こんなに若者が幸福な時代はない

この20年はほんとうは「幸福」だったのではないかか、というエントリーを書きましたが、それに関する興味深いデータがあるので、あわせてアップしておきます。

下のグラフ(画像をクリックで拡大)は、社会学者・古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』に掲載された図をスキャンして、わかりやすいように着色処理したものです。同書によれば、古市自身もこのデータを豊泉周治『若者のための社会学』で知ったとのことで、その後、一部の社会学者のあいだで話題になったようです。

このデータは内閣府の「国民生活に関する世論調査」によるもので、グラフを見れば明らかなように、20代男子の「生活満足度」は1970年~90年に比べて、この10年間で15%近くも急上昇しています。いまの若者は、1980年代のバブル最盛期の若者たちよりもずっと「幸福」なのです。

世間では、「グローバリズムによる格差社会で若者が不幸になった」と大合唱されています。だったら、なぜこんな奇妙な結果が出るのでしょうか。

古市はそれを、社会学者・大澤真幸の論を引きながら、次のように説明します。

「幸福」というのは相対的なもので、私たちが「今は不幸だ」とか「生活に満足していない」と感じるのは、「将来はより幸福になれる」と思っているからだ。これからの人生に「希望」があるひとにとっては、今の人生を「不幸」として否定しても、自分を全否定したことにはならない。

だが、もはや自分がこれ以上幸福にはなれないと思えば、ひとは「今の生活が幸福だ」とこたえるしかない。すなわち、若者の幸福度(生活満足度)が急上昇しているのは、2000年以降、彼らが将来に「希望」を持てなくなったことの裏返しなのだ……。

日本の若者が置かれた状況は、アメリカの若者たちが、将来に対してきわめてポジティブに考えていることを見るとよりはっきりします。

アメリカでは、1980年以降に生まれた世代を「新千年紀世代」と呼びます。“新千年紀(西暦2001年からの1000年間)に入ってからはじめて大人になった世代”のことで、2011年現在では18~30歳の若者たちにあたります。

この新千年紀世代の意識をアメリカの大手世論調査会社「ピュー研究センター」が調べたところ、X世代(1965~80年生まれ)やベビーブーマー世代(1946~1964年生まれ)と比較して、以下のようなことが明らかになりました(調査報告は2010年2月)。

アメリカの新千年紀世代に特徴的なのは、「人生でなにがたいせつだと思うか」という質問に対して、他の世代に比べ、「良い親になること」(52%)や「良い結婚をすること」(30%)という回答が際立って高いことです。

しかし彼らは、たんに保守化しているわけではありません。「移民はアメリカを強くする」とこたえているひとの比率は、30歳以上では4割ですが、新千年紀世代では6割に達しているのです。

さらに、「アメリカでは、いろいろなことがうまく進行している」という意見に賛成するひとの比率が、30歳以上(26%)に比べて新千年紀世代の若者が顕著に高い(41%)、という結果も出ています。(以上のデータは、山岸俊男+メアリー・C・ブリトン『リスクに背を向ける日本人』より)。

アメリカの若者たちは、伝統的な価値観(よい家庭をつくる)を重視する一方でリベラル(移民は積極に受け入れるべきだ)でもあり、自分たちの将来にきわめて前向きなのです。

「ウォール街を占拠せよ」のような若者の運動がなぜ日本では起きないのか、という議論がありますが、その理由は日本とアメリカの若者たちの「希望」のちがいによってきわめてシンプルに説明できます。

日本の若者は、「将来にたいして希望は持てないけれど、いまはそこそこ楽しく暮らしていけるからとりあえずこれでいいや」と思っています。それに対してアメリカの若者は、「未来はもっとよくなるし、そうなるべきだ」と考えています。だからこそ、現状に対する不満が「運動」へとつながるのです。

それともうひとつ、「生活満足度」のグラフの大きな特徴が、この20年で30代~60代の幸福度が大きく下がっていることです(とりわけ2010年の調査では、50代の2人に1人が生活に満足していません)。

これは、彼らが将来に大きな「希望」を持っている(だから現状に不満だ)ということでしょうか。しかしこの説明は、あまりにも無理があります。

大澤のいうように、「ひとは希望をなくすにつれて現状に満足するようになる」と考えるならば、1970年代~90年代のように、年齢とともにに生活満足度が上がっていくのが通常の姿です(年をとると「先が見えてしまう」のです)。それが急激に下がっているとすれば、2000年以降、日本の中高年世代に“なにか特別のこと”が起きたと考えるほかはありません。

このことは、私が『大震災の後で~』で述べた、「1997年のブラックスワンが日本の中高年層を直撃し、累計で10万人を超える死者を出す“見えない大災害”を引き起こした」という仮説と整合的です。彼らは若者たちのような“漠然とした不安”ではなく、経済的な“リアルな危機”に見舞われているのです。

それともうひとつ、このグラフがきわめて示唆的なのは、現在の20代の若者たちが(おそらく)戦後もっとも「幸福」だとしても、その生活満足度は、今後、年をとるにしたがって急速に下がっていくだろう、ということです。そしてまた、いまよりもさらに「幸福」な若者たちが、登場することになるのでしょう。

グローバリズムによって人類は幸福になり、ウォール街は占拠された 週刊プレイボーイ連載(24)

「ウォール街を占拠せよ」という若者たちの運動が、アメリカの政治を揺るがしています。FacebookやTwitterなどのSNSを通じてまたたくまに広がり、ニューヨークのブルックリン橋を占拠し、700人が逮捕・拘束される騒ぎにまでなりました。

アメリカやヨーロッパでデモや暴動が頻発するのは、グローバリズムによって人類が幸福になったからです。もちろんこれではなんのことかわからないので、順を追って説明してみましょう。

冷戦がつづいた80年代までは、一部のゆたかな国と、それ以外の貧しい国の経済格差が大きな問題となっていました。一人あたりの名目GDPで比較すると、1990年の中国の所得は、日本人の約70分の1しかなかったのです。

グローバルな市場経済というのは、かんたんにいうと、同じトヨタの車をつくるのなら、日本のサラリーマンも中国の工員も最終的には同じ賃金になる、という世界です。アジアだけでなく、アメリカと中南米や、西ヨーロッパと東ヨーロッパの間でも同様の関係が成立しています。

こうしたことが起きるのは、北(先進国)と南(発展途上国)の経済格差があまりにも大きかったからです。そのため、安い人件費で商品をつくるだけで、企業家は法外な利益を手にすることができたのです。

経済のグローバル化によって、貧しい国のひとたちの所得が大きく増えました。たとえば中国では、一人あたりGDPはこの20年間で約15倍になり、日本との差も9分の1にまで縮まっています。それに対して先進国はどこも低成長にあえいでおり、所得も頭打ちです。

ところで、先進国のひとたちの所得が1割減るかわりに、中国(13億人)やインド(12億人)のひとたちの所得が倍になれば、人類全体としての幸福の総量は明らかに増えています。これが、「グローバリズムによって人類は幸福になった」という理由です。

しかしこれは、バラ色の未来というわけではありません。市場の富はみんなに平等に分配されるわけではなく、北と南の(マクロの)経済格差が解消する一方で、先進国でも発展途上国でも、国民のあいだの(ミクロの)経済格差が拡大してきたのです。

その結果アメリカでは、一部の富裕層に富が集中し、世界一ゆたかだった中流層が没落しはじめました。こうして、さまざまな政治的軋轢が生じるようになったのです。

ティーパーティーと呼ばれる保守的な白人中流層は、移民を制限すると同時に、貧しいひとたちへの所得の再分配を拒否します。彼らが「小さな政府」を求めるのは、自分たちがゆたかさから脱落しつつあることに怯えているからです。

一方、「ウォール街を占拠せよ」の若者たちは、金融機関の救済を批判し、富裕層への増税によって社会保障を充実させる「大きな政府」を求めています。アメリカの若者(20~24歳)の失業率は15パーセントを上回り、7人に1人が無職のままで、彼らは将来の貧困に怯えています。

このように、ティーパーティーとウォール街を占拠する若者たちは、グローバル化のなかでの「中流の没落」という同じコインの裏表です。問題は両者の主張に妥協の余地がないことで、だとすればアメリカの分裂は歴史の必然だったのです。

 『週刊プレイボーイ』2011年10月24日発売号
禁・無断転載

女子高の生徒はなぜ望まない妊娠をしないのか?

「男女七歳にして席を同じうせず」は封建道徳の象徴のような扱いを受けてきましたが、アメリカではいま男女別学が見直されているようです。

アメリカの心理学者、レナード・サックスの『男の子の脳、女の子の脳』に、「女子高の生徒はなぜ望まない妊娠をしないのか?」という興味深い記述があります。私は女子高のことはなにもわかりませんが、関心のあるひともいると思うので紹介しておきます。

男女共学では、男の子と女の子はごく自然に、性別によって自分の役割を決めてしまいます。だから男女共学校からは、男性のフルート奏者や女性の物理学者は生まれません。ここまではしばしば指摘されることですが、サックスは共学と別学では男女のつき合い方も異なると指摘します。

ほとんどのひとは、女子高では男子生徒と知り合う機会が少ないから、妊娠のようなトラブルも起きにくいのだと考えるでしょう。しかし実態を調査してみると、女子高と共学校で、ボーイフレンドのいる割合やデートの回数にほとんど差はありませんでした。となると、女子高の生徒が妊娠しないのには、なにか別の理由があるはずです。

サックスによれば、共学校での男女のカップリングは、個人的な関係というよりも、それぞれのグループ内での役割分担によって決まります。ようするに、グループでいちばん人気のある男の子は、やはりグループでいちばん人気のある女の子とつき合うのです。

こうした環境では、男女関係はグループ同士の関係になります。カノジョは男の子グループの一員となり、カレシは女の子グループの一員になって、なにをやるにもいっしょという親密な関係が生まれるのです。

これは逆にいうと、もしカレシと別れるようなことがあれば、同時に、女の子グループ内での立場も危うくなる、ということです。これは女に子にとってきわめて大きな打撃なので、できるだけカレシとの関係を継続したいと考えるでしょう。

このとき、女の子グループの一人が男の子グループの一人とセックスしたとします。当然、男の子は、その“成果”を仲間内で自慢するでしょう。

それを聞いたカレシは、グループ内での自分の地位を守るために、カノジョにセックスを求めます。こうなると女の子は、たとえ気乗りしなくても、その要求を拒むことがきわめて難しくなります。

このようにして、共学校では女の子の望まない妊娠が多くなるのだととサックス博士は考えます。

一方、女子高では女の子同士の友だちグループと、カレシとの関係は切れています。カレシと別れても、女の子の友だちがさして気にしないのなら、無理な要求を断わることもできるでしょう。このように、男女別学では女の子が性的な意思決定に対して主導権を持てるので、望まない妊娠をすることが少なくなるのです。

もっとも日本では、女子高の生徒は特定の男子校のグループとつきあうことが多いので、その場合は、この“効果”はあまり期待できないかもしれません。