こんな日本になったらいいな

年明けに明るい話題を、とのご注文を受けて、2005年に書いた「日本がリバタリアン国家になったら」をアップします。これはウォルター・ブロックの『不道徳教育-擁護できないものを擁護する』を翻訳した際の解説の一部で、来月、『不道徳な経済学』とタイトルを変えて文庫化の予定です。

5年前の文章なので、前振りの話題が古いのはご容赦ください。現在であれば、名古屋市や大阪府、阿久根市などの騒動に置き換えて読んでいただければ(現象は変わっても本質は同じです)。

いま読み返すと、考え方が若干変わったところもありますが、加筆・訂正は最小限にしています。

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今年はなにかいいことがあるのだろうか?

しばらく中東や南欧をうろうろしていて、ひさしぶりに日本に戻って、たまっていた新聞を眺めていたときの感想が、このエントリーの表題です。

新年にかけて、あちこちで日本の「課題」が指摘されています。それによれば、日本がこうなった理由はほぼ解明されていて、簡単にいうと次のようになります。

  • 終身雇用や年功序列に象徴される日本的システムは、1940年代につくられた国家総動員体制(野口悠紀雄『1940年体制―さらば戦時経済』)を基に高度成長期に完成した。
  • この日本的システムは環境にあまりに最適化していたために、90年代以降の人口減と低成長の経済にはまったく適応できなかった。
  • さらには冷戦後のグローバル市場の成立やICT(情報通信産業)の急成長など、新しい環境にもぜんぜん対応できなかった。
  • こうして日本経済は、絶滅寸前の恐竜のようになってしまった。 続きを読む →

謹賀新年

本年がみなさまにとって、素晴らしい1年でありますように。

T.A.

キプロスの古代遺跡からエーゲ海を望む