「生涯現役」社会の不都合な事実 週刊プレイボーイ連載(595)

「何歳まで働くつもりですか?」という調査で、「70歳以上」との回答が39%(「70~74歳」21%、「75歳以上」18%)と過去最高になりました。「定年後は年金をもらって悠々自適」が当たり前だった日本でも、生涯現役へと大きく価値観が変わっていることがわかります。

「いつまでも元気に働く」ために大事なのは、健康とスキルです。医療技術の進歩によって平均寿命だけでなく健康寿命も延びていますが、スキルがなければ雇ってもらえないかもしれません。そこで注目を集めているのがリスキリング、すなわち職業教育です。

しかし、何歳になっても新しいスキルを身につけることができるのでしょうか? 70歳を過ぎてからプログラミングを勉強しはじめ、81歳でスマホ向けのアプリを開発し、アップルのティム・クックCEOから「世界最高齢のアプリ開発者」と紹介された日本人女性がいますが、誰もが真似できることではないでしょう。

「職業訓練は効果があるのか」という疑問は、すでに半世紀前に大規模な社会実験が行なわれています。

ジョン・F・ケネディ大統領時代のアメリカでは、工場移転や鉱山閉鎖によって多くの労働者が職を失うことが社会問題になっていました。そこで連邦政府は職業訓練制度を創設し、1963年~71年に約200万人のアメリカ人が受講しました。

その後、経済学者がこの制度を評価しましたが、労働者の所得が上がった形跡は一部で見られたものの、費用対効果があったかどうかの判断は難しいという結果になりました。この制度が当初、とくに呑み込みが早い層の再訓練を重視し、その後、呑み込みが遅い層に軸足を移したものの、後者では多くの脱落者が出たからです。

それ以降、アメリカ政府はさまざまな雇用・職業訓練制度を導入していますが、多くの制度は効果の判定が困難です。最近、文献レビューを行なった経済学者も、「効果はまちまちだが、やや失望を招く結果が出た」と述べています。

ここからわかるのは、成人への再訓練は埋もれた人材を発掘する効果はあるものの、適性に欠けた労働者の訓練に税を投入しても、コストに見合うリターンは期待できないということでしょう。すくなくとも、あらゆる政策が「やりっぱなし」の日本に比べて、こうした“不都合な事実”を検証しようとするアメリカは立派です。

では、大学が行なっているリカレント(学び直し)教育はどうでしょうか? これはイギリスのデータですが、社会人向けの(学位を授与しない)教育プログラムの数は大幅に増加したものの、2004年から16年のあいだに学生数はほぼ半減しています。

こちらの場合は理由が明らかで、リカレント教育を受けてもその実績が再就職に反映されず、授業料に見合うメリットがないからです。日本でも事情は同じで、社会人向けの講座はカルチャーセンターのような“趣味”と見なされ、履歴書に書いてもほとんど評価されないでしょう。

けっきょくところ、あわてて「生涯現役」に対処しようとするのではなく、40代、あるいは50代までに汎用的・専門的なスキルと経験を身につけておかなくてはならないという、当たり前の話になるようです。

参考「70歳以降も働く、最多39% 将来不安「経済」が7割」日本経済新聞2024年2月18日
カール・B・フレイ『テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス』村井章子、大野一訳/日経BP

『週刊プレイボーイ』2024年3月4日発売号 禁・無断転載

闇(ダーク)ネットはどうなっているのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2019年2月22日公開の「トロール(荒らし)や実況ポルノ、拒食症のピアサポートなど、「自由」という糸でつながるネットの「闇(ダーク)」サイトの住人たち」です(一部改変)。

wsf-s/Shutterstock

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イギリスのジャーナリストで、シンクタンク「デモス(Demos)」のソーシャルメディア分析センター・ディレクターでもあるジェイミー・バートレットは、2007年から過激な社会的・政治的運動の研究を始め、ヨーロッパおよび北米地域のイスラム過激派の動きを追跡し、アルカイダのイデオロギーに共鳴した若者たちのネットワークを解明しようとした。だが2010年にこの研究を終えたとき、「世界は変わってしまったようだった」とバートレットはいう。陰謀論者、極右活動家からドラッグカルチャーまで、彼が遭遇したあらゆる新しい社会現象・政治現象がオンラインに移っていたからだ。

こうしてバートレットは、ネットの「裏世界」に足を踏み入れることになる。そこで彼が発見したのは、「異なるルール、異なる行動様式、異なる登場人物のいる、パラレルワールド」だった。

今回は、バートレットの『闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏社会の内幕』(星水裕 訳/CCCメディアハウス)に拠りながら、英語圏のネット世界の現状を見てみよう。そこから、インターネット黎明期にひとびとを魅了した「自由」がどのように変形したかが見えてくるはずだ。 続きを読む →

少子化対策の財源問題はマイナンバーで解決できるのに 週刊プレイボーイ連載(594)

少子化対策の財源として、医療保険と合わせて徴収される「子ども・子育て支援金」の負担割合が、75歳以上の後期高齢者で約1割、74歳以下の世代で約9割に決まりそうです。

これまで「粗い試算で月平均約500円弱」の負担とされていましたが、専門家によれば、医療保険ごとの1人あたりの徴収額は、75歳以上が月253円、中小企業の会社員が加入する協会けんぽは638円、大企業の会社員が加入する健康保険組合は851円とのことで、これでは子育ての終わった高齢世代の負担が軽く、子育て世代の負担が重くなってしまいます。

このような本末転倒が起きるのは、医療保険が所得に応じて負担額を決めているからです。その結果、都心の持ち家に暮らし、多額の金融資産があっても、退職して収入は年金だけの高齢者の徴収額が少なくなり、共働きで世帯収入は多くても、住宅ローンの返済と教育費の負担で家計に余裕のない現役世代の徴収額が重くなってしまうのです。

同様の問題は、岸田首相の肝いりである定額減税でも起きています。減税額は所得税3万円、住民税1万円の計4万円で、夫婦と子ども2人の4人家族の場合、1世帯で計16万円の減税になるとされます。

ところが国税庁には、「1回限りの減税なのに事務作業の負担が大きすぎる」などの不満が相次いで寄せられています。企業の経理部門は給与計算などのシステムを改修するだけでなく、従業員の扶養親族の人数をあらためて調べる必要も生じます。源泉徴収で控除対象になる扶養親族は16歳以上なのに、今回の定額減税は16歳未満の子どもも対象なるからです。――源泉徴収額が4万円に満たない場合でも、1人あたり4万円の減税を受けられるようにするため、自治体に定額減税を受けた税額を計算する手間が新たにかかることも問題になっています。

こんなことになるのは、政府が国民一人ひとりの経済状況をほとんど把握できていないからです。近代社会は市民によって構成されますが、日本はいまだに世帯単位で税や社会保障費を計算するだけでなく、それを会社というイエ制度を通じて徴収してきました。

源泉徴収で給与から天引きし、年末調整で払い過ぎた分を戻す手続きは、それぞれの会社の経理部に丸投げされていますから、税務当局にとってこんな楽なことはありません。しかしこの制度に安住することで、誰が経済的に余裕があり、誰が支援を必要としているのかがわからなくなってしまいました。

本来であれば、高齢者か現役世代かに関係なく、収入や資産、家族状況に合わせて負担額や給付額を決めればいいのですが、そのためにはマイナンバーで政府が国民の情報を一元的に管理するシステムが必要になります。ところが日本の「リベラル」は、マイナンバーを監視社会の道具だとして忌み嫌い、マイナ保険証を紙に戻せというラッダイト運動を主導してきました。

これでは問題の所在がわかっていても、政府は状況を改善するためになにもできません。それを知っているからこそ、メディアは面白おかしく政権批判することに熱中するのでしょうが。

参考「子育て支援負担74歳以下9割」朝日新聞2024年2月9日
「定額減税、事務負担に苦慮」日本経済新聞2024年2月14日

『週刊プレイボーイ』2024年2月26日発売号 禁・無断転載