『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』発売のお知らせ

集英社より『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』が発売されます。発売日は8月26日(月)ですが、都内の大手書店ではこの週末に並ぶところもあると思います。 Amazonでも予約できます(電子書籍も同日発売です)。

書店で見かけたら、ぜひ手に取ってみてください。

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「善悪二元論」は世界を見る目を曇らせる!
すべてを善と悪に二分する「正義」の誘惑から距離をとる
【DD(どっちもどっち)】派から見た日本社会の姿とは?

『週刊プレイボーイ』の連載「そ、そうだったのか!? 真実のニッポン」を再編集したものに、「DDと善悪二元論 ウクライナ、ガザ、ヒロシマ」という長い書き下ろしを加えました。

戦後日本の最大のタブーである、広島・長崎の「犠牲者意識ナショナリズム」を論じています。

日本人が戦後79年ひたすら平和を“祈念”し続けたのは、自らの犠牲=被害を世界に訴えることで、戦争の「加害」を忘却することが心地よかったからではないでしょうか。

そう考えれば、日本の「戦後リベラル」とは民族主義の一変種なのです。

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DDは「どっちもどっち」の略で、自らを「善(正義)」とし、相手に「悪」のレッテルを貼る善悪二元論から距離を置く考え方です。

しかしこれは、「すべてをDDにして相対化すればいい」ということではありません。

わたしたちは、道徳的・倫理的な基盤のない世界に生きていくことはできないからです。

こうして、DDと善悪二元論が交互に繰り返され、いつ果てるともしれない議論、あるいは罵詈雑言の応酬が続くことになるのです。

〈目次から一部抜粋〉
Part0 DDと善悪二元論 ウクライナ、ガザ、ヒロシマ
・国際社会の「正義」が戦争を泥沼化させる
・イスラエルvsユダヤ人
・ヒロシマからアウシュヴィッツへの行進
・憎悪の応酬を解決する方法は「忘却」

Part1 「正しさ」って何? リベラル化する社会の混乱
・「性交を金銭に換えるな」はエロス資本の搾取
・皇室の結婚騒動が示す「地獄とは、他人だ」
・安倍元首相銃撃事件でメディアが隠したこと
・政界の裏金疑惑をリベラル化と「説明責任」から読み解く

Part2 善悪を決められない事件
・孤独な若者とテロリズム
・猟奇殺人の原因は「子育て」が悪いから?
・「頂き女子」とナンパ師のマニュアルは瓜二つ
・「闇バイト」に申し込むのはどういう若者なのか?

Part3 よりよい社会/よりよい未来を目指して
・若者が「苦しまずに死ぬ権利」を求める国
・学校の友だちはなぜブロックできないの?
・好きも嫌いも、政治的信念もじつはどうでもいい?
・SNSはみんなが望んだ「地獄」

Part4 「正義」の名を騙(かた)る者たち
・マイナ騒動は「老人ファシズム」である
・自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ

 

 

イスラム国はいかにして生まれたのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年9月29日公開の「アメリカの素朴な「民主主義」への幻想が 「イスラム国」を生み出した」です(一部改変)。

Mohammad Bash/shutterstock

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イギリスの国際政治学者トビー・ドッジの『イラク戦争は民主主義をもたらしたのか』( 山尾大解説、山岡由美訳/みすず書房)は、タイトルで損をしている本の典型だろう。誰だってその答えは知っている。いまのイラクには「民主主義」のかけらもないのだ。

しかし、これは仕方のないことでもある。原著が刊行されたのは2012年で、そのタイトルは“IRAQ: From War To A New Authoritarianism(イラク 戦争から新たな権威主義へ)”とされていた。

「新たな権威主義」とは、2008年にシーア派などの支持でイラク首相となったヌーリー・マーリキーのことだが、邦訳が刊行された2014年6月にはマーリキー政権は末期を迎えており、8月には政権の座を追われてしまった。「新たな権威主義」が崩壊したのは、シリア国境から勢力を伸ばしてきたIS(イスラム国)によってイラク北部の都市が次々と陥落したためだ。周知のように、その後ISは国際社会の最大の脅威になるが、この時点ではそこまで予測するのは困難だった。

だがいまなら、もっといいタイトルをつけることができる。たとえば、『イスラム国はいかにして生まれたのか』のように。

ISの前身は「イラク(ないしはメソポタミア)のアルカーイダ」で、それが2006年に「イラク・イスラム国(ISI)」、2013年に「イラクとシャームのイスラム国(ISIS)」を名乗るようになる。

シャームはシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナを含む東地中海沿岸地域を指すアラビア語で、英語では「レバントThe Levant」に相当する。こちらを使うとISIL(イラクとレバントのイスラム国)になるが、「レバント」は西欧の呼称で植民地主義の残滓として嫌われるため、「ISIS(アイシス)」の呼称が一般的になった。それが2014年6月に「国家」の樹立と「カリフ制」を宣言し、「イスラム国(Islamic State)」を名乗るようになったのだ。

もっとも、欧米はもちろんアラブ諸国もこれを国家と認めていないため、日本では「IS」、CNNなど欧米メディアは「ISIS」、アラブ圏ではアラビア語の頭文字をとって「ダーイシュ」と呼ばれている。こうした来歴を見ても、「イスラム国」がイラクに起源を持つことは明らかだ。

ドッジがこの本を執筆したときはまだアラブの春がシリアを崩壊させることは予測できなかっただろうが、2003年3月のイラク戦争からアメリカによる占領、11年12月のオバマ大統領の「終結宣言」までを冷静に評価することで、イラクでなぜ「イスラーム原理主義の暴力的カルト集団」が育っていったのかが鮮やかに描写されている。 続きを読む →

フランス、ドイツ、イギリスの「ヴェール問題」(後編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年9月15日公開の「ヨーロッパのリベラリズムは 「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている」です(一部改変)。

Ruud Morijn Photographer/shutterstock

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前回、アメリカの社会学者クリスチャン・ヨプケの『ヴェール論争 リベラリズムの試練』( 伊藤豊、長谷川一年、竹島博之訳、法政大学出版局)を紹介したが、そこでは公的領域から私的なもの(宗教)を徹底して排除しようとするフランスのライシテ(非宗教性)を「リベラリズムの強硬ヴァージョン」とし、「共同体主義」のドイツ、「多文化主義」のイギリスと比較した。

参考:フランス、ドイツ、イギリスの「ヴェール問題」(前編)

フランスはムスリムの女子生徒のヴェールを「国家の(宗教からの)中立性」を厳密に解釈することで禁じた。ドイツは「開かれた中立性」で生徒のヴェールを認めるものの、公立学校のムスリム教師には法によってヴェールの着用を禁じている。

それに対してイギリスは、この問題に対して両国とはまったく異なる態度をとっている。それは「多文化主義」だ。 続きを読む →