「独裁者」はまた現われる 週刊プレイボーイ連載(31)

大阪のダブル選挙で橋下徹市長が率いる「大阪維新の会」が圧勝しました。選挙結果については「独裁だ」との批判から「これこそが民主主義だ」という賛美までさまざまでしょうが、ここでは地方であいついで“反乱”が起きている理由を経済的な側面から考えてみましょう。

“地域主権”を求める主張は多岐にわたりますが、そのなかでもっとも有権者の関心を集めたのが、地方議員や地方公務員の待遇であることは間違いないでしょう。鹿児島県阿久根市の“ブログ市長”は数々の奇矯な振る舞いで批判されましたが、それでも市長選で多くの支持を集めたのは、市議会議員の報酬や市職員の給与の明細を公開したからです。

それによると、阿久根市職員の平均年収は655万6000円で、平均年収200万~300万円という阿久根市民の2~3倍にあたります。さらに市職員の受け取る退職金は平均で2650万円(定年前の退職勧奨に応じた場合は3295万円)で、これは一部上場企業並みの厚遇です。

市民の代表として税金の使い道を監督する市会議員はというと、議員報酬や期末手当、政務調査費、議員日当などを加えて1年間で435万円の公金を受け取っています。それに対して地方議会の期日は年間で80日(実質は20日)程度で、地方議員のほとんどは本業を持っているため、政治家の仕事は割のいい“副業”となっているとのことです。

ここで暴かれたのは、地方議員と地方公務員が自分たちの都合のいいように公金を山分けする実態でした。阿久根市では税収が20億円しかないにもかかわらず、2008年度はなんと27億円を議員や市職員の人件費として支出していたのです(国からの交付金33億円の一部までが人件費に使われています)。

ほとんどの自治体では首長もこのもたれ合いの構図の上に乗っているため、“不都合な真実”はなかなか表に出てきません。市民が事実を知るためには「独裁者」が必要だったのです。

もちろん地方議員や地方公務員にも言い分はあります。地方議員の報酬は地方自治法に基づいて条例で定められており、地方公務員の給与は人事院勧告に準拠しているだけで、不当に得をしているわけではないというのです。こうした条例や勧告は、その趣旨からいえば、民間の給与を基準にして“公僕”としての適正な報酬を定めることを目的にしています。

ではなぜ、このような理不尽な事態が起きているのでしょう。それは「失われた20年」で民間人の所得が減ってしまったのに対して、公人の所得には減額の仕組みが備わっていなかったからです。

ひとびとがデフレで苦しんでいても、公務員の給与は年齢とともに着実に上がっていきます。それが20年間積み重なって、現在の「公務員天国」ができあがったのです。

大阪や名古屋でいま起きていることは、公務員と民間人の「経済格差」の是正を求める大衆運動です。この問題は日本じゅうどこでも同じですから、テレビなどで顔を知られた人気者であれば、“ポピュリスト”として権力の座を射止めるのは難しくないでしょう。

ゲームのルールが明かされた以上、私たちはいずれ第二、第三の「独裁者」を見ることになるのかもしれません。

参考文献:竹原信一『独裁者 “ブログ市長”の革命』

『週刊プレイボーイ』2011年12月12日発売号
禁・無断転載

ゆたかな国のマイクロクレジット

「「生活保護で貧困はなくならない」と賢者はいった」でムハマド・ユヌスのことを書いたが、先進国でのマイクロクレジットの実験についてすこし追加しておこう。

バングラデシュのような最貧国でしか機能しないとされてきたマイクロクレジットが先進国でも成功した例としてノルウェイがある。

ノルウェー北部のロフォーテン諸島は深刻な過疎化の問題を抱えていた。オスロなどの大学に行った男の子たちは島に戻って漁師になるが、女の子たちがほとんど戻ってこないのだ。

その原因は、島の生活では女性たちのやることがなにもないからだった。漁師と結婚すると、夫が海から戻ってくるのを待つあいだ、おしゃべりで時間をつぶすくらいしかすることがない。女の子たちが島からいなくなると、男の子たちもどんどん島から離れるようになった。

ところがマイクロクレジットを導入すると、女性たちはローンを使ってセーターを編んだり、アザラシのかたちの文鎮や木彫りのトロール(いたずら好きの小人)をつくったり、さまざまな“ビジネス”をはじめるようになった。

彼女たちの問題は、貧困ではなく孤独だった。マイクロクレジットの「連帯責任」によって、これまでばらばらだった島の女性たちがお互いに支えあい、助言しあうようになった。「借りたお金をみんなで返さなければならない」というルールが、共同体をつくるきっかけになったのだ。

マイクロクレジットはビル&ヒラリー・クリントンによってアメリカにも導入された。

ユヌスはアメリカの生活保護の実態を以下のように描写している。

もしあなたが生活保護の受給者だったら、それは、すべてのドアと窓が固く閉ざされた部屋の中に押し込められ、ドアを開けたり、外に出ようとすることさえできない状態に置かれているようなものだ。つまり、あなたは実質的には囚人のような状態で、貧困に囚われているだけではなく、あなたを助けようとしている人たちによっても囚われているのである。

もし金を手にしたときには、その収入を福祉局に報告しなければならない。彼らはあなたが稼いだ金額を、生活保護の給付額から差し引くのである。そのうえ、あなたはどんな社会事業団体からも、金を借りることは許されていないのである。

(ムハマド・ユヌス&アラン・ジョリ『ムハマド・ユユス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家』

 個人主義の進んだアメリカでは「5人組」の連帯責任がうまくいくはずはない、と誰もがいった。

シカゴのスラムでのマイクロクレジットでは、仲間を見つけるために定期的にパーティを開いた。するとスラムの女性たちは、バングラデシュやノルウェーと同じように、グループをつくってお互いに助け合いながらビジネスを始めたのだ。彼女たちのビジネスはコーヒーケーキを焼いたり、パーティでコメディエンヌをしたり、貧困国の女性たちとはまるでちがったものだったが、それでもスラム街には近所同士の強力なネットワークがあり、「連帯責任」が共同体を生み出したのだ。

マイクロクレジットの問題は、これが女性だけのグループに最適な方法だとしても、男性の貧困問題の解決には限界があることだろう。ユヌスも指摘するように、男性と女性を混ぜると、男性が女性を支配しようとしてグループが崩壊する。男性だけの集団では序列(階層)ができて、ボスと手下の関係ができてしまう。これは、男性と女性の集団のつくり方が生得的に異なるからだろう。

とはいえ、先進国でマイクロクレジットが普及しない最大の原因は、それが福祉・生活保護にかかわる公務員やNGOの“既得権”を侵害するからだろう。“かわいそうな貧しいひとたち”にお金を配る仕事がなくなると、このひとたちは用なしになってしまうのだ。

「生活保護で貧困はなくならない」と賢者はいった 週刊プレイボーイ連載(30)

生活保護の受給者が200万人を超えて、戦後の混乱期(1950年)に制度が創設されて以来の最多水準に達しています。生活保護にかかる経費は3兆4000億円を超え、自治体の負担も大きく、このままでは制度自体が崩壊してしまいます。

「自力では生きていけない貧しいひとたち」をいかに救済するかは、どこの国でももっとも議論を呼ぶ問題ですが、ここではノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスの意見を紹介しましょう。

バングラデシュの経済学者ユヌスは、“貧者の銀行”と呼ばれるグラミン銀行を創設し、貧困の改善に大きな功績を残しました。バングラデシュは世界でもっとも貧しい国のひとつで、旱魃や洪水などの自然災害が起きると何十万人ものひとが餓死してしまいます。国民の半分は読み書きができず、一人あたりGDPは約700ドルで、日本の65分の1程度しかありません。

ユヌスはこの絶望的な貧困とたたかうために、マイクロクレジットという独創的な融資制度を考案しました。そのポイントは以下の2つです。

1)事業資金を与えるのではなく、利息(年利10~20パーセント)を取って貸し付ける。

2)借り手を5人ひと組にして、連帯責任で返済させる。

驚くべきことに、これまでの援助の常識に反するこの仕組みは、98パーセントの返済率でビジネスとして成立しただけでなく、融資を受けて自営業を始めた借り手たちの生活を大きく改善していったのです。

マイクロクレジットが成功した理由を、ユヌスは明解に説明します。

グラミン銀行の主な顧客は、男尊女卑の伝統的な文化のなかで人間性を奪われていた農村の女性たちです。その境遇がかわいそうだからといって施しを与えても、相手の尊厳を踏みにじるだけで、収入を得ようとする意欲は湧きません。グラミンの顧客たちは、「働いて稼いだお金から返済する」ことで、生まれてはじめて自尊心を得るのです。

そんな彼女たちにとっていちばんの悩みは、夫がお金を取り上げてしまうことです。バングラデシュの文化では、妻のお金は夫のものとされ、家族のなかにだれひとり味方はいません。

しかしこれは、連帯責任を負う「5人組」にとっては大問題です。1人が返済できなくなれば残りの4人が引き受けるしかないのですから、彼女たちは夫に対して猛然と抗議するでしょう。連帯責任は相互監視だけでなく、孤立していた女性たちの助け合いをも可能にしたのです。

ユヌスは、「先進国でも途上国でも貧困は同じだ」といいます。シカゴのスラムでユヌスが見たのは、生活保護に依存して自尊心を失い、家族や友人もなく社会的に孤立した、バングラデシュとまったく同じひとたちでした。援助によって途上国の貧困が改善できなかったように、生活保護で都市の貧困がなくならないのも当然のことなのです。

こうしてユヌスは、先進国の政策担当者にマイクロクレジットを導入するよう提言します。

世界の偉人のなかで、でユヌスほど貧困について真剣に考え、実践した人物はいないでしょう。しかし不思議なことに、日本も含め、ユヌスの言葉に耳を傾ける「ゆたかな国」はどこにもないのです。

参考文献:ムハマド・ユヌス&アラン・ジョリ『ムハマド・ユユス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家』

 『週刊プレイボーイ』2011年12月5日発売号
禁・無断転載