『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』発売のお知らせ

NHK出版新書より行動遺伝学者・安藤寿康さんとの対談『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』が発売されます。発売日は11月10日ですが、都内の大手書店では今日の夕方から並んでいるところもあるかもしれません。 Amazonでも予約できます(電子書籍も同日発売です)。

書店で見かけたら、ぜひ手に取ってみてください。

 

いかに「地獄」を生き延びるか?
知能格差社会の真実から遺伝的な適性の見つけ方まで

GWAS(ゲノムワイド関連解析)によって、行動遺伝学は集団単位から個人単位になり、生まれたときに、あるいは受精卵の段階で、一人ひとりの未来を(かなりの程度)予測できるようになりました。

本書では、社会を大きく変えるであろうこの驚くべきテクノロジーについて、日本における行動遺伝学の第一人者、安藤寿康さんと語りました。遺伝と知能、パーソナリティ、さらにはヒト集団との関係まで、これまでタブーとされていたことについても、誠実に答えていただきました。

これまで(文系)心理学や教育学、社会学などは遺伝の影響を無視して議論(空理空論)を展開してきましたが、テクノロジーの急速な進歩によってもはや科学的事実から目をそむけることはできなくなり、人文科学は自然科学に侵食され、これまでの知見は意味を失っていくでしょう。

遺伝と環境は対立するものとされていましたが、近年の行動遺伝学では、「環境も遺伝する(一人ひとりが遺伝的な特徴に合った環境を構築する)」という理解が広がっています。それにともなって、「運も遺伝する」のです。

遺伝学の分野ではいま、社会やわたしたちの未来を大きく変えていくイノベーションが起きています。それを知るうえで、格好の入門書になっていると思います。

もはや誰も、「遺伝の影」から逃れることはできません。

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『運は遺伝する: 行動遺伝学が教える「成功法則」 』【目次】

まえがき 誰も「遺伝」から逃れることはできない 橘 玲

第1章 運すら遺伝している―DNA革命とゲノムワイド関連解析

第2章 知能はいかに遺伝するのか

第3章 遺伝と環境のあいだ

第4章 パーソナリティの正体

第5章 遺伝的な適性の見つけ方

第6章 遺伝と日本人ーどこから来て、どこへ行くのか

あとがき 遺伝を取り巻く「闇」と「光」 安藤寿康

橘玲x安藤寿康『運は遺伝する』

第112回 差別生み出す「年収の壁」(橘玲の世界は損得勘定)

民主的な社会の大原則は、すべての市民を無差別(平等)に扱うことだ。人種、民族、性別、出自、性的指向などの属性で個人の扱いを変えることは差別として容認されないし、ものすごく嫌われる。

ところが日本では、こうした市民社会の原則に反することがたくさんある。正規/非正規の「身分差別」が典型だが、国民年金の第3号被保険者制度もそのひとつだ。

日本は国民皆年金で、すべての成人が年金保険料を支払い、原則65歳から納付総額に応じた年金を受給することになっている。だが奇妙なことに、保険料を支払うことなく年金を受け取れるひとたちがいる。これが第3号被保険者で、その多くはサラリーマンや公務員の夫をもつ専業主婦だ。

この制度がものすごく不公平なのは、次のようなケースを考えてみればいいだろう。

ある女性はシングルマザーとして幼い子どもを育て、年収300万円程度の苦しい生活をしながら満額の年金保険料を支払っている。

一方、別の女性は夫の年収が2000万円以上ある裕福な専業主婦で、生活にはなんの不安もない。それにもかかわらず年金保険料を免除され、将来の年金受給が約束されている。

このときシングルマザーの女性から「こんな制度はおかしい」と訴えられたら、どう答えるのか。それができないのなら、制度そのものが「差別」なのだ。

岸田政権は人手不足の対策として、パートの主婦らが社会保険料の負担を避けようと就業調整する「年収の壁」の解消を目指している。だがその方法は、労働者一人あたり最大50万円を企業に支給する助成金制度を創設することだという。

この話がおかしいのは、差別を解消するのではなく、短時間労働の主婦パートに税を投入することで新たな「差別」をつくり出していることだ。もっとも効果的なのは第3号被保険者制度を廃止することで、これで年収の壁はなくなってすべての市民が平等になる。そのうえで、所得の低いひとや、さまざまな理由で働けないひとを支援すればいいのだ。

北欧社会もかつては社会保障が世帯単位だったが、半世紀ほど前に個人単位につくり替えた。近代社会は、自立した市民によって構成されるべきだからだ。ところが日本では1986年に、「夫が働き妻が家庭を支える」という家父長制的な家族制度を守るために、第3号被保険者制度を創設している。

奇妙なのは、家父長制を批判してきたフェミニストが、この差別的な制度に反対しないばかりか、逆に支持したことだ。政治家も「選挙に有利になる」と皮算用したのだろうが、堂々と「こうした制度は民主社会の原則に反する」と反対すべきだった。

この例にかぎらず、日本社会では「正しいこと」よりも「誰からも嫌われないこと」が好まれる。こうして安易な解決策に飛びつくのだが、その結果、将来より大きなつけが回ってくることを、いつになったら学習するのだろうか。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.112『日経ヴェリタス』2023年10月28日号掲載
禁・無断転載

イスラエルを批判するユダヤ人たち 週刊プレイボーイ連載(581)

10月7日にガザを実行支配するイスラームの武装組織ハマスの戦闘員およそ2000人がイスラエルを襲撃し、民間人など1400人以上が死亡し、200~250人が人質としてガザに連れ去られるテロが起きると、ハーバード大学の33の学生グループが、「イスラエルの体制が、明らかになりつつあるすべての暴力に全面的な責任がある」というステイトメントを発表しました。

当然のことながらこの行動は、「テロを擁護している」としてはげしい批判を浴び、ハーバード大学の学長(今年7月に就任した「多様性を象徴する」黒人女性の政治学者クローディン・ゲイ)は、「いかなる学生グループも大学やその指導者を代弁してはいない」との釈明を余儀なくされました。しかしその一方で、言論・表現の自由だとして、学生たちにステイトメントを撤回させることは拒否しています。

署名したのはほとんどがムスリムの学生とイスラーム圏からの留学生の団体ですが、今回の問題の複雑さを象徴しているのが、アムネスティ・インターナショナルのハーバード支部と、「解放のためのハーバードのユダヤ人(Harvard Jews for liberation)」という団体が名を連ねていることです。

国際的な人権団体であるアムネスティは2022年に「イスラエルによるパレスチナ人へのアパルトヘイト 残虐な支配体制と人道に対する罪」という調査報告書を発表し、「イスラエル当局は、パレスチナ人に対するアパルトヘイトの罪で責任を問われなければならない」と強く批判しました。ハーバードの学生支部はアムネスティ本部を代弁するわけではありませんが、(一般市民へのテロが許されないとしても)差別され抑圧された者に抵抗の権利があることは否定できないでしょう。

より不可解なのはユダヤ人学生のグループですが、これも右傾化する一方のイスラエル(ネタニヤフ政権)が国際社会から「アパルトヘイト国家」と見なされるようになったことと無関係ではありません。学生新聞の紹介記事によると、この団体はハーバード神学校のユダヤ人学生によって設立され、「ユダヤ人のイスラエル(シオニズム)からの解放」を目指しているようです。

BLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動で見られたように、アメリカのリベラルな(あるいは左派=レフトの)若者たちは、あらゆる差別が許されないことを当然として育ってきました。ところがユダヤ人は、「社会正義」に関心の高いウォーク(目覚めた者)であるほど、パレスチナ問題について頻繁に自らの立場を問われることになります。

これまでは歴史的なユダヤ人差別(ホロコースト)など、イスラエル建国を正当化する論理があったのですが、ネタニヤフ首相がトランプ前大統領と「蜜月関係」になると、もはや「パレスチナ人に対する差別に加担しているのではないか?」との批判に答えられなくなくなりました。

こうして、「ユダヤ人としてのアイデンティティを守るために、イスラエルと決別する」ひとたちが現われました。この現象は、「イスラエルvs.ユダヤ人」と呼ばれます。

イスラエルのガザ封鎖と空爆で住民の犠牲が広がるなか、「リベラルなユダヤ人」はますます引き裂かれることになりそうです。

参考:シルヴァン・シペル『イスラエルvs.ユダヤ人 中東版「アパルトヘイト」とハイテク軍事産業』林昌宏訳、明石書店

『週刊プレイボーイ』2023年10月30日発売号 禁・無断転載