Back to the 80’s いまでもときどき思い出すこと(4)

大学を卒業したものの、なにをするあてもなく、新橋にある小さな出版社で働いていた。編集長は20代後半の気のいいひとで、世界を放浪したあと見よう見真似で雑誌づくりの仕事を始めた。部下はなにも知らないぼくと、もっとなにも知らない女の子が一人だった。

ある日その編集長が、海外の宝くじを日本で買える、という話を聞きつけてきた。面白そうなので雑誌に載せたら、ものすごい反響があった。当時はまだジャンボ宝くじやロトシックスなどない時代で、1等賞金が1億円を超える北米やヨーロッパの宝くじはとても珍しかったのだ。

ビジネスチャンスを嗅ぎつけた編集長は、1人で飛行機に飛び乗って、ドイツの宝くじ会社と海外販売の独占契約を結んできた。ぼくの仕事は、編集長が持ち帰った大量のドイツ語の資料を翻訳し、宝くじの仕組みや買い方、当せん金の受取り方をマニュアルにすることだった。

日本ではじめての海外宝くじの雑誌ができると、スポーツ新聞に大きな広告を打った。その日の朝から会社の電話が鳴り止まなくなって、やがて現金書留がぞくぞくと送られてきた。編集長は、海外宝くじの購入代行を商売にしようと思いついたのだ。

それから1週間、問合せの電話の応対でほかの仕事はまったく手がつかなかった。現金書留の束が金庫からあふれたので、応接室のテーブルの上にダンボールを並べ、そこに片っ端から突っ込んでいた。

ある日の夕方、さすがにこのままではマズいという話になって、社員全員が応接室に集まって、書留の封筒を開封し金額と注文内容を整理していった(パソコンなんてなかったからすべて手書きだ)。

夜になっても作業は終わらず、近くのそば屋から出前をとってみんなで食べた。11時過ぎにようやく作業が一段落すると、テーブルの上には1万円札の巨大な山ができていた。

誰もこれまでそんな大金を見たことがなかったから、室内はちょっと異様な雰囲気になった。「これをこのまま持って逃げたらどうなるかなあ」編集長が冗談をいったけれど、引きつった笑いしか返ってこなかった。

お金ってこんなに簡単に儲かるんだ、と不思議な気がした。自分たちが宝くじを当てたような気分で、ちょっとだけ幸福になって家路についた。

それから数日後、大蔵省(いまの財務省)から電話があった。スポーツ新聞に載せた広告について聞きたいことがあるから、いちど来てくれないかという話だった(その広告はぼくがつくったものだった)。

その翌日、編集長と2人で大蔵省を訪ねた。建物の雰囲気はいまとまったく同じで、アーチ型の正門を入ると受付があり、その奥に薄暗い長い廊下が続いていた。

五十がらみの白髪の職員が迎えにきて、ぼくたちを廊下の端にある小さな部屋まで案内してくれた。

窓際に古い机があって、三つ揃いの背広を着た若い男性が静かに書類を読んでいた。職員は、自分の息子のような年齢の男性に深々と礼をすると、耳元でなにごとか囁いた。

男性は書類から目を上げ、すこし驚いたような顔をした。ぼくたちはスーツこそ着ていたものの、ヒッピーと学生バイトにしか見えなかった。ぼくも大蔵官僚があまりに若いのでびっくりしたけれど、これはキャリア制度を知らなかったからだ。

男性は、机の前に置かれたパイプ椅子をぼくたちに勧め、自分の名刺に日付と相手の名前を書いて編集長に渡した。名刺を悪用されないための用心なのだけど、そんなことをするひとを見たことがなかったので、ぼくはまたびっくりした。

男性はとても丁重に、ぼくがつくった広告に法令上不適切と思われる文言が含まれていることを指摘した(具体的になにが問題になったのかはぜんぜん覚えていない)。それからちょっと言葉を区切ると、「これはわたしの所管ではないのですが」といってこちらを見た。「富くじ法という法律があることはご存知ですか?」

「ぜんぜん知りません」と、編集長はこたえた。

男性はかすかに微笑むと、日本では法律で定められた者以外は宝くじの販売、取次をしてはいけないのだと教えてくれた。ぼくたちの商売は、この法律に違反するおそれがあるのだという。

「今回の件は私の方で処理しておきますが、面倒なことにならないようお気をつけください」

別れ際に、男性はさわやかな笑顔でそういった。

大蔵省の正門を出ると、編集長はハンカチで額の汗を何度もぬぐい、「ヤバいなあ」「君、ヤバいよ、これは」と繰り返した。

一夜かぎりのはかない夢は終わり、ぼくは権力がどんなものか、ほんのちょっとだけ理解した。

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追記

「東京電力は日本政府を訴えるべき」へのたくさんのコメント、ありがとうございました。

とりわけ電気事業法第37条をめぐる議論と、東京電力の破綻処理の可否に関する議論は参考になりました。

東京電力の賠償責任という重要な問題について、有益な意見の交換を読ませていただいたことは、私にとっても貴重な体験でした。この問題の「正義にかなう」解決にすこしでも資することができれば幸いです。

東京電力は日本政府を訴えるべき

福島第一原発事故にともなう東京電力の損害賠償について、理解しがたい主張が横行しているので、それについて私見を述べておきたい。

議論の前提として、東京電力は福島第一原発の安全管理に責任を負っているのだから、今回の事故が引き起こした風評被害を含むすべての損害に対して賠償義務があることは明らかだ。このような場合、資本主義社会では、会社法などの法律や金融市場のルールによって、誰が損失を負担すべきかを明確に定めている。今回のケースでは、賠償の原資は次のような順番で調達することになる。

  1. 東京電力は、第一に、保有する株式や不動産など、売却可能な資産をすべて現金化すべきだ。本社ビルや社宅など、キャッシュフローを産まない資産はすべて売却して賠償原資にすればいい(本社ビルなどはリースバックすればいい)。
  2. 役員報酬や社員の年収カットにとどまらず、整理解雇を含めたリストラによって経費を削減する。東京電力は今年度の新卒採用を中止したが、それよりも年収の高い中高年を整理解雇したほうが経費削減効果ははるかに大きい。
  3. それでも賠償資金が足りない場合は、株式会社のルールに則って、株主が損失を負担する。すなわち会社更生法か民事再生法を申請して、株主責任を明確にする。
  4. そのうえで、債権者に損失の負担を求める。東京電力の負債は約5兆円の社債と約2兆円の銀行融資だが、後者は原発事故発生後の緊急融資で、当時の状況を考えればなんらかの保証は必要だろう。だが5兆円の社債についてはこうした事情を斟酌する余地はなく、損害賠償額によっては全額デフォルトすべきだ。
  5. 当然のことながら、退職者への年金を含む他の債権も、事業の継続に支障を来たさない範囲で徹底的にカットすべきだ。
  6. これだけのことをしてもなお資金が足りない場合、はじめて電気料金の値上げによって賠償負担を利用者に転嫁したり、増税によって納税者に転嫁することが正当化される。

風評被害を含む賠償総額はいまだ見当もつかないが、2~3兆円という試算もある。もしこれで収まるのならば、社債をデフォルトすれば賠償原資は確保できる。

一般企業が債務不履行に陥れば事業の継続は難しくなるが、東京電力は地域独占で安定した利益を約束されているのだから、社債をデフォルトしても本業にはなんの影響もない。社債の利払いや償還に必要な資金を損害賠償にあてればいいのだから、原発事故による資金問題は本来であれば存在しない。

そんなことをすれば新規の資金調達ができなくなるという意見もあるが、福島第一原発(あるいはすべての原発事業)を保有するバッドカンパニーと、それ以外の発電所・送電網を保有するグッドカンパニーに分割することでこの問題は解決できる。グッドカンパニーは原発リスクから切り離された超優良企業なのだから、バッドカンパニーへの負債や毎年の支払額を確定しておけば、社債を購入する投資家はいくらでもいるだろう。国内金融市場で資金調達できなければ、海外市場でファイナンスすればいいだけだ。

そもそも資本主義のルールでは、リスクは第一に、会社の所有者である株主が有限責任で負担することになっている。株主責任を問わないまま、債権者など他の利害関係者に負担を求めることは許されない。ところがこの国では、株主責任を不問に付したまま、利害関係者ですらない国民に増税や国債発行によって原発事故の賠償資金を負担させるという議論が当たり前のように行なわれている。

債券投資にリスクがあることは、投資家なら誰でも知っているはずのことだ。東京電力が多数の原子力発電所を運転していることは周知の事実で、原子力発電施設が危険なことはスリーマイルやチェルノブイリの事故で明らかなのだから、東京電力の社債を購入した投資家はこうしたリスクを承知していただはずだ。今回、そのリスクが顕在化したのだから、社債のデフォルトによって損失を負担させるのが金融市場の大原則(プリンシプル)だ。

このプリンシプルを否定して社債の保護を求めるのなら、そもそも金融市場に参加する資格はない。そのような主張をする金融機関や機関投資家は、さっさと廃業すべきだ。

「東京電力の社債を保護するのは金融市場を守るためだ」という政治家がいるようだが、これはとんでもない勘違いだ。投資家が自己責任を問われず、税金で損を穴埋めしてもらえるのなら、そんな国にまともな金融市場が生まれるはずはない。

もちろんこれは、東京電力の株主や債権者にとって厳しい選択だ。だが彼らには、合法的にこうした負担を逃れる道が用意されている。

原子力損害賠償法では、異常に巨大な天災地変や社会的動乱による損害については電力会社の責任を免責する、との規定がある。官房長官は「安易な免責はあり得ない」と記者会見で政府見解を述べたが、日本は法治国家なのだから、法の解釈は政府ではなく司法が行なうべきだ。

東京電力の所有者である株主は、原子力損害賠償法にもとづく免責を求めて裁判に訴えるよう、取締役会に指示すべきだ。取締役会がその指示に従わない場合は、自らの利益を守るために、現経営陣を解任すればいい。東京電力は私企業であり、政府の所有物ではない。

東京電力が日本政府を訴えれば、裁判の過程において、今回の原発事故の責任がどこにあるのかが明らかになるだろう。そもそも日本の原発事業は政治家、官僚、重電メーカー、大学(原子力専門家)、地方自治体などの利害によって進められてきた。彼らの責任を不問にしたまま、すべてのツケを支払わされるのは不当だと、東京電力は裁判で堂々と主張すればいい。

日本政府は、東京電力の賠償に上限を設けるような安易な救済をせず、資本主義の原則に則って株主と債権者の責任を厳しく問うべきだ。そうなれば東京電力の株主および債権者は、法治国家の原則に則って、免責を求める裁判を提起するだろう。

こんな当たり前のことすらできないのなら、日本政府は、「この国には資本主義も法治もない」と国民に対して正直に説明すべきだ。

福島の春

週末にふと思い立って、2泊3日で福島に桜を観に行ってきました。

天然記念物の三春滝桜はいまが見頃です。

福島市の花見山は散りはじめですが、会津若松の鶴ヶ城は今週末に満開を迎えそうです。

国内旅行はこれまであまりしたことがないのですが、新緑や紅葉の季節にまた訪ねてみたいと思います。

三春滝桜