ピラミッドのおじいさん〈エジプト旅行1〉

昨年末にエジプトを旅行したのだけれど、この国は常識を覆されるような体験ができて、とても面白い。ちょっと趣向を変えて、今回は海の向こうの「不思議の国」について書いてみたい。

旅行ガイドブックにも書いてあることだけれど、古代エジプトの素晴らしい遺跡群を有するこの国には、観光客のバクシーシ(チップ)で生計を立てているひとたちがものすごくたくさんいる。その結果、定価や正規料金というものが成立せず、ものの値段は融通無碍に変わり、常にぼったくられているような気がして、旅行者にはきわめて評判が悪い。

とはいうものの、せっかくカイロまで来たのだから、有名なギザのピラミッドを見学しようと、街で声をかけてきたタクシーに乗り込んだ。ここでの鉄則は最初に料金を決めてしまうことで、言い値の半額から交渉をはじめ、往復を条件に4割引にしてもらった。--ほんとうはバスターミナルまで歩いて、インド数字(アラブ世界では世界標準のアラビア数字ではなくインド数字が広く使われていて、門外漢にはまったく読めない)の標識を頼りに公共バスに乗ればいいのだろうが、もうバックパッカーのような旅はできなくなってしまったのだ。 続きを読む →

その銃口を日本国に向けろ

『貧乏はお金持ち』のときの未発表原稿です。題材がちょっと古いのと、文章のトーンが前後の話と合わなかったので、掲載を見送りました。

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冒険小説で知られる船戸与一に、『新宿・夏の死』という連作集がある。バブル崩壊後の新宿を舞台に、ヤクザ、オカマ、ホームレスなどさまざまな人生の最後が描かれている。「夏の黄昏」はそのなかの一遍だ。

主人公の荻野洋作は、丹沢でマタギをしている71歳の老人だ。1人息子の49日の法要を控えて、彼はある覚悟から、大切にしていた2匹の猟犬を猟友会の仲間に譲り、自宅を売却し、銃身を切り落としたレミントンを抱えて東京へと向かった。 続きを読む →

国家権力は市場に介入できるか

法学と経済学は日本のアカデミズムではまったく別の学問として扱われているが、法律の目的を社会の厚生を最大化することだと考えれば、法(とりわけ民法や経済法)の根拠は経済合理性にあり、法律家はミクロ経済学やゲーム理論等の知見を活用して市場の効率化を目指すべきだ、ということになる。こうした観点から法学と経済学を統合する(というよりも、法学を経済学の一部に組み込む)のが法と経済学だ。

法と経済学は、国家(政府)の市場への介入は最小限にすべきだとしながらも、市場参加者は常に経済合理的に行動するわけではなく、市場も完全無欠の制度ではないという理由から、国家の市場への介入が正当化できる場合があることを認める。だがそれは、きわめて限定された状況だけだ。

ここでは、私自身の備忘録も兼ねて、福井秀夫(『ケースからはじめよう 法と経済学―法の隠れた機能を知る』)が日本経済新聞「経済教室」(2008年8月26日)に寄稿した「『安心・安全』と真の消費者利益-安易な介入強化許すな」から、法と経済学が考える国家(権力機構)の役割を挙げておこう。 続きを読む →