Back to the 80’s いまでもときどき思い出すこと(6)

その頃ぼくはサラリーマンで、四谷にある出版社に勤めていた。

ある日、ぼくが担当した本についての質問書が届いた。差出人は解放出版社というところで、差別をなくすための啓蒙活動を行なっている団体だった。

手紙の内容は、ぼくのつくった本のなかに差別表現があるというものだった。それはテレビ局の制作現場についての記事で、制作プロダクションのディレクターが、アシスタントディレクターの劣悪な労働環境を、「士農工商犬猫AD」というテレビ業界内の隠語を交えて紹介していた。

いまから20年ちかく前のことで、もう状況は変わっていると思うけれど、その当時は「士農工商」という江戸時代の身分制を比喩として使用することは、階級社会の最下層に追いやられたひとびとへの差別を類推させ、助長するものと考えられていた。それで、どのような意図でこのような表現を使ったのか、説明してほしいという文面だった。

ずいぶんむかしの話だし、その内容はここでの本題ではないのだけれど、ぼくは解放出版社のKさん宛に次のような意見を書き送った。

本人の意思とは無関係な出自を理由とした差別は、市民の平等を定めた近代社会ではいかなる正当化もできない。それに対してテレビ制作現場の階級構造は、仮にそこに差別の要素が含まれているとしても、社会的に容認されている。テレビ局のADは自分の意思でその仕事に就いたのだし、イヤになればいつでも辞めることができる。このふたつの「差別」は、本来まったく別のものだ。

「士農工商」という四文字に部落差別の意図が含まれているのではない。言葉の意味は個々の文字や単語ではなく、文脈(コンテキスト)によって決まるからだ。そして文脈上、プロデューサー、ディレクター、ADの階層構造の比喩であることが明らかな「士農工商犬猫AD」という表現を、部落差別に結びつけるのは明らかに論理の飛躍がある……。

当時はぼくも20代後半でまだ青かったから、ソシュール言語学なんかを引用しながらずいぶん長い文章を書いた記憶がある。そんなものを受け取ったKさんもさぞ迷惑だっただろう。

手紙を送ってから3日ほどして、Kさんから電話があった。ぼくの反論をなんども読んでみたけれど、納得はできなかったという。それでも、手紙をもらってとてもうれしかったといわれた。ぼくはそのときは、なんのことかよくわからなかった。

それから、神保町にある解放出版社にKさんを訪ねた。いまでも申し訳なく思っているのだけれど、Kさんはぼくの反論を理解するためにソシュールの本を読みはじめたといった。じつはぼくは、ソシュールの『一般言語学講義』は難しすぎて、図書館で背表紙を眺めただけで放り出してしまったのだ。

Kさんはそれまで10年以上にわたって、反差別の啓蒙活動の一環として、新聞や雑誌・書籍の「差別表現」を指摘してきた。日本の新聞社や大手出版社のほぼすべてに、ぼくと同じ内容の手紙を送ったという。

それなのに、Kさんはこれまでいちども返信を受け取ったことがなかった。Kさんから手紙が来ると、みんなは本や雑誌を書店から回収したり、断裁処分の証明書を持ってきたり、謝罪文を載せたりしたのだ。

「私たちはいつも、“あなたの意見を聞かせてください”とお願いしてきました」と、Kさんはいった。「それなのに、返事をくれたのはあなたがはじめてなんですよ」

第2回 善意を後押しするものは(橘玲の世界は損得勘定)

東日本大震災で東北地方は甚大な被害を受けた。とりわけ原発事故を抱える福島県は、農産物への風評被害に加え、観光業も大打撃を被っている。こんなとき、幸いにも被災を免れた私たちにできることがあるとすれば、義捐金を送るだけでなく、自ら足を運んで「観光」することだ。

震災後の自粛ムードが収まると、大手旅行サイトがさっそく“東北応援プラン”を提供しはじめた。期間中に東北のホテルや旅館に泊まると、ふだんよりもたくさんポイントが貯まる。宿泊施設も割安料金を設定していて、なおかつ宿泊費の一部が義捐金にあてられる。

でも、なかにはこうした企画に違和感を持つひとがいるかもしれない。「被災地の復興にまで損得を持ち込むなんて」というように。

私たちは、天使でもなければ悪魔でもない。

テレビで被災地の観光業が大変だというニュースを観れば、なんとかしてあげたいと思うだろう。それでもほかにやることはたくさんあるし、家計の予算にも制約がある。そんなとき、そっと背中を押してあげる仕掛けが必要なのだ。

2004年12月のスマトラ沖大地震で、タイのリゾート地プーケットは大津波で壊滅的な被害を受け、ビーチにいた観光客を中心に5000人を超える死者を出した。当然、そんな場所に「観光」に行くひとは誰もいないから、現地の旅行業者はすべて廃業するしかないといわれた。

ところが震災後1週間くらいで、ドイツなどヨーロッパから旅行客がやってくるようになった。彼らがプーケットを選んのは善意からではなく、ただ安かったからだ。こうした損得勘定の観光客によって、プーケットは世界的リゾート地として復活した。

というわけで私も、4月下旬に福島に桜を観にいくことにした。

東北へ向かう新幹線の車内は、建設関係らしいビジネスマンで満席だった。郡山で降りると、街のあちこちに地震の傷跡が残り、出入口を封鎖されたビルも目立った。福島市郊外の温泉に宿泊したのだが、休業中の旅館も多く、週末だというのに街は閑散としていた。

旅館には神奈川と京都から応援の警官隊が宿泊していて、一般の旅行客は私たち以外に地元の家族連れが数組だった。宿のひとたちからは、こちらが恐縮するくらい歓待してもらった。

被災地の復興や支援は大事だけれど、たんにお金を配ればいいというわけではない。丹精込めてつくった野菜を政府が買い上げても、廃棄場に運ばれるだけなら農家のひとはどう思うだろう。旅館や飲食店なら、お客さんが来てくれたほうがうれしいに決まっている。そのためにも、損得は有効に活用すべきなのだ。

天然記念物の三春滝桜も、桃源郷のような福島市の花見山も息を飲むほど美しかった。会津若松で郷土料理を、喜多方でラーメンを食べ、抱えきれないほど地元の名産品を買い込んで、こんどは紅葉の季節にまた訪れたいと思った。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.2:『日経ヴェリタス』2011年5月8日号掲載
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福島市花見山

「首相が変われば日本はよくなる」という幻想 週刊プレイボーイ連載(1)

野球でもサッカーでも、チームが負けてばかりいるとファンやサポーターは「監督を辞めさせろ」と騒ぎ出します。「負けたのは選手が悪いからじゃない。監督が代わればチームは生まれ変わるはずだ」というのが、世界共通のファン心理だからでしょう。サポーターなら誰でも選手を愛してやまないし、かといって敗戦の責任は誰かがとらなくてはなりません。だとしたら、生贄に捧げるのは監督しかいない、ということになります。

多くのひとが誤解していますが、古代社会の王は絶対権力者として民衆の上に君臨していたのではありません。古代の王は神との交渉係で、ひとびとは王がその仕事をうまくやっているかぎりにおいて崇め奉ったのです。そのかわり日照りや長雨など悪いことがつづくと、神を怒らせたとして、民衆はさっさと王の首をはねて生贄にしてしまいました。

東日本大震災の後、菅首相への批判はとどまるところを知りません。「能力がない」「逆切れする」というのはまだマシなほうで、「ひととして間違っている」「こころを病んでいる」など人格を全否定するようなものも目立ちます。当然のことながら支持率も低迷していて、震災後も20%前後をうろうろしています。評判の悪かったブッシュ前大統領ですら9・11同時多発テロの直後は支持率90%に達したことを思えば、この不人気は驚異的です。

あらかじめ断わっておきますが、私はこの驚くべき人望のなさを擁護するつもりはありません。とはいえ、「菅以外なら誰でもいい」という倒閣運動は、「後任はサルだっていい」と怒り狂うサポーターとまったく同じだということは指摘しておく必要があります。

日本では総理大臣が毎年のように代わりますが、これはバブル崩壊以降、20年にわたって日本経済がずっと不況だったからです。これにはさまざまな理由があり、みんなそのことはなんとなくわかっているのですが、現実に悪いことが起きている以上、誰かが責任をとらなくてはなりません。このようにして次々と首をはねた結果、この国はいつのまにか“元総理大臣”だらけなってしまいました。

冷静になって考えてみると、私たちはこの20年間、「首相が辞めれば政治はよくなる」「政権交代すれば日本は変わる」とずっと聞かされつづけてきました。格差社会の元凶は“市場原理主義”の小泉政権で、年金制度が崩壊したのは安倍内閣の責任で、“宇宙人”鳩山は平成の脱税王だ……。もちろんこうした批判には、それぞれ真っ当な理由があるのでしょう。ただ、代わるたびにどんどんヒドくなっているような気がするのは、私だけでしょうか。

「首相劣化の法則」にしたがって、菅首相は見事、「最低」記録を更新してしまったようです。次の国政選挙では大敗北は必至でしょうから、よってたかって政権の座から引きずりおろされそうなのも自業自得というものです。

でも次は、いったいどんなキャラが来るのでしょうか。今の総理大臣よりもっとヒドい政治家はいくらでもいそうなのに、誰も不安にならないのでしょうか。

内閣総理大臣殿。

ダメなのは、あなたでしょうか、

いいえ、だれでも。

『週刊プレイボーイ』2011年5月23日発売号
禁・無断転載

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『週刊プレイボーイ』のリニューアルに合わせて、「そ、そうだったのか!? 真実(ほんとう)のニッポン」という連載を始めることになりました。

連載のタイトルは説明は不要ですね(^^)。“本家”には遠く及びませんが、時事的な話題について思いついたことを書いていくつもりです。

編集部の許可を得て、発売日の翌週以降にブログにアップしていきます。