ひとはどこまで愚かで残酷になれるのか? ポルポト残照(1)

いまは海外にいて更新できないので、むかし書いて使っていなかったポルポトについての原稿を2回に分けてアップします(日本の現状の比喩というわけではありません)。

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カンボジアの首都プノンペンの南3キロほどのところに、トゥール・スレン博物館がある。トンレサップ川に面した王宮からなら、トゥクトゥク(バイクタクシー)で15分ほどの距離だ。

ここはもともとは高等学校の校舎で、校庭を囲むようにコの字型に5棟の建物が配置されている。

ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(民主カンプチア)がカンボジアを支配した1975年から79年までの4年間で、人口の2割にも及ぶ150万人が生命を落としたとされる。その多くは農村への強制移住にともなう病気や栄養失調・餓死によるものだが、少数民族やベトナム系・中国系住民に対する民族浄化や政敵の粛清で数十万人が殺されてもいる。

トゥール・スレンはポル・ポト時代、治安組織サンテバルの本拠となり、およそ1万4000人が連行され、ほぼ全員が死亡した(ベトナム軍による「解放」の際、生存者はわずか12名だった)。国内にはこうした監獄がいくつもあり、およそ10万人が処刑されたと考えられている。

トゥール・スレンの「大虐殺博物館」にはかつて、ドクロでつくられた巨大なカンボジアの地図が展示されていた(「悪趣味」と批判されて撤去された)。プノンペンのもうひとつの観光名所「キリングフィールド」は同名のアメリカ映画から名づけられたが、ここには掘り出された頭部の骨を積み重ねた慰霊塔(通称「ガイコツの塔」)がある。

ポル・ポトのカンボジア支配は、ベトナム軍によるプノンペン陥落で終わりを告げる。だが中国はこれをカンボジアの主権に対する侵略行為と見なし、軍事的な懲罰(中越紛争)に踏み切った。このためベトナムは、国際社会に対して自らの正当性を示さなければならず、プノンペン占領はクメール・ルージュの“狂気”からの「解放」とされた。

このことからわかるように、ポル・ポト時代の「大虐殺」(「人口の3割にあたる300万人が殺された」)には多分に宣伝が紛れ込んでおり、数字を扱う際には注意が必要だ。だがその一方で、トゥール・スレン収容所には膨大な量の供述調書が残されていて、それらの資料がエール大学をはじめとする米国の研究機関でマイクロフィルム化され、研究者にひろく公開されている。政治的誇張を取り除いたそうした調査においても、「死の監獄」で想像を絶する規模の殺戮が行なわれた事実は議論の余地がない。

トゥール・スレンの建物のつくりは、日本の学校とほぼ同じだ。3階建ての両端に階段があり、廊下に沿って教室が並んでいる。教室の大半は煉瓦を積んだだけの粗末な独房に改造されているが、なかには錆びた鉄製のベッドが置かれただけの部屋もある。ベッドの柱には、鉄製の手枷や足枷が取り付けられていて、供述を拒む囚人の拷問に使われていた。

だがこの建物でもっとも印象的なのは、階段の踊り場に穿たれたいくつもの小さな穴だ。これは拷問によって床に溜まったおびただしい血を洗い流すためのもので、それは外壁のあちこちからあふれ出し、まるで建物全体が血を流しているかのようだったという。

トゥール・スレンに送り込まれてくるのは、「オンカー」からベトナムのスパイと疑われた者たちだった。オンカー(組織)はクメール・ルージュ(カンプチア共産党)中枢を指す隠語で、すべての指示はオンカーから伝えられたが、その実体ははだれも知らなかった。

ポル・ポトは私有財産制を否定し、貨幣を廃止し、都市の知識層を農村に強制移住させることで、カンボジアを真に理想的な共産主義社会につくり変えようとした。だが彼らの意に反して「改革」はいっこうに成果を生まず、農産物の生産は激減し、全土に飢餓が蔓延し、難民があふれた。革命の勝利に酔うクメール・ルージュの幹部たちにとって、「資本主義の悪を追放してこの世の楽園を建設する」という理想はあまりにも神聖だったので、自らの失政を認めることなどできるはずもなかった。こうして、不都合な事態はすべてなにものかの陰謀とされることになった。

カンボジアは歴史的に反ベトナム感情が強く、ポル・ポト政権がカンボジア国内のベトナム人を「民族浄化」したことから、対外的には友好関係にあるはずのベトナム共産党との関係はきわめて悪化した。ベトナム国内(とりわけカンボジアとの国境に面したベトナム南部)には多数のカンボジア系住民がおり、ポル・ポト政権の転覆を狙ってベトナム軍が彼らを秘密裏にカンボジアに送り込んだ、ということも実際にあったようだ。

こうしてポル・ポトたちは疑心暗鬼に陥り、経済の再建や社会の安定ではなく、反革命を企むスパイの摘発こそが最優先の政治課題となった。ベトナムの背後にはアメリカとソ連がおり、CIAとKGBが手を結んでカンボジアに大量のスパイを潜入させているのだと、彼らは本気で信じていた。

このような陰謀史観に支配された社会では、身を守る唯一の方法は、自分が告発される前にだれかを告発することだ。こうして無実の人間が収容所に送り込まれてくるが、そこではさらなる不条理が待ち構えている。

トゥール・スレンの取調官に課せられた責務は、容疑者からできるだけ多く「スパイ」の名前を聞き出すことだった。仮に容疑者が無実であったとしても(実際、ほとんどはそうだったのだが)、そのまま釈放すればこんどは自分がスパイとして疑われることになる。

さらに収容所では、情報交換を避けるために、容疑者を完全に隔離することが求められていた。当然、高校校舎では収容できる人数に限界があるが、「スパイ」たちはつぎからつぎへと送り込まれてくる。そのため収容所側は、自白した者を片っ端から処刑し、自白しない者は拷問にかけて、なんとか収容枠を確保しようとした。このようにして、人類史上例のない「処刑施設」が誕生した。

だがカンボジアの悪夢でもっとも恐ろしいのは、トゥール・スレンがひと握りの狂人によって生み出されたのではなく、クメール・ルージュの幹部たちが邪悪な意図を持っていたわけでもなかったことだ。ポル・ポトをはじめ、幹部の多くは名家の子弟で、フランス植民地下で最高の教育を受け、パリに留学した。そこで左翼系知識人と出会い、共産主義の理想に感化された若者たちは、祖国を解放し、ひとびとを幸福にすることを願って、仮借なき死と破壊への道を突き進んだのだ。(つづく)

Killing field
キリングフィールド通称「ガイコツの塔」

セロトニンで出世する方法 週刊プレイボーイ連載(17)

この10年くらいのあいだに脳科学は急速に進歩して、私たちの脳が化学物質によって大きな影響を受けていることが明らかになりました。

脳の仕組みというのは、簡単にいえば入力と出力のあるデジタルマシンで、ニューロンとニューロンの間を化学物質を使って情報伝達しています。そのため、脳内化学物質によく似た薬物を摂取すると、ニューロンが活性化して特有の精神作用が生じます。

これを利用したのがドラッグで、覚醒剤として知られるアンフェタミンは脳内でノルアドレナリンやドーパミンを放出させ、強い快感を引き起こします。逆にアヘンからつくられるヘロインやモルヒネは、興奮の伝達を遮断することで痛みをやわらげ、多幸感を生み出すことが知られています。LSDやエクスタシーのように、脳内の知覚刺激反応を増強させて、恍惚感をともなう神秘体験を起こす薬物も開発されました。

いまでは、脳を直接刺激して精神を操作する方法も見つかっています。

たとえば、脳に強い磁気を当てて側頭葉を活性化させれば幻覚を見るし、左前頭葉ならナチュラルハイになります。さらに、その磁気を大脳の快楽中枢である中隔に向けると、「1000回のオーガズムが同時に襲ってくる」ほどの喜悦を感じるといいます。

サルにボタンを押して中隔を刺激する方法を教えると、ひたすらスイッチを押しつづけ、食べることも眠ることもできなくなり、だいたい2週間で餓死か衰弱死してしまいます。これはまさに「究極のドラッグ」です。

こうした強烈な薬物ではなく、化学物質の摂取によって気分を変えるのがスマートドラッグです。

うつ病の治療薬として知られているのがプロザックで、これはセロトニンという脳内物質のレベルを上げる効果を持っています。

アメリカの脳科学者がベルベットモンキーの集団を調査したところ、ボスザル(アルファオス)は他のオスより2倍もセロトニンのレベルが高いことがわかりました。さらには、ボスの地位を失ったオスはセロトニンのレベルが低下し、うずくまって身体を揺らし、エサを食べなくなって、どこから見ても抑うつ状態の人間と同じようになってしまいました。

次に彼らは、群れからボスザルを隔離し、適当に選んだサルに抗うつ剤を処方してみました。すると驚いたことに、常にそのサルがボスになったのです。

人間の集団でも、うつ傾向の強いひとがリーダーに向かないのは明らかです。それとは逆に、ひとの上に立つような意欲的な人物は、脳内のセロトニンレベルが高い軽躁状態にあるのかもしれません。

ひと(とりわけ男性)は、地位が上がるとセロトニンが分泌されて、ますますテンションが上がります。地位を失うとセロトニンもなくなって、うつ病になってしまいます。失脚した政治家が自殺したり、すぐに病死したりするのを見ると、地位とセロトニンの仮説はけっこう説得力があります。

では、プロザックなどの抗うつ剤を飲むと、人工的な躁状態になって出世できるようになるのでしょうか?

残念ながらそのような研究はまだありませんが、もちろん試してみるのは自由です。

参考文献:V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
ランドルフ・ネシー、ジョージ・ウィリアムズ『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』

 『週刊プレイボーイ』2011年9月5日発売号
禁・無断転載

ロシアという国

今日からロシアに行きます。日経新聞(2011年9月6日朝刊)の「地球回覧」に、「ロシア、希望の国は遠く」(モスクワ=石川陽平記者)という興味深い記事が掲載されていたので、出発前に、備忘録としてアップしておきます。

この記事によると、ロシアにはいま「外国移住、第3の波」と呼ばれる社会現象が起きていて、過去3年間の海外への移住者が125万人に達したと政府機関が推定しています。ロシアの人口約1億4000万人の0.9%、モスクワの人口1300万人の約1割という数字です。また今年6月の世論調査では、18~24歳の若者の4割が海外移住を希望したともいいます。

こうした“海外移住ブーム”の原因は、貧困というわけではないようです。リベラル派の政治学者は「(ロシアでは)自由にビジネスすることが不可能であり、特別なコネがなければ自分の専門性を生かせない」からだと述べ、別の政治評論家は、「ロシアの将来への不信感や政権への希望喪失」を挙げます。

日本でも、ロシアと同様に、若者たちは将来への夢を失い、政治への期待を喪失しているようです。しかしそれにもかかわらず、日本の若者は国外に出ようとせず、留学生の数は年々減り、アメリカの一流大学は中国系や韓国系の学生ばかりになったとの嘆きをよく聞きます。

私の考えでは、これは日本の若者がリスクを嫌い、海外の若者たちがリスクを好むからではありません。ひとはだれでも自分の利益を最大化するために合理的に行動するとするならば、国内に留まることと、海外に移住することが、それぞれ最適行動になるような外部条件のちがいがあるはずです。

石川記者の記事を読むかぎり、日本とロシアのちがいは絶望の度合いにあるようです。日本は「希望のない社会」ですが、ロシアには「絶望しかない」というように。

若者の4割が国を見捨てることを望むのはどんな社会なのか、モスクワとサンクトペテルブルクだけの駆け足の旅ですが、自分の目でたしかめてみたいと思います。