9月7日付けのエントリーで東京電力の節電CMについて書きましたが、コメントで、「それは政府と経産省の節電アクションのことはないか」とのご指摘をいただきました。
この記事は、たまたま一度だけ目にしたCMについて書いたもので、記憶も定かでないことで主張を述べるのは適切ではないと思い直したため、エントリーを取り下げることにしました。
今後は、きちんとソースを確認したうえでブログにアップしていこうと思います。
申し訳ありませんでした。
橘 玲
菅総理大臣が退陣し、野田佳彦民主党代表が第95代日本国首相に指名されましたが、内閣が変わっても、最大の懸案が衆参のねじれ国会の解消にあることは変わりません。
民主党が大連立を目指すのは、そうしなければ消費税の増税ができないからだといいます。日本の財政赤字は人類史上未曾有の水準まで膨張し、早急に増税できなければ国家破産は免れないとされているからです。
でも、大震災や原発事故があったからといって、これまで不可能だったことが、魔法のようにたちまちできるようになるものなのでしょうか?
世界各国の意識調査では、日本人は市場経済への期待も国の役割への期待もいちばん小さいという結果が出ています。市場経済によってひとびとが幸福になるとも思わないし、かといって、自立できない貧しいひとを国が面倒を見ることも否定するというのは、きわめて矛盾した態度に思えます。日本人は、合理的な考え方ができないのでしょうか?
しかしこの奇妙な結果は、逆に、日本人が合理的であることの証明かもしれません。
バブル崩壊以来、この国はデフレという病に冒され、地価や株価は下落し、倒産やリストラが相次いでいます。それに対して政治は無策で、選挙のたびに首相が変わり、政権交代しても状況はますます悪化するばかりです。こんなことが20年以上もつづいているのですから、市場や政府を信頼するひとがいたらその方が変わり者です。
それでは、なにひとつ信用しない合理的な日本人は新政権に対してどのような態度をとるのでしょうか?
政治になんの期待もないとすれば、大連立しようがしまいがどっちでもかまわないでしょう。そのうえで合理的な有権者は、政府が提示するウマい話にはとりあえず応じて、イヤな話は拒絶するにちがいありません。
相手がまったく信用できなくても、お金をくれるといえば、もらっておいて損はありません。子ども手当てや高速料金無料化など「バラマキ4K」は、もともと半信半疑だから、政策が実施されてもそれほど喜ばないし、撤回されても怒ったりしないのです。
同様に、信用できない相手から「金を出せ」といわれたら、断固として断わるのが正しい態度です。とりわけ、「金を出さなければヒドい目にあわすぞ」と脅す場合はなおさらです。
このように、有権者に政治への信頼がぜんぜんないと考えると、世論調査などの結果がとてもよく理解できます。大連立政権が増税を強行すれば、ひとびとの不興を買って、次の選挙で手厳しい「報復」を受けることになるでしょう。
ところで政治家のうち、どんなときも楽勝できるのはごく一部で、大半の議員は当落線上をうろうろしています。このひとたちにとって議員バッヂを失う損失は計りしれないものですから、彼らがじゅうぶんに合理的であれば、あらゆるリスクを避けようとするはずです。増税が当選の可能性を大きく引き下げることがわかっていれば、なにがなんでも反対しようとするにちがいありません。
このようにして、大連立も増税も(おそらく)うまくいきません。その前提となる「信頼」が、この国ではどこを探しても見つからないからです。
参考文献:『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』大竹 文雄 (中公新書)
『週刊プレイボーイ』2011年8月29日発売号
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被災地の復興支援を目的に東北地方の高速道路を無料化したところ、“タダ乗りトラック”が激増して問題になっている。
東京から九州まで荷物を運ぶ場合、無料化区間の常磐道水戸インターチェンジ(IC)まで北上し、そこでいったん降りて乗り直す。たったこれだけで、東京-福岡間の大型車の高速料金が3万5000円も節約できるのだという。
これは、経済学でいう典型的なフリーライダー(タダ乗り)だ。
警察や消防のような公共財は、利用者から個別に料金を徴収することが難しい。だから国や自治体が、住民から税金を集めてサービスを提供する。このとき大事なのは、一部のひとだけが損することのない公平で効率的なシステムをつくることだ。この制度設計に失敗すると、利用者のあいだに大きな不公平感を生むことになる。
国土交通相は繰り返し、制度の悪用をやめるよう“タダ乗りトラック”に説教している。調査によれば、水戸ICでタダ乗りをしたトラックは14%にものぼるというから、「このままでは被災者以外の無料化措置を打ち切らざるを得ない」という批判には説得力がある。
制度が打ち切りになれば、被災地のために物資を運搬している「正直な」業者も損をすることになる。一部の不正直な者のために正直者がバカを見るのでは社会のモラルは崩壊してしまうから、ひとびとが“タダ乗り絶滅”を求めるのも当然だ。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
まず、国交省も認めているように、“タダ乗り”は完全に合法だ。運送業者は、経費節減のための合理的な行動をしているだけだ。
もちろん、なかには正規の高速料金を支払う「正直者」の運送業者もいるだろう。しかし“タダ乗り”をする業者はその分だけ運送料金をディスカウントできるから、いずれ「正直者」は合理的な運送業者に駆逐されてしまうだろう。
このようにして、けっきょくは誰もが“タダ乗り”するようになり、正直者はどこにもいなくなってしまう。こんなことになるのは、もともとの制度が間違っているからだ。
世の中に「正直」と「不正直」の2種類の人間がいるわけではない。被災地のためという“善意”の無料化が、ごくふつうのひとを「不正直」にしてしまうのだ。
被災地の高速道路無料化を決めた時点で、今回のようなトラブルはじゅうぶん予想できたはずだ。“タダ乗り”できない制度がつくれなかったのは、高速道路の料金システムが硬直的で、修正に費用や時間がかかるからだという。でもこれはただの言い訳で、国交省には面倒な制度改革をする気などはなからないのだろう。
政治家や官僚は、自分たちの不作為を棚にあげて、一方的に運送業者の道徳性を批判する。この話の後味の悪さは、たぶんここにある。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.6:『日経ヴェリタス』2011年8月21日号掲載
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