第3回 クーポンとの心理戦(橘玲の世界は損得勘定)

クーポン共同購入サイトを運営するベンチャー企業グルーポンが、米国市場に新規株式公開(IPO)を申請した。創業からわずか3年で、世界40カ国以上でビジネスを展開するまでに急成長した注目企業で、その時価総額は現在、200億~250億ドル(1兆6200億~2兆200億円)ともいわれている。

グルーポンというのはグループとクーポンを合体させたビジネスで、ネット上で共同購入者を集めて商品やサービスを割引価格で購入する。今年の正月に、見本と大きく違うおせちを販売してトラブルを起こしたことは記憶に新しいが、それでもなみいるライバルたちを押しのけて、日本での会員数を大きく増やしているという(国別の会員数は非公開)。

サイトで会員登録すると、毎日、新しいクーポン情報がメールで送られてくる。ほとんどが定価の半額近くに割り引かれていて驚くけれど、クーポンには枚数制限と販売期間があり、即断即決しないとチャンスを逃してしまう。フラッシュ(短時間)マーケティングでは、「損したくない」という心理を上手に利用しているのだ。

提供されるクーポンの半分くらいは、美容院やエステ、マッサージ店のものだ。こうした職種は新規顧客の開拓で日常的に割引サービスを行なっているから、共同購入サイトを使う理由はよくわかる。購入者の多くは地域のひとだろうから、そのうち何人かが常連になってくれればじゅうぶん元がとれるのだ。

評価が難しいのは、飲食店などの大幅割引だ。

契約店は無料でクーポンを発行できるかわりに、売上に応じてサイト側に手数料を支払う。1万円のコース料理を5000円で提供し、手数料率が50パーセントなら店の取り分はわずか2500円。これではどう考えても大赤字のはずだが、原価はどうなっているのだろう。

こうしてインターネット上に、さまざまな憶測が乱れ飛ぶことになる。「もともと5000円だったコースを定価1万円で表示している」「クーポン専用料理で比較できないようになっている」など、どれも実際にあったケースだ。もっとも最近はチェックも厳しくなって、多少の“誤差”を気にしなければ「得した」気分を楽しめるだろう。

ところで、有効期限内に使われなかったクーポンはどうなるのだろうか。

じつはクーポンは返金不可で、利用がなければ全額がサイト側の利益になる。クーポンの利用率は公表されていないが、衝動的なクリックも多いだろうから、期限切れによる超過収益はかなりのものになるはずだ。そこでサイト側は、それを原資に期間限定の金券を配布して、さらなる利用を促そうとする。

というわけで、先日、私のところにも2000円の金券が送られてきた。これを使って定価1万円・半額割引のマンゴー1キロを3000円で購入したのだが、冷静になってみると、それ以前にマンゴーなんていちども買ったことがない。はたしてこれは得したのか、考えれば考えるほどわからなくなる。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.3:『日経ヴェリタス』2011年6月19日号掲載
禁・無断転載

『ONE PIECE』とフランス革命 週刊プレイボーイ連載(7)

いまや「21世紀日本が生み出した聖書」(内田樹)とまでいわれる『ONE PIECE』は、「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を求めて大海原をゆく“海賊”ルフィの冒険を描いています。その壮大な神話的世界をひとことで説明することはとてもできませんが、物語の核にあるのが「仲間」であることは間違いありません。

ところで、仲間とはなんでしょう。

フランス革命で蜂起した民衆は、王政(旧体制)を拒絶し、「自由」「平等」「友愛」の旗を掲げました。とはいえ、近代の「原理」としてあまりにも有名なこの3つのスローガンのうち、自由と平等はだれでもすぐにその意味をつかめるものの、友愛(フラタニティ)という言葉はよくわかりません。日本では「慈善」や「博愛」などとも訳されますが、それが革命とどんな関係があるのでしょう。

フラタニティは、もとは中世のイングランドで流行した民間の宗教団体(結社)のことでした。都市の成立と人口の流動化によって、キリスト教社会のなかに、教区とは別に、自然発生的に信者たちの互助会が生まれました。彼らは貧しいメンバーを経済的に援助するほか、商売仲間が結びついてギルド(職業別組合)と一体化することもありました。

フランス革命では、このフラタニティは宗教的な意味を失い、同じ目的を持つ者同士の「連帯」に変わります。「友愛」とは、自由と平等のためにともにたたかう「仲間」のことだったのです(フリーメイソンは特定の宗教に与しない理神論=自由思想の結社で、フランス革命のリーダーたちの多くがそのメンバーでした)。

ところで、ここでいう「仲間」は、血縁や地縁でがんじがらめにされたムラ社会的な共同体のことではありません。近代的な友愛とは、一人ひとり自立した個人が共通の目的のために集まり、ちからを合わせて理想の実現を目指すことです。ルフィと仲間たちの冒険は、フランス革命に起源を持つ正統的な友愛=友情の物語なのです。

18世紀末の革命家たちが追い求めた「自由」「平等」「仲間(共同体)」という理想は、啓蒙主義によって人工的につくられたものではありません。民主政(デモクラシー)が西欧社会を超えて世界じゅうに広がったのは、それが私たちの「正義感情」と一致する普遍的な価値を提示したからです。

しかしここにひとつ、大きな問題があります。

「自由」「平等」「共同体」はいずれも人間社会にとって大切な価値ですが、これらの「正義」はしばしば対立します。仲間とは本来、敵とたたかうための組織のことで、それは必然的にメンバーの自由を奪い、敵を仲間と平等に扱うこともできません。現代社会のあちこちで起きる政治的な対立は、ほとんどがこうした相異なる正義の軋轢から生まれます。そして残念なことに、この対立は原理的に解決不可能です。

フランス革命が『ONE PIECE』だとすれば、「ひとつなぎの大秘宝」は、「自由」「平等」「共同体」が調和する理想世界のことです。

「ワンピース」はこの世に存在せず、手に入れたと思った瞬間に、蜃気楼のようにむなしく消えてしまいます。これを“奇跡”と呼ぶならば、ルフィと仲間たちはその夢を永遠に生きることで、私たちを魅了してやまないのです。

『週刊プレイボーイ』2011年6月27日発売号
禁・無断転載

“国家破産”の街アテネを旅して(2)

ギリシアの経済危機は、どこかマンガじみている。

そもそもこの国は、野良犬と並んで公務員の数がものすごく多い。ギリシアの経済学者はこれを「公務員爆発」と呼ぶが、その数は財政危機にもかかわらず加速度的に膨張している。

この不思議な社会の仕組み報告した毎日新聞記者の藤原章生は、ギリシアの公務員問題について、労働省のエリート官僚の次のような証言を紹介している。

新たな政権ができると、官僚の顧問や局長職は総入れ替えになり、それぞれの閣僚や次官ら政治家たちが好きなように身内や友人、支援者、または自分で探してきた人物をそのポストに招く。こうした人々は「臨時雇用」という形で来るが、この国の問題は彼らがいつの間にか「正規雇用」になっていて、政権が交代しても解雇されないこと。

前から同じポストにいた人はどうなるかと言うと、解雇されず、別のポストに行くか、ひどい場合、同じ局長のポストに2人がいるなんてこともある。当然2人分の仕事はないから、前の人たちは職場に来なくなり、給与だけもらい続ける幽霊公務員となる。私たち労働省の中でも全体の職員が何人いるのか、どういう構成なのかよくわかっていない。

こうして選挙のたびに公務員が増えていった結果、ギリシアの公務員数は巷間いわれている110万人よりもはるかに多いのではないかと藤原は推計する。

藤原が出会った公務員(国立病院の看護師や公営地下鉄の職員)は、勤続20年でも月収は1000~1200ユーロ(年収150万円前後)で、これだけで大家族を養うのはとうてい無理だ。そのためほとんどの公務員は給料だけでは生計が成り立たず、副業を持っているのが当たり前だ(さらにいうと、民間のサラリーマンも夜はウェイターになるなど、2つや3つの仕事をかけもちしている)。

ギリシアの公務員は平均給与が民間の1.5倍もあるとしてドイツなどから厳しく批判されているが、彼らの生活実態はそれほど優雅ではない。だとしたら、統計上は「労働者の4人に1人」という公務員数は、それよりずっと多いにちがいない。ギリシアでは一種のベーシックインカムが実現しており、家族の誰かが公務員(幽霊公務員)として国からいくばくかの給与をもらい、民間企業にかけもちで働きながら、足りない生活費を副業でまかなっている――。そう考えれば、緊縮財政が国民的な規模のデモやストライキを引き起こした理由もよくわかる。

ギリシアではこれまで年金の支給開始年齢が50代半ばで、それも受給額は現役世代の給与の9割ときわめて高率だ(日本の「百年安心年金」は現役世代の5割支給で設計されている)。さらには現金決済で消費税(財政破綻で23%に引き上げられた)を払わない“闇ビジネス”が横行しており、その規模はいまやGDPの4割に達するともいわれる。

こうした財政の放蕩三昧が明らかになるにつれて、ギリシアのデモは、ドイツなど「ゆたかな欧州」から冷たい視線を浴びるようになった。財政赤字を膨らませたのは自業自得で、そのツケをユーロに押し付けたり、EUに救済を求めるのは筋ちがいだというのだ。

もちろんこのことは、当のギリシア人がいちばんよくわかっている。彼らは外国人旅行者に対しては、政治の腐敗を嘆き、ギリシアは変わらなくてはならないことを力説する。政府も、財政健全化を喫緊の課題として、公務員改革の成果をアピールする。しかしその背後には、周到な計算も見え隠れする。

EUがIMFとともにギリシアの財政支援に踏み切ったのは、金融危機がスペインやポルトガル、イタリアなど南欧諸国に飛び火するのを防ぐためだ。ギリシアがデフォルトを起こし、ユーロから脱退すれば、その影響は甚大だ。

だとすれば、ギリシア政府にとってもっとも好都合なのは、財政改革で一定の譲歩をしつつ、ユーロを人質にして、EUに債務の減免(借金の踏み倒し)を認めさせることだ。その交渉のためには、国民の抗議行動が適度に起こっていたほうが都合がいい。

そもそもギリシアは、1800年以降の200年余の歴史のなかで、債務不履行と債務条件変更の年数が50%を超えるという。2年にいちどは破綻しているのだから、その対応は筋金入りだ。

このようにしてアテネでは、予定調和のようなデモが今日も行なわれている。

ストのために閉鎖された地下鉄の入口