恋人が死ぬより長時間通勤の方が不幸? 週刊プレイボーイ連載(43)

「恋人(配偶者)が突然死んだとしたら、こころの痛みは最初の年で3800万円」

こんなことを大真面目で研究している「科学」があるとしたら、誰だってバカバカしいと思うでしょう。

でも「幸福の計算」はれっきとした経済学の一分野で、それ以外にもさまざまな人生のイベントに値段がつけられています。たとえば独身のひとが結婚したとすると、その直後の喜びは43万円の宝くじに当たったのと同じです。子どもが生まれるのは、31万円を道で拾った喜びに相当します……。

結婚や子どもを持つことは私たちをそれほど幸福にはしてくれない――。この研究結果がイギリスで発表されたときにはものすごい反発がありましたが、結婚で失ってしまった自由や子育ての大変さを思って、ひそかに納得したひとも多いのではないでしょうか。

私たちのこころが、幸福にも不幸にもすぐに慣れてしまうこともわかっています。

たとえばある研究では、宝くじに当たったひとと交通事故で下半身麻痺になったひとの人生の満足度を比較しています。当然、それぞれの幸福度には大きなちがいがあると思うでしょうが、その結果は、宝くじに当たってもたいして幸福にはならず、下半身麻痺のひとと比べても大きな差はないというものでした。幸福とは主観的なもので、交通事故で障害を負ったひとは、「生命が助かっただけ運がいい」と前向きに考えるのです。

恋人や配偶者と死別すれば、誰もが大きな精神的ショックを受けます。しかしその後の彼らを追跡調査すると、男性では4年、女性では2年で人生の満足度は元に戻ります。離婚はもっとはっきりしていて、最初のうちは傷つきますが、数年のうちに以前より幸福になってしまいます。

あなたは、「こんな話になんの意味があるのか」と思うかもしれません。しかしこれは、今後とても重要になる研究分野です。「お金で買えないもの」はたくさんありますが、しかしそれでも私たちの社会は、それに無理矢理値段をつけなくてはならないからです。

日本の裁判所はこれまで、離婚などのケースを除いて、精神的苦痛に対する損害賠償(慰謝料)をほとんど認めてきませんでした。賠償というのは実損害に対するもので、“こころの痛み”に値段をつけることはできない、という立場です。

しかし一見もっともなこの考え方は、原発事故のような巨大災害が起こると、理不尽なものになってしまいます。住み慣れた我が家から強制避難させられたひとたちも、代わりの住居などを用意されると実損害がなくなってしまうからです。

これではあまりにもヒドいということで、原発事故では精神的な賠償も認められることになりましたが、これまでなんの基準もない以上、加害者(東京電力)と被害者の主張は大きく食い違ったままです。賠償資金が有限である以上、公平で平等な賠償のためにはなんらかの「幸福の計算式」が必要なのです。

ちなみに研究では、死別のような一度かぎりの出来事よりも、持続する苦痛のほうが幸福度を引き下げることがわかっています。毎日の長時間通勤は、恋人の死よりもずっと人生を不幸にするようです。

参考文献:ニック・ポータヴィー『幸福の計算式』

 『週刊プレイボーイ』2012年3月19日発売号
禁・無断転載

*************************************************************************

追記

ここで「結婚の喜びは43万円の宝くじに当たったのと同じ」と書きましたが、元になったの表紙には「結婚初年度の『幸福』の値段は2500万円?」とあって、混乱するひとがいるかもしれないので追記します(1200字のコラムでは、必要なことすべてをなかなか説明できないのです)。

著者のニック・ポータヴィーは、幸福の計算において、お金の受け取り方で「内在」と「外在」を区別しています。

「内在」というのは、「地位が上がって責任も重くなり、仕事が忙しくなったけど給料も上がった」というようなケースです。それに対して「外在」は、棚からボタ餅でお金が手に入った、というケースです。

当然、外在の方がずっとうれしいので、内在よりも幸福の値段は少なくなります。

内在と外在の差はものすごく大きくて、たとえば結婚の場合、外在(棚からボタ餅)では43万円でも、内在(仕事がつらくなる)で計算すると2500万円になるのです。

まあ、どちらもたんなる参考値ですが。

日本人は世界一の“ネット消費者”

小林弘人『メディア化する企業はなぜ強いのか?』に興味深いデータが紹介されていたので、備忘録としてアップしておく。

デロイト「メディア・デモクラシーの現状」調査(デロイトトーマツコンサルティング)は、北米、欧州、日本などの14歳以上75歳以下のひとをターゲットにしたメディアに関しての意識調査だ。ネットインフラが充実した先進国のメディア状況を比較したものは稀で、この調査記録は貴重なものだという。

下図は、「日本版レポート2011年版」に掲載されたネットに対する国別の意識のちがいだ。これを見ると、日本のネット利用者の動向が他国と大きく異なっていることがわかる。

調査結果によれば、アメリカとカナダの北米2カ国のネットに対する意識はほとんど同じだ。フランスも、「インターネット広告は煩わしい」と感じる比率が際立って高いことを除けば、あとはよく似ている。

それに対してドイツ人の特徴は、ネットに対してきわめて保守的なことだ。彼らはオンライン・メデアを利用する気がなく、SNSを介した社交に興味を持たず、ネット上の広告に批判的だ(だからといって、新聞や雑誌などのオールドメディアを好んでいるわけでもない)

一方日本人は、「オンライン・メディアをもっと利用したい」「広告受取のために個人情報を提供してもよい」の2項目で肯定的な意見が際立って高く、「オフラインのメディア(新聞・雑誌等)をより好む」「インターネット広告は煩わしい」の2項目では否定的な意見が強い。すなわち、調査対象の5カ国のなかでネットにもっとも親和的だ(その結果として、当然、「SNS/ゲーム中に広告の影響を感じる」ことになる)。

日本人のもうひとつの際立った特徴は、「SNSを介した人間関係を重視する」という項目にYESとこたえた割合が、ネット利用にきわめて保守的なドイツ人よりも少ないことだ。

下図は同じ調査の「2010年版」で、質問項目と対象となる国が若干変わっている。

2010年版の調査では、アメリカとイギリスの動向がほぼ同じで、「オンライン・メディアをもっと利用したい」「オフラインのメディア(新聞・雑誌等)をより好む)に肯定的な割合が少ないことを除けば、他の項目ではドイツもほぼ同じだ。その分、日本のネットユーザーの特異性が際立っている。

ここでも、「オンライン・メディアをもっと利用したい」「広告受取のために個人情報を提供してもよい」などネットとの親和性が高い一方で、「SNSを介した人間関係を重視する」「自身で情報を加工・発信している」の2項目の割合がきわめて低い。

この調査結果は、小林のいうように、「日本人はオンライン上のメディアにおける個人消費については積極的であるが、ソーシャル(社交)活動については消極的」という傾向を示しているのだろう。

アメリカ、カナダ、イギリス(およびフランス)といった欧米各国は、ネットを社交のためのツールとして利用する一方で、ネット広告(とりわけ個人情報の提供)には抵抗感が強く、新聞・雑誌などのオールドメディアにもそれなりの信頼を置いている。

それに対して日本人は、広告を含め、ネットから情報を受け取ることにほとんど抵抗がなく、個人情報の提供にも積極的だ。その一方で、ネットでの社交や情報の発信にはあまり興味を持っていない。情報の送り手ではなく、あくまでも受け手としてネットを利用しているのだ。

この結果についてはさまざまな分析が可能だろうが、そのなかで新聞・雑誌関係者にとって衝撃なのは、「オフライン(新聞・雑誌等)のメディアをより好む」の項目にYESとこたえた比率がきわめて低いことにちがいない。

日本人は、(広告も含めた)ネットメディアと、新聞・雑誌などオールドメディアの情報をほとんど区別していない。ネット上の情報消費者としては、世界(すくなくとも先進国)のなかでもっとも貪欲だ。

しかしこれは、ネットによる意識操作や欲望の誘導がきわめて容易だということでもあり、それを考えるとちょっとコワい。

書評:『幸福の計算式』

前から読みたかった『幸福の計算式』を出版社のひとが送ってくれた。とても面白い本だったので、ここで紹介したい。

世の中には、幸福の値段を計算しようとする学者がいる。本書の著者のニック・ポータヴィーもその一人で、タイに生まれ、イギリスで学んだ経済学者だ。

「幸福の計算」と聞いただけで拒絶反応を示すひともいるかもしれないから、具体的なデータでこの研究の面白さを説明しよう。

下図は、イギリスにおける年齢別のうつ病発生率だ。これを見ると、40台半ばを頂点にして、うつ病になる割合が見事な山型になっていることがわかる。ひとは若いときは幸福で、中年になるにしたがってだんだん不幸になり、50歳くらいからはまた幸福になっていくのだ。

年齢による幸福度の推移は、誰でもその理由を推察できるだろう。

結婚して子どもが生まれると、経済的な負担も重くなって人生がキツくなってくる。会社でも中間管理職になり、上と下に挟まれていちばんストレスがたまる頃だろう。「中年の危機」は万国共通で、データにもはっきり現われているのだ。

ここを乗り切ると、50歳を過ぎる頃から子どもも自立し、住宅ローンも払い終わって、家計に余裕も出てくる。会社での地位も安定して、先が見えてしまうかもしれないが、逆にストレスもなくなるかもしれない。

「幸福の科学(宗教団体ではない)」では、こうしたさまざまなデータを集めて、幸福や不幸を客観的に評価しようとする。

それでは次に、アメリカにおける職業別の満足度のベスト10とワースト10を見てもらおう。左列の数字が4点満点の満足度で、右列が4点(非常に満足している)とこたえたひとの割合だ。

これを見るとわかるように、満足度の高い職業は教育関係や芸術家で、満足度が低いのはガテン系とマックジョブだ。

ここで注意すべきなのは、聖職者の満足度がいちばん高いからといって、不幸なひとを聖職者にすれば幸福になる、というわけではないことだ。聖職者の道を選ぶようなひとは、(どういう理由か知らないが)子どもの頃から宗教心が強く、神にわが身を捧げたいと思っていたのだろう。そんなひとが聖職者になれば、満足度が高くなるのは当たり前だ。

芸術家も同じで、絵が好きだったひとが画家になれたから幸福なのであって、画家という職業がひとを幸福にするわけではない。

それでも、医師ではなく(リハビリなどの指導をする)理学療法士が満足度2位で、弁護士や金融マンではなく消防士や教師が上位に入っているのは示唆的だ。ひとはお金をたくさん稼ぐよりも、社会的な評価が高かったり、顧客(患者や生徒)から感謝される仕事に高い満足感を覚えるのだ(アメリカの弁護士はあまり尊敬されない)。

ガテン系やマックジョブの満足度が低いのは、好きで選んだ仕事ではないのだから当たり前だろう。それでも、4点(非常に満足している)のひとが2~3割もいるということのほうが驚きだ。

それでは最後に、「幸福の計算」の一例を示してみよう。親しいひとが死んだとき、その悲しみはいくらに相当するのだろうか(原書の賠償額はポンド表示だが、円建てに修正した)。

あくまでも平均的にだが、イギリス人の場合、配偶者(夫や妻)と死別したときにこころの痛みは、子どもを失ったときよりも3倍ちかく大きい。配偶者や子どもとに比べれば、親の死はずっと受け入れやすい。兄弟姉妹との関係は友人よりも疎遠で、死別は10万円を失うほどの痛みでしかない。

どうですか? 「幸福の計算」にすこし興味が湧いてきたでしょう。

いったいどうやってこの金額を計算しているのか? それを知りたい方はぜひ手にとってみてください。