お金はなぜ“汚い”のか 週刊プレイボーイ連載(20)

世の中のほとんどのひとは、お金を汚いものと思っています。それと同時に、「お金より大事なものはない」ともいいます。これはいったいどういうことでしょう。

この秘密は、私たちが異なるふたつの世界に暮らしているからです。

私たちにとっていちばん大事なのは親子や兄弟姉妹、夫婦や恋人との人間関係で、これを「愛情空間」とします。次に大事なのは友だちとの関係で、これが「友情空間」です。愛情空間や友情空間を含む、身近な知り合いの住む世界を「政治空間」と呼ぶことにしましょう。私たちの人生のほぼすべては、この政治空間のなかで営まれます。

政治空間の外側には、近所の八百屋のおじさんからアメリカや中国のインターネット通販業者まで、お金のやり取りでしかつながりのない茫漠とした世界が広がっています。これが、「貨幣空間」です。

貨幣空間(市場)はモノとお金を交換する世界ですから、お金がなければ生きていくことができません。すなわち、お金より大事なものはありません。

ところがこのお金が政治空間(愛情や友情)に持ち込まれると、人間関係を壊してしまいます。このことは、デートのときに3万円の指輪をプレゼントするのと、3万円の現金を渡すことのちがいを考えればすぐにわかるでしょう。

彼女がじゅうぶんに経済合理的であれば、センスのない指輪をもらうよりも、3万円の現金で好きなものを買ったほうがいいと考えるはずです。しかしこんな女性は、どこを探してもいないでしょう(もしいたとしたらけっこう不気味です)。これは、現金を受け取ってセックスすることが売春と考えられているからです。

でもよく考えてみると、これもヘンな話です。

彼女は、プレゼントされた指輪を宝石店に持っていって、3万円の現金に換えることもできます。だとしたら、なぜ宝石のプレゼントが愛情のしるしで、現金を渡すのが売春になるのでしょうか?

世の皮肉屋は、ここで「結婚は売春の一形態」と軽口をたたきます。しかしこれは、正しくはありません。私たちはもちろん、結婚と売春を峻別しています。

売春というのは、貨幣空間におけるお金とセックスの交換のことです。そこで問題になるのは価格に見合うサービスが提供されたかどうかで、需要と供給のあいだで特別な人間関係が生じることはありません。

それに対して結婚は、愛情空間(政治空間)における男性と女性のつながりのことです。愛情を純粋なものに保つためには、二人の関係から貨幣を慎重に排除しなければなりません。

日本では、夫が給料の全額を妻に渡すのがふつうでした。家事労働を時間計算したらたんなるお手伝いさんですから、夫が妻から小遣いをもらうほうが自然です。

友だち同士で飲みにいっても、割り勘にするのではなく、どちらかがおごるのが正しいマナーです(次は相手がおごって負担を均等にします)。こんな奇妙な慣習が残っているのも、貨幣への過度の執着が友情を壊すと考えられているからでしょう。

このように、お金は愛情空間や友情空間では汚く、貨幣空間では大事なものです。そして世の中の大半の問題は、このふたつの異なる世界が混じりあってしまうことから起こるのです。

『週刊プレイボーイ』2011年9月26日発売号
禁・無断転載

 

第7回 「風評被害」と投資の合理性 (橘玲の世界は損得勘定)

8月中旬のことだけれど、インターネットで果物などの食品を販売している店から、「お願いです! 福島の桃を買ってください」というメールが送られてきた。それも「2度とできない限定企画」だという。

福島は桃の名産地だが、原発事故の風評被害で思うように出荷できなくなっている。いまが最盛期だが、このままではただ 腐ってしまうだけだ。そこで、通常はディスカウントしない最高級品を2箱2980円の大特価で販売する、という説明だった。

さっそく注文してみると、1週間後に熟れ頃の見事な桃が自宅に送られてきた。いくつかを知人に配り、残ったらジャムかゼリーにすればいいと思っていたのだが、あっという間に食べつくしてしまった。

私がこの桃を買ったのは、「なぜ得なのか」の説明に説得力があったからだ。理由が明快なら、だれだって安くておいしい方を選ぶだろう。「風評被害」は、私にとって千載一遇のチャンスだったのだ。

この言い方に釈然としないひともいるだろう。でも、ちょっと考えてみてほしい。

風評被害というのは、根拠のない噂によって、商品が本来の価値を失うことだ。ということは、経済合理的な消費者は、風評被害で価格の下がった商品を選択することで、本来の価値との差額を無リスクで手に入れることができる。

これはきわめて有利な取引だから、合理的な消費者は競って風評被害の商品を買おうとするだろう。そのことによって価格は上昇し、商品は本来の価値を取り戻して風評被害はなくなってしまう――。この理屈は、投資でいう裁定取引と同じだ。

このように、市場がじゅうぶんに効率的なら、風評被害は原理的に存在しない。それにもかかわらず福島の農家が苦境に陥るのは、一般のスーパーや青果店が風評被害の商品を仕入れず、合理的な消費者から購入機会を奪っているからだ。

もちろん私は、このことで零細な小売店を責めようとは思わない。売れ残るリスクを考えれば、風評被害の商品を避けようとするのは当然だからだ。

だがほとんどの消費者が敬遠するとしても、だったらなおのこと福島の桃を買いたいという、私のような「合理的」な人間もいる(世間的には「偏屈」とか「ビンボーくさい」とかいうのかもしれない)。こうした賢い(と思っている)消費者が一定数いれば、それだけで風評被害はなくなるはずなのだ。

インターネットと通信販売は、全国(全世界)から「偏屈」で「ビンボーくさい」変わり者を集める有効なツールだ。福島の果樹園に電話やFAXで注文を出すのは手間がかかるが、いまやメールでお得な情報を教えてくれて、クリックひとつで買えるのだから、こんなに素晴らしいことはない。

ウォーレン・バフェットは、本来の価値より安い株にしか投資しない。だとすれば、風評被害の商品を買うことは、農家のひとたちの役に立つだけでなく、最高の投資のレッスンでもあるのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.7:『日経ヴェリタス』2011年9月18日号掲載
禁・無断転載

俺たちのカワシマを守れ! 週刊プレイボーイ連載(19)

すこし前のことですが、ベルギーリーグのリールスに所属する日本代表ゴールキーパー川島永嗣選手が、アントワープのクラブ・ゲルミナル戦で、ゴール裏の相手サポーターの「カワシマ、フクシマ」という野次に抗議し、試合が一時中断されるという出来事がありました。

この試合のダイジェストはYoutubeにアップされていて、それを見ると試合はリールスのホームゲームで、開始前には東日本大震災の犠牲者のために黙祷が捧げられています。それだからこそ、福島原発事故の被災者に対する心ない野次は許されず、毅然として審判に申し出た川島は立派です。

試合は後半16分にリールスが先取点をあげたあたりから荒れはじめ、中断再開後の後半35分、ディフェンダーのクリアミスから同点に追いつかれると、こんどはリールスサポーターがゲルミナルのゴールキーパーに激しい野次を飛ばす騒然とした雰囲気になったようです。

この出来事はヨーロッパでも大きく報じられ、試合の翌日にはゲルミナルのホームページにサポーター代表の謝罪が掲載されました。現在は、クラブの選手・関係者による日本語の謝罪文と、サポーターへの義捐金の呼びかけがトップページに掲げられています。

ヨーロッパサッカーでは、黒人選手に対するモンキーチャントなど、人種差別が大きな問題になってきました。フーリガンと呼ばれる暴力的なサポーターにはネオナチなどの白人至上主義者も多く、サッカーが人種間の憎悪を増幅させているとの批判もあります。

残念なことに、私たちは人種や国籍で無意識のうちにひとを差別してしまいます。進化心理学でいうならば、これは“差別のプログラム”がヒトの遺伝子に埋め込まれているからです。

しかしサッカーには、「差別」とは別の進化論的プログラムによって、このやっかいな性向を修正する素晴らしい機能があります。それが“チーム愛”です。

川島に対する「フクシマコール」に本気で怒ったのは、リールスのサポーターたちでした。彼らは福島原発事故のことを知ってはいても、遠い日本のニュースにさほどの興味は持っていないでしょう。

それではなぜ彼らは激昂したのか。それは、「俺たちのカワシマ」が“奴ら”に侮辱されたからにほかなりません。

どんなサポーターも、人種や国籍に関係なく、自分が愛するチームの選手への誹謗中傷はぜったいに許しません。それは、自分への侮辱と同じことだからです。

この本能的な怒りには、なんの理屈もありません。遠い国からやってきた選手がチームの一員に加わったとたん、なにかの魔法にかかったかのように、あらゆる“ちがい”は消滅して自分と一体化してしまうのです。こうして、ネオナチの若者が黒人選手の熱狂的なファンになるという「奇跡」が起こります。

ヨーロッパサッカーは、世界じゅうから一流選手が集まることで、あちこちでこうした小さな奇跡を起こしています。「俺たちのチームが世界一だ」という偏狭なローカリズム(地域主義)が、人種の壁や国境を超えてグローバリズムへとまっすぐにつながっていくところに、サッカーのいちばんの魅力があるのです。

『週刊プレイボーイ』2011年9月19日発売号
禁・無断転載