ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2021年1月14日公開の「「加速するテクノロジーの融合」によって あらゆる格差はなくなり、すべての社会問題は解決できるのか?」です(一部改変)。
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「世界はどんどんよくなっているのか、それとも、どんどん悪くなっているのか?」この問いがいま、深刻な思想的対立を引き起こしている。世界がどんどんよくなっているのなら、その流れを加速させればいい。どんどん悪くなっているのなら、体制(システム)を根本的につくり変える必要がある。どちらを信じるかによって政治的立場が正反対になるのだ。
アンドリュー・マカフィーはマサチューセッツ工科大学(MIT)スローン大学院首席リサーチ・サイエンティストで、同僚のエリク・ブリニョルフソンとの共著『機械との競争』( 村井章子訳、日経BP)で、「人間はコンピュータとの競争に負けはじめている」と述べて大きな衝撃を与えた。ところがそのマカフィーは、新著の『MORE from LESS(モア・フロム・レス) 資本主義は脱物質化する』( 小川敏子訳、日本経済新聞出版)では、悲観から楽観へと大きく展望が変わったようだ。その理由は、より少量の資源(LESS)から、より多くのもの(MORE)を得られるようになったからだ。
経済成長すると資源消費量が減る
30年前(1991年)の家電量販店ラジオシャックの広告には15種類の携帯端末型の電子機器が並んでいた。ところがいまや、計算機、ビデオカメラ、クロックラジオ、携帯電話、テープレコーダーなど13種類がポケットサイズの1台のスマホに収まっている。そればかりか、コンパス、カメラ、気圧計、高度計、加速度計、GPS機能、あるいは大量の地図帳やCDまで、広告に出ていなかった多くのものが加わっている。
産業革命から1970年代まで、工業化にともなって、エネルギーや資源(鉄、アルミニウム、肥料など)の消費量は一貫して経済成長のペースを上回っていた。ひとびとがよりゆたかになろうとすれば、より多くの資源を消費することになるのだから、いずれは地球の有限の資源を使い尽くしてしまうだろう。こうして1970年に第1回アースデイが開かれ、72年にローマクラブが「人間は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」として「成長の限界」を警告し、リサイクルや環境保護運動(「大地に帰れ」)がブームになった。
ところが奇妙なことに、1970年頃を境にして、アメリカでは経済成長は続いているのに資源の消費量が減りはじめた。のちに他の先進国や、中国のような新興国でも同じことが起きていることがわかった。
最初にこのことに気づいたのは経済学者のジュリアン・サイモンで、1981年の著書で「私たちは『窮乏時代に突入』したのだろうか? 水晶玉の占いなら、なんとでも言えるだろう。だが最高水準のデータは、ほぼ例外なく……その正反対を示している」として、稀少であればあるほど価格が上がるという経済の基本的な事実を指摘した。
価格の急騰は創意工夫をかきたて、より多くの資源を探すか、代替できる新たな資源を見つけようとするだろう。利潤を最大化しようとするこうした努力によって、稀少性が緩和されて価格が下がる。資源価格は上昇と下落を繰り返すだけで、枯渇するようなことにはならないのだ。
次いで環境科学の専門家ジェシー・オースベルが、資源の「価格」ではなく「量」に注目した。1987年のある晩、仕事仲間の物理学者から「建物は軽くなっているだろうか?」と尋ねられたことをきっかけ調査を始めたオースベルは、建物の重量だけでなく多くのものの「物質集約度」が高まっていることを発見し、これを「脱物質化(dematerialization)」と呼んだ。
建築家で発明家のバックミンスター・フラーは1968年の著書で、「多くの計算を重ねた末に、私は確信を抱くようになった。ごくごく少量で非常に多くの目的を果たせるようになり、すべての人のニーズを満たせる可能性がある。1921年、私はこれを『エフェメラリゼーション』と名づけた」と記している。これは「より少ない物的資源を――より少ない分子を――取り出して、人類の欲求を満たせる」ことで、「脱物質化」の発見とされる。
オースベルはその後も調査を重ね、2015年の論文「自然の復活――テクノロジーはいかに環境を解放するか」で、アメリカ人がより少ない資源を消費するようになったことと、スチール、アルミニウム、銅、肥料、スズ、紙などの消費量が減少していることを、じゅうぶんな証拠をあげて明らかにした。「それ以外のすべてをひっくるめたアメリカの年間総消費量は、1970年の第1回アースデイ以前は年々急増していたが、それ以降はいったんピークに達し、それから減少に転じていた」というのだ。
その後、イギリスの研究者が同様の傾向を確認し、「経済活動で使われるものの重量と最終的に廃棄される重量はどちらも、2001年から2003年にかけて、どこかの時点で減少に転じた」と指摘した。
オースベルの論文を読んだとき、マカフィーは「まさか、これが正しいはずがない」と思った。経済が成長すれば資源消費量が増えるに決まっているからだ。だがこれをきっかけに自分の思い込みに疑問を抱くようになり、「結局きっぱりと考えを改めた」のだという。
環境保護運動は環境を悪化させる
本書にはMORE from LESSの実例がたくさん出てくる。たとえば、1982年にはアメリカの農地の合計は約3億8000万エーカーに達したものの、その後の10年で農地は減少の一途を辿っている。1982年から2015年までに自然に戻った農地は4500万エーカーで、ワシントン州に匹敵する広さになるが、それにもかかわらず作物の総重量は35%あまり増えた。より多くの肥料を投入したからだと思うかもしれないが、同じ時期、三大肥料のカリウム、リン酸、窒素はいずれも絶対的な使用量が減少している。
同じ広さの土地、同じ量の肥料と殺虫剤、同じ量の水からより多くの作物が得られるという“奇跡”をもたらしたのは、遺伝子組み換え作物の普及だ。マカフィーは、環境保護派の主張(思い込み)に反して、遺伝子組み換えのテクノロジーは地球環境の保全に大きな貢献をしていると述べる。
その一方で、環境保護活動家やネイチャリスト(自然主義者)に評判のいい「大地に帰れ」運動は、実際には環境にやさしくない。小規模農業は産業化・機械化した大規模農業に比べ資源を効率的に使えないし、田舎に移り住んで昔ながらの方法で石炭や薪を家の暖房や炊事に使えば、さらに環境に害を及ぼすことになる。田舎暮らしよりも都市や都市近郊での暮らしのほうが、環境に与える負荷はずっと少ないのだ。
遺伝子組み換え作物の安全性については、強力な科学的コンセンサスがある。2016年、米国科学アカデミー委員会は、およそ1000の研究を精査したうえで、「こうした(遺伝子組み換え)作物は、従来作物と比べて健康被害のリスクが高いとは認められない」と結論づけた。イギリス王立協会、フランスやドイツの科学アカデミーなどの組織も同様の調査を行ない、いずれも同じ結論に達している。
「遺伝子組み換え作物はウイルスや害虫への耐性が高く、日照りと暑さに耐え、肥料は少量ですむなど、さまざまな特徴がそなわるように開発されてきた。緑の革命を継続するために大いに役立ち、近年の農業の脱物質化――より少ない土地、水、肥料、除草剤からより多くの収穫を得る――を進めるためにも力を発揮する」
それにもかかわらず、EU加盟国を筆頭に38カ国もが、農家が遺伝子組み換え作物を栽培することを許可していない。ゴールデンライス(ビタミンA前駆体のβ-カロテンをつくるよう遺伝子操作されたコメ)は新興国で普及せず、毎年約50万人の子どもがビタミンA不足から失明し、失明によって1年以内に半数が亡くなっているという。
地球温暖化対策にも同じような矛盾がある。ドイツは国をあげて「エナギーヴェンデ(エネルギー転換)」に取り組み、日本が目指す理想とされるが、「2000年以降、消費者に請求される電気代は倍増し、二酸化炭素排出量は横ばい、むしろ近年は増えている」という。高額な費用を必要とする風力発電と太陽光発電に多大な投資をする一方、原子力発電を着実に減らしてきているためで、風力や太陽光による発電量が足りない分を石炭発電所に頼らざるを得なくなり、その結果、電気代が上がって二酸化炭素排出量が増えるという悪循環に陥っているのだ。
こうした事情は日本も同じで、風力発電は北ヨーロッパの北海沿岸部など強い偏西風が吹くところでないと安定した発電はできないが、この条件に該当するのは北海道最北部だけだ。太陽光発電は日照時間が長いスペインなど地中海沿岸に適しているが、それより北に位置するドイツでは費用対効果が落ちる。日本は緯度は同じだがモンスーン気候のため曇天や雨天が多く日照率は低い。代替エネルギーのなかで日本にもっとも豊富にあるのは地熱だが、これは温泉観光地と利害が対立するため開発が困難になっている。政策的に風力や太陽光にシフトさせようとすれば、ドイツと同様に、電気料金が上がるだけになりそうだ。
だったらどうすればいいのか。ここでもマカフィーの答えはテクノロジーで、二酸化炭素を減らす最良の政策は「核エネルギーの活用・促進」だという。これは奇矯な意見というわけではなく、最近では熱心な環境活動家のなかからも、「風力や太陽光では温暖化問題は解決できないのだから原子力発電にシフトすべきだ」との主張が出てくるようになった。
「平等だが不公平」か「公平だが不平等」か
資本主義と産業革命によって工業化時代に資源消費量が大幅に増えたが、いまやそれと同じもの(資本主義とテクノロジーの進歩)が脱物質化を引き起こし、「セカンド・エンライトメント(第二啓蒙時代)」とも呼ぶべき希望に満ちた世界が到来した。「テクノロジーの進歩と資本主義はたがいを強化し、経済規模はさらに拡大してひとびとはゆたかになっているが、その一方で天然資源の消費量には歯止めがかかり、脱物質化というまったく新しい現象が起きた」とマカフィーはいう。わたしたちは「地球に負荷をかけずにゆたかになれる」のだ。
とはいえ、なにもかもうまくいっているわけではない。なかでも悩ましいのは、一部の(あるいはかなり多くの)ひとたちが、「資本主義とテクノロジーの好循環」から脱落しつつあることだ。これが中間層の崩壊であり、経済格差の拡大だ。マカフィーは、次のような“MORE from LESSの未来”を描いている。
経済成長は堅調で包括的制度を維持する。テクノロジーの進歩は目覚ましく、その破壊的な威力で既存の業界をひとつまたひとつと崩壊させる。さまざまな形で集中が進み、より少ない土地からより多くの作物の収穫を、より少ない天然資源でより多くの消費を、より少ない工場でより高い生産性を、より少ない企業で売上と利益のアップを実現する。スーパースター企業の経営陣は莫大な富と収入を得る。中流層の収入はかなり減る。そして一部の労働者は困難に直面する。働いていた工場と農場が閉鎖され、新しい工場も農場もオープンしない。働き口は都市とサービス業に集中する。富と収入の不平等は大きくなる。
じつはこのシナリオでは、不当なことはなにも起きていない。一部の(リベラルな)エリートが結託して制度やシステムを好き放題にしているわけではないし、グローバル資本主義(あるいはフリーメーソンやディープステート)の「陰謀」が世界を支配しているわけでもない。
しかしその一方で、多くのひとの仕事がなくなり、コミュニティが衰退し、これまでの生き方を維持できなくなる現実がある。彼らの「こんなはずではなかったと」いう思いは、スマホの性能がいくらよくなっても埋め合わせられないだろう。
これについてマカフィーは、「公平」と「平等」は異なるという。これを50メートル競走で説明してみよう。
- 公平:全員が同じスタートラインに立ち、一斉に走り出すが、足の速い子から遅い子まで、結果は平等にはならない。
- 平等:足の遅い子は前から、速い子は後ろからスタートし、全員が同時にゴールするが、競争の条件は平等ではない。
子どもたちの足の速さ(身体能力)に生得的なちがいがあるならば、公平と平等を両立させることはできない。公平にしようとすると不平等になり、平等にしようとすると不公平になるのだ。
近年の経済学や心理学は、「問題は不平等が大きくなることではなく、不公平のほうだ」とする。心理学者たちは、「経済的な不平等が人を苦しめることを示す根拠はない……人間は生まれながらに、平等ではなく公平な配分を好む。平等か公平かのどちらかを選ぶとしたら、平等だが不公平な状態よりも、不平等だが公平な状態を選ぶ。これは臨床研究、異文化研究、乳幼児の実験結果で明らかだ」と述べている。問題なのは経済格差の拡大ではなく、多くの人が「自分は公平な扱いを受けていない」と感じていることなのだ。
それに加えて、移民の増加、ジェンダーの平等、同性婚合法化など、社会の多様化が進んでいることがさらなる混乱を招いている。「最近の一連の研究で、調査対象とした国すべてでこうした多様性の増加にどうしても耐えられない人々がかなりの割合で存在することがあきらかになった」からだ。このひとたちは、「すべての場所で何もかもが同じでなければ気がすまない。信条、価値観、習慣などが揃っていることを重視する。中央が強い権限を持ち、それに皆が従順にしたがうことを支持する傾向が強い」とされ、「権威主義的人格」と呼ばれる。アメリカ社会を見ればわかるように、分断は「多元主義(リベラル)」と「権威主義(保守)」の対立から生じるのだ。
このやっかいな問題についてマカフィーは、「この流れを変える方法は、まだ見つかっていない」とするだけで、態度を保留している。「工場が閉鎖され農場が休閑地になったコミュニティに、よい仕事と社会関係資本をどうしたら取り戻せるのか。はっきりとした答えはない」というのだ。
これから100年で2万年分の技術変化を経験する
ピーター・ディアマンディスはシンギュラリティ大学創立者で、最先端のテクノロジーを使ったさまざまなコンテストを行なうXプライズ財団CEOでもあり、「アメリカを代表するビジョナリーの1人」とされる。そのディアマンディスとジャーナリストのスティーブン・コトラーの共著が『2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ』( 山本康正、土方 奈美訳、NewsPicksパブリッシング)で、原題は“The Future Is Faster Than You Think: How Converging Technologies Are Transforming Business, Industries, and Our Lives(未来はあなたが思っているよりも速い テクノロジーの融合はどのようにビジネス、産業、そしてわれわれの人生を変えるのか)”。
この本のキーワードは「エクスポネンシャル(指数関数的)」と「コンバージェンス(融合)」だ。これによって、10年後にはサイエンス・フィクションが「サイエンス・ファクト」になるという。
量子コンピュータ、人工知能(AI)、ロボティクス、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、材料科学、ネットワーク、センサー、3Dプリンティング、拡張現実(AI)、仮想現実(VR)、ブロックチェーンなど、テクノロジーのさまざまな領域で指数関数的な進歩が続いている。だがそれだけではなく、こうしたテクノロジーが融合することで、驚くような変化が引き起こされる。
「空飛ぶ車」がこれまで実現できなかったのは、ヘリコプターのような単一の巨大なローター(回転翼)では騒音がひどく安全性にも問題があるからだった。しかしいまでは、機械学習の進歩、材料科学のブレークスルー、3Dプリンティングなどテクノロジーのコンバージェンスによって、複数の小さなローターを組み合わせる「分散型電気推進力(DEP)」が可能になった。機能性の面では、ガソリンエンジンの熱効率が28%なのに対して、この電気エンジンは95%だ。
超高精度のセンサーでギガビット単位のデータを取り込み、AI革命によってその膨大なデータをマイクロ秒単位で処理し、機体を安全に制御する。新世代のリチウムイオン電池は大きな出力と長い持続時間を可能にし、3Dプリンターによる大量生産は価格を大幅に引き下げるだろう。映画『ブレードランナー』のような世界が目の前にあるのだ。
「エクスポネンシャル+コンバージェンス」は仮想現実、拡張現実、ブロックチェーン、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー(CRISPR-Cas9)などの分野で加速を「加速」させており、やがて「すべてが生まれ変わる」世界がやってくる。小売業、広告、エンターテインメント、教育、医療、金融、農業(食料)まで、わたしたちの生活を取り巻くすべてにとてつもない大変化の波が押し寄せてくるのだ。
人間の脳はローカル(地域的)でリニアな環境で進化してきたが、「われわれが生きている世界はグローバルでエクスポネンシャルだ」だとディアマンディスはいう。シンギュラリティ(技術的特異点)を唱える未来学者レイ・カーツワイルは、「われわれはこれから100年で、2万年分の技術変化を経験することになる」と述べる。「これから1世紀で、農業の誕生からインターネットの誕生までを2度繰り返すくらいの変化が起こる」のだ。
さらにディアマンディスは、これから「5つの大移動」が始まるという。気候変動による7億人の移住、都市への大規模な移住、バーチャル世界(仮想現実、拡張現実)への移住、宇宙への移住、「個人の意識」のクラウドへの移行だ。
こうしたとてつもない変化に適応するのは、誰にとっても容易なことではない。だからこそ、「荒っぽいドライブ」で振り落とされないようにシートベルトをしっかり締めて、未来世界に備えなければならないのだ。
全人類が一つになって思考する「メタ知能」の誕生
「加速するテクノロジーの融合」によってこれからいったいなにが起きるのかは本書を読んでいただくとして、ここで気になるのはやはりその「負の側面」だ。
これに対してディアマンディスは、テクノロジーの影響で雇用が消滅したとしても、それを上回る新たな雇用が創出されるとして、「これからの10年で、これまでの1世紀を上回る富が創造される」と楽観的な予想を述べる。
チェスのチャンピオンはもはやAIにかなわないが、人間のチェスプレイヤーとAIのチームは、AI単体を打ち破ることができる。AIによって人間の仕事が置き換えられるのではなく、もっとも生産性が高まるのは、人間が機械の性能を引き出したときなのだ。だからこそ労働者を迅速に再教育し、高度な知能を持つ機械を使いこなすことのできる人材を養成しなければならない――とされる。
だがこの話はすでに30年ちかくいわれ続けており、アメリカの社会状況を見てもわかるように、教育はさしたる成果をあげていない。仕事を失ったトランプ支持の白人労働者をいくら「再教育」しても、シリコンバレーで働けるようにはならない。
そこでディアマンディスは、脳に直接働きかけることで知能を強化するテクノロジーに期待をかける。たとえば、経頭蓋直流電気刺激法(tDCS)でフロー状態の変化を人工的に生み出すと、通常であれば正答率は5%に満たないテストで被験者の40%が問題を解くことに成功した。脳刺激療法で学習や記憶保持にかかわる神経回路を刺激することで、記憶能力を30%増強できるとの研究もある。
だが現在行なわれている脳深部刺激法は、「小型トラックぐらいの大きさの指で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を弾こうとするようなもの」だという。電極を外科手術で埋め込むと、脳がそれを異物と認識するため、相当な薬物投与が必要になるという問題もある。
チャールズ・リーバーは、エレクトロニクス材料を使ってナノスケールのメタルメッシュ(金網)をつくった。このメッシュを丸めてシリンダーの中に詰め、それを注射器に吸い込んでマウスの海馬に注射したところ、1時間も経たずにメッシュは元の形に広がり、周辺組織へのダメージはいっさいなく、マウスの脳の状態が手に取るようにわかるようになった。マウスの免疫系はメッシュを異物として攻撃するのではなく、ニューロンがそこに取りついて増殖しはじめたのだ。
これがブレイン・コンピュータ・インターフェイス(BCI)で、「バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、材料科学などほぼすべてのテクノロジーの交差点」とされる。BCIによって脳とインターネットを接続できるようにすると、思考がそのまま相手につながるテレパシーが可能になる。
これは夢物語ではなく、EEG(脳波図)をベースとした旧式のBCIでも、フランスとインドにいる被験者はメッセージに相当する光の点滅を正確に読み取ることができた。これは2014年の実験だが、2016年にはEEGヘッドセットを使ってテレパシーでビデオゲームをプレーし、2018年には頭で考えるだけでドローンを操縦できるようになった。
次のステップは、人間の脳をクラウド経由でシームレスにインターネットにつなぐことだ。これによって、「クラウドベースの集合意識への移行」が可能になる。「真の冒険とは宇宙に出ていくことではなく、自らの心に分け入ること」だとディアマンディスはいう。
「自分の脳をクラウドに接続すれば、私たちの処理能力と記憶能力は大幅に高まる。そして少なくとも、理論的には、インターネット上で地球上のあらゆる頭脳にアクセスできることになる」。このようにして、全人類が一つになって思考する「メタ知能」が誕生するのだ。
このようなSF的未来が実現すれば、もはや一人ひとりの生得的な知能の差はなんの意味もなくなり、あらゆる格差は消滅するだろう。あと10年でどこまで進むのかはわからないが、テクノロジーの加速をさらに「加速」させ、「融合」させていくことですべての社会問題は(いずれ)解決できるというのが、「合理的な楽観主義者」の未来予測になるようだ。
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