日本の大学生が留学しなくなった単純な理由 週刊プレイボーイ連載(591)

日本人の留学生がどんどん減っているようです。新聞社の調査によると、ハーバード、スタンフォード、MIT、プリンストン、エール、UCバークレー、ジョン・ホプキンズのアメリカの有力大学7校で、中国人の正規留学生(一部は交換留学生なども含む)は2022年時点で1万2600人超、それに対して日本人留学生はわずか600人で、人口が日本の5分の1しかいない台湾からの留学生より少ないというのです。

この記事は、「日本の地盤沈下を防ぐためにも、産官学が支援して米有力大への留学に挑戦する金銭的、心理的なハードルを下げる必要がある」と結んでいますが、彼ら/彼女たちが留学に尻込みするのははたしてこれだけが理由でしょうか。

新卒一括採用を日本人は当たり前だと思っていますが、このような制度があるのは世界のなかで日本だけです。なぜなら、グローバルスタンダードでは年齢差別と見なされるからです。

2007年に改正された雇用対策法で採用における年齢制限の禁止が義務化されましたが、それにもかかわらず新卒採用では、「大学卒業後3年以内」などの年齢制限が堂々と行なわれています。なぜこれが許されるかというと、厚労省が法律の「例外事由」にしているからです。

どのような制度にも、よい面と不都合な面があります。日本社会に新卒一括採用が定着したのは、卒業生を効率的に労働市場に送り出すことができたからです。欧米では若者の失業が深刻な問題になっていますが、日本は若年失業率をきわめて低く抑えることに成功しました。

しかしこれは、就活に失敗したら「人生終了」という、とてつもないプレッシャーを大学生に与えることになりました。その結果、最近では大学2年生からインターンに参加するのが当たり前になり、授業やゼミが二の次になっています。

そんな学生たちが長期の留学を敬遠するのは、就活のスケジュールが厳密に決まっているからです。海外にいるとインターンにも応募できないし、企業は留学の有無にかかわらず(文系では学士と大学院卒も)同じ「新卒」として扱うので、たんに入社時の年齢が上がるだけになってしまいます。こうして多くの優秀な学生が、就活のために留学をあきらめることになるのでしょう。

だとしたら必要なのは、「留学しろ」と発破をかけることではなく、新卒採用の例外事由を撤廃して、年齢差別として一律に禁止することでしょう。これで企業は、年齢にかかわらず「ジョブ」に必要な人材を採用することになるので、海外の大学で学んだ実績は給与や待遇に反映され、ハンデにはならなくなります。

これはとてもよいアイデアだと思いますが、なぜこんな簡単なことができないのでしょうか。それはもちろん、新卒一括採用が年功序列・終身雇用という日本企業の身分制的な慣行と一体になっており、特権的な「身分」を失うのを恐れる正社員や労働組合が働き方改革に頑強に反対するからです。

しかしそんな恵まれた正社員ですら、あらゆる国際調査で「世界でいちばん仕事が嫌いで、会社を憎んでいる」とされます。こうして誰も幸福にすることなく地盤沈下が続いているのが、この国の悲しい現実なのです。

参考:「中国人留学生、米有力大で増」日本経済新聞2024年1月16日

『週刊プレイボーイ』2024年1月29日発売号 禁・無断転載

ランダム化比較試験が明らかにしたマイクロクレジットの秘密

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2017年12月7日公開の「マイクロクレジットは“奇跡”を起こしたのではなく 貧しい国に「当たり前の世界」を作り出した」ノーベル賞受賞経済学者の理論とは?」です(一部改変)。

前編:マイクロクレジットの“奇跡の物語”と不都合な真実

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新薬の実験などに使われるRCT(ランダム化比較試験Randomized Controlled Trial)は、科学的にもっとも強力な証拠だとされている。無作為に選んだ患者グループに新薬と偽薬を与え、どちらの薬なのか患者も医師もわからないようにしたうえで(二重盲検の条件で)効果を計測する。

なぜこのような面倒なことをするかというと、偽薬でも治療効果が出る場合がしばしばあるからだ(プラセボ効果)。いったん新薬が認可されれば多額の公費が投入されるのだから、偽薬以上に高い治療効果があることが厳密に証明されなければならない。

この手法を貧困国の開発援助に持ち込んだのがフランスの女性経済学者エステル・デュフロで、これによって賛否の分かれるさまざまな貧困対策の効果を客観的に検証できるようになった。「援助か自助か」の無益なイデオロギー対立に陥りがちだった開発経済学は大きく変わり、いまでは、どのような支援が役立つかを「証拠に基づいて(エビデンス・ベースで)」議論することができるのだ。

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行政が崩壊しても日本社会を改革できない最大の原因 週刊プレイボーイ連載(590)

1月1日に能登半島を襲った地震は、死者・安否不明者合わせて300人超の大きな被害を出しました。被災者には高齢者も多く、今後は避難所での災害関連死が増えることが危惧されます。

人的被害と並んで大きな問題になるのは、地震や土砂災害で寸断された道路や鉄道、上下水道など公共インフラの復旧です。能登半島は日本でも過疎化が進む地域で、高齢化による自然減によって人口が急速に減少してます。巨額の復興資金を投じて道路や橋、鉄道を元通りにしても、将来的には利用者がいなくなってしまうかもしれません。

このように書くと「弱者切り捨て」に思われそうですが、そもそも自然災害がなくても地方のインフラは維持困難になっています。

2023年末の国交省の調査では、政令指定都市を除く市区町村が管理する施設のうち、堤防・護岸などの85.9%、橋梁の60.8%、トンネルの47.4%が修繕していませんでした。その理由は、必要な予算や職員を確保できないことです。総務省によれば、市町村の歳出で道路や橋などの整備に充てる土木費は21年度に6兆5000億円程度で、ピーク時の1993年度から43%減りました。高齢化で社会保障費が膨らみ、公共事業に回す余裕がなくなっているのです。

インフラ整備にあたる技術系職員も不足したままで、全体の25%にあたる437市町村は1人も確保できていません。技術系職員が数十年にわたっていない町の担当者は、「募集はしているが応募がない」と話しています。

「朽ちるインフラ」の背景にあるのは、いうまでもなく、超高齢化と人口減少です。政府は2100年に人口が半減し、6300万人程度になると見込んでいますが、民間有識者でつくる「人口戦略会議」は、少子化対策などで人口を8000万人台で安定させなければ「完全に社会保障が破綻する。地域インフラの維持も難しくなり、社会の様々な場面で選択肢が狭められる」と提言しました。

人口減の影響は突然現われるのではなく、徐々に地域社会を蝕んでいきます。すでに一部の町村では、医療や介護だけでなく、ゴミの収集すら難しくなっています。これまで当たり前のものとして享受してきた行政サービスすら提供できない実態は、これからますます顕在化してくるでしょう。

少子化対策が成功して出生率が回復したとしても、いま生まれた子どもが労働市場に参入するのに20年ほどかかります。即効性のある対策は高い技能を持つ外国人の永住・定住だとされますが、国民のゆたかさを示す1人あたりGDPで日本はシンガポールや香港に大きく引き離され、韓国や台湾にも並ばれようとしています。日本はもはや「ビンボーな国」で、優秀な外国人にとって魅力的な働き場所ではないのです。

しかしこの問題の最大の障害は、日本社会の中核にいる団塊の世代が、自分が死ぬまで満額の年金を受給できさえすれば、そのあとのことはどうでもいいと思っていることでしょう。これではどんな改革も不可能で、この現実を直視しないかぎり、すべての提言は空理空論になってしまうのです。

参考:「老いるインフラ地方で放置深刻」日本経済新聞2024年1月11日
「人口減抑制 野心的目標を」日本経済新聞2024年1月10日

『週刊プレイボーイ』2024年1月22日発売号 禁・無断転載