮かべれば、その多くが「知能の高いハイパーサミック」だとわかるだろう。
脳内のドーパミン濃度が平均より高い「軽躁状態」のひとたちは自己効力感も高い。「人生における成功は、自分ではコントロールできない外部の力に左右されると思いますか?」という質問に「はい」と答えた割合は、ドイツ72%、フランス57%、イギリス41%に対しアメリカは3分の1をわずかに超える程度だという。「自助自立」というアメリカ建国の理念は、たんなるイデオロギーではなく、ハイパーサミックなアメリカ人の気質にぴったり合ったからこそ長く強固に受け継がれてきたのだ。
(アメリカ人である)リーバーマンはハイパーサミックのよいところしか書いていないが、それが躁うつ病への連続体だとするならば、強いストレスが加わると(より重度の)サイクロミアから双極Ⅱ型に移行するかもしれない。このことは近年、経済格差の拡大するアメリカでうつ病が急増していることの有力な説明になる。
参考:アメリカはディストピアで、日本はユートピアなのか
さらに、過度なドーパミンが妄想(統合失調症)につながるという負の側面に目を向ければ、アンダーセンが『ファンタジーランド』で描いた「狂気と幻想」にとらわれたひとたちの姿になる。アンダーセンはアメリカ社会の特徴をこう述べている。
わが国が奉じる超個人主義は最初から、壮大な夢、あるいは壮大な幻想と結びついていた。アメリカ人はみな、自分たちにふさわしいユートピアを建設するべく神に選ばれた人間であり、それぞれが創造力と意志とで自由に自分を作り変えられるという幻想である。
こうしてアメリカ人は、「あらゆるタイプの魔術思考、何でもありの相対主義、非現実的な信念に身をゆだねていった」。Qアノンの陰謀論がその延長上にあるのなら、いま起きている「異常」な事態こそが“アメリカらしさ”なのだ。
ところで、ドーパミンから見た日本人のパーソナリティはどのようなものだろうか。リーバーマンによると、「移民のほとんどいない日本では、(移民の多いアメリカの4.4%に対して)双極性障害の有病率は0.7%ほどで、世界でもきわめて低い」とされる。そうなると、裾野を形成する双極Ⅱ型やサイクロサイミア、ハイパーサミックの割合も低くなるはずだ。それに加えて、DRD4遺伝子の繰り返し回数には人種差があり、東アジア系は繰り返し回数が少なく、これが強い刺激を避ける内向性パーソナリティにつながっているとの研究もある。
そう考えると、日本人の特徴は脳内のドーパミン濃度が低いことで、軽躁状態(ハイパーサミック)の恩恵を被れないかわりに、社会が「魔術思考」で混乱することも(あまり)ないのではないか。日本人が覚せい剤のようなアッパー系のドラッグを好むことも、この「低ドーパミン気質」から説明できるかもしれない。この生物学てな特徴が、アメリカを「軽躁部文化」、日本を「抑うつ文化」にしているのだ。
もっとも、これは日本人が「理性的」だということではない。経験への開放性が低いと型にはまった考え方しかできなくなり、だからこそ画期的なイノベーションよりも既存の技術の改良を得意とするのかもしれない。また、戦前の日本を見ればわかるように、低ドーパミン気質でも強い圧力が加わるとたちまち妄想的になってしまう。
だからこれはあくまでも相対的なものにすぎないが、世界じゅうから夢に駆り立てられて集まったひとたちが「カルト空間に閉じ込められている」というのは、アメリカ社会の魅力と混乱をかなりうまく説明しているのではないだろうか。
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