「黄金の扉を開ける賢者の海外投資術」が文庫化されました

2008年にダイヤモンド社から刊行された『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』が文庫化されました(10月20日発売です)。

金融の世界で、Web2.0に匹敵する、「金融2.0」とでも呼ぶべき大きな変化が起きていることを述べた本です。ちなみに現在は、Web2.0(FacebookやTwitter)と金融2.0は同じコインの裏表で、情報=コミュニケーション空間の変容というかたちで私たちの世界を大きく変えていくのだろうと考えています。

文庫版の前書きをアップしておきます。

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本書の親本が出版されたのは2008年3月で、前年に起きた米国のサブプライム危機は小康を保ち、ニューヨーク株価もなんとか1万2000ドル台を保っていた。為替レートは07年6月の1ドル=124円から大きく円高に振れたが、それでも1ドル100円を維持していた。「市場の専門家」と呼ばれるひとたちは、サブプライム問題は徐々に収束に向かい、年の後半には景気は持ち直すだろうと予測していた。

ところが同年5月にベアスターンズが破綻すると、市場は金融機関の抱えたリスクの大きさに怯え、9月には大手投資銀行の一角を占めていたリーマン・ブラザーズが破綻し、世界規模の信用収縮が引き起こされた。

この「世界金融危機」により、ニューヨーク株価は2009年3月に6600ドル台まで暴落し、1ドル=90円を超える水準まで円高が進んだ。日経平均も、08年10月にバブル後最安値となる7000円割れを記録した。

アラン・グリーンスパン元FRB議長は、これを「100年に一度の経済危機」と呼んだが、案に相違して市場は早期に立ち直り、ニューヨーク株価は09年末には1万ドル台を回復して、11年4月には1万3000ドルに迫った。新興市場の勢いはさらに強く、BRICsや南アフリカ株は金融危機前の水準に戻り、いまや景気の過熱が危惧されている。それに対して日本株は、東日本大震災の影響もあって日経平均1万円前後を低迷し、為替レートは1ドル=76円台の史上最高値に達した。

親本の発行からわずか3年半で、世界の姿は大きく変わってしまった。もっとも私がこの本で書いたのは市場予測ではなく、金融市場の原理や仕組みなので、株価や為替レートによって論旨が変わることはない。

「超円高」の原因は、ギリシア危機に端を発するユーロ崩壊への不安と、ティーパーティーの極端な財政保守主義を制御できないオバマ政権への信任不安だとされる。だがその一方で、日本の財政は1000兆円を超える未曾有の赤字を抱え、少子高齢化と低成長でその持続性が危ぶまれている。

このような複雑な状況では、万人のための普遍的な資産運用必勝法などは存在しない。自分の資産は自分で守るしかない。他人と同じことをやっていては生き残れない。だからこそ、金融市場や金融商品についての正しい知識が必要になるのだ。

本書で繰り返し指摘するように、いま、市場のグローバル化とICT(情報通信技術)の急速な発達によって、「金融2.0」とでもいうべき世界史的な変化が進行している。世界金融危機も、タックスヘイヴンをめぐる政治的混乱も、すべては同じ主旋律の変奏曲だ。

「金融2.0」は、個人投資家に機関投資家と同等の投資機会とリスク管理の方法を提供すると同時に、金融市場全体のリスクを増幅し、暴騰や暴落を頻発させる。これまで「資産運用の王道」とされてきた数々の常識は、この未来世界では通用しないのだ。

ひとつの会社で定年まで勤め上げ、老後は年金に頼って生活する旧来の人生設計モデルは崩壊してしまった。これからは、フィナンシャルリテラシー(金融知識)の有無が人生を左右する時代がやってくるだろう。

なお、文庫化にあたって株価や為替レートなどの数字を最新のものに改めた。また親本と大きく状況が変わった部分については、適宜、註で補った。

もちろん、私たちが体験した最大の衝撃が東日本大震災と福島第一原発事故なのはいうまでもない。これについては、『大震災の後で人生について語るということ』(講談社)をお読みいただければ幸いです。

2011年9月 橘 玲

決断できない世界 週刊プレイボーイ連載(22)

日本人は決断できない、とよく言われます。米国務省の元日本部長が書いた『決断できない日本』という本もよく売れているようです。

この本によれば、福島原発事故の直後、米国が無人ヘリなどの支援リストを送ったところ、日本の官僚は「放射能で汚染された場合の補償はどうなるのか」という問合せを返してきたといいます。85年の御巣鷹山への日航機墜落事故でも、米軍は即座に、夜間行動可能なヘリの出動を申し出ましたが、日本政府はこれを断わりました。翌日、奇跡的に救出された少女は、「暗くなる前にはたくさんのひとの声を聞いた」と証言しています。

全員の合意がなければなにも決められない日本人の特徴は、世界でもひろく知られています。これはもちろん事実ですが、しかしだからといって日本人が特殊だということにはなりません。そもそも決断というのは、原理的に不可能なものかもしれないのです。

決断というのは、利害が対立する局面において、一方の主張を強制的に排除することです。当然、否定された側は恨みを抱き、はげしく反撃します。決断した人間はそれに耐えなくてはなりません。これが、「決断には責任がともなう」ということです。

ここで、典型的な農耕社会を考えてみましょう。私の土地の隣にはあなたの土地があり、この物理的な位置関係は(戦争や内乱がないかぎり)未来永劫変わりません。あなたは生まれたときから私の隣人で、二人が死んだ後も、私の子孫とあなたの子孫は隣人同士です。

農村では、灌漑や稲刈り、祭りなど、村人が共同で行なうことがたくさんあります。そんなとき、一部のひとだけが損失を被るような「決断」をすると、それ以降、彼らはいっさいの協力を拒むでしょう。これでは、村が壊れてしまいます。

このことから、土地にしばりつけられた社会では、「全員一致」以外の意思決定は不可能だということがわかります。もちろんときには、誰かに泣いてもらわなければならないこともあるでしょうが、そんなときは、村長(長老)が、この借りは必ず返すと約束することで納得させたのです。

近代以前は、ユーラシア大陸(旧世界)のほとんどが農耕社会でした。中世のヨーロッパにおいても、ものごとは全員一致で決められ、それが無理な場合は、多数決ではなく戦争で決着させたのです。

それでは、多数決による決断はどのようなときに可能になるのでしょうか。

もっとも重要なのは、意に沿わない決定を下された少数派が自由に退出できることです。農耕社会では土地を失えば死ぬしかありませんから、そもそもこの選択肢が存在しません。

古代ギリシアは、地中海沿岸の地形が複雑で、共同体(ポリス)は山や海で分断され、ひとびとは交易で暮らしを立てていました。ポリスを移動することも比較的自由で、文化や習慣、言語が異なるひとたちとの交流も当たり前でした。弁論によって相手を説得し、最後は多数決で決断するきわめて特殊な文化は、このような環境から生まれたのです。

これがけっして普遍的なものでないことは、現代のギリシア人がデモに明け暮れ、政府がなにひとつ決断できないことを見ても明らかでしょう。ユーロ危機のEUも、加盟国すべての合意がなければなにも決められません。

日本だけでなく、「決断できない世界」がさらに大きな問題となっているのです。

『週刊プレイボーイ』2011年10月10日発売号
禁・無断転載

円高に慌てるな 資産防衛3つの鉄則 (月刊『文藝春秋』10月号)

月刊『文藝春秋』10月号(9月10日発売)に掲載された「円高に慌てるな 資産防衛3つの鉄則」を編集部の許可を得てアップします

*前半部分は、「円高と株安についての個人的感想」と同じです。既読の方は飛ばしてお読みください。

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財政赤字が膨張をつづけ、日本国債が格下げされても、円は戦後最高値を更新している。なぜ財政が破綻しそうなのに円だけが高くなるのか? この疑問にこたえるには、そもそも今は円高ではない、ということから説明しなければならない。

円高なのに円高ではない? これはいったいどういうことだろう。

そこでまず、下図を見ていただきたい。これは日本銀行の「主要時系列統計データ表(月次)」から作成した、1980年から現在(2011年7月)までの、名目実効為替レートと実質実効為替レートのグラフだ(2005年を100として指数化。数値が大きくなるほど円の実質価値が高い)。

面倒な話は後回しにして、まずはグラフの青線を見ていただきたい。1980年に35.34だった為替レートは122.05まで約3.5倍になっている。これが名目実効為替レートで、ドル、ユーロ、ポンドなどさまざまな通貨と円との関係を合成したものだ。

通貨というのは相対的なものだから、ドルに対して円が高くなっても、ユーロに対しては安くなるということがしばしば起きる。だが実効レートなら、世界の通貨のなかで円が高くなっていく様子がはっきりとわかる。

ところでこのグラフには、もうひとつ赤線で描かれた数値がある。これが実質実効為替レートで、現在は101.47。円が最初にこれとほぼ同じレートになったのは、25年前の1986年2月(102.63)だ。こちらの実質レートで見れば、円は80年代からぜんぜん高くなっていないことになる。

これが、「円高なのに円高ではない」という不思議な話だ。

ところで、実質為替レートというのはいったいなんだろう。これは、次のように考えるとわかりやすい。

たとえば1ドル=100円として、ハンバーガー1個が日本で100円、アメリカで1ドルだったとする。

このとき日本がデフレ(物価が安くなること)になって、ハンバーガーが90円に値下がりしたとしよう。このとき為替レートが1ドル=100円のままだったら、ドル換算したハンバーガーの値段は90セントになる(90円÷100円)。

ところが同じハンバーガーがアメリカでの1個1ドルで売られているのだから、日本(90セント)からアメリカ(1ドル)に持っていくだけで、1個あたり10セント儲かることになる(ハンバーガーには賞味期限や輸送コストがあるが、音楽CDやゲームソフト、パソコンのプログラムなどデジタル化された商品なら、こうした取引が実際に可能になる)。

もしもあなたがこの仕組みに気づくほど賢ければ、(太平洋を越えて)西から東にモノを動かすだけで無限にお金を増やすことができる。すなわちここでは、あり得ないはずの錬金術が成立してしまうのだ。

でも残念なことに、現実にはこんなウマい話は起こらない。為替レートが1ドル=90円の円高になることで、90円のハンバーガーは1ドルになって、損も得もなくなるのだ。

このことから、「デフレになると円は高くなる」ということがわかる。

これは数学における定理と同様に、市場における絶対法則だ。そんなバカな、と思うかもしれないが、もしこの法則が正しく働いていないのなら、あなたが世界じゅうの富を一人占めしてしまうのだ。

銀行預金が一番安心?

為替レートにはもうひとつ、「低金利だと円高になる」という絶対法則もある。ウソだろ、と思うかもしれないが、この法則が働いていないとやはり錬金術になってしまう。

このことを直感的に理解するには、グローバルソブリンを例にとるとわかりやすい。

毎月分配型投資信託の草分けとして大人気を博したこのファンドは、設定時(97年12月)に1万円だった基準価額が、7月末には5090円まで値下がりしてしまった。これだけ見れば円高で大損しているようだが、その一方で、設定来の分配金の総額は6941円になっている。これを加えると、最初の1万円は14年間で1万2031円に増えたわけで、投資利回りは年率1.33パーセント。日本国債とほぼ同じだ。

グローバルソブリンというのは海外の高格付けの債券に投資するファンドだから、投資リスクとしては日本国債と変わらない。ここでもし円高にならないとすると、海外の高金利の債券を買えば確実に儲かることになる。投資の世界では、リスクが同じならリターンも同じになるはずだから、これは一種の超常現象だ。

でもやはり、こんなウマい話にはならない。市場の「見えざる手」が、損も得もないように為替レートを動かしてしまう。外貨建て債券の金利で儲けても、円高で円換算の元本は目減りして相殺される。このように為替レートが長期的には実質金利が同じになるまで調整されることを「金利平衡説」という。

前出の実質為替レートでは、インフレ率によって通貨の「実質的な」価値が変わらないように調整されていた。もちろん短期的には円安に振れることもあるけれど、デフレと低金利がつづくかぎりいずれは円高になるに決まっていたのだ。

日本はG7などで「異常な円高」への協調介入を求めているが、各国はもちろん、実質為替レートで見れば円高ではないことを知っているので相手にされないのも当たり前だ。名目為替レートを円安にするには、金利を上げるか、インフレにするかしかなく、日銀がいくら市場介入してもなんの効果もない。

実質為替レートで見れば、もっとも円が高かったのは「超円高」と騒がれた95年4月の151.11(1ドル=83.77円)。次が99年末の131.37(1ドル=102.08円)と88年11月の124.17(1ド=121.85円)だ。現在の実効レートは101.47だから、今後さらに20~30パーセント円高になってもなんの不思議もない。

このようにデフレと円高がつづくのなら、資産は円の現金で持っているのがいちばんいいに決まっている。国内では金利こそつかないものの、モノの値段が安くなるのだからお金の使い手がどんどん増えていく(実質金利がプラスになる)。海外では円の価値が高くなるのだから、買い物でも食事でもなんでも格安になる。

だったら、資産運用なんて面倒なことは考えずに、稼いだお金は銀行預金にしておこう――ほんとうにこれでいいのだろうか。

 デフレでも値下がりしないもの

実質為替レートが同じなら損も得もないはずだから、理屈のうえでは、名目為替レートがどれほど円高になっても私たちの生活にはなんの影響もない。でも世の中のたいていのことは、理屈どおりにはいかないものだ。

これまで述べてきたように、市場にはどこを探しても錬金術はないはずだ。それでも「デフレ・円高世界」で円の現金を持っているひとは、国内でも海外でもものすごく得をする。これも一種の錬金術だとすると、どこかでなにかがおかしいはずだ。

経済学は、効率的な市場では、デフレならすべての価格が一様に下落すると考える。ところが現実には、どんなにデフレになっても下がらないものがある。

ひとつは金利で、預金者から保管料をもらってお金を預かるマイナス金利はありえない。預金金利がゼロパーセントだとしても、インフレ率がマイナス2パーセントなら、実質金利は2パーセントだ。銀行は、デフレになればなるほど預金者に高い金利を払うことになって損をしてしまう。

経営破綻を避けるには、もっと実質金利の高い商品を探してきて、そこに投資するほかはない。じつはこんな都合のいい投資先が、ひとつだけあった。それが、日本国債だ。

国債の名目利回りが2パーセントとすると、銀行は預金者からゼロパーセントでお金を預かっているのだから、まるまる2パーセントが利益になる。こんなおいしい取引はほかにはないから、銀行はひたすら国債を買いまくった。

こうして、日本国の一般債務の総額はとうとう1000兆円を超えてしまった。あなたが銀行に預けたお金は、ほとんどが日本国債になってしまったのだ。

デフレで値段が下がらないのは、賃金も同じだ。

公務員はもちろん、大企業でもふつうは賃金のベースダウンはない。ボーナスをいくら削っても限界があるから、デフレ経済では実質賃金は次第に高くなっていく。それに対して商品の値段は安くなり、売上が減っていくのだから、利益は減少して会社の経営は悪化し、株価も下落する。

そうなると、会社が倒産したり、従業員がリストラされたりする。これは要するに、すべてのひとの賃金を一律に引き下げられないから、一部のひとの賃金をゼロにして、市場全体として帳尻を合わせようということだ。

年金もデフレで受給額が減額されないが、この場合、損をするのは日本国になる。税収が減っても支給額が変わらなければ、足りない分を赤字国債で補うほかはない(実際には少子高齢化の影響で赤字はさらに増えていく)。

このように、理屈のうえでは損も得もないとしても、実際にデフレになると、景気が悪くなって地価や株価が下落し、失業率が上がり、非正規雇用の割合が増え、中高年が自殺する。おまけに国の赤字が増えて財政が悪化し、それに円高が加わってますます世の中が暗くなる。「デフレが諸悪の根源」といわれるのは、じゅうぶん根拠があるのだ。

それでは、このままデフレ=不景気がつづくとどうなるのだろうか。この世に錬金術はないとすれば、これもまた簡単にこたえが出る。

国債の発行というのは、国民の金融資産(もしくは国の課税権)を担保に借金をして、それを国民に配ることだ。もしこれが無限につづけられるのなら、国債を刷るだけでみんなが働かずに暮らしていけるユートピアが実現する。もちろんこんなウマい話があるはずはないから、国の借金はどこかで行き詰まる。

とはいえ、どんな経済理論もその時期を正確に予測することはできない。日本はまだまだ経済大国だから、借金の余力はかなり残っているかもしれない。増税をすることで、財政赤字が増えるペースを落とせるかもしれない。

でもこのままでは、いずれ限界を超える日がやってくる。それだけは間違いない。