メディアはなぜ、トランスジェンダーと敵対するフェミニストについて触れないのか? 週刊プレイボーイ連載(582)

トランスジェンダーが戸籍上の性別を変える際に必要とされていた「生殖能力を失わせる」手術を、最高裁が違憲と判断しました。近年、日本の司法はグローバルスタンダードに判断を合わせる傾向がありますが、これもそうした「リベラル化」のケースと考えていいでしょう。

ただし判決では、「生殖腺がないか、その機能を永続的に欠く」という生殖不能要件を不要としたものの、「変更する性別に似た外観を備えている」という外観要件については十分に審理が行なわれていないとして、高裁に差し戻しました。

(生物学的には女として生まれたが性自認が男の)トランス男性は、これまでも男性器の形成を求められておらず、生殖不能要件を否定したこの判決によって、身体に大きな負担をかける手術なしで「自分らしい」ジェンダーで生きることができるようになりました。

これには多くのひとが同意するでしょうが、メディアは「トランスジェンダー問題」の核心に触れるのを避けているようです。トランスジェンダーの権利を否定するのは頑強な保守派とされていますが、リベラル対保守のわかりやすい対立の構図では、手術なしのジェンダー移行に強硬に反対しているのが(一部の)フェミニストであるという事実が理解できません。「反トランスジェンダー」の活動家は、「トランス排除的ラディカルフェミニスト(TERF:ターフ)」という蔑称で呼ばれています。

TERFは左派(レフト)なので、すべてのひとが「自分らしく」生きることを当然としています。それにもかかわらずなぜトランスジェンダーと敵対するかというと、手術なしのジェンダー移行が女性(とりわけ10代の少女など)への性暴力の脅威になると考えているからです。

これは逆にいうと、女性に対する脅威がなければ、トランスジェンダーの権利は完全に認められるということです。トランス男性(その多くは元レズビアン)の場合、性自認が女から男に変わったとしても、性暴力の脅威が増すことはありません。

(生物学的には男として生まれたが性自認が女の)トランス女性でも、性的指向が男性(ゲイ)なら、ジェンダー移行後は「異性愛者」になるので、女性にとってなんの脅威もありません。トランス男性と、「異性愛者」のトランス女性は、TERFにとっては「問題」ではないのです。

だとしたらどこで揉めるかというと、トランス女性のなかに、結婚して子どもを何人もつくったあとに自分のアイデンティティが「女」であることに気づくひとたちがいることです。こうしたケースを研究者は、「オートガイネフィリア(自分に向けられた女性への愛)」と名づけました。

オートガイネフィリアは学問的に確立された概念ではなく、この言葉を使うこと自体が「トランス差別」とされることもありますが、トランス女性のなかに性的指向が(おそらく)女性の「同性愛者」のタイプがあることは否定できません。

更衣室や公衆トイレが欧米で深刻な論争になっているのは、トランスジェンダーすべてではなく、オートガイネフィリアが「悪魔化」されているからです。この事実を「差別」や「偏見」として黙殺するのではなく、そろそろ日本のメディアも、この難しい問題についてちゃんと論じるべきでしょう。

参考:アリス・ドレガー『ガリレオの中指 科学的研究とポリティクスが衝突するとき』鈴木光太郎訳、みすず書房

*オートガイネフィリアについては『世界はなぜ地獄になるのか』でより詳細に論じたので、あわせて参考にしてください。

『週刊プレイボーイ』2023年11月6日発売号 禁・無断転載

わたしたちはなぜ、知能の遺伝を認められないのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2019年1月31日公開の「「学力は教育によって無限に開発できる」というのはフェイクニュース 一般知能は77%という高い遺伝率を誇る「遺伝的な宝くじ」である」です(一部改変)。

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日本における行動遺伝学の第一人者、安藤寿康さんとの対談『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』が発売されました。

ここで書いたことはその後、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』として まとめています。

あわせてお読みいただければ幸いです。

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知能についての(誰もが知っている)「不都合な真実」は、それが人生において大きな影響力を持つことだ。あらゆるデータが、社会的・経済的成功が一般知能(IQ)と強く相関することを示している。

このことは近刊の『もっと言ってはいけない』(新潮新書)で書いたが、もちろんIQですべてが決まるわけではない。社会知能(コミュ力)や感情知能(共感力)など、生きていくのに大切な「知能」はほかにもある。

だが、ここにも「不都合な真実」がある。社会知能=SQ(Social IQ)や感情知能=EQ(Emotional IQ)は、一般知能と強く関連づけられているのだ。

アメリカの進化心理学者ジェフリー・ミラーは、このことを『消費資本主義!』( 片岡宏仁訳、 勁草書房)で論じている。ミラーはニューメキシコ大学准教授で、創造的知能=CQ(Creative IQ)が性淘汰で進化したとする『恋人選びの心 性淘汰と人間性の進化』( 長谷川眞理子訳、 岩波書店)などの著作があり、SNSでは「リベラル」の神経を逆なでするような発言で知られる。

*その後、ジェフリー・ミラーとタッカー・マックスの共著『モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた 進化心理学が教える最強の恋愛戦略』(寺田早紀、 河合隼雄訳、 ‎ SBクリエイティブ)の日本語版を制作した。

 「いいね!」の数で性格がわかる

ミラーは、人間の行動は6つの尺度で予測できるという。これが「中核6項目」だ。

中核6項目は、心理学でいうビッグファイブに一般知能(g因子)を加えたものだ。ビッグファイブは現代心理学の中心理論で、パーソナリティ(人格/性格)は「経験への開放性(O:Openness to experience)」「堅実性(C:Conscientiousness)」「外向性(E:Extraversion)」「同調性(A:Agreeableness)」「神経症傾向(N:Neuroticism)」の組み合わせで構成されているという。――その頭文字をとって「OCEAN」とも呼ばれる。

ミラーはここに一般知能(G)を加え、神経症傾向を「安定性(S:Stability)」に変えて「GOCASE(ゴーケイス)」という略語をつくった。

――と、ここまで読んで「人間の性格が5つの因子で説明できるなんてうさん臭い」と思っただろう。じつは私も、ずっとビッグファイブ理論には懐疑的だった。性格の特徴なんていくつもあるのだから、アカデミックな装いをした性格診断の類ではないだろうか。

だがこの疑いは、ある出来事によって粉砕された。それが、ケンブリッジ・アナリティカ事件だ。

ケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)はデータ分析を専門とする選挙コンサルティング会社で、EU離脱の是非を問うイギリスの国民投票やアメリカ大統領選で、Facebookから不正に取得した個人情報を利用してEU離脱派やトランプ陣営にアドバイスを行なったとして大問題になり、2018年5月に破産・解散した(これによってFacebookの時価総額は一瞬にして1000億ドル吹き飛んだ)。

選挙分析でケンブリッジ・アナリティカが用いたのが「マイクロターゲティング」で、SNSなどの個人情報から一人ひとりのパーソナリティを解析し、もっとも影響力を行使しやすい有権者=ターゲットを抽出して集中的に広告予算を投入する戦略を立案・実行したとされている。その理論的支柱として注目されたのが心理学者マイケル・コジンスキーだ。

2011年、ケンブリッジ大学で心理学を専攻していたコジンスキー(現在はスタンフォード大学ビジネススクール准教授)は、オンラインデータから回答者のパーソナリティを判断できるなら、面倒な心理テストは不要になるのではないかと思いついた。そして、ビッグファイブを使った標準的な性格診断テストをいくつか用意するとFacebookに投稿し、質問に答えてくれるようユーザーに呼びかけた。

この性格テストはまたたくまに拡散して何百万というデータが集まった。このビッグデータを統計的に解析したコジンスキーは、彼らの回答と「いいね!」のあいだに強い相関関係があることに気づいた。そして、心理テストを受けていなくても「いいね!」だけでユーザーの詳細な性格を診断できるアルゴリズムを開発したのだ。

コジンスキーは2013年、研究結果を論文にまとめて発表し、容易にアクセスできるデジタルの行動記録を利用することで、ユーザーの性的指向、民族、宗教的信条、政治的見解、さらには個人的特徴、知性、幸福度、薬物の使用、親の離婚の有無、年齢、性別まで迅速かつ正確に予測できると主張した。

コジンスキーによると、アルゴリズムを使った「人格」の理解は10の「いいね!」で同僚、70の「いいね!」で友人、150の「いいね!」で両親、250の「いいね!」で配偶者のレベルに達する。

なぜこんな奇妙なことになるのだろうか。それを知るには、「そもそも人格=性格とは何か?」から考えなくてはならない。

性格とは、相手について「気になること」の統計的平均

私たちはごく自然に、人格は自分の内面にあるものだと思っている。「当たり前じゃないか」というだろうが、これはほんとうだろうか。

「氏が半分、育ちが半分」というように、性格の背景に生得的な要因があることは間違いない。行動遺伝学によれば性格の遺伝率はおおよそ50%で、残りは環境要因だ。そして子どもの人格形成においては、親の子育て(共有環境)より友だち関係(非共有環境)の方がはるかに影響力の大きな「環境」であることがわかっている。

人格は、遺伝的要因と環境要因(友だち関係)の「相互作用」によってつくられていく。

「楽天的」な子どもや「おとなしい」子どもは、それぞれ親から受け継いだ異なる遺伝子を持っている。子どもは、外見や能力などの生得的な特徴をフック(手がかり)にして友だち関係のなかで固有のキャラをつくっていく。

その結果、「あの子は真面目だ」という評判が広まると、それが内面化されて真面目な性格になるし、「陽気で頼りがいがある」と評判の子どもはその期待を裏切らないように振る舞うだろう。「わたし」は、遺伝と環境(友だち関係)の「共進化」から生まれるのだ。

このように考えれば、性格というのは、他者の評価の「統計的平均」を内面化したものだということになる。

初対面の相手と会ったとき、評価するのはなんだろう? それはもちろん、「気になること」だ。

もともとビッグファイブは、1930年代に心理学者が収集した「人間の性格を記述する英語の形容詞」4500語から始まった。この大量の形容詞を分析すると、およそ5つにグループ分けできることがわかったのだ。

ミラーはこの5つに一般知能を加えるが、それは、他者があなたに(あなたが他者に)ついて、(外見を除けば)以下の「中核6項目」しか気にしないからだ。――それ以外にも「性格」はあるのかもしれないが、誰も興味がないから「言葉(形容詞)」にならない。

① 頭がいいか悪いか(一般知能)
② 新しいものに興味があるか、保守的か(経験への開放性)
③ 信頼できるか、あてにならないか(堅実性)
④ みんなといっしょにやっていけるか、自分勝手か(同調性)
⑤ 正気か、どうかしているか(安定性)
⑥ 明るいか、暗いか(外向性)

どうだろう。あまりにかんたんすぎると思うかもしれないが、この「中核6項目」以外に、相手についてどうしても知りたいことがあるだろうか?

はじめてのデートで「どんな曲が好き?」と訊くのはなぜ?

コジンスキーのアイデアは、フェイスブックの「いいね!」をこの「中核6項目」に関連づけることだった。これは、音楽の好みを使った実験がわかりやすい。

研究者は、アメリカの大学生74人に、ビッグファイブ性格質問票に回答してもらってから好きな曲上位10曲をあげさせた。次いでその10曲をCDにまとめ、8名の判定者に聴かせて、選曲した学生の性格を評価してもらった。この実験では、判定者は学生の性別や年齢、出身地や人種などについてなんの情報も与えられていない。

すぐにわかるように、これは音楽について「いいね!」10個を与えられたのと同じだ。

その結果は、ビッグファイブ特徴のうち4つで、判定者の評価は学生が自己申告した性格に有意に相関していた。相関係数は開放性0.47、外向性0.27、安定性0.23、同調性0.21で、堅実性は音楽からは予測できなかった。こうした相関は低く思えるかもしれないが、判定者が音楽の好み以外なにも知らないことを考えれば驚くべきものだ。

この高い精度をもたらしたのは、選曲者の好む音楽ジャンルと、曲の音響的特徴だという。情動の安定した学生はカントリー音楽を好んだし、外向的な学生はエネルギッシュで歌唱の多い音楽を好んだ。

このことは、演歌、Jポップ、オペラ、フリージャズが好きなひとを思い浮かべると、自然にその人物像が浮かび上がってくることからもわかるだろう。私たちはさまざまな手掛かりを使って、相手が何者かを読み取ろうとしている。初対面の異性に会ったとき「どんな曲が好き?」と訊くのは、それが相手の性格を知るよい指標になるからだ。

コジンスキーはこのアイデアをビッグデータを使って大規模に行ない、中核6項目と「いいね!」を結びつけるアルゴリズムを開発した。その結果、SNSのデータだけでほぼ完璧に性格(人格)が判定できるようになったのだ。

ちなみにこのアルゴリズムはケンブリッジ大学が公開しており、「Apply Magic Sauce」のホームページに自分のSNSのデータをアップロードすることで体験できる。

残念なことに日本語には対応しておらず、私が自分のTweetを読み込ませたところ「年齢24歳」となった。英語ベースでSNSを使っているひとは、試してみたら面白いだろう。

似ている相手と一緒にいると楽しい

ミラーは、中核6項目のなかで一般知能には際立った特徴があるという。それは、誰もが例外なく賢い相手を高く評価することだ。

古代や中世はわからないが、少なくとも産業革命以降の「知識社会」では、一般知能は相手を評価するもっとも重要な指標になった。「頭のいい」親族や友だちは社会的・経済的に成功する可能性が高く、彼ら/彼女たちと近しい関係にあることは生き延びるうえでとても有利なのだ。――これは新興国も同じで、たとえばフィリピンでは、自分の子どもよりきょうだいの子どもの成績が(際立って)高いと、甥や姪の学費を出して自分の子には進学をあきらめさせる(これは実際にフィリピンの大家族から聞いた)。

それに対してビッグファイブの性格には単純な優劣はなく、その代わり「類は友を呼ぶ」がはたらく。これは「引き寄せの法則」とも呼ばれていて、自分と性格特徴が似ている相手に魅力を感じる性向のことだ。

「経験への開放性」が高いと新奇なグッズや珍しい体験に強い関心を抱き、同じように開放性が高い相手と交際したり結婚したりする。同様に、開放性が低く保守的なひとは、自分と似ている保守的な相手を選ぶ。

なぜこのようになるかというと、自分と性格が似ている相手といっしょにいると楽しいからだ。開放性が高い者同士だと、最先端のガジェット、突飛なファッション、前衛的な音楽、芸術系の映画から海外の秘境まで、一般のひととは成り立たないような会話ができる。

開放性が低い(保守的な)ひとがそんな場に紛れ込んだら、ものすごく気まずい雰囲気になるだろう。このひとたちは、アメリカンフットボール(日本ならプロ野球)をテレビ観戦しながら家族や友人とだらだらビールを飲むような関係が心地いいのだ。

同様に、外向的なひとは活発なグループに、内向的なひとは図書館で長い時間を過ごすようなグループに入るし、同調性が高いひとは、自分たちのグループに同調性の低い(自分勝手な)人間が入ってくることを嫌う。

私たちは無意識のうちにビッグファイブの性格特徴を理解していて、TPOに合わせて(一定の範囲で)使い分けている。「学校では真面目そうなのに、街で友だちといるところに会ったらぜんぜんちがうキャラで驚いた」というのは、誰もが思い当たるはずだ。これが「印象操作」で、子ども時代から思春期にかけて習得する必須の対人技能だ。

相手や場面、目標に合わせてビッグファイブ特徴をあれこれ変えて提示することで円滑なコミュニケーションが成立する。これが困難だと「コミュ力が低い」といわれるのだろう。

現代社会で重要なのは一般知能と堅実性

ビッグファイブの性格には一般知能のような単純な優劣はないが、それでも現代社会での適応度にちがいはある。そのなかでも重要なのは「堅実性(真面目さ)」で、一般知能とならんで雇用主が従業員に求める二大特徴のひとつだ。

堅実性が低いと約束を守らないし、あっさり他人を裏切る。極度に低くなると、後先を考えない衝動性(疾患)の色合いが濃くなり、犯罪歴を重ねたりする。だったらなぜ堅実性の低い人間がいるかというと、ビッグファイブが形成されたであろう旧石器時代には、裏切りや衝動的行動は「利己的な遺伝子」にとってなんらかのメリットがあったからだろう。

次いで重要なのは「(情動の)安定性」で、これが低いと神経質になり、極端になるとうつ病や不安障害、パニック障害などのリスクが高くなる。それに対して安定性が高いと、「たいていいつも楽観的で、穏やかで、ゆとりがあり、挫折や失敗からすぐ立ち直る」。より重要なのは、高い安定性が幸福感と正の相関を示すことで、先進国では、所得や中核6項目の他のどの特徴よりも情動の安定性から全体的な人生の満足度が予想できる。

「外向性」は自尊心につながりリーダーシップに向いているが、内向的だから不利なのかというとそうでもなく、研究者やエンジニアなど一人でする専門職に向いている。

「同調性」は他人といっしょにやっていける能力で、共感などと相関する。同調性が低いのは一匹オオカミタイプで、「利己的」「自分勝手」などといわれることもあるが、芸術家や起業家に向いている。

「経験への開放性」が高いと新しもの好きで、政治的にはリベラルになる。開放性が低いと変化に抵抗し、伝統を尊重する保守主義になる。

知能(偏差値)は正規分布(ベルカーブ)するが、ビッグファイブの性格特徴も、多くは平均付近に集まり、極端なものほど頻度が下がる。精神的にものすごく安定しているひとと、とんでもなく不安定なひとに二極化しているわけではなく、私たちの多くはたいていは精神的に安定しているものの、ときどきパニックを起こしたりする。それに加えて、知能を含む中核6項目がかなりの程度独立していることもわかっている。

味覚には、甘味、塩味、酸味、うま味、苦味の5つの「因子」しかない(脂肪味、金属味を加えることもある)。だがその味は(微かな甘みからものすごく甘いものまで)正規分布しており、その組み合わせによって多様な味が生まれる。因子の数が少ないからといって、単純だということにはならない。

性格もこれと同じで、きわめて複雑でさまざまなタイプがある。正規分布する中核6項目には無数の組み合わせがあり、その微妙なちがいを私たちは(無意識のうちに)見分けて、一人ひとりに独立した人格(A君とB君はよく似ているけど、やっぱりちがうね)を与えるのだろう。

最強の性格の組み合わせとは?

ビッグファイブの性格には一長一短があるが、ミラーのいう「不都合な真実」とは、それらが一般知能と組み合わされたときに顕著な特徴を示すことだ。

現代社会でもっとも成功するのは、知能が高く、外向的で、堅実性と安定性が高いタイプだ。この組み合わせはリーダーに最適で、政治や経済の世界で大きな影響力をもつことになる。その一方で、知能が高く、内向的で、堅実性と安定性が高いタイプは研究者に向いており、ノーベル賞を取るような学者になるかもしれない。

同様に、知能と同調性が高いタイプは組織のなかで出世し、知能が高く同調性が低いタイプは起業家として成功する。知能と開放性が高いタイプはアーティストに向いており、知能が高く開放性が低いと(保守的だと)宗教など伝統的社会で頭角を現わすだろう。

最近登場した新種の知性も、一般知能にビッグファイブのなんらかの特徴を組み合わせたものとして理解できる。

社会知能(SQ)は「コミュ力」のことだが、これは一般知能・外向性・同調性の組み合わせでかなり予測できる。自閉症では一般知能はほんのわずか平均を下回るだけだが、外向性と同調性はひどく低下している。

感情知能(EQ)は「共感力」や「自己制御力」のことだが、情動の理解は一般知能と相関し、状況に合わせて自己を的確に制御する能力はそれに堅実性・安定性を加えたものだ。

創造的知性(CQ)は基本的に一般知能に開放性を加えたものに等しく、堅実性(勤勉さ・向上心)や外向性(社会的ネットワーキング)が加わると芸術家として大きな成功が期待できる。

さらにいうと、アメリカの認知科学者ハワード・ガードナーのいう「多重知能」も、一般知能と才能の組み合わせに分解できる。

運動知能は「一般知能+高い運動能力」、音楽知能は「一般知能+高い歌唱力・演奏力」の組み合わせで説明できるだろう。素晴らしい身体能力をもっていたとしても、それをどのように使えばいいかを教えてくれる「一般知能」がなければ、超一流のアスリートにはなれない。

このように「知識社会」においては、どのような性格・能力も高い一般知能と組み合わせることでなんらかのアドバンテージ(優位性)を獲得できる。

その影響力があまりに大きすぎるからこそ、現代社会(知識社会)では知能の(生得的な)ちがいに触れることはタブーになり、知能の高いリベラルほど「一般知能などない」と強弁するようになった。それは、自分たちの社会的・経済的成功が努力によるものではなく、たんに「遺伝的な宝くじ」に当たっただけだという事実(ファクト)を暴露されたくないからだろう。

知能のちがいを「学力」に偽装するのは、「学力は教育によって無限に開発できる」というドグマがあるからだ。これはもちろん欺瞞だが、「良心的」なリベラルはこのフェイクニュースを手放すことができない。一般知能が高い遺伝率を持つこと(行動遺伝学では60~70%とされている)を認めると、彼らが大切に守ってきた「政治的に正しい(ポリティカリー・コレクトな)」世界観が崩壊してしまうのだ。

このことをよく示しているのが、ミラーが出会ったというリベラルな理論物理学者だ。彼はミラーにこういった。

「どんな人間でも超ひも理論や量子力学が理解できますよ。しかるべき教育機会さえあれば」

禁・無断転載

誰も「遺伝」から逃れることはできない(『運は遺伝する』まえがき)

行動遺伝学の日本における第一人者、安藤寿康さんと対談したNHK出版新書『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』のまえがき「誰も「遺伝」から逃れることはできない」を出版社の許可を得て掲載します。明日(10日)発売ですが、一部の書店さんではすでに店頭に並んでいるようです。見かけたら手に取ってみてください(電子書籍も同日発売です)。

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どんな質問にも人間と区別のつかない返答をする生成AI(人工知能)「ChatGPT」が世界中で大きな話題になっているが、これは近年の「とてつもない」テクノロジーの進歩の一例でしかない。

分子遺伝学では、ワープロのようにゲノムを自在に挿入・削除・編集する「クリスパー・キャスナイン(CRISPR–Cas9)」が実用化されつつある。脳科学では、光に反応する物質(ロドプシン)を脳のニューロンに送り込み、神経細胞一つひとつをミリ秒単位で操作する「光遺伝学」というSFのような技術が登場した。社会・経済でも、ブロックチェーンを使って中央集権的な組織なしに貨幣を発行するだけでなく、あらゆる取引・契約の真正性を、人間の手を介さずにデジタル上で証明するスマートコントラクトが従来の制度・慣習を大きく変えようとしている。

これまでの「学問」は、物理学や化学、生物学など自然を対象とする「理系」と、経済学、法学、社会学、心理学(あるいは文学や美学)など人間と社会を対象とする「文系」に分かれ、それぞれの領域は暗黙のうちに不可侵とされていた。ところがいま、その境界が崩れ去り、自然科学が人文・社会科学を侵食し、書き換えようとしている。

ダーウィンは『種の起源』で進化論を唱えたが、その仕組みが完全に解明されたのは、ワトソンとクリックが1950年代にDNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造を発見したときだ。こうして生命が、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)というたった四つの塩基で記述されるアルゴリズムであるという、驚くべき秘密が明らかにされた。

これを機に多くの生物学者が、生き物のプログラムの解明に取り組んだ。これが進化生物学で、社会性昆虫の「利他性」の解明(ダーウィンは生存と生殖の最大化を目的とする個体が利他的になることを説明できなかった)などで大きな成果をあげた。また動物行動学では、チンパンジーなどの近縁種がヒトとよく似た性向をもつことが次々と報告された。

大量の研究の蓄積を経て、やがて生物学者たちの関心が同じ生き物(動物)であるヒトに向かうのは必然だった。1975年にはアリの社会性を研究してきたエドワード・O・ウィルソンが、生態学、集団遺伝学、動物行動学などを総合する大著『社会生物学』の最終章で、ヒトもまた進化の産物である以上、文化や社会を含め、人間と社会に関わるあらゆる現象は自然科学で説明されるようになるとの展望を述べた。

だがこの当時、ナチスの優生思想がホロコースト(ユダヤ人絶滅)を引き起こしたとの反省から、遺伝を人間の領域にもちこむことはタブーとされていた。わたしたちはブランク・スレート(空白の石版)として生まれ、環境によってどのようにでも変わるというのだ。

この「環境決定論」は、第二次世界大戦後に訪れた「とてつもなくゆたかで、とてつもなく平和な社会」の高揚のなかで、「よりよい社会を目指せばみんなが幸福になれるはずだ」というリベラルの理想主義とも見事に合致していた。その結果、ヒト以外の生き物を遺伝で論じるのは許されるが、人間の能力や性格、精神疾患などにすこしでも遺伝の影響があると示唆することは、ナチスと同じ「遺伝決定論」だとして徹底的に批判され、学者としての社会的存在を抹消(キャンセル)されることになった。

ウィルソンの著作に端を発するこのキャンセル運動は「社会生物学論争」と呼ばれ、それを主導したのは日本でも人気のある古生物学者のスティーヴン・J・グールドと、集団遺伝学者のリチャード・レウォンティンだった(いずれもハーバード大学でウィルソンの同僚で、レウォンティンを大学に招聘するために尽力したのはウィルソンだった)。

1970年代から30年ちかく続いたこの論争では、当初は「社会正義」が優勢だったが、自然科学者が「ヒトも進化の産物である」ことを否定するのは困難で、90年代になると、社会生物学者や進化心理学者らから突きつけられた大量の証拠(エビデンス)に対抗できず、グールドの反論は言葉遊び(レトリック)のようなものになっていった。

日本では残念ながら、この社会生物学論争はほとんど知られておらず、その結果この国の「文系知識人」は、いまだに半世紀も前の「知能(犯罪性向、あるいは精神疾患)が遺伝するなんてありえない」という虚構の世界に安住している。

だがすでに欧米では、ポピュラーサイエンスはもちろん自己啓発書ですら、行動遺伝学や進化心理学の知見を前提とするようになり、日本でも人類史を進化の視点から語るユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』がベストセラーになった。ひとびとはすでに虚構(きれいごと)に気づいており、遺伝の影響を無視したこれまでの学問(とりわけ発達心理学や教育社会学)は10年もすれば捨て去られ、20年後には忘れ去られているだろう。

この「知のパラダイム転換」を日本で牽引する一人が、行動遺伝学の泰斗、安藤寿康氏だ。今回、安藤氏と対談させていただく機会を得て、自然科学の視点から人間や社会をどのように理解すべきかを縦横に論じていただいた(答えにくい質問にも誠実に対応していただいた)。

ここで強調しておきたいのは、本書で紹介する行動遺伝学の知見が、現在ではヒトゲノムを解析する驚異的なテクノロジー「GWAS(ジーワス:ゲノムワイド関連解析)」によって裏づけられていることだ。もはや誰も、この事実(ファクト)から逃れることはできない。

わたしたちにできるのは、それにどう対処するかだけだ。

橘 玲