私たちのエゴが原発を止める 週刊プレイボーイ連載(66)

コップのなかに水が半分入っています。これを、「水が半分も入っている」と書くか、「まだ半分しか入っていない」と表現するかで印象は大きく異なります。

将来の原子力発電の比率をめぐる世論調査でも、同じことがいえます。原発に批判的なメディアは「原発ゼロの支持最多」と書き、電力供給の安定を求める経済界の立場を反映するメディアは「原発を容認する意見が半数」と報じます。

世論調査の結果を評価する際には、サンプルの偏りも問題になります。政府の行なった討論型世論調査では、日本の平均と比べて男性の比率が多く、30代以下の若者層が少ないことがわかっています。意見聴取会やパブリックコメントでは「原発ゼロ」が圧倒的多数を占めますが、これはそもそも「反原発」の意思表示をしたいひとが集まるのですから、それを「世論」とするのは間違いです。

2030年時点の原発比率についてメディアが行なった世論調査では、「ゼロ」がおよそ4割、「15%」が3割、「20~25%」が2割となっています。脱原発派が国民の最多数であることは間違いありませんが、原発を容認するひとも半数おり、まさに国論を二分していることがわかります。

ところで、こうした意見の分かれる問題を投票による多数決で決めようとすると、中庸(真ん中)が選ばれることが知られています。原発なしでは日本経済は成り立たないと主張するひとにとっては、「ゼロ」よりは「15%」の方がまだマシでしょう。脱原発を理想としつつも、20年後に全廃するのは非現実的だから、徐々に減らしていくほかはないと考えるひともいるはずです。こうして先進国の民主政治では、原発だけでなくほとんどの社会問題で、どっちつかずの平凡な政策が採用されるのです。

もっともこれは、一概に否定すべきことではありません。政治も人生と同じで、極端な選択よりも中庸の方がよい結果をもたらすことが多いからです。しかしその一方で、「日本を原発立国にすべきだ」(さすがにもういないでしょう)とか、「原発即時全廃」(こちらはたくさんいます)とかの“正論”を信じるひとたちは、凡庸な政府に激しく反発し、社会は不安定化していきます。

原発を止めるためには、世論調査で9割を超えるような圧倒的多数が必要です。現状のような半々のままなら、「中位投票者定理」によって、原発漸減(遠い将来に原発ゼロにする)が落としどころになるでしょう。

それでは、脱原発は不可能なのでしょうか。

世論調査は日本国の原発政策を問うもので、自分の町に原発が来ることを容認するかどうか聞いているわけではありません。原発施設は老朽化していきますから、発電量を維持するには新設や増設が不可避です。しかしいまでは、福井の原発ひとつを再稼動させるために、大阪や滋賀など隣接地域の同意まで必要となりました。その混乱を目の当たりにして、近い将来、原発建設を再開できると考える政治家はいないでしょう。

世論調査の結果がどうであれ、「ポストフクシマ」の日本は脱原発の道を歩むしかありません。毎週金曜日に首相官邸を取り囲む反原発デモの市民団体ではなく、自分の近くに迷惑施設がつくられるのは絶対に嫌だという私たちのエゴが、原発を止めるのです。

PS:政府は9月14日、2030年代に原発稼動ゼロを目指す方針を決めましたが、原発の再稼動や使用済み核燃料の再処理事業の継続も明記されているため、けっきょくはここで述べたどっちつかずの中庸でしかありません。

 『週刊プレイボーイ』2012年9月10日発売号
禁・無断転載

スタンダード銀「イラン不正取引」疑惑・完全版〈日経ヴェリタス〉

日経ヴェリタス2012年9月2日号に掲載された「ありふれていたイラン不正送金」を、編集部の許可を得てアップします。

8月6日、ニューヨーク州金融サービス局は英銀大手スタンダード・チャータードを、イランとのあいだで総額2500億ドルの不正取引を行なっていたとして告発しましたが、世界を驚かせたこの事件は、わずか8日後にスタンダード銀が3億4000万ドルの罰金を支払うことで急転直下の和解が成立しました。しかし、「不正送金」とはそもそもなんのなのか? スタンダード銀とHSBCに対する米当局・議会の資料をもとに、この不可解な和解の背後にある事情を読み解いてみました。

行数の都合でカットした部分を入れた「完全版」で、小見出しなども一部変更しています。

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2006年10月5日、英銀大手スタンダードチャータード銀行のアメリカ部門を統括するCEOが、ロンドンにあるグループ本部の役員に1通のEメールを送った。CEOは、イランとの取引継続が「きわめて深刻かつ破滅的なダメージをグループに与える可能性がある」と述べ、さらには「(責任者である)君も僕もこのままでは刑事訴追されるかもしれない」と強い懸念を示した。

このメールを受け取った本部役員は、後に世界じゅうで知られることになる“You fucking Americans.(くそアメリカ野郎)”で始まる返事を書く。「米国になんの関係もない俺たちに、どの面下げて、イランと取引するなと命令するんだ?」

12年8月6日、ニューヨーク州金融サービス局は、9カ月にわたる調査の結果、スタンダード銀が2001~10年にニューヨーク支店を通じておよそ6万件、取引総額にして2500億ドル(約19兆5000億円)のイランとの不正取引を行なっていたと発表した。“くそアメリカ野郎”のEメールは、これが「意図的かつ許し難い」違法行為である決定的な証拠とされたのだ。

金融サービス局のロースキー局長はスタンダード銀に出頭を命じ、適切な釈明ができなければ銀行免許を取り消すと文書で通知した。この報道に市場は衝撃を受け、株価は1日で20%も暴落した。それに対してスタンダード銀はただちに声明を発表、「ささいな事務上のミス」としてイランとの不正取引疑惑を否定するとともに、一時はニューヨーク州当局を相手に訴訟を起こす構えを見せた。

だが発表からわずか8日後の14日、金融サービス局は、スタンダード銀がニューヨーク州に3億4000万ドル(約265億円)の罰金を支払うことで和解したと発表した。核兵器を秘密裡に開発し、テロリストに資金を提供している(と米国が見なす)イランとの不正取引にしては、きわめて軽い処分だ。不可解な決着の背後にはいったい何があったのだろう。

ありふれた違法行為 

イランとの不正取引は、じつは“ありふれた”違法行為だ。下表にあるように、2009年~12年の3年間で、スタンダード銀以外にもヨーロッパの大手銀行5行が不正送金を理由に多額の罰金を支払わされている。さらには7月16日に公表された英銀大手HSBCに対する米上院常設小委員会の報告書でも、イランとの不正取引が大きく取り上げられている。

イランとの不正取引にかかわった金融機関と罰金

“許し難い”のはスタンダード銀だけではなかった。なぜ世界の一流銀行は、こぞって「不正」に手を染めることになったのだろうか。

1995年、クリントン政権はイランとの貿易・投資・金融取引の禁止を発表する。これにともなって、米財務省・外国資産管理局(OFAC)は米国内の金融機関に対し、イラン関連口座の資産を凍結するよう命じた。この措置に違反すると1件あたり5万~1000万ドルの罰金が課され、意図的な違法行為は10~30年の懲役に処せられる。スタンダード銀幹部が刑事訴追を怖れたのはこのためだ。

ところで厳密にいうと、OFACの規制はイランと米国人(個人・法人)との金融取引を禁止するものだから、米国外で行なわれる取引には制限は及ばない。イランは原油と天然ガスの輸出国だが、それをヨーロッパやアジアの国が購入することにまで米国政府は介入できないのだ。

しかしこの取引がドル建てで行なわれると(実際イランの金融取引の8割がドル建てだった)、やっかいな問題が発生する。ドル資金を決済する米国の金融機関は、その取引が適法(オフショア)か違法(オンショア)かを峻別しなければならないのだ。