いじめの犯罪化や加害生徒の強制転校に効果はあるか? 週刊プレイボーイ連載(579)

文科省の調査では、全国の小中学校を30日以上欠席した不登校の状態にある子どもが、前年から約5万4000人(率にして22%超)増えて29万9000人になり、10年連続で過去最多を更新しました。その要因としてあげられるのがいじめで、認知されたいじめ件数は小学校が約55万件、中学校が11万件となっています。

学校でのいじめが問題になっているのは、もちろん日本だけではありません。フランスでは今年5月、中学生の女の子が8カ月にわたるいじめやネットでの嫌がらせを苦に自殺する事件が起きました。これまでもいじめが原因の自殺が繰り返されており、民間団体の調査では生徒のすくなくとも41%が「反復的かつ継続的な言葉や身体的、心理的暴力の被害の経験がある」と回答し、国民教育省も全生徒の10人に1人が学校でいじめ被害にあっていると認めました。こうした事態を受けて、いじめ撲滅はマクロン政権にとって「絶対的な優先事項」になりました。

まず2022年3月の法改正で、いじめ被害者が自殺または自殺未遂をした場合、最高で懲役10年、罰金15万ユーロ(約2300万円)が科されるなど、いじめが犯罪化されました。実際、今年9月には、「いじめの加害者に強いメッセージを送る」ために、パリ郊外の中学校に通う14歳の少年を、授業中に教室で手錠をかけて逮捕しています。少年はSNSで知り合ったトランスジェンダーの高校生に、「性的指向や性自認を否定し、自殺するよう要求するメッセージ」を送っていたとされます。

さらにフランスでは9月から、学校内でのいじめ加害が確定した生徒を、校長と自治体首長の判断で強制的に転校させることが可能になりました。いじめの認定は3段階からなり、最初は学校内で生徒、保護者と話し合い、次に国の教育機関の教育心理学者や医療関係者が介入し、それでも解決せず「被害者生徒の安全に重大な脅威を与えている」と判断されると、強制転校させられるようになります。

いじめ問題は、加害生徒にいじめの認識がなかったり、自分が被害者で、正当防衛の報復を行なっただけだと考えていることも多く、解決が難しいのが実情です。そこでこれまでは、「被害生徒が転校して環境を変えるしかない」とされていたのですが、家庭の事情で転校できない生徒もいるでしょう。被害者がさらなる負担を余儀なくされるのは理不尽なので、加害生徒を強制的に転校させるという方針には説得力があります。

しかし問題は、加害生徒やその保護者が、こうした措置に容易に納得しないことでしょう。その結果、説明・説得する現場の負担が過大になり、フランスの教師の50%が5年後には転職するといいます。

ヒトはもともと、同じ年齢の子どもだけを集めて、施設で「教育」されるようには進化していません。いじめや不登校の根本的な原因は、近代以降、学校という“異常な”環境に子どもを“監禁”してきたことにあります。

そう考えれば、この問題を解決するには学校制度を解体するしかありませんが、それが現実的ではないので、いじめの「厳罰化」に突き進むことになるのでしょう。フランスの「社会実験」がどんな結果になるかは、今後の日本のいじめ対策にも大きな影響がありそうです。

参考:安部雅延「フランス、いじめ厳罰化「加害者を転校させる」背景」東洋経済オンライン2023年9月5日
「いじめ加害者の14歳、授業中に逮捕 仏政権「強いメッセージ送るため」」朝日新聞2023年9月23日

『週刊プレイボーイ』2023年10月16日発売号 禁・無断転載

トランプ陣営が大統領選で有権者の心をハッキングした手法

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年7月2日公開の「人種間の対立をあえて煽るようなトランプ大統領の言動はすべて選挙対策である、と言える根拠」です(一部改変)。

ここで紹介した“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica’s plot to break the world”はその後、『マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』(牧野洋訳、新潮社)として翻訳されましたが、本文の引用は原書から訳しているので翻訳とは異なります。

クリストファー・ワイリー

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イギリスの選挙コンサルティング会社ケンブリッジ・アナリティカは、2016年のブレグジット(イギリスのEU離脱)とドナルド・トランプ大統領誕生を裏側で操ったとされる。その内幕を告発したブリタニー・カイザーのことは前回紹介した。

参考:トランプ大統領を生んだ「ケンブリッジ・アナリティカ事件」とはなにか?

じつはこの事件には、もう一人の内部告発者がいた。それがクリストファー・ワイリーで、カイザーと同じ2019年に“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica’s plot to break the world.(マインドファック ケンブリッジ・アナリティカの世界破壊計画)”をイギリスの出版社から出している。

前回の記事を公開した直後に、リチャード・ドーキンスが“Please please please read Mindf*ck by Christopher Wylie(どうか、どうか、どうか、クリストファー・ワイリーの『マインドファック』を読んでください)”という一連のTweet(6月4日)をしてこの本を激賞した。それで興味をもって、このかなり長い物語を読んでみた。

発達障害の天才少年

クリストファー・ワイリーは医師の両親のもと1989年にカナダ・ブリティッシュコロンビア州に生まれ、イギリスの名門大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法律を学んだ。卒業後、ロンドン芸術大学でファッションについての博士論文を書こうとしていたときに、(のちにケンブリッジ・アナリティカを設立する)SCL (Strategic Communication Laboratories/戦略的コミュニケーション研究所)を実質的に経営していたアレクサンダー・ニックスと出会い、2013年春、24歳のときにデータ・サイエンティストとして働くことになる。在籍したのは2014年末までのおよそ1年半で、その後に起きたブレグジットとトランプ当選に衝撃を受けて、内部告発者(whistleblower)になるまでの経緯を綴ったのが“Mindf*ck”だ。

一方、前回紹介したブリトニー・カイザーは1987年にテキサスの裕福な家庭に生まれ、ロンドンの大学を卒業後、やはり博士論文を書いていたときにSCL/ケンブリッジ・アナリティカに営業職として参加し、2014年11月から2018年1月まで約3年間在籍している。

このように二人の経歴はほとんど重なっておらず、ケンブリッジ・アナリティカ事件の前半(2013~14年)をワイリーが、後半(2015~18年)をカイザーが体験したことで、両者の証言を合わせるとそこでいったい何が起きたのかの全貌が見えてくる(ちなみに両者の証言は一致しているわけではなく、しばしば対立する)。

英語版Wikipediaによると、ワイリーは子どものときに難読症(ディスレクシア)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断され、発達障害(精神的不安定)を理由に学校から迫害を受けたとしてブリティッシュコロンビア州を提訴、6年の裁判を経て14歳のとき29万ドル(約3000万円)の賠償金を勝ち取った(この裁判の話は自伝には書かれていない)。

11歳のとき、ワイリーは歩行障害を起こす難病になり、翌年から車椅子生活を余儀なくされる。この障害によって学校ではいじめの標的になり、授業に出ずに校内のコンピュータ室にこもってウェブページをつくり、プログラミングを独学で習得したという。

15歳のとき、両親の勧めで大学主催のサマースクールに参加したワイリーは、そこでルワンダ虐殺の生存者と友人になったり、イスラエルとパレスティナの学生の討論を聞くなどしたことで政治に興味をもつようになった。この頃には、自分がゲイ(男性同性愛者)だと性自認していたようだ。

16歳で高校をドロップしたワイリーは、カナダ自由党の集会に参加し積極的に発言したことで、「車椅子で髪を染め、ゲイをカミングアウトしたハッカーの若者」として目立つ存在になっていた。このとき知り合った政党関係者からテクノロジー関係の手伝いをしないかと誘われ、2007年、18歳のときにモントリオール州オタワの政党本部のアシスタントになる。翌08年にはバラク・オバマの大統領選の視察メンバーに選ばれ、ビッグデータとSNSを活用した選挙キャンペーンに衝撃を受けた。これも奇妙な偶然だが、このとき大学生だったカイザーもオバマのキャンペーンにボランティアとして参加している。

オバマの選挙では、VAN(Voter Activation Network Inc.)というコンサルティング会社が有権者の個人情報を収集・活用する先進的なキャンペーンを構築していた。それを間近で観察してオタワに戻ったワイリーは、カナダ版のVANを設立しようとするが、その急進的な手法が強い反発にあったことで、20歳でカナダを離れロンドンで法律を学ぶことにする。

ところがそんなワイリーに、カナダ自由党からの紹介でイギリス自由民主党の関係者が接触してくる。アメリカ大統領選でデータの威力を見せつけられた欧米各国の政党関係者にとって、「新時代の選挙」の内実を知るハッカーの若者はきわめて利用価値が高かったのだ。

こうしてワイリーは、保守党・労働党に次ぐイギリスの第三政党でふたたびデータ主導の選挙キャンペーンを構築しようとするが、やはり急進的な提案が拒まれてしまう。政治に絶望し、ファッションを研究しようとロンドン芸術大学の博士課程に進んだときに、その経歴を知ったアレクサンダー・ニックスから誘いを受けたのだ。――ちなみにこの頃には、足を引きずりながらではあっても、車椅子なしで歩けるようになっていた。

ワイリーは自由民主党のリサーチでロンドン郊外の有権者に話を聞いたとき、政治は彼らにとってイデオロギーではなくアイデンティティ(私は何者で、どこに所属しているか)を示すものだということに気づく。それと同時に、性的マイノリティ(ゲイ)であるワイリーは、ファッションが自分のアイデンティティを示すツールだということを理解していた。

こうして、一流大学の法学部を優秀な成績で卒業しながら、アイデンティティと政治を結びつけるために芸術大学でファッションを学ぶ選択をするのだが、この若者の非凡さがよく現われているエピソードだろう。

オルタナ右翼の思想リーダー、スティーブ・バノン

SCLはもともとイギリス国防省やNATOなどに対テロ対策を指南したり、中南米諸国に対ドラッグ戦争での心理戦(PSYOP)を提案していたが、ニックスが主導権を握るようになってから、有権者を心理的に操って選挙結果を動かすサービスに注力するようになった。ワイリーはまさに、その渦中に身を置くことになる。

ワイリーの証言で興味深いのは、ケンブリッジ・アナリティカ誕生のいきさつだろう。それはちょっとした偶然から始まったという。

2013年夏、アメリカ共和党の選挙コンサルタントをしていたマーク・ブロックとリンダ・ハンセンの2人が、たまたま飛行機で元軍関係者の男と隣合わせた。ブロックはすぐに寝てしまったが、この元軍人はサイバー選挙のコンサルティングに関わっており、ハンセンとの雑談のなかでSCLについて話した。

飛行機が着陸すると、ハンセンは男から聞いた話をブロックに伝えた。マーク・ブロックは2012年の共和党大統領予備選で黒人保守派のハーマン・ケインの選挙対策本部長を務めた重鎮で、ミット・ロムニーがオバマに敗れたことで、共和党の新たな選挙戦略の構築に苦慮していた。この話に興味をもったブロックは、旧知のスティーブ・バノンに「イギリスの面白い会社」のことを教えた。

スティーブ・バノンはオルタナ右翼の思想リーダーの一人で、トランプの選挙対策本部長として辣腕をふるい、大統領上級顧問兼主席戦略官として政権中枢に抜擢されたものの1年で辞任、ジャーナリスト、マイケル・ウォルフの暴露本『炎と怒り トランプ政権の内幕』( 関根光宏、藤田美菜子訳、早川書房)でトランプの長男や娘婿のクシューナーを批判したためトランプとも疎遠になったとされる。

バノンはきわめて興味深い人物で、1953年にヴァージニア州のアイルランド系労働者階級の家に生まれ、ヴァージニア工科大学を優秀な成績で卒業したのち海軍に入り、従軍中にジョージタウン大学で修士号(安全保障論)を、退役後にハーバード大学ビジネススクールでMBAを取得、投資銀行ゴールドマン・サックスのM&A部門で働くようになる。1990年に退職した後はメディア関連の投資会社を起ち上げ、この時期に保守派の市民運動・政治活動にかかわるようになった。

2005年から08年まで、香港と上海でオンラインゲームの経営に携わったバノンは、保守系のニュースサイト、ブライバートニュースの創業者の死によって2012年に経営権を引き継ぐと、反オバマ、反ヒラリー・クリントンの大量のニュースを流すようになる。バノンがSCLにコンタクトをとったのはこの時期だった。

SCLのアレクサンダー・ニックス(1975年生)は上流階級出身の億万長者で、2010年にはノルウェーの億万長者の女性と結婚したが、ビジネスの世界で成功するという強烈な欲望に動かされていた。とはいえ、大学で美術史を学んだニックスはテクノロジーには不案内で、アフリカや中南米などの政治家・富豪相手の営業は、ロンドンの由緒正しいクラブで大英帝国の歴史に畏怖させた後、ウクライナやルーマニア出身の金髪美女を斡旋する類のものだった。

だがバノンは、美食や美女の接待になんの関心も示さず、ビッグデータや心理学を使った選挙戦略の詳細を知りたがった。そこでニックスは、ケンブリッジのホテルに宿泊するバノンのところにワイリーを派遣した。

インターンの身分に近い20代半ばのワイリーがこのような重要な役目を命ぜられるのは奇異に感じられるが、当時のバノンはマイナーな右翼ニュースサイトのオーナーでしかなく、世界各国の権力者たちと毎日のように会っているニックスにとっては、たんなる潜在顧客の一人でしかなかった。同時に、ワイリーがそれだけ優秀だったということでもあるのだろう。

バノンはこのときのワイリーのプレゼンテーションでSCLの心理操作に強い関心をもち、それを来るべき大統領選挙に使おうと考える。じつはバノンには、ヘッジファンド、ルネッサンス・テクノロジーズで巨万の富を手にした大富豪のロバート・マーサーというスポンサーがいた。こうしてバノンが、マーサーとSCLを仲介する。

ワイリーはバノンと何度か話をする機会があったようだが、ケンブリッジでの最初の出会い以外の詳細は書かれていない。ワイリーの観察で興味深いのは、当時60歳のバノンが「サブカル右翼」に近いとの指摘だ。

バノンはオンラインゲームの会社を経営しているとき、ネットの「炎上」騒動に巻き込まれた。自社のサービスがゲームユーザーの逆鱗に触れたのだが、そのやりとりのなかでネットに生息する若者たちの鬱屈に気づいたようだ。多くは「インセル“involuntary celibate/非自発的禁欲主義者”」を自称する非モテの男性で、性愛から排除され、社会や女性(フェミニズム)に強い怒りを抱いていた。バノンはその怒りが、社会を変革するエネルギーになると直観したのだ。

ワイリーによれば、バノンは思想家というよりも、レーニンやトロツキーのような「革命家」だ。理想とする社会の確固としたイメージ(すべての個人が完全な自由を手にし、自助自立で生きていく夜警国家)があり、それを実現するために、社会の奥底でくすぶる大衆のマグマを噴火させようとしていた。

バノンはその経歴からもわかるようにきわめて賢い人物だが、古典から学ぶようなことはせず、知識の多くをネットから得ていたようだ。宗教を信じているわけではないが、その言動はかなりオカルティックで、仏教やヒンドゥー教のダルマ(宇宙の秩序)について語り、「アメリカ人の運命」を実現する「救世主」を求めていた。その一方で、ギリシア・ローマにつらなる西洋の伝統が危機に瀕しているとの認識を保守派知識人と共有しており、だからこそロンドンではなくケンブリッジという「帝国主義の知識都市」に魅かれたのだろう。

トランプを支援する大富豪のロバート・マーサー

2013年秋、同僚と2人でJFK空港に降り立ったワイリーは、そのままニューヨークのアッパーウエストサイドにある再開発地域リバーサイド・サウスに建つトランプ・プレイスに向かった。そこにロバート・マーサーの次女レベッカの自宅があり、ハドソン川とマンハッタンの夜景を一望する23階から25階の3フロアをぶち抜いて、6つのアパートメントを統合した17ベッドルームの豪邸にしていた。

その日は父ロバートやスティーブ・バノン、マーク・ブロック、イギリス独立党幹部などが参加するホームパーティが開かれていて、先に到着していたニックスと、遅れて駆けつけたワイリーたちがプレゼンテーションをすることになっていた。ロバート・マーサーは極端に内向的で、メディアのインタビューに応じることもなければ、人前に姿を現わすこともほとんどない。この貴重な場面が“Mindf*ck”のハイライトのひとつだ。

父とはちがって次女のレベッカは社交的で、「保守派のチアリーダー」役を買って出ていた。彼女はスタンフォード大学で生物学と数学を学び、システム工学の修士号を取得した後、父のいるルネッサンス・テクノロジーズで働きはじめたが、子どもができると退職してホームスクーリング(子どもを学校に通わせずに自宅で教育することは、アメリカでは義務教育のひとつとして認められている)を始めた。2006年には姉妹とともにマンハッタンのパン屋を買い取り、チョコレートクッキーを売るようになる。

ロバート・マーサーは、子どもや孫たちが集まるホームパーティですら地味なグレイのスーツを着て、自分からはほとんど話さず聞き役に徹し、口を開くときは平板なトーンで技術的なことを質問した。

ワイリーによれば、マーサーはこのときのプレゼンテーションで、有権者のビッグデータをコンピュータで解析し、心理操作する可能性に気づき、SCLへの出資を決めたという。

「すべてのひとのデータ・プロファイルをコピーし、社会全体をコンピュータのなかに置き換えることができるなら――ゲームの「シムシティ」のようだが、実在のひとびとのデータが使われている――これから社会や市場でなにが起きるのかシミュレーションし、予測することが可能になる。これこそがマーサーが目指すゴールなのだ」とワイリーは書く。マーサーはコンピュータ・エンジニアからソーシャル・エンジニアになり、コンピュータの内部構造を変えるように社会をリファクタリングし、大衆を「最適化」しようとしたのだ。

これは、マーサーやピーター・ティールのようなきわめて知能の高い大富豪が、なぜトランプを支持するのかのきわめて説得力のある説明になっている。一般に内向的で神経質傾向が高いと、混乱や無秩序を不安に感じて回避しようとする。そこに極端に高い論理・数学的知能が加わると、自分が安心して住めるよう社会を「改造」するというSF的なビジョンに魅力を感じるようになるのかもしれない。

ピーター・ティールはペイパルの創業者で、イーロン・マスクの盟友であり、シリコンバレーのベンチャー投資家として初期のフェイスブックに投資し、トランプの当選後は、ティム・クック(アップル)、ジェフ・ベゾス(アマゾン)、ラリー・ペイジ(グーグル)などシルコンバレーの大物たちを一堂に集め新大統領に引き合わせた。

そのティールは、9.11同時多発テロを受けて2004年にパランティアというビッグデータ解析企業を設立し、FBIや国防総省などと契約して安全保障のプラットフォームを開発・提供している。パランティアの存在をアレクサンダー・ニックスに教えたのは、SCLでインターンをしていたソフィア・シュミットで、彼女はグーグルの元CEOエリック・シュミットの娘だ。パランティアは非公開の企業だが、時価総額は4兆円を超えるともいわれる。それを知ったニックスは、SCLをパランティアに匹敵する企業に育てることを目標にするようになったという。

シリコンバレーは「リベラルの牙城」とされるが、その背景にあるのは「テクノロジーの進歩とイノベーションによってすべての社会問題は解決できる」というテック信仰(加速主義)だ。「リベラル」とされるグーグルやアップルなどシリコンバレーのIT企業も、「異端」のティールやマーサーと同じビジョンを共有しているのだ。

このホームパーティでマーサーはSCLのアメリカ法人に1500万ドル(約17億円)から2000万ドル(約22億円)の出資を決め、その新会社にスティーブ・バノンが「ケンブリッジ・アナリティカ」という名前をつけた。

フェイスブックから個人情報を収集

大富豪ロバート・マーサーの出資によって巨額の資金を得たSCL=ケンブリッジ・アナリティカは、それに見合う成果を出すようスティーブ・バノンから強い圧力を受けていた。

このときワイリーたちが頼ったのが、DAAPA(インターネットの生みの親であるアメリカ国防高等研究計画局)から出資を受けていた、ケンブリッジ大学の計量心理学センター(psychometrics centre)だった。「心理研究室」という小さな札がかかった部屋で彼らを出迎えたのがアレクサンドル・コーガン(1985年生)で、ソ連時代のモルドヴァに生まれ、子ども時代をモスクワで過ごし、ソ連崩壊後の1991年に家族でアメリカに移住してUCLAバークレーで学んだあと、香港の大学で心理学の博士号を取得した。

コーガンはケンブリッジ・アナリティカに潤沢な資金があることを知ると、カリブ海のトリニダード・トバゴで行なわれた有権者の個人情報を使った大規模な社会実験に参加し、バノンとともにアメリカでの初期のプロジェクトを起ち上げた。2014年の春頃、ケンブリッジ大学の同僚マイケル・コジンスキー(1982年生)とデイヴィッド・スティルウェルを紹介したのもコーガンで、2人は2007年にフェイスブックの「マイ・パーソナリティ」というアプリを使って大量の個人情報を取得し、それを心理分析に使っていた。

コーガンはコジンスキーにデータの商業利用をもちかけたが、「50万ドル+利益の50%のロイアリティ」という法外な条件を突きつけられて頓挫する(コジンスキーはこれを否定)。その結果、自分たちでフェイスブックから個人情報を取得するよう計画を変更した。

コジンスキーの手法は、ネット経由で少額の仕事を発注できるAmazonのメカニカル・タークを使って、1ドルから2ドルの謝礼を支払うことで、フェイスブックのユーザーに心理テストを受けさせることだった。ユーザーが回答すると、「友だちAPI」というアプリケーションによって、ユーザーだけでなく登録されている「友だち」の個人情報も一括して収集することができた。これはカイザーも強調しているが、この時点では、許可なくユーザーの個人情報にアクセスすることはフェイスブックの規約で認められていた。ケンブリッジ・アナリティカは、コジンスキーがやったことをより大規模に行なったのだ。

2014年6月、ワイリーたちは10万ドル(約1100万円)の予算でこのプログラムを実行した。全員が見守るなか、最初はなにも起こらなかったが、ニックスが「どうなってるんだ、これは」と文句をいいはじめてすぐに最初のヒットがあった。その後は、洪水のようにデータが押し寄せてきた。

データ・サイエンティストの一人が、個人情報が追加されるたびにビープ音がする仕掛けをつくっていた。たちまちビープ音が止まらなくなり、数字の桁数がつぎつぎと大きくなっていく。わずか数時間で、数百万人分の個人情報がコンピュータに収められた。

ワイリーはこのとき、チーフ・テクノロジー・オフィサーがサーベルを使って、器用に祝杯のシャンパンの栓を抜く場面を描写している。リトアニアの極貧の農家に育った彼は、イギリスで自らを「ケンブリッジ・エリート」につくり変えようとしていた。常にイギリス上流階級のダンディーな身なりを崩さない彼のモットーは、「今日を楽しめ。明日は死んでいるかもしれない」だった。

一人の女性の人生がコンピュータの中にコピーされた

“Mindf*ck”のもうひとつのハイライトは、構築したばかりの個人情報検索システムをスティーブ・バノンに披露するところだ。

ケンブリッジ・アナリティカの事務所を訪れたバノンは、スタッフから「思いついた名前と州をいってください」と求められる。戸惑いながらも適当な名前と「ネブラスカ州」とこたえると、スタッフはそれをコンピュータに打ち込んだ。すると、ネブラスカに住む同名の女性がヒットした。この場面は以下のように描写されている。

「スクリーンには、彼女のすべてが表示されていた。彼女の写真、仕事、自宅、子どもたちがどの学校に通っているか。彼女は2012年の選挙でミット・ロムニーに投票し、歌手のケイティ・ペリーが好きで、アウディを運転し……。我々は彼女のすべてを知っているだけでなく、情報はリアルタイムで更新され、彼女がフェイスブックに投稿すればそれを見ることもできた」

フェイスブックの個人情報はクレジット会社や行政機関から購入したデータベースと統合され、彼女の収入、住宅ローンの残額、銃を所有しているかどうか、航空会社のマイレージ、婚姻状況や健康状態、さらにはグーグル・アースから彼女の自宅の衛星写真を表示することもできた。まさに彼女の人生がコンピュータの中にコピーされたのだ。

このプレゼンテーションを何度か繰り返したあと、ニックスが「電話番号をくれないか」といった。コンピュータにたまたま表示されていた人物(女性)の番号を受け取ると、ニックスはスピーカーフォンにその番号を打ち込んだ。

「何度か呼び出し音が鳴ったあと、誰かが電話をとった。どこかの女性が「ハロー」というのが聞こえた。ニックスは上流階級のアクセントで、「ハロー、奥様。突然の電話で恐縮ですが、ケンブリッジ大学から電話しています。社会調査を行なっていて、ジェニー・スミスさんとお話がしたいのですが」その女性は、私がジェニーだと答えた。ニックスは彼女に、データに基づいて質問しはじめた。

テレビ番組「ゲーム・オブ・スローンズ」についてのご意見は? ジェニーはこの番組に夢中だとフェイスブックに投稿していた。前回の大統領選でミット・ロムニーに投票しましたか? ジェニーは「その通りです」とこたえた。ニックスは彼女の子どもたちが通っている学校の名前をあげた。ジェニーは「その通りです」とこたえた。バノンを見ると、顔全体に大きな笑みを浮かべていた」

ワイリーはこの場面を「超現実的(surreal)」と述べているが、SFでしかあり得ないようなことが現実に起きたのだ。ワイリーたちがプロジェクトを起ち上げた2か月後、2014年8月には、フェイスブックから8700万人のユーザーの個人情報が収集された。

バノンはこれをトランプの大統領選挙に活用しただけでなく、(ピーター・ティールが創設した)パランティアのスタッフがケンブリッジ・アナリティカに常駐してデータをコピーしたという。パランティアは米国内での個人情報の収集を禁じられていたが、民間企業から入手するのは適用除外とされていた。パランティアと契約するNSA(アメリカ国家安全保障局)がこの個人情報を手にしているのは間違いないとワイリーはいう。

そればかりかワイリーは、米国市民の個人情報がロシアに流れたと主張する。ニックスには個人情報保護の観念はまったくなく、ロシア人との大きなビジネスを獲得するためなら喜んでデータを提供したにちがいないというのだ。

ワイリーはこの出来事の直後にケンブリッジ・アナリティカを離れ、ブレグジットとトランプ大統領誕生のあと、内部告発者として英紙ガーディアンとニューヨーク・タイムズに自らの体験を語った。イギリスのテレビ局チャンネ4と組んでニックスを罠にかけ、スリランカの富豪に偽装した男に、賄賂や性的な陰謀(対立候補の自宅に若い女性を送り込んで一部始終を撮影する)を含むさまざまなサービスを吹聴するところを撮影させてもいる(この場面が放映されたことで、ケンブリッジ・アナリティカは解散に追いやられた)。

ワイリーの証言に対してはどこまで真実なのか疑問視する声もあり、「ケンブリッジ・アナリティカからデータを持ち出してブレグジットやトランプの選挙に関与したのではないか」との批判に対してもはっきり答えてはいないようだ。

しかしそれでも、ワイリーがケンブリッジ・アナリティカでの出来事を驚異的な記憶力で再現していることは間違いなく、(当然のことながら一定の装飾や隠蔽があるとしても)そのリアリティはきわめて高い。20代半ばの若者がわずか1年半のあいだに、アレクサンダー・ニックス、スティーブ・バノン、ロバート・マーサーなど「異形」の人物と次々と出会った体験は控え目にいっても驚くべきものだ。

黒人男性の暴行死をきっかけにアメリカ社会が混乱しているが、ワイリーの警告を知れば、人種間の対立をあえて煽るようなトランプの言動はすべて選挙対策で、その目的は支持層の心理操作だとわかるだろう。2020年11月の選挙で民主党が大統領職を奪い返すようなことになれば、トランプ政権がいったい何をやっていたのか、真実の一端が明らかになるかもしれない。

これこそが(おそらく)、トランプとその側近たちがどんなことをしてでも再選を実現しようとする理由なのだろう。

禁・無断転載

トランプ大統領を生んだ「ケンブリッジ・アナリティカ事件」とはなにか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年6月4日公開の「ブレグジットとアメリカのトランプ大統領誕生に多大な影響を与えたケンブリッジ・アナリティカ事件の内幕と「行動マイクロターゲティング」の手法」です(一部改変)。

ブリタニー・カイザー(Netflix『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』予告より

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ブリタニー・カイザーの『告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル』(染田屋茂、道本美穂、小谷力、小金輝彦訳、ハーパーコリンズ・ジャパン)は、ケンブリッジ・アナリティカ事件の内幕を描いたとても興味深い本だ。それに加えて、いまアメリカ全土で起きている混乱の背景を知ることもできる。といっても、まずは「ケンブリッジ・アナリティカ(CA/Cambridge Analytica)」とはなんなのか、から説明しなくてはならないだろう。

2016年は現代史に長く記憶される2つの大きな政治的事件が起きた。いうまでもなく、イギリスの国民投票でのEU離脱(ブレグジット)とアメリカのトランプ大統領誕生だ。選挙コンサルティング会社であるケンブリッジ・アナリティカは違法に収集した有権者の個人データを使って両者の選挙結果を操り、「(リベラルにとっての)災厄」をもたらした悪の元凶としてはげしく非難され、この「データゲート事件」によって2018年に会社は消滅した。

『告発』の著者ブリタニー・カイザーは1987年にテキサス州ヒューストンに生まれ、シカゴで育ち、イギリスで大学教育を受けたあと、博士論文を書きながら給料のいい仕事を探していた。カイザーは共働きの裕福な家庭に育ったが、エンロンに勤めていた母親が2000年の倒産(エンロンショック)で仕事を失い、ついで父親が経営していた不動産会社が2008年のサブプライム危機(リーマンショック)で破綻し、父もうつ病を患ってしまったのだ(その後、じつは脳腫瘍だったことがわかる)。

カイザーは熱烈な民主党支持者で、大学生のときに、オバマ前大統領の2008年の選挙運動にソーシャルメディア担当として参加した。そこでコンサルタントの仕事に興味をもったが、2016年の大統領選に向けてのヒラリー・クリントンのキャンペーンや人道支援運動にはよい仕事がなかった。

2014年、カイザーはオバマの選挙活動で知り合った友人から、中央アジアのある国が選挙活動でソーシャルメディアに詳しいコンサルタントを探していると、ロンドンのレストランでの会食に誘われた。そこには同じように売り込みにきていた男がいて、アレクサンダー・ニックスと名乗った。

ニックスはケンブリッジ・アナリティカのCEOで、1975年生まれだからそのときは40歳前だった。カイザーは26歳で、この出会いをきっかけにニックスから入社を誘われ、波乱に満ちた3年間を過ごすことになる。

本書の原題は“Targeted: The Cambridge Analytica Whistleblower’s Inside Story of How Big Data, Trump, and Facebook Broke Democracy and How It Can Happen Again”(『ターゲットにされて ケンブリッジ・アナリティカ内部告発者のインサイドストーリー。ビッグデータ、トランプ、フェイスブックはどのように民主政を破壊し、それはどのようにもういちど起きるか』)。Targetedとは、自分がターゲットにされたことと、ケンブリッジ・アナリティカが有権者をターゲットに選挙結果を操作していることをかけているのだろう。

ケンブリッジ・アナリティカ誕生まで

まず、本書と英語版Wikipediaを参考に、ケンブリッジ・アナリティカの数奇な短い歴史をまとめてみよう。

1989年、ナイジェル・オークスというイギリス上流階級出身のビジネスマンが非営利のシンクタンク「行動ダイナミクス研究所(BDI/Behavioral Dynamics Institute)」を設立した。オークスは貴族の生まれで、イートン校で教育を受け、グローバル広告代理店サーチ&サーチやテレビ制作の仕事をしたのちBDIを設立した。

その趣旨は「コミュニケーションを通じて人間の行動を理解し、その行動に影響を与える方法を研究する」ことで、ケンブリッジ大学の心理学研究者などといっしょに、行動心理学、社会心理学、脳科学などの最新の知見をマーケティングに活用して商業利用する可能性を探ろうとした。――オークスは、イギリス王室の親戚でもあるレディ・ヘレン・テイラーの「2人目の真剣なボーイフレンド」としても知られている。

1993年、オークスは「心理学者や人類学者によってもたらされた学術的な洞察を使って従来の広告手法をより実り多いものにする」ために「戦略的コミュニケーション研究所(SCL/Strategic Communication Laboratories)」を設立した。BDIはSCLの非営利の外郭団体(約60の学術機関と数百人の心理学者からなる共同事業体)となり、エリザベス女王のいとこが理事に名を連ねた。こうした経緯を見るかぎり、「イギリスの上流階級が大衆を操作する手法を研究し、実践するためにつくった会社」というのがその実態のようだ。

アレクサンダー・ニックスはロンドンの高級住宅地ノッティングヒルで育ち、イートン校で学んだあとマンチェスター大学で美術史の学位を取得し、メキシコで英系投資銀行の融資の仕事をしていた。ニックス家はイギリスのジェントリー(地主階級)出身で、祖先は東インド会社で財をなし、父親は投資銀行家で、SCL創設者ナイジェル・オークスの友人かつ同社の株主でもあった。

2003年、28歳のときにニックスは投資銀行を辞めてSCLに参加する。当時は9.11同時多発テロ(2001年)の余波で、各国がテロ対策に力を入れたこともあって、SCLはいくつかの政府のパートナーになっていた。だが世界金融危機で防衛予算が削減されると、これまでのやり方では利益をあげられなくなり、2010年にオークスはSCLをニックスに任せ、選挙コンサルティングビジネスへと転身を図ることになる。――同じ年に、ニックスはノルウェーの億万長者一族の女性と結婚している。彼女はロンドンで育ち、ニックスと同じく馬術とポロの熱心な競技者でもあった。

SCLを引き継いだニックスは、営業のターゲットをアメリカに定めた。2008年につづき12年の大統領選でもオバマに完敗した共和党=保守派は、従来の選挙活動ではITとSNSを駆使する民主党に対抗できないとの強い危機感を抱いていた。

そんなところに「イギリス上流階級」の洗練された若者が、最先端の心理学とビッグデータを駆使した選挙戦術を売り込みにきた。ニックスはたちまちアメリカの保守派に人脈をつくり、オルタナ右翼のニュースサイト「ブライトバート・ニュース」設立者であるスティーブ・バノンと知り合い、バノンから大富豪のロバート・マーサーと娘のレベッカを紹介された。

マーサーはコンピュータサイエンスの天才で、1970年代にIBMで初期の人工知能を研究したあと、40代後半(1993年)で天才数学者ジェームズ・サイモンズが率いるヘッジファンド、ルネッサンス・テクノロジーズに参加し、そこでの成功によって莫大な資産を築くことになる(主要ファンドのメダリオンは1989年から2006年のあいだに年平均39%の収益をあげた)。

60歳でヘッジファンド業界から身を引くと、マーサーは次女のレベッカとともにアメリカ政治に深くかかわるようになり、「超保守主義のリバタリアン」として、共和党・保守派の主要な資金提供者の一人になっていく。そんなマーサーが、選挙に「科学」を持ち込んだSCLとニックスに関心をもつのは当然だった。

2012年、ニックスはマーサーから1500万ドルの出資を受けてアメリカで新会社を設立する。「ケンブリッジ・アナリティカ」という社名はスティーブ・バノンが命名したという。

ここまでが、カイザーがニックスと出会う「前史」だ。ニックスがなんの経験もなく野心しかない20代のアメリカ女性を営業で雇ったのは、アメリカの保守政界に食い込むのに役に立つと考えたからだろう。

謎の男アレクサンダー・ニックス

『告発』の魅力のひとつは、著者のカイザーがイギリスの“上流階級のなかの上流階級”で、世界じゅうの選挙結果を操ろうとするアレクサンダー・ニックスという謎の男と3年にわたって身近に接してきたことだ。とはいえ、ニックスがそもそもなにを目的にしていたのかは最後までよくわからないままだ。

イギリスの大富豪の一族に生まれ、ノルウェーの大富豪を妻に迎えたニックスには、カネのために働く理由はまったくない。だがニックスは報酬の支払いにはきびしく、「この仕事でいくら儲かるか」に執着していた。

カイザーがSCLをはじめて訪れたとき、バッキンガム宮殿のグリーンパーク近くにある事務所は「1960年代から一度も改装していないような古いビル」で、「名も知れない小さな新興企業のオフィスが集まっていて、SCLもビタミン飲料の会社と廊下を共有していた」「1階の会議室に通じる廊下には、小さな瓶が詰まった木箱が所狭しと置かれ、足の踏み場もない。会議室は全入居者の共有スペースになっていて、使うときには時間単位で料金を支払う必要があるらしい。アレクサンダーのような上流階級(ボッシュ)の政治コンサルタントのオフィスとして想像していたのとはまるで違っていた」と描写されている。

「そもそもSCLのオフィスは、大物の実業家や国家元首を連れてくるような場所ではない。狭く、窓もなく、正午頃でも薄暗かった。カーペットはすり切れたグレーの工業用のもので、吊り天井は小さなくぼみででこぼこしており、奇妙な染みがついていた。ふたつのガラスボックス(幹部とデータサイエンティストの部屋)を除けば、およそ90平方メートルのひと部屋にスタッフ全員が押し込まれ、机を寄せてつくったふたつの島の周りを取り囲んでいた。ほかには、内密のミーティングができる唯一のスペースとして2.5メートルか3メートルほどの小さな部屋があり、テーブルがひとつと椅子がいくつか置いてあった。エアコンがないので「スウェットボックス」と呼ばれていた。社員たちが缶詰のイワシのように「スウェットボックス」に詰め込まれているあいだ、アレクサンダーは見込み客を近くの洒落たバーやレストランで接待するのだ」

この雑居ビルの狭いオフィスで働いていたのはルーマニア人やリトアニア人のデータサイエンティストで、それを仕切っていたのはケンブリッジ大学の同級生である2人の博士だった。卒業後は金融機関や石油サービス会社で働いていたが、「最先端のデータプログラムを設計する機会と自分の裁量で仕事のできる機会を求めてSCLに移ってきた」のだ。――SCLには一時期、グーグルの元CEOエリック・シュミットの娘ソフィアもインターンで働いていた。

ニックスは、政治的イデオロギーにまったく興味がなかったようだ。アメリカの保守派に近づいたのは、民主党=オバマ陣営がすでに選挙でSNSを活用しており、食い込む余地がなかったからだ。ブレグジットにかかわるようになったのも、マーサーやバノンから英国独立党(UKIP)など離脱派を紹介されたからだった。

2016年の共和党大統領候補を決める予備選では、SCL=ケンブリッジ・アナリティカはテッド・クルーズとトランプ陣営に助力していた。そのときニックスは、カイザーにこういっている。

「トランプが大統領になるなどと考えているのはもちろん馬鹿げている(中略)。米国人はそんなことを考えないし、多くの人が笑い物にしている。(テッド・)クルーズや(マーク・)ルビオ、あるいはほかの誰かが共和党の指名を獲得し、結局はヒラリーに負ける」

ニックスは天性の営業マンで、彼が夢中になるのは「大衆を操って選挙に勝つ」というゲームと、世界じゅうの有名人とレストランやバー、パーティーなどで飲み騒ぐことだったようだ。ニックスはカイザーに、「(個人情報を使って選挙結果を操ることは)西部開拓時代と同じだよ」と述べた。

「行動マイクロマーケティング」の驚くべき効果

カイザーは、ケンブリッジ・アナリティカが行なっていたのは「PSYOP(サイオプ)」だという。Psychic Operation(心理作戦)のことで、Psychic War(心理戦争)を言い換えたものだ。

PSYOPの基本は「行動させるコミュニケーション」だ。クライアントへのプレゼンテーションでは、ニックスはこれを、プライベートビーチに一般人が入ってこないようにするにはどうすればいいかで説明する。

対処法のひとつは、四角い白い看板に「パブリックビーチはここまで」と書いた看板を立てることだが、これはまったく効果がない。もうひとつの対処法は、鉄道の踏切のような鮮やかな黄色の三角形の標識に、「注意! サメの目撃情報あり」と書くこと。こちらはものすごく効果がある。コミュニケーションの仕方によって、ひとびとの行動は自由に操作(operate)できるのだ。

ニックスはクライアントに、「弊社は広告会社ではありません」と説明する。「人の心理を見抜く力を備え、科学的に厳密なコミュニケーションを行う会社なのです。政治運動やコミュニケーション活動が陥りがちな最大の誤りは、めざす目標地点ではなく、現在いる場所から始めようとすることです」

「現在いる場所」とは、たとえば目の前にある(売りたい)商品だ。映画館でコーラの販売量を増やしたいと相談すれば、広告代理店の営業マンは「販売場所にもっとコーラをたくさん置きましょう。コーラのブランド化が必要です。映画の前にコーラの宣伝をする必要もあります」というだろう。

だがニックスは、「それは全部コーラのことだ」という。「ここで立ち止まって、ターゲットとなる観客に視点を移し、『いったいどんなときにコーラをもっと飲みたくなるのだろう』と考えてみてください」

そして次のスライドで、映画館の空調の温度がどんどん上がっていく様子を見せる。「やるべきなのは、ただ劇場の室温を上げることなのです」

大衆を動員する手法は、全体主義(ナチズム)の研究などで繰り返し取り上げられてきた。SCLの新しさは、大衆をセグメントに分類して、それぞれのグループに最適な「行動させるコミュニケーション」を開発し、さらに効果を高めていることだ。これが「サイコグラフィクス」で、性格タイプに合わせて特定のメッセージを送ることは「行動マイクロマーケティング」と呼ばれる。

サイクゴラフィックスのベースになるのが「ビッグファイブ理論(OCEANモデル)」で、パーソナリティ(そのひとらしさ)は、「開放的(Open)」「堅実(Conscientious)」「外向的(Extroverted)」「協調的(Agreeable)」「神経質(Neurotic)」の5つの特性の組み合わせで理解できるとする。

銃規制に反対するキャンペーンを行なうとき、サイコグラフィックスで「閉鎖的で協調性がある」とされたグループには、伝統と家族の価値を強調する言葉とイメージを使った広告が効果がある。

それに対して「外向的で協調性に欠ける」グループは、「何に関しても自分の意見を聞いてもらいたがる」「自分にとって何が最善か知っていて、何事も自分で判断したいと思っており、人の指図を受けることを、特に政府から指図されるのを嫌う」とされる。「自助自立」を重視するこうしたターゲットは、女性が拳銃を振りかざし、きびしい表情を浮かべ「私が拳銃をもつ権利を問題にしないでほしい。あなたが拳銃をもたない愚かさを問題にしないから」という広告に強く反応したという。

ケンブリッジ・アナリティカはビッグファイブ理論をもとにターゲットを32の主要な性格グループに分け、それぞれのグループごとに最適化された広告をつくるだけでなく、それを20~30ものバリエーションにして異なる時間に送信し、ソーシャルメディアの異なるフィードに掲載して、なにがいちばん効果的かを検証した。ランダム化比較試験によって、もっとも費用対効果の高い広告を効率的に見つけようとしたのだ。

世界を揺るがした「若き天才」たち

ケンブリッジ・アナリティカのPSYOPが成功するためには、ターゲットとなる有権者の膨大なビッグデータが必要だ。疑惑の焦点は、それをフェイスブックから不正に入手したのではないかというものだった。

2015年12月、英紙ガーディアンが、アレクサンドル・コーガンなる「ロシアと関係の深い」ケンブリッジ大学の講師が、フェイスブックのデータをケンブリッジ・アナリティカに提供したとの疑惑を報じた。記事によれば、コーガンは2014年にアマゾンの「メカニカルターク」で「これがあなたのデジタルライフです」という性格診断クイズを実施し、応じたユーザーに1ドルずつ払った。ユーザーがフェイスブックでこのクイズに回答すると、「友だちAPI」によって、ユーザーと友だちリストにある全員のデータが取り込まれた。コーガンは回答者の性格をモデル化するプログラムとフェイスブックのデータセットをケンブリッジ・アナリティカに売ったというのだ。

だがこれについては、関係者の主張が錯綜している。カイザーは、「友だちAPI」の機能を使えば膨大なデータを入手することは可能だが、これはフェイスブックがビジネスとして行なっていたことで、「2012年のオバマキャンペーンでも友だちAPIは使われていた」と指摘する。オバマ陣営の中心的なデータサイエンティストは、「自分はオバマ・フォー・アメリカのデータ統合プロジェクトすべてにかかわっていたが、データに関してはルールに従って行動していたので恥じることは何もなかった。ただひとつ、『友だちAPI』だけは不気味に感じていた」と書いている。

ケンブリッジ・アナリティカは、独自の方法でフェイスブックからデータを収集してもいた。「セックス・コンパス」では、ベッドでの好きな体位といった性的嗜好を探る質問によって「性的性格」を診断し、「ミュージカル・セイウチ」では、マンガっぽく描かれた小さなセイウチが「本当の音楽的アイデンティティ」を判定する。こうした人気アプリを使ってユーザーと彼らの「友だち」のすべてのデータを集めるのだが、これはクレジットカード会社から信用情報を合法的に購入するのとまったく同じで、会社案内のパンフレットにも「フェイスブックの3000万人を超えるデータをはじめ、約2億4000万の米国人のデータを保有している」と公式にうたっていた。

フェイスブックが方針を変更して「友だちAPI」によるデータ収集を禁じたのは2015年のことで、だとすればコーガンの行為も、彼からデータを購入したケンブリッジ・アナリティカもまったく問題ないことになる。実際、フェイスブックはケンブリッジ・アナリティカに対して、「サーバーからフェイスブックのデータを削除してバックアップがないことを確認した」とのメールを受け取っただけで満足し、それ以上のことはなにもしなかった。

話をさらに混乱させるのが、ガーディアンにこの情報を提供したクリストファー・ライリーという若者だ(1989年生まれで当時26歳)。カイザーと並ぶもうひとりの「内部告発者」で、緑色に染めた髪に眼鏡の風貌を覚えているひともいるだろう。

医師と精神科医の両親のもとにカナダのヴィクトリアで育ったワイリーは、子ども時代にディスレクシア(難読症)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されたコンピュータの天才で、まさにハッカーの典型のような人物だ。

ワイリーの経歴はカイザーと驚くほど似ていて、学校をドロップアウトしたあとカナダのリベラル政党の選挙キャンペーンにかかわり、2008年のオバマの選挙活動にボランティアとして参加した。その後、ロンドンの大学に進み、2013年(カイザーの1年前)にSCLでデータサイエンティストとして働きはじめる。

そこでの役割についても関係者で意見が食い違っているが、英語版Wikipediaの記述によると、ワイリーはSCL時代にサイコグラフィックスの手法を習得し、ケンブリッジ・アナリティカのサーバーから8700万人のフェイスブックユーザーのデータセットを不正にもちだして、ケンブリッジ・アナリティカのシニアスタッフとともにユーノア・テクノロジーズ(Eunoia Technologies)という会社を設立し、ブレグジットやトランプ陣営に売り込みにかかった。

当然、ケンブリッジ・アナリティカのニックスと法的紛争になり、2018年にユーノアは解散・閉鎖された。そして同年3月、ワイリーはケンブリッジ・アナリティカのスキャンダルの内部告発者として華々しくデビューすることになる(著書に“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica’s plot to break the world”(マインドファック ケンブリッジ・アナリティカの世界破壊作戦の内幕)がある。

それに加えてさらに話をややこしくするのは、マイケル・コジンスキーなる元ケンブリッジ大学心理統計学センター講師(現在はスタンフォード大学准教授)が現われて、「ケンブリッジ・アナリティカのサイコグラフィックスは自分がつくった」と主張したことだ。コジンスキーは2008年に博士後期課程の学生としてポーランドからケンブリッジにやってきて、同僚が開発した「マイ・パーソナリティ」というフェイスブックのアプリを使って、何百万というフェイスブックのユーザーに関する正確なモデルを構築した。

2014年にそれを聞きつけたコーガンが商用利用の目的で接触してきたが、コジンスキーは申し出を断った。その後コーガンは、おそらくは不正な手段でコジンスキーのデータセットを入手し、ケンブリッジ・アナリティカに持ち込んだというのだ。

真相がどこにあるかは、疑惑の中心であるアレクサンドル・コーガンがシンガポールに逃れ、映画『007 スペクター』からとった「アレクサンダー・スペクター」という偽名で隠れ住むようになったことで藪の中になった。コーガンは1985年(あるいは86年)に旧ソ連領のモルドヴァに生まれ、ロシアのサンクトペテルブルク大学と関係があるほか、中国政府からも研究資金を得ているとされる。

このように「データゲート事件(ケンブリッジ・アナリティカ スキャンダル)」には多士済々な人物が登場するが、興味深いのは、カイザー、ワイリー、コーガン、コジンスキーなどがみな1980年代生まれで、事件当時は20代か30代前半だったことだ。ブレグジットとトランプ大統領誕生という世界を揺るがした大事件の背後には、「若き天才」たちがいた。

フェイスブック、グーグル、ツイッターはトランプ陣営に協力していた

ケンブリッジ・アナリティカの行動マイクロターゲティング戦略は、2016年の大統領選の結果にどれほどの影響を及ぼしたのか。最後に、カイザーによる評価をまとめておこう。

ニックスたちは、保守派の有権者を「コア・トランプ有権者(選挙活動に動員する)」「投票させるターゲット(投票する気があるが行くのを忘れるかもしれない者たち)「無関心なトランプ支持者(予算が余ったときにだけ働きかけかける)」、リベラルな有権者を「コア・クリントン支持者(なにをしてもムダ)」「あいまいなクリントン支持者(投票を思いとどまらせる)」グループに分けた。

さらに、説得可能な有権者の性格タイプが州ごとにちがうことも割り出した。たとえばアイオワ州の保守派は「ストイック」「世話好き」「伝統主義者」「衝動的」で、サウスカロライナ州の保守派は「衝動的」の代わりに「個人主義者」が入る。「ストイック」な有権者へは伝統、価値観、過去、行動、結果といった言葉を織り交ぜたメッセージを送り、「個人主義者」は決断や防御といった言葉を含むメッセージが効果的だった。

選挙後の評価では、こうした心理的働きかけの結果、トランプの好感度を平均で3%上昇させ、「投票させる」キャンペーンでは有権者の不在者投票の申請を2%増加させたという。オンライン広告を見た14万7000人の調査では、11.3%がトランプに好感をもつようになり、トランプに投票する意思がある有権者が8.3%増加した。「トランプが僅差で勝ったことを考えると、これは大きな成功」だとカイザーはいう。

PSYOPのもうひとつの目的は、ヒラリーへの投票を思いとどまらせることだった。「フェイスブックのビデオ広告によってトランプに投票する意思をもつ人が3.9%増加し、ヒラリーに投票する意思をもつ人が4.9%減少した」とされるが、そのときに大きな効果を発揮したのが、ニュース記事とまったく同じに見える「ネイティブ広告」だ。

「非常に神経質」に分類されたひとたちには「怖がらせる」メッセージがもっとも効果的で、「ヒラリーは米国を破壊する」というネイティブ広告は、対照群より20%も高い効果を示した。「中道左派の女性は実はやや保守的」という傾向もあり、「家庭を切り回せないようなら、ホワイトハウスは絶対に切り回せない」というミシェル・オバマの、2007年のオバマvsヒラリーの民主党予備選での発言を文脈から切り離し、夫の浮気に対してヒラリーを揶揄しているように見せかけるメッセージも効果的だった。ネイティブ広告は「費用は高くついたが投資効果は驚異的だった」とカイザーはいう。

もうひとつ重要なのは、「ケンブリッジ・アナリティカ経由だけでも1億ドルがデジタル広告に使われており、そのほとんどがフェイスブックに注ぎ込まれた」とのカイザーの指摘だ。莫大な選挙資金がIT大手に投じられた見返りとして、トランプの選対本部にはフェイスブック、グーグル、ツイッターから社員が派遣され、さまざまなサービスを提供した。

これをフェイスブックは「一段上のカスタマーサービス」、グーグルは「アドバイザーの立場」、ツイッターは「無償の労働」と説明した(クリントン陣営はフェイスブックの支援を断った)。――現在、tweetをめぐってトランプとツイッター社は対立しているが、大統領選では「カンバセーショナル広告形式」を使って、トランプのキャンペーンのツイートがヒラリーのツイートの上に表示される仕組みを提供していた。

カイザーは、「社会的弱者」にグルーピングされるのは多くが非常に神経質なひとたちで、恐怖を喚起する広告がきわめて大きな効果を発揮したと述べる。トランプ支持の「プアホワイト」だけでなく、ブレグジット支持者のなかの「落ちこぼれ」層も同じで、「恐怖心に訴えかけるメッセージを送れば、最も説得可能な人たち」だった(それ以外の離脱派の類型は「熱心な活動家」「若い改革者」「不満を抱く保守党支持者」)。

彼ら/彼女たちは「政治家、銀行、企業をはじめとするエスタブリッシュメントに対して猜疑心を抱き、自分の経済状況、公共秩序の悪化、そして将来全般に不安を感じ」ていて、とりわけ移民問題に関心が高い。「「恐れ」は神経質な人たちに限らず、誰に対しても、私たちのもっているどんなツールよりも効果的」なのだ。

白人警官が黒人の容疑者を死亡させた事件をめぐって、現在、アメリカ全土で大きな混乱が起きている。この事態に際してトランプは、州兵だけでなく米軍を派遣する意向を示し、対立をさらに煽っているように見える。

こうしたtweetは衝動的なように思えるが、それはトランプ選対本部のデータサイエンティストたちが、2020年11月の大統領選に向けての「効果な選挙活動」として戦略的に指示しているのかもしれない。「行動マイクロターゲティング」の手法を知れば、これを「陰謀論」として一笑にふすことはできなくなるのではないだろうか。

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