日本人の自画像 拝啓、マッカーサー元帥殿

「日本人はどんな場所にいるのか?」で日本人の極端な世俗性について述べましたが、ここでは『(日本人)』から、「拝啓、マッカーサー元帥様」を転載します(一部改変)。

*以下の記述は、袖井林二郎『「拝啓、マッカーサー元帥様』によります。

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1945年8月30日、連合国軍最高司令官として日本に到着したダグラス・マッカーサー元帥は、敗戦国・日本の統治者であった昭和天皇とアメリカ大使館公邸で会見し、その写真が新聞各紙に掲載された。歴史的なその写真では、昭和天皇は燕尾服姿で直立し、マッカーサーはトレードマークのサングラスこそ外しているものの、ノーネクタイでゆったりと腰に手をあてている。その瞬間に、すべての日本人が、誰が日本国の統治者になったのかを理解した。

昭和天皇との会見が報じられてから、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)宛に「拝啓マッカーサー元帥様」と書き出された手紙が続々と送られてきて、その数はなんと50万通にも達した。手紙の書き手は政治家や医師のようなエリート層から、農民・主婦などの一般大衆、さらには小学生までさまざまだったが、その内容は「世界の主様」「吾等の偉大なる解放者」とマッカーサーを賛美し、日常のこまごまとした不満を書き連ねたものが大半だった。

そのなかには、フィリピン・ルソン島の収容所に戦犯死刑囚として拘留されている夫(マニラ憲兵分隊付の准尉)に、戦地にいるあいだに無事に男児が生まれたことと、「ノリヲ」と名づけたことを、死出の旅路の贈り物として伝えてほしいという胸に迫るものもある。あるいは、日本を平和国家、文化国家に生まれ変わらせるために、ぜひアメリカに渡って勉強させてほしいという13歳の貧しい少女からのけなげな願いもあった。

その一方で、絶対権力であったGHQに憧れ、米軍への入隊を願う手紙や、アメリカのスパイにしてほしいと懇願する寡婦からの手紙もある。

占領中にGⅡ(情報部)の翻訳通訳部隊に所属していたカンサス大学の歴史学教授は、マッカーサーと“ファザー・チャイルド・レリーションシップ”を持ちたいという日本女性からの手紙を何百通も翻訳した。そのなかには、「あなたの子どもを生みたい」とはっきり書いてあるものもたくさんあったという。

こうした敗戦後の庶民の心情を表わすものとして、静岡県のある村から12名の連署で送られてきた手紙を紹介しよう。

マッカーサーへの嘆願書によれば、この村の神社には大きな樹木があり、その枝が農作物の生育に害を及ぼすため、県庁の許可を得て伐採した。ところが村長と氏子総代がその伐採に異議を申し立て、出願書類が不備だからといって、村費によって訴訟を起こすと決議した。

嘆願者たちの主張では、これは村長とその一派が、要職にあることを利用して神社費3400円を詐取したことを隠蔽するための計画であり、それ以外にも種々の犯罪行為が想像され、とうてい村の「文化の建設発展」のためになるとは思えない。そこで彼らは、「実ニ恐ル可キモノナレバ是ヲ機会ニ公職公務ヲ追放セラル、様ウ」と、GHQ総司令官に村の政敵を公職追放してほしいと懇願するのだ。

軍国主義・日本を支えたひとたちは、マッカーサーになにを望んだのだろうか。

東京の製薬会社に勤めていたものの、今は滋賀県に疎開して飛行場の開拓をしているという知識人(早稲田大学専門部政治経済科卒業)は、マッカーサーをこう賛美する。

閣下(マッカーサー元帥)の御指導実に神の如くその眼光は実に日本社会の隅々まで徹し全謂(あらゆる)御指導は見事に一々的中し吾々は衷心よりその御指導が人道的であつて且つその御指令が到底日本の政治家共には及ばざる善政であることを感謝致して居るのでございます

 次に彼は、返す刀で日本と日本人を全否定する。

今更ら乍ら恥しくも日本国民はあらゆる点に於て到底貴国に遠く及ばざることを沁々(しみじみ)と感じて居ります 日本国民は今になつて始めて貴国の進駐軍を介して貴国の勝れて居ることを知り何故に斯様な偉大なる貴国を相手として無謀な戦争を始めたのかを心から悔い而して貴国に対する尊敬の念を愈々高め、将来に真に信頼して日本の国を託することの出来るのは貴国のみであることを確信し 閣下に対する尊崇の念は日本天皇に対しての尊崇の念の如く形式的ではなく真に心からの敬服、尊崇の念を懐いて居ります

 そして彼は、最後に次のように書く。

而してその尊敬の念は愈々倍々高まりこのどん底にあえぐ日本を救つて下さるのは真に貴国をおいて他になく日本国民の貴国に対する信頼感は日本国の全べてを貴国に託して閣下の御指導に御縋り申さんとして居ります 日を追うて嵩じ来る貴国に対する信頼感は今日に於ては日本国の全べて(の)ものを貴国に託して貴国の御同情によりて復興するより外にないと感[考]ヘるやうになりました

同様の趣旨のものは、GHQ宛の手紙にいくらでも見つかる。たとえば、軍医少尉の長男がビルマ戦線で行方不明になっているという岡山市の62歳の男性は、終戦のわずか6カ月後に次のように書いている。

日本之将来及ビ子孫の為め日本を米国の属国となし被下度御願申上候

敗戦直後の日本人がマッカーサーにあてた膨大な手紙は、私たちがまったく知らない“日本人の自画像”を教えてくれる。

日本人はどんな場所にいるのか? イングルハートの価値マップ

『(日本人)』では、日本人の特徴は、(それがもしあるとすれば)「空気(世間)」ではなく「水(世俗)」にある、という議論をしています。

その当否についてはさまざまな意見があると思いますが、ここで議論の前提として、本書のアイデアの元となったイングルハートの価値マップを掲載しておきます。

ロナルド・イングルハートはアメリカの政治学者で、国民性による価値観のちがいを客観的に評価すべく、世界各地で大規模なアンケート調査を行なっています(このブログで何度か紹介した世界価値観調査もイングルハートが始めたのもです)。

*イングルハートの価値マップのことは、社会学者・橋本努氏の『経済倫理=あなたは、なに主義』で知りました。

この「価値マップ」では、縦軸が「伝統的価値(前近代)」と「世俗-合理的価値(近代)」、横軸が「生存価値(産業社会)」と「自己表現価値(ポスト産業社会)」になっています。

左下が「生きていくだけでせいいっぱいの、掟や慣習でがんじがらめになった閉鎖社会(伽藍)」、右上が、「ひとびとが自由に“自己実現”できる開放社会(バザール)」です。

日本の「ムラ社会性」がよく批判されますが、これを見るとわかるように、世界の大半の国は日本よりもはるかにベタなムラ社会です。日本社会の開放度は、アングロサクソンの国々(アメリカ、カナダ、オーストラリア)やヨーロッパ・プロテスタント圏(スウェーデン、オランダ)よりは劣りますが、フランス、イタリア、スペインなどヨーロッパ・カトリック圏の国々とほぼ同じで全体の上位3分の1あたりに位置します(日本はアジアでもっとも開放的な社会です)。

「ムラ社会性」よりもずっと目立つのは、日本人の「世俗性」の高さです。この価値マップや、世界価値観調査のさまざまなデータが明らかにしたことは、「日本人は、世界でも突出して世俗的な国民である」ということです。

イングルハートは、それぞれの国を文化圏でくくってみると、そのなかに別の文化圏の国は入らない、という発見をしました。日本、中国、韓国、台湾は、表のなかの位置はバラついているように見えるものの、「儒教」でくくるとひとつの独立した文化圏になります。プロテスタント、カトリック、アングロサクソン(英語)など他の文化圏についても同じことがいえ、「国民性(価値観)」が経済だけでなく、地理的条件や歴史・文化によって規定されていることを強く示唆します。

なお、日本人の極端な世俗性をいち早く指摘したのは仏教哲学者の中村元で、万葉集から大伴家持の次の句をひいています。

この世にし 楽しくあらば 来む世には
虫にも鳥にも われはなりなむ

世の中を幸福にする「不都合な真実」 週刊プレイボーイ連載(49)

世の中には、「不都合な真実」がたくさんあります。「専門家のあいだではほぼ合意が成立しているものの、公にするのがはばかられる主張」のことです。

たとえばBSE(牛海綿状脳症)感染牛の全頭検査は、疫学的にはなんの意味もなく欧米諸国では行なわれていませんが、日本の政府・自治体は「食の絶対安全」を守るとして、10年以上にわたり200億円以上の税金を投入して実施しつづけています。ほぼすべての専門家が「やってもムダ」と指摘している検査をやめられないのは、「いのちを軽視するのか」という感情的な反発を恐れているためです。

経済問題における不都合な真実としては、「解雇を容易にすれば失業率が下がる」が挙げられます。

不況で失業者が増えると、「労働者の生活を守るために社員を解雇できないようにすべきだ」と叫ぶひとが出てきます。しかしこれは、逆に失業を増やし、不況を悪化させ、ひとびとを苦しめている可能性が高いのです。

日本では労働法はひとつしかありませんが、アメリカでは州ごとに解雇規制が異なります。そこでアメリカ各州の解雇規制を比較することで、それが労働市場にどのような影響を与えているのかを調べることができます。

この巧まざる社会実験は、「正社員を解雇できないと派遣労働者が増える」ことを示しています。雇用が手厚く保護されている州の経営者は、業績が悪化したときに解雇しやすい非正規社員しか雇わなくなり、そのため経済格差が拡大するのです。

欧米主要国の労働市場を比較しても、解雇が容易なアメリカやイギリスは雇用率が高く、解雇規制の強いドイツやフランスの雇用率が低くなっていることがわかります。失業問題を改善するには、社員をもっとかんたんにクビにできるようにすべきなのです――テレビや新聞では誰もこんなことはいいませんが。

日本でもようやく臓器移植法が成立しましたが、提供件数がなかなか増えず、アジアの貧しい国で臓器移植手術をする日本人が批判されています。この問題を解決するには、患者が必要とする臓器を国内で提供できるようにするしかありません。

そのためのもっとも簡単で確実な方法が、「オプトアウト」です。

日本では、臓器提供の意思表示を「オプトイン(選択して参加する)」で行なっていて、本人の同意が明らかでないと摘出手術はできません。ヨーロッパではドイツ、イギリス、デンマークなどが同じ「オプトイン」で、臓器提供登録者の割合は20パーセント程度です。

それに対して「オプトアウト」では、なにもしなければ臓器提供に同意したとみなし、参加しない場合だけ意思表示します。この方式はフランス、ベルギー、オーストリアといった国々が採用していて、臓器提供率は100パーセントちかいのです。

「オプトイン」でも「オプトアウト」でも、本人の意思が尊重されるのは同じです。それなのにこれほど結果がちがうのは、どちらとも判断のつかない選択では、ひとは現在の状態(デフォルト)を好むからです。

人間の本性を上手に利用すれば臓器移植の必要な患者が救われる――世の中を幸福にするこの不都合な真実も、日本では公の場で口にされることはほとんどありません。

 参考文献:リチャード・セイラー/キャス・サスティーン『実践行動経済学』

 『週刊プレイボーイ』2012年5月7日発売号
禁・無断転載