「日本版DOGE」がつくられる日 週刊プレイボーイ連載(634)

トランプ政権の「政府効率化省(DOGE)」トップに就任した大富豪のイーロン・マスクが、連邦政府職員に対し「先週の業務成果を5つ箇条書きにして返信するか、さもなくば辞職するか」を問うメールを送り、行政機関が混乱しています。

マスクは大統領選で、6兆5000億ドルの行政予算から少なくとも年間2兆ドルを削減できると主張しました(その後「1兆ドル削減の公算が大きい」と修正)。トランプから「もっと積極的になってほしい」とSNSにポストされたことで、買収したTwitterで行なったのと同じ大規模なリストラを実施しようとしたと思われます。

トランプとマスクは、政府機関にはリモートワークの制度を悪用して、働かずに給料だけもらっている職員が大量にいるのではないかと疑っています。「週に5つの成果すら挙げられないなら、働いているとはいえない」というのは、ベンチャー経営者らしい発想です。

真っ先にリストラの標的にされたのは途上国で人道支援を担う米国際開発局(USAID)で、約1万人の職員の大半を解雇して国務省に統合することで、年間400億ドル(約6兆円)あまりの予算を大幅に削減できるとしています。

USAIDの資金はロシアに侵攻されたウクライナのほか、サブサハラのアフリカや内戦で混乱する中東の国々に投じられています。その資金が大富豪によって止められれば、世界のもっとも貧しいひとたちがさらに苦しむことになると強い反発が生じるのも当然でしょう。

しかし現在のアメリカでは、こうした「リベラルの正論」が国民に響かなくなっています。「ウクライナをいくら支援しても戦争は終わらず、状況はなにひとつ変わらない」「貧困や内戦はその国の問題で、いくらお金を注ぎ込んでも自分たちで解決できないなら意味がない」として、「そんなカネがあるなら、苦しい生活を送っているアメリカ人に分配すべきだ」というわけです。

実際、トランプはリストラや海外支援の削減で浮いた予算の2割を米国民に還付すると約束しました。2兆ドルの2割を還付すれば、米国の世帯は5000(約75万円)の「DOGE配当」を受け取れることになります。

マスクの傍若無人な言動に一定の支持があるのは、「これまでうまくいっていなかった」とみんなが思っているからです。だとすれば、これまでとはちがうやり方を試してみるしかありません。そもそも企業のリストラとは、このような発想で行なわれるのです。

国防総省が文官職員を数万人規模で解雇する方針を発表したときも、トランプに任命された国防長官は「任務に不可欠ではない職員を雇用し続けることは、公益に反する」と述べました。これは正論ですから、反対するのは容易ではありません。けっきょく「行政の効率化は必要だが、やり方が悪い」というなんとも中途半端な批判になってしまいます。

日本では公務員の大量解雇など考えられませんから、自分たちには関係のない対岸の火事としてこの騒動を眺めています。しかしこの「改革」が成功を収めたら、日本社会も「なぜ同じことができないの?」という“子どもの疑問”に答えざるを得なくなるでしょう。

いずれ、「日本版DOGE」がつくられる日がくるかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2025年3月10日発売号 禁・無断転載

誰もが知っていながら報じられない 「労働者」以前に「人間」としてなんの権利も認められない非正規公務員の現実

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年6月公開の記事です(一部改変)。

現在もこの理不尽な状況がなにひとつ変わっていないことは、下記の記事でわかります。

「非正規制度つくった人たちを一生恨む」 図書館職員たちから悲痛な声、関係団体が待遇改善を要求

metamorworks/Shutterstock

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日本社会には、誰もが知っていながらも積極的には触れない(タブーとまではいえない)現実がいくつもある。共通項は、①解決が容易でないかほぼ不可能なことと、②それでも解決しようとすると多数派(マジョリティ)の既得権を脅かすことだ。そのため、解決に向けて努力することにほとんど利益がないばかりか、逆に自分の立場を悪くしてしまう。こうした問題の典型が「官製ワーキングプア」すなわち非正規で働く公務員の劣悪な労働環境だ。

上林陽治氏は10年にわたって官製ワーキングプアの問題に取り組んできた第一人者で、著書『非正規公務員のリアル 欺瞞の会計年度任用職員制度』(日本評論社)には驚くような話が次々と出てくる。そのなかでもっとも印象的な事例を最初に取り上げよう。

子ども・家庭相談員はなぜ27歳で自殺したのか

2015年、27歳の森下佳奈さんが多量の抗うつ剤や睡眠導入剤を飲んで自殺した。佳奈さんは臨床心理士になることを目指して大学院で勉強し、卒業後、「障害のある子どもたちや何らかの困難を抱える人たちに寄り添う仕事」に就きたいと北九州市の子ども・家庭相談員の職を選んだ。だがその条件は年収200万円程度の任期1年の非正規で、それに加えて上司から壮絶なパワハラを受けることになった。

佳奈さんが両親や知人に送ったメールには、「また無視される1週間が始まるよ」「顔見るなり『生きてましたか?』とだけ」「同年代の相談者と結婚したらいいんじゃないですか」「昨日もまた2時間、研修行かせてもらえず面談室に呼び出されて問い詰められ、泣かされたよ。辞めたい」「給料分働いていない。自覚がない。意欲がない。と繰り返されました。」などの悲痛な叫びがつづられていた。この上司が佳奈さんに「このままやっていたら、(相談者が)死にますよ」などといったため、「私にはできない。このままじゃ、ひとが死んでしまう。」と深く思い悩んでいたこともわかっている。 続きを読む →

高額療養費問題で、高齢世帯の負担増を議論しないのはなぜか? 週刊プレイボーイ連載(634)

日本の健康保険には、一定の金額を超えた医療費が払い戻される「高額療養費」の制度があります。自己負担額は収入(標準報酬月額)によって変わりますが、月額27万円(年収324万円)以下の現役世代および収入が年金のみの高齢者(一般所得者)は、上限の5万7600円(長期の治療の場合は4万4400円)を超えた分の医療費が保険で支払われることになります。

がんなど重い病気の患者にとって経済的な負担を大きく軽減できる仕組みですが、医療の高度化や高額な薬剤の保険適用によって持続可能性が問われる事態になっています。大企業の会社員らが加入する健康保険組合では、1カ月あたり1000万円以上だった医療費(診療報酬明細書)は2018年には728件でしたが、23年は2156件とわずか5年で3倍に増えています。

これによって現役世代が支払う保険料は引き上げられ、子育て世帯の家計を圧迫しています。そのため政府は高額療養費制度の負担上限額を引き上げるとともに、長期の治療を受ける患者に適用されていた軽減措置(多数回該当)も自己負担分を増やすことにしました。ところが、がんの闘病経験をもつ若手議員の「涙の訴え」など、「患者がかわいそう」という批判が殺到し、長期治療の負担増は見送られることになりました。

高額療養費の見直しが抱える矛盾は、現役世代の保険料負担を軽減して児童手当の財源にしようとすると、現役世代の患者の家計が破綻してしまうことです。逆に高額寮費制度を現在のまま維持すれば、保険料はさらに引き上げられ、子育て世帯の負担が重くなる一方です。

これがトレードオフ(あちら立てればこちらが立たぬ)になってしまうのは、現役世代と現役世代を対立させているからです。不思議なのは、年金を受給する高齢世代の負担増がいっさい議論されないことです。

年収1000万円でも、マイホームのローンや子どもの教育費などがのしかかる現役世帯の家計はけっして楽ではありませんが、それにもかかわらず高い健康保険料を納めています。その一方で、住宅ローンを払い終わった不動産に加えて多額の金融資産を保有する高齢者でも、収入が年金しかない場合、後期高齢者医療保険料の負担は月額平均7000円ほどで、高額療養費の自己負担も最低区分です。

なぜこんな理不尽なことになるかというと、社会保険の負担が所得を基準にしており、どれほど資産をもっていても保険料などの負担に反映されないからです。その結果、必死に働いている「中流の上」の現役世代から徴収した保険料を、大きな資産をもつ高齢者に分配することになってしまうのです。

皮肉なのは、このような“逆分配”を放置している政府が「異次元の子育て支援」を掲げていることです。それ以上にグロテスクなのは、いまや団塊の世代の高齢者しか読者・視聴者がいなくなったマスメディアがこの矛盾に触れるのを避け、“エモい報道”で政府批判をしていればいいと思っていることです。

日本の社会保障制度は早晩、行き詰まるでしょうが、その前に現役世代は徹底的にむしられることになるのです。

参考:「高額療養費 安心と負担と」朝日新聞2025年2月17日

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