書評:シャンタラム

旅先で『シャンタラム』を読む至福を味わったので、その感想をすこし。

著者のグレゴリー・デイヴィッド・ロバーツは1952年にオーストラリア・メルボルンに生まれ、17歳で“アナキスト人民自由軍Anarchist People’s Liberation Army”を創設、労働運動や反ファシズム運動を経てメルボルン大学の学生運動のリーダーとなるも、24歳のときに離婚で娘の親権を失い、その精神的衝撃で重度のヘロイン中毒に陥ってしまう。

ヘロインを手に入れる金に窮したローバーツは銀行を襲い(被害が保険で補償される金融機関だけを選び、スリーピース姿で“Please”と丁重に金を要求したので“紳士強盗Gentleman Bandit”と呼ばれた)、26歳で逮捕。重警備の刑務所に送られたが、看守による暴力と自由を奪われたことに耐えられず2年後に白昼堂々と脱獄、暴走族やかつての革命仲間に助けられてニュージーランドに潜伏した後、30歳のときに手製の偽造パスポートを使ってインドのボンベイ(ムンバイ)に辿り着く。

『シャンタラム』は、ロバーツの分身である主人公リンジーがムンバイに到着し、バックパッカーたちといっしょに空港から市街へと向かう場面から始まる。これから語られる驚くべき物語が冒頭に簡潔に要約されているので、その部分を紹介してみよう。

私の人生の物語は長く、込み入っている。私はヘロインの中に理想を見失った革命家であり、犯罪の中に誠実さをなくした哲学者であり、重警備の刑務所の中で魂を消滅させた詩人だ。さらに、ふたつの看視塔にはさまれた正面の壁を乗り越え、刑務所を脱獄したことで、わが国の最重要の指名手配犯にもなった。そのあとは幸運を道づれに逃げ、インドへ飛んだ。インドではボンベイ・マフィアの一員になり、銃の密売人として、密輸業者として、偽造者とした働いた。その結果、三つの大陸で投獄され、殴られ、刺され、飢えに苦しめられることになる。戦争にも行き、敵の銃に向かって走り、そして、生き残った。まわりでは仲間が次々と死んでいったが、その大半が私などよりはるかにすぐれた男たちだった。何かの過ちで人生を粉々に砕かれ、他人の憎しみや愛や無関心が生み出す運命のいたずらに、その人生を吹き飛ばされたすぐれた男たちだった。私はそんな彼らを埋葬した。多すぎるほど埋葬した。埋葬しおえると、彼らの人生と物語が失われたことを嘆き、彼らの物語を私自身の人生に加えた。

安宿街でバスから降りたリンジーは、「世界をまるごと包み込むような」笑顔を持つプラバカルというガイドと知り合い、やがて二人は親友となる。プラバカルはリンジーを“リンババ(“ババ”は尊称)”と呼び、ヒンディー語やマラーティー語(ムンバイのあるマハーラーシュートラ州のローカル言語)を教え、故郷の村に案内する。そこでプラバカルの母親から与えられた新しい名前が、“シャンタラム(神の平和のひと)”だ。

“リン・シャンタラム”として生まれ変わったリンジーは、無国籍都市ムンバイに集まるさまざまなボヘミアン(故国に帰れない異邦人)と出会い、裏社会を支配するマフィアたちとつき合うようになる。ムンバイに魅せられたリンは、司法の追求を逃れるため、プラバカルが用意したスラムの家で暮らしはじめ、かつて覚えた救急医療の技術で病人や怪我人を治療したことからコミュニティの一員として受け入れられていく……。

『シャンタラム』のいちばんの魅力は、作者自身が体験したインド社会が活き活きと描写されていることだ。

スラムはたんなる貧民窟ではなく、自らの秩序や掟に従ってひとびとが共生する“村”だった。ムンバイの裏社会を支配しているのはアフガニスタンから逃れてきたムスリムの賢人で、彼のまわりにはイランやパレスチナ、アルジェリアなどさまざまな国から流れてきたムスリムの男たちが集まっていた。ムンバイではヒンディー語は支配者の言語で、マラーティー語を話す者だけが「身内」と見なされる(カーストによる差別よりも、言語や民族のちがいが大きな軋轢を生む)――。いずれも、とおりいっぺんの観察では気づかないことばかりだ。

だがそれにも増してこの作品が(ジョニー・デップを含む)多くの読者を魅了したのは、主人公のリンが逃亡犯でありながらも、純粋なリベラルの精神を体現しているからだろう。

はじめてスラムを目にしたとき、リンはその貧しさに打ちのめされる。スラムで大火が起きたときも、コレラに襲われたときも、ひとびとを救おうと奔走する。もちろん自分が白人であることは意識しているが、彼はすべてのひとを自分と対等な存在として扱うのだ。

作品中では、リンの両親はフェビアン協会(19世紀末にロンドンで設立された穏健な社会主義団体)の熱心な活動家で、その強い影響を受けて育ったことが語られているが、これもおそらく作者自身の実体験だろう。リベラルであることを徹底して叩き込まれた彼は、銀行強盗の脱獄犯として国際指名手配になっても、その価値観をけっして変えようとしないのだ。

リンがムスリムの犯罪組織に受け入れられたのも、彼が人種や国籍や宗教のちがいをまったく顧慮しないからだ。そもそもイスラムそのものが無国籍なグローバル世界で、ムンバイにはインド人のムスリムだけでなく、世界じゅうから故郷を逃れた者たちが集まっている。リンにとっては、彼らも自分と同じボヘミアンなのだ。

こうしてリンは、スラムの住人たちと親友になったのと同様に、武芸の達人であるイラン人と兄弟の契りを結び、アフガニスタン人の賢者(ムンバイの裏社会の支配者)を“父”として慕う。相当に風変わりな状況ではあるものの、人種や宗教や貧富のちがいを越えた対等な人間関係こそがリベラルの理想であるならば、リンの冒険はまさにそこから生まれるのだ。

『シャンタラム』は、愛をめぐる物語でもある。それは、カーラという謎の女性(スイスに生まれアメリカで育ち、誰にもいえない秘密を抱えている)への愛であるとともに、どれほど求めても得られなかった父からの愛を、アブデル・カーデル・ハーンというアフガニスタン生まれのマフィアのボスに見出そうとする渇望でもある。だからこれは、きわめて正統な近代小説でもあるのだ。

なお、作者のロバーツは1990年にフランクフルトでヘロイン密輸容疑で逮捕され、オーストラリアに送還・収監された後、刑期をつとめあげて97年に釈放。『シャンタラム』は獄中で書きはじめ、看守によって2度、草稿を破り捨てられたものの驚異的な記憶力で再現した。2003年にアメリカ、イギリス、オーストラリアなどで発売され、04年にはジョニー・デップ主演でワーナー・ブラザーズが映画化権を獲得(いまだにクランクインには至っていない)。本書の続編となる『The Mountain Shadow』は来年、完成予定とのことだ(詳しくは著者のホームページ)。

これ以上はよけいな解説はやめておこう。文庫本で3巻、1800ページを越える大作だが、読み始めたら止まらないのは請け合い。年末年始の休みに、できれば旅先でどうぞ。

Out of the Edge Cafe@Grand Cayman
Over the Edge Cafe@Rum Point,Grand Cayman

消費税率30%の未来 週刊プレイボーイ連載(32)

野田首相は、消費税増税の「捨て石」となると覚悟だといいます。現在5パーセントの消費税率を10パーセントまで上げようと苦心惨憺しているのですが、日本の財政状況を考えるとじつはその程度ではぜんぜん足りません。日本国の歳出は100兆円もあるのに、税収は40兆円しかないのですから、単純に考えると、消費税率を30パーセントくらいまで上げなければ財政は均衡しません。

財政破綻の危機に陥ったギリシアの消費税率が23パーセントに引き上げられたことを考えると、これは荒唐無稽な話とはいえません。実現可能性はともかくとして、このような高消費税率の未来ではどのようなことが起きるのかをここでは考えてみましょう。

消費税率30パーセントというのは、100円の買い物で30円の税金を納めることです。1万円なら税額3000円、10万円で税額3万円、100万円だと税額30万円……と考えていけば、ひとびとがどのように行動するかは容易に想像がつきます。大きな買い物になればなるほど、なんとかして消費税を逃れようと画策するようになるのです。

このようにして、ギリシアやイタリア、スペインなど南欧の国々では闇経済が膨張していきました。闇経済といっても犯罪組織の暗躍ではなく、現金取引(いわゆる“とっぱらい”)のことです。

たとえば、事務所の内装工事に100万円かかるとしましょう。正規の業者に依頼すると、消費税込みで総支払額は130万円になります。そこへ“とっぱらい業者”が、「ウチなら領収書なしで110万円で請け負いますよ」とやってきます。この闇取引であなたは工事費を20万円節約し、業者は利益を10万円増やすことができます。これは双方にとってきわめてウマい話なので、みんなが経済合理的に行動すると、正規の業者は市場から駆逐されてしまいます。

ヨーロッパの若年失業率はスペインで48パーセント、ギリシアで45パーセントにも達します(日本は7.8パーセント)。若者の2人に1人に職がないというのはちょっと想像しがたい状況ですが、失業者の一部(もしかしたらかなりの部分)は闇経済からなにがしかの賃金を受け取っているのです。

ところで、EU加盟国でもっとも消費税率が高いのはスウェーデンの25パーセントですが、ここでは南欧諸国のような闇経済の弊害は起きていません。それは、脱税できないような社会の仕組みがあるからです。

スウェーデンやノルウェー、フィンランドなどの北欧諸国は、国民の課税所得を納税者番号で管理するばかりか、全国民の課税所得を公開情報にしています。

スウェーデンの税務署には誰でも使える情報端末が置かれていて、名前や住所、納税者番号を入力すると他人の課税所得が自由に閲覧できます。そうやって羽振りがいいのに課税所得の少ない隣人を見つけると、国税庁に通報するのが“市民の義務”とされています。北欧の手厚い社会保障は、こうした相互監視によって支えられているのです。

日本がもし高消費税国になったら、南欧のように闇経済がはびこるよりも、北欧のような超監視社会になる可能性のほうがはるかに高いでしょう。福祉には、相応の代償がともなうのです。

参考資料:「朝日新聞グローブ」第42号(2010年6月28日)「覚悟の社会保障」

 『週刊プレイボーイ』2011年12月19日発売号
禁・無断転載 

贈与税の非課税枠はなぜ不動産投資にしか使えないのか?

12月1日付の日経新聞(夕刊)に、「住宅向け贈与 非課税拡充」という記事が掲載されていた。

2012年度税制改正で、住宅の購入用資金を親や祖父母から譲り受ける際の贈与税の特例措置を2年間延長するとともに、贈与税の基礎控除(110万円)に上乗せできる非課税枠(現行1000万円)を、省エネや耐震性能で一定の基準を満たす住宅を購入する場合は1500万円に拡充するのだという。

さらには12年度改正で、省エネ住宅に住宅ローン減税を上乗せする制度の創設も決まっており、12年度から始まる認定省エネ住宅(仮称)制度の認定を受けた住宅を新築した場合、所得税額から10年間で最大400万円控除できるとされている。

同紙によると、この措置は「高齢者世帯から現役世帯への資産移転を促すとともに、優良住宅への投資を後押しする」ためのものだという。

総務省統計局の家計調査年報(平成22年)によると、2人以上の勤労者世帯で、50代の平均貯蓄は1585万円、負債は531万円で、1054万円の貯蓄超過になっている。60代以上にいたっては、平均貯蓄2173万円に対して負債はわずか234万円で、1939万円の貯蓄超過だ。

もちろんこれは、平均的な50代や60代がこれだけの資産を持っている、ということではない。資産は標準偏差で分布するわけではなく、ごく少数の富裕層が平均値を大きく引き上げているからだ。

しかしそれを割り引いても、ほとんど家計に余裕のない50歳未満に比べて、高齢者世帯のゆたかさは圧倒的だ。そこに滞留している資金を若い世代に還流させようという政策は、それなりの意味があるだろう。

しかしなぜ、資金の用途が不動産の購入に限定されているのか。

日本社会で経済的にもっとも脆弱なのは、すでにマイホームを購入して住宅ローンを払いながら、子どもの教育費を捻出しなければならない40~50代だろう。彼らにとって、不動産を買わなければ使えない非課税枠などなんの意味もない。

そもそもマイホームの購入というのは、住宅ローンでレバレッジをかけたハイリスクな投資の一種だ。80年代半ばから90年代半ばにかけて不動産を購入したひとは、地価が半分から最大で4分の1になってしまったのだから、家計は債務超過に陥っている可能性が高い。30年ローンなら、85年に家を買ったひともいまだに返済をつづけていて、ようやく返し終わったときに残っているのは、老朽化して無価値になった建物と、買ったときの半分以下の値段しかつかない土地なのだ(89~90年のバブル最盛期にマイホームを買ったひとはもっと悲惨だ)。

このような悲劇が起きるのは、国家が恣意的な非課税措置や住宅ローン減税でひとびとに歪んだインセンティブを与えるからだ。それによって、金融資産を銀行預金で運用し賃貸住宅で暮らしていた保守的なひとたちまでマイホームという不動産投資に手を出すことになり、塗炭の苦しみを味わうことになった。

それにもかかわらず、国家はなんの反省もなく(というか、反省しないのが国家の特徴のひとつだ)、“善意”によって国民をハイリスクな投資に誘いこもうとする。すでに総世帯数を上回る住宅があり、これからますます人口が減少していくこの国で、さらに新築住宅を建てていったいどうするのだろう。

高齢者世帯から現役世帯への資産移転が政策目的なら、使途を自由にして、たんに非課税枠を拡充させればいい。

受贈者がそのまま銀行預金しても、名義人が変わるだけだから、経済にはなんの悪影響もない。子どもの教育費に使ったり、家族で旅行に出かけたり、ブランドものを買い漁ってくれれば、景気を浮揚させるなにがしかの効果はあるだろう。

80年代のバブルの原因はプラザ合意に驚いた政府・日銀が金融を緩和しすぎたことで、「失われた20年」の元凶は、地価暴落で金融機関ばかりでなく、企業や家計までもが巨額の不良資産を抱え込み実質債務超過になってしまったことだった。

なにを買い、なにに投資をするのかは国家が国民に“指導”することではない。国家が立派そうなことをすると、たいていはずっとヒドいことが起こるのだ。